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	<title>レジデント初期研修用資料</title>
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	<description>日常のメモ</description>
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		<title>「雑な物づくり」に未来がある</title>
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		<pubDate>Thu, 19 Nov 2009 01:08:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[2009病棟ガイド]]></category>

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		<description><![CDATA[今作っている研修医向けのマニュアル本について、少しだけ話が前に進んで、昨日は出版社の方と、いろいろお話をさせていただいた。まだまだ先は長そう。

いろいろ思ったこと。

出版は大変

「自分の電子原稿が、出版にはあんまり [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今作っている研修医向けのマニュアル本について、少しだけ話が前に進んで、昨日は出版社の方と、いろいろお話をさせていただいた。まだまだ先は長そう。</p>

<p>いろいろ思ったこと。</p>

<h2>出版は大変</h2>

<p>「自分の電子原稿が、出版にはあんまり貢献できない」ということが、個人的にはショックだった。</p>

<p>原稿はすでに、表紙から目次、本文、図版、索引に至るまで全て完成している。原稿内部でのページ参照だとか、あるいは索引だとか、ああいうのも全部ラベル参照にしてあるから、出版社の方から、判型と1行当たりの文字数、ページ当たりの行数の指定さえいただければ、コマンド一発、せいぜい1秒もあれば、参照ページの入った原稿が、いつでも出せる状態。たとえばそれを電子化したいなら、LaTeX ならhtml の出力も簡単だから、こういうのが役立つだろうなんて考えてた。</p>

<p>電子原稿は、「手書き原稿の山」なんて状態に比べれば、出版社の人も圧倒的に楽できるだろうなんて思ってたんだけれど、そんなに変わらないらしい。</p>

<p>「これから」のことを尋ねると、原稿は、今のPDFからテキスト部分だけを抜き出して、それをDTPソフトで再編集、TeX の図版はそのままだと使えないので、これはイラストレーターで全部作り直したうえで、自分のマニュアルには、ページの相互参照が200箇所ぐらい、索引が300箇所以上あるんだけれど、こういうのは全部「手」でやるんだという。</p>

<p>LaTeX の自動編集は、ワープロよりはきれいとはいえ、やっぱりそれは機械の仕事であって、「プロの品質」を達成するには、やっぱりまだまだ役不足みたい。</p>

<h2>プロの仕事にはお金がかかる</h2>

<p>個人的に妄想していた落としどころみたいなのは、「1冊1000円ぐらい、できれば半年、無理でも毎年改訂」ができたらいいな、なんて思っていたんだけれど、こういうのは無理らしい。</p>

<p>プロのお仕事には莫大なお金がかかって、商業品質に耐える版面を整えるためには、自分の原稿ぐらいの本を作るなら、ちょっとした高級車ぐらいのお金がかかるらしい。全部手仕事だから、そもそも「ちょっとした改訂」というのはありえなくて、品質のいい原稿というのは、裏を返せば、一度作ると、それを直すのにも膨大なコストがかかるらしくて、改訂という作業は、そう簡単にはいかないのだと。</p>

<p>「1000円ぐらい」の本というのは、だから最初から数万部オーダーで勝負をするような大規模出版でないと厳しくて、医学書というのはそもそもそんなに売れるものではないから、必然的に価格も上がってしまうんだという。</p>

<p>今相談をさせていただいている出版社は、本も雑誌も出しているようなけっこう大きなところで、多色刷りだし、図版も多い。小さな図版には文字がきちんと回り込んでいるし、爪見出しみたいな、裁ち落とし部分に印刷される部分も多い。素人仕事ではたしかに追いつけない、版面のきれいな本をたくさん作っているところなのだけれど、品質にはやっぱりお金がかかって、あらゆるものが電子化されたこの時代に、膨大な「手」が必要みたい。</p>

<p>「鬼のようにページ参照入ってますけれど、こういうの大丈夫なんですか？」とか尋ねたら、「<strong>もっと大変なのも手でやってますから大丈夫です</strong>」なんて、なんだか大変そうだった。</p>

<h2>これからは雑な物づくりが大事なんだと思う</h2>

<p>「最上の日々」の<a href="http://homepage3.nifty.com/mogami/diary/d0711.html">これからの日本は、雑な物づくりだろうか</a> というエントリーを読んで、こういうのはたぶん、いろんな業界で、「品質」から「雑」に舵を切る時期に、今はさしかかってるんだろうなと思った。</p>

<p>たとえば自分の原稿は、あらゆるものをフリーソフトで作っている。原稿の改訂はリアルタイムだし、PDF もHTML もその場で作って公開できる。たしかに原稿のできあがりは「雑」だけれど、読むに耐えないほどひどいわけではないし、出版社の人に原稿を託したなら、もちろん「プロの仕事」が施されて、比較にならないぐらいに高品質なものが作られるのは分かるんだけれど、その「品質」に、はたして何百万円ものお金をかける意味というのは、どれぐらいあるものなんだろう。</p>

<p>全てを手仕事で、ページの隅にまで気を配ったプロの原稿というのは、きれいな代わり、それは「紙」の形式でしか出版できない。参照ページは、「数字」として記載されるだろうから、判型が変われば全部やり直しだし、たとえばその原稿を電子化して、有償閲覧形式で配信しようにも、今度は参照ページだとか、索引を全部「リンク」に直さないといけないから、恐らくそれには手間とコストがかかって、実際問題、出版社で「電子書籍」に対応できるだけの体力を持ったところというのは、決して多くないんだという。</p>

<p>プロの人たちは、高品質な「プロの仕事」しかできないが故に、「雑な仕事」ができない。</p>

<p>自分は最初、「自費出版詐欺」みたいな報道で話題になったようなサービスを探していた。やりたいことは、あくまでも「原稿が書籍として流通すること」が全てであって、上の先生がたは「本」にならないと読んでくれないから、それで十分だった。だからたとえば、「100万円であなたの本が本屋さんに並びます」みたいなサービスが、医学系の出版社から提供されていれば、たぶんそれに乗っかったと思う。やりたいことは、それで達成できるから。</p>

<p>たとえば「研修医を集める」目的で、自分の病院独自のマニュアル本を作って出版したいという要望は、たぶんいろんな病院にあるものだろうし、60も過ぎたベテランの先生がたとか、あるいはblog で日記を書いている無数の同業者とか、ちょっとした本を作って、自分のノウハウを多くの人に知ってもらいたいという需要は確実にあって、それは小さいかもしれないけれど豊穣な、よその業界から見れば相当に「おいしい」市場がそこにあるはずなのに、高品質だけれど高コストな仕事しかできない「プロ」しかいない医学出版の業界には、こういう需要に対して、サービスを提供できない。</p>

<p>どこかの出版社が、たとえば「旺文社の赤本」よろしく、日本中のあらゆる病院から「研修医マニュアル」の原稿を集めて、どこかに就職を希望する医学生がそれを買って比較したり、あるいは自分の研修医にそれを買ってもらったり、部数でいったらせいぜい1000部ぐらい、「雑な装丁」の、その代わり、出版を依頼する病院側からお金を支払ってもらうような、そういうやりかたにだって十分勝ち目がありそうなものだけれど、そういう話は全然ないんだという。</p>

