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	<title>レジデント初期研修用資料 &#187; 臨床研修</title>
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	<description>日常のメモ</description>
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		<title>「当直医学」を作ってほしい</title>
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		<pubDate>Mon, 12 Oct 2009 01:57:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[臨床研修]]></category>

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		<description><![CDATA[できれば雑誌の連載とか、なにか公的な文章として残る形で。

「総説」は役に立たない

患者さんはみんな違うから、医療という分野においては、
議論の土台になる「一般」というものが、定義できない。

病気についてはだから、「 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>できれば雑誌の連載とか、なにか公的な文章として残る形で。</p>

<h2>「総説」は役に立たない</h2>

<p>患者さんはみんな違うから、医療という分野においては、
議論の土台になる「一般」というものが、定義できない。</p>

<p>病気についてはだから、「一般的にこうだと私は思う」という書きかたが難しくて、
どうしても、誰かの論文を引っ張って、「○○らはこう述べている」という書きかたしかできない。
どれだけたくさんの「○○ら」を引用したところで、その文章を書いた作者自身が、患者さんと当たって
どういう治療を選択するのか、あるいはある病気に対して、「一般的には」どうやって対処するのが
一番無難なのか、読者として、一番知りたいことは、あんまり書かれない。</p>

<p>「エビデンス」なんかよりも、「言質」がほしいな、といつも思う。</p>

<p>論文どおりのやりかたを行うためには、その患者さんが、議論の余地なくその病気を発症している
必要があって、そういう人たちは、たしかに専門機関の先生がたも喜んでみてくれるんだけれど、
現場で問題になっているのは、もっとあやふやな、「正解」がどこにあるのか分からない人たち。</p>

<p>症状は明らかにあるんだけれど、原因が「どれ」とも断定できないような、そんな患者さんに対して、
「俺ならこうするよ。責任持つよ」なんて書いてくれたらすごくありがたいんだけれど、
そういう一言を探すのは大変で、「エビデンス」の時代になって、それはますます困難になった。</p>

<h2>「問題」の裏に「責任」がある</h2>

<p>恐らく世の中には、「問題」と「責任」とがセットになってる業界と、
両者が根本的に分かれてる業界とがあって、医療なんかは前者なんだと思う。</p>

<p>研修医向けの教科書に載っているような病気についてなら、たぶんどこの病院であっても、
似たような治療ができるだろうし、たとえ専門家がいなくても、検査の機械だとか、薬とか、
少なくとも日本なら、どこに行っても似たようなものは手に入る。</p>

<p>よっぽど特殊な病気でもない限り、たいていの病気については、
少なくとも教科書どおりの治療を提供することぐらいは、どこの病院でもできるはずなんだけれど、
専門技能を持たない医師は、今の時代、患者さんの病気に対して「責任」を負うことができないから、
専門機関に紹介される。</p>

<p>「紹介」という行為は、だから紹介する側からすれば「責任の移譲」であって、「問題の解決」それ自体は、
もはや紹介の理由にならない。</p>

<p>今仕事をしている人たちは、もちろんそんなことはとっくに分かっているはずなのに、
「大事なのは問題の解決それ自体であって、責任なんて考えたこともない」という建前が、
責任の議論をやっかいにしている。</p>

<p>「判断」のコストというか、リスクみたいなものが、どんどん上がっている。今はだから、
専門家の意見が本当に必要な、具合が悪いんだけれど原因の分からない人、
ある疾患が疑わしいのだけれど、症状が典型的でないから確定診断がつかない人ほど、
専門病院の受診が難しくなって、当直なんかでそういう患者さんを引き受けてしまうと、
そこから先、誰からも意見が聞けなくて、時々ものすごく困る。</p>

<h2>こういうのやってほしい</h2>

<p>具体的には「当直医学」という連載企画をやってほしい。若手がベテランに、
翌朝までの、当直の乗り切りかたを尋ねる企画。</p>

<p>ベテランに語らせてしまうと、これはもう、役に立たない自慢話になってしまうから、
形式としては、若手からの提案を、ベテランに訂正してもらう形にする。</p>

<p>たとえば「腹痛」というテーマに対して、「原因不明の腹痛は、補液と抗生剤、絶食だけでも、
一晩なら経過を見て大丈夫」という仮説を、若手からぶつける。</p>

<p>こういう仮説の根拠になる、腹痛の原因として考えうる疾患を列挙して、例外ケースを探して、
それを除外するための検査をセットにする。</p>

<p>こういう思考実験をすると、一つの症状に対して、ある検査を行って、いくつか特定の疾患を否定できれば、
あとはこれとこれをやっておけば、朝まで様子を見て大丈夫、という、一般ルールみたいなものが作れる。
若手が「ルール」を作って、これをベテランの先生に添削してもらう。</p>

<p>「そんなのはケースバイケースで答えられない」とか返すベテランはチキン野郎認定で、
例外ケースの抜けとか、根拠になる論文の補完なんかをベテランに行ってもらえば、
最終的に、「腹痛の対処については、あの有名な○○先生お墨付のやりかたでいける」なんて結論が得られる。
○○先生が死ぬまで、腹痛の法廷仕事は、その人に任せればいい。</p>

<p>頭痛とか腹痛、意識障害、呼吸困難、麻痺、症状ごとに、「若手のルール」と「ベテランの返し」と、
一つの結論を目指してぶつけ合う企画を続ければ、そのうちたぶん、「当直ならこうすればいい」という、
症状ごとの、一連の対処リストができる。</p>

<p>悪までも「翌朝まで」限定だけれど、こういうことを2年もやれば、内科当直というお仕事からは、
「判断」が追放される。医師に要求されるのは、行動と、検査の解釈だけになるから、
その地域にある施設で、どんな症状の患者さんなら受けられるのか、ある程度数字で測定できるようになる。</p>

<p>流れとして、こういうのは間違ってないと思うんだけれど、みんな責任が嫌だから、
あるいはそもそも、現場には「問題」だけがあって、「責任」なんてないことになっているから、
やっぱりこういう流れにならない。問題の解きかたが、どれだけ詳細に、「エビデンス」を積んで示されたところで、
責任の引き受け手がいないのなら、問題はやっぱり解決しないのに。</p>

<p>救急を受ける病院が本当に減った。あるいは「分からない人」を受けてくれる専門施設も。</p>

<p>こういうのはたぶん、解決する方法がちゃんとあるのに、上の人たちがそれをやろうとしてくれないから、
現場から黙って人が去ってるんだと思う。</p>

<p>「いわゆる当直」の技能は、もう実質失われているようなもので、うちに手伝いに来て下さっている当直専門業務の
先生がたも、みんな50台。こういうのは体力のある若い人の領域なのに、いまはそもそも、働き手がいないのだと。</p>

<p>ベテランから何かを「引きずり出す」企画というのは、やったら絶対に役に立つとは思うんだけれど、
ベテランの人を、いわば罠にはめるようなものだから、やっぱり難しいとは思う。</p>

<p>それでも責任だけが、「ないこと」にされたまま、必要以上に重くなってしまった現在、
それが軽かった昔を知っているベテランの知恵を受け継いでいかないと、もう後が続かないと思う。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Open Office で症例報告スライドを作る</title>
		<link>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/425</link>
		<comments>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/425#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 21 Jul 2009 08:29:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[臨床研修]]></category>

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		<description><![CDATA[だいたい10枚、急に頼まれたときなんかに、最小限の手間で、平凡な資料を作るやりかた。

表題、入院時病歴、理学所見、検査データ、画像所見のスライドが2枚ぐらいで、
だいたい7枚。あとは経過表を作って、考察を2枚ぐらい入れ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>だいたい10枚、急に頼まれたときなんかに、最小限の手間で、平凡な資料を作るやりかた。</p>

<p>表題、入院時病歴、理学所見、検査データ、画像所見のスライドが2枚ぐらいで、
だいたい7枚。あとは経過表を作って、考察を2枚ぐらい入れると、だいたい10枚になる。</p>

