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2009.12.21

メディアにだって生活がある

スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術」という本を読んだ。

「プロパガンダ」みたいな心理操作の技法を期待して読んだんだけれど、印象操作それ自体よりも、 むしろ「マスコミの人たちもご飯食べないといけないんだな」なんて、変なところに感心した。

怪物はいなかった

「報道する側もご飯を食べないといけない」という文脈で読み解くと、「陰謀」に見えるものが、案外そうでもなく思えてきた。

飛ばし記事だとか、スクープ争いみたいな印象とは逆に、報道機関というものは、「怪しい」記事は書けないんだという。

記事を書くにも、それを雑誌に載せて流通させるのにもお金がかかるし、出版社はお金を稼がないと続けられない。 それがどれだけ衝撃的な記事であったところで、「裏」が取りにくい、相手から訴えられたら言い訳のできないような記事だったなら、 訴えられた時点で「赤字」になってしまう。こういうのはリスクが高すぎて、報道できないんだという。

「ある記事を潰したい」という意図を誰かが持ったとして、だから「それを記事にするな」と圧力をかけるのは悪手であって、 むしろ「その記事のソースは怪しいみたいだよ」、と話を持ちかけると、メディアの人たちも、スクープを前に考え込んでしまう。 「スピンドクター」という仕事は、圧力よりも、むしろこういうやりかたをするんだと。

「誰も得しない」スクープは報道されない

たとえばこれから売り出す芸能人のスキャンダルは、「誰も得をしない」という理由で、しばしば潰れるのだという。

どこか大きなスポンサーがついて、広告にお金をかけて、まさにこれから売りださんとしている矢先に、 どこかの週刊誌がとんでもないスキャンダルを見つけてきたところで、流せない。 それを報道すれば、あるいは「雑誌がちょっとだけ売れる」程度の効果が見込めるけれど、 その芸能人にすごいお金をつぎ込んできた広告主のダメージは計り知れない。

スクープをつかんだ雑誌がちょっと得することと、広告というもので暮らしている業界全体が受けるダメージと、 天秤が「業界」側に傾くことは珍しくなくて、大きくなりすぎた芸能人のスキャンダルというのは、 「それを報道しても誰の得にもならない」という理由で、表に出ることはないのだと。

お金はやっぱり大切

亡くなった三浦和義氏は、「獄中のスピンドクター」だったんだという。

あの人は監獄の中で雑誌を購読していて、自分に関する記事を読んでは、片っ端から名誉毀損の訴訟を行った。

訴訟の勝利を重ねていく中で、三浦氏には「こういう書きかたなら、訴訟でこのぐらい勝てる」というノウハウが蓄積できて、 メディアはもう、三浦氏に頭が上がらなくなってしまったんだという。

訴訟というのは地味に有効で、数千万円オーダーの大規模な訴訟でなくても、 メディアの側が一定金額以上「敗北」したら、記事としては赤字になってしまう。 赤字が続けば雑誌は潰れるし、「戦った」ところで、全部訴訟になって返ってきたら、編集部は疲弊する。

訴訟の多い人からは、だから報道機関は離れていく。政治家の人たちなんかも、ちょっとした醜聞を「有名税」として 受け流す人と、全ての報道に、きっちりと訴訟で帳尻を合わせてくる人とがいて、 「真っ黒だけれど訴訟の多い人」は、だから報道されないままに黒くなって、伝説の黒幕みたいになるんだという。

「つまらない」という武器

メディア相手の謝罪会見、みんなが並んで頭を下げるあのやりかたは、リスクコミュニケーションとしては悪手なんだけれど、 「スピンドクター」としては、むしろ「あれこそが有効」なんだという。

あの風景はもはや当たり前で、謝罪会見をどれだけ流したところで「つまらない」からお金にならない。 「つまらない」ニュースは、それ以上深く突っ込んだところで、もはやそのニュースからはお金が生まれる余地がないから、 「頭を下げる」側の目的は、それだけで案外達成できるんだという。

群がる記者を相手に、軽妙に応対してみせた麻生総理は、もしかしたら「メディアとの対応が恐ろしく下手くそ」であったのかな、と思う。 あのやりとりは「面白かった」からこそ、メディアはこぞって報道して、記者はいつも「負ける」側でいたから、 裏を返せば総理を叩く大義が生まれた。

鳩山総理の話はつまらないし、いつ見てもグダグダで、最近はなおさらグダグダなんだけれど、 昔からグダグダだった人が、今さらもっとグダグダになったところで、それをどう叩いてみせたところで、 面白い絵を作るのは難しい。

「民主党はひどいことをたくさんしているのに報道されない」なんて、ネット世間ではみんな怒っているけれど、 その理由はたぶん、「鳩山総理はつまらない」ということに尽きるんだと思う。グダグダを叩いても面白くないし、 もしかしたら政治の無能が報道されることは、「投票した視聴者」にとっても面白くないことであって、 これは「誰も得しない状況」に相当するから。

「生活している他人」への目線

「みんなお金がないと食べていけない」という、ある意味ごくごく当たり前のことを理解していること、 相手がどうやって食べているのか、その人が所属している業界の構造を見抜けることが、 スピンドクターが「ドクター」として、特別な存在でいられる理由なんだと思う。

出版社の人たちと仕事めいたものをさせていただいて、出版というものもまた、 「初対面の社会人に出費とリスクとを強要する」行為であることに気がついて、 商品を作るということは、これほどまでにおっかないものであったのかと、 自分はそういうのを、もっとずっと甘いものだと考えてた。 自分の業界なら、「お金を意識しないとね」なんてうそぶいてたくせに、 業界をまたいだら、「いいもの書けば売れるんだ」なんて。

たぶんたいていの人が、「いいもの」幻想にとらわれるのだと思う。 ところがどこの業界であれ、何かを生み出すためには、当たり前のようにお金とリスクが必要で、 それはしばしば、「いいもの」を夢見ている人からは見えなかったり、過小に評価されていたりする。

いろんな業界に「生活している誰か」を見出して、その人が暮らしていくためには何が必要で、 「それを行って得られるもの」と、「それを行うことで失うもの」とを、その人はどうやってバランスを取っているのか、 スピンドクターはたぶん、そういう目線でもって「仕事」をしているんだろうし、 業界をまたいで何かをするときには、こういうのは大切なんだと思う。

Comment & Trackback

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[...] This post was mentioned on Twitter by Nobby, なかやま. なかやま said: レジデント初期研修用資料: メディアにだって生活がある http://bit.ly/8pAjTx [...]

