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	<title>レジデント初期研修用資料 &#187; 広告のおしゃべり</title>
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	<description>日常のメモ</description>
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		<title>「普通の人」に向けたサービスのこと</title>
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		<pubDate>Sun, 08 Nov 2009 02:39:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
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		<description><![CDATA[恐らくは「便利であること」それ自体には、お客さんは魅力を感じないのではないかと思う。

「便利さ」に価値を見出すのは、新しいものに飛びつくのが好きな、ごく一部の人であって、
お客さんの多くは、便利であることよりも、「自分 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>恐らくは「便利であること」それ自体には、お客さんは魅力を感じないのではないかと思う。</p>

<p>「便利さ」に価値を見出すのは、新しいものに飛びつくのが好きな、ごく一部の人であって、
お客さんの多くは、便利であることよりも、「自分が真ん中にいる」感覚を共有することを好む気がする。</p>

<h2>2つの入り口を持つ料理屋さん</h2>

<p>うちの近所にあるショッピングモールに「ドリア専門店」と「石焼き鍋専門店」とが入っていて、2つのお店は、中で厨房を共有している。</p>

<p>お店はモールの角地にあって、図面上はたぶん、「角地にある大きな店舗」なんだけれど、中を仕切ってあって、「三角形に分かれた2つのお店」に改造してある。お客さんは、ドリアを食べたければドリアの門に、石焼きビビンバを食べたければ石焼きの門にそれぞれ入って、お互いの行き来はできないようになっているんだけれど、バックグラウンドでは、同じ厨房で、いろんな料理が作られている。</p>

<p>そこは要するに、「暖めれば出せるもの」をたくさん冷蔵で用意しておいて、学生アルバイトを雇って、火にかけた品物をお客さんに供給しているだけなんだけれど、保存が利くからなのか、メニューの数はけっこう多い。それぞれのお店で、「ドリア」と「鍋」と、だいたい20種類ぐらいずつ。</p>

<p>お店はだから、その気になったら「40種類の料理を出す大きな店」にすることもできたんだろうけれど、そのお店は、あえて仕切りを入れたのだと思う。</p>

<h2>普通の人の普通の楽しみかた</h2>

<p>恐らくは「普通のお客さん」は、典型的な楽しみかたをしたい。</p>

<p>たとえば異国のお祭りに迷い込んだところで、「普通の人」はたぶん、それを楽しめない。異国なんだから、何を見たって珍しいのだし、自分が面白いと思ったものを楽しめればそれで十分なんだけれど、普通の人にとってはたぶん、「自分が楽しい」ことよりも、「みんなと同じ楽しみかたができた」と納得することのほうが、もっと大切。</p>

<p>40種類のメニューを持った大きなお店は便利だけれど、そのお店を、普通の人が、じゃあどういう楽しみかたをしたらそれが「典型」なのか、大きなお店は分かりにくくて、たぶんお客さんは、「普通に楽しんだ」満足感を味わえない。</p>

<p>賑やかでなんだか楽しそうなんだけれど、どこから楽しめばいいのか分からない、こういうのはたぶん、「楽しみたいように楽しめる」ような、「強い」人には居心地いいんだろうけれど、「普通の人」は、たぶんマニュアルを渡されて、それをなぞって「はい楽しんだよね」って言われないと、楽しいとは思えない。</p>

<p>「顧客から見た風景をシンプルにして、分かりやすい楽しみかたを提供する」ことが大切なのだと思う。「何でもあり」を楽しめる少数に向けたサービスは、どこかでしぼんでしまうような気がする。</p>

<h2>ニコニコ動画が複雑になった</h2>

<p>ちょっと前のニコ動は、好きな単語を検索して、再生数の多い動画を楽しんで、タグをたどって面白そうな動画を探して、大体みんな、そんな風に楽しんでいたみたいだったから、安心だった。</p>

<p>今はなんだか、「いわゆるニコ動」以外にも、生放送とか大百科、コミュニティ、いろんな楽しみかたが提案されて、それぞれ連携して、便利になって、多様になって、結果として、「自分はたぶん真ん中を楽しんでいる」なんて、そんな安心感が遠くなった。今までどおりに遊んでいるのに、なんだか不安な気分。</p>

<p>これが文化祭とか、あるいは実世界でのイベントなら、たとえば「順路を回る」とか、「好きな歌手のコンサートを聴く」とか、主催者側はたいてい、「典型的な楽しみかた」というのを提示する。お祭りを楽しみたい人は「祭の正門」をくぐるってパンフレットを受け取るだろうし、コンサート目当ての人は、たいていは看板が立っていて、中庭のステージ前で待機していれば、そこでコンサートを楽しめる。</p>

<p>「普通の人」はたぶん、自分がそこを楽しむよりも、むしろ「みんなと同じ」を志向して、びくびくしながら「群れの真ん中」を探す。「いつも真ん中」感を提供しようと思ったなら、だから「たくさんの選択肢」を提供するよりも、むしろ「たくさんの門」を提供して、「つながり」は、バックグラウンドで提供したほうがいいような気がする。</p>

<p>今みたいな「何でもあり」の賑やかな入り口ページは、やっぱり難しい。</p>

<p>たとえば「いわゆるニコ動」を楽しみたい人なら、Google みたいな検索窓と、カテゴリーごとのタグで十分だし、「ニコニコ生放送」を楽しみたい人に向けたページなら、やっぱりそれはテレビの延長なんだから、入り口ページを開いたそのとたん、「世界の生放送」が勝手に始まるぐらいでちょうどいいんだと思う。コミュニケーションのページなら、そこはmixi そっくりのページレイアウトでいいわけで、たとえそこでやりとりされるのが動画サイトの話題とはいえ、コミュニケーションを提供するページからは、あえて動画を隠すぐらいでいいんだと思う。</p>

<p>ページを開いて、開いたそのとたん、「どうすれば典型的に楽しめるのか」が視覚的に提供されて、はじめてたぶん、普通の人は「楽しみかた」を理解できて、理解を提供できないサービスは、それがどれだけすばらしいものを提供していても、やっぱりどこかで天井に突き当たる気がする。</p>

<p>あくまでも「自分が典型的な普通の人」であることが前提での印象なんだけれど。</p>
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		<title>完璧と無難</title>
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		<pubDate>Sun, 04 Oct 2009 02:26:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
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		<description><![CDATA[ある状況を支配している「完璧」なトップランナーに対抗するときには、
価格競争とか、品質競争とか、そういう努力を始める前に、相手の「完璧」を、
「無難」へと変換する何かを作らなければいけないのだと思う。

チーズケーキを売 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ある状況を支配している「完璧」なトップランナーに対抗するときには、
価格競争とか、品質競争とか、そういう努力を始める前に、相手の「完璧」を、
「無難」へと変換する何かを作らなければいけないのだと思う。</p>

<h2>チーズケーキを売る店</h2>

<p>15ヶ月ぶりに休みが取れて、那須高原に遊びに行ってきた。</p>

<p>旅行には「お土産」がつきものなんだけれど、恐らくは「那須高原のお土産」という
業界をリードしているのは、「那須高原 チーズガーデン」というお店で、
ここで売られている「御用邸チーズケーキ」という商品が、ずいぶんたくさん売れていた。</p>

