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2008.08.14

一本勝ちは強いのか?

ボクシングだとかレスリングみたいに、「相手が自分と同じ技量を持っている」 ことを前提に技が作られている競技と、合気道みたいに、「相手がこちら側の技を知らない」ことを前提に している競技とがあって、柔道もどちらかというと、「技をかけられる側の無知」を前提にしている気がする。

柔道の授業で習ったこと

柔道の授業では、最初に受け身の練習があって、お互い試合を始める前に、 「これだけはやるな」という教えを受ける。

投げるときは、絶対に足を曲げちゃいけないこと。投げられたら、粘らないで素直に受け身に入ること。

「これ守らないと、死ぬぞ」とか、一番最初に注意される。

投げるときに足を曲げると、受け身とれないまま、後頭部から床に落ちるし、 投げられるときに粘ろうとすると、投げられたとき、2人分の体重が腕にかかったりして、骨が折れてしまう。 お相撲の「河津掛け」みたいなことすると、だから本当に危ないだとかで、 やる真似するだけで怒られる。

柔道は、元々が人を殺す技をアレンジした競技で、「一本」を取れる状態というのは、 だからやりかたを少しだけ昔に戻しさえすれば、たぶん投げられた相手が大けがをする。 まじめにやると、相手が本当に死んでしまうから、投げが決まって、相手が「死に体」になった時点で、 投げるは「お約束」に従って、背中から落とす、安全な投げかたをする。

投げた瞬間に相手にしがみつくと、男2人分の体重がどこかに集中して、破壊力が増す。 投げる側は、そのとき「2人分の体重」を相手の首にかけてしまえば いいだけの話しなんだろうけれど、それやると大けがするから、バランスを崩して倒れないといけない。 それが続くと試合にならないし、やっぱり危ないから、「粘るな」なんて習う。

技が成立する前提のこと

柔道の一問一答だかで、「柔道の谷は本当に強いんですか?」なんて身も蓋もない質問があって、 「柔道知らない人が相手なら、谷の前に5秒と立っていられない。柔道知ってる人なら、 たとえば高校生の初段ぐらいでも、体格が十分大きければ、谷でも難しい」とか答えてた。

柔道みたいな武道は、たぶんどこかに「相手が技に無知である」という前提があって、 お互い「一本」を狙う戦いを成立させるには、一番大事な場面になったとき、 投げられる側が、投げる相手に対して「無知」にならないと、お互いに怪我をしてしまう。

柔道よりももっと「お約束」が多い合気道は、触っただけで相手がふき飛ぶ。

あれは飛ばされてるのではなく飛んでいるんだけれど、技をかけられたとき、 飛ばないと手首が折られちゃうから、身を守るためには飛ぶしかないんだという。

合気道の技を上手な人にかけてもらうと、何だか自分の体が自分のものでなくなったような、 面白い体験が出来る。合気道は、相手が無知で、「面白がって」いるうちは、 良くできた術理が成り立つのけれど、技を知っている相手が少しでも逆らおうとすると、 痛い思いをすることになって、自分から飛ばないと、競技にならない。

合気道はだから、対外試合みたいな制度が、そもそも存在しないらしい。

柔道も、技を本気でかけると、相手が大けがすることになってる。 お互い空気読まないで、本気出して試合すると、たぶんどちらかが大けがするから、 上手な人の一本勝ちというのは、どこかで相手が「空気を読んで」、 相手に対して何かをあきらめることで、はじめて技が成立している気がする。

「死に体」のこと

日本の柔道みたいな、そもそもが殺しあいの技であった武道を、 それを残したまま対戦形式にするのは、どこか無理がある。

剣道もそうだけれど、高校剣道で強かった人が大学の大会に出ると、 全然勝てなくて悩んだりするらしい。どれだけ相手に竹刀を当てても、 「気がこもっていない」とかで、審判の人に無効扱いされてしまうらしい。

その技が本当に有効なのかどうか、竹刀の代わりに真剣使えば、もちろん一瞬で答えは出るけれど、 それはもうスポーツじゃないから、相手が「死に体」になったかどうかは、審判の経験で判断する。

今の技が本当に有効であったのかどうか、それを選手がお互いに判断したら、 空気を読まない側が勝つのは見えてて、日本ではだから、審判がきちんと「一本」を判定して、 「一本勝ち」がきれいに決まる柔道競技が成立する。

剣道も、柔道も、「一本」というのは、「これで相手を殺せるかどうか」を 審判の経験で判断しているわけだから、「一本」を誰もが納得するような形で 判定するのは難しいし、数字で示せるような定義には遠い、「名人芸」的な判定をしないといけない。

レスリングとかボクシング、あるいは海外の人がやってる「judo 」なんかは、 たぶんお互いが技を知ってることが前提になっていて、文章できちんと定義された「負け」の 状態に相手を持って行くためには、自分はどうすればいいのか、結果を想定して、 そこからやるべき動作を演算しているような印象。

日本のやりかたは、「正しいやりかた」がまずあって、勝ちというものは、 正しいやりかたの帰結として、審判とか、さらにその上にいる「武道の神様」が授けてくれるもの みたいな考えかたをして、正しさを追求するのが目的になって、勝ちはあとからついてくるものみたいに見える。

「一本」目指すのは強いのか?

