カルトの目的はさまざまです。社会に対して破壊活動を行う「破壊的カルト」と呼ばれるものから、 単なる同好会的な組織まで、カルトはその規模、目的ともいろいろあります。
その組織の目標が、社会の役に立つようなものであっても、カルト的な組織はいくらでもあります。 カルトの定義はさまざまですが、フランスなどではYMCAも"カルト"と定義されているそうです。
カルトの定義は反社会的であるかどうかではなく、 信者一人一人と、社会とのかかわりが保たれているかどうかで決まります。
日本の山伏の修行や密教の荒行などは、日本人から見れば"信心深い人"にしか過ぎませんが、 日本の宗教事情を知らない海外の人から見れば、それらは"マインドコントロールされたカルトの犠牲者" と写ってしまうかもしれません。
カルトに深く取り込まれた信者は、本人は強制されているという自覚無しに信じられないことをします。
日本でも"カルト"と定義されている宗教団体はいくつかありますが、彼ら一般信者の生活は、 我々から見れば悲惨です。
インターネットもプレイステーションもない生活1は、今ではちょっと信じられません。一方でカルトの内部の人から見れば、我々の方が"真理を知らない、 かわいそうな人々"に写っています。
カルトは、非常に巧妙な方法で信者の価値観を作り変えていきます。 この方法をマインドコントロールといいますが、 こうした方法は、カルトならではのオカルト的なものとは無縁の、現代心理学に裏打ちされたものです。
「どういう状況で、どういう教えかたをしたら、人間の価値観をどう変化できるか」、 こうしたことはかなり解明されています。
マインドコントロールの方法論は、今も改良が続いています。 ちょっと冷やかしに、こうした団体をのぞきに行って、 そのまま帰ってこなかった人は今までにも何人もいます。
学校教育と、マインドコントロールとは違ったものであると定義されています。
教育とマインドコントロールとの違いは、以下のように説明されています。
本当にそうでしょうか。
一般の教育も、子供に何かを教え込もうとしています。特に、第二次世界大戦中の教育などは、 国をあげてのマインドコントロールだったという人もいます。なぜ勉強しなくてはいけないのか、 なぜ人を殺してはいけないのかといった問題の答えを、小学生にも分かりやすく語れる教育者はいません。 "ちゃんと勉強しないと、いい大人になれませんよ"などという使い古された言葉は、 生徒に恐怖をもたらしてはいないでしょうか。
程度の差こそあれ、"教育"とマインドコントロールとは同じ延長線上にあります。 違うのは、マインドコントロールのほうが方法論が確立されており、"有効である"という点だけです。