<p>ここのケーキには「御用邸」という、ちょっとした権威がくっついていて、商品はそれでも1000円ぐらい。
室温保存で日持ちがして、おまけに固めに焼かれているからなのか、少々乱暴に扱ったぐらいでは壊れない。</p>

<p>お土産物として、このケーキはすごく良くできていて、そのお店には実際、
ツアーのバスが何台もやってきては、お店の中には様々な商品が山と積まれて、
チーズケーキと一緒によく売れていた。</p>

<h2>「安さ」では「良さ」に対抗できない</h2>

<p>チーズガーデンの近くには、他にもたくさんのお菓子屋さんとか、土産物屋さんがあって、
そこでもいろんなお菓子が売られているんだけれど、どれも今ひとつぱっとしないというか、
トップランナーのお店に比べてしまうと、お客さんの入りは今ひとつだった。</p>

<p>店によっては、「チーズガーデン」よりも大きな敷地を持っていて、販売されているお菓子の種類も充実していた。
価格にしても、たぶん品質にしても、「チーズガーデン」とそんなに大差はないはずなのに、
たぶんそうした商品は、そのお店を運営している人が期待したほどには、頑張りに見合った分の
成果を上げていないように見えた。</p>

<p>「那須のお土産」という一つの業界があったとして、
業界を牽引するリーダーが「チーズガーデン」なら、たぶん2番手以降のお店は、
同じ方向で「より良い」だとか「より安い」を目指してはいけないのだと思った。</p>

<p>2番手がどう頑張っても、方向が同じなら、それは「劣化コピー」になってしまう。「お土産」という、
伝統とか、名声が圧倒的な差として効いてくる業界においては、わずかな差違は、
越えられない壁となって、2番手の努力を無にしてしまう。</p>

<h2>「完璧」が犠牲にしているもの</h2>

<p>チーズガーデンのチーズケーキは、伝統も、権威も、価格も、
可搬性も持ち合わせていて、お土産としての性能は、たぶん完璧に近い気がする。</p>

<p>「完璧な商品」に、安さや品揃えといった努力要素で対抗しようと思ったならば、
まずは「完璧な商品」が完璧であるがゆえに犠牲にしている何かを探して、
そこをひっくり返さない限り、その努力に意味が生まれない。</p>

<p>チーズガーデンのチーズケーキについては、これは完璧な商品で、すごい人気であるがゆえに、
在庫を欠かすことができない。材料が安定していないと、商品を大量に供給することができないから、
那須高原だけでは材料を安定調達するのは難しいみたいで、そこで扱っている他の商品になると、
「フランスのチーズ」だとか「イタリアのワイン」だとか、那須高原とはあんまり関係のない商品が並ぶ。</p>

<p>完璧な定番商品は、たぶん定番であり続けるために、安全係数が高く取ってある。商品の瑕疵は
許されないから、恐らくは保存料みたいなものを欠かすことはできないだろうし、商品としての安全性を
高めるための工夫は、必ずしもたぶん、お菓子としての「性能」を高めることにはつながらない。</p>

<h2>「完璧」は「ピーク性能」という価値の前に「無難」になる</h2>

<p>2番手のお店は、「材料はオール那須、保存料無添加、その代わり作れるかどうか分からない」ぐらいの、
「不安定なチーズケーキ」を売り出して、それをぶつける、というやりかたがいいと思う。</p>

<p>その商品は、朝の10時に予約が必要で、店はそれから材料の調達に走って、夕方4時頃、
1000個の注文に600個しか応えられないとか、最悪「牛の調子が悪くて、
今日は作れませんでした」なんて看板ぶら下げて、買いに来たら店主が土下座してたとか、
それぐらいに不安定な製品。</p>

<p>「買えるかどうか分からない不安定な製品」を用意できれば、運がよければたぶん、
「那須に来たらあの店で予約」という、人の流れが生まれる。</p>

<p>不安定だから、お客さんの数は少ないだろうし、あるいはチーズガーデンの商品のほうが、
価格でも、品質でも圧倒的に優れているのだろうけれど、「不安定」を買いそびれたお客さんにとっては、
完璧であったはずのチーズガーデンの製品は、もはや「無難」であり、「次善」に思えてしまう。</p>

<p>「完璧」を「無難」に書き換えることで、そこで初めて、価格競争だとか、
品質競争みたいな、努力要素に意味が生まれて、2番手以降のお店は、競争の入り口に立てるのだと思う。</p>

<h2>それでもトップは努力している</h2>

<p>で、「チーズガーデン」にはすでに、こういう商品があったりする。</p>

<p>「オール那須」でこそないみたいだけれど、冷凍前提、解凍すると3日しか持たない高級品を売っていて、
これは崩れるし、保存が利かないし、常温にすると溶けてしまうから、距離があると持ち帰れない。</p>

<p>リーダーがリーダーであり続けようとしたら、リーダーは常に自分の弱点を自ら攻めて、
業界全体に、自ら新しい価値を提案し続けないといけないけれど、「那須のお土産」業界は、
リーダーが正しくリーダーの役割を演じていているのに、セカンドグループ以降は、
まだ「競争」を行ってすらいないように見える。</p>

<p>このへんにマーケティングの人たちが入り込むと、きっとまだまだ盛り上がるだろうし、
競争しているように見えて、実は競争は、始まってもいない業界というのは、
案外多いんじゃないかと思う。</p>
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		<title>見栄と嫉妬の行動学</title>
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		<pubDate>Sat, 08 Aug 2009 07:39:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
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		<description><![CDATA[経済学は、人の振る舞いを、「利得」と「リスク」とのバランスで説明しようとする。

「利得」とか「リスク」に対する感覚というのは、どちらかというと個人的なものであって、
ネットワークを作った人、「社会」の振る舞いは、しばし [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>経済学は、人の振る舞いを、「利得」と「リスク」とのバランスで説明しようとする。</p>

<p>「利得」とか「リスク」に対する感覚というのは、どちらかというと個人的なものであって、
ネットワークを作った人、「社会」の振る舞いは、しばしば「利得」と「リスク」では説明がつかない。</p>

<p>恐らくは「見栄」と「嫉妬」という判断軸を導入することで、ネットワーク化した人の群れに見られる、
「経済的に不合理な行動」というものが、説明できるような気がする。</p>

<p>個人に不利で、社会にとっては有益な振る舞い、しばしば「利他的」と表現されるこうした行動は、
「見栄」によって駆動されるものだろうし、社会にとって最悪な、しかも本人にとっても、
それが必ずしも個人の得にならない行動というのは、たぶん「嫉妬」によって駆動される。</p>

<h2>「嫉妬する上司」問題</h2>

<p>たぶん「部下に嫉妬する上司」というのがいる。こういう人たちはしばしば、自らの土台もろとも、
組織を潰してしまうような決断を下してしまう。</p>

<p>能力主義の組織においては、そこにいる人は、能力の限界まで出世することになる。
平社員の時には有能であった人物も、出世することによって、どこかで「無能な上司」となって、そこで出世が止まる。</p>

<p>「上に行けなくなった上司」というのは、その地位において無能になった人物だから、
その場所でたいした仕事ができるわけでもなく、かといって下には戻れない。
悪いことに、自分が有能であったその場所には、もっと優れた若手が座っていたりする。</p>

