2009.11.14
合理化が手にした利益
恐らくは「能力ある人を育てる仕組み」があった場所に、「既得権」と「無駄」というキーワードをぶつけると、そこが「合理化」する。合理化した帰結として、「能力ある人を育てるための教育コスト」が、「無駄を排除した利益」として、攻撃者に転がり込んでくる。
合理化はだから、短期的には間違いなく利益を生む。その代わり、教育システムが「合理化」されてしまうから、もう後続は育たない。教育システムを再建しようにも、それには「既得権」のラベルが張り付いているものだから、政治という営為が「嫉妬の最小化」を目標に行われている以上、システムが再生することはあり得ない。
昔は旦那がいた
「日本一の左官職人」の昔話。
その人が若い頃には、どこの町にも「大旦那」とか「若旦那」がいて、若手の職人は、そういう人に目をかけてもらって、ある日「粋な茶室を作ってくれ。金は出す」なんて注文を受けたんだという。機会を与えられた若手は必死になって茶室を作って、それはもしかしたら、師匠の手には及ばないのだけれど、「旦那」はどこかに光るものを見つけて、お金をくれたのだという。
茶室を頼む旦那はいなくなって、「若手」はもう育たないから、日本一の職人は、同時に最後の職人でもあって、たぶん今、「最後の日本一」が、いろんな業界にいるんだと思う。
「マタギ」と「ナガサ」
熊撃ちの猟師であった「マタギ」が羽振りのよかった昔は、地元の鍛冶屋さんに自分の刃物を作ってもらうものだったんだという。
鍛冶屋さんにもやっぱり、「師匠」と「若手」とがいて、手分けして、いろんな刃物を打ち分ける。マタギの人たちは、「ナガサ」と呼ばれる大きな刃物を携帯するのが常で、これで藪を割って山に入って、何かの理由で銃が使えないときには、ナガサで熊と戦うときもあるらしい。
ナガサはだから、恐ろしく頑丈にこしらえてあって、先端部分だけ、相手をさせるよう、両刃になっている。マタギの命を預ける刃物だから、もちろんこれは「師匠」の仕事で、値段もえらく高価なものだそうなんだけれど、「師匠」が留守にしていたある日、マタギがナガサをオーダーして、まだ若手であったその鍛冶屋さんは、必死になって一振りのナガサを仕上げて、その人に届けたんだという。
それが独立したきっかけになったのだと。
無駄と一緒に捨てたもの
昔の問屋さんは、若手を育てる役割を担っていたのだなんて記事を読んだ。
昔はあちこちに問屋さんがいて、こういう人たちは、流通から対価を得ていたんだけれど、問屋さんは「無駄」であると同時に、たとえば作家の目利きをして、腕のいい若手にはお金をはずんだり、引き合いの少ない気切には在庫リスクを引き受けてくれたりして、若手の作家を育てる役割も担っていたんだという。問屋さんがAmazon に追い払われて、流通には無駄がなくなったその代わり、「若手」はたぶん、育つ機会を減らしたのだと思う。
「能力」というものを、「仕事を作り出して、それを最初から最後まで完成できる人」みたいに定義すると、その人がどれだけ優秀であったとしても、機会がなければ、能力は磨けない。今はなんだか、「能力を持った人」を育てる仕組みが、社会の中からどんどん減っているような気がする。
焼き畑農業の先にあるもの
それは無駄といえば無駄なのだと思う。「大旦那」というのは要するに成金なんだし、「マタギ」の財を作った熊の胆のう、同じ重さの金より高いなんて言われた物質にしたって、今では普通に薬局で買える。無駄がなくなること自体は、決して悪いことには見えないんだけれど、「無駄にお金を使える人」が社会から減ったことで、「能力を持った人」が誕生する余地が、世の中から失われてしまった。
「社会から無駄を放逐して、全体の富が増えました」なんて、これは一見いいことなんだけれど、「富」が増えた本当の理由というのは、実は社会というか、旦那衆が負担していた「教育コスト」をお金に換えて、それに変わるものを、社会からなくしてしまったからなんだと思う。
戦争を民営化する、「戦争株式会社」を導入すると、戦争のコストが劇的に下がる。雇う側は、安価に「強い軍隊を購入する」ことができて、現場で戦う兵士もまた、国軍で戦うよりも、はるかにいい給料、いい装備で仕事ができる。
民営化はだから「いいこと」なんだけれど、このやりかたで損をするのは、「戦争株式会社」に熟練した兵士を奪われる国家の軍隊で、彼らは軍隊の教育コストを負担しないからこそお金を得られるし、教育を受けていない、何の資格も持っていない人たちには、だから「戦争株式会社」は、過酷に安い給料しか支払わない。
国内の問題にそっぽを向いて、「移民入れましょう」なんて人たちの本音は、あれは「能力を生むコストの外注」であって、「教育に必要な無駄」、能力を持った人を生むシステムを、今から日本に再構築することを、「上」の人たちは、もう無理だと、日本をどこかで見限っているからなんだと思う。
いろいろ詰んでる。
発展の先にあるのはそんな無駄のない、停滞した社会じゃないのかなぁ。活力は、無駄な遊びのなかにこそ宿る。自分も遊びには一生懸命です?
