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2008.07.07

学問の舞台設定

しっかりした地盤なしで成立する建物がないように、専門家が「学」を立ち上げるためには、 専門知識が実際に役立つための舞台設定が欠かせない。

砂漠戦に強い将軍がいたとして、その人が単純に「強い」という理由だけで艦隊を率いる立場に抜擢されても、 たぶん勝てない。将軍の「強さ」というのは、あくまでも砂漠という舞台があってこそ成り立つもので、 舞台が変わって、戦いのルールが変われば、その人がいくら名将であったとしても、その力を発揮することは難しい。

将軍の「強さ」、専門家の「専門性」みたいなものは、だから特定の舞台設定とは不可分なもので、 自らの知識を役立てるための舞台を定義できない学問は、それがどれだけ壮大な知識と技量とを集積していても、 肝心なところで役に立たない。

基礎のない建物はありえない

何か建物を造るなんてことを考えたとき、「基礎を作る」人達と、基礎の上に何かを立てる人達とは、 考えかたが異なるような気がする。

基礎を作る人達は、いろんな土壌を相手にする。建設予定地は山の中かもしれないし、 沼地だったりするかもしれない。ちょっと掘り返せば岩盤がむき出しになるような土地もあれば、 いくら掘っても粘土ばっかりで、ビル立てたら傾くような土地だってあるかもしれない。

相手は様々だけれど、目指すべきは「固くて平らな基礎」であって、その上に建てられるのが伝統的な寺社仏閣であろうが、 六本木ヒルズみたいな高層建築だろうが、建築家が基礎に求めるものは、多分そう大きく変わらない。

上物を作る建築家は、強度だとか予算だとか、いろんな要素を妥協しながら、顧客が求める何かを作ろうとする。 造られる建築物は、いろんな制限と折り合いながらも、建築家の能力が高ければ、たぶんそれだけ顧客の意志にそったものが出来上がる。

基礎を作り出す要素と、基礎の上に何かを建てる要素ととの区別をなくしてしまうと、たぶん建築という分野は、 「学」として成立しなくなってしまう。

「基礎」と「上物」との境界を無くす方向を目指してしまうと、その土地の状態そのものが、建物の姿を決定してしまう。 顧客の意志は、建物の姿をゆがめる「ノイズ」として排除されてしまうだろうから、そんな「学」には、たぶん誰もお金を払わない。

恐らくはどんな専門性、どんな学問にも、集積された知識を運用して、誰かの役に立てるための「基礎」、あるいは「舞台」となる ものが必要で、舞台装置を持たない学問は、それが役立つ「誰か」を設定できないから、「学」として成立し得ない。

医師が目指す「安定な状態」

たとえば外科医は、全身麻酔がかかった患者さんが手術台の上に横たわった状態を、「安定な状態」と定義する。 カテ屋さんにとっての「安定な状態」は、患者さんが消毒されてモニターつけられて、カテ台の上に乗った状態だし、 それが集中治療医ならば、患者さんはICUにいて、モニターと動脈ライン、下手すると透析用のブラッドアクセスなんかを 最初からつけられた姿を想像する。

みんなもちろん医師だから、患者さんがそうならなくても技量を発揮できる機会はあるけれど、「生き死に」に 関わる状態の患者さんを診るときには、まずは患者さんを「安定な状態」に持って行かないと、 自分の技量を最大にできない。

救急外来に不安定な患者さんが来たときは、だから超急性期は「陣取り合戦」みたいな雰囲気になることがある。 いくつかの科が呼ばれる。「ここで治療する」という選択枝はどこの科も想定してなくて、 みんな自分のホームグラウンドに患者さんを移動しようとする。そこで「安定な状態」を作り出してからでないと、 自ら責任もって働けないから。

医師にとっての「安定な状態」というのは、その医師が持っている能力の範囲内で、 患者さんの身体に起きたことを、最大限に見通しが良くできる状態。

患者さんは、もちろん助かることもあるし、不幸な転機をたどることもあるけれど、 「安定した状態」におかれた患者さんに起きたことは、その状態を要求した専門科は、 かなり詳しいところまで解説できるし、原因の見通しがいいからこそ、技量の範囲で対処もできる。

