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2008.04.04

単純を達成するための複雑な道具

やりたかったことは本当にシンプル。文章書いて発信して、 読んでもらったり、時々ほめてもらったり。できることなら研修医向けの教科書作って発表して、 Web 世界でみんなの「秘伝」を共有できたらいいな、なんて。

こんなページを始めたばかりの頃は、まだ自分のやりたいことを上手に 言語化できなかったけれど、目標にしていることはたぶん、今も昔もそんなに変わっていない。

ネットの知識もずいぶん増えて、文章を書くやりかたも少しだけ上達して、 文章発信とか、コミュニケーションとか、やりたいことはずいぶんシンプルに、 輪郭がはっきりしたものになってきた。

目標は単純になった。にもかかわらず、その「単純」を実装するために 必要な道具は、なぜだかどんどん複雑になる。

なんか間違ってる。

LaTeX の頃

研修医の頃はワードプロセッサ。「医師のパソコン」といえばマッキントッシュだった10年前、 まだパソコンは、気軽に試すには高価に過ぎて、手が出なかった。

表ページで公開しているマニュアル類は、最初の頃はワープロで作った。カシオのワープロ叩いて、 感熱紙に印刷しては、みんなに配ったり、あれこれ添削してみたり。

パソコンを買ったのは6 年目。

患者さんのサマリーなんかをパソコンで入稿することが義務ずけられて、 半ば強制的に購入したのは富士通のノートパソコン。非力な機械だったけれど、 結構長く使ってた。

パソコンの中にはWord が入っていたから、素直にそれを使っていれば、 もしかしたら今みたいな苦労しなくてすんだんだけれど、 本屋さんで参考書を漁ってたときにLaTeX の参考書が並んでたのを発見したのが、 今から思うと致命的な間違いだった。

  • LaTeX を使うことで、世界中のあらゆる文字が、あらゆる表現手法で印刷できるようになる
  • PDF もHTML も、LaTeX みたいなマークアップ言語なら、お互いの置換は簡単

「人間サイドは文章を打つ行為だけに徹して、変換するとか表現するとか、 文章の本質に関わらない部分は、全部機械にやらせましょう」なんて考えかたには 大いに共感できた。たしかにそれはシンプルで、かっこいい考えかただと、そのときは思った。

それからは地獄。

「Hello.World」なんて、Word なら一瞬で画面に出せるのに、LaTeX だとインストールだけで3 日がかり、 画面に文字を出すまでに、参考書と首っ引きで1 週間。

普通の人のパソコンにはdviout なんて入ってないから、他人様のパソコン画面に「Hello.World」を やるためには、それからまたずいぶんかかった。

当時はまだdvipdfm が普及してなくて、もうすこしでAdobe Acrobat 買うところだった。

LaTeX2HTML

この時点で素直に引き返せばよかったのだろうけれど、自分はどういうわけだか、 そのままLaTeX 使い続けた。

ホームページを作るのがちょっとしたブームになってたころ、自分もやっぱり 何か作りたくなったけれど、手元にはTeX で書いた文章の山。 TeX は理論上、たしかにHTMLと互換性があって、簡単な変換ソフトを書くだけで、 いとも簡単にHTML ソースが作れるなんてうたわれてたけれど、実現するのは大変だった。

TeX は、PDF 作るのだって十分に大変なのに、LaTeX2HTML インストールして、 それを使ってHTML作るのは、それに輪をかけて大変。

ワープロからパソコンに乗り換えたばかりの頃は、そもそもTeX ですら荷が重すぎて、 Perl の知識が必要なLaTeX2HTML とか無理だった。ホームページの最初の頃は、 だからPDF のリンクをいくつか張っただけの、読めるところなんてほとんどないページ。 みんなが作ってた、ブラウザから文章読めるようなページにはすごくあこがれてたんだけれど、 荷が重すぎた。

LaTeX2HTMLがパソコン上で動いてくれたのは、2台目のパソコンを購入してから。

その頃にはもう、ずいぶんたくさんのTeX 文章が手元にあって、結構大きな規模のサイトになった。

この頃たしかに、「一つの文章からPDF とHTML」をやっとの思いで実現できたけれど、 「それを使ってコミュニケーションする」部分については、LaTeX2HTML では手が出なかった。

blog ツールのこと

やりたかったのは、文章を書いて発信することと、それを使ってコミュニケーションすること。

文章発信とコミュニケーションの両立は、LaTeX の思想には入ってなくて、 その頃にはもうずいぶん慣れたから、Wiki なんかも試してみたけれど、 やっぱりなんか違った。

blog ツールの導入は、やっぱり大変だった。データベースの設定なんて やったことなかったし、MovableType の細かい設定は、複雑なタグを 理解しないと怖かったから、家にはまた参考書が増えた。

Markdown というマークアップツールを入れて、文章はそこそこの表現を、 ごくシンプルに実装できるようになった。

Blog にはもちろん、エントリーごとにコメント欄がつけられて、「はてなブックマーク」 みたいなコミュニティへの入り口も簡単につけられたから、 おかげさまで多くの人が来てくれて、いろんな人と知りあえた。

手元には、blog ツールでしか閲覧できないたくさんの文章と、 LaTeX で作った、やっぱりたくさんの文章。

blog はどうしても時系列の呪縛から逃れられなくて、かといって スタンドアロンのHTML 文章は、今度は「それを使ったコミュニケーション」から遠い。

なんか系統が違う文章が同じサイトに同居してるのはシンプルじゃなくて、居心地が悪い。

統合できたらいいな、なんて馬鹿な色気出したのが、今回の失敗。

「単純を達成するために複雑な道具を要請する」問題

MovableType の新しいバージョンは、blog という枠を超えて、 ページ管理システムの新たなありかたを世に問うような、 なんだか崇高な思想に裏打ちされた実装。

本社のページを覗いても、「時系列との決別」みたいなことが書かれていた。 新しいバージョンは、日記として時系列に書ける部分と、単独ページとして、 時系列を超えて存在できる部分とを同居させられるようになっていて、 あり方の違う文章を一つのアプリケーションで管理しつつ、 全体としてコミュニケーションサイト作れるようなものを目指してた。

思想的にはすごくシンプルでかっこいい。まさにやりたかったことそのまんま。

で、やってみてドツボにはまった

MT4 は、なんだかサーバー上で動かすだけでも大変なアプリケーション。 管理画面はやたらとリッチな反面、必要な機能がどこにあるのか全然わからないし、 クリックしたから反応返るまで数秒かかって、ダイアルアップ時代のホームページみたいな 使い心地。

過去との決別を明言したためなのか、旧バージョンのノウハウは役に立たない。 複雑で、やっとの思いで覚えたタグはもう使えないし、テンプレートとか すべて書き換わってて、自分が見ているパーツはいったいどこに記述されているのか、 モジュール化が徹底されていて、そのモジュールがどこに記述されているのかが 全くわからなくて、手が出せない。

MT4 が実現しようとした、あるいは他所様のサイトでは実現しているであろう世界は たしかに単純でかっこいいんだけれど、それを動かすための道具は複雑に過ぎ、高機能に過ぎた。

