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2011.01.12

作った人の顔を見てみたい

ソニーが新しいAndroid 携帯を発表して、開発した中の人が、インタビューに答えていた

「特徴を教えて下さい」という質問に対して、開発者は「デザインにあると思います」と答えていて、これは何か違うような気がした。

自慢話が聞きたい

新しい携帯電話はきれいなデザインで、薄く作られていて、全体が弓のように反っていて、デザインはたしかに特徴的なのだけれど、 「デザインにあると思います」という答えかたは、エンジニアの言葉ではないような気がした。

発表を行ったその時には、まずはユーザーに向かって「こう使ってほしい」という言葉が聞きたかった。 それは「注文」であって「特徴」ではないけれど、特徴というものは、目的だとか、ユーザーへの注文抜きの、単独で語られてしまうと、 どこか他人行儀に聞こえてしまう。エンジニアは、これから発売される製品にとっての「一番近い身内」であって、 製品が生まれたばかりのこういう場面だからこそ、やっぱり身内の言葉が聞きたい。

開発者がその機械をうれしそうに使う姿が想像できないプレゼンテーションというものは、 どれだけそれが素晴らしくても、成功とは言えない。スティーブ・ジョブズ のプレゼンテーションは、催し物として見事である以上に、 あの人が本当にうれしそうだから、見ていて夢がある。

たとえ語ることが「薄さ」であっても、数字はないほうがいい。数字で語られたすごさというものは、どこか会議室の空気がある。 「薄さにこだわりました。一番薄いところで○○mmです」というのはたしかにすごいのかもしれないけれど、薄くして、 じゃあ何ができるようになったのか、弓みたいに反ったデザインは、ユーザーにどんな世界を見せてくれるのか、 開発者にはそういうことを教えてほしい。

やりたいことを共有すること

ものを作るのは開発者であって、会議室ではないのだと思う。

「こういうことがしたい」という考えかたがまず最初にあって、それに基づいた機能が作り込まれて、 デザイナーはそれを、デザインとして表現していく。こうした一連の工程に、どこかで断絶が生じてしまうと、 出来上がった製品はどこかちぐはぐなものになって、「自慢したい何か」は遠くなってしまう。

palm の時代、ソニーはclie という競合製品を出していた。

オリジナルのpalm に比べると、clie の作り込みは素晴らしくて、中身の性能にしても、筐体の精密さにしてもお金がかかっていて、 常に競合を引き離していたのはclie だったのに、実際に手にとって使いやすかったのは palm のほうだった。

palm のデザインは、いつもどこか詰めが甘いというか、エッジは丸いし、筐体はどこかブリキ細工みたいで、 キーボードの作りなんかもいいかげんだったけれど、それでも使いやすかった。持っていて違和感がないというか、 手にとって、「こうあるべき」場所に自然に指がきた。

あの頃のclie には勢いがあって、「palm でさえこれだけ使いやすいんだから、clie はもっとなんだろう」と期待させるような、 そういう希望がclie のデザインにはあった。

キーボード付きのビジネスclie は、画面も大きくて、ステンレスのカバーが付いてかっこいいのに、カバーを開くとかさばって、 精密なキーボードは、ボタンが固くて押しにくかった。筐体を両手で持つと、「ここ」という位置からはわずかに離れた場所にボタンが置かれて、 使い勝手になじめなかった。

後年発売された、小さなノートPCみたいなデザインのclie も、希望に満ちたデザインだった。金属筐体は本当に使いやすそうだったし、 ボタンも大きくて、キーボードの表面は、押しやすさを意識して波形になっていた。ところが実物を手に取ると、せっかくのキーボードは 精密に過ぎて、ボタンはしっかりしすぎていて、逆に押しにくかった。当時使っていた Tungsten|c のキーボードなんて、 これに比べればおもちゃもいいところだったのに、おもちゃ同然のキーボードで、普通に blog の記事が書けた。

