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2011.01.10

無難の伝えかた

「無難」というものは、「最高」の劣化コピーなんかではなく、本来は学びの目標そのものであって、「最高」というものは、 言わばくじ引きの結果として、運がよければあとから付いてくるものなのだと思う。

無難は難しい

あきらめを前提とした「最高」を、目標として教えることは簡単だけれど、誰にでもできる「無難」を教えられる人は、 実はとても少ないのではないかと思う。

それが「最高」ならば、経験した範囲でのベストケースを一つ持ってきて、入門してきた人に「俺にだってたどり着けなかった」なんて、 胸をはってあきらめてみせればそれで済むけれど、無難を伝えるということは、無数にあるケースが作った群れの中心を 教えることに他ならないから、群れ全体を知った上で、群れ全体を見渡せるような人でないと、そもそも「無難のありか」が分からない。

最高の周辺、群れの最先端は、誰もがそこを目指すから、場所の特定を行いやすい。無難の場所は、群れの中心そのものだから、 密度が濃すぎて見通しが悪いし、それはしょせんは無難であって、最高に比べれば劣っているから、つまらない。つまらないものを 調べるのは大変で、だからこそ、それができる人はきっと少ない。

毎年何十万人もの人が集まるコミックマーケットに参加した人たちに、「コミックマーケットで最高の作品は?」という質問を行ったときに、 自分なりの正解を返せる人はたくさんいる。ところが「コミックマーケットでもっとも平均的な作品を教えて下さい」という質問だと、 もしかしたら準備会の人たちにだって分からない。

無難というのは、恐らくは最高よりも難しい。

お手本には意味がない

無難というものには、恐らくはある程度の幅がある。それは範囲を持った考えかたであって、目指すべき点とは違う。

飛んでいる鳥の群れがいたとして、個々の鳥の体格は異なっているだろうから、飛び方は微妙に違う。 群れを作っている鳥の数は有限だから、全てを加算平均すれば、たぶん「その群れでもっとも無難な飛びかた」というものが導かれる。

ところがそうして得られた「もっとも無難な飛びかた」をひな鳥に教えても、もしかしたら飛べない鳥になってしまう。

やりかたというものは、自分の身体を通じて、環境から自分で発見しないと、身につかない。 型というものは、それが「最高」であれ、「無難」であれ、結果として導かれた何かであって、 それをお手本にして、厳密にそれをなぞらせるようなやりかたは、伝達の手法としてどこか間違っているような気がする。

お手本を伝えて、暗記の結果を紙に書かせて、お手本との隔たりを「点数」としてマイナス評価する、学校の先生が 使う「教育」の技法を応用したとして、ひな鳥は果たして飛べるのかどうか、ぜひとも試してほしい。

「型を学ぶ」やりかたは、とりあえず飛べるようになった人が、もっと上手に飛ぶための方法であって、 型というものは、そもそもひな鳥を飛ばすようには作られていないのだと思う。

失敗から無難を見つける

「その人にとっての無難」というものは、環境から自分で探し出さないといけない。それが速やかにできる人と、そうでない人とがいて、 無難を見つけ出せないひな鳥は、いつまでたっても飛べないから、群れからはぐれてしまう。「ひな鳥にとっての無難の発見」を手助けすることが、 教育をする人の役割なんだろうと思う。

「見つけかた」の手助けというものは、知識や考えかたの提供ではなくて、むしろ環境を提供することで成し遂げられるような気がする。 ありがたい講義を丁寧に説いたところで、成功する人はもっと成功するかもだけれど、成功できない人が成功できるようになるケースはたぶん少ない。

フィンランド出身のラリードライバーは、原体験として、ときどき「子供の頃の無免許運転」を挙げる。 雪の深い国だから、冬になると道は全て雪に覆われて、父親の車を勝手に持ち出して、滑りやすい雪道で遊んで、 木にぶつかったり、崖から落ちたり、いろんな経験を積んだからこそ、車の運転が上手になったのだと。

自動車教習所は「正しい車の動かしかた」を教える場所だけれど、卒業して免許を取って、初心者のドライバーは、 やっぱり運転が上手くない。車は違うし、運転はおっかなびっくりで、どうしても、教わったことからはみ出さないと、 自分なりの運転というものが身についてこない。

教習所のやりかたは、失敗を許さない。失敗して、ポールを倒せば減点だし、失敗が最初から起きないように、 スピードも極端に制限される。乱暴な運転をしてはいけない、スピードを出してはいけない、いろんな「いけない」を、 教習所は教えてくれるけれど、じゃあその禁忌を破ったらどういうことがおきるのか、致命的な事故になるその時まで、 たいていのドライバーはそれを知らない。

お手つき即死の現代社会にあって、失敗できる機会というのは、お金を支払ってでも手に入れる価値がある。 「学校」と呼ばれる場所は、お手本よりも、むしろ失敗をこそ提供する場所であってほしいなと思う。

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