<p>この場所に、誰も名前を知らないような新興出版社が入ってきたところで、勝負にならない。自分たちはやっぱり、「名前」でいろんなものを判断するから。ところがその代わり、「名前」を得た多くの出版社は、今度は仕事の品質があまりにも高すぎて、こういう場所には行ってこれない。</p>

<p>恐らくは企業とか、あるいは国家にも、「品質で名前とブランドを形成する時代」のあと、どこかで「雑」と「多様」とにシフトをするタイミングというものがあって、そのタイミングを間違えて、「より高品質」に行ってしまうと、袋小路に入ってしまうんだろうなと思う。</p>

<p>病院ごとのマニュアルを商業ルートに乗せること。blog の文章に「プロの添削」を依頼すること。書いた文章を翻訳して、どれだけマイナーな形式であれ、「海外のどこか」に自分の意見を問うこと。恐らくは「出版」というものに期待されている仕事というのはたくさんあって、プロの人たちが「プロの仕事」を続けている限りは、こうした「多様」に対応することはできないだろうし、よしんばそれが実現したとして、それは高コストで、素人には手が出ない。</p>

<p>「出版のプロ」にはじめてお会いする機会をいただいて、自分はむしろ、「雑で多様なサービス」というものが、これから先、もっと考えられてもいいんじゃないかなんて考えてた。</p>
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		<title>伽藍の誤謬と戦局眼</title>
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		<pubDate>Mon, 16 Nov 2009 02:17:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[2009病棟ガイド]]></category>

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		<description><![CDATA[2002年、ペンタゴンは、冷戦終結以降、最大規模の軍事作戦演習を行った。イランへの攻撃を想定した、「ミレニアムチャレンジ」と名付けられたこの演習は、情報化、ネットワーク化の行き届いた、最新装備の米軍が無敵であることを証明 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2002年、ペンタゴンは、冷戦終結以降、最大規模の軍事作戦演習を行った。イランへの攻撃を想定した、「ミレニアムチャレンジ」と名付けられたこの演習は、情報化、ネットワーク化の行き届いた、最新装備の米軍が無敵であることを証明するための演習だったはずなのに、時代おくれの装備を与えられた「仮想イラン」軍に、「仮想米軍」は歯がたたなかった。</p>

<p>ポール・バン・ライパー退役中将が率いた「仮想イラン」軍は、ことごとく米軍の行く手を遮ることに成功した。</p>

<p>ペルシャ湾岸に入った米艦隊は、イラン軍の自爆船、対艦巡航ミサイルによる攻撃を受け、米戦艦のほぼ半数が沈められるか、作戦遂行ができない状態に追い込まれた。これはパール・ハーバー以来の大失態だった。</p>

<h2>情報の伽藍に圧倒される</h2>

<p>「<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334961886/httpblogso0dd-22/ref=nosim">第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい</a>」という本に登場するこのエピソードの主役、ポール・ヴァン・ライパー退役海兵隊中将がどうして強かったのか、この本を読んでもよく分からなかったんだけれど、別のインタビューで、将軍が「戦争において、情報は非常に便利だが、戦場で人を殺すのはいつだって弾丸だ」と語っていたのを読んで、何となく分かった気がした。</p>

<p>圧倒的な情報収集手段を手に入れた人は、しばしばたぶん、「情報の伽藍」を作ろうと夢見てしまう。たくさんの材料が手に入って、壮大な伽藍を夢見て、設計して、伽藍の壮大さに圧倒されて、それが完成するまでの間、道具であるはずの情報に圧倒されて、動けなくなる。</p>

<p>弾が撃てれば、人は殺せる。戦争で必要なのは、だから「弾を撃つための目標と、その根拠」が全てであって、「戦場全体を見渡せること」それ自体は、便利だけれど、必須じゃない。</p>

<p>「雨をしのぎたい」と思ったなら、柱を立てて、とりあえず屋根をかければ、その掘っ立て小屋は、すでに十分役に立つ。</p>

<p>伽藍に支配されてしまった人は、雨は降ってるのに、伽藍は8割方完成して、すでに居心地のいい大広間が出来上がっているのを目にしているのに、「未完成な伽藍」に圧倒されて、しばしば豪雨の中、無為に立ちすくんでしまう。</p>

<p>目的が雨をしのぐことであったなら、翌日濡れずにいた人が、もちろん正しいのだけれど、世の中はしばしば、「状況を正しく判断した人」よりも、「雨に濡れなかった人」よりも、「ずぶ濡れになりながらも伽藍の完成に尽力した人」を評価する。伽藍に支配された人は、だからしばしばいい評判を勝ち取って、伽藍が壮大になるほどに、仲間はますます増えていく。</p>

<h2>戦局眼というもの</h2>

<p>偉大な将軍に欠かせない資質だとか、「戦場にあって、一瞥にして有利、不利を見透かす偉大な才能」なんて説明されている「戦局眼」というものがあって、シミュレーションとはいえ、圧倒的な戦力差が想定されていた米国正規軍を圧倒してしまったライパー将軍の能力もまた、こうしたものなんだろうけれど、「戦局眼」というものはたぶん、「自分にできることとできないこととを正確に把握した上で、行動決定に必要なもの「<strong>だけ</strong>」を見る」ことができる目線なのだと思う。</p>

<p>「眼」なんて言葉が付いているから、戦局眼はなんだか、レーダーとか千里眼みたいな能力みたいに思えるけれど、戦局眼を備えた人の目線というのは、たぶん半分以上が、自分自身に向けられている。</p>

<p>自身と味方とに向けられた目線、自分たちにできることと、できないこととがきちんと把握できていなければ、行動を決断するのに、そもそも何を見ていいのか分からない。分からないなら、どれだけたくさんの情報を集めても、その人は、それを行動に転化できない。
「戦局眼を持った人」というのは、たぶん自身を把握する能力に長けていて、莫大な情報を前に、むしろ視界を限定することで、代わりに意志決定の速度を得ているのだろうと思う。</p>

<p>どれだけ莫大な戦力、莫大な情報能力を持っていたところで、意志決定ができないのなら、死体に等しい。</p>

<p>「最初の一瞥で物事を判断できる」超人的な能力を持った人の逸話というのは、たぶん「自分にできること」と、「それを決定するのに必要なこと」とを、それぞれ突き詰めて分かっている人が判断を行うと、それが他者からは「一瞬」にしか見えないということなんだと思う。</p>

<h2>エビデンスの時代に大切なこと</h2>

<p>質の高い情報を手に入れることが、本当に簡単になったけれど、研修医が莫大な電子データベースにアクセスできたところで、自分自身に向けられた目線を鍛えないかぎり、そもそも自分が何を分かっていないのか、それ分からないから、きっと動けないのだと思う。
知識を蓄えたり、手技を磨いたりすることと、「戦局眼」に相当する何かを身につけることとは、たぶん相当に異なる。エビデンス語るのに判断しない名医とか、何でもできるのに何もできない凄腕医師とか、このへんが、違和感の原因なんだと思う。</p>

<p>たとえば救急外来で、患者さんの治癒に貢献できる行動というのは、そんなに多くない。</p>

<p>病気は無数にあるし、病気の数だけ治療手段は異なるんだけれど、「できること」という数えかたをするなら、補液と輸血、ステロイド、抗生剤、気管支拡張薬、昇圧薬、あとは挿管とチェストチューブと、たぶん10指に余る。診断手段は無数にあって、正しい診断にたどり着くためには、伽藍を建てるほどの情報が必要だけれど、「たかだか10の行動」を決断するのに、人体全部の情報なんて必要ない。</p>