カテ室に連れてこられた患者さんは、心臓についての治療はできるけれど、その人がその場で吐血して、 いくら消化器科の専門医が呼ばれたところで、すぐに対処はできない。手術中の患者さんが急変して、 「心臓に何かありそうだから見て下さい」なんて循環器が呼ばれても、麻酔かけられてお腹開いた患者さんには 検査も出来ないし、やっぱりカテ室に運ばないと、何もできない。

生き死にに関わる分野は、だから専門知識を知ってるのとは別に、自分が働けるような舞台設定とは 不可分で、「どんな状況からでも舞台を作り出す」能力と、「舞台の上ですごいことをする」能力とは、 別個に磨かないといけないし、学びの方向みたいなものは、共通していないイメージ。

「舞台を作る」お仕事というのは、「診断」とか「状態把握」を行うもっと以前の段階、 そういうものは基礎の上に立つ「上物」の範囲であって、まずはそういう仕事を やりやすい状況に、一刻も早くたどり着くためのやりかた。

外傷医学はどうなのか

外傷医療の、やっぱり「緊張性気胸の対処」というものが、よく分からない。

見逃すと致命的になる。基本的な治療には絶対反応しない。「修行すれば」診断できるけれど、 診断確度はいいところ8 割ぐらいで、それすらも、たぶん慣れてない人には無理。

外傷医療のガイドラインは分厚くて、それが建築ならば、高層ビルだって建てられそうなぐらいに 様々な知見が集積されているけれど、知識の伽藍が依って立つ「基礎」は、2 割の確率で吹き飛んで、 基礎が吹き飛んだとき、それに対してどんなに立派な高層ビルが建ってたところで、やっぱりビルは崩れてしまう。

アメリカの外傷ガイドラインには、「分からなかったら両肺にチェストチューブを入れよ」という記載があるんだという。

アメリカの外傷医療は、だから「静脈ラインとモニターをつけられて、両肺にチェストチューブが入った患者」というものを 外傷医療の「安定した状態」と定義していて、この定義で行けば、緊張性気胸の患者は理論的に発生しないから、 医師は十分に安定した基礎の上で、自らの技量を振るえる気がする。

舞台設定を「患者さんにCT が為された状態」と定義してもいいし、 あるいは「輸液に反応しない血圧低下にはPCPSを入れよ」でも いいし、「基礎」の作りかたにはいくつかやりかたがあると思う。

どちらも問題あるし、お金かかるけれど、「修行して死ぬ気で頑張れ」というのは、 やっぱり学問の基礎にはなり得ない。このへんは、本来偉い人達がもっと考えてくれたっていいと思う。

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現場見もしないでめちゃくちゃ言い過ぎ。ちゃんと勉強してから書いたら?

 外傷性気胸には両側にドレーン突っ込むのは当然「あり」でしょう。チューブ入れるだけなら、ちょっと訓練すれば思い切りの良いヤツなら誰でも出来ます。私も怖いモノ知らずの無知(無恥)者だったときはいろいろやったものです。(汗

 結局の所、本物の多発外傷にはいざとなったら緊急で開頭・胸・腹手術が全てできる施設じゃないと実際厳しいですよ。

 JBMによると「完全に最後までできないなら、ハナから診るな」ってことらしいですから、過剰なまでの自信がないのに多発外傷を受けたら負けです。半端に勉強したところで、自分の身も患者の身も守れません。まさしく「生兵法は大けがも元」ですか。
 諸兄のご指摘通り、そもそも半端な二次施設で多発外傷を診させる時点で救急のシステムがすでに破綻してますねぇ。
なにはともあれお疲れさまです。

実際、救急外来やってると8割位はマニュアル通りにやっていて問題ないのだけど、イレギュラーな状態に対応できないのです。そのため、ガイドラインには様々な可能性が記されており、、、とてもじゃないけど実行不可能なことまでも書かれてたりして、、、。現場ではやはり役に立たなかったりする。一次、二次、三次なんて分けてもあんまり意味無くて、、、救急車は近くて受け入れて貰える病院へ放り込んで、医師に渡してしまおうとする傾向が強い。
専門外の患者が運ばれて来そうになったときに、救急車を断わることも大切だと思う。
それと、救急専門医のジレンマとして、、、たとえば吐血の処置は内視鏡医にかなわないし、AMIが来たらカテ屋さんには勝てない。脳出血、梗塞も脳外科に勝てないし、小児は小児科に勝てない。。。結局、三次救急標榜している施設でも救急処置して、診断して、その道のspecialistに任せるっていうのがベストな選択と思う。
大切なのは組織作りと連携だと思います。