<h2>病歴スライドと理学所見</h2>

<p>これはカルテを引き写すだけ。</p>

<p>コツというか、姑息な知恵として、「症例」「現病歴」「既往歴」みたいな
見出しと、それに続く本文とを、全て独立したテキストボックスで作っておく。
あとからそれを、スライドを「表示->グリッド線を表示」にして、
適当に見栄え良く配列しておくと、あとから上司に「ここを直せ」なんて言われたとき、
レイアウトの狂いを最小限にできて便利。</p>

<h2>検査データ</h2>

<p>「エクセルで作ると便利」という意見を以前にいただいたことがあって、電子カルテ
の入っている病院だと、検査データをCSV形式で読み出せるから、エクセルとの親和性が
高いのだけれど、うちの施設にはそんなものはない。</p>

<p>で、必要な検査データも限られているから、これは全部手打ちしてしまったほうが、
結局速いような気がしている。</p>

<p>これもまた、一つのテキストボックスに全ての数字を入れてしまうと、
あとからレイアウトの収拾がつかなくなってしまう。</p>

<p>だからたとえば、「Na 139 meq/l」なんて記述は、一つ一つ別のテキストボックスに収めておいて、
「血算」だとか「生化学」なんて見出しと同じく、全部ばらばらのテキストボックスとして配列する。
あとから「テキストボックスを複数選択後右クリック->配列」、または
「分布」を用いることで、数字を見栄え良く並べられる。</p>

<p>表作成機能を使うとか、もっと賢いやりかたはあるはずだけれど、
こういうのは外野の意見でどんどん体裁が変わるものだから、
一番馬鹿っぽいやりかたしたほうが、変更しやすいような気がする。</p>

<p>Open Office は、テキストボックスを複数作ると、そのうち画面の任意の場所を
右クリックすると、勝手に新しいテキストボックスを作るようになるので、
こういうやりかたをするのに少しだけ便利。</p>

<h2>経過表の盗みかた</h2>

<p>時系列に沿って、使った薬の量や、人工呼吸器の設定、
患者さんの体温だとか血圧、症状なんかを並べた「経過表」というものが、
作る上で一番面倒くさい。</p>

<p>発想は大変だから、まずは「盗む」ことを考えたほうが速い。</p>

<ul>
<li>PubMed を使う:「Limits」を選択して、「links to free full text」
「Case Reports」にそれぞれチェックを入れてから病名を検索すると、
PDF がダウンロード可能な症例報告だけが残る。
症例報告には、たいていの場合経過表がついてくるから、それを見て考える </li>
<li>Google を使う:Google のイメージ検索で「clinical course」という言葉を検索すると、
いろんな病気の臨床経過表が引っ張れる。それを参考にする</li>
<li>PowerPoint 検索:病名と一緒に、「.ppt」という文字列を検索すると、
パワーポイントプレゼンテーションだけが検索できる。
運がよければ、「そのものずばり」のスライドがダウロードできる</li>
</ul>

<p>Google の画像検索が、たぶん一番簡単だと思う。以前よりも患者さんの個人情報にみんな
配慮するようになったのか、パワーポイント検索を行っても、症例報告スライドが手に入りにくくなった。</p>

<h2>作りかた</h2>

<p>例によってこんなスライドを作る。</p>

<p><a href="http://f.hatena.ne.jp/medtoolz/20090206083852"><img src="http://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/m/medtoolz/20090206/20090206083852.jpg" alt="20090206083852"></a></p>

<p>以下のものが作れれば、同じスライドが作れる。</p>

<ul>
<li>治療経過を書くための横棒グラフ </li>
<li>日程や単位を記載するための目盛り軸 </li>
<li>データを視覚化するための折れ線グラフ </li>
</ul>

<h2>横棒グラフ</h2>

<p>治療薬や酸素投与量を書くときに使う横棒グラフは、ただの四角形。</p>

<p>下段のメニューから四角形を選んで、適当に大きさを調整して配列する。大きく作って、
「右クリック-> 配列」で並べたあとに「右クリック->グループ化」を行えば、
拡大縮小できる。</p>

<p>Open Office は、四角形の上にテキストボックスを重ねると、文字が四角形に
勝手に一体化されてしまうことがあるので、別の場所にテキストボックスを作って、
最後に重ねたほうがいいかもしれない。このへんの挙動は、Power Point と
少し違うような気がする。</p>

<h2>目盛り付きの縦軸/横軸</h2>

<p>折れ線グラフの目盛り軸を以下のように作る。</p>

<ol>
<li>まずは小さな横棒をひいて、それを必要な数だけコピーする。これが目盛りになる </li>
<li>コピーした横棒を、これも適当な間隔を開けて、何となく縦に並べる</li>
<li>全ての横棒を選択-> 右クリック -> 配置 ->右揃え で、横棒が縦一列に並ぶ</li>
<li>もう一度全ての縦棒を選択 -> 右クリック -> 分布 -> 縦 で、等間隔に並ぶ</li>
<li>等間隔に並んだ目盛りにくっつけるように縦棒をひく。これが軸になる </li>
<li>最後に全てを選択 -> 図形の調整 -> グループ化 で一つの固まりにする </li>
</ol>

<p>グループ化を行ったあとは、長さや幅が自由に調整可能な目盛り軸が得られる。少し大きめに作って、
グループ化したあとで縮小すると、小さな目盛り軸がきれいに作れる。
あとはテキストボックスに数字を入れて、それも「右揃え->分布」を用いて
縦一列に並べてやると、目盛りと数値の入ったグラフ軸が作れる。</p>

<h2>折れ線グラフを書く</h2>

<p>体温変化をスライドにするときとか、検査結果を図表にする時は、全部折れ線グラフのお世話になる。</p>

<p>エクセルにまめにデータを打ち込んでいる人なら、そもそも慌てる状況にならないんだろうけれど、
急いでいるとき、とりあえずそこそこ見栄えのいい図をでっち上げるときには、
全部フリーハンドで、それっぽいグラフを描くことになる。</p>

<p>調整可能な折れ線は、下段メニューの「曲線」の中から、「多角形」を選択することで得られる。</p>

<p>マウスをドラッグして、時々クリックするだけで、関節のついた折れ線になる。最後にダブルクリックを行うと、
折れ線はそこで終了する。これは「関節」のついた、調整可能な折れ線なので、あとは折れ線を選択後、
「頂点の編集」で、何となくそれっぽい形を作れる。</p>

<p>Open Office の頂点移動は粗いんだけれど、<strong>Ctrl キーを押しながらマウスをドラッグ</strong>すると、
折れ線の微調整が行える。</p>

<p>それっぽいグラフが書けたら、目盛り軸と折れ線とを全て選択して、右クリック->グループ化 を行っておく。</p>

<h2>ラフスケッチの効用</h2>

<p>マイクロソフトのPowerPoint に比べると、OpenOffice のそれはわずかに使いにくいというか、
こなれていない印象があるけれど、簡単なスライドならば、もう十分実用範囲に思える。</p>

<p>昔こういうのを作っていた頃は、最初からパワーポイントを手打ちしていたんだけれど、最近はたいてい、
そのへんのメモ帳に、ボールペンで下書きを殴り書きしておいて、それを「清書」するかんじでPC を使っている。</p>

<p>パワーポイントみたいなソフトは、清書するための道具としては相当に優れているんだけれど、
頭の中にあるものをまとめる道具としては複雑すぎるというか、なんだかピンセットで家を建てるような
ところがあって、「作りながら考える」やりかたをすると、かえって時間がかかる。</p>

<p>自分が作るのは、せいぜい病歴だとか検査データの数字を配列したり、そこにX線写真の画像を張り込む程度で、
複雑さの程度は浅いんだけれど、こんなものでも、「絵コンテ」みたいなものがあると、作業が簡単になる気がする。</p>

