機械的な人工換気を最初に始めたのは、恐らくはパラケルスス1.1が1530年に、 死にかけた人の肺にふいごで空気を送り込んだのが始まり1.2である。
この、ふいごを用いて患者の口から空気を送りこむ方法は、一応効果がある蘇生術として、 ヨーロッパでは19世紀まで行なわれた1.3。
気管内挿管が開発されたのがもう少しあとだったためか、世界で最初に開発された人工呼吸器は、 現在のものとは全く異なる。
これはタンク式呼吸器、あるいは陰圧式呼吸器などと呼ばれ、患者の周囲を陰圧にすることで、患者の肺に空気を送り込む。
タンク式人工呼吸器が最初に記載されたのは、スコットランドのJhon Dalzielらが1838年に発表したもの(図1.1)である。 陰圧の作成は2つのふいごを用い、手動で行なわれた。
更に、これとほとんど同じ機械が1864年にアメリカで特許が出されており、 その適応は麻痺の患者、リウマチ、喘息、気管支炎などであった。
ほかのタンク式呼吸器としては、Wollezらの最初の実用的な鉄の肺である"spirophore"がある。 彼らはこれを溺水の患者の救命に用いたと主張したが、公式な記録は残されていない。
救命的な効果を発揮した初めてのものは、Egonらの小児用の小さな木の箱で、 これは医師の息により陰圧を発生するものであった。彼らはこれにより、50例の成功例を発表している。
機械式の人工呼吸器の試作品は1908年に発表され、また患者自身で呼吸を補助できるような装置も工夫された。
最初の鉄の肺が広く世の中に知られたのは、1928年のボストンでのことである。 この機械は最初の電気式で動く呼吸器であり、ハーバード大学病院や、 ロックフェラー基金により中国の北京大学病院に贈られたりした。 この機械は当初、阿片中毒の患者の呼吸抑制の治療に使われた。
そして1936年になり、有名なシカゴの銀行家の家族が北京でポリオにかかり、 鉄の肺で救命されたことをきっかけに、ポリオの流行に備えて鉄の肺が大量生産されることとなった。
図は1950年ごろのICUの写真であるが、今とは全く異なり、棺桶が大量に並んでいるように見える。
この形の呼吸器は、1950年代のポリオの世界的な流行を境に、だんだんと廃れていった。
鉄の肺は体全体を覆うため、オムツ交換ひとつ満足にできない。体全体を覆うのではなく、胸郭周囲を陰圧にするだけでも、 理論上は呼吸ができる。
最初の胸郭式呼吸器 1.4が開発されたのは、 1876年のことである。 これは、手術後の無気肺をマスクを用いたCPAPを用いて治療している際に、呼吸を補助するために考えられた。
さらに1904年に、後に大量生産されるものと同じような胸郭式呼吸器が作られた。 1949年には持ち運びのできる胸郭式の人工呼吸器が作られ、患者が日中座っていても、 夜間寝ていても呼吸を補助するように作られていた。
着用できるような陰圧式人工呼吸器が最初に作られたのは、1955年のことである。
けっこう便利だったが、十分な換気量がとれず、やはりほとんど使われなくなった。