<p>医師として大切な資質は、だから分からない状況に陥ったときに、「自分には今問題解決の能力が欠けている」ことを理解できることなんだと思う。</p>

<p>「分からない」を「分かる」ためには、自分にできることと、それを判断するために必要な情報とを把握していないといけない。これができていれば、「分かるまで探す」こともできるし、「分かる誰かに問題を渡す」こともできる。これができていないと、「理解できないのは問題が悪い」なんて、無能の原因を患者さんに押しつけてしまったり、情報の伽藍に圧倒されて、必要なタイミングで動けなくなったり、しまいには、「それでも見ろ、壮大な伽藍がここにある」なんて、状態の悪くなった患者さんを前に、それが「正しく」思えてしまう。</p>

<p>「もっと適当にやるのが本当は正しいんだよ」なんて、なかなか分かってもらえないんだけれど、そういう本作りたい。</p>

<p><a href="http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/326">ルーデルの「武徳」</a>と、<a href="http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/566">カラシニコフの「誠実」</a>、そしてライパー退役中将の「目線」、そういうものが伝えられればいいのだけれど。</p>
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		<title>合理化が手にした利益</title>
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		<pubDate>Sat, 14 Nov 2009 02:11:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[小話]]></category>

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		<description><![CDATA[恐らくは「能力ある人を育てる仕組み」があった場所に、「既得権」と「無駄」というキーワードをぶつけると、そこが「合理化」する。合理化した帰結として、「能力ある人を育てるための教育コスト」が、「無駄を排除した利益」として、攻 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>恐らくは「能力ある人を育てる仕組み」があった場所に、「既得権」と「無駄」というキーワードをぶつけると、そこが「合理化」する。合理化した帰結として、「能力ある人を育てるための教育コスト」が、「無駄を排除した利益」として、攻撃者に転がり込んでくる。</p>

<p>合理化はだから、短期的には間違いなく利益を生む。その代わり、教育システムが「合理化」されてしまうから、もう後続は育たない。教育システムを再建しようにも、それには「既得権」のラベルが張り付いているものだから、政治という営為が「嫉妬の最小化」を目標に行われている以上、システムが再生することはあり得ない。</p>

<h2>昔は旦那がいた</h2>

<p>「日本一の左官職人」の昔話。</p>

<p>その人が若い頃には、どこの町にも「大旦那」とか「若旦那」がいて、若手の職人は、そういう人に目をかけてもらって、ある日「粋な茶室を作ってくれ。金は出す」なんて注文を受けたんだという。機会を与えられた若手は必死になって茶室を作って、それはもしかしたら、師匠の手には及ばないのだけれど、「旦那」はどこかに光るものを見つけて、お金をくれたのだという。</p>

<p>茶室を頼む旦那はいなくなって、「若手」はもう育たないから、日本一の職人は、同時に最後の職人でもあって、たぶん今、「最後の日本一」が、いろんな業界にいるんだと思う。</p>

<h2>「マタギ」と「ナガサ」</h2>

<p>熊撃ちの猟師であった「マタギ」が羽振りのよかった昔は、地元の鍛冶屋さんに自分の刃物を作ってもらうものだったんだという。</p>

<p>鍛冶屋さんにもやっぱり、「師匠」と「若手」とがいて、手分けして、いろんな刃物を打ち分ける。マタギの人たちは、「ナガサ」と呼ばれる大きな刃物を携帯するのが常で、これで藪を割って山に入って、何かの理由で銃が使えないときには、ナガサで熊と戦うときもあるらしい。</p>

<p>ナガサはだから、恐ろしく頑丈にこしらえてあって、先端部分だけ、相手をさせるよう、両刃になっている。マタギの命を預ける刃物だから、もちろんこれは「師匠」の仕事で、値段もえらく高価なものだそうなんだけれど、「師匠」が留守にしていたある日、マタギがナガサをオーダーして、まだ若手であったその鍛冶屋さんは、必死になって一振りのナガサを仕上げて、その人に届けたんだという。</p>

<p>それが独立したきっかけになったのだと。</p>

<h2>無駄と一緒に捨てたもの</h2>

<p><a href="http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090528/330813/">昔の問屋さんは、若手を育てる役割を担っていたのだ</a>なんて記事を読んだ。</p>

<p>昔はあちこちに問屋さんがいて、こういう人たちは、流通から対価を得ていたんだけれど、問屋さんは「無駄」であると同時に、たとえば作家の目利きをして、腕のいい若手にはお金をはずんだり、引き合いの少ない気切には在庫リスクを引き受けてくれたりして、若手の作家を育てる役割も担っていたんだという。問屋さんがAmazon に追い払われて、流通には無駄がなくなったその代わり、「若手」はたぶん、育つ機会を減らしたのだと思う。</p>

<p>「能力」というものを、「仕事を作り出して、それを最初から最後まで完成できる人」みたいに定義すると、その人がどれだけ優秀であったとしても、機会がなければ、能力は磨けない。今はなんだか、「能力を持った人」を育てる仕組みが、社会の中からどんどん減っているような気がする。</p>

<h2>焼き畑農業の先にあるもの</h2>

<p>それは無駄といえば無駄なのだと思う。「大旦那」というのは要するに成金なんだし、「マタギ」の財を作った熊の胆のう、同じ重さの金より高いなんて言われた物質にしたって、今では普通に薬局で買える。無駄がなくなること自体は、決して悪いことには見えないんだけれど、「無駄にお金を使える人」が社会から減ったことで、「能力を持った人」が誕生する余地が、世の中から失われてしまった。</p>

<p>「社会から無駄を放逐して、全体の富が増えました」なんて、これは一見いいことなんだけれど、「富」が増えた本当の理由というのは、実は社会というか、旦那衆が負担していた「教育コスト」をお金に換えて、それに変わるものを、社会からなくしてしまったからなんだと思う。</p>

<p>戦争を民営化する、「戦争株式会社」を導入すると、戦争のコストが劇的に下がる。雇う側は、安価に「強い軍隊を購入する」ことができて、現場で戦う兵士もまた、国軍で戦うよりも、はるかにいい給料、いい装備で仕事ができる。</p>

<p>民営化はだから「いいこと」なんだけれど、このやりかたで損をするのは、「戦争株式会社」に熟練した兵士を奪われる国家の軍隊で、彼らは軍隊の教育コストを負担しないからこそお金を得られるし、教育を受けていない、何の資格も持っていない人たちには、だから「戦争株式会社」は、過酷に安い給料しか支払わない。</p>

<p>国内の問題にそっぽを向いて、「移民入れましょう」なんて人たちの本音は、あれは「能力を生むコストの外注」であって、「教育に必要な無駄」、能力を持った人を生むシステムを、今から日本に再構築することを、「上」の人たちは、もう無理だと、日本をどこかで見限っているからなんだと思う。</p>

<p>いろいろ詰んでる。</p>
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		<title>「普通の人」に向けたサービスのこと</title>
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		<pubDate>Sun, 08 Nov 2009 02:39:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[広告のおしゃべり]]></category>

