現在のカルテの書き方は、医師が安心して診療にあたれた、古い時代の産物です。
現在は、自分が悪いことをした、とは思っても見なかったことで、簡単に犯罪者にされてしまう時代です。 泥棒が、自分の手口を全てビデオに記録して、窃盗に入った家に残していきますか?
我々のやっていることは、断じて犯罪行為ではないはずですが、特に訴訟のリスクの高い症例では、 カルテの記載は慎重に行うべきです。
「よくなりました」「食欲も出てきました」「痛くないです」という、全く意味のなさそうな一言であっても、 裁判になった場合の受け取られ方は違ってきます。
仮に自分が裁く側だったとして、ここに"n.p"としか書かれていなかったら、 どうでしょうか。いくら、直前までの医師-患者関係はうまくいっていたと力説しても、そう思えるでしょうか。
透析患者に、食事がまずいと味噌汁をぶちまけられた挙句、「オレは一級障害者だぞ。てめえみたいな研修医が、その目は何だ。 訴えてやろうか。」といわれた場合なども、言われた言葉をそのとおりに記載すべきです。
カルテに「患者とトラブルあり、暴言を吐かれた」だけでは、誰も事の深刻さを理解してくれません。
"症状が重篤なことを説明、おそらく回復の見込みは無く、 挿管せずに見取ることで合意された"だけの記載では、あとから「そんな話は聞いていない」「専門用語だけで 何がいいたいのかわからず、主治医の高圧的な態度から、ついサインをしてしまった」などといわれても、反論できません。
アセスメント欄に"胃潰瘍疑い"と書いたり、"少なくとも心筋梗塞ではない"などと書くのは危険なことです。 この欄に自分の考えた病名を書くことは、もはや救急外来レベルでは禁忌と考えるべきでしょう。
前者なら"2日前からの心窩部痛"、後者なら"胸部の不快感"とでも書いて1.1おけば、 万が一の際には、自分の弁護士と 合理的な言い訳を考える余地が出来るかもしれません。
特に、"精神疾患か?"などとカルテに記載する1.2のは自殺行為です。自分の人生を台無しにしたいなら、あえて止めませんが。
POSのもっとも大事な部分は、アセスメントであるとよく言われます。本当でしょうか。
上級レジデントになってみると分かりますが、下級生の書いたカルテでもっとも参考になるのが、毎日の患者の訴えと、 検査データの写しです。だいたい、7〜8年目あたりの医者が、1年目の研修医の"アセスメント"を見て、 自分の考えを変えると思いますか?
同じ病院の中なら処方を見れば、その医者が何を考えていたのか大体の見当はつきます。 同じ病院の同じ科の医者同士なら、充実したアセスメントは必要ありません。
多分、"医者以外の人"の役に立つだけです。
日本のほとんどの病院では、カルテを書く人間と方針を決める人間が分業体制になっています。 教科書的な"いいカルテ"と、"現場で役に立つカルテ"は、全く違うものです。
検査をオーダーする場合は、一方でそれが自分にとって、不利な材料になるかもしれないことを認識しておくべきです。
何の気なしにとった単純写真で実は小さな肺癌が移っていた場合、家族は見逃しの責任を追及してくるかもしれません。
そのときの写真が患者のごり押しで、自分では全く撮るつもりがなかったものであったとしても、 その人のことなど忘れた頃になって、 "あのときの先生が大丈夫といったから、咳が半年続いて体重が10kg減っても、我慢して病院にいけなかった" なんていわれたら、言い訳できますか?
3年後に"あのときのCPRがおかしかったから、障害が残った"と告訴されたとしたら、 どういう反論ができるでしょうか。ほとんどの病院では、胸部写真を撮影した時間と、 再挿管に要した時間までは記録できていません。
相手方の検事が、食道挿管にも見える写真を振りかざし、 勝ち誇ったように"これが原因で、原告の子供の障害を生じてないと、 あなたは自信を持っていえますか?"などと問われたら、 どう反論しますか?