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2008.10.20

行列に関する覚え書き

人の流れとか、車の流れとか。

呼び出すことと迎えに行くこと

国会図書館だとか大英図書館みたいな閉架式の図書館は、 閲覧を希望する人達は、受付に本を注文した後、本が出てくるまで待たないといけない。

日本とイギリスと、どちらも公務員が運営していて、待ち時間が長いのだけれど、 国会図書館は、受付から「呼ばれる」のに対して、大英図書館は、職員の人が 届いた本を「持ってきてくれる」のだという。

大英図書館はだから、閲覧者が待ち時間を有効に使うことができて、待ち時間はたしかに長いんだけれど、 お客さんには、それなりに好評なんだという。

トヨタF1 のこと

今年のF1 は、トヨタの仕切りで大成功したんだという。

昨年のF1 は大失敗だった。やっぱりトヨタ自動車が主催して、 帰りのバスの乗り降りが手間取った。バスはあったのに、バス乗り場に殺到したバスが 渋滞して、結果として、乗客には莫大な待ち時間が発生した。

今年のバスはちょっと違って、バスがバス乗り場に「出向く」のではなくて、 専用の受付の人が、集まったお客さんを、並んでいるバスに「引率する」形にしたのだという。 バスの流れがスムーズになって、お客さんの待ち時間は、劇的に短くなったんだという。

バッファとしてのバイキング方式

久しく行っていなかったファミリーレストランが、 職員の数を減らしたからなのか、バイキング方式の前菜を大々的に取り入れていた。

もともとは、お酒抜きの客単価が3000円ぐらいのお店。田舎だと、これでも相当に高いほうで、 昔はキッチンにもフロアにも人があふれてて、相当に賑やかなお店だったのだけれど、 今はずいぶん閑散として、その代わり、「バイキングはいかがですか?」とか、注文するとき勧められた。

自分たちが出てこない料理にイライラしながら待っている間、 他の人達は、料理と一緒にバイキング頼んでて、それ食べながら料理を待ってた。 働いている人の手が減ったぶん、料理が出てくるまでの時間は、前よりずっと長くかかるようになっていたけれど、 みんなバイキング方式の前菜をつまみながら、文句も言わずにおしゃべりをしていた。

ラウンドアバウト

ラウンドアバウト – Wikipedia というのは、英国で使われるロータリー方式の交差点。交差点の真ん中に中心が設けられていて、 交差点に進入した自動車は、時計回りに回るようにして交差点を周回するやりかた。

日本で普通に見られる十字路と違って、信号機に相当するものが無くて、交差点に進入した自動車は、 お互いのルールに従うだけで、自然とスムーズな流れが生まれる。

信号機がないから、道が空いているときには止る必要がないこと、 電気代も、維持運営のお金もかからないこと、車が直進できないから事故の発生率が低いとか、 十字路だけでなく、どんな形の交差点でも同じやりかたが応用できることとか、 メリットがたくさんある反面、ラウンドアバウトの能力には上限があって、 一定台数以上の車が交差点に集まると、いきなり機能しなくなってしまう。

ロータリー式交差点は、車の総台数が少なかった昔は上手に機能したシステムだったけれど、 車の数が増えた現在では問題が多くて、後から信号機を追加したり、 複数のロータリーを設けたりしているけれど、なかなかうまく行かないらしい。

一般化

  • 人や車を流すためのシステムは、一種の「インピーダンス変換器」として近似できる
  • アンプだとか、楽器のホーンなんかと同じく、システムにはインピーダンスを整合させるための 最適なありかたがあって、そこから外れると、どこかで流れがよどむ
  • 顧客に何かの判断力を要求すると、それは「不公平感」となって設計者に跳ね返ってくる。 顧客は動けるけれど、判断を行えるだけの情報をもてないから、正しく動けるとは限らない
  • 「迎えに行く」動作を、バスみたいな腰の重いエージェントにやらせると、業務が回らなくなる
  • 「持っている情報量」と「腰の重さ」は、しばしば両立不可能なパラメーターになる。トヨタの受付みたいに、 ある程度の判断権限と、動作の軽さとを併せ持った中間職を設けると、システムの矛盾を解決できることがある
  • うまく行かないやりかたは、たぶんどんな人数規模でもうまく行かない
  • ある規模でうまく動くシステムは、しかし全ての人数規模で同じように動くか分からないし、 「システムの停止」は、しばしば予測不可能な形で、いきなり発生する
  • システムの途中にバッファーを設けることで、回避不可能な律速段階の影響を、 ある程度緩和できることがある

待ち時間が馬鹿長い外来だとか、ナースコールが押されてから看護師さんが来るまでの待ち時間だとか。

たぶんいろんな場所に「行列」は発生して、それはしばしば、回避可能なのに、 回避の努力が為されないまま、個人の「努力」に責任が帰せられている。

「渋滞学」みたいな学問から、「こういうやりかたするとうまく行くよ」みたいな 提案ができたらいいなとか思った。