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		<description><![CDATA[恐らくは「便利であること」それ自体には、お客さんは魅力を感じないのではないかと思う。

「便利さ」に価値を見出すのは、新しいものに飛びつくのが好きな、ごく一部の人であって、
お客さんの多くは、便利であることよりも、「自分 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>恐らくは「便利であること」それ自体には、お客さんは魅力を感じないのではないかと思う。</p>

<p>「便利さ」に価値を見出すのは、新しいものに飛びつくのが好きな、ごく一部の人であって、
お客さんの多くは、便利であることよりも、「自分が真ん中にいる」感覚を共有することを好む気がする。</p>

<h2>2つの入り口を持つ料理屋さん</h2>

<p>うちの近所にあるショッピングモールに「ドリア専門店」と「石焼き鍋専門店」とが入っていて、2つのお店は、中で厨房を共有している。</p>

<p>お店はモールの角地にあって、図面上はたぶん、「角地にある大きな店舗」なんだけれど、中を仕切ってあって、「三角形に分かれた2つのお店」に改造してある。お客さんは、ドリアを食べたければドリアの門に、石焼きビビンバを食べたければ石焼きの門にそれぞれ入って、お互いの行き来はできないようになっているんだけれど、バックグラウンドでは、同じ厨房で、いろんな料理が作られている。</p>

<p>そこは要するに、「暖めれば出せるもの」をたくさん冷蔵で用意しておいて、学生アルバイトを雇って、火にかけた品物をお客さんに供給しているだけなんだけれど、保存が利くからなのか、メニューの数はけっこう多い。それぞれのお店で、「ドリア」と「鍋」と、だいたい20種類ぐらいずつ。</p>

<p>お店はだから、その気になったら「40種類の料理を出す大きな店」にすることもできたんだろうけれど、そのお店は、あえて仕切りを入れたのだと思う。</p>

<h2>普通の人の普通の楽しみかた</h2>

<p>恐らくは「普通のお客さん」は、典型的な楽しみかたをしたい。</p>

<p>たとえば異国のお祭りに迷い込んだところで、「普通の人」はたぶん、それを楽しめない。異国なんだから、何を見たって珍しいのだし、自分が面白いと思ったものを楽しめればそれで十分なんだけれど、普通の人にとってはたぶん、「自分が楽しい」ことよりも、「みんなと同じ楽しみかたができた」と納得することのほうが、もっと大切。</p>

<p>40種類のメニューを持った大きなお店は便利だけれど、そのお店を、普通の人が、じゃあどういう楽しみかたをしたらそれが「典型」なのか、大きなお店は分かりにくくて、たぶんお客さんは、「普通に楽しんだ」満足感を味わえない。</p>

<p>賑やかでなんだか楽しそうなんだけれど、どこから楽しめばいいのか分からない、こういうのはたぶん、「楽しみたいように楽しめる」ような、「強い」人には居心地いいんだろうけれど、「普通の人」は、たぶんマニュアルを渡されて、それをなぞって「はい楽しんだよね」って言われないと、楽しいとは思えない。</p>

<p>「顧客から見た風景をシンプルにして、分かりやすい楽しみかたを提供する」ことが大切なのだと思う。「何でもあり」を楽しめる少数に向けたサービスは、どこかでしぼんでしまうような気がする。</p>

<h2>ニコニコ動画が複雑になった</h2>

<p>ちょっと前のニコ動は、好きな単語を検索して、再生数の多い動画を楽しんで、タグをたどって面白そうな動画を探して、大体みんな、そんな風に楽しんでいたみたいだったから、安心だった。</p>

<p>今はなんだか、「いわゆるニコ動」以外にも、生放送とか大百科、コミュニティ、いろんな楽しみかたが提案されて、それぞれ連携して、便利になって、多様になって、結果として、「自分はたぶん真ん中を楽しんでいる」なんて、そんな安心感が遠くなった。今までどおりに遊んでいるのに、なんだか不安な気分。</p>

<p>これが文化祭とか、あるいは実世界でのイベントなら、たとえば「順路を回る」とか、「好きな歌手のコンサートを聴く」とか、主催者側はたいてい、「典型的な楽しみかた」というのを提示する。お祭りを楽しみたい人は「祭の正門」をくぐるってパンフレットを受け取るだろうし、コンサート目当ての人は、たいていは看板が立っていて、中庭のステージ前で待機していれば、そこでコンサートを楽しめる。</p>

<p>「普通の人」はたぶん、自分がそこを楽しむよりも、むしろ「みんなと同じ」を志向して、びくびくしながら「群れの真ん中」を探す。「いつも真ん中」感を提供しようと思ったなら、だから「たくさんの選択肢」を提供するよりも、むしろ「たくさんの門」を提供して、「つながり」は、バックグラウンドで提供したほうがいいような気がする。</p>

<p>今みたいな「何でもあり」の賑やかな入り口ページは、やっぱり難しい。</p>

<p>たとえば「いわゆるニコ動」を楽しみたい人なら、Google みたいな検索窓と、カテゴリーごとのタグで十分だし、「ニコニコ生放送」を楽しみたい人に向けたページなら、やっぱりそれはテレビの延長なんだから、入り口ページを開いたそのとたん、「世界の生放送」が勝手に始まるぐらいでちょうどいいんだと思う。コミュニケーションのページなら、そこはmixi そっくりのページレイアウトでいいわけで、たとえそこでやりとりされるのが動画サイトの話題とはいえ、コミュニケーションを提供するページからは、あえて動画を隠すぐらいでいいんだと思う。</p>

<p>ページを開いて、開いたそのとたん、「どうすれば典型的に楽しめるのか」が視覚的に提供されて、はじめてたぶん、普通の人は「楽しみかた」を理解できて、理解を提供できないサービスは、それがどれだけすばらしいものを提供していても、やっぱりどこかで天井に突き当たる気がする。</p>

<p>あくまでも「自分が典型的な普通の人」であることが前提での印象なんだけれど。</p>
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		<title>ガタがあるからうまくいく</title>
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		<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 07:14:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会工学]]></category>

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		<description><![CDATA[先週の日曜日には、熱を出した子供さんが100人近く来た。休みが明けて、外来が始まって、
もちろん「それ以上」を覚悟していたのだけれど、外来は、平和なままだった。

インフルエンザはたしかに流行しているんだけれど、パンク寸 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>先週の日曜日には、熱を出した子供さんが100人近く来た。休みが明けて、外来が始まって、
もちろん「それ以上」を覚悟していたのだけれど、外来は、平和なままだった。</p>

<p>インフルエンザはたしかに流行しているんだけれど、パンク寸前の休日外来は、
みんな「休みだから」病院に来てたわけで、「熱が出たから」病院に来た人は、実は案外少なかった印象。</p>

<h2>遊びが減ってこうなった</h2>

<p>社会から「遊び」要素が減って、平日にみんな、休めなくなった。</p>

<p>土日をずらして営業していた病院というのもあって、一時期はうまく機能していたんだけれど、結局みんな止めてしまった。土日外来の収益自体はよかったのだけれど、世の中が土日休みで回ってるから、役所とか学校とか、「平日」を要求する場所がシビアになって、スタッフに子供ができると、組織が瓦解しちゃうんだという。</p>