柔道で金メダル取った選手が、「一本勝ちにこだわった成果です」とか、インタビューで答えてた。

喜んでいたし、もちろんそんな姿勢は金メダルという結果につながったけれど、 それでもやっぱり、今の「一本勝ち」目指すやりかたには、どこか納得できない気がする。

強い人は、勝つ。

でも「強い」と「勝ち」との間にある「だから」については、勝った選手それ自身の言葉で「だから」を語られてもなお、 それが真実かどうかは誰にも分からないし、「だから」には、いろんな人の思惑が投影されてしまう。

金メダルを取った選手は、これはもう、疑いようもなく「強い」のは間違いないけれど、 あの選手は、一本を取りに行った「にもかかわらず」金メダルを取れたのか、それとも 一本を取りに行った「から」勝てたのか。金メダルを取ったことそれ自体は、 必ずしも「一本を狙うやりかた」のすごさを証明したわけではないのだと思う。

やりかたには、「強い」と「弱い」以外に、どういうわけか「きれい」というパラメーターがあって、 「強い」はたしかに「弱い」の対極にあるけれど、「強い」と「きれい」、あるいは「正しい」は、 目指すべき場所が異なってしまう。

えらい人達は、「きれいさ」という、「強さ」とは微妙にずれた価値観を選手に投影して、 勝てるやりかたが出来ない状況作り出しておいてなお、選手に「勝ち」を求めてる気がする。

「きれい」目指すなら、「勝つ」ことあきらめて、神様に捧げる美しさを目指すべきだし、 「勝つ」こと目指すなら、むしろ真っ先に否定されるべきは、前提必須の「きれいさ」で、 前提が共有できない相手を想定しても、なお勝ちに行けるやりかたを「きれい」と定義しないといけない。

「一本」で勝つ柔道はたしかにきれいだけれど、あれをいびつだと思う価値観が、 審判だとかコーチの人達に共有されないと、不幸になる人多い気がする。

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Comment & Trackback

国際競技は歴史とか、国柄とか、民族性とかいろいろな要素を考えてしまい、、、疲れてしまいます。。昔は好きだったF-1もホンダがレギュレーション変更で潰された頃からしらけちゃいましたし。。シンプルな陸上とか水泳とかのほうが観ていて気持ちがいいですね。
やはり、昔からですが戦略とかが関係してくると、「勝てば官軍」って事になるので、、、何でもありになってきますね。日本もアメリカに負けたから、いまだに属国みたいになってますし。。
儲けまくった村上さんとかホリエモンは勝ったのに「汚い」って烙印押されてますし。。。価値観のモザイク性、世代間ギャップが日本人の中でも齟齬を生んでいるような気がします。。
宗教とか、王様とか、、、絶対的な価値観が無いからでしょうか。。

>あれをいびつだと思う価値観
>不幸になる人多い気がする

最後の結論が唐突な印象です。理由をもう少し聞きたいと思います。

なお、見る側でなく、やる側の経験、価値観としてお話しさせて頂きますと、
一本勝ち(≒KO)は強さの証明です。
逆に一本負けをするときは実力差を見せつけられた気持ちになります。

あとは、競技→勝利→ポイントで勝つ(確実性が高い)
強くなりたい→生きるか死ぬか→一撃必殺(返り討ちの危険が高い)
どちらの道を好むか、でしょうか。

この辺りは格闘技を見る人に説明するのがすごく難しい
感覚的な世界なのですが、伝わっていますでしょうか。

柔道オリンピックで、ぎこちない試合のあとで日本の男子選手が敗れて、次の試合は外国人同士で、試合のスタイルがいきなり代わって、お互い「立つレスリング」はじめてたのが、なんか象徴してると思うんですよね。。その試合は「一本勝ち」でしたけれど、どう見てもタックルからのテイクダウンでしたし。

レスリングのタックルは、総合格闘技だったら打撃で応戦されるでしょうし、「柔術」時代の柔道家ならタックルに来た相手の首極めて、倒れたときには相手は大けがしてるでしょうし。

殺しあいの技学びながら、本気出すことは絶対許されなくて、「許されない」領域がすでに可視化しているから、相手にそこ狙われて、それでもなお、相手に大けが負わせられる技を使うよう、使うよう、それやらないと卑怯だとか言われる今の日本の選手は、やっぱり不幸だと思うのです。