単純なことをやるために、あるいは「単純」に近づくほどに、 どういうわけだかそれを実現するための道具はどんどん複雑になって、 「単純」はいっこうに見えてこない。

「シンプル」目指して、ソフトはどんどん複雑になった。 もはやページレイアウトひとつ自分ではいじくれなくて、また分厚い参考書を注文したけれど、 Amazon から返事が来る前の段階で、なんか心が折れた。

LaTeX Web コンパニオンをマスターした頃、TeX で文章書いて そこからLaTeX2HTML が自動生成したホームページをみるのはなんだかかっこよくて、 内心鼻高々だったんだけれど、Web の見た目は貧相だった。

当時はまだ初心者で、俺はバックグラウンドで苦労してるなんて自己満足があったから、 見た目のチープさは、むしろ「清貧」に見えていたけれど、冷静になって見直せば、 LaTeX2HTML が作るホームページは、正しいんだけれどやっぱり味気ない。

MT4 を極めると、もしかしたらそれは、もはや単なる Blog ツールではなくなって、 すべてのページを SQL データベースに格納して、読者の求めに応じた形に合わせて、 すべてのページを動的に生成できる、今まで書いた日記文章も、 もっと前に書きためたLaTeX 文章をも統合管理できる可能性が見えてくるんだけれど、 読者からみたそれは、やっぱり単なるblog 。

自分が本当にやりたかったことは何なのか、 ある機能を実現することと引き替えに、その「複雑さ」は本当に受容できるものなのか、 今から思うともっと考えるべきだったなと思う。

複雑さを受容することで、いろんな人と知り合いになれたし、コンピューターにも 無駄に詳しくなりはしたけれど、それはやっぱり、本来受容しちゃいけない複雑さだった。

そしてEmacsMuse へ

動いてくれないMT4 に煮詰まりながら、なんだかこんなことをTwitter 上で つぶやいてたら、「それ全部EmacsMuse でできるよ」なんて指摘をいただいた。

このあたりを読んでると、なんだかまた、そこに「夢」をみてしまう。

今更あの失敗を繰り返したくないのは間違いないんだけれど、 「 Muse 記法で幸せになりました」なんて表明してるの見ると、すごくうらやましい。

ここでEmacs なんかに手を出したら、それこそ泥沼から抜け出せなるのは、 きっと間違いないんだろうけれど。

今度はWordPress

セキュリティのお話がうるさくなったこともありMovableType をバージョンアップしたところ、 なんだかもうどうしようもなく重くなっていて、実質更新が不可能になってしまいました。

新しいMovableType は、blog という枠を超えて、ページ管理システムの 新たなありかたを世に問うような、なんだか崇高な思想に裏打ちされた実装がされているのか、 旧バージョンのノウハウはほとんど引き継がれず、過去と決別している印象。

バージョンアップ当初、そんなところも意気に感じて、何とかこの難解で重たいスクリプトを ものにしようと、当直深夜の睡眠時間を削ってみましたが、あえなく挫折。

今まで作り上げてきたURL を失うのは残念なのですが、もっと軽くて簡単そうなWord Press に 乗り換えることにしました。

今後ともよろしくお願いします。

量産型はダテじゃない

昔から救急外来という場所が好き。怖いし疲れるし、 最近は、いろんな人から文句言われたり訴えられたり、 ろくなことが起きない場所なんだけれど、それでもやっぱり救急が好き。

リスク回避の手段を前から考えてる。リスク管理の問題さえ解決できれば、 この場所にはまだまだ、昔みたいな賑わいが戻ってくるだけの楽しさがあるはずだから。

最初の頃は、技術の向上それ自体がゴールだと思っていた。

自分なんかよりもはるかに高い技術を持った人達が、次々と刺されて現場を去っていくのを見て、 大事なのは技術じゃなくて、むしろ交渉能力なんだと思った。

交渉のやりかたとか、人質交渉人のマニュアルとか、ちょっと外れて新興宗教の洗脳手法とか、 とにかく「交渉」に関係することをあれこれ調べた。

それは多少の役に立ったけれど、本当に怖い人達は、交渉というルールの枠外にいた。

「刺す」行為はそもそも引き合わない。何かの目的があって交渉を持ちかける人達は、 それをよく知っていて、その人達を相手に交渉の技術を磨いたところで、 自分が刺されて倒れる確率は、あんまり変わらない。どんなに交渉が上手であっても、 医師が救急外来に立ち続ける以上、いつかは刺される。

医師が現場に立っていて、何かの判断を行ってる部分こそが問題なんだと、何となく気がついた。

判断のマニュアル化。医療の現場から医師の裁量を減らすやりかたは、 たぶん現場を様々な患者さんから守るための、強力な盾として作用する。

防衛手段としての接客マニュアル

「スマイルゼロ円」なんて、現場の人間に頭を使わせない、 マクドナルドの接客マニュアル。あれはたぶん、お客さんに均一な笑顔を提供する役割と、 「笑顔が嫌いなお客さん」みたいに特殊な顧客から、現場を保護する役割とをあわせもつ。

マクドナルドに入れば、スタッフはみんな笑顔。このへんはたぶんマニュアル化されていて、 おまけにもう一つ、「スマイルゼロ円」は、ほとんど公知のものとして公開されている。

仮に、笑顔を向けられるとものすごく不愉快になるお客さんがいたとしても、 そんな人は本来、最初からマクドナルドには入らない。「マニュアルに強制された笑顔」 が公知のものならば、「マクドナルドに入ると笑われる」ことを知って入った客さんだって、 責任が発生するはず。

あらゆる種類のお客さんに対して開いている職場は、様々なクレームに翻弄された 帰結として、きっとマクドナルドの接客マニュアルみたいな、 現場を「無脳化」するやりかたにたどり着く。

万能の防衛手段は作れない。

どんなにきちんと接客しても、その行為自体を「不愉快」と定義されれば反論できないし、 スタッフが訴訟に巻き込まれたら、現場の士気は下がってしまう。 接客なんて行為に正解は存在しないからこそ、会社側が唯一取れる防衛手段は、 「会社としての正解」を作ってしまって、それを誰の目にも止まる場所に公開しておくことなんだと思う。

プロトタイプ幻想のこと

量産品に対する生理的嫌悪感というのは、何となく技術系に共通する思い。

凡庸な量産品の群れを、すばらしい性能を持ったプロトタイプが打ち破っていく物語はみんな 大好きだったり、長年かけて改良されてきた欠点だらけの量産品を見せられると、 何となく一から作り直したい欲求にかられたり。

「量産品」は、伊達じゃない。

限界性能を目指した実験室グレードの試作品は、発注段階では全てを理想条件で設計するから、 当たり前のように初期性能を発揮できない。部品が特殊だから交換きかないし、 信頼性なんて考えられない。

限界目指してること。不安定であること。信頼性が低いこと。 どこから壊れるのか分からない予測不可能性は、物語世界ではプロトタイプの魅力として 語られるけれど、実世界ではもちろん通用しない。