<p>こういう状況に陥った上司は、たぶん部下に嫉妬する。嫉妬という感情を認めてしまうと、
上司は自らが無能であること、後続の若手に「負けた」ことを認めてしまうことになる。
無能が嫌なら努力すればいいんだけれど、「努力」は同時に、「嫉妬」という感情の存在を
裏付けてしまうから、ジレンマに陥った上司は、だから「一発逆転」を狙う。</p>

<p>現場を回している部下が聞いたら鼻で笑うような、どうしようもない提案をするコンサルタントが、
たとえばカタカナ成分の多い、海外で評判とか、裏を返せば国内での評判は最悪の、
そんな提案を現場に持ち込む。</p>

<p>現場はもちろん猛反対して、上司もまた、その提案が荒唐無稽であることぐらいよく分かっているのだけれど、
現場の反対は、むしろ上司の背中を押して、コンサルタントの提案は、上司の支持を得て、現場に導入されてしまう。</p>

<h2>嫉妬の脆弱性</h2>

<p>競争に「負けた」人間には、もはや「信じる」ことでしか、状況を変えられない。</p>

<p>それがどれだけ荒唐無稽な提案であっても、有能な部下が「信じない」ものを「信じる」ことで、極めて低い確率ながら、
上司は努力を行うことなく、自らの嫉妬を認めることなく、嫉妬の対象たる部下を「逆転」できるかもしれないから。</p>

<p>特定の何かを見てるわけじゃないけれど、何となく、こういう傾向はいろんな場所にあって、
「会社」だけでなく「家族」だとか「クラス」だとか、たぶんいろんな組織が、「嫉妬する上司」という脆弱性を抱えているのだと思う。</p>

<p>なにかゴミみたいなプロダクトを、そんなものを必要としないような、安定した組織に売りつけようと思ったならば、
まずは「嫉妬する上司」にあたる立場の人を見つけ出して、その人に「逆転」の可能性を説くと、
きっと上手くいく。</p>

<h2>認めると楽になる</h2>

<p>「見栄」や「嫉妬」は可視化されないし、たいていは、それを抱いた本人も、
それを「ない」と否定する。</p>

<p>それを「ある」と認めたなら、たぶんその人は合理的に、肩の力を抜いて振る舞えるんだろうけれど、
それを認めたくないという思いが、嫉妬をして、見栄をして、極めて不合理な行動に、その人を駆り立てる。</p>

<p>恐らくはそうした感情を「ある」と表明してしまうことが、世の中を楽にやっていく秘訣みたいなものに
つながるんだけれど、何かを「うらやましい」だなんて、嫉妬を表明できる人というのは、
あるいは相手にどこかで「勝って」いるからこそ、それが表明できるのかもしれない。</p>

<p>「妬んでも1人」、「嫉妬しても1人」という状況下で、どれだけ「嫉妬の表明」を行ったところで、
それはなんの解決にもならないから、「妬みの積極的表明」という行為は社会から全然自由になれていないし、
行為それ自体には、なんら治癒的効果はなくて、大事なのは行為でなくて、
そういう立場にいることのほうなのかもしれない。</p>

<h2>嫉妬の行動学みたいなもの</h2>

<p>「見栄」と「嫉妬」を上手につつくやりかたというのは、たぶん広告の人たちが詳しいんだろうけれど、
「嫉妬」という切り口で人の振る舞い、とくに社会化された人の振る舞いを見直すと、いろいろ
面白いような気がする。</p>

<p>某SNSで教えていただいた、「天皇制はトップに対する嫉妬を避けるための知恵だった」なんて
考えかただとか、「非上場のオーナー企業が案外強い」理由なんかもまた、
嫉妬が隠蔽されるような状況において、嫉妬を上手にコントロールする仕組みが要請された
結果として、特定の組織構造が生まれて、しばしば経済不合理に見えるそうした組織が、
歴史の重みによく耐えて安定していることを、上手に説明できるのかもしれない。</p>
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		<title>足すこと引くこと</title>
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		<pubDate>Fri, 12 Jun 2009 06:12:02 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[「その道具を定義する動作」というものがあって、そこに何か新しい動作を「足す」ことは難しいし、
そこから何かを「引く」、あるいは「隠す」と、今度はその道具が持つ意味が書き換えられてしまう。

足すのは難しい

大学に入って [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「その道具を定義する動作」というものがあって、そこに何か新しい動作を「足す」ことは難しいし、
そこから何かを「引く」、あるいは「隠す」と、今度はその道具が持つ意味が書き換えられてしまう。</p>

<h2>足すのは難しい</h2>

<p>大学に入っていた電子オーダリングシステムは、自分のID と、パスワードとを打ち込まないと、
PCが稼働しないようになっていた。これがものすごく面倒で、結果として、誰かがログインしたら、
そのIDをそのまんま使い回したり、ログインしたあと、「次に使う誰かのために」、
ログアウトしないでPCをそのまんま放置したりだとか、ルール違反が当たり前だった。</p>

<p>近所の病院に入っているシステムはもう少し上等で、職員はみんなカードを持っていて、
PC備え付けのカードリーダーにカードを通すと、そのPCにIDが認識される用になっている。
ID を打ち込むのに比べれば進歩したんだけれど、カードをリーダーに通す、その一手間がやっぱり面倒で、
状況はあんまり変わっていないんだという。</p>

<p>恐らくはPC という道具を定義する動作の中に、「ログイン」が組み込まれている人はUNIX 技術者ぐらいで、
大多数の素人は、PC をみて、そんな動作が想像できない。道具が定義する動作の中に、ログインが組み込まれていないから、
その一手間が面倒に感じて、守られない。</p>

<h2>既存の動作をハックする</h2>

<p>個人用途でPC を使うときには、PC の前に置かれた椅子に腰掛ければ、ユーザーはその瞬間から仕事ができる。
これが当たり前になってしまっている以上、ログインの操作をどれだけ洗練させたところで、
ルールを守ってもらうのは難しいのだろうと思う。</p>

<p>恐らくは「椅子に座る」「椅子から立つ」という、PC を取り巻く動作の中に、ログインとログアウトとを
組み込んでしまえたなら、ルールを意識しなくても、ルール違反をする人はいなくなるような気がする。</p>

<p>具体的には、自動車の「スマートキー」みたいなものを職員バッジに組み込んで、PCから50cm 以内に近づいた人を
ログインユーザーと認識して、キーを持った人が近くからいなくなったら、自動的にログアウトするようなシステムが作れたら、
ログイン/ログアウトに関する問題は、きっと相当程度解決する。</p>

<p>PC ソフトだとか、あるいはインターネットを通じてお金を稼ぐ、ユーザーからお金を払ってもらうために、
いろんな会社が試行錯誤しているけれど、「これ」という解決策は、まだ見つかっていないような気がする。
これなんかもたぶん、PC という道具が定義する動作のなかに、「支払い」というコンポーネントが
存在しないからなんだろうと思う。</p>

<p>Apple が作ったiPhone は電話だし、Amazon の電子ブックリーダーは、全く新しい道具だけれど、
おそらくああいった新しい道具は、IT 企業の一種の敗北宣言みたいなもので、
その成り立ちの中に「支払い」という動作をあらかじめ組み込んでいないPC というデバイスに、
今から支払い機能を組み込むことは、Apple やAmazon でさえ、やっぱり難しかったんだろう。</p>

<h2>引くと文化が変わる</h2>

<p>補助金制度だとか、何かの理由で医療費が無償になると、人によっては、薬に対する態度みたいなものが大きく変わる。
もちろん全然変わらない人もいるんだけれど、変わる人は、外来3回ぐらいでがらっと変わる</p>