「修行して死ぬ気で頑張れ」というのは、最も迅速に診断する方法を選択し、一番最適な治療ができる施設、医師を紹介する。って事でしょう。これだけでも結構大変な修行なのだと思います。。。

右側の気胸なら身体所見だけで診断してきたけど、左はちょっと自信無いですね。

建物の規模によって要求される地耐力は変化する訳で、上物の構造体とN値によって表層改良でいいのか、柱状改良でいいのか、鋼管杭が必要か決まるんで。10階建て以上のRCをイメージして重症患者さんを語ってらっしゃるところの思考実験。マジレスはいかがなものかと。

あ、しまった。わけわからんこと書いてしまった。個人的には気胸、血気胸のレントゲンなしの診断は受傷機転、エネルギーからの類推が8割くらいで、あとは呼吸音とか胸郭の残響とか。あんまし自信無い。左右差関係ないです。すんません。

ブログ主さんのたぶん後輩です。
海沿いのあの病院のOBです。

JATECなんぞしょせん、
エッセンスは紙一枚程度。
いまや、研修医がみんなやってますよ。

挿管してもサチュレーションあがらなくて、
さらに血圧までさがってきちゃったら、
ポータブルのレントゲンすら待てなければ、
なんとなく音の弱い方の胸の肋間にとりあえず針を刺して
、ついですかさずチェストドレーンをいれてしまえば、
とりあえず安定しますよね。
誤爆してもだれも気がつきもしませんし。

「静脈ラインとモニターをつけられて、両肺にチェストチューブが入った患者」
大賛成です。挿管してれば尚良いですよね。

2次病院から外傷患者の搬送を受けるときには、
必ず、入れる管はすべて入れてきてもらってました。
入れる隙があればとにかく入れる。それが外傷のコツだと思ってます。

判断は難しいかもしれませんが、
手技自体は簡単なのが外傷初期診療。
だからとにかく隙があれば刺す。

僕は外傷、蘇生は救急の花。
だけどやってることは体育会系。
なんてだれかが言っていましたが、まさに的を得ていると思います。

>外傷。蘇生は救急の華
でしょうけど、本当の医療ではありませんね。。。簡単なマニュアル通りに迅速に動く。。。スポーツみたいなものでしょう。
って。僕の大学の救急部の部長が吐露していました。

僕の今の専門は「認知症」です。患者数は増えているのに、薬(アリセプト)の処方は昨年から減少しています。。。誰も自分で抱えたくないのでしょう。本当は開業医がかかりつけ医として診るべきだと思うのですが、、、QOLが著しく低下してしまいますから、みんな見て見ぬふりしてます。医師も、家族も。。。寂しいです。治らなくて、進行して、いずれは廃人となってしまいます。7〜10年も介護しなくてはいけなくなります。救急医療以上に深刻な問題だと思うのですが。。。マスコミも、政治家も行政も、、、みんな見て見ぬふりしています。。。実際、崩壊した家庭とか、介護疲れで心中とか、、、たくさんあるのですが。。。
寂しいばかりです。

このへんの話題は、結局くらい話ばっかりになっちゃいますよね。。

「理想的な」緊張性気胸ってどのくらいあるのでしょうね。
普通の治療に反応せず、
胸部レントゲンを待ってたら致死的な経過となるが、
熟練した救急医なら身体所見であっさりと診断し、
即座にチェストチューブを入れてみるみる改善する。
アメリカの「わからなかったらチェストチューブ」というのは2行目と3行目をバイパスするわかりやすい対処といえるかも。

「学会」とか「お上(厚生労働省)」は「ちゃんとしたガイドライン、マニュアルを作りました」と言うことで責任転嫁しようとするし、救急医療のスペシャリストは「修行を積めば簡単。修行が足りん」っていうし。でも、現場では「地雷を踏まないように、でも患者さんの利益になるように」ってぎりぎりの選択をしている。立場ごとに言い分も違うから齟齬が生じるんでしょうね。。産科、小児科、救急っていうリスクの高い分野は市場原理で言えばもっと高いリターンが得られなければ誰も担っていかなくなるでしょう。。
地雷を踏んだ時点でゲームオーバーですから。。

そーんなむつかしいこと考えずに、JATECくらい、軽く受けときゃいいんですよ。
「見る前に飛べ」ってそういう意味です。

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