量産されて、市場の検証を十分に受けた製品は、安定していて、挙動が読める。 何がおきても、それは予想の範囲だから、信頼できるからこそ「つまらない」。

「ガンダム」とか「宇宙戦艦ヤマト」みたいなプロトタイプには、本当は勝たせちゃいけないんだと思う。 全人類の期待を一身に背負ったプロトタイプは、性能が劣った敵側の量産品に 囲まれて、そのうち故障が頻発して、部品が足りなくなって、結局人類滅亡するのが正しいはず。

部分の最適化は、必ずしも全体最適につながらない。

プロトタイプは、いい部品の寄せ集めで作られていて、 状況ごとのピーク性能はたしかに高いけれど、個々の「よさ」をいくら集めたところで、 それは全体としての「高性能」にはつながらない。

「安心できる医療」みたいな高性能を目指すとき、個々の医師が「いい医師」目指す今のやりかたは、 「プロトタイプの幻想」に縛られてる気がして、間違っているように思う。

マスメディアが絶賛するような「いい医師」像をいくら追求しても、あの延長線上にはたぶん、 「安心」は現れない。定食屋的な、量産品的なやりかたは、「いい医師」とは異なるけれど、 「安心」にはよほど近い気がする。

みんなが判子で押したようなやりかたをする医療は、つまらない。つまらないからこそ、 医師の判断は見通しがよくなって、見通しのいい構造は、結局信頼につながっていく。

みんなが同じことを繰り返せば、どこで間違うのか、どこで悪くなるのか、そんなデータを共有できて、 技術を「枯らす」ことができる。今みたいに、みんながカスタムメイドの医療目指して、 一人一人がピーク性能目指すやりかたやってると、信頼性はいつまで経っても上がらない。

マニュアルに縛られたやりかたは、最初のうちは無様で信頼性も低いだろうけれど、 間違いが生じても、それを改良して前に進めるやりかたを示せるのなら、そこから 「信頼」を生み出せるはず。

行為の定義化が開く未来

防衛手段としてのマニュアル医療を、やっぱり現場の偉い人達は、 もっと真剣に考えるべきなんだと思う。

「証拠に基づいた医療」に基づいた診療ガイドラインとか、学会が作った外傷のガイドラインなんかは、 患者さんを守ることに特化しているぶん、まだまだ踏み込みが甘いし、 あれでは受け入れられない。

医学的には正しいけれど、現場を守る視点がないやりかたでは、 結局現場は回らない。

アメリカの警察マニュアルなんかでは、自らの身を守る手段を確保してからでないと、 犯人には近づけない。一番危険な鉄火場では、防御を確保してからでないと、 現場の理性を担保できないから。

現場が100%スペックどおりに動くことを想定する、名人芸を「当然のもの」として要求する、 「患者さんのための」ガイドラインというのは、医師の生存可能性を考慮しないぶん、 結局それは、患者さんの不利益につながっている気がする。

「エコーを用いて腹腔内出血を診断する」なんてサラッと書いてあるようなマニュアルは、 あれは偉い先生が「俺はこんなことまでできる男なんだぜ」みたいな、 その人の実力を誇示する道具ではあっても、現場を守る役には立たない。

それをもらった現場が、あまりの馬鹿さに絶句するぐらい、 「馬鹿向け」に作った診療マニュアルを学会が出して、 それを広く一般の人達に公開するのが、結局正解なんだと思う。

症状から検査のセットを呼び出して、診断をパスして治療が始まる、 そんな手順書が一般公開できれば、 たとえば「あなたの訴えを持って病院に行くと、こんなことをされて、○万円請求されますが、 いいですか ?」みたいな情報提供だってできるはずだし、患者さんの主訴それ自体が、 診療の「要件定義」として医療機関を駆動するようになる。

患者さんが「とにかく調子が悪い」みたいな主訴を選択すれば、 それによって莫大な検査コストが発生するし、 その患者さんが「治療」にたどり着くまでの時間も余計にかかる。 その患者さんがもっと詳しい経過を 説明すれば、それだけ検査は減って、より安価に、短時間で治療までたどりつける。

無脳化した、現場の判断を放棄した医療というのは、 だから自分の身体に対して自覚的な人が得をして、 無自覚な人が損をする構造が実装できる。今は全く逆。 身体に無自覚で、声が大きな人が、 現場の限られたりソースを総取りしてしまう。

診療手順を全て公開すれば、たとえば医療機関を意のままに動かしてみたり、 あまつさえ「医療機関に自殺の手伝いをさせる」なんてことすら可能になるんだろうけれど、 それでいいんだと思う。我々はしょせん道具であって、お金を払うのは 病院に来る患者さんなのだから。

医学的には、そんなことは正しくないんだけれど、 無脳化した現場、「患者さんの声」駆動型の組織というのは、あらゆる人に対して 門戸を開いた組織が最後にたどり着く先として、必然なのだと思う。

恋愛シューティング実装案

カトゆー家断絶の中の人が、twitter で「恋愛SLG 」 という言葉を使っていた。「恋愛STG」はないのかな、と思って検索したら、案外なかった。考えた。

状況設定

AI とプレイヤーとが共同して、コミュニケーションしながら敵のボスを破壊する。

パイロットをプレイヤーに設定するのは難しい。 それは伝統的なシューティングの文法だけれど、それをやってしまうと、 「機械に任せるぐらいなら自分で避ける」というプレイヤーの声を無視できなくて、 AIを導入する必然性がなくなってしまう。

「AIとの共同戦闘」という状況にある程度の必然性が出てくるのは、 人工衛星のオペレーション。

地球に近いとき、人工衛星は、 ある程度のマニュアル操作が可能だけれど、火星探査機のプロジェクトになると、 地表から信号送って、探査機が応答するのに8分近くかかる。リアルタイムの操縦なんて 望めないから、人工衛星は周囲の状況を読んで、ある程度自分で行動しないといけない。

シューティングゲームのお約束で、「敵」は地球外から攻めてくる。 地球守ってた軍隊は、とりあえずなす術もなく破壊されてしまう。

自機になるのは、人類の最後の希望託した無人戦闘機。プレイヤーは開発担当の科学者となって 地球に残り、自機の操縦と、搭載されたAIの教育とを担当する。

ゲーム開始の段階では、敵兵器に関するデータとか、 敵の思考回路みたいなものは何一つ明らかになっていない。 AI は、最初はほとんど白紙の状態で、敵との戦いを通じて「教育」する必要がある。

ゲーム開始直後、自機が地球軌道近くにいるときには、プレイヤーは普通に自機を操縦できる。 軌道上で、敵の最前線部隊と戦いながら、プレイヤーは自機を操作して、同時にAI を教育する。

敵の本拠地と目される場所は、火星軌道の先。自機が地球を離れていくと、 操作にはだんだんと遅延が生じて、敵弾を避けたり、適切なタイミングで武器を使ったりといった ことが難しくなる。プレイヤーはだから、後半面になると大雑把な操作しかできなくて、 最後はひたすらに、AIに応援メッセージを送ることになる。