オリンピック無差別級の代表は、むしろ勝つ柔道にこだわってて、「自分は悪役でもかまわない」なんて言ってましたが、今間違いなく日本最強であるはずの選手をして、「悪役」なんて葛藤を感じざるを得ない、それはよくない空気だと思うし、若い頃に一本勝ちを続けてきた選手が、成熟してポイント重ねるのが上手になったとして、ボクシングあたりなら「試合に熟練した」なんて表現されるところが、柔道なら間違いなく「衰えた」と言われるでしょうし。

「一本」はだから、強い人も、昔強かった人も、あるいは一本にこだわりさえしなければ、もっと強くなれたであろう人も、みんなに一様に不幸をばらまいている元凶に見えて、しょうがないのです。。

> 柔道で金メダル取った選手が、「一本勝ちにこだわった成果です」とか、インタビューで答えてた。

あのインタビューでの発言は、一本勝ちにこだわったから金メダル取れたという意味ではなく、一本勝ちにこだわったことを金メダルという成果につなげられてうれしいという意味だったはずです。

日本の柔道は空気を読まなければいけない。
柔道経験者ならわかると思うけど、外国の選手がよく使うタックルや寝技に移行するための捨て身技を使うと、
ルール上は認められていても審判の印象が悪くなって勝てない。
良いか悪いかはわからないけど、それが日本。

>一本勝ちにこだわったことを金メダルという成果につなげられてうれしいという意味
その当たりきちんと結果志向なんですね。。

>ルール上は認められていても審判の印象が悪くなって勝てない
それはひどい。。タックルとか捨て身技とか、今の「judo」ルールだと、むしろあれこそが解答にも見えたりして。。

judoではもちろんありだと思いますよ
ただ、柔道の理念は柔よく剛を制すなんです
崩して投げるというのが基本で全て
それを技でやるのがスポーツ柔道なので、力でねじ伏せるというのは強い選手ではあっても強い柔道家ではない
それと、諸手狩りはタックルじゃないのであしからず

最初、文を読んで今一共感できないし、お約束どうたらという部分は妄想に近い感じがして違和感を覚えました。まあそれは置いときます。
ただコメント欄を読んで、言いたいことがわかって、個人的に気になるのは、そういう一本の縛りが、勝てなくして不幸をまき散らしているという部分でしょうか。
そもそも柔道の始まりは、柔よく剛を制すとか、礼節を重んじるとか、心技体とか、そういう精神的な、武士道的なものが発端になっていると思います。それは日本が築き上げた生き方、考え方、価値観であると思います。
最近は世界の柔道の流れで、そういうことをおろそかにし、勝つこと、商業的なことやそういうことに重きが置かれ、ルールなども変わってきています。
例えば、企業があって、その発端が、社員がのびのび楽しく、から始まったとして、いつの間にかその企業が大きく肥大し、社員がのびのびなど無視してただ利益を追求するようになったとします。それは幸福なことなのでしょうか?とはいえ価値観人それぞれなので一概には言えないでしょうけど。
だから一本にこだわるということは、信念を貫く、生き様を見せると同義であると言えるのではないでしょうか?ただ勝つだけで、得られるものがあるのでしょうか?まあ、価値観人それぞれなので得られるものがある、という人もいるかもしれません。ただ、僕は美しくないなと思います。

[日記]柔道とJudoで別物として扱ったらいいんじゃないですかね?

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えらい人達は、「きれいさ」という、「強さ」とは微妙にずれた価値観を選手に投影して、勝てるやりかたが出来ない状況作り出しておいてなお、選手に「勝ち」を求めてる気がする。

——

この一見無駄で不条理に見えるハンディ戦が、日本の強さの根源だと思います。
文化・芸術・テクノロジー...類似性はそこかしこに見えるのでは。

参考までに
http://igindenwrestle.seesaa.net/

プロ柔道つくって、時間無制限一本勝ち限定ワンマッチ興行で
石井対康生
を見たいとは思う

ラウンドガールは康生の奥さん

PPVで採算とれんかな・・・

>えらい人達は、「きれいさ」という、「強さ」とは微妙にずれた価値観を選手に投影して、勝てるやりかたが出来ない状況作り出しておいてなお、選手に「勝ち」を求めてる気がする。
 
これは間違っていると思います。
強さと勝ちを求めた結果が技を極めること。技を極めた結果がきれいさにも結びついているだけで、きれいさを求めた結果ではありません。
海外選手のように力による朽木倒しや双手刈り、掬い投げ、肩車を等をメインにしても勝てません。
内芝選手の肩車などはタイミングと技術によるものが大きく、海外選手のそれとは一線を画します。
 
今の日本のJUDOはキレのある投げ技を恐れた相手に組み手を嫌わせることで、体力の消耗と反則を蓄積させて相手が前に出たところを投げて一本をとるのがスタイルになりつつあります。
一本を取れる技があるからこそ、日本人はメダルを量産することができるのです。
 
男子レスリング、特にグレコローマンスタイルで日本人がメダルをなかなか取れないところにも、そういったところの答えがあるのではないでしょうか?