<p>ラフな下書きは、もちろん適当に描くだけなんだけれど、ラフすぎるとうまくいかない。</p>

<p>それが文字なら、最悪それだけ読んでもスライドが作れる程度、写真なら、それが胸の単純写真なのか、
CTスキャン画像なのか分かる程度には、詳しく書かないといけない。あとから清書するからといって、
めんどくさそうなところをラフにやり過ぎると、今度は実際スライドを作るときに、
ラフがなんの役にも立たなくて、愕然とする。</p>

<p>ラフを描くときには、「めんどくさいな」とか、「ここはどうせ清書するときに作り込むから」とか、
自分に言い訳する場所が、たいていの場合、スライドを作るときに一番面倒な部分になる。
ボールペンで下書きするときに、ここをおろそかにすると、だからラフの意味がなくなってしまう。</p>

<p>「崖の上のポニョ」のDVD には、絵コンテのおまけがついてくる。</p>

<p>オープニングの、海の生き物が画面いっぱいにあふれている様なんかは、
絵コンテには、そのまんま全部の生き物がびっしり描かれているし、部屋の中で無線機を使う場面では、
机の上に並ぶ無線機のメーターだとか、本棚の本、たしか夏目漱石の本の背表紙まで、きちんと描かれている。</p>

<p>ああいうのを、たとえば「海の中にクラゲがびっしり」だとか、「雑然とした机」なんて言葉でごまかして、
絵コンテをいいかげんに済ましてしまうと、たぶん現場が混乱するんだろうし、
ラフを描く段階で「面倒くさいな」と思うその場所は、清書するときにラフがあると一番助かる場所であって、
「頭の中身を画像化すること」というのは、要するにそういう作業なんだと思う。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>ドッグフードを食べる</title>
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		<pubDate>Wed, 15 Apr 2009 10:45:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[臨床研修]]></category>

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		<description><![CDATA[コンピュータープログラムを開発する人たちには、開発途中の未完成なプログラムを無理矢理使って仕事をする
時期というものがあって、それを「自分のドッグフードを食べる」なんて表現するらしい。

自分が今作っているものは、コンピ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>コンピュータープログラムを開発する人たちには、開発途中の未完成なプログラムを無理矢理使って仕事をする
時期というものがあって、それを「自分のドッグフードを食べる」なんて表現するらしい。</p>

<p>自分が今作っているものは、コンピュータープログラムほど複雑なものではないし、やっていることは、
開発というよりは「切り貼り」のほうが近いのだけれど、とりあえず出来上がったものは、
やっぱり「ドッグフード」であって、使いやすいものを目指すには、それを自分で食べないといけない。</p>

<h2>使って分かったこと</h2>

<p>今回作った「テトリスみたいな鑑別診断表」は、たぶんそこそこ見やすいような気がする。</p>

<p>患者さんがいて、症状を抱えていて、特定の疾患を狙ったわけではないけれど、とりあえず何かの検査結果が
その人にくっついているという状況は珍しくなくて、とくに地域で開業している先生がたから紹介された患者さんは、
たいていの場合、たくさんの検査結果を抱えたまんま紹介される。</p>

<p>表を使うと、無目的に提出された検査を使って、消去法みたいなやりかたで鑑別診断を絞り込むことができて、
特定の病気に近づくだとか、あるいはもっと広い鑑別診断を探しに行くだとか、1枚の表を、複数の目的に
使い回すことができる。</p>

<p>こういう表はその代わり、表の中に、相当広い範囲の鑑別診断を放り込んでおかないと、怖くて使えない。</p>

<p>病気というのは、2割の病気が全体の8割を占める構造をしているから、2割を知っていれば、たしかに8割に対応できる。</p>

<p>ところが鑑別診断が問題になってくるケースというのは、2割の自明な疾患は、そもそも考慮の対象外に
なっていることが多くて、診断表は、想定していたよりもずっと広い範囲で鑑別診断を一覧できないと、
例外が多すぎて役に立たなかった。結局全部書き直した。</p>

<h2>被ツッコミ耐性について</h2>

<p>何か大きな規模の文章を作るときには、「総論」と「各論」を分離しておくこと、医療なら「病名」に当たる、
ひとかたまりになった知識の「置き場所」をきちんと定めて、それを文章内部で相互参照できるようにしておくと、
あとからいろいろ突っ込まれたとき、訂正が簡単になる。</p>

<p>未完成な「ドッグフード」を同僚の先生がたに読んでもらって、
「内容には全く賛同できないけれど趣旨は良く分かる」なんて
叱られながら、いろんなところを直してもらうこの頃。</p>

<p>これをやるとき、せっかくいただいたツッコミに対して、文脈上直せない場所を作ってしまったり、
あるいは考えかただとか、結論が彼我で分かれる場所が生じたとき、文章の任意の場所を、
自由に切り離せるようにしておくと、「直し」を受け入れやすい。</p>

<p>膨大な前書きがまずあって、そのあと前1/3を「総論」が占めて、さらに各論が続くような構造を作ってしまうと、
専門家の先生がたも、いちいち「前書き」から読まないといけないから面倒だし、総論にツッコミを入れると、
巻き添えを喰って各論が1章丸ごと消し飛んだりすることがある。</p>

<p>全ての章立てを「症状」ごとにするやりかたは、どこを消し飛ばされても全体の構造が揺らぎにくいので、
いろんな先生がたから叩かれながらも、叩かれたぶんだけ、いい方向に進めやすいような気がする。</p>

<h2>ドッグフードが料理になる日</h2>

<p>とくに「総合診療」なんて科目を志す人たちは、遠回りかもしれないけれど、やっぱり自分の教科書を
作るべきなんだと思う。</p>

<p>何かそういうものを文章にして持っていると、自分が今何を知っているのか、どの分野に詳しくて、
どの分野に疎いのか、他科の専門家から見て、その詳しさだとか、疎さというのは、どの程度
客観性があるものなのか、いろいろ指摘をいただけて、面白い。</p>

<p>今自分が作っているものは、たとえばこれをルーズリーフに両面印刷して、ファイルに綴じると600円ぐらいかかる。
誰か上の先生に読んでもらうときには、もちろん新品を渡して赤を入れて貰うわけだけれど、
いくつかの添削を貰うために、いちいち1冊潰すのは無駄なようでいて、「他人様の意見が500円足らずで買える」
というのは、ものすごく安い買い物をしているのだと思う。</p>

<p>誰かの意見を「買う」というの、はすごく難しい。お金を払って講義を聴いても、それは万人向けの内容であって、
講師の人が自分の「穴」を埋めてくれるのとは、ずいぶん違う。話を聞くだけならタダ、なんてことは全然なくて、
意見をもらう対価として、自分で何か書いて、印刷から製本から全部自前というやりかたは、
面倒なようでいて、たぶん支払ったコストに十分見合うだけのものが得られるような気がする。</p>

<p>今のPCは早くなったし、LaTeX はやっぱり有用だよ、と一応勧めておく。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>勉強が楽しくなる</title>
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		<pubDate>Mon, 06 Apr 2009 07:58:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[臨床研修]]></category>

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		<description><![CDATA[このところずっと、内科の勉強が楽しくて、他のことが手につかない。

そもそもが勉強嫌いで、昔は論文を一生懸命読んだけれど、最近はそれも面倒で、
せいぜいが日本語の教科書を月に何冊か、面白そうな分野をつまみ食いする程度だっ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>このところずっと、内科の勉強が楽しくて、他のことが手につかない。</p>

<p>そもそもが勉強嫌いで、昔は論文を一生懸命読んだけれど、最近はそれも面倒で、
せいぜいが日本語の教科書を月に何冊か、面白そうな分野をつまみ食いする程度だったのだけれど、
今月に入ってからは、けっこう厚い英文教科書を、飽きもせずにずっと読んでいる。</p>