<p>世の中の遊びが減って、しわ寄せが、緊急避難装置的な場所に集まって、結果として、救急外来のパンクとなって現れてる。誰が悪いというわけではないんだろうけれど、遊びを「無駄」だと断じる文化が、こうさせたのだとは思う。</p>

<h2>AK-47にはガタが多い</h2>

<p>世界の兵士に愛用されるAK-47 というライフルがあって、AKは、部品どうしのはめ合わせは遊びだらけで、部品はどれも、けっこう重たい。</p>

<p>見た目の精度感みたいなものとは無縁なんだけれど、AKはその代わり、ガタが多いからホコリに強くて、どんな状況でも、少ない手入れでよく動く。部品が重たいから、銃弾を動かす力もそれだけ強力で、弾が少々凹んだぐらいなら、AK-47は、弾詰まりを起こすこともなく動作する。</p>

<p>AK-47の「ガタ」とか「重たい部品」は、それを設計したカラシニコフに言わせれば、最初からそういうように作ってあるものなんだという。これをたとえば、より精密に「改良」したところで、改良されたその製品は、たぶんオリジナルより悪くなる。そこにどうしてガタがあったのかを考えないで、「前より厳密」を、無批判に「いいことだ」なんて努力する人たちには、AK-47 は一生かかったって作れない。</p>

<p>厳密を、単純に「いいこと」なんて断じると、AK-47はたぶん、砂粒一つ噛みこむだけでで動作を止める。「厳密に改良された」ライフルで戦って、兵士がみんな、動作不良で殺されたところで、努力の好きな人たちは、「<strong>やるべきことはやった。しかたがなかったのだ</strong>」なんて、満足そうに敗北をふり返る。自分たちのせいなのに。</p>

<p>うまく回ってた何かに「無駄」を見つけ出して、それを「改良」したとのたまって、むちゃくちゃになった現場からは目をそむけつつ、勝利宣言して尻まくる人たちって、幸せそうだなといつも思う。</p>

<h2>精度を出して系が死ぬ</h2>

<p>AK-47をコンサルタントに手渡して、「これをもっと高性能にして下さい」なんて問題を出したらいい。少なくとも、ガタをなくす方向の改良を提案した人は、AK-47で射殺されるべきだと思う。</p>

<p>「精度を追求した帰結として系が死ぬ」現象というのに、何かもっともらしい名前を付けて、世の中にもっと周知してほしい。トヨタの「カンバン方式」にしてから、あれはたぶん、「無駄とり」なんかじゃなくて、もっと別の理由があって、ああいうやりかたにたどり着いてる。</p>

<p>「個々の部品が完璧な動作をすることで、系としての動作が完璧になる」なんて考えかたは迷信であって、むしろ「個々の部品に最大の自由度を与えつつ、系としての動作を一定に保つような制約をデザインする」ことを目指さないといけない。世の中で成功している多くのプロダクトが、たぶんこうした方針に沿っているのに、それはしばしば、「改良」が好きな人から見れば、「無駄の多い」ものに見えて、「改良」を受けた結果として、いろんなものに不具合が波及する。</p>

<p>個々のその場所を「よく」することそれ自体は、正義どころか悪徳なんだと思う。「全体の良さ」につながる改良は、むしろしばしば、どこかを「悪く」、「いいかげんに」することで達成される。</p>

<p>その代わりたぶん、「無駄の多い平凡なもの」を開発するには、莫大な人的コストがかかる。それはたとえばAK-47だし、米軍のジープだとか、補修用のダクトテープなんかもそうだけれど、ああいうのは、誰かのアイデア一発で生み出されたものでは決してなくて、実際には、プロダクトには莫大なコストが投じられて、長い開発期間がかかってる。</p>

<p>「必要なガタ」を備えた、ロバスト性の高いプロダクトを生み出すためには、たくさんの人的資源を擁する大きな組織が必要で、そういう場所は、しばしば高機能高精度病に侵される。「一見平凡に見える非凡なプロダクト」は、だから組織を強力にガバナンスするリーダーがいて、フォンブラウンとか、デヴィッド・カトラー みたいな、「大組織を束ねる独裁者」と、独裁者を支えるたくさんの技術者とがそろって、初めてたぶん、そうした製品が作られる。</p>

<p>平凡なのに、何となく広く使われる、「 これ以上改良の余地がない中途半端さ」を備えたプロダクトの裏側には、たぶんすごい物語が隠れてる。それを読めない人は、そもそも「改良」になんかかかわってはいけないのだと思う。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>努力は報われないほうがいい</title>
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		<pubDate>Mon, 02 Nov 2009 09:42:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[小話]]></category>

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		<description><![CDATA[現在進行形ですごい状態にある人を見て、「僕も頑張ってああなるんだ」なんて、
その人と同じやりかたで、同じ場所を目指して頑張るのは、危険なことだと思う。

何かの間違いがあって、頑張ったその人の成功を許してしまった業界は、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>現在進行形ですごい状態にある人を見て、「僕も頑張ってああなるんだ」なんて、
その人と同じやりかたで、同じ場所を目指して頑張るのは、危険なことだと思う。</p>

<p>何かの間違いがあって、頑張ったその人の成功を許してしまった業界は、その時点で詰んでしまうから。</p>

<h2>承認のコストがつり上がる</h2>

<p>同じ方法論で頑張った人は、どうあがいたってオリジナルのコピーにしかなれないものだから、
そういう人は、ものすごく頑張る。頑張った人が、「頑張り」に見合った承認を求めると、
世代を重ねるごとに、「頑張り」のコストはどんどん上がる。</p>

<p>業界のどこかで「すごい」を観測したのなら、その人と同じやりかたを重ねるのではなく、
「もっと簡単にあそこに到達するにはどうすればいいんだろう」なんて考えないといけないし、
それでも「頑張り」以外の答えが出ないなら、「すごい」その人たちがいなくても何とかなるように、
仕事のやりかた自体の書き換えを目指すべきなんだと思う。</p>

<p>「僕も頑張るぞ」というのは、危険な選択だと思う。</p>

<p>一度「頑張り」の魔界に足を入れると、もう後戻りができない。
頑張ったあげくにどこかに到達したとして、頑張りの元を取れなかったら失敗判定される。
「頑張り」というのは本来、ものすごく分の悪い賭けであって、「頑張るぞ」という選択は、
だから地雷原にあえて足を踏み入れるようなものなんだ、と理解しないといけない。</p>

<h2>個人の体験が一般化する</h2>

<p>頑張った結果として成功した人が、次世代に頑張りを「正解」として伝えると、業界が終わる。</p>

<p>教育をする人たちは、研修医には、「頑張る前に、それが本当に必要なのかどうか考えなさい」なんて
教えてほしいなと思う。</p>

<p>「とりあえず頑張る」というのは本来、保身の手段であって、成功の手段とは違う。</p>

<p>誰かの天才的なひらめきを見たら、それを「天才」と評するのは思考停止であって、
「凡人」を自覚している競合者は、同じような発想に、力ずくでたどり着くやりかたを考える。
天才抜きでも同じ結果を出せるような、そんなやり方が示されて、
初めてそこで、「頑張る」意味が見えてくる。</p>

