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2008.08.07

弔辞の比較

赤塚不二夫 氏の葬儀で、タモリが読んだ弔辞の比較。たぶんそこに集まった記者の人が聞き書きしたものだけれど、 新聞社ごとの立ち位置とか、葬儀に集まった人に対する考えかただとか、いろいろ邪推できて面白い。

比較したのは朝日新聞と、産経新聞。産経新聞のほうが文字数が多いから、 たぶん産経新聞のほうがオリジナルに近くて、朝日新聞は、それに編集を加えた印象。

朝日新聞のタモリは、亡くなった赤塚に語りかけるというか、どこか客観的な、 何だか卒業式で生徒を送り出すときの「教師」のような口調。

産経のタモリは、 訥々とした話しかたで、葬儀に集まった人達に、師匠としての赤塚を紹介する「弟子」のような、 そんなイメージを持った。

以下比較。

  • 産経「我々の世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代」
  • 朝日はこの言葉を省略している

冒頭の文章。

  • 産経「あなたは突然私の目の前に…」
  • 朝日「あなたは突然目の前に」

以後、産経のタモリは、ほとんど段落ごとに「私の」と入れるけれど、朝日は全て削っていた。 産経のタモリは、個人的な体験を語っているように響いて、朝日のタモリは、どこか教科書を書いているかのような印象。

  • 産経「私のマンションにいろ、とこう言いました」
  • 朝日「私のマンションにいろ」

上京したタモリを、赤塚が自分のマンションを提供して、そのまま引き留めたエピソード。 朝日のほうが臨場感があるというか、どこか脚本っぽい、時制を省いた書きかた。

  • 産経「大きな決断を、この人はこの場でしたのです」
  • 朝日の記事では「この人は」が省略されている

昔の回想。

  • 産経「深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました」
  • 朝日「いろんなネタを作りながら教えを受けました」

赤塚への言葉。

  • 産経「あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として残っています」
  • 朝日「あなたが言ってくれたことは金言として心の中に残っています」

「どんちゃん騒ぎ」と「あなた」は、朝日的には何か汚らしいイメージがあったのかな、とか邪推する。 文章の通りはたしかに朝日のほうがいいんだけれど、やっぱり朝日は、個人的に聞こえるところを省こうとしている気がする。

絶対にツモでしか上がらなかった、赤塚の麻雀作法について。

  • 産経「相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて…」
  • 朝日「相手の機嫌を悪くするのを恐れて」

麻雀のルールを知らない人にも、赤塚のよさを伝えたい、というタモリの気持ち。産経はそのあたり 全部記述しているけれど、朝日は削除。朝日のほうがきれいだけれど、何だか生前の赤塚不二夫が、 どこか計算高い人物のようにも聞こえる。

  • 産経「あなたは私の父のようであり(中略)時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は」
  • 朝日「あなたは父のようであり(中略)時折見せる無邪気な笑顔は」

朝日は形容詞を端折る。

このあとに、産経の弔辞には、タコ八郎の葬儀のエピソードが入る。赤塚不二夫の泣き笑い顔を、 タモリが細かく描写した場面。朝日は全てカットした。

  • 産経「あなたの考えは、全ての出来事、存在を、あるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです」
  • 朝日「あなたの考えは、全ての出来事を前向きに肯定し受け入れました」

産経のタモリは、師匠としての赤塚を描写して、赤塚に「正解」を問うているように聞こえる。朝日のタモリは、 「あなたはこうだった」と、むしろ赤塚に対して「正解」を授けているように聞こえる。記者の聞き書きだろうけれど、 赤塚とタモリとの関係を、聞いた記者がそれぞれどう思って聞いているのか、邪推できそうで興味深い。

最後に一緒に旅行したときの回想。

  • 産経は「お互いの労をねぎらっているようで」
  • 朝日は「お互いに労をねぎらっているようで」

「の」と「に」のひらがな1 文字の違いにしか過ぎないけれど、。産経の赤塚は師匠。 朝日の赤塚は、どこかタモリの「生徒」っぽい。

産経版のタモリは、段落の多くに「私は」「私に」という言葉をつける。 朝日新聞のタモリは、その言葉がすべて省かれていて、そのほうが、いかにもプロが書いたような、 それこそ「天声人語」みたいな文章になるけれど、どこか他人事みたいな響きがつく。