<h2>作るために教科書を読む</h2>

<p>教科書を自分で書くメリットというのは、意外なところにあるものなんだなと思う。</p>

<p>自分が今作っているものは、何か当てがあるとか、依頼されてやっていることではないのだけれど、
それでも一応、誰かに向けて、何かを伝えたいからこそ、教科書というものは作られる。</p>

<p>穴だらけの知識を開陳したところで馬鹿にされるだけだから、教科書はまず、自分の知識を言語化して、
他の教科書と比べる必要がある。書いてみて、比べてみて、はじめてそこで穴が見える。</p>

<p>穴だらけなのを見るのは落ち込むんだけれど、穴が埋まると、
なんだか自分が書いているものが「強く」なっていくような気がして、面白い。こういうのはたぶん、
RPG で自分のキャラクターを育てるのに似てるんだと思う。</p>

<p>目的もなく、あるいは「勉強のために」、他の人が書いた教科書を頭から読むのは、
たぶん間違っている。特に読者が、ある程度その分野に明るい人ならば。</p>

<p>頭から読んだ教科書は、目が滑って、読むのに努力がいる割には、集中できない。</p>

<p>教科書には「総論」部分が必ずあって、作者の考える総論を、その人が知識を整理するためのやりかた
みたいなものをまず受け入れてからでないと、各論が読めない構造になっている。ある程度その分野に明るい人は、
たいていの場合、自分なりの理解のやりかた、知識の置き場所みたいなものがすでに出来上がっているから、
教科書を読むとき、「総論」部分の構造が異なっていると、それが障害になって、集中できない。</p>

<p>自分なりに教科書を書いて、頭の中にある「総論」部分を言語化しておくと、自信のあるところと、
穴になっているところが明らかになって、見通しがよくなる。教科書を読むときにも、自信のある場所は批判的に、
知識がほしい場所は、コピーできそうな「おいしい」記述を探すために、場所ごとに読みかたを変えられる。</p>

<p>読むときに目的が生まれるから、集中力が続く。</p>

<h2>見出しシールは大切</h2>

<p>他人様の教科書を読むときには、自分なりの見出しをつけるべきと思う。</p>

<p>今自分が作ろうとしているのは症状別のカンニングペーパーみたいなもので、まずは症状があって、
そこから連想しないといけない「死ぬ病気」を列挙して、それぞれの病名に対して、
ベテランの悪知恵みたいな、統計的な根拠によらない、「効く治療」をメモしてまとめている。</p>

<p>自分にとっては「症状」が総論だから、興味は必然的に、「死ぬ病気」の見分け方と、回避のしかたに集まってくる。</p>

<p>教科書の目次を読んだところで、目当ての知識がどこにあるのかはあやふやで、
そういうのをいちいち探していると、そのわずかな手間が積み重なって、嫌になる。</p>

<p>今読んでいる教科書には、見出しシールが60枚ぐらい、自分が興味のある病名の、
総論抜きの「診断」のところに貼ってある。そこを引っ張れば、目次を見なくても、
自分の知りたい知識が飛び込んでくる。</p>

<p>見出しシールを張るのは面倒なんだけれど、役に立つ。</p>

<p>教科書というのは、まず読んで、今度は自分の文章に置き換えて、
あやふやなところをまた読んで、と、何度も何度も同じ場所に立ち返る必要があって、とくに
教科書に求める目的が、それを書いた人とは全く違うところにあるときには、いろんな記述を
並べて見直して、共通している記述を探したりする作業が欠かせない。</p>

<p>見出しをつけておくと、目次からページを探す、わずかなその手間がなくなって、
教科書を広げ直すときの閾値が下がる。薄い教科書ならそれでも、たいしたことがないんだけれど、
A4版1600ページの本は、見た目はもはや電話帳で扱いにくいから、わずかな手間が大きな差となって現れる。</p>

<p>本というメディアにとってと特等席は、表紙と裏表紙、ラベルシールを貼れる小口のところで、
こうした場所は、本を開かなくても、そこに書かれていることを読むことができる。</p>

<p>たいていの教科書で、表紙と裏表紙にはせいぜい題名しか書かれていないし、小口に専用のシールを
用意している教科書も少ない。これはもったいないと思う。</p>

<h2>やっぱりLaTeX</h2>

<p>「優れた臨床医を目指すなら、君もLaTeXぐらい嗜んでおくといいよ」なんて、研修医を何人か
騙したことがあるけれど、やっぱり今でもLaTeX は役に立っている。</p>

<p>断片を集積した、穴だらけの知識であっても、それに目次がついて、索引がつくと、
とりあえず教科書っぽい見た目になる。一度そうしたものを作って、いろんな教科書とあたりながら、
自分の教科書を「育てて」行くやりかたは、胡乱なようでいて、正解に近い気がする。</p>

<p>勉強に目的を持つこと、知識のインプットよりも、むしろ何かのアウトプットを志向したやりかた、
不完全でもとりあえず何かつくって、できればそれを他人様の目につくところに置いておく、
というプレッシャーをかけるやりかたを目指すときに、それ専用の道具を持っておくと、
きっと勉強の効率が上がる。</p>

<p>インストールもずいぶん楽になっているみたいだから、新人の人は試してみるといいと思う。</p>

<h2>進捗状況</h2>

<p>とりあえずCMDT2009年版を読み終え、今内容の整合をとっている最中。呼吸器関連のところまで終了。
たぶん1週間ぐらいで、訂正が一巡すると思います。</p>

<p><a href="http://medt00lz.s59.xrea.com/man_2009.pdf">PDF</a>が新しい版にさしかわっているので、ご意見いただければ幸いです。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>検査に対する富豪的態度</title>
		<link>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/263</link>
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		<pubDate>Mon, 16 Mar 2009 10:42:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[臨床研修]]></category>

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		<description><![CDATA[たとえばCTスキャンのデータ、人体の、何十枚もの「輪切り」写真から、
あらゆる異常を探し出すためには、病気に関する知識、人体の解剖に関する専門的な
知識は欠かせない。

ところが「気胸の有無」を調べるためにCTスキャンを [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>たとえばCTスキャンのデータ、人体の、何十枚もの「輪切り」写真から、
あらゆる異常を探し出すためには、病気に関する知識、人体の解剖に関する専門的な
知識は欠かせない。</p>

<p>ところが「気胸の有無」を調べるためにCTスキャンを切ると、そこに気胸があるのかどうか、
写真を見れば、異常は誰の目にも明らかで、診断を下すのに、もはや医学知識もいらない。</p>

<p>先入観を持たずにデータに当たって、そこから可能な限りの情報を引き出そうとする態度というのは、
人体から取り出せるデータがまだまだ少なかった昔、「より多く読める」ことが「よさ」につながった
時代を、悪い形で引きずっている気がする。取り出せるデータが増えすぎた今は、むしろデータを「雑に」扱う態度、
膨大なデータを、「いい結果」を得るために利用するのではなく、
むしろ「手を抜く」ために、今までと同じだけの成果を、より少ない手間、
より少ない人的リソースでそこに到達するために、利用すべきなのだと思う。</p>

<h2>検査が貴重だった昔</h2>

<p>昔の検査は、貴重で大切なものだった。CTスキャンだとか、血液検査を一項目だけ
提出するのに、誰かの「顔」を立てないといけなかったり、目の前の機械は空いているのに、
申請書を書いてお願いしないと、機械を動かしてくれなかったり。</p>

<p>検査というものは、それを一度使うなら、そこからあらゆるデータ、
あらゆる異常所見を絞り出さないと、なんだかもったいない気がした。
少ないデータから、たくさんの意味を引き出すためには知識が必要で、勉強しないと知識は
得られなかったから、検査はやっぱり、専門家のものだった。</p>

<p>中央検査室という組織構造だとか、最近のCTスキャンみたいな検査は進歩して、
今は誰かの「顔」を気にすることなく、クリック一つ、チェック一つで、研修医でも、
莫大な情報が簡単に手に入るようになった。データの量は、今度は多すぎて、
その中から全ての異常を読み出すためには、やっぱり専門家の力が要った。</p>