<p>「漠然と頑張る」ことで成功した人というのは、たしかにいる。でもそれは、
やっかみ10割で言ってみれば、誰か高齢の、偉い人たちの視界に入り続けることで、
組織にとって「かわいい」人間となり、上に引き上げてもらうための、一種の処世術であったはずなのに、
「頑張った」人たちが、「僕たちは頑張ったから報われたんだ」なんて賢しげにつぶやくのは、
それはもう、後続を殺すための欺瞞情報なんだと思う。</p>

<p>「俺は偉くなるために年寄りの尻舐めたんだ」って威張るのは、むしろ大いに「あり」だと思うし、
そういうことを包み隠さず話してくれる人の言葉はとても大切なんだけれど、
「じじいの肛門を吸引すると元気が出るぞ」って後輩に教えたところで、
それを実践した下級生は、たぶんみんな病気になって倒れてしまう。</p>

<h2>伝統芸能が証明されると業界がダメになる</h2>

<p>自分たちの暮らす医療という業界が、「やっぱりあったけぇのが一番だよ」みたいな、
年寄りの価値観的なものに収斂していって、統計屋さんがそれを覆すどころか、
「暖かいやりかた」を強化する方向にすり寄ってるのに、すごく嫌な予感がする。
それをやられると、臨床が続けられない。</p>

<p>「名医ならば一目で分かる」的な、昔ながらのやりかたというのは、
それが再現できたらたしかにすばらしいんだけれど、それが統計的に「正しい」やりかただと証明されて、
それを常に再現するように求められたら、困ったことになる。自分は名医にはなれないから。</p>

<p>「名医なら余裕で分かる」が真になってしまうと、逆説的に、
「診察して分からなかったら名医でない」なんて、あるいは「診察直前までは名医でいられる」なんて価値を生む。
これは結果として、「診察しない名医」とか「逃げる名医」を増やしてしまう。</p>

<p>古い価値軸が統計で固められてしまうと、成功事例が収斂する。</p>

<p>「最初に診察したバカ医者を、あとから来た名医が口でたしなめる」というやりかたが
成功すると、リスク抜きに成功をつかむやりかたが決定して、
みんながそれを再現する。「名医」であり続けたい人は、そんな場所に自らを置こうと
立ち回って、実際問題、分からない患者さんを抱えると、
相談しても「分かってから相談して下さい」なんて、
「専門的意見」をもらうことが増えている。</p>

<h2>昔のカブトムシは空を飛べた</h2>

<p>統計野郎が業界のベテランにすり寄るちょっと前、自分が3年目ぐらいだったころ、
救急外来は大賑わいで、病院どうし、患者さんの奪いあいだった。
どこの病院も救急を受けて、救急外来はお互いに覇を競って、毎晩がお祭り騒ぎで、そこには医師があふれてた。</p>

<p>「名医のやりかた」が統計で固められて、「とりあえず何とかする」乱暴なやりかたは、
いつの間にか統計的に間違いであるなんて「証明」された。</p>

<p>「カブトムシは航空力学的に飛べないことが証明された」なんて、虫が飛んでるのを見れば、
嘘だってすぐ分かるのに、うちの業界だと、何とかしている奴らが「間違ってる」ことになった。</p>

<p>「飛んだら間違いだ」なんて言われたら、虫もたぶん地面を歩く。
何したって「間違ってる」とか言われたら、もう仕事ができない。
今から8年ぐらい前から、だから救急外来には、「診たら負け」なんて信じられない言葉が飛び交って、
救急車は行き場を失って、救急外来に立つ人は、一気に減った。</p>

<p>第一世代の「達人」は、本当に達人だったんだけれど、その超人的な正しさを、
「統計的に裏付ける」ことを許してしまったことは、致命的な失敗だったんだと思う。
達人は再現不可能で、達人抜きでも同じ結論にたどり着くやりかたを編み出して、
それを検証することこそが、統計屋さんの仕事だったはずなのに。</p>

<p>医療は実質吹き飛んでる。</p>

<p>原因はいろいろだけれど、つまるところは、これは当時の達人が、
尻舐めにすり寄ってきた統計野郎を皆殺しにしてたら、世の中こうはならなかったんだと思う。
エクセル以外に友達のいない、さみしい大学時代を送った根暗な奴らが、世の中に復讐しようと
「頑張った」結果として、復讐は達成されて、業界は焦土になった。</p>

<h2>じゃあどうすればいいのか</h2>

<p>自分は「頑張るという文化」それ自体が間違いだ、と思っていたんだけれど、
「<a href="http://twitter.com/kawango/status/5245280715">自分の生きていく世界で「頑張る」こと自体は幸せなことだと思うし、「頑張る」方法が間違うのはしょーがなくて、そこで競争すればよくって、頑張るなというのは違う</a> 」
という指摘をいただいて、反論できなかった。</p>

<p>で、じゃあ今度は、顧客を志向した、公正なルールなら、統計野郎を打ちのめせるのかといえば、
やっぱりあんまりそんな気がしなくて、
今度は「払った犠牲と得られた結果が比例するとき、人は嫉妬しないんですよね。要領よくやって、少ない努力で大きな成果を得る人に対して、人は嫉妬する」なんて指摘をいただいて、
たしかに系の嫉妬を最小化するやりかたとして、
えらい人のたどってきた歩みをそのまままねるというのは、
その先に滅びがあるんだとしても、局所的には正解なんだな、とも思った。</p>

<p>どうすればいいんだろう。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>交渉手段としての火砲と装甲</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Oct 2009 01:37:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[コミュニケーション]]></category>

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		<description><![CDATA[交渉ごとというのは要するに、「相手に何かをあきらめてもらう」必要が生じたときに発生するものなんだけれど、相手のあきらめを促す手段として、「ものすごい火砲」を見せるやりかたと、「分厚い装甲」を見せるやりかたとでは、交渉の質 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>交渉ごとというのは要するに、「相手に何かをあきらめてもらう」必要が生じたときに発生するものなんだけれど、相手のあきらめを促す手段として、「ものすごい火砲」を見せるやりかたと、「分厚い装甲」を見せるやりかたとでは、交渉の質が異なってくるような気がする。</p>

<h2>火力にできないこと</h2>

<p>現代戦は「ミサイル」が主役になるから、分厚い装甲を装備したところで効果は薄くて、<a href="http://d.hatena.ne.jp/zyesuta/20091030">今の戦艦は、案外装甲が薄い</a>のだという。それとはまた、理由は異なるのだろうけれど、民兵の武器はせいぜいライフルぐらいだから、「今の時代、戦車は不必要で、装甲車で十分」なんて議論もあるらしい。</p>

<p>状況を支配している軍隊に、ライフル程度の武器で戦いを挑んだところで、彼我の火力差をひっくり返せないのなら、勝負にならない。戦うことは無意味だから、理屈の上では、味方に圧倒的な火力があるかぎり、相手の武器に見合った装甲を持っていれば、戦いに負けることはないし、そもそも戦いは始まらない。</p>

<p>ところがイラクなんかでは、起きないはずの「戦い」が至る所で発生して、装甲を持たない車両で移動しているアメリカ兵に大きな被害が発生したり、パレスチナをパトロールするイスラエルでは、だから市街をパトロールする目的で「戦車」を導入して、一定の効果を上げているらしい。</p>