プレイヤー設定

8方向レバー3ボタン。自動連射のショットボタンと、「良し」、「ダメ」のメッセージをAIに送るためのボタン。

ボムはAIの判断。プレー開始前にAIを選択可能で、臆病なAIを選ぶと、ちょっと危険な状況になると ボムを消費されて、大変だったりする。

前半面では、プレイヤーは自機を操作しながら、AI の教育を行う。AI は自動的に弾避けを 行うけれど、それが戦略的に正しければ「良し」を、間違っていれば「ダメ」のメッセージを送って、 犬に芸仕込むときみたいに、AI に正しい避けかたを教えこむ。

AI には「機嫌」パラメーターがある。「良し」を連発すると元気になって ショットのパワーが上がるけれど、「ダメ」を連発すると拗ねたり落ち込んだりして、 ショットのパワーが激減したり、機体制御を放棄したりする。

後半面でAIが拗ねるとゲームがつらくなるし、ほめちゃいけないところでAI の御機嫌を 取りすぎると、AI はどんどん馬鹿になる。

機嫌がよくなりすぎたAIは、どうでもいい場所で勝手にボム消費したり、 ボスを目の前にした頃になって息切れしたりする。 教育も大切だけれど、テンション管理はもっと大切。

AI の設定

AI のオート避け機能は、たとえば自機の周囲 10 ドットに「縄張り」を設定して、 その中に弾が入ったら発生する。一定の待ち時間のあと、進入方向の反対側、 あるいは直行する方向に、一定距離だけ、自機が勝手に移動するイメージ。

ゲーム開始時点で、AI は複数の候補から選択可能で、それぞれのAI には「性格」が設定されている。

「臆病な」AI は、「縄張り」が大きく設定されていて、敵弾が近づいたらすぐ逃げ出す。 プレイヤーは教育を通じて、AI に勇気を持たせると、縄張りはだんだんと小さくなって、 「ドット避け」ができるようになる。

「おっとりした」AI は、敵弾が縄張りに入ってから、自機が動作するまでの時間が遅い。 動きが緩やかだから、こんなAI には、人間側プレイヤーの意志を伝えやすいけれど、 後半面になるとつらくなる。反応時間が早くなるように鍛えないといけない。

「方向音痴」の AI は、敵弾が近づいてきたとき、正しい方向に避けられない。 正しさは、周囲の弾幕密度と、プレイヤーがレバーを倒した方向を利用して、 ベイズ予測みたいなやりかたで決定されるけれど、実際の自機の動作は、 ここにランダムな偏差が加えられる。鍛えると、だんだんと偏差が減って、 正しい動きができるようになる。

「がさつな」AI は、敵弾を避けるときの動作量が大きい。 ちょっと避ければ十分なところでも大きく動いてしまうから、地形に追い込まれやすいし、 プレイヤーの意図を伝えにくい。鍛えると動作は必要最小限に、「おしとやかな」AIに成長する。

AI には他に「切れやすさ」と「テンションの高さ」というパラメーターがあって、 それぞれ「駄目」を連打されたときの拗ねやすさと、「良し」を連打されたときの テンションの上がりやすさに相関する。両方高いと、キレやすくてハイになりやすい、 すごく扱いにくいAI になるし、両方低いと、素直な性格になるけれど、 いざというときに「良し」を連射しないと、ショットパワーが上がらなかったりする。

こんなパラメーターを AI に実装すると、「おっとりして方向音痴」、 「気が回るけれど落ち込みやすい」、「臆病な小動物」、 「無個性」みたいな、AIの性格設定が作れる。

共感要素

作戦機体の生還は考慮されていない。

自機には片道分の燃料しか積んでいないし、ラスボスは固くて、 最後は自爆しないと倒せない。

プレイヤーは、AI とコミュニケーションしつつ、AI を成長させつつ、 事態をAI にとって最悪の状態へと追い込んでいくことになる。

AI の「個性」は、戦いの状況と、プレイヤーのボタン操作により創発され、 変化する。データは常に地球側に送信されているから、 ゲーム開始直後に自機が撃墜されたときには、 AI は地球でよみがえり、事実上不死になっている。

ゲームには、いくつもの「帰還不可能ポイント」が設定されている。

面が進むほどに電波は遠くなって、データにはエラーが生じてしまう。 帰還不可能ポイント越えるごとに、「五体満足で帰れる」状態は「首から下を捨てれば帰れる」になり、 そのうちデータを満足に送ることもできなくなって、最終面に入った頃には、 撃墜されるとAI の個性は全て失われ、「死んで」しまう。

プレイヤーが熟達するほどに、自機AI の生還可能性は落ちていくけれど、 AI はもちろんそんなこと知らないから、叱られれば落ち込んで、 ほめられれば機嫌を直したり、喜んだりはしゃいだりする。

最後は「2010 年」風味。

硬すぎるラスボスを前に、「博士」であるプレイヤーは、AI に「特別な攻撃」を指示する。

直前になって、AI からは最後の通信が入る。

「博士。私は死ぬのですか ?

プレイヤーが「そのとおりだ」と答えれば、 AI は「本当の事を教えてくれてありがとう」というメッセージを 残して、笑顔で自爆する。

プレイヤーが「そんなことはない。データは回収できる」と嘘をつくと、 AI は「博士を信じています」なんて、泣き笑いの顔を見せながら、やっぱり自爆する。

言葉を介さないコミュニケーションのこと

言葉や台詞などなくても、感情の交換は十分にできると思う。

機械とのコミュニケーションを物語の核にするやりかたとして、人型ロボットを 登場させるとか、喋る戦闘機を設定するのは分かりやすいけれど、つまらない。

感情は本来、相手から伝えられるものではなくて、自らが対象に「投影」して、「発見」される。

状況設定さえ上手にできれば、メーターの数字やボディのきしみ、動きの切れ、 ショットのパワーみたいな要素を変化させるだけで、プレイヤーはそこに「感情」とか「根性」 みたいな表情を読み取って、機械とコミュニケーションをはじめる。

火星探査プロジェクト「マーズポーラーランダー」は、探査機が着陸寸前まで行ったのに、 火星上空で故障して、墜落した。NASA の人達は、必死になってポーラーランダーの信号拾おうとして、 どこかの天文台が、ありえないタイミングでポーラーランダーの「声」を受信した。

結局それは間違いだったんだけれど、あのときの NASA の技術者は、 絶対にポーラーランダーを擬人化して考えてた。墜落して、 半身不随になりながらも火星の地表から地球を探して、 必死の思いで「自分は生きてここにいる」というメッセージを送信する ポーラーランダーを想像して、泣きそうな思いで通信ログ読んだと思う。

このゲームは終盤、最後の帰還不可能ポイントを越えるところで撃墜されれば、 プレイヤーはもう一度、AIと最初からやりなおせるし、自爆命令なんて出さずに済む。 全人類の運命と、AI の運命との選択を、プレイヤーがわずかでも悩んだら、 きっと面白い体験ができるはず。