<h2><a href="http://pitecan.com/fugo.html">富豪的なやりかた</a> のこと</h2>

<p>莫大なCTスキャンデータからあらゆる異常を拾い出そう、という態度は、
検査データがありがたいものだった時代の、貧乏くささを引きずっているような気がする。</p>

<p>検査に対して「富豪」的な、膨大な検査データを前にして、
それを全然ありがたがって見せない態度を取る文化というのは、
たとえば聴診器で丁寧に診察すれば診断できるような病気に対して、
あえてCTスキャンを切ってみたり、血液生化学検査のセット採血みたいな、
「面」のデータが得られる検査をとりあえずオーダーして、話を聞けば診断できるような病気を、
あえて検査に頼るようなやりかた。</p>

<p>莫大なデータを丁寧に評価すれば、もちろんいろんな異常が見つかるのかもしれないけれど、
富豪的なやりかたは、そんなデータを、特定の症状から考えられる、
ある病気の有無を評価するためだけに用いて、残ったデータは、見ないで捨てる。</p>

<p>せっかくのデータを生かさないで使い捨てにする、富豪的なやりかたは、無駄が多いその代わり、
人間の負担を最小にする。</p>

<p>問診だとか、聴診は大変だし、それを行う人間の訓練が不十分だと、間違いも多い。
富豪的なやりかたは、患者さんの症状を聞いたら、あとは検査にチェック一つ入れるだけだから、
人間がどれだけ無能であっても、同じ結果にたどり着ける。電気代だとか、試薬代はかかるけれど、
人間側の負荷だとか、ばらつきは最小にできる。</p>

<p>ていねいに診察して、あやふやな答えに訓練で精度を上げるやりかたは、たしかにお金がかからないけれど、
CTスキャンの「ありがたさ」に、人間が負けているような気がする。</p>

<p>診察なんてしなくても、CTスキャン一発で、ほぼ100%確定診断できるケースはたくさんあって、
特に特定の病気を想定して、その有無だけを判断するような使いかたをする限り、
CTみたいなたくさんのデータをもたらしてくれる検査は、人間側に足りない知識を補ってくれる。</p>

<h2>量が質に転化する</h2>

<p>正しい先入観を持って使われた莫大なデータは、人間の知識を補完して、
その人に、実力以上の診断能力をもたらしてくれる。</p>

<p>使う目的があいまいである限り、最近の検査の、莫大なデータ量は、単なる「量」であって、
質的変化が生まれない。</p>

<p>ノーヒントで「異常の有無を診断してください」みたいなオーダーをすれば、
放射線診断の専門家ですら、たくさんのCT画像の中から、異常を全て発見するのは難しい。
目的のあいまいな依頼に応えるためには、「質」の担保を人間側が行う必要があって、
データの量が増えたなら、負担はそれだけ増えて、質は低下してしまう。</p>

<p>ところが目的を絞った状態で、たくさんのデータを目の前にすると、データの量が、診断の質に転化する。</p>

<ul>
<li>「気胸の有無」を診断するのにCTスキャンをオーダーすると、解剖の知識がなくても、
誰にでも、肺がしぼんでいることが診断できる</li>
<li>今のCTは、患者さんの画像データを筋肉だけの3次元模型に再構築して、リンパ節のデータだけを、
そこに重積できる。癌に関する知識、外科の知識が一切なくても、
「このリンパ節が腫れてるから切除しましょう」なんて方針が、
今では誰にだって下せるようになっている</li>
</ul>

<p>自分たちは昔、「先入観を持つな」と教わった。データに対して先入観を持ってしまうと、
全ての異常を見いだすことができないから、と。</p>

<p>これからはむしろ、健全な先入観を持って、データに対峙すべきなのだと思う。</p>

<p>ある症状の患者さんを見たら、その症状から致命的な経過をたどりうる病気はいくつかに限定される。</p>

<p>まずはそれを見つけるためだけに、目的を限定してからデータに対峙すれば、データの量は質に転化して、
恐らくは人間の足りない知識だとか、集中力を助けてくれる。</p>

<p>莫大な知識を持って、わずかなデータからできる限りの意味を引き出すのが昔のやりかたなら、
莫大なデータ量に、先入観で絞り込みをかけることで、属人的な知識とか、
判断力の追放を試みることが、これから目指すべき方向なんだと思う。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>「分からない」から始める医療</title>
		<link>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/227</link>
		<comments>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/227#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 23 Feb 2009 07:30:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[臨床研修]]></category>

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		<description><![CDATA[「トップナイフ」という、外傷外科学の教科書から。

外傷性ショックという状況


ショック状態というものを理解しなくてはならない。血圧が60mmHg に低下した患者に対して、皮下の出血点を一つ一つ焼くような外科医は、外傷 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「トップナイフ」という、外傷外科学の教科書から。</p>

<h2>外傷性ショックという状況</h2>

<ul>
<li>ショック状態というものを理解しなくてはならない。血圧が60mmHg に低下した患者に対して、皮下の出血点を一つ一つ焼くような外科医は、外傷外科に向いていない</li>
<li>出血と虚血とでは、治療優先順位が異なる。生命に直結する出血は、直ちに対処しなくてはならない。たいていの虚血は、数時間の幅を持たせてよい</li>
<li>外傷外科においては、たとえ結果が悪い方向に転んでも、何とかなるやりかたを考えないといけない</li>
</ul>

<h2>冷静さについて</h2>

<ul>
<li>効果の期待できない操作を繰り返す術者は「呪的反復」の状態に陥っている。本人だけがこれに気付かない</li>
<li>背景状況の変更、視野の改善や、器具や助手のような、何らかの変更を前提にしたときのみ、反復という選択に意味が出る</li>
<li>止血鉗子を握りしめて、盲目的に血の海に突っ込むことは、初心者の陥る過ちの典型である</li>
<li>「指で押さえる」「臓器を両手で圧迫する」といった原始的なやりかたは、止血鉗子に勝る</li>
<li>優れた外傷外科医は「何もしない」ことも、選択枝の一つであることを理解している</li>
</ul>

<h2>ダメージコントロールの考えかた</h2>

<ul>
<li>外傷の手術には、大きく「一気的な根治」を目指すやりかたと、「ダメージコントロール」を目指すやりかたとがある</li>
<li>生体には、そのとき許容できる「受容可能侵襲量」という考えかたがある</li>
<li>モニタースクリーンの数字が正常範囲であったとしても、患者が受けた侵襲の累積値が一定量を超えた場合には、手術の中断を考えなければならない</li>
<li>ダメージコントロールは、根本的でなくても、そのとき許容可能な侵襲の範囲内で、問題の部分的な解決を試みる</li>
<li>そのときにできる必要最低限の処置は何か、根治は後回しにできないか、外傷外科医は常に問い続けなくてはならない</li>
</ul>

<h2>軽い損傷と重大な損傷</h2>

<ul>
<li>「軽い損傷」と、「重大な損傷」とを区別しなくてはならない</li>
<li>それが重大な損傷ならば、術者は一時的な止血ができた時点で、一度その場で「停止」しなくてはならない</li>
<li>そこから先は修羅場になるので、輸血や手術室の準備といった、周辺状況が整うまで待たないと、兵站が追いつかない</li>
<li>「迅速な止血操作で一気に勝負をつける」誘惑に負けた外科医は、患者を失ってしまう</li>
<li>重大な損傷に対峙するときには、「手術操作を続ける」という衝動と戦わなくてはならない</li>
<li>チームが「何でもいいから動き続けよう」という意識に陥ったときに、全血を失うような事態が生じる</li>
<li>損傷の軽重は、全体を見て判断されなくてはならない。「軽い損傷」ならば治癒を目指せる傷であっても、
状況でも、体全体としての損傷が重いのならば、一期的な治癒よりも、上手な撤退を優先しないといけない</li>
</ul>

