2008.07.02
2008.05.15
赤い本が来た
サンフォードの感染症ガイドブック2008年版。毎年出版される感染症治療のガイドブックで、 版が変わるたびに表紙の色が変わる。今年は「赤表紙に黄色い文字」という狂った仕様。
- 17ページ:旅行者下痢症に対して推薦される治療薬が、ラテンアメリカとアフリカ、アジア諸国とで分けられた:ラテンアメリカではフルオロキノロン、 アジアではアジスロマイシン
- 18ページ:ホイップル病の治療薬としてクロロキンが取り上げられた
- 25ページ:右心系の感染性心内膜炎治療薬として、「ダプトマイシンはバンコマイシンとゲンタシンの併用と同じぐらい効く」という記載が追加された
- 35ページ:入院が必要な肺炎患者に対して最初に開始する抗生剤として、エルタペネムとアジスロマイシンの併用が記載された
- 36ページ:ICU入室が必要な肺炎患者に対する治療に「喀痰、血液、胸水の培養と、尿中抗原検査をするように」という記載が入った
- 38ページ:緑膿菌肺炎に対する治療に、「感受性があれば、セフェムやペネムを使ってもいいよ」と記載された
- 38ページ:ペストの治療が追加された
- 47ページ:MRSA保菌者に対する治療の項目が追加された
- 49ページ:敗血症を伴った外傷の治療薬にセフトビプロールが追加された
- 50ページ:ブドウ球菌による外傷敗血症の治療薬にセフトビプロールが追加された
- 58ページ:CVライン感染の「救済」療法に、ミノマイシンによる「ロック」療法が記載され、従来のやりかたが削除された
- 71ページ:腸球菌感染症の治療手段として、ロセフィンとアンピシリンの併用療法が記載され、セフトビプロールが追加された
- 71ページ:MRSAに対する治療薬として、いくつか見込みのありそうな抗生剤が記載された
- 85ページ:PIPC/TZ の使いかたについて、去年よりも推薦される使用量が増えた
- 87ページ:ロセフィンの使い方について、2g を1 日かけて持続的に静注する方法が紹介された
- 113ページ:多剤耐性結核菌の分類が、「多剤耐性」と「ものすごい多剤耐性」とに細かくなった
- 117ページ:MACに対する治療が、もっと徹底的なものに改められた
- 119ページ:やはりMACに対する治療で、「小児の場合、外科的な切除も効果的」という記載が入った
- 123ページ:寄生虫に対する治療薬としてNitrazoxanide に言及している記述が入った
- 127ページ:トリパノゾーマ症に対する治療に、新しい記載が追加された
- 131ページ:神経有鉤嚢虫症に対する治療に、新しい記載が追加された
- 135ページ:「マールブルグ出血熱のウィルスがコウモリから検出された」という記載が入った
- 139ページ:「ベル麻痺」の治療手段としてステロイドの有効性が記載された
- 142ページ:サル咬傷の時に見られるヘルペスB に対する治療で、「アシクロビル、ガンシクロビルの効果が薄いかもしれない」と記載された
- 145ページ:パピローマウィルス、パルボウィルスに対して、「症状をとるための治療手段」が新たに記載された
- 146ページ:抗RSV抗体パリビズマブによるRSウィルス感染の予防について、記載が加わった
- 152ページ:HIV感染患者に対する治療が、今年の版で大幅に書き換えられた
- 168ページ:胆道系手術患者に対する予防的抗生物質投与のやりかたについて、リスク予測のやりかたが、新たに追加された
- 175ページ:暴露者の感染予防について、単純ヘルペスウィルス、アスペルギルス、カンジダについて、記載が変わった
- 186ページ:子供の予防接種について、肺炎球菌と髄膜炎菌が、「6歳までに受けるべき予防接種」の項目に入った
記述があいまいなのは、ネタバレ回避…じゃなくて、翻訳に自信がないので。
昨年まで発売されていた半に比べて、頁数がわずかに増えている分は、ほとんどがレトロウィルス治療に関する 増ページ分。細かいレイアウト変更とか、一部の活字が太字に変更されているとか、去年までの判と比べて 全体に「見やすい」方向に変っているけれど、そもそもがものすごく読みにくい本だから、 編集した人の努力はあんまり実っていない印象。