夢は描いた瞬間から陳腐化する

ニュース番組で、岐阜大学の救急医療情報共有支援システム「GEMSIS」が特集されていた。

「サンダーバード」に発想を得たプロジェクトで、数年がかりで取り組んでいて、 これが完成した暁には、救急医療の問題解決に役立つらしい。

開発するのに数千万円かかってて、完成にこぎつけるまであと5000万円、 数年後の普及を目指してて、各病院に設備を入れるのに、30億円かかるんだという。

報道されてたのと同じことやればいいなら、今すぐにでも無料でできるなと思った。

報道されてた機能

GEMSIS のネット情報は少なくて、全容はどうなっているのか分からない。 単なる情報共有のシステムなのか、それとも救急医のモチベーションを維持するための、 政治タームのお話まで含んでるのか。

GEMSIS の機能はこんなかんじ。報道されてたぶんと、ネットで検索した部分。

  • その日に救急業務が可能な医師は、IC カードを通じて、システムに自分を登録する
  • すべての医師について、得意分野が記入されていて、救急隊はそれを検索できる
  • マップ情報とも連動していて、救急車からマップを検索して、一番近い施設を探せる
  • どうも音声認識機能も搭載しているらしい
  • 人工知能でな何かやることも想定しているらしい

GEMSIS が目指しているのは、要するに救急隊が現場に到着したその時点で、 近隣施設の空きベッド、そこに今いる医師の専門領域が一覧できて、 搬送先を決定できるようなシステム。音声認識とかAI で何をしたいのかが 今一つ謎なんだけれど、大筋は外してないと思う。

これだけの機能を統合するのに要するお金が5000万円。 ソフトと端末を近隣施設に配布するのに 要するお金が、30億円。

今あるネットサービス組み合わせれば、同じ機能を無料で作れる。

つくりかた

たぶん「はてなダイアリー」を使うだけで実現できる。

  1. 県内のすべての病院に「はてなダイアリー」の無料ユーザーになってもらう
  2. 各病院は毎日、その日に勤務する医師と、その人の専門領域を日記に書く
  3. 「狭心症」とか「胃癌」とか、医学用語は県内で共通のものを使用するよう、取り決めておく
  4. 「日記」の題名は、「○○県 ○○病院 GEMSIS」として、日付のあとには「内科○○医師 胃癌、異潰瘍…」なんて文字が並ぶ
  5. はてなダイアリーにはキーワード機能がある。患者さんの病名を「GEMSIS」という単語と一緒にキーワード検索すると、その日にその病名を記載した病院が、検索ワードリストに並ぶ
  6. 「はてな」はマップ機能とも連動している。救急車が今居る場所を住所で打ち込めば、近隣施設の検索は簡単

検索機能とマップ機能は、だいたいどこのサービスも、似たようなものを提供してるから、 たぶん「はてな」にこだわらなくても大丈夫。

すべて自前でやるなら、各病院がWeblog を同じ型式で書いて、 あとはそれを「Google blog 検索」で日付指定検索すればいい。今のGoogle は、 新しいエントリーを上げて15秒もすれば登録されるから、それで十分なはず。 GEMSIS なんて言葉は珍しい。たとえば「GEMESIS 岐阜県 胃潰瘍」なんて言葉で、 日付を指定して検索をかければ、その日に胃潰瘍を受け入れ可能な病院を リストアップすることができる。

スケールを全国区にしても、題名に「○○県」を入れておけば、 地域限定で検索をかけるのは簡単。Google マップに病院を登録するには 広告料がかかるだろうけれど、毎年それを支払っても、 たぶん30億円には届かない。

何を利用するにしても、ごく簡単な書きかたを取り決めるだけで、システムそれ自体は 今からでも稼働できる。お金はたぶんかからないし、 かけたとしても、たぶん年間数百万円オーダーでいける。 国内の日記サービスは、それでもときどき落ちるけれど、 google 先生は「全人類」相手にするサービスだから丈夫。 国内の救急施設2000ぐらい、いきなり増えても誤差範囲。

音声認識とAI 機能が、何をするものなのかがよく分からないけれど、 「救急医療情報共有支援システム」に相当する機能は、いずれにしても安価に作れる。 Web サービスは無料な分、「落ちた」ときに文句は言えないけれど、無料なんだから、 冗長性はいくらだって重ねられる。はてなはよく止まったけれど、はてなとgoogle が 同時に止まったことはないはず。

偉い人たちは、何か新しいことやるときに、 システム全部スクラッチする考えかたやめたほうがいいと思う。

「良心回避」の仕組み

妄想の域を出ないけれど、あのシステムはたぶん、 当直医が嘘を書きはじめた時点で、システムごと腐って終わる。

あのシステムで行くと、得意分野を「なし」と書いたり、 「末梢肺野病変診断における細径気管支鏡」とか、ものすごく狭い専門領域を書いてしまうと、 その医師はシステムから認識されなくなる。

救急輪番制は、「その日に空きベッドを確保する」ことにお金が発生するシステムだから、 死ぬほど働いても、寝当直しても、病院が受け取るお金は変わらない。

あのシステムはだから、「参加する医師全てが良心的で正直」であることを 前提にしてる時点で、なんだか無理あるなと思う。

道徳と良心を説いて、医師を正直にすることは難しいけれど、 「医師が正直に振舞わざるを得ない」システムなら、たぶん実装できる。

「医師には正直者がいない」ということを前提にシステム組むなら、 「得意分野」を入力するのは患者さんであるべき。

おなかが痛いときによく診てくれたとか、頭痛の原因突き止めてくれたとか、 「いい医師」を演じた医師の振舞いは、患者さんからシステム側に「密告」されて、 「いい医師」の専門分野が勝手に広がっていくようなシステム。 それを防ぐためには、その医師が「悪い医師」を演じる必要があるけれど、 それをやると今度は人気が落ちて、収入が減ってしまう。

GEMSIS の先生がたがどこまで想定しているのかは分からないけれど、 「医師から良心を引きずり出す」うまい構造を考えているのなら、 ぜひとも実現してほしいなと思う。

夢は描いた瞬間から陳腐化する

大学にいた頃、病院にLAN の回線が整備されて、インターネット接続が当たり前になった。

下級生に、掲示板とか Wikiなんかを利用して、みんなで情報共有を行うように勧めた。 もちろん自分は、スーパーユーザー権限で上から覗いて遊ぶつもりだったから、 「システム作るし、サーバースペースも貸すよ?」とか水向けたんだけれど、 彼らは結局、何も作らなかった。

「存在しない」と言ってたわりには、その学年のネットワークはよく動いてて、 誰か上級生の失言は、翌日にはすべての下級生が共有してたし、他科の笑い話とか、 みんな本当によく把握してて、大分振り回された。