<p>「相手の火砲に見合った厚さの装甲を持っていればいいものじゃない」というのが、不謹慎だけれど面白い。</p>

<h2>コミュニケーションとしての戦争</h2>

<p>戦いというものも、たぶん数学ではなくコミュニケーションの問題なのであって、たとえ圧倒的な火力の差を持っていたところで、分厚い装甲があって、初めて成立する交渉というものがあるのだと思う。</p>

<p>圧倒的な火砲は、「戦ったところで、皆殺しだよ」というメッセージを伝えるけれど、圧倒的な装甲は、たぶん「戦っても、弾が無駄になるだけだよ」なんて、質の違ったメッセージを発信する。</p>

<p>火砲を前にあきらめた人は、「臆病者」になってしまうけれど、装甲を前にあきらめた人は「物事が見える賢明な人」になれる。同じ「あきらめ」を促す手段にしても、相手の面子を立てるのは、火砲でなく装甲のほうであって、こういうのはたぶん、コミュニケーションには大切なんだと思う。</p>

<h2>戦わずして勝つために</h2>

<p>「戦わずして勝つ」を実現するには、だから火砲を見せつけるよりも、分厚い装甲を見せつけたほうが、そうなりやすい気がする。</p>

<p>ただしその代わり、歴史上、「圧倒的な装甲」が状況を決定した戦いがあったのかどうか、そのへんがよく分からない。調べようにも資料がないんだけれど、なんとなく、無いような気がする。</p>

<p>Twitter では、「<a href="http://twitter.com/dankogai/statuses/5288029982">比喩においても現実においても、あらゆる場面で現代は盾より遥かに矛が強い</a>」なんて感想をいただいたのだけれど、たしかにならば、自分たちの病院で、「法律という矛」以外に、理不尽な要求を通そうとしてやってくる人たち相手に、何かその人たちのあきらめを促すような「盾」に相当する機能があるかといえば、そもそもそんなものが存在しない。</p>

<p>「成功した盾」として、今現在、実社会で機能しているものというのは、何かあるんだろうか？</p>
]]></content:encoded>
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		<title>総合医はお辞儀ができない</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Oct 2009 04:36:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[コミュニケーション]]></category>

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		<description><![CDATA[相手に打ち勝つためでなく、むしろ様々な業種の人たちと「共生」していくために、
専門性という看板が役に立つような気がする。

握手をしないと始まらない

「何でもできる医師ははかっこいい」なんて、そういう価値軸に基づいた訓 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>相手に打ち勝つためでなく、むしろ様々な業種の人たちと「共生」していくために、
専門性という看板が役に立つような気がする。</p>

<h2>握手をしないと始まらない</h2>

<p>「何でもできる医師ははかっこいい」なんて、そういう価値軸に基づいた訓練を受けた大手民間病院の医師が、
大学に「帰還」して、「何でもできる」自分をそこでデビューさせることに失敗して、
そこから先がちょっと不遇になるという事例が時々ある。</p>

<p>こういうのはたぶん、「握手の失敗」なんだと思う。</p>

<p>人がたくさんいる豊かな環境、様々な専門技能に分化した、そのくせ「優秀さ」みたいな漠然としたパラメーターにおいては
似たような人たちが群雄割拠している場所に割り込んでいくためには、たぶん「見えやすい弱点」が必要になる。</p>

<p>頭を下げないと、新しい場所には入れない。「何でもできます」という人は、
「何かができない」人に対して頭を下げるための理由が発生しないから、
どこか新しい場所に分け入って、そこに自分の居場所を確保するのが難しい。</p>

<p>これが専門家なら、こういうときに「専門家です。他のこと分かりません。教えて下さい。よろしくお願いします」
なんて、最初からそこにいる誰かと握手して、自分の居場所を分けてもらうための「最初のお辞儀」がやりやすい。</p>

<p>恐らくは専門技能というのは、それを使って誰かを従えるための武器というよりも、
「私はここが弱いんです」なんて、その専門家を迎え入れる人たちに明示することで、
新しい場所に入り込むための切符を提供する道具として、上手に機能しているんだと思う。</p>

<h2>「えらくなれる場所」を探す</h2>

<p>誰だってたぶん、「相手に舐められたくない」なんて、どうしようもなく思ってる。
メッセージはだから、発信する側と、それを受け入れる側と、しばしば意味あいが異なってくる。</p>

<p>「専門技能を持っています」というメッセージは、それを受ける側からすれば、
「専門領域以外は弱いんだ」なんて受け取られる。迎える側はだから、
「教えてやろう」なんて、素直に行動する気がする。</p>

<p>「何でもできます」という看板は、相手には「俺すげぇ、俺に黙ってついてこい」なんてメッセージを送る。
「何でもできる」人が、どれだけ丁寧に、腰を低くして相手に接したところで、
そうしたメッセージは伝わらない。</p>

<p>「何でもできる」人が、看板の伝えるメッセージのとおりに、その能力を生かすためには、
最初から「そこで一番えらい人」としてそこを訪れない限り、難しい。
「俺すげぇ」の看板を背負わざるを得なかった、「何でもできる」以外の売り要素を身につけることに失敗した人は、
だから「自分がえらくなれる場所」を探して、そこに居着くことを考えないと、幸せにはなれない。</p>

<p>「万能選手」はたぶん、高地とか、雪山みたいな厳しい環境に追いやられる。
ジャングルだとか、サバンナだとか、生態の豊かな場所にいる生き物は、
競争の結果として、ある種の専門性を備えた、お互いに生態系を形作る理由を持っていないと、
生き残れない。</p>

<p>夜行性の生き物や、あるいは高地や雪山、乾燥地帯みたいな場所に適応した生き物というのは、
一見すると専門性が高いようでいて、彼らは案外、「そこに追いやられた何でも屋」であるような気がする。
そういう場所には栄養だって少ないだろうし、使えるものなら何でも使い尽くさないと、
たぶん生き残っていけないだろうから。</p>

<p>「何でもできる」訓練を受けた医師は、自分みたいに田舎の病院に引きこもったりとか、
救急に進んだりとか、当直専業で働いていたりする。ああいうのはみんな、
「えらくなれる場所」を、それぞれ探した帰結なんだと思う。</p>

<h2>それでも頑張ったほうがいい</h2>

<p>ここ何年間か、いろんな科の先生に、「バカです。無能です。よろしくお願いします」と頭を下げて、
いろんなノウハウを教えてもらった。そういうものがずいぶんたまって、
それはやっぱり便利だったから、マニュアルにまとめて、無料だからではあるんだろうけれど、
一応そこそこ評判がいい。</p>

<p>「君はここが弱いね」なんて指摘から始まった交流は、長持ちするし、いろいろ教えてもらえる。
「明示的に無能を表明する。外に対して常に開いている」というやりかたは、だからあざとい
処世術として、理にかなっているんだけれど、それでもなお、「これ」という専門技能は、
自分なりに磨いておくべきなんだと思う。</p>

<p>教えてもらって、「内なる技術屋のプライド」みたいなのと戦うのは、やっぱり難しい。
握手の代わりに「教えてあげますよ」なんて言われるのは、それは交渉の第一歩として大成功なのに、
内心では「俺知ってるよ」って言い返したくなる欲求を抑えるのが大変で、こういう葛藤を乗り越えるには、やっぱりどこかで「えらくなれる場所」を持っていないといけない。</p>

