イギリスのように、胃がんの手術は3ヶ月待ち、救急外来は9時間待ち、といったことが許されるなら、 あるいはアメリカのように、一回の外来に5万円程度のコストをかけることを許されるなら、医療ミスはもう少し減らせるでしょう。
ですが、日本ではそんなことは許されません。
イギリスでは下2つを、アメリカでは上2つを、それぞれ選択しています。日本は、これら3つを、医師の" 気合" で何とかしようとしています。
おかげで、WHOからは世界一の医療システムのお褒めの言葉をいただいていますが、国内マスコミ各社から、これほどまでに叩かれると、いいかげん我々の精神力も尽きてきます。
一人一人丁寧に診ていたのでは、待合室の患者さんからドアを蹴破られ2.1ます。また、病院の維持にお金がかかっても、国はまったくかまってくれません。市民の反応も、 "どうせ儲けてるんでしょ"と冷たいものです。
このジレンマを解決するのは、とにかく無駄な動作を省き、無駄なコストを省いていくしかありません。
これは、ある部分は本当でしょう。あまり忙しくないシーズンの病院は、人工呼吸器や人工心肺といった機械類は遊んでいます。 数千万円単位で費用のかかる機械をただ遊ばせておくなど、企業経営者から見れば犯罪に近いことは、病院ではたしかにあります。
しかし、一方で、こうした"遊び"の部分で安全マージンを稼いでいるのも、医療業界の特徴の一つです。
"合理化"とばかりに高額な機械を全てリースとし、病棟職員も、入院数に応じて派遣職員を補充すれば、数の上では帳尻は合います。 ですが、自分なら、こうした病院に入院したいでしょうか?
安全のための冗長性、というものは、実際にそれが必要な事態になって、初めて分かります。
例えば当院では、全館停電になっても、圧搾空気で駆動できる、旧式の呼吸器がまだ残っています。 過去に全館停電を生じ、自家発電システムも死んでしまった際、 IMIの古い呼吸器2.2だけは何事もなかったように動作を続けてくれました。 この経験があり、いまだに古い機械を残しています。
職員の世代交代が進み、こうした記憶を受け継いだ職員がいなくなったら、 倉庫の片隅の旧式の呼吸器など、真っ先に処分されるでしょう。
次に全館停電になった際、作動する呼吸器が無くて2.3パニックになる頃には、当時の記憶を持った職員は残っていません。
行き過ぎた合理化の著しい例は、東海村の臨界事故です。あの施設が出来た頃は、放射能のエキスパートたちが、 安全の面も十分に考え、ウラン処理のマニュアルを作ったはずです。ところが世代交代が進み、 全てを把握していた当時のベテランがいなくなってしまうと、 経験のない技術者には、どこかの工程が"不合理"なものに映ったのでしょう。
結果が、 バケツでウランを運ぶという素人が考えても信じられない"合理化"の考案でした。
昭和40年代、当時のエンジニアが海外の機械をコピー生産しようとした際、自分たちなりに"改良"を加えると、 必ずといっていいほど作動に不具合が出たといいます。
今までうまくいっていたシステムで、何かムダに見えるものを変更しようとした場合、 先人のムダさ加減を指摘する前に、なぜこんなムダが今まで残されてきたのか、 もう一度考えてみるべきです。