2年ぐらい経って落ち着いて、結局「ない」はずのネットワークの正体は、 中心を持たない、携帯メールの伝言ネットの形をとって実装されていることが分かった。

本当に優れたものをインフラとして利用している人達は、 もはや「自分達がすごいものを使っている」という意識すら持たない。

自分なんかはその当時、ネットワークには中枢になるインフラが欠かせないと信じてたし、 中心を持たない、自己創発ネットワークなんて夢のまた夢だと信じてたけれど、 実のところ「夢」はとっくに実現していて、自分の真横でそれは普通に動いていて、 それを使っている当人達は、それがすごいことすら思ってなかった。

GEMSIS のシステムは、「サンダーバード」から発想したのだという。

サンダーバードのシステムは、 情報にノイズが乗ったり、システムが落ちたりすることなんて想定されてない、 誰もが良心的で正直で、仕事に対して宗教的な熱意を持ってた60年代の夢。

時代は進む。情報の純粋性を追求するやりかたは、 ノイズだらけの情報から欲しいシグナルを選択するやりかたへ。 システムの硬さを極めるやりかたは、不安定なシステムを複数重ねて、 冗長性で確保する考えかたへ。

今はもう、「落ちる」ことを想定しないシステムはありえないし、構造的に失敗する可能性のある、 良心みたいなあやふやなものに依存したシステムは、間違いなく腐って失敗する。

大学の救急教室の人達は、もちろん何年も前から試行錯誤を繰り返してきたんだから、 たぶん何か、「安いやりかたができない理由」を見つけたんだろうけれど、 できればその経過を教えてほしいなと思う。

「お金かからなくて、2年後じゃなくて明日から始められる代わり、 30 億円かけられないやりかたありますけれど、いかがなもんでしょう ?」なんて、 だれかが提案したとき、上の人達はどんな振舞いをしたんだろう ?

ThikPad覚え書き

Thinkpad A30 という、7年来使ってきたノートパソコンを買い換えた。 T61 という新型。

初期設定のメモ書き。

Windows XP の設定

Windows XP は、買ったままで使うとなんだか軽快感に乏しいので、余計な機能を止めた。

WindowsXPの設定方法を公開しているサイトを参考にして、 余計な機能をOFF にしたり、「マイドキュメント」のフォルダを、ディレクトリ直下に移動したり。

代表的な設定ツール窓の手、 もう少し細かい設定を行ってくれるtuneapp をダウンロードして、それぞれなんとなく軽くなるように設定した。

クリックひとつでできる設定ばかりで、レジストリを編集するとか、 怖いことは一切やっていないけれど、ずいぶん軽快に動くようになる。

日本語入力の設定

標準で入ってくるのはIME 2002。巷ではATOK 2008の評判がすごくいいみたいだけれど、 昔からMS-IME を使っているので、しばらくこのまま。

標準のままだと医学用語が全滅する。幸いにして、さまざまな医学辞書を公開している方がいるので、 それを使わせてもらう。どれがいいのかは分からないけれど、 たとえばIME 医学辞書なんかは、 辞書のインストールまですべて行ってくれるので便利。

これで「気管内挿管」とか「胸膜癒着術」みたいな単語が一発変換できるようになる。

Word を使わなければ関係ないんだけれど、XP になってからのIME には、 「ナチュラルインプット」というよく分からない機能がついてくる。挙動が不審なのと、 IME 同士で変換を引き継いでくれないのか、意図した入力ができないことがあったので、 この機能は使えないほうがありがたい。

IME 日本語入力システムの使い方、を参考に、 IME の[詳細なテキストサービスを使用しない]オプションをOnにする。 (追記:これをやったらtwit で日本語入力ができなくなった。理由がわからないけれど、今は元に戻している。)

これで大体、Windows2000の頃と同じような感覚で入力ができる。

キーボード配列

初めてパソコンを買った頃、どうしてもブラインドタッチができなくて、キーボードを見ながら キーを打つ癖が抜けなかった。いつまでもこれではしょうがないので、 キーボードを OEA 配列に変更して、 キーを見たって何を打ってるのかわからない状態を2 週間も続けたら、やっとブラインドタッチを覚えられた。

その反動で、いまだに通常のQWERTY キーボードが打てなかったりする。

キーマップを変更するソフトはたくさん発表されているけれど、やっぱり 窓使いの憂鬱 が一番使いやすい。 設定が難しいソフトだけれど、ユーザーが多くて、いろんなユーザーが 独自のキーマップを発表していて、他人様の成果物をもらいやすいのが最大のメリット。

自分でキーマップを書かなくても、「窓使いの憂鬱」「OEA 配列」で検索をかければ、 公開されている設定が見つかる。テキストファイル形式だから、導入するのは簡単で、 事実上あらゆるキーに役割を割り振れるので、慣れるととても便利。

LaTeX の導入

理系のワープロ「LaTeX」も、今ではインストーラーが公開されて、導入するのが本当に楽になった。

「TeX インストーラ3 」セットアップマニュアルに やり方が公開されているので、このとおりに従えば大丈夫。

その代わり、無数のソフトがダウンロードされて、 インストールが完了するまで3 時間近くかかかるので注意。 途中で「導入に失敗しました」という表示が出て止まっても、インストーラーをもう一度起動しなおすと、 足りないファイルだけ再度取りに行ってくれる。

LaTeX 一式、ゴーストスクリプト、DVIOUT を各々入れて、あとは入力ソフト。

昔はAkasha を使っていたけれど、いい機会だから何か別のもの探してみる。

別途LaTeX2HTML を導入しないといけないんだけれど、まだやっていない。

以前の環境では、l2hのとおりにやってうまく行ったけれど、 まともに動かせるようになるまですごく大変。

その他ソフト

  • Sleipnir:ブラウザ。インターネットエクスプローラーの 代わり。たくさんの窓を開かなくてすむので便利
  • JTrim:画像変換ソフト。色を補正したり、切り取ったりサイズ変えたり。 とにかく動作が速いので、昔からこればっかり。学会発表に使う資料作るぐらいなら、PhotoShop とか必要ない
  • Lhaplus:解凍ソフト。DLL ダウンロードする手間要らないので便利。.rar の ファイルを解凍するときだけ、時々うまく行かなくなる
  • Open Office:新しいOffice をまだ買っていないので、しばらくこのまま。 Office 2000 を高機能にしたイメージ。普通に使えそうなら、買わないでこのまま使うかも
  • Twit:Twitter 用の日本語クライアント。 これを「スタートアップ」フォルダに入れておいて、一日中立ち上げっぱなしにしている
  • サクラエディタ:エディタ。人によって好みはさまざまだろうけれど、自分は昔からこればっかり
  • ZakuCopy:クリップボード拡張。この文章みたいなリンク集が一瞬で作れるから本当に便利
  • avast! 4 Home Edition:無償で使えるアンチウィルスソフト。 今まで使っていたのはAntiVirという、やはり無償公開されているアンチウィルスソフトだったけれど、 こちらのほうがなんとなく軽快そうな印象

速いパソコンのこと

そもそものきっかけはニコニコ動画。最近になって高画質化して、 それと同時にパソコンの負荷が大きくなって、今まで使っていたノートでは、 まともな再生ができなくなってしまった。