<p>無償になった人は、高価な薬を好むようになる。ジェネリック品というのは、たとえば薬のフォントがゴシック体であったり、
薬のパッケージが、色つきのアルミから無地になったり、どことなく値段が安く見えるんだけれど、そういう些細なことが、
無償ユーザーになった人には、我慢できなくなるらしい。</p>

<p>外来をやっていて、やっぱり不景気だから、普通にお金払って病院に来る人は、けっこう多くの人が、
「ジェネリック品にして下さい」なんて頼む。それなりに、この言葉は普及してるんだと思う。
無償ユーザーの人は逆行して、「このあいだ変えてもらった薬、なんか安っぽくて効かない気がするから、
前のに戻して下さい」とか頼まれる。</p>

<p>正規品を作っているメーカーは、安価なジェネリック品に対して「品質」で対抗しようとしているけれど、
それをきちんと理解して、それを感覚できるのは、むしろ支払いから自由になっている人のほうが多い気がする。
あれなんかを見てると、「お金を持っている人に品質を訴える」という、一見当たり前の広告戦略は、
どこか間違っているような気がする。</p>

<h2>動作を見直して書き換える</h2>

<p>たとえば「支払い」という機能を持たないPC という道具からお金を取るためには、電話線を供給している会社と、
銀行とが手を組むのが一番いいのだと思う。ブロードバンド時代、回線は月極で使いたい放題なのが当たり前で、
たぶんほとんどの家が銀行引き落としになっているのだろうけれど、銀行と、回線会社とが相互乗り入れして、
ネット世界での支払いを、全部自動で、支払いという行為と、マウスクリックとを直結するようにしたら、
ネット世界に流れ込むお金の総量は、ずいぶん増えると思う。</p>

<p>ソニーが今度出す、ダウンロード専用になったポータブルゲーム機というものがどうなるのか、
ゲームはしないんだけれど、あれは「ゲーム機」を取り巻く動作を大幅に書き換える試み。
ゲーム機には「ゲーム屋さんで買う」という、「小売り」と「支払い」という、それぞれ動作と機能とが
組み込まれていたのだけれど、ソニーの新しいゲーム機は、それをなくしてしまおうとしている。</p>

<p>それがiPhone なら、あれはあくまでも「電話機」だから、機械それ自体に支払い機能が組み込まれている
（追記:iPhone の支払いは、あくまでもiTune 経由なのだそうです）けれど、
道具本来の機能を捨てて、そこに新しい支払い機能を組み込んで、ソニーという大メーカーなら、
道具が定義する本来の動作を書き換えることが可能なのかどうか、経過を追っかけると面白いと思う。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>サービスの考えかた</title>
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		<pubDate>Sat, 20 Dec 2008 04:15:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[広告のおしゃべり]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/?p=157</guid>
		<description><![CDATA[認知症の厳しい99歳のお年寄りが今入院していて、看護師さんがそのまんま、
「認知症が厳しくて大変です」なんてご家族にお話ししたら怒られて、
病棟で、「あの家族は厳しいから気をつけて」なんて申し送りしてた。

何かが間違っ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>認知症の厳しい99歳のお年寄りが今入院していて、看護師さんがそのまんま、
「認知症が厳しくて大変です」なんてご家族にお話ししたら怒られて、
病棟で、「あの家族は厳しいから気をつけて」なんて申し送りしてた。</p>

<p>何かが間違ってると思った。</p>

<h2>接遇向上のこと</h2>

<p>看護師さん達は、「接遇向上」と称して、この数年、丁寧なしゃべりかただとか、
相手の目を見て、受容的な態度を取るだとか、サービスの向上を目指して、
医師なんかよりもよっぽど熱心に取り組んでる。熱心なんだけれど、どこかずれている。</p>

<p>「サービス」というもの、顧客に「理解」を販売する、医療みたいなサービスにおいては、
サービスの向上とは、すなわち印象から判断を削除して、事実をより分かりやすく、
予断を除いた形で提供することなのだと思う。</p>

<h2>事実と判断とを峻別する</h2>

<p>「その人が認知症であるか否か」をきちんと定義することなんて、そもそもできない。
極論すれば、あらゆる病気の診断は、「医師がそう判断したから」という以上の根拠を持てない。</p>

<p>熱を出した患者さんがいて、肺の中が喀痰と細菌で満たされているのが確認されても、
確実に断言できるのは、「発熱している」こと、せいぜい「肺の中に膿がある」ことぐらいで、
「肺炎である」というのは判断であって、断言できる事実にはなり得ない。</p>

<p>病名というのはだから、状況を判断する人の口から出るべきものだし、
「インフォームドコンセント」だとか、「病気を指揮するのは、サービスの受け手である患者さん自身である」
なんて立場を本気で貫こうと思ったならば、医療従事者の口からは、「病名」を出してはいけない。</p>

<h2>判断はサービスに貢献しない</h2>

<p>医療者が提供する「判断」というものは、恐らくはサービスに貢献しない。</p>

<p>医療従事者は、患者さんの目の前に事実を積む。患者さんはそれを見て、何かの判断を下して、
病衣はそれに従って動く。これが行われてはじめて、健全な主従関係が、
「従僕としての医療者」という、絵に描いた理念が実体化する。</p>

<p>「診断」のような、医療者側の判断を含んだ言葉は、本来はたぶん、
「事実の詰みかた」を工夫する形で、患者さんとの会話から回避されないといけないし、
そうした工夫を考えることが、医療従事者にとっての「サービス向上」なんだろうと思う。</p>

<p>99歳の、くだんの患者さんにしてみれば、一晩に6回以上点滴引き抜くだとか、
便こねした手を口に入れようとするとか、一晩中叫び通しで一睡もしないとか、
それは疑いようもない、看護師さんが観測した事実。</p>

<p>事実を重ねて、患者さんのご家族に「じゃあ、どうする」を考えてもらうのが筋であって、
「この人は<strong>認知症</strong>だから、そういう対応をします」をこちらからやると、
それをどれだけ丁寧な言葉で飾ったところで、やっぱりご家族は不快に感じる。</p>

<p>クソの山にバケツいっぱいの香水を振りかけたところで、それは「いい匂いのするクソ」にしかなれない。</p>

<p>「香水」を工夫しちゃいけないのだと思う。</p>
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		<title>寄付の依頼が来た</title>
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		<pubDate>Wed, 03 Dec 2008 09:19:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
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		<description><![CDATA[なんかいろんな人の不興を買ったみたいなので、この記事は消します。

ミスリードばっかりの記事を配信して、どうも大変申し訳ありませんでした。。。。。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>なんかいろんな人の不興を買ったみたいなので、この記事は消します。</p>

<p>ミスリードばっかりの記事を配信して、どうも大変申し訳ありませんでした。。。。。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>「勝つ予感」はデザインされる</title>
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		<pubDate>Wed, 29 Oct 2008 07:43:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
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		<description><![CDATA[恐らくは「名将」なんて持ち上げられるような人というのは、あとから冷静に振り返ってみると、
案外「ショボい」勝利しか上げていないような気がする。

「名将」はその代わり、大きすぎる問題を切り分けることが上手で、「小さく解決 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>恐らくは「名将」なんて持ち上げられるような人というのは、あとから冷静に振り返ってみると、
案外「ショボい」勝利しか上げていないような気がする。</p>

