現在用いられているような、陽圧式の呼吸器が最初に発表されたのは、1940年代である。 この頃の呼吸器は、"鉄の肺"に代表される陰圧式の呼吸器が主流であったが、これは製作に手間がかかった。
1952年6.4にポリオが大発生した際、 今までは数百人規模であった呼吸不全の患者数が、いきなり数万人規模に増加し、ヨーロッパ中で人工呼吸器の数が不足する 事態となった。
トランジスタの発明が1947年、 第二次世界大戦の終了が1945年。 この時代の技術を使って、人工呼吸器を大増産するのは非常に難しいことだった。
このときすでに、原始的な人工呼吸器はできていたが、構造が複雑すぎ、大量生産はできなかった。
これは実用的に動いたらしいが、当時はモーターを手に入れるのも難しい時代。大量生産には適さず、 電源の不安定な施設では使い物にならなかった。
この呼吸器の仕組みは、最初のものとは違う。当初の人工呼吸器は、電力でベローズを動かす、今でいう従圧式の 呼吸器であったが、この方法だと大量生産できず(ベローズを作るのは大変)、また電気が無いと作動しない。
これでは困るので、より簡単に動く方法として、空気で膨らむ皮袋に磁石をつけておき、磁石が弁に近づくと、弁が開いて 患者に空気が流れ込む、という仕組みが考案された。
こうして、1950年代にはすでに現在の人工呼吸器と同じ動作をするものができてきたが、当時の呼吸器は、 ポリオによる呼吸筋麻痺の治療に用いられていたこともあり、患者の自発呼吸に同調するようには設計されていなかった。
この点は、ポリオでは問題にならなかった6.5が、 他の疾患の患者に呼吸器をつけようとすると、深い鎮静や筋弛緩剤が欠かせなかった。
これは、人が手先の感覚を用い、 常にバッグが一定の押し具合になるように力を加減したり、また患者が楽に呼吸できるよう、 患者が息を吸った瞬間に合わせてバッグを押したり、適度にバックアップの換気をいれたり、といったことを 自由に行える6.6からであるが、 これはちょうど、プレッシャーサポート換気に、バックアップ換気を加えたのと同じことを行っている。
呼吸器が人に近くなれば、患者は楽に呼吸できるようになる。具体的には、流量を無断階に調節できる6.7バルブの開発、 そしてそれを制御できるコンピューターと、流量センサー6.8の開発である。
これらの成果として、プレッシャーサポートモードが生まれた。実現したのは、1980年6.9。 まだつい最近のことだ。
いまだに多くの教科書が、急性期は古典的な従量式の呼吸様式(SIMVモード)を用い、 PSVについては補助的に述べられている。これは、1980年代の呼吸管理の考え方が、"血液ガスを改善すれば、病気も良くなる" という考え方に支配されていたためで、一回換気量が呼吸ごとに異なるPSVは、まだ不完全な呼吸モードとして 重視されていなかったせいであろう。
PSVが呼吸管理の中心になるには、呼吸不全の治療の考え方が変わる必要があった。 1990年の、permissive hypercapniaの提唱である。