速いノートパソコンに買い換えて、ニコ動は快適になったし、 今までなら立ち上げることすらできなかった、重たいメガデモなんかがヌルヌル動く。

普段ゲームをすることはないから、パソコンの速さがもたらす恩恵は、 せいぜい動画再生ぐらいだと思っていたけれど、単にインターネットを覗いてるだけでも、 パソコンの性能は地味に利いてくる。

普段使っているのはタブブラウザ。「お気に入り」をフォルダごとに分けておいて、 一度に20ぐらいの窓をいっぺんに開いて、片端から見ていくやりかた。 今まで使ってたパソコンだと、これをやった後の待ち時間がかかったり、 タブを切り替えた後、ページが表示されるまでに、ずいぶん時間がかかったり。

今のページはどこも重たくて、それでも一つ一つのページを順番に見ているぶんには、 古いパソコンでも困らないけれど、たくさんのページを一度に開くときには、 回線の速さよりも、むしろパソコン自体の性能が律速段階になる印象。

発表の準備に Power Point 使ってたときには全然不自由してなかったのだけれど、 遊びの文章、たくさん読んで、ちょっと調べて書き飛ばす、こんな文章を書くときには、 コンピューターパワーは、あればあるだけ快適だった。

これでもっとたくさんの文章を読めるはず。

latex2html の設定

LaTeX の設定でドツボに嵌った時のメモ。

TeX は、インストーラーを発表してくださった方がいて、 今回の導入は楽勝…なんて思ってたら、LaTeX2html の導入で 完全につまづいた。

「これ」という原因は、正直よく分からないんだけれど、 「こうしたら動いた」という記録。

反省点

やっぱりTeX は、 /usr/local/ に展開しないとドツボに嵌る。 素人がうかつにディレクトリ変更しようなんて考えると、ろくなことにならない。

TeX インストーラーは、TeX のファイルを C:/tex/ というフォルダに 展開するように設定されている。

市販されているLaTeX の教科書は、どれもUNIX の伝統を引きずってるのか、 ファイルの展開先を C:/usr/local/ に展開することを想定している。

フォルダの開窓が無駄に深くなるのが嫌だったので、インストーラーの デフォルト設定でインストールを行ったのだけれど、PDF 作成までは 問題なく動くのに、html 作成になると全然駄目。

いくつかのサイトで、「悪いこと言わないから C:/usr/local/ にしとけ」 みたいな記載があって、やっぱりそういうもんだろうな、と反省した。

TeX のインストール

TexXインストーラセットアップマニュアル を利用させていただいて、インストールフォルダ名を C:/usr/local/ に変更する。ダウンロードするファイルは全部。 dviout、GhostScript、GSView もそれぞれダウンロード。最新版で大丈夫。

GhostScript、GSView をインストールするときにはインストールフォルダを 尋ねられるので、両方ともC ドライブ直下にしておく。ここをProgram Files みたいな 空白を挟んだフォルダ名にしてしまうと、やっぱりトラブルになるらしい。

WinShell のインストール

TeX 用のエディタは、結局WinShell に。もっと優れたものがあるみたいだけれど、 使っている人が一番多くて、情報が検索できるので楽。

WinShell のダウンロード&インストール&各種設定 に従って、それぞれのTeX プログラムの設定を行うだけで、 とりあえずTeX ソースを処理->dvi ファイル作成->PDF 変換->PDF 閲覧までは 問題なくいける。

奥村先生の設定 とは微妙に違うけれど、どちらに従っても大丈夫。今回TeX を何度か入れなおす 羽目になったから、どちらも試したけれど同じように動いた。

LaTeX2html の設定

何回入れてもめったに動作しないソフト。。

Windows にLaTeX2html を導入する方法は、北海道教育大学の 阿部先生のページが標準みたいになっていて、このページもまた、 TeX のインストール先を /usr/local/ にすることを前提にしている。

ちゃんと分かっている人なら、このあたりアレンジしても大丈夫なんだろうけれど、 今回は見事にドツボった。

TeX 一式を /usr/local/ に展開したあと、 l2h に 書かれているとおりにファイルをダウンロード、LaTeX2html のインストールを 行い、やっとうまく…いかなかった。

阿部先生のデフォルト設定だと、画像はPNG で保存する設定になっているのだけれど、 何度やっても pnmtopng.exe というプログラムのエラーが出て止まってしまう。

2回入れなおしてあきらめて、PNG 画像の代わりにGIF 画像を用いるように 設定を変えて、やっと動くようになった。

東北大学大学の岩熊先生のページで、そのあたりの設定が 公開されている。LaTeX2HTML に従い、l2h2002-2w32137patched 内にある prefs.pm を書き換える。

具体的には 228行目を $prefs’GIF’ = 1; 232行目を $prefs’PNG’ = 0; とすることで、 デフォルトでGIF 画像が選択されるようになる。

このあとコマンドプロンプトを開き、 c:\tmp\l2h2002-2w32137patched から config PREFIX+c:\usr\local\latex2html[改行]を実行、さらに install [改行] でインストールが完了する。

やっとエラー無く動いた。

WinShell との統合

これもまたコマンドライン叩くの面倒なので、WinShell でクリック一発作業ができるよう に設定を試みた。

阿部先生のパッケージ内には、l2h.bat というバッジファイルが作られているので、 これをWinShell に組み込む。

WinShellの[オプション]->[ユーザー指定プログラム]で、 今回は Tool 2 を LaTeX2html にした。 プログラム名 html 、exeファイル名 C:\l2h\tool\l2h.bat、コマンドライン “%s.tex” として、[オプション]->[表示]->[ユーザー設定] からユーザー指定プログラム を呼び出して、タスクバーに html というボタンを作成できる。

あとはボタンクリックでLaTeX2html が起動するので、すべての作業をWinShell 上で行うことができる。

デフォルトの設定だと、見栄えが好みと違うので、あとは LaTeX2HTMLのオプション に従い、l2h.bat を書き換えたり、dot.latex2html-init ファイルを 書き換えて対応する。

スタイルファイル

とりあえず昔作ったTeX の文章をPDF 変換して、html として公開可能なところまでは、 すべてWinShell 上でできるようになった。

それでもまだ、200ページを超えるTeX 文章をhtml変換しようとすると止まってしまう。 これは以前から同じ症状で、パソコンのスペックが足りないためかとも思ったのだけれど、 やっぱりうまくいかない。

同じ文章を半分に分割すれば、2つのhtml ファイルを作ることは可能だから、 ソースに致命的なエラーがあるようにも見えない。

何かまずいことやってるのか、LaTeX2html の限界なのか。誰か教えてください。。

技術の欺瞞 広告の欺瞞

技術や企画、営業や広告、それぞれの職種には、たぶんそれぞれ持つべき 欺瞞のスタイルというものがある。 欺瞞を捨てた、全方向的な「よさ」を追求した先には、魅力的なプロダクトは生まれない。

「いい」製品と、魅力的な製品というものは異なっていて、商品の魅力というのは、 たぶん技術職と営業職の、欺瞞ベクトルの「ずれ」が作り出す。

Thinkpad を買った

新しいThinkPad を買った。自分みたいな素人には「速い」ということしか分からないし、 今使ってるぶんには何の不満も無いけれど、キーボードの印象がずいぶん変わった。