<p>「名将」はその代わり、大きすぎる問題を切り分けることが上手で、「小さく解決する」やりかたをデザインして、
現場から「勝つ予感」を引き出すことが上手で、もうひとつ、そうして得られた小さな勝利を運用して、
それを大きな戦果に結びつけるのが上手なのだと思う。</p>

<h2>えらい人が指揮する部隊は怖い</h2>

<p>墨東病院が大騒ぎになっている。</p>

<p>人手が絶対的に足りなくて、結果的に患者さんが一人亡くなった。都知事と厚生大臣と、
日本を代表するような大物が二人、病院を舞台に喧嘩を始めた。すごくよくないことだと思う。</p>

<p>どちらが勝つにしても、喧嘩の舞台になった病院は、これから先は、
大物自らが指揮を執ることになる。</p>

<p>「<strong>ふがいない。俺様自ら戦闘というものを教えてやる</strong>」なんて、
現場を知らない大将軍が指揮したぶたいは、たいてい悲惨な結末を迎える。</p>

<p>大将軍はどうせ間違えるし、絶対に退却を許さない。一番えらい人が間違えるなんてありえないから、
代償軍はたぶん、敗北を認めるぐらいなら、現場に玉砕を命じる。屍の山を前にして、
大将軍は「やれるだけのことはやった」なんて独りごちて、自分は安全地帯に引き上げる。</p>

<p>厚生大臣と都知事と、現場を知らないことではいい勝負の、「大将軍」争う場所には、だから誰だって居たくない。
大学だって恐くて人を出せないだろうし、フリーランスの人達だって、寄りつかない。</p>

<p>あの病院にはだから、これから人が増えて盛り上がるとか、ちょっと想像しにくい。</p>

<p>「大将軍」がそこにいる限り、なんというか現場には、「勝つ予感」みたいなものが、全くしてこないから。</p>

<p>なんとなく「インパール作戦」の状況に似ている気がする。</p>

<p>負け戦になるのが見えていて、現場はみんな反対したのに、
「失敗したら腹を切る」だとか、気合いの入った将軍が指揮を執って、
結果として何万人もの日本兵が餓死した戦い。</p>

<p>戦いの途中で糧食はつきて、現場は何度も撤退の伺いを立てたけれど、
将軍はそれを許してくれなかったのだという。</p>

<blockquote>
  <p>墨東病院は都立だ。都立の医師は、食わず、眠らず、人がいなくても患者を取るもんだ。それが都立だ。
  それを泣き事言ってくるとは何事だ。 人がいなくても手を増やせ。手がなくなったら足で働け。
  足がだめなら頭を使え。都立病院には大和魂があるということを忘れちゃいかん。東京は首都である……</p>
</blockquote>

<p>最後はたぶん、こんな訓辞を「将軍」が述べる中、寝不足の現場からは、人がいなくなってしまうんだろう。</p>

<h2>予感はデザインされる</h2>

<p>太平洋戦争直前、黒部渓谷第3 ダムのトンネル掘りに携わっていた現場の人達は、
摂氏150度にも熱せられた岩盤にぶつかって、非常な苦労をしたんだという。</p>

<p>これぐらいの温度だと、運が悪いと「発破」は自然爆発してしまって、
何百人もの職人が犠牲になって、現場の工事は動かなくなった。</p>

<p>技術者の人があれこれ工夫しても、現場は納得しなかったけれど、工事長がダイナマイト3 本を竹で束ねて、
束ねたダイナマイトごと製氷機で凍らす、「アイスキャンデー作戦」を提案して、
自らその「アイスキャンデー」で岩盤を爆破して見せたら、現場の職人も納得して、工事は再開したんだという。</p>

<p>武器というものは、持ったときに「当たる予感」がするようにデザインされていないと当たらない。</p>

<p>設計者がどれだけの性能を主張しようと、そのデザインが兵士に「当たる予感」をもたらさないのなら、
武器を手にした兵士が、「当てる自分」をその武器から想起できないのなら、その武器はやっぱり当たらない。</p>

<p>交渉の名人は、たぶん無理しない。</p>

<p>価格交渉ならそんなに値切らないし、身代金交渉なら、たぶん親族が払える最大値で妥協する。
彼らがつかむ勝利は常に「小さい」けれど、交渉の名人はその代わり、交渉で得られたごくわずかな勝利を、
最大の戦果として喧伝する。</p>

<p>名人は、あとから冷静に振り返ると、意外にショボい交渉しかしない。そのことは名人自身も理解していて、
だからこそ名人の交渉は常に成功するから、名人が現場に来ると、そこにいる人達は、勝利を予感して、
名人はまた、小さな勝利を一つ重ねる。</p>

<p>ニュースでは、病院間を結びつけるネットワークシステムの不備に問題意識を感じているとか、
偉い人達がコメントしていた。恐らくはこれから、けっこうなお金が投入されて、
「ネットワークシステム」が完備されて、「これで理論上、現場はもっと効率よく回る」なんて
流れになる。</p>

<p>改良された病院間ネットワークは、あるいは本当に、問題を解決するだけの性能を
持っているのかもしれないけれど、やっぱりそれは動かないと思う。</p>

<p>「ネットワーク」というアイデアを聞いても、なんというか、そこからは全然、「それを使って勝つ自分」
が想像できないから。</p>

<p>「勝利をデザインするセンス」みたいなものが大切なのだと思う。</p>

<p>士気というもは、設計上の性能だとか、投じられたお金や政治的努力の量ではなくて、
むしろ視覚的な、感覚的な、「デザイン」に相当するものが分かりやすく示されて、初めて発生する。</p>

<p>「士気を出せ」だとか、「現場がだらしない」なんて怒鳴る指揮官は、それは「勝利のデザイン」に
失敗していて、それを意識できない人というのは、たぶんどれだけの資材を現場に投じても、
現場を動かすことができないのだと思う。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>形が機能を支配する</title>
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		<pubDate>Sat, 30 Aug 2008 05:59:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
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		<description><![CDATA[形が機能を支配する

待合室に座っている患者さん達が、携帯ゲーム機で遊んでた。

大人も子供も、イヤホンつけて、膝の上にゲーム機抱えて、みんな同じ格好をしてた。

そこで行われているのはゲームだけれど、ある意味その姿は、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>形が機能を支配する</p>

<p>待合室に座っている患者さん達が、携帯ゲーム機で遊んでた。</p>

<p>大人も子供も、イヤホンつけて、膝の上にゲーム機抱えて、みんな同じ格好をしてた。</p>

<p>そこで行われているのはゲームだけれど、ある意味その姿は、未来の風景の先取りなんだと思った。</p>

<h2>形から入るやりかた</h2>

<p>何か新しい物を広めようと考えたときに、「形から入る」やりかたのほうが、正解に近いのだと思う。</p>

<p>機能は十分だけれど不格好な製品をまず出して、それを改良するやりかたと、
機能はまだ不完全もいいところだけれど、形だけは、デザイナーが描いた「未来」になっている製品をまず作り上げて、
機能はあとから作り込んでいくやりかたとがある。</p>

<p>技術者のコミュニティに受け入れられて、新製品に最初に飛びつく人達が未来を感じるのは、
たぶん十分な機能が実装された不格好な製品なんだろうけれど、最終的に広まって、
未来の日常の中で、風景として認知されるのは、たぶん形から入った製品になるような気がする。</p>