PDAの時代、最初から最後まで、性能ならclie だったし、精密さもclie、デザインの多様性という点でも、ぱっと見た目の魅力も、clie の勝ちで、 本家のpalm に比べれば、clie に負ける要素は一つもないはずだったのに、実際に使って便利だったのはpalm で、 clie には、いつも何かが足りなかった。

要素では圧勝していたのに、使い勝手では「負けた」原因というのは、やはりガバナンスの不在だったのではないかと思う。

高性能で、多様で精密なクリエの開発にゴーサインを出した「上の人」は、実のところ、ポケットに入るPC端末というものに、 そんなに興味を持っていなかったんじゃないかと思う。会議室で、上司が「palm より売れる奴」と提案して、それだけの「コンセプト」に対して、 各部署のエンジニアが、それぞれのベストを尽くした結果が、あの頃のclie に思える。

エンジニアが本当に作りたかったもの

「使いやすいデザインを目指した」製品というのは、むしろ使いにくい可能性が高い。

「こういう状況で」という前提のない、漠然とした良さを目指す決断は、プランの不在の裏返しであって、 「あらゆる方向で使い勝手のいい製品を目指そう」なんて宣言する上司は、「何も考えずにトップランナーの劣化コピーを作ろう」と言っているのと変わらない。

ものを作って売る人が「お客様のことを考えて」と言い出したときには、そのメーカーは、攻撃ではなく、撤退の方向に舵を切っているのだと思う。 開発/製造の最前線こそ、不利な状況を懸命に戦っているけれど、「司令部」の人たちは、たぶんもうその分野への興味を失っている。

「最後の傑作」みたいなプロダクトは、往々にして撤収の際に生まれる。上層部はもう興味を失って、補給線はとっくに切れて、 残された前線部隊が、乏しい兵站の中で、エンジニアが本当に作りたかったものを作る。そのプロダクトは使いやすくて、 素晴らしいんだけれど、方針は覆ることなく、前線部隊はプロダクトごと壊滅してしまう。

clie の終末期、TH-55 という機種が販売されて、画面は大きく軽く、筐体の雰囲気も一変して、背面に設けられたジョグダイアルは 本当に使いやすかった。あれをXperia で出してくれればうれしいのだけれど、clie と一緒に、ジョグダイアルは姿を消して久しい。

作った人の顔が見えるものを使いたい

最近になって、国産のAndroid 携帯がたくさん発売されるようになった。どれもたしかに高性能で、 台湾や韓国の携帯電話に比べれば、細かな使い勝手だとか、国産ならではの精度感は素晴らしいのだけれど、 個人的にはやっぱり、何か違うような気がする。

メーカーのエンジニアは「努力」を語る。矛盾する要求だとか。ソフトにハードを合わせることだとか。

「すり合わせ」の技術こそは日本のお家芸だ、なんてNHK特集でも報じられていたけれど、日本のお家芸であったのは、わがままで無責任な、 そもそも携帯電話なんかには興味のない「上司の放言」を、ただひたすらに耐えていなして、何とか形にこぎ着ける現場の能力であって、 すり合わせそれ自体は、実は不得意だったんじゃないかと最近思う。

いろんな機能を詰め込んで、「すり合わせ」を行った結果として、国産のAndroid 携帯電話は、どれも似たようなデザインの、エンジニアの「思い」みたいなものが透けてこない何かになった。

サムスンのGalaxy が、じゃあ高邁な思想に裏打ちされたすばらしいプロダクトかと言えば、あれはiPhoneの劣化コピー以外の何者でもないんだけれど、 iPhoneよりも安価で軽くて、電池がやたらと長持ちして、珍しい機能は何もないけれど、そこそこ早くてたくさん売れて、 マニアなユーザーが魅力的なROM をたくさん発表して、面白い。

開発を担当したエンジニアの人たちが、その機械を通じて伝えたい「体験」みたいなものが見える製品が使いたい。

開発を行った人の体験や、機械とはこうあるべきという考えかたを、ユーザーに理解できるレベルに落とし込んで、その体験をデザインに反映して、 プレゼンテーションの席ではそうした体験を、ユーザーに自慢してみせてほしいなと思う。

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