前使ってたA30 というモデルは、IBM 時代の製品。IBM が中国に買収されて、 「ThinkPad はもう終わりだ」とか言われる前、ThinkPad といえば質感の高い高級品という ブランドイメージがまだ残ってた頃。ノートパソコンはまだまだ高級品で、当時30万円近くした。

A30 は重くて固くて、キーボードを押した感覚も、しっかりしていながら粘るような、 たしかに自分は高級な製品使ってるんだな、と実感できるような感触。気に入ってたけれど、 打ち続けると結構疲れた。

今度買ったT61 は、もう4 世代ぐらい先に進んだ製品で、 薄いし軽いし、なんとなく「ありがたみ」に欠ける印象。

筐体の造りなんかはしっかりしているし、キーボードのしっかり感なんかは むしろ向上しているのだけれど、 キーを押した感触が何だかパシャパシャしていて、安いというか、ありがたみが薄いというか。

昔のThinkPad のほうが、キーを押したときの感触が滑らかで、わずかに重たい感覚。 今のキーボードはカサカサした、乾いた感触で、キーを押し下げる圧力が軽い。

「打っていて疲れない」という、キーボード本来の性能は、たぶん新型のほうが優れている気がする。 新しいThinkPad のキーボードは、軽く打てるししっかりしているし、メーカーの人達が 「改良しました」なんて言うとおり、道具としての使いやすさは、こちらのほうが上なんだろう。

新型は打ちやすくなったその代わり、何となく、自慢できる方向とは 乖離してしまった印象。道具として使いやすい、打ちやすいキーボードと、 誰か別の人に自慢して、その人から「これいいね」と言われるキーボードとは、 たぶん違うんだと思う。

新しいThinkPad は、だから道具としては十分満足して使っているんだけれど、 誰かに自慢したいとか、ものすごくいい物を買った充実感とか、そんなものは案外薄い。

スカイラインGTR のこと

日産が作ったスーパーカー「スカイラインGTR」を販売する人達は、あれを「いい車でしょう?」なんて 紹介してはいけないんだと思う。

今度のGTR は、開発した人のインタビューを読んでも「最高の車を目指しました」みたいなコメントが 並んで、それを売る人達もまた「いい車でしょう?」なんて。たしかにすごい性能の車なんだろうけれど、 何のゆがみも内包しない「よさ」という価値には、何だか魅力を感じない。

R32 型GTR が販売された頃の本を読むと、GTR を開発した人達は、 とにかく「レースに勝つ車」を作ろうとしていた印象。 誰も「よさ」なんか目指してなくて、当時のグループA 規約の範囲内で、 ほとんど反則に近いやりかたで、「勝つ」ことだけを想定していた。

あれを販売する人達も、想定外の化け物を送られて、 案外困ったのだと思う。「いい車でしょう?」なんて無批判に言い切るには、 当時のスカイラインは何だか不気味な印象。「うちの技術屋がとんでもない怪物作ってしまいまして…」 なんて売りかたするしかないような。

結果として、R32 は大成功したけれど、あとに続いたスカイラインは、 R32 よりも性能はよかったにもかかわらず、先代を越える魅力で語られらなった。 技術職と営業職の「ずれ」というものが、R32の魅力を生み出していたのだと思う。

欺瞞が魅力を作り出す

魅力というのはたぶん、製品の「よさ」が事後的に作り出すのではなくて、 製品を開発した人と、それを販売する人とが持つ欺瞞のベクトルがずれた場所に発生する。

思ったこと素直に伝える、欺瞞のないメッセージには力が無い。 訴える力が強い人達は、たぶんそれぞれ独自に作り出した欺瞞のスタイルを持っていて、 ある程度意識的に、それを運用している。

そもそも欺瞞が無かったり、技術者と営業との欺瞞ベクトルが一致してしまうと、 そのプロダクトは「つまらなく」なる。 それがたとえ「いい製品」であったとしても、つまらない製品は、自慢できない。

技術者と営業職と、大雑把にお仕事を分けると、 それぞれの職種に要求される「欺瞞の使いこなしかた」は 異なっていて、その異なりかたも、メーカーとか、人種で共有され、 引き継がれるべき文化なんだと思う。

日本人なら、技術者は常に「完成度はまだ中途で、まだ改良の余地がある」と言わなきゃいけないし、 それを販売する人達は、「うちの技術馬鹿どもが暴走しまして…」と顧客に謝らないといけない。 たとえどんなにいい製品でも、日本人は「いい製品でしょう? 」なんて言っちゃいけない。

アメリカの技術者なんかは、むしろ何作っても「これが自分の考える最高の製品だ」なんて 胸張るし、それを売る人達は、額に青筋浮かべながら、 苦虫噛み潰した笑顔で「いい車でしょう ? 」と言わなきゃいけない。

シェルビー・マスタングとか、ダッジ・チャージャーとか、 何だかもう、乗るだけで頭悪くなりそうで、ものすごく魅力的。技術者が全方向的な馬鹿車作って、 営業の人が、それを何の衒いもなく「すばらしい車ができました」と言い切るのは、 アメリカ車にだけ許された欺瞞のスタイル。

性能は、もちろんスカイラインGTR のほうが上なんだろうけれど、 こんなアメリカンスポーツが好きな人達にとっては、馬鹿みたいな排気量であったり、 燃費の悪さとか、音のうるささとかそんなものこそが魅力。たぶん10年たっても同じ車を乗り回して、 やっぱり「これ馬鹿でしょう?」なんて、みんなに自慢してそう。 限定生産品だから手が出ないけれど、乗れるものならものすごく欲しい。

トヨタのレクサスなんかは、やっぱりこのへん間違ってるんだと思う。

トヨタの技術者が全力注ぎ込んでるのは、やっぱりベースになった乗用車のほうであって、 レクサスで売ってるのは、それをきれいに仕上げて値段を上げた車。

「限られた予算に機能を詰め込む」のはまさに技術で、それは日本のお家芸だけれど、 「浮かせたお金で「きれい」を乗っける」のは、何となく技術屋としてかっこよく見えなくて、 中の人達もたぶん、「暴走する技術者」としてでなく、 「企画の人に言われるがままに仕事しました」というイメージ。

レクサスの販売店は、たしかに丁寧。非の打ち所の無いいい車を並べて、「いい車でしょう ?」なんて。 「いい」物を「いい」と表現することは、もちろん全然間違いではないんだけれど、 欺瞞の無い言葉は響かない。予定通りに作った「いい」車というのは、 「既製品を薄めて膨らませて、200 万円上乗せしてみました」なんて思惑が透けて、 なんだかつまらない。

トヨタ自動車には、電気レクサスのエンジンをヴィッツのボディに押し込んだ 「リアルチョロ Q」開発してほしい。そんな動く危険物を力ずくで販売して、 「いい車でしょう?」 なんてやってくれたら、もう一生ついていくから。