<p>下らないことなんだけれど、blog をほめてもらえるようになって、
こういう葛藤がずいぶん減って、「バカなんで教えて下さい」なんて、
いろんな人に頼めるようになった。</p>

<p>自分の中に、「相手に素直に頭を下げられる何か」を得るために、たぶん専門技能というものは
磨く必要があって、頼れる何かを一つ持つことで、その人はたぶん、たくさんの人と、
葛藤無くつきあえるようになるんだと思う。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>働きかたが多様化している</title>
		<link>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/547</link>
		<comments>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/547#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 26 Oct 2009 08:03:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[嫌話]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/?p=547</guid>
		<description><![CDATA[今うちの施設に来てくれている内視鏡の先生は、普段は別の県で仕事をしていて、
週に1回、200km近く離れたその場所から、内視鏡検査のためだけに、車を飛ばして
病院に来る。もっと近くにだって、たぶん内視鏡医を必要としている [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今うちの施設に来てくれている内視鏡の先生は、普段は別の県で仕事をしていて、
週に1回、200km近く離れたその場所から、内視鏡検査のためだけに、車を飛ばして
病院に来る。もっと近くにだって、たぶん内視鏡医を必要としている場所は
あるんだろうけれど、車が好きなんだという。</p>

<p>当直だけを代行してくれる、という働きかたが増えているらしい。</p>

<p>リクルートを経由して、最近何人か、夜間の当直だけを担当したい、という
仕事の依頼が入ってくるんだという。昔はこういうのは、医局の若手が
アルバイト代わりに病院を泊まり歩いて、大学の安月給を補ったり、
あるいは部活の「先輩後輩」つながりで、他の大きな病院に勤める傍ら、
小さな施設に、当直だけ来てもらったり。</p>

<p>外来だけとか、あるいは検診だけ、内視鏡だけ、当直だけなんて、
今までだったらあり得なかったような勤務形態が、ここに来て、田舎の病院にも増えてきている気がする。</p>

<h2>伝統的な医師のありかた</h2>

<p>これから来てくれるかもしれない当直代行の先生は、東京都内でホテル暮らしをしているらしくて、
決まった住所を持っていないんだという。陸の上で「船医さん」みたいな暮らしかたをしていて、
いろんな病院を、いわば泊まり歩くような仕事のしかたをしていて、気ままに過ごしているんだという。</p>

<p>大学でも最近は、医療以外のことに、人生の軸足を移す人が増えてきていて、
医局を離れて、リクルートを頼って、県内の病院に、外来だけの非常勤医として
勤めたりする例が出てきているんだという。</p>

<p>「医局出身」の医師というのは、基本的には外来と病棟と、最低限度の当直と、全部一通りできて、
初めて「○○大学」を名乗ることが許されて、医局から派遣されてきた医師は、
だからある程度の「規格」に沿った、いわば使いやすい形で派遣されるのが
当たり前だったんだけれど、その代わり、多用なやりかたは許されなかった。</p>

<p>当直専業の医師なんて、医局出身の医師のありかたからすればこれは「規格外」であって、
医局に「こうしたい」なんて相談したところで、もちろんそれは許されなかったし、
仮にどこかの病院で、そうした勤務形態に需要があったところで、医局という場所は、
そこまで細かい対応をしてくれなかった。</p>

<h2>人と人とをつなぐやりかた</h2>

<p>今はたぶん、リクルートに代表されるような、医師を派遣する会社、
人字の需要と供給を代行するプロ集団が自分たちの業界に入ってきて、
流れがずいぶん変わりつつある。</p>

<p>うちの業界に一番欠けていた、あるいは今でも欠けているものというのは、
「人と人とのつなぎかた」であったのだと思う。</p>

<p>医局はたしかに、医師の配分に貢献してきた組織だと思うんだけれど、
「つなげる」ことには徹底的に不得手であって、だから医局は、
あたかもレンガを量産するみたいに、一つの決まった規格に沿った「勤務医」を
生み出して、規格に外れた人は、「開業医」になるしかなかった。</p>

<p>派遣される医師と、医師を受ける病院側には、本来は様々な勤務需要と、仕事の需要とがあって、
そうした中間地帯には、必ずしも「レンガ」の規格がぴったり来ない場所がたくさんあったはずなんだけれど、
「つながり形成」のプロであるリクルートみたいな会社が入ってくることで、そうした間隙にも、
医師が入っていけるようになったのだと思う。</p>

<p>「若手医師はどこに消えた？」論議というのは、たぶん大学病院と市中病院との衝突ではなくて、
むしろ流通形態の衝突であったのだと思う。</p>

<p>勤務医という、一つの規格に沿った勤務形態を大量に提供する、大学病院という流通形態と、
医師個人の需要と、受け入れ病院の仕事需要とを対応させて、全国区で需要のすりあわせを試みる、
リクルートみたいな会社のやりかたと、こういうのはたぶん、新聞メディアがネットに駆逐されつつあるのと
同じく、技術の進歩に乗り遅れた側が、一方的に敗北していくのを見てる気がする。</p>

<h2>「カタログ映えするラベル」の時代が来る気がする</h2>

<p>「○○大学医局」のブランドで、一定の規格に沿って養成された医師を迎える時代から、
これからはたぶん、「こういう勤務形態で働いてくれる人がほしい」なんてどこかの会社に発注したら、
「人間のカタログ」が届いて、「この人」なんて指定できるようになるんだと思う。</p>

<p>需要に最適な人間を、全国区で選択できるようになったなら、「人柄」とか「信頼」みたいな、
カタログに載せにくいパラメーターは、意味を持たなくなる。たぶん「いい医師を目指す」とか、
これから先は、止めたほうがいいんだと思う。</p>

<p>カタログの時代、大切になるのはやっぱり、専門医を持っているとか、
学会認定の資格を持っているとか、
カタログ映えするラベルを自分にたくさん貼り付けることであって、大学医局の役割もまた、
人材派遣に敗北して、これから先は「ラベルの印刷」と「ラベルの販売」へと
移行していくような気がする。</p>

<p>漠然とした「良さ」を目指して、カタログ映えするラベルの獲得を怠ってきた自分みたいなのは、
これから先、どう考えてもいい目を見る可能性がなさそうなんだけれど、
次どうしようかなとか、けっこう考える。</p>
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		<title>CMDT 2010年版に対応しました</title>
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		<pubDate>Sat, 24 Oct 2009 05:27:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[2009病棟ガイド]]></category>

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		<description><![CDATA[
参照していたCurrent Medical Diagnosis and Treatment の改訂に伴い、各章の参照ページを2010年版に準じたものに訂正し、主だった改訂箇所について、内容に反映させました
CMDT20 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<ul>
<li>参照していたCurrent Medical Diagnosis and Treatment の改訂に伴い、各章の参照ページを2010年版に準じたものに訂正し、主だった改訂箇所について、内容に反映させました</li>
<li>CMDT2010年版に記載が加わったことに伴い、新たに「インフルエンザ」と「ワーファリンの使いかた」の項目を追加しました</li>
</ul>

<p><a href="http://medt00lz.s59.xrea.com/html/html.html">こちら</a> からHTML 版が読めるようにしてあります。</p>
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