<p>携帯電話のご先祖は、自動車電話だった。</p>

<p>高価だった自動車電話は、そのうち改良されて小さくなって、今では誰もが携帯電話を持ち歩く。</p>

<p>技術的には、携帯電話は車載電話の延長線上にある製品だけれど、文化的には、
携帯電話と車載電話とは、どこかで断絶があるような気がしている。</p>

<p>車載電話は、固定電話に移動という機能を付加した。車載電話は、持ち運べる家である「自動車」
に備え付けられた固定電話だから、技術的にも文化的にも、固定電話と車載電話は間違いなく
地続きのものだけれど、携帯電話の文化的なルーツとなったのは電話機ではなくて、
むしろ子供の頃に遊んだおもちゃのトランシーバーだとか、特撮ヒーローが使っていた無線機だとか、
そんな「風景」なのだと思う。自宅の電話機も、電話ボックスも、自動車電話も、
電話という風景は、本来「部屋」とは不可分なものだから。</p>

<h2>組み込まれた動作セット</h2>

<p>このあたり完全に妄想だけれど、自動車電話が小型化されて、携帯電話が一気に広まった理由というのは、
恐らくは料金プランだとか、生活スタイルの変化だとか、そんな分かりやすい理由とは別に、
「街で無線を使って会話する」動作セットが、たぶん70年代生まれ以後の人達には、
様々な物語、ウルトラマンだとか、宇宙戦艦ヤマトみたいなものを通じて、
最初から組み込まれていたからなのだと思う。</p>

<p>病院の待合室では、待っている間、子供は誰でも携帯ゲームで遊ぶ。
あれはたしかに、まだ単なるゲームでしかないけれど、「液晶画面がくっついた道具を片手に持ち歩いて、
それで何かする」、そんな動作セットは、彼らが大人になっても、変わらずにそのまま残る。</p>

<p>iPhone みたいな携帯情報端末は、いずれどこかで急速な普及をするだろうけれど、
それもまた、恐らくは技術者の努力だとか、画期的なコストダウンだとか、機能的な理由とは別に、
ある文化が日常の風景として一般的になるタイミングというのがどこかにある。携帯ゲームは、
たぶんそんな新しい風景を受け入れるための動作セットを作り出している。</p>

<p>iPhone を今利用している人達は、あのデバイスの「新しさ」が面白いという。</p>

<p>新しさというのは意識に対する違和感で、意識というものは、
生まれてから今までに蓄積されてきた、動作セットの蓄積だから、iPhone はたしかに新しいのだろうけれど、
あのデバイスはまだ新しすぎて、日常の風景として、あれを受け入れた人は少ないのだと思う。</p>

<p>何か日常で使うものを広めるときには、それを使う人に、驚きを与えてはいけない。新しさとか、
驚きという価値軸は、遊びとか、ゲームをするための道具にあるべきもので、日常で使うものに
新しさを付加する考えかたは、どこか違う。「新しい」道具は、機能が好きな人には受けるかもしれないけれど、
形から入る人、「キャズム」を越えた先にいる、本来その道具を大量に使うであろう多くの人には、
その新しさが足かせになるような気がする。</p>

<p>たとえば人型のロボットがいたとして、それが人のように振る舞うのを見ても、違和感を感じる人は、たぶん少ない。
「家事ロボット」みたいなものが将来発売されるとしたら、たとえ機能的に必要なくても、
張りぼてであっても「頭」を作ったほうが、そのロボットの普及はきっと速いはず。</p>

<h2>形が機能を支配する</h2>

<p>ダイナブックの発想、最初に形を決めて、それを使っている人の風景を描いて見せて、
まずはイメージから、風景から、形から入るやりかたというものは大切なんだと思う。</p>

<p>何かを本格的に普及させようと思ったら、だから「それがある風景」をまず浸透させるやりかた、
イメージボードや小説、映画みたいな物語を使って、まず形から入るやりかただとか、
「今ある風景」を見直して、そこにある動作セットを「ハック」して、何気ない日常の動作に、
新しい意味を付加するやりかたというのが、本来正しいのだと思う。</p>

<p><a href="http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0802/04/news009.html">chumby</a>みたいな、
「画面がついた目覚まし時計」というやりかたは、だから未来があるような気がする。
お布団に寝っ転がって、目覚ましの文字盤みながらボタンを押すのは、日常の動作として、
多くの人に組み込まれているものだから。</p>

<p>文字盤が液晶画面に変わって、目覚まし時計を止めるためのボタンを「クリック」するたびに
画面が変わって、将来的にはたとえば、その目覚ましに携帯電話回線が組み込まれて、
ボタンをクリックするたびに、なにか有料のサービスにつながったりする。地味だけれど、
「目覚まし時計のボタンを押す」のはみんなの基本動作だから、「クリック」が積み上がると、
馬鹿に出来ないような気がする。</p>

<p>見やすい画面だとか、コンテンツの工夫を通じて「クリック」してもらうことを考えるのでなくて、
日常生活の動作セットを見直して、「ボタンを押す」風景を、別の機能で乗っ取るような考えかた。</p>

<p>変革というものは、形から始まる。</p>

<p>それがあることで、今より圧倒的にすばらしい生活の風景を物語るやりかた。あるいは、
今ある風景を「ハック」して、同じ動作に、全く違った意味とか機能を忍ばせるやりかた。</p>

<p>歯ブラシとかトイレットペーパー、洗面台の内側、目覚まし時計、冷蔵庫、
今ある風景の「いつもの動作」を見直して、それがいつから日常としてすり込まれたのか、
同じ動作セットを使うことでそこにどんな意味を割り込ませることが出来るのか、
部屋を眺めれば、たぶん何か見えてくる。 </p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>文化は誰のものか</title>
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		<pubDate>Thu, 21 Aug 2008 04:57:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
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		<description><![CDATA[医師がまだ「プロ」として認知されてた大昔、自分たちは病院内で自由に振る舞って、
患者さんは慎み深く、トラブルなんてなかった。

技術だとか、知識だとか、彼我の差は圧倒的で、だから病院は聖域であり得たし、
トラブルが起きた [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>医師がまだ「プロ」として認知されてた大昔、自分たちは病院内で自由に振る舞って、
患者さんは慎み深く、トラブルなんてなかった。</p>

<p>技術だとか、知識だとか、彼我の差は圧倒的で、だから病院は聖域であり得たし、
トラブルが起きたところで、もしかしたらたぶん、患者さんには、それがトラブルであると認識出来なかった。</p>

<p>時代は進んで、いろんなことがやりにくくなった。</p>

<p>患者さんの突っ込みは厳しいし、「自由に振る舞う」なんてとんでもないし、
どんなトラブルも、それが起きたその時点で、そこにいる全ての人が、
「トラブルである」と認知するようになった。</p>

<p>時計の針を逆に回すやりかた。</p>

<h2>知識は追いつかれる</h2>

<p>「知」というのは、それが知であるためには記述可能で、再現可能でないといけない。</p>

<p>知識は広まって、模倣されて、広まるが故に、いつかありきたりになって、追いつかれる。</p>

<p>進歩のスピードは、維持できない。</p>

<p>自分が医師になって10年ちょっと、当時流通していた薬は、今でも全て現役で、
この10年間、「新薬」として発売された多くの薬は、明日からなくなっても、あんまり困らない。</p>

