マインドコントロールの手法で教育を受けた研修医は優秀です。 同世代のほかの研修医に比べて、手技的も上手く、 知識も豊富に持っています。救急の場数も踏んでいることが多く、 急変の対応もすばやく行えるようになります。
ならば、こうした研修医が研修期間を終えた後、各地の病院で優秀な臨床医になっているでしょうか。
必ずしもそうはならないように思います。
こうした教育を受けた医師は、自分の研修を受けた病院に対して強いプライドを持っています。 こうした医師が新しい病院に赴任しても、自分のもといた病院の方法論を通そうとします。
新しい病院の上司が、彼の方法を訂正しようすると、衝突が生じます。
このとき、反論の理由は医学的に適切であるかどうかは問題にはなりません。 "あなたより、自分のもといた 病院の先生のほうが優秀だった"というのが論拠になり、 指摘を受けた内容が医学的に適切かどうかは、その医師の頭には関係ないことがあります。
マインドコントロール的な手法を用いる病院では、医学教育を通じて与えられる情報は、一種の"教義"です。
教義に対する批判は許されず、先輩からの医学知識はしばしば間違った形で伝達されます。
例えば、喘息重積発作の患者に気管支拡張剤の吸入のみ行い、効果が得られず亡くなってしまった、 という症例が過去にあったとします。
伝えなくてはならないのは、"喘息患者は急変するから、吸入だけで放っておいてはいけない" という部分ですが、数世代後には、これが"救急車できた喘息患者は、吸入禁忌"に変形していたりします。
もちろん、先輩からの言い伝えが即トラブルになるようなら、それが間違っているとすぐにわかります。 ゆがんで伝わった知識のとおりに行動していても、例外的なケース以外では、それで上手くいってしまいます。
しかし、とりあえず上手くいく方法と、今の医学レベルで最適な方法とは、しばしば異なります。 それでも、上司に対する批判が許されない世界では、こういったゆがんだ知識が"エビデンス" としてまかり通っていたりします。
結果、"勉強"という行為も、自分にゆがんだ形で伝えられた条件づけを補強する効果はあっても、 もっと正解に近い知識に、自分の頭を訂正する効果はないことがあります。
それでも、ほとんどの場合は、それが大きなトラブルになることはありません。 少なくとも、その病院では、先輩たちからの言い伝えを守って死者続出、 といった事態にはなっていないのですから。
前の喘息の話で行くなら、喘息患者が吸入を望んでいるのに、"そんなことをしたら死んでしまいますよ" と患者を叱ってしまったり、気管支拡張剤の投入タイミングが送れて気管内挿管になってしまった、 といったケースがそれです。
この喘息の例は筆者のものですが、自分の頭の中には"マインドコントロール爆弾"とでも表現すべきものは、 まだいくつかあると考えています。こうしたものは、実際問題になってみないとなかなか訂正できません。
研修期間が空けてから何年かの間に、自分の脳の中に残った、 こうした間違った思い込みはいくらか減ったとは思います。 しかし、まだまだ何が起こるか分からないというのが正直なところです。