Posted at 2009.11.14 2:14 PM by 半熟医
合理化と技術の空洞化
昔はあちこちに問屋さんがいて、こういう人たちは、流通から対価を得ていたんだけれど、問屋さんは「無駄」であると同時に、たとえば作家の目利きをして、腕のいい若手にはお金を…
Posted at 2009.11.14 7:21 PM by もらとりあむ
いつも楽しみに拝見しています。初めてお便りします。
前々回の「ガタがあるから・・・」を見て、老子の「無用の用」という言葉を思い出しました。今回のブログでは、原丈人さんの「国富論」を連想しました。科学と芸術はともに美または真理への追求や創造性が重んじられることからよく似たものとして論じられますが、タニマチまたはパトロンが重要な役割を果たす点でも類似しています。科学関連予算の事業仕分けを見て、将来を夢見る余裕の無いまま合理化の特攻隊ができて変な自殺行為をしでかさなければよいなと思っています。合理化は目的ではなくて手段のはずですが。
Posted at 2009.11.14 11:04 PM by unemployed posdoc
出版社などの流通の中抜きがなくなると、
今よりも絵描きや音楽家たちの喰える総人口が増えて、いろいろな良いものが生み出される可能性が増えるのではないかと考えています。
悪い効果もあるでしょうが、トレードオフで新しい可能性もあるのではないでしょうか。
Posted at 2009.11.14 11:25 PM by toku_bass
「能力のある人を育てる仕組み」をもっと別のところで再構築した方が幸せになれる思う。
Posted at 2009.11.15 12:32 AM by tamachi
リストラ、コスト削減などとやり出すと、その会社には先がないように思います。
特に医療では、糊代がなければいい仕事ができません。
私がよく患者さんに説明しているのは、自分達の仕事の半分は診療で、残り半分は次世代を育てる教育だということです。
とはいえ、そこそこ使える医師を1人養成するのに、途方もない時間と手間がかかるのを誰も理解してくれないのが残念です。
私の領域でいえば、自分で判断し自分で決着をつけることができ始めるには、少なくとも卒後1万時間ぐらいの勉強が必要ではないかと思います。
とはいえ、時代が変わってしまったのですから、「教育の外注」など、別の方策を考えるべきかもしれません。
Posted at 2009.11.15 6:07 AM by エリヤフ先生
[...] 合理化が手にした利益 – レジデント初期研修用資料 (tags: business venture study education) [...]
Posted at 2009.11.15 7:03 AM by links for 2009-11-14 « 個人的な雑記
こんにちは。いつも大変参考になります。
合理化というのは眼前の目標に対する最適化ですから、中長期的には一定の無駄なものが必要という点はそのとおりだと思います。
一方、合理化は理に合った状態にすることですから、トータルの利益は増えますが、両立できずに失われる過去の長所もあり、それへの郷愁は常に発生します。
ところで、「無駄の存在」は分野が変わっただけでは?と思います。伝統的な分野はどんどん合理化されますが、立ち上がったばかりの分野は常に非合理です。
企業は既存のビジネスの合理化を進める一方、現在時点では全く無駄な新規事業を若手に任せます。エンジェルという現代の大旦那もいます。
例に挙げられている左官屋やマタギは衰退分野ですので、合理化が避けられません。では例えば他の徒弟制度の代表格である料理人なんてどうでしょう?
既得権を守るため能力に関わらず長い下済みを強制する風土は薄れているのではないでしょうか。能力ある若手が自分の店を出すチャンス(=スポンサーの存在)も昔より高まっているように思えます。
Posted at 2009.11.15 10:28 AM by sakuragaoka
[ライフハック]ムダと一緒に捨てたもの ゆとりの価値を見直す
最近『ゆとり』のない人が増えてきていると思います。余裕があればすぐ負荷がかけられて、『ゆとり』のない状態に置かれます。余裕は無駄を発生させ経済的効率を下げることに他な…
Posted at 2009.11.15 10:44 AM by keitaro-news
「無駄」を省いた究極の結果が、子供がいなくなり人口が減るということ。
局所最適化の総和が全体の利益にならないということ。
それを埋めるはずのものは、未だに記述されていない、人の心理に関することのように感じます。
今は個人の心理療法を学んでいますが、いずれは集団の心理を考えたいと思っています。
Posted at 2009.11.15 9:03 PM by HZ
マタギや旦那の話は、古き良きお話で結構なのですが、その影で一般大衆が貧しく、飢えていた時代であることは忘れてはならないと思います。
Posted at 2009.11.16 3:30 AM by うーん
>マタギや旦那の話は、古き良きお話で結構なのですが、
>その影で一般大衆が貧しく、飢えていた時代であることは
>忘れてはならないと思います。
うーん。貧しく、飢えている人は今も昔も変わらず
いるのでは?
貧しく、飢えている人が目に付きにくいほど少数だとか、
目に付きにくいほど遠くにしかいないので、
昔より今の方が「良い日本」ということでしょうか?
Posted at 2009.11.16 5:00 PM by 通りすがり
>貧しく、飢えている人が目に付きにくいほど少数
少ないことは、良いことです。
旦那衆といえば、文化活動のほかにも、女遊びや2号さん。旦那衆が遊んだ相手は、貧農から売られた娘もいたでしょう。やたらに旦那の時代を懐かしむのはいかがかと思います。
>昔より今の方が「良い日本」ということでしょうか?
(最低限の)衣食は足り、医療も向上し、乳幼児死亡率は低下、高齢者の健康状態も改善し、昔よりは良くなったといえるでしょう。
将来に希望はあるのか?といわれると難しいけれども。
>「無駄にお金を使える人」が社会から減った
ITバブル紳士や金融トレーダーは、数年前までは新興勢力として羽振りが良かったですよ。すでに一財産築いた人も多いと思います。
Posted at 2009.11.18 3:21 AM by うーん