<p>要素技術のほとんどは、自分たちの手を離れてしまった。「画期的な新薬」は、
それを開発するのも、販売するのも、検証するのも、基本的には全部薬屋さんの仕事。
人工呼吸器の設定だとか、追加機能だとか、自分たちが「こうしてほしい」なんて要望上げても、
それを取捨選択して、実装するのはメーカーの人達。</p>

<p>医師自身が試験管振るって新薬作ったり、人工呼吸器試作したのは、もう何十年も昔。
医師はたしかに「えらい」けれど、権威は拡散して、要素技術は他人のものになった。</p>

<p>医師は薬に詳しいけれど、薬学の人とか、生化学の人とか、もちろん医師よりももっと詳しい。
医師は安全を重んじるけれど、工場のラインを設計している人が病院をみると、
あまりのずさんさに卒倒しそうになるらしい。</p>

<p>権威を知識量に求める今までのやりかたでは、もはや現場を守っていけない。</p>

<h2>先駆者の優位は「逸脱」できること</h2>

<p>マーケットを支配していた先駆者は、知識それ自体に頼っているだけでは市場を牽引できない。
先駆者はそのうち追いつかれて、価格競争や品質競争に巻き込まれて、
競合者に打ち倒されてしまう。</p>

<p>技術を伸ばすには限界がある。マーケットを支配することが出来た人は、だから今度は、
自ら築いてきたマーケットそれ自体を攻撃することで、自らルールを逸脱して、
競合者との距離をとる。</p>

<p>例えば自動車の技術は模倣可能で、競合者を生む。地上で初めて自動車を走らせた会社は、
たしかにすごい技術を持っているけれど、商品は、発売されたその時点で解析されて、
新規性を失ってしまう。</p>

<p>デザインやスピードの競争、価格の競争は不毛で、どこかで競合者に追いつかれる。
「我が社には技術があるから」なんて思考停止するのは悪手であって、時には先行メーカーが敗北して、
マーケットを競合者に奪われる。「我が社」の本当の強みというのは、道に車を走らせたことそれ自体なのに</p>

<p>先行メーカーは、自らのマーケットを攻撃することで、こうした不毛な競争を避けることが出来る。</p>

<p>「自動車は資源の無駄遣い」だとか、「自動車こそは環境破壊の元凶」だとか。</p>

<p>こんな広告は、競合者にも、もちろん先駆者自身にも不利に働くけれど、「攻撃」のタイミングも、
その攻撃対象も、先行メーカーは全て自分たちで決められる。攻撃者は、自分自身なのだから。
「攻撃」を行うその前に、先行メーカーは燃費のいい車だとか、環境に優しい材料で作った車だとか、
十分な備えを行うことが出来る。競合者は攻撃を読めないから、優位はいつまでも揺らがない。</p>

<h2>録音するといいと思う</h2>

<p>医師にはもはや、「技術的な優位」なんて残っていない。</p>

<p>あらゆる要素技術がメーカー開発になっている現在、医師が提供しているものは、
要素を集めたパッケージであって、パッケージを作るためには、複雑な知識は必要ない。
免許があるから「競合」は発生しないけれど、権威はもはやそこにない。</p>

<p>「<strong>病院の中に入ったら紳士的に、医師を気遣うよき患者でいましょう</strong>」なんて貼り紙を貼ったところで、
もちろん何も変わらない。</p>

<p>もともと紳士的だった人は、貼り紙読んで「馬鹿にするな」と怒るだろうし、
紳士から遠い人もまた、貼り紙読んで大笑いして、やっぱり何も変わらない。
「自由な医師と、紳士的な患者」なんて、良かった昔を再現しようと思ったならば、
それを目標にするのではなくて、ルールを変えればいい。</p>

<p>ただ一言「<strong>この施設内での会話は全て録音されています</strong>」とアナウンスするだけで、
「よかった昔」は、たぶんすぐに再現できる。安全性向上のためだとか、お互いの正確な意思疎通のためだとか、
「録音」を行う理由はいくらでもある。今の時点でも、病院にはあらゆるベッド、あらゆる外来にマイクがあるから、
設備はすでに整っていたりする。</p>

<p>今も昔も紳士的であった人は、録音の有無で振る舞いを変える必要はないはずだし、
酔っぱらって絡む人とか、理不尽なクレームつけてくる人だとか、「録音してます」なんて
貼り紙読んだら、たぶん不自然な気遣いを始めてみたり、墓穴掘って翌日後悔したり、
いずれにしても、状況は望ましい方向に変化する。</p>

<p>録音は公平。一部の患者さんは、もちろん録音ルールで不利益を受けるけれど、
それは我々だって一緒。病院内の全ての場所で録音が始まれば、もちろん患者さんの悪口だとか、
陰口だとか、それらも全て録音されて、請求があれば公開される。</p>

<p>ルールというのは、公平でシンプルであればあるほど、お互いの能力差が、決定的な差として露呈する。</p>

<p>医師だってだから、録音ルールに耐えられない人は淘汰されてしまうけれど、我々はルールを作る側。
「録音されている環境」は、練習して適応することが出来る。医療従事者は、
録音環境におかれてもなお、自由に振る舞うやりかたを身につけることができるはず。</p>

<p>とりあえず裁判は一段落したけれど、それでもなお、「だから全ての医療行為について免責せよ」は、
やっぱり通らない。むしろ「新しい環境で、お互いを健全に縛りましょうよ」のほうが正しい。</p>

<h2>文化は誰のものか</h2>

<p>医療の業界には、「安全」だとか「丁寧さ」なんかが求められるようになった。</p>

<p>安全性高めるために、航空会社の偉い人が大学に天下ったり、「接客マナーを向上しましょう」なんて、
ホテルの接遇コンサルタントが講習会開いてみたり。</p>

<p>「安全」も、「丁寧」も、本来は医療のものなのに、病院には、医療以外の「専門家」が
大挙して、自分たちの文化を病院に持ち込もうとする。航空業界も、ホテル業界も、
たしかに「安全」「丁寧」のプロかもしれないけれど、背負ってる文化はやっぱり違う。
うち業界だって、そんなもの突っぱねればいいのに、偉い人達は、
どうしてだかそんな異文化を、ありがたく、無批判に受け入れる。</p>

<p>「録音環境」が出来たとして、そんな場所での振る舞いかたには、航空業界とか、ホテル業界の
ノウハウは役に立たない。文化的な接点求めるなら、そんな空間は、むしろネット世間に似ている。</p>

<p>無難なことばっかりしゃべってもアクセス増えないし、いいかげんなこと口走ったり、
事実と判断との切り分けをきちんと出来ないと、そこを突っ込まれて炎上する。</p>

<p>ある程度の面白さ、わかりやすさを維持しつつ、ひどい「炎上」を回避しながら、
なおも病院に立ち続けるやりかた。そんなノウハウを蓄積することは可能だし、
その方向に舵切ることで、この業界の文化はまた、医療従事者の手に戻ってくる。</p>