<h2>蛮勇を捨て、常識に頼る</h2>

<ul>
<li>教科書に図示されているような、見栄えのいい、複雑な術式は実際の手術現場では役に立たない</li>
<li>単純で、凡庸なやりかたを選ぶべきで、曲芸は避けなくてはならない</li>
</ul>

<p>このあと全臓器の損傷について、最悪の状況を回避するためのやりかたが語られる。</p>

<p>内容を、「状態の悪い人を生かし続ける」ことに限定してあって、
本は250ページしかないのに、一応人体全部を網羅していて、よくまとまってた。</p>

<h2>内科のこと</h2>

<p>以下私見。</p>

<p>内科の患者さんについてもまた、同じ症状に対して、それを「ちょっと治す」状況と、
「がっちり治す」状況とがある。</p>

<p>異論はあるかもしれないけれど、「がっちり治す」ことは案外簡単で、体力さえあれば
どうにかなる。「ちょっと治す」のは難しくて、油断すると大失敗する。</p>

<p>「息が苦しい」という患者さんに対して、問答無用で鎮静かけて挿管して、
人工呼吸器をつないだ上で、広域抗生物質を使うような、「がっちり治す」やりかたというのは、
それを決断するときには勇気がいるけれど、始めてしまえば、病名が何であろうと、
やるべきことはおおよそ同じ。こういうやりかたは、「がっちりやる」という覚悟が全てで、
頭はいらない。</p>

<p>「この人は軽そうだから、点滴だけで、<strong>ちょっと</strong>治そう」なんて判断して、
そういう患者さんが想定どおりに行かないときには、なまじ「ちょっと」という思いがあるから、
全ての対応が後手に回りがちで、泥沼にはまって失敗する。</p>

<p>誰かを「ちょっと」治すことは、だから本来、患者さんを「がっちり」治すのに比べて遙かに多くの覚悟がいって、
それをやるなら、1 日に何度も病床に見舞わないといけないし、自分の判断が間違っている可能性を、
常に自覚していないといけない。</p>

<p>本来はだから、田舎の小さな病院みたいな場所こそ、人工呼吸器のつながった患者さんがたくさんいないと
おかしいし、大学病院みたいな、患者さんを診るための「目」だとか「頭」の数が極めて多い施設でないと、
「ちょっと」治すことは難しいのに、そうなってない。小さな病院で「ちょっと」治すのは、本来すごく危ないことなのに。</p>

<p>「がっちりやる」ために必要な知識は、「ちょっと」でいい。</p>

<p>安全に「ちょっと治す」ためには、「新内科学大系」全99冊ぶんの知識があっても、もしかしたらまだ足りない。</p>

<h2>「分からない」から始めるやりかた</h2>

<p>目の前の患者さんに「重大な損傷がある」という認識から始めていいのなら、
外傷外科医の知識量は、それほど多くを要求されない。</p>

<p>「分からないけれど具合が悪い」状態の患者さんを、「がっちり治す」ために必要な知識もまた、
恐らくは薄い本1 冊ぶんにまとめられる。</p>

<p>その患者さんの病名が「分かる」のならば、その人が持っている、今までの知識で十分に対応できるのだろうし、
「分からないけれど具合が悪い」という状況認識それ自体、その患者さんを、
「分からないけれどとりあえず死なない」状態へと持って行く上で、大きな手がかりになる。</p>

<p>「分からない」なら、それ以上鑑別診断を考える意味はない。「がっちり」行くならば、
最初から複数病名をカバーした治療手段が選択されるのが前提だから、
治療のバリエーションは減らせるし、目標を、「治せる人のところまで、患者さんを悪化させず維持する」ことに
限定できるなら、必要な知識はそれだけ少なくて済む。</p>

<p>これから先の卒業生は、1年間で何でも治せる研修を受けるようにシステムが変わるけれど、
「1年総合医」を本気で作るなら、こんな方向で教科書作らないと無理だと思う。</p>

<p>あれを本気で考える偉い人たちは、自分たちでこういうの書かなきゃ嘘だし、
それができないのなら、あの人たちは、1 年間でどういう医師を作りたいのか、
もっときちんと説明すべきだと思う。</p>

<p>今年度中になんか書く。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>臨床研修制度見直し</title>
		<link>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/219</link>
		<comments>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/219#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 19 Feb 2009 03:41:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[臨床研修]]></category>

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		<description><![CDATA[
  臨床研修制度見直し　医師不足に一定の改善効果も  &#8211; MSN産経ニュース


来年度から、研修制度がまた見直されて、今度こそ、各地域ごとの受け入れ可能研修医数に「上限」が
設けられるらしい。

まだこの [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote>
  <p><a href="http://sankei.jp.msn.com/life/body/090219/bdy0902190106001-n1.htm">臨床研修制度見直し　医師不足に一定の改善効果も  &#8211; MSN産経ニュース</a></p>
</blockquote>

<p>来年度から、研修制度がまた見直されて、今度こそ、各地域ごとの受け入れ可能研修医数に「上限」が
設けられるらしい。</p>

<p>まだこのとおりになるのかどうかは分からないけれど、実施されると、
たぶん今まで以上に「東京一極集中」が進んで、地方の医療は止めを刺されるような気がする。</p>

<h2>序列の可視化は弊害を生む</h2>

<p>今はまだ、研修医が働く場所は、研修医の自由選択にゆだねられていて、
みんなが東京を目指した結果として、田舎には人が残らない。</p>

<p>東京の病院は設備がいいし、なによりも、いい先生がたくさんいるから、教えてもらえる。</p>

<p>研修医は、とにかく「教えてもらえる」環境に身を置かないと、何も身につかないからこそ、東京を目指す。</p>

<p>「東京の研修医」に、上限が設けられると、首都圏の研修病院は、競争試験で定員を削らざるを得なくなる。</p>

<p>競争試験はたくさんの敗者を生んで、「負けた」人たちは、しかたがないから田舎で働く。</p>

<p>負けっ放しなのは嫌だから、みんなもちろん、ある程度の経験年次を積んだら、もう一度東京を目指して、
結果としてたぶん、田舎はみんなの「腰掛け」になる。</p>

<p>研修医の序列は、自分たち、田舎の医者にも序列意識を持ち込んでしまう。</p>

<p>「<strong>君たち田舎医者は、せいぜい負け犬研修医諸君を温かく迎えてくれたまえ</strong>」
なんて、「見直し」を提言した東京の先生たちは、田舎で働いている中堅に、「負けた」研修医と一緒に、
こんなメッセージを届けてしまう。</p>

<p>自分たちだってもちろん、負け犬認定、馬鹿認定されたまま、ヘラヘラ笑って幸せに働けるほどには
人間できていないから、こういう制度はたぶん、今いる場所を捨てて、多少無理してでも東京を目指す中堅を、
むしろ増やしてしまう気がする。</p>

<h2>まずは皆さんから田舎へどうぞ</h2>

<p>若手の振る舞いを強制するやりかたは、恐らくは、制度全体を、下から崩壊させてしまう。</p>

<p>何かを変更しようと思うのならば、本来真っ先に変わるべきは、「上」の振る舞いなのだと思う。</p>

<p>田舎のお金は、道路と病院ぐらいにしか使い道がないものだから、幸いにして、地方の基幹病院は、
今ではけっこういい設備を誇る。足りないのはマンパワーだけ。</p>

<p>都会で活躍する名医の人たち、いろんな提言を行って、「阿呆な若者は地方で働け」なんて、
身も蓋もないメッセージを発信するその人たちこそが、まずは真っ先に、地方に来ればいいんだと思う。</p>

<p>研修医は「人」につく。</p>

<p>カリスマ名医の先生方が、本当に人を引っ張る力を持っているのなら、その人たちの吸引力は、
自然と地方に研修医を集める。</p>

<p>沖縄中部病院にしても、亀田総合病院にしても、立地で行けば、お世辞にも「都会」とは言えないような病院は、
それでも「人」に優れているから、研修医は今でも群れをなして、ああいう病院の門を叩く。</p>