「こう思っている」主体がたとえ自分であっても、「私は」を繰り返していくと、文章が素人っぽくなる。 それを省いて、個人の判断なのか、それとも一般常識として認知されていることなのか、そのあたりをあいまいにしていくと、 文章の流れはよくなるんだけれど、「私は」みたいな言葉を省けば省くほど、事実と判断との切り分けがあいまいになって、 文章にはどこか、上から目線っぽい、当事者らしくないような臭いがつく。

個人で文章を書いていて、「私」の扱いはいつも悩むんだけれど、朝日の記者は吹っ切れていて、 「きれいさ」優先で、タモリの気持ちとか、赤塚とタモリとの関係だとか、後回しになっている気がする。

タモリが読んだ弔辞は、白紙だったらしい。

弔辞の言葉は、ただか書かれたものを読んだのではなくて、タモリがその場で考えたのか、 あるいは書かれたものを記憶したものなのか、いずれにしても、文章化されたオリジナルは存在しないみたい。

本当に文章が存在しないのか、どうして白紙を読んだのか、その時どんな思いだったのか、 語られることはきっとないんだろうけれど、聞いてみたいなと思った。

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タモリの弔辞比較

タモリの弔辞(朝日・産経)をそれぞれを,UniDic(Ver.1.12)で形態素解析(一部手修正)

タモリさんの弔辞~手に持っていたのは白紙だったらしい

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いかにも原稿を読んでる顔をして、手に持っているのは白紙だったというのは笑いに生きた恩師の葬式で笑いに生きてる弟子が送るギャグだったのでは無いでしょうか?

壮絶な師弟関係を感じました。

いたずらに朝日を批判するのはイヤだけど、
こういうのを見るだけでもなんか
朝日の体質というのが分かりますね。

むしろこういう弔辞こそ、又、すばらしい内容だったのだから
そのまま全文載せるのがタモリさんに対する礼儀でもあるし、
読者に対する礼儀でもあると思うんですけど、
これを編集した朝日の記者がどういう神経しているのか
私にはわかりません。
単純な話、随所を編集した文章を読むのと
オリジナルを読むのとでは面白さ(弔辞を例に品のない言い方では
ありますが)が全く違うはずであろうこと、
誰にだって分かりそうなもの。
でも、そんな面白さとは別に
なにがしかの「理念」がこの編集につながっているのでしょうね。

あ~、ヤダヤダ。

タモリ弔辞と「これでいいのだ」

ブログ界隈でもmixi界隈でも、みなを泣かせまくっているタモリさんの弔辞。ここは

[...] 弔辞の比較 - レジデント初期研修用資料 (tags: media) [...]

省略と、わずかな語尾の調整だけでも、文章の見えかたはそれなりに変わってくるということで。。

赤塚先生おやすみなさい。そしてタモリさんがんばれ。

「西から上ったおひさまが、東へ沈む~」
「これでいいのだ。これでいいのだ。」

今でもフルコーラスで歌える。
バカボン、ひみつのアッコちゃん。
幼い頃よく見たアニメだった…

http://jp.youtube.com/watch?v=yU83Nhuub6k
で実際の弔辞が見れますが、一部カットされているようですね

白紙でいいのだ。

僕も小さいときの写真で、なぜかシェーやってるんですよね。

あのころはピースの替わりだった?