1回の静注で24時間効くカルバペネム「エルタペネム」と、MRSA を殺せるセフェム「セフトビプロール」は、 両方とも日本にない薬。最近発売された新製品だからなのか、いろんな感染症で、こっそり推薦されていた。
書かなかったけれど、「これは妊婦に使ってはいけない」という但し書きが太字になって、 今まで記載がなかった薬について、わざわざ記載が追加されていた。どれもおそらく、 昔から妊婦に使ってはいけない薬だったけれど、こんな小さな本にも記載しないといけないぐらい、 たぶんそのへんがうるさく言われるようになったんだろう。
一応全頁比較したけれど、「抜け」があったら教えていただければ幸いです。
アップデートカンファレンスのこと
前働いて他病院には「アップデートカンファレンス」という制度があった。 カンファレンスを名乗っているのに研修医を対象にしてなくて、 忙しいスタッフの先生方が、新しく改訂された教科書を分担して、 一気に読んでしまいましょう、という主旨の講義。
一般内科の入門書だとか、感染症のガイドブックだとか、一般医家をやっていく上で 外せない教科書というのが何冊かあって、残念ながら、日本語の教科書には 優れたものが少なくて、「定番」なんて呼ばれるものは、全てが洋書。
誰だって英語を読むのは面倒だし、それなりに知識を持っている人にとっては、 「新しい」ことそれ自体よりも、むしろ「どこが変ったのか」、「どうして変ったのか」のほうが、 もっと大切だったりする。
アップデートカンファレンスは、だからスタッフの先生方限定で、 各専門家が自分の分野を分担して、出席する人は、その本を「読んでる」ことが 前提になっていて、「どこが、どんな意図で変更されたのか」だけが説明される。
研修医には、もちろんそのカンファレンスに出席する権利はあるんだけれど、 流れ読まない質問だとか、「分かるように説明して下さい」なんて要求する権利は 一切なくて、みんな時間を捻出して、読んでもいない洋書を開いて、 なんだかありがたそうな、分かったら、きっとすごく貴重なお話が耳から耳へ ただ流れて行くのを聞いていた。
スタッフの先生方もみんな散ってしまって、「アップデートカンファレンス」も、 自分たちが研修してた頃にはほとんど開かれなくなってしまったけれど、 今みたいな時代だからこそ、同じ教科書を共有して、記載された内容だけでなく、 筆者の意図とか時代の流れとか、そんなものを共有できる空間が、 どこかにできたらいいなと思った。
2008.05.13
「要するに」が社会を滅ぼす
「国家の運営」みたいな複雑なものを、指導者の人が間違った単純化に走って しまうと、虐殺が起きたり、あるいは単純化の犠牲なる人が増えるんだと思った。
伝記を読んだ
「ぽる・ぽと―ある悪夢の歴史」という、カンボジアの独裁者を扱った 伝記を読んだ。ポルポトは、虐殺者などではなく、ただ単純に、 「人を生かすことに対して無能な人物」に過ぎなかったのだ、という 立ち位置の伝記。
内乱に勝って、カンボジアを支配したクメールルージュは、平等で、 不正のない社会を作り出そうと努力して、努力の結果として、多くの人が亡くなった。
革命政府と対立していた、「革命に目覚めていない」人達は、首都から 田舎へと追放されて、「革命家としての教育」を受けることになった。 飢えと労働。カンボジアに革命を起こした人達と同じ、あるいはそれ以上の 苦労を味わうことで、革命の精神に目覚めてもらうみたいな。 革命に目覚めた人が耕す畑からは多くの作物がとれることにされて、 実際にはもちろん作物は育たなくて、多くの人が餓死した。
革命は「純粋な」人がやらないと上手くいかないらしい。
革命政府が政権取って、首都の住民を追い出したり、「お金」というものを 国から追放したり、社会を平等に、シンプルにして行くほどに国は 傾いて、それは「革命家として純粋でない」人達のせいになった。
「純粋でない」と名指しされた人は、やっぱり田舎送りになった。 もちろんそこでは「教育」が行われて、過酷な環境の中で、また人が亡くなった。
食べるものがない。道に椰子の実が落ちている。これは食べられる。 でも道に落ちているものは、国家の所有物。これを食べてしまうと、 その人は「純粋」でなくなって、後が無くなったその人は殺される。 これを食べなければ、いずれ飢えて死ぬ。
みんな亡くなった。