<p>業界が奉じる価値観、文化のコンセプトそのものを変えることは、
最大手か最古参だけに許された特権。</p>

<p>文化というのは、他の業界が立ち入る場所ではないはず。</p>

<p>病院が、自ら文化を背負う存在であり続けるために、自らに攻撃を仕掛けるやりかた、
医師自身が、今いる場所をより厳しく、より厳密な振るまいが求められるようなルールを作っていかないと、
文化の担い手としての医師の居場所は、病院から無くなってしまう気がする。</p>
]]></content:encoded>
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		<slash:comments>5</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>弔辞の比較</title>
		<link>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/92</link>
		<comments>http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/92#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 07 Aug 2008 05:57:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>medtoolz</dc:creator>
				<category><![CDATA[広告のおしゃべり]]></category>

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		<description><![CDATA[赤塚不二夫 氏の葬儀で、タモリが読んだ弔辞の比較。たぶんそこに集まった記者の人が聞き書きしたものだけれど、
新聞社ごとの立ち位置とか、葬儀に集まった人に対する考えかただとか、いろいろ邪推できて面白い。

比較したのは朝日 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>赤塚不二夫 氏の葬儀で、タモリが読んだ弔辞の比較。たぶんそこに集まった記者の人が聞き書きしたものだけれど、
新聞社ごとの立ち位置とか、葬儀に集まった人に対する考えかただとか、いろいろ邪推できて面白い。</p>

<p>比較したのは朝日新聞と、産経新聞。産経新聞のほうが文字数が多いから、
たぶん産経新聞のほうがオリジナルに近くて、朝日新聞は、それに編集を加えた印象。</p>

<ul>
<li><a href="http://www.asahi.com/culture/update/0807/TKY200808070146.html">asahi.com（朝日新聞社）：タモリさん声震わせ「私も作品」　赤塚不二夫さん葬儀 &#8211; 文化</a></li>
<li><a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080807-00000908-san-soci">赤塚不二夫さん葬儀　タモリさんの弔辞全文（産経新聞） &#8211; Yahoo!ニュース</a></li>
</ul>

<p>朝日新聞のタモリは、亡くなった赤塚に語りかけるというか、どこか客観的な、
何だか卒業式で生徒を送り出すときの「教師」のような口調。</p>

<p>産経のタモリは、
訥々とした話しかたで、葬儀に集まった人達に、師匠としての赤塚を紹介する「弟子」のような、
そんなイメージを持った。</p>

<p>以下比較。</p>

<ul>
<li>産経「我々の世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代」</li>
<li>朝日はこの言葉を省略している</li>
</ul>

<p>冒頭の文章。</p>

<ul>
<li>産経「あなたは突然私の目の前に…」</li>
<li>朝日「あなたは突然目の前に」</li>
</ul>

<p>以後、産経のタモリは、ほとんど段落ごとに「私の」と入れるけれど、朝日は全て削っていた。
産経のタモリは、個人的な体験を語っているように響いて、朝日のタモリは、どこか教科書を書いているかのような印象。</p>

<ul>
<li>産経「私のマンションにいろ、とこう言いました」</li>
<li>朝日「私のマンションにいろ」</li>
</ul>

<p>上京したタモリを、赤塚が自分のマンションを提供して、そのまま引き留めたエピソード。
朝日のほうが臨場感があるというか、どこか脚本っぽい、時制を省いた書きかた。</p>

<ul>
<li>産経「大きな決断を、この人はこの場でしたのです」</li>
<li>朝日の記事では「この人は」が省略されている</li>
</ul>

<p>昔の回想。</p>

<ul>
<li>産経「深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました」</li>
<li>朝日「いろんなネタを作りながら教えを受けました」</li>
</ul>

<p>赤塚への言葉。</p>

<ul>
<li>産経「あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として残っています」</li>
<li>朝日「あなたが言ってくれたことは金言として心の中に残っています」</li>
</ul>

<p>「どんちゃん騒ぎ」と「あなた」は、朝日的には何か汚らしいイメージがあったのかな、とか邪推する。
文章の通りはたしかに朝日のほうがいいんだけれど、やっぱり朝日は、個人的に聞こえるところを省こうとしている気がする。</p>

<p>絶対にツモでしか上がらなかった、赤塚の麻雀作法について。</p>

<ul>
<li>産経「相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて…」</li>
<li>朝日「相手の機嫌を悪くするのを恐れて」</li>
</ul>

<p>麻雀のルールを知らない人にも、赤塚のよさを伝えたい、というタモリの気持ち。産経はそのあたり
全部記述しているけれど、朝日は削除。朝日のほうがきれいだけれど、何だか生前の赤塚不二夫が、
どこか計算高い人物のようにも聞こえる。</p>

<ul>
<li>産経「あなたは私の父のようであり（中略）時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は」</li>
<li>朝日「あなたは父のようであり（中略）時折見せる無邪気な笑顔は」</li>
</ul>

<p>朝日は形容詞を端折る。</p>

<p>このあとに、産経の弔辞には、タコ八郎の葬儀のエピソードが入る。赤塚不二夫の泣き笑い顔を、
タモリが細かく描写した場面。朝日は全てカットした。</p>

<ul>
<li>産経「あなたの考えは、全ての出来事、存在を、あるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです」</li>
<li>朝日「あなたの考えは、全ての出来事を前向きに肯定し受け入れました」</li>
</ul>

<p>産経のタモリは、師匠としての赤塚を描写して、赤塚に「正解」を問うているように聞こえる。朝日のタモリは、
「あなたはこうだった」と、むしろ赤塚に対して「正解」を授けているように聞こえる。記者の聞き書きだろうけれど、
赤塚とタモリとの関係を、聞いた記者がそれぞれどう思って聞いているのか、邪推できそうで興味深い。</p>

<p>最後に一緒に旅行したときの回想。</p>

<ul>
<li>産経は「お互いの労をねぎらっているようで」</li>
<li>朝日は「お互いに労をねぎらっているようで」</li>
</ul>

<p>「の」と「に」のひらがな1 文字の違いにしか過ぎないけれど、。産経の赤塚は師匠。
朝日の赤塚は、どこかタモリの「生徒」っぽい。</p>

<p>産経版のタモリは、段落の多くに「私は」「私に」という言葉をつける。
朝日新聞のタモリは、その言葉がすべて省かれていて、そのほうが、いかにもプロが書いたような、
それこそ「天声人語」みたいな文章になるけれど、どこか他人事みたいな響きがつく。</p>

<p>「こう思っている」主体がたとえ自分であっても、「私は」を繰り返していくと、文章が素人っぽくなる。
それを省いて、個人の判断なのか、それとも一般常識として認知されていることなのか、そのあたりをあいまいにしていくと、
文章の流れはよくなるんだけれど、「私は」みたいな言葉を省けば省くほど、事実と判断との切り分けがあいまいになって、
文章にはどこか、上から目線っぽい、当事者らしくないような臭いがつく。</p>

<p>個人で文章を書いていて、「私」の扱いはいつも悩むんだけれど、朝日の記者は吹っ切れていて、
「きれいさ」優先で、タモリの気持ちとか、赤塚とタモリとの関係だとか、後回しになっている気がする。</p>

<p>タモリが読んだ弔辞は、白紙だったらしい。</p>

<p>弔辞の言葉は、ただか書かれたものを読んだのではなくて、タモリがその場で考えたのか、
あるいは書かれたものを記憶したものなのか、いずれにしても、文章化されたオリジナルは存在しないみたい。</p>

<p>本当に文章が存在しないのか、どうして白紙を読んだのか、その時どんな思いだったのか、
語られることはきっとないんだろうけれど、聞いてみたいなと思った。</p>
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