とか思っていたら、タモリさんが弔辞でいろんな人を泣かせまくっています。

読…

「これでいいのだ」の定義について言及する箇所で「重苦しい陰の世界から開放され…」とありますが、私は「意味の世界」では?と思いました。ナンセンスギャグの大家ですから。それに続く「異様に明るくなり」という表現につられて?「陰」とミスヒアリングしたのでは、と。
ちよっと探したところ四国新聞ではそう記載されています↓
http://www.shikoku-np.co.jp/national/detailed_report/article.aspx?id=20080807000394

産経は全文を載せた。
朝日は社内ルール(文字数含む)にのっとり、日本語をきれいにして不要な部分を割愛した。
ただ、それだけのことですね。
産経は「お互いの労をねぎらっているようで」
朝日は「お互いに労をねぎらっているようで」
なんて象徴的で、朝日は主語を明確にしているだけです。

>ただ、それだけのことですね
これを言葉のプロが言い切るのはどうなんでしょう?
プロ失格なのではないでしょうか?

ルールに則って、日本語を「きれいに」した、ただそれだけのことが、実際問題弔辞を読んだ人の空気感みたいなものをこれだけ変えて、それに対して文章を構成するプロの人が、「ルールにのっとり不要な部分を割愛した。ただ、それだけのことですね」なんて言うのは、間違っていると思います。

朝日だから、と面白がって書いた文章なのはたしかですが、朝日新聞の「編集」に対する違和感は本物です。こんなエントリーでも、昨日1日で7万人の人が見に来て、いろんなところで違和感を表明しているのをみても、それを「ただ、それだけのことですね」なんてスルーしていいんでしょうか?

編集者という、言葉のプロなのに、どうしてそこまで言葉の持つ力に対して無自覚でいられるのでしょう?素人としては、全く理解に苦しむのですが。。

>ただ、それだけのことですね
そういうこと言ってるから日本のメディアはダメなんだよ。
口語を整理するために、繰り返しや指示語の整理をすることはある。
だからといって、自紙のルールやテイストが、発言者の伝えたいこと
より優先されてどうする。朝日の文章は、赤塚先生とタモリさんの
2人の特殊な関係のニュアンスを削った、典型的な駄文。

蠑碑セ槭↓縺、縺?※

襍、蝪壻ク堺コ悟、ォ縺輔s縺ョ闡ャ蜆?縺ョ髫帙?繧ソ繝「繝ェ縺輔s縺ョ蠑碑セ槭?ゅ%繧後r繧「繝峨Μ繝悶〒隱ュ繧?縺ョ縺ッ縲√☆縺斐>縺ィ縺?≧縺九?√◎繧後□縺代?縺薙→繧偵&…

>タモリさんの弔辞は次のとおり
と書いてあれば全文だと思う人のほうが多いわけで。
典型的なミスリードというか、発信したい情報のみ発信。

産経のように全文掲載と書いてない=編集済ということなんだろうけどね。
コメントのほしいところだけ使って扇情的な記事を書くのに近い。

最後の「言わさせていただきます」は、
どこのTVでもほとんど「言わせていただきます」に修正してたね。

確かに文法的には間違いかもしれない。ATOKにも指摘される。
でも機械的に修正するのもどうなのか?
だから、そのままにしてる産経を見た時は逆にビックリした。

産経「深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました」
朝日「いろんなネタを作りながら教えを受けました」

>朝日は社内ルール(文字数含む)にのっとり、日本語をきれいにして不要な部分を割愛した。

プッ

何度もタモリさんの弔辞を聞きましたが(某サイトでフルバージョンの映像がアップされてます)、やっぱりいい! それとともに、弔辞を直接聞くと「ああ、やっぱりあれは白紙であって、記憶に頼って言っているのかな」と感じさせてくれます。つまり、細かいところ、あちこちで文法的な間違いがあるということです。一般的に、人は、目の前にある文章を読み上げるのでもしばしば読み間違いというものを起こすもの。それを差し引くにしても、やっぱり記憶に頼って読んでいるのかなと思わせるたどたどしさが、わずかですが感じられます(それでも一度も思い出そうとしている体を見せていないのが脅威ではありますが)。そういうのって、例えば産経が載せたような「そのまま」の文を読むと分かってきたりするのです。朝日のように編集されたんじゃ分からない。

今回の例を見て、改めて(朝日に限らずという意味で)、マスコミやネットにおいての情報伝達、事実の印象操作ていうのはこんな感じで行われてしまう危険性があるんだなと強く感じました。

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