<p>偉い人たちは田舎に来て、そのときたぶん、自らを試される。</p>

<p>その人めがけて、若手が群れをなすならば、そのベテランは「本物」なんだろうし、
田舎に降臨したカリスマ一人、ぽつん、とそこで働いて、若手がだれも寄りつかないのなら、
その人はそもそも、その程度の人間だったんだろう。</p>

<p>試みとしては、そのほうがよっぽど面白いと思うんだけれど。</p>
]]></content:encoded>
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		<slash:comments>29</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>やりかたは無数にある</title>
		<link>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/200</link>
		<comments>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/200#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 07 Feb 2009 06:01:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[臨床研修]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/?p=200</guid>
		<description><![CDATA[「絶対に正しい手順」というものは、一つに決められないのだと思う。

現場にあって「絶対」と言い切れるものは、状況を乗り越えるための「目的」と、
それを達成する上で「制約」であって、「手順」というものは本来、
「こうしたら [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「絶対に正しい手順」というものは、一つに決められないのだと思う。</p>

<p>現場にあって「絶対」と言い切れるものは、状況を乗り越えるための「目的」と、
それを達成する上で「制約」であって、「手順」というものは本来、
「こうしたらたまたま上手くいった」という以上の意味を持っていない。</p>

<h2>偽のベテランが正しさ競争を始める</h2>

<p>医療の教科書は、今はもちろん、「こうするのが正しい」のカタログみたいになっているけれど、
あらゆる手技だとか、治療だとか、手順というものは、本来は暫定的なやりかた。</p>

<p>ある状況から「治癒」を目指すためには、状況ごとの「目的」というものがあって、
目的が、身体の解剖学的構造だとか、病気が生み出す「制約」とぶつかりあった結果として、
制約をくぐり抜けるための手順が生まれる。</p>

<p>手順はだから、本来は無数にある。「こうしたらうまくいった」という、試行錯誤の経験が重なって、
どこかのタイミングで「暫定的に正しいやりかた」みたいなショートカットが生まれる。
「正しさ」を伝えるのは簡単だし、試行錯誤を経験しなくても再現できるから、
そのうちたぶん、本来の「目的」だとか「制約」は、伝えられなくなってしまう。</p>

<p>目的を見失った正しさは、原理主義の競争を生む。</p>

<p>「教わったやりかたよりももっと厳密」だとか、「こうしたほうが切開線を3mm 短くできる」だとか、
正しい手順には、「目的達成」には何ら貢献できない、様々な「改良」が積み重なって、
手順はますます、本来の目的から遠ざかっていく。</p>

<h2>切る爺医のこと</h2>

<p>ベテランの外科医は、切ったことのない病気の「切りかた」を推測できる。</p>

<p>うちの施設にいるベテランの先生がたは、人体というものを、「制約の集積」として理解している気がする。</p>

<p>外科のカンファレンスを聞いていると、そういう先生がたは、診たことのない病気であっても、
CT 画像で「ここ」という場所に病変を見つけると、「そこに到達するなら、この場所から入って、
切除するときには血管の処理が問題になるね」とか、語り出す。</p>

<p>「爺医の語り」はおおむね真実で、もう少しだけ世代の若い、最新の知識を蓄えた外科の先生もまた、
「今はそういうときにはこんなことをするんです」なんて、おべっかでなく、「議論」が始まる。</p>

<p>「理解」の深度には、たぶん「正しいやりかたを知っている」のレベルのもっと深いところに、
「やってはならないことを知っている」という段階があって、ここに到達できた外科医は、
教科書的な知識を持っていない病気と対峙しても、「目的」さえ示されたなら、
それを解決するための方法を、その場である程度演算できるようになる。</p>

<p>「教科書の正しいやりかた」は、本来はたぶん、その人が自分なりのやりかたを演繹できる段階にまで至って、
初めてそこで、無批判な受容を強要するものから、自分のやりかたと比較するための対象として、
読んだその人に、「確信」をもたらしてくれる。</p>

<h2>「ここからのやりかた」を教えてほしい</h2>

<p>治療ガイドラインを丸暗記した専門医の言葉は、しばしば空虚で、
今ひとつ響かない。</p>

<p>何かを相談しても、正しいやりかたを教えてくれはするけれど、じゃあ今の段階から
どうすればいいのか、どこを目指せば、この人は治癒に向かうのか、分からない。</p>

<p>たとえばある感染症を治療するには、教科書には「ペニシリンG を使いなさい」なんて書いてある。
それで十分治るから。それが「正しい」考えかただからと、明快に書いてある。きっとそれは正しいんだろうけれど、
じゃあ今自分たちが患者さんに使っている薬は、果たしてこのまま続けていいものなのか、それとも絶対に、
専門家推薦の薬に変更しなくてはならないのか、分からない。</p>

<p>専門家は、「いい検体」をとって調べれば、それに従った抗生剤を使えば十分に効くという。</p>

<p>教科書には、たしかに「いい検体をとれ」と書いてあって、いい検体のとりかたも、一応書いてある。</p>

<p>ならば「いい検体」がどうしてもとれなかったときにどうすればいいのか、あるいは今自分たちが
とった検体が、果たして「いい検体」なのかどうか、どうやって判定すればいいのか、やっぱり分からない。</p>

<p>検体にしたがって薬を選んで、それが効いたら、その検体は「いい」ものなんだろうし、
患者さんの具合が悪化したなら、それは「検体が悪かった」せいになって、
専門家の「思想」は明快なまま、変わらない。それはやっぱりおかしいと思う。</p>

<h2>目的と制約から手順を見いだす</h2>

<p>戦略家のクラウゼヴィッツは、「戦争論」の中で、「武徳」の効用について説く。</p>

<p>武徳を持った兵士で作られた軍隊は優秀で、いざというとき、非常な力を発揮するのだと。
武徳は大切で、兵力を何倍にもしてくれるものだから、普段から兵士を鍛えて、
武徳を発揮できるよう、訓練しないといけないのだと。</p>

<p>古くさい精神論なんだけれど、クラウゼヴィッツはそこから、
「それでも武徳を持たない兵士を率いて、なおも勝利を収めた例は、歴史上たくさんある」と続ける。</p>

<p>武徳の備わった軍隊は強力だけれど、軍隊を率いる人は、「武徳を欠けば勝てない」などと言ってはならないのだという。</p>

<p>将軍は、平時から武徳を養うべきではあるけれど、敗北の理由を武徳の欠如に求めるのは軍人として間違えで、
武徳を持たない兵士を率いた戦いかた、あるいは、武徳をほかの何かで補いながら、
何とか「勝利」を拾う戦略を、軍人は、発見する努力を、最後まで放棄してはいけないのだと。</p>

<p>目的と制約とを理解した人たちが、結果としてある手続きに収斂していくことと、
そこにいる人たちが、「最初からそれしか出来ない」こととは、
一見同じような状態であるようでいて、恐らくは全く異なっている。</p>

<p>｢こうして治す｣を記述するやりかたは間違えで、症状ごとの「目的」と、
「制約条件」を、まずは前提として示せない限り、その専門家には、人を教える資格がないような気がする。</p>

<p>「総合医を1 年間で養成しましょう」とか唱えている人たちの中に、本当の専門家がいるといいのだけれど。</p>
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		<title>「制約指向」メモ</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Jan 2009 01:14:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[臨床研修]]></category>