「平等」はけっこう怖い
平等が目指すべき目標になった、シンプルな社会からは、逃げ場が無くなってしまう。
クメールルージュ時代のカンボジアのやりかた、飢餓と強制労働とを通じて、 国民を「純化」「教化」していくやりかたというのは、なんだか 洗脳の手法を利用する宗教カルトを思い出すけれど、カルト団体には 「階級」みたいな複雑な構造があって、もしかしたらそんな仕組みは、 一種の安全装置として機能している。
カンボジアで「純粋じゃない」なんて指摘を受けた人には、再教育が 待っている。革命政府では、純粋な人と、餓死寸前まで苦労した人とは だいたい同じだから、そんな人から「純粋じゃない」なんて叩かれたら、 その人以上の苦境を乗り越えて、自らの純粋さを証明しないといけない。
革命政府の建前は「みんな平等」。「純粋じゃない」なんて指摘された人には、 だから社会のどこにも逃げ場が無くて、教育を受けて殺されるか、 殺されて「最初からいなかった」ことにされるか、いずれにしても 無難な選択枝が残されてない。
階級制度とか教育社会というのは、もちろん必ず「負け組」を生む やりかただけれど、「負けられる」というのことそれ自体もまた、 平等に殺されるよりはまだいいのかもしれない。
怪物はいなかった
虐殺者として紹介されることの多いポル・ポトは、それでも「怪物」では 無かったのだそうだ。あの人はあくまでも、「人を生かすのに無能であった」 だけであって、「人を殺すのに有能であった」わけではないのだと。
クメールルージュが行ったことは、「靴に合わせて足を切る」なんて 描写がなされていた。足が切られて、たしかに社会は大出血したけれど、 「足にあった靴を作りたい」なんて思いそれ自体は、 決して悪意から生まれたものではなくて、あれは虐殺ではなくて、 あくまでも無能が生み出した「事故」なのだという。
歴史には何人もの「怪物」がいて、ひどい虐殺とか、残忍な戦争だとか、 それらは全て、その人が「怪物」だったからなんて考えかたはシンプルで 分かりやすいけれど、やっぱり「怪物」なんてきっと少ない。
そのときそこにあったのは、そうならざるを得ない「状況」であって、 「怪物」と名指しされた人達は、あるいはその状況を止める能力を持たない、 「怪物になれなかった」人達なのかもしれない。
本当の怪物は、むしろ目に見えない。
歴史上、同じような状況におかれた 社会はきっとあって、同じ状況におかれてもなお、その社会を平凡に、 まるで状況変化なんて気がつかなかったかのように運営した人物は、 もしかしたら本当は「怪物」であって、そこに怪物が居合わせなかったら、 その国には虐殺が起きたのかもしれない。
複雑なものを複雑なまま理解するやりかた
社会とか国家みたいな、極めて複雑な物事を「要するに」で理解しては いけないのだと思う。
権力を持った指導者が、「要するに」で社会を間違って単純化して とらえたときに、たぶん「靴に合わせて足を切る」現象が発生して、 それが極端に走ると虐殺になる。
複雑なものを、複雑なまま処理するやりかたをしないといけない。
もちろんそれを個人でやるのは不可能で、だから「いい独裁者」が 統治するコミュニティは、それが小さな時には気持ち悪いぐらいに 上手くいくけれど、組織が大きくなる程に制御は難しく、 近似によって犠牲になる人の数は大きくなって、最後は収拾がつかなく なってしまう。
資本主義みたいな競争社会は、勝ち抜いていくためには、みんなが 頭を使うことを強要される。みんなが頭を使うから、社会に投じられる 思考リソースは、少数のリーダーが全てを回す社会よりも圧倒的に 多くなる。その振る舞いは複雑で、だから資本主義は「最低だ」なんて 言われるけれど、それでも社会制度の中では「最良」なんて評価も受ける。
選ばれた少数の執行部が回す組織は、必ずといっていいぐらい、 「サヨク」的だなんて叩かれる。「団結」だとか「平和」だとか、 「サヨクっぽい」言葉の裏には、たいていどこかに平等思想、 大多数のメンバーに思考停止を強要する何かが隠れてる。
たぶん社会の「よさ」なんてパラメーターは、「量」が問われる。 質の高い少数よりむしろ、やっぱりたぶん、たとえ質は劣っても、 たくさんの思考リソースを投じられる仕組みの方が、 その社会は「いい」ものなんだと思う。