参考2
http://www.haku-michigami.com/top.htm

「一本取りに行くのは当たり前で、二本取らないと勝ちにならない」

素晴らしいですな

ブラジル柔術も、ここで話題にした「judo」 も、日本の武道家が、それぞれの立場から強さを目指した果てに生まれたというのが、なんか感慨深いですね。。

有り様の違う強さを、同じ土俵の上で戦わせようなんて考えかたそれ自体が、どこか無理なんでしょうか。。

> 柔道で金メダル取った選手が、「一本勝ちにこだわった成果です」とか、インタビューで答えてた。

「ただ勝ったんじゃなくて、『きれい』にこだわる不利な方法で勝てたから余計にうれしい」
というコメントにしか聞こえなかったんですが…。
いびつですか、そうですか。

塚田と石井はどっちが好感度が高いのでしょうかね?

JUDO は柔道とは違い武道ではなく競技なので
柔道家とJUDOKAは分けて育てる方が良いかも知れないですね。
日本は柔道に拘り過ぎて勝てない。
しかし、JUDOだけにしてしまうとそれはそれで問題。
アスリートと武道家は別物という事です。

「柔道」と「JUDO」、「ベースボール」と「野球」・・・・。よく似ている関係だと思います。

本家だから絶対正しい!では世界の趨勢から乗り遅れると思います。

柔道とJUDO。学問と試験勉強みたいな関係でしょうか。
過去問だけ勉強して確実に試験に通る勉強法は批判されますが、試験にパスしないことには発言すら許されません。

選手にとってはありがたくて難しいことを語る師範よりも、確実に大舞台の試合に勝てる指導をしてくれるコーチの方が評価は上でしょうねえ。

仰るとおり、偉い人たちが「人殺しの修練としての柔道」と「スポーツとしてのJudo」の違いを認識するところからはじめないとJudoでは勝るようにならないでしょうね。

例えば初期のアルティメットファイティングの試合でグレイシー柔術が強かったのは、元となったバーリトゥードゥのルールを熟知していたからに過ぎないわけで、ルールが周知された今は本当に何でもありの戦法を取る選手はいなくなりました。

柔道には一応ルールはあるけれども、一本を重視すると言うことは無意識のうちにルールの上位概念として価値基準が「人殺しの修練たりえるか?」という事になっているはずで、そこが明文化されたルールとして存在しない以上、スポーツとしてのJUDOでは勝利基準が違いますよね。個々の選手は理解しているんだと思います…

不当な負けかたしたと感じた選手が、いつでも「決闘」ルールで再戦要求できるようなルールにしておくと、柔道と judo との距離が縮まりますよね。
要求があったら、選手はコンクリート打ちっ放しの闘技場に移動して、どちらかが再起不能になるまで戦うみたいな。

水泳もF1と同じく日本の古川勝が平泳ぎで勝ったらルール改定されて潜水が禁止されてます。
今だとスピード社の水着もルール的に黒に近い灰色を政治力で白にねじふせたみたいですし。

>日本の柔道みたいな、そもそもが殺しあいの技であった武道を、それを残したまま対戦形式にするのは、どこか無理がある。

まさしく、実戦のための柔道・柔術と、スポーツとしてのJUDOは別物ということなのでしょうね。小さな日本人でも大きな白色人種を倒せる、というのが嘉納治五郎が創始し世界に広めようとした本来の「柔道」であったのでしょうが、体重制が導入された頃からスポーツとしての新たな「JUDO」が誕生したと思います。武道・武術が実戦のある一局面を切り取ったシミュレーションとすれば(自分と相手が素手→柔道、合気道など。自分と相手が帯刀→剣道。自分と相手が帯刀であるが、自分は納刀で相手は抜刀の状態→居合)、自分とほぼ同じ体重の相手しか戦わない体重制は、もはや実戦を想定したものとはいえないと思います。

もちろんスポーツとしてのJUDOを否定しているのではなく、身体を鍛える、技を楽しむ、といった側面があり、やりたい人がメダル獲得の為に大いに頑張ればよいと思います。しかし、本家日本からは塩田剛三のような老人に無差別級に是非とも出場して欲しい。動画はYouTubeで見ることができますが、動画の中の塩田老人が複数の屈強な若者からスルスルっと逃げ回っているところを見ていると、もしもJUDOに出場していたならば指導や警告をとられてあっさり負けていたかも・・・

「実戦」想定した競技は、やっぱりどこか難しいですよね。。

剣道みたいに、「国際化」から背を向けたスタイルのほうが、いっそ潔いのかも。

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