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		<description><![CDATA[
ある種の制約は自由を増やす。ある種の自由は人間の負担を増す
毎回考えていると負担になることを「制約」としてまとめることで、プロジェクトの戦略的な実施や、バグの地獄からの解放という「自由」が得られる
プログラム言語にとっ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<ul>
<li><a href="http://sakaba.cocolog-nifty.com/sakaba/2007/07/post_2364.html">ある種の制約は自由を増やす</a>。ある種の自由は人間の負担を増す</li>
<li>毎回考えていると負担になることを「制約」としてまとめることで、プロジェクトの戦略的な実施や、バグの地獄からの解放という「自由」が得られる</li>
<li><a href="http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070626/275943/?ST=develop&amp;P=1">プログラム言語にとっての「勇気」とは、プログラマにある種の制約を強いること」</a></li>
<li>Ruby on Rails は、プログラマの意図をあえて決め付けることで，特定の文化を背負ったプログラマにとっての利便性を追求したのだと</li>
<li>いい制約とは「望ましい習慣の押しつけ」</li>
<li>「不自由が自由を作り出す」というのが、企画や設計の基本（<a href="http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/">某劇場管理人</a>からいただいたコメント）</li>
<li>信号機や交通ルールという不自由があるからこそ、自動車は自由に行きたいところに行ける</li>
<li>人間は、身体から持ちだした制約を通じることで、はじめて自ら置かれた空間を認識できる</li>
<li>我々の脳は、制約によって構成されている事物であるがゆえに、全くの自由を想像できない</li>
<li>世界には無限の自由度がある。制約を記述することで、自由度が減る代わりに、情報は、交換可能性を得る</li>
<li>言語に制約が積み重なると、ついには文法的理解に到達する</li>
<li>語彙というものはそれ自体制約であって、それは単なる単語のリストではなく、文法構造を内包している</li>
<li>「コミュニケーションメディア」のようなあやふやなものは、「何ができるのか」よりもむしろ、
「何ができないのか」に焦点を当てると理解しやすい</li>
<li>たとえば金槌みたいな道具を、「釘を打つための道具」と認識してしまうと、応用できない</li>
<li>「金属塊が一端に固定された丈夫な棒」があって、これで何ができるだろうかと考えると、発想が広がる</li>
<li>「相手の意図はこうだろう」と推測してみせることは、観客を驚かせる効果はあるけれど、例外が多すぎて役に立たない</li>
<li>「これができる」は、無数の例外がある。「これは不可能」には、「絶対」がある。自らの状況を
本当に理解できている人は、この制約を指摘できる</li>
<li><a href="http://jp.youtube.com/watch?v=SSkG5xf_ytQ&amp;eurl=http://www.arclamp.jp/blog/archives/devsum2008_day2_1.html">東京大学の國吉康夫研究室が作ったスクワット起き上りロボット</a>は、
人間みたいな動きをするけれど、<a href="http://www.arclamp.jp/blog/archives/desine_no13.html">身体を完全に制御しているわけではない</a>のだという。</li>
<li>このロボットはほとんど身体だけの存在であって、神経系に相当するものがないのだと。
身体という制約構造の存在は大きくて、かたちが人間に相似になってくると、脳や知能の問題以前に、
「人間らしさ」というものは、自然に獲得されてしまうのだという</li>
</ul>
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		<title>若い人はご飯が遅い</title>
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		<pubDate>Tue, 16 Dec 2008 08:02:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[臨床研修]]></category>

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		<description><![CDATA[外来もようやく一段落して、14時だとかその後半だとか、ずいぶん遅い時間になって、
アルバイトに来てくれている若い先生がたは、やっとお昼ご飯を食べに、医局に戻ってくる。

ベテラン勢、それでも自分が一番年下なんだけれど、こ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>外来もようやく一段落して、14時だとかその後半だとか、ずいぶん遅い時間になって、
アルバイトに来てくれている若い先生がたは、やっとお昼ご飯を食べに、医局に戻ってくる。</p>

<p>ベテラン勢、それでも自分が一番年下なんだけれど、この仕事をずいぶん長くやっている人達は、
たいていもっと忙しいのに、同じ時間帯にはほとんどの人が、もうご飯を食べ終わってる。</p>

<h2>忙しいときにはまず飯を食え</h2>

<p>研修医期間を過ごした病院には、そもそも昼休みという考えかたはなかった。</p>

<p>朝病院に来て、病棟で仕事して、後はもう1 日中バタバタとかけずり回って、
自分の手は今より圧倒的に効率悪くて、仕事の量も多かったけれど、
食事だけは、それでも3食、きちんと食べてた。</p>

<p>研修医になって最初の頃、先輩から「忙しくて何から手を付ければいいのか分らなくなったら、<strong>まず飯を食え</strong>」なんて習った。</p>

<p>「これから心肺蘇生の患者さんが入ります」なんて一報が入ったら、そのあとしばらくは、
もう他の仕事は一切出来なくなる。だからみんな、放送聞いたら真っ先に食堂に駆け込んだ。</p>

<p>病院には、「昼休み」とか、ましてや「ご飯の時間」なんてものは一切無くて、
病院は、「食事をする間もないほど忙しい」状態が常に続いていたけれど、
それでもみんな、ないはずの食事時間をどこかから調達して、3食きっちり食べていた。</p>

<h2>機動歩兵が習うこと</h2>

<p>小説「宇宙の戦士」の訓練風景にも、しばしばそんな描写が出てくる。</p>

<p>兵士は早朝にいきなり招集をかけられて、部隊長が、「今から行軍訓練を行う」なんて宣言する。</p>

<p>どこに行くだとか、どれぐらいの期間行軍するとか、情報は一切無いし、集まった訓練兵には、
食事や水といった物品は渡されない。</p>

<p>新兵は、何も分からないままに行軍を続けて、どこまで行ったら休むとか、何を達成したら食事が取れるとか、
もちろんそんなことは教えてもらえない。</p>

<p>行軍中、主人公が仲のいい上官に、「食事はいつ取れるのですか?」なんて尋ねると、
上官はニヤリとして、「俺は食堂からクッキーをくすねてきている。お前も食うか? 」なんて問い返される。</p>

<p>このとき主人公もまた、招集前に食堂に忍び込んで、ちゃんと自分の食べ物を盗んできている。</p>

<p>こんな訓練が行われた頃は、新兵も「軍隊のやりかた」を心得ていて、主人公以下、
行軍に参加した全ての兵士は、みんな思い思いの食料を「装備」して、
休憩だとか、食事の配給だとか、一切行われないまま、訓練はたしか、60時間ぐらい続けられてた。</p>

<h2>不備なシステムと個人の技量</h2>

<p>人間に食事が必要なのは当たり前なのに、それを最初から用意しない、
昔の研修病院だとか、SF だけれど軍隊だとか、こういう組織に共通するやりかたというのは、
不備なシステムに対峙したときでも、それを個人の技量で補えるようになるための、
やはり「訓練」の一環なのだろうなと思う。</p>

<p>病院組織が、昼休みとか、食事時間を最初から設定しておけば、
CPRコールがかかってから食堂に飛び込むだとか、「非常食」を自分の机に常備しておくだとか、
こんな生活の知恵みたいなノウハウは、必要なくなる。実際問題、今の研修制度はそのあたりが
整備されて、昔みたいな小細工をしなくても、みんなご飯を食べられる。</p>

<p>整った研修環境で育った今の人達は、その代わり、外来がちょっと忙しくなったりすると、
そこから食事時間をひねり出したりすることが難しいみたいで、悪い意味でまじめすぎて、
ときどき心配になる。</p>

<p>システムの不備はシステムを描いた人間の責任だけれど、
完璧なシステムは、たいていの場合構築不可能で、不備というものはだから、
その時になって初めて現れることが珍しくない。</p>

<p>人も時間も足りない現段階で、すでに医療のシステムは破綻していて、
それはもちろん、これから現場に出てくる若い人達には何の責任もないはずだけれど、
若い人達が現場の不備に対峙して、状況はしばしば、「出来ません」を許してくれない。</p>

<p>こういうのはどうしたって「昔はよかった」なんて昔語りになってしまうんだけれど、
「何とかする技術」というものを伝えられなくなった今の研修制度は、やっぱりどこか怖いなと思う。</p>
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