マスコミを動かしてる漠然とした空気として、このニュースで誰が得をしてるのか…そういう視点でメディアを見たら面白くなるような気がしました

要するに
マスゴミは
腐りきってる

[ライフハック]誰でも思い通りに動かす情報操作法5選

現代は,情報過多です。情報をいちいち吟味していられないほど沢山、情報が溢れています。その情報の波を作り出しているのは誰でしょうか。そして、その波に飲み込まれていわゆる『…

マスメディアって、実は報道内容より、広告主しか見てない面もあるからなぁ・・・・

医療側も言い掛かり医療訴訟の原告を叩きのめすための罠と網を張っておくべきだろうと思う

今のままでは、一方的に肩入れした煽動報道で気分が悪い

病院が患者を批難し、訴訟しだしたら、犬を噛んだ人と同じくらいのメディアの露出になってしまうかもしれないが、過渡期の現象として仕方ないだろうと思う。
1999年以前は、患者が病院相手に訴訟を起こすこと自体が、今の現状とまるっきり逆だったことを思うと、時計の軸を巻きなおすことも無意味ではないように思える

本当に周到な準備工作が必要だし、やり遂げるにはかなりのエネルギーが必要なのだけれど

私はマスメディアの流れをつくるのは一般大衆なのだと思ってます。
広告主から広告代をいただくには大衆がそのメディアを広く愛用する必要があるわけで。
普通の人の漠然としたムードに迎合するというか、多くの人が不満を持ってて政権交代を望めばそっちの方向へ、新しい政権に見切りをつければこんどはそれを叩く方向に移るんじゃなかろうかと。
医療問題では医療を受ける側のほうが人数が多いので、悪いのは医療側。
ともかく「漠然とした大多数の気持ち」が優先であり「陰謀」なんてものも「警鐘」なんて意味も何にも無いってのが実情ではなかろうかと。

かの m3 で某コメンテーター医が話題になっていました。

テレビディレクターに言わせると、
・すぐに出演をOKしてくれる
・どんな領域にも望む方向でのコメントをくれる
ので、大変、重宝されているのだとか。

たしかにメディアに何か発言しようと思ったら、わけのわからない書類を作成して決裁回さなくてはならない医療機関が多そうな気もします

組織的な抗議活動をしている特定の声の大きな圧力団体に、
マスコミが易々と迎合してるのは、すでに多くの人が指摘してますね。
面倒だからです。それが「乗っ取られている」と感じたとして、
それは間違いではない。「得」よりも、「損」で動くのが組織です。
普通の日本人は抗議なんかしないから、ますます特定の団体の声ばかりが
大きくなっちゃう。

抗議すべきですね。

要するに、マスゴミが腐っているのではなくて読者が腐っていると。
そもそも、ヒトが動いて集めた情報がタダ(もしくはそれに限りなく近いコスト)で受け取れる、という当たり前のことができれば、
何らかの情報は常に何らかの意図を持っていると考えるのが当たり前かと。

結局、マスコミ自身がマスコミの本質を見失って、単なる金儲けの企業になってしまったってことではないですかね。
どんな業界だって、儲けと理念をバランスとってやってて、食品偽装みたいなことがあれば簡単に破綻する世の中なのに、マスコミだけは許されるなんて方がおかしいと思う。

みんなたぶん「やりやすい」「食べやすい」方向に流れる性質を持っていて、それをきちんと見ることができればある程度の誘導が効くんだと思うのです。。

問題は、立ち位置の前提を誤解させてそれを利用している点、でしょうね
今やおおよそすべてがスポーツ新聞レベルと言って良いでしょうが
それと知らず信頼できると思っている・思わせ続けていること、そこが罪なのではないでしょうか

発信→受信の際、どのレベルの情報なのかが間違わず伝わっているのなら
好き勝手に与太飛ばしててもいいと思いますよ、ええ

スピンドクター読んでみました。
お得意様を大事にする。取引先を大事にする。その繋がりの中で貸しを作ったり借りを作ったりしている。どこの業界でもやっていることをマスコミでもやっているんだなーと納得しました。

それと同時にこれはもう資本主義の中では、水が高い所から低い所へ流れるように自然に発生してどうすることもできないんだなと、そう感じました。それに対して「悪い」とか「良い」とか言っても、「水が高い所から低い所へ流れるなんてけしからん!」と言うのと同じような空しさを感じてしまいます。

ただ、もし、例えば「飲酒運転問題はアルコール依存症とセットに考えるべきだけど、マスコミはなかなかそこに言及しない」に対して、「けしからん!」と反応する人より、「そうだよねー。キ○ンやサント○ーは大事なお得意様だからねー」と納得する人が増えたとしたなら、マスコミも変わらざるを得ないでしょう。そういう人たちが食いつくような情報を提供しなくちゃいけないから。

もっと今より絶妙なスピンが現れるかもしれませんが、それはそれで見てみたい気がします。