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2008.05.24

分配と経営

何とかしないといけない状況があって、そのときに何も考えないのは最悪で、 一人のリーダーが状況を仕切るやりかたは、「頭一つ」分だけまし。

一番いいのは「みんなで考える」やりかただけれど、それをやるのは案外大変。

アイデアというのはサボると出なくて、絞り出す、引きずり出すようなやりかたしないと出てこない。

状況を乗り切るために「みんなで考える」やりかたは、だからあんまり快適じゃなくて、 むしろ思考を引きずり出される側の人にとっては、しばしば不快ですらあるんだけれど、 「状況を乗り切る」目的達成するためには、援用できる思考リソースは、 きっと多ければ多いほど、いい結果に結びつく。

分配と経営

助けを必要とする人がたくさんいて、提供できる手の数は限られる。 有効な助けを出すためにはリソースの集中が必要で、不十分な助けというのは、 慰めにはなっても、結果につながらない。

こんな時に「みんな平等」をやると、みんなに「不十分」が行き渡って、 投入するリソースは、全部無駄になってしまう。

誰か有能なリーダーを投入して、限られたりソースを正しく分配できれば、 今度はたぶん、十分な助けを得られる人と、全く助けが得られない人とが出る。またもめる。

平等とか、分配の考えかたは、「相手には能力がない」ことを前提にしている。

「平等」ルールを回すには、そもそも誰の思考も必要としないし、リーダーによる分配もまた、 リーダー一人が考えて、それ以外の人達には、思考したり、手助けしたり、そんな能力が 最初から期待されていない。

「限られた」リソースは、状況によっては増やすことができる。

「経営」を考える人達は、サービスの受け手に「能力」を想定する。その人達の考えかたとかアイデア、 あるいは「手」それ自体をも利用して、限られたリソースを増やす仕組みを考える。

手を増やす

状況さえ選べるならば、「手」を増やす方法はある。

島の病院ではご家族が付き添ってくれるから、検温だとか、患者さんの経過報告だとか、看護師さんとか、 あるいは医師の能力をずいぶん肩代わりしてくれる。それができるのは、もちろん島の失業率が高いだとか、 「島にそこしか病院がない」からこそ、医師があんまり信用されなくて、付き添いながらも 「監視」されてる面もあるとか、いろんな理由はあるんだけれど。

キリスト教系の某病院は、「看護への家族参加」をうたっていて、おむつ交換とか、体位交換とか、 そんな業務は、付き添いの家族が主役になる。看護師は、やりかたを教えたり、介護の相談に乗ったりして、 主役はあくまで患者さんなんだという。

10年ぐらい前の話。今そんなことが通用するのかは分からないけれど、その病院ではだから、 看護師さんの業務がある程度軽減されて、その一方で家族はその施設への長期入院をいやがって、 医療者がゴリ押さなくても、病棟の回転がよかったらしい。

もちろん災害現場トリアージの時に、茫然自失のけが人に向かって「ほらあなた軽症なんだから手伝って下さい」 なんてやるのは無理だし、そもそも「今すぐ」何とかする状況が求められてるときには、 たぶんどんなに巧妙な制度設計を行ったとしても、「みんなの意見」を集めることなんてできないんだけれど、 そこまで絶望的な状況というのは決して多くはなくて、状況を「経営」するチャンスというのは、 探せばきっと多いはず。

小児医療の手が足りなくて、今現場に「トリアージ」を導入しようなんて気運が高まってる。 それをどれだけベテランの医師が行ったとしても、外来で待ってる親御さんに、 「あなたの子供は軽症なんだから3 時間待ちなさい」をやったら、やっぱりトラブルになるし、 子供も親御さんも、3時間もの間、黙って待つことしかできない。

夜間の小児科医療費を明日から10倍にしたら、元気はあるけれど熱のある子供の親御さんは、 たぶん子供の額に氷枕を当てて、自宅で朝を待つ。「10倍」ルールはただの受診抑制手段だけれど、 親御さんに「病気の価値判断」を要請して、結果としてたぶん、氷枕持った親御さんの数だけ、 限られてたはずの小児医療に、「手」を増やす。

現場を無能にするルール

心筋梗塞の患者さんが紹介された。既往もリスクもそろっていて、「動悸がしてめまいがする」なんて、 もう話聞いただけで心筋悪そうな患者さん。

「最初から心臓の専門施設を紹介したほうがいいんじゃないでしょうか? 」なんて水向けたら、 「症状は頭が中心だから、貴院のほうがいいと思います」なんて、ありえない返事。

救急車来て、紹介状開いたら「心筋梗塞の患者です。御高診下さい」。心電図添えられてて、 自動診断装置が「心筋梗塞」なんて診断してた。

その先生は要するに、もちろん全部分かってて、急を要する状況に対して正しく振る舞って、 にもかかわらず、自分に電話くれるときだけ「無能」になった。たぶん自分で大きな施設に電話するの 面倒だから、知能障害おこしたふりして患者さん投げた。

うちでは心カテできないから、患者さんは専門施設に搬送してもらったけれど、 忙しい午後、連絡したり同乗したり、2 時間以上持って行かれた。

このあいだ、外来で「胆石」を診断した産科の先生が、搬送先探すのに、 都市部なのに何軒も断られたとか記事にしていた。「外科だけれど胆嚢やってません」だとか、 「まずは内科に」だとか、理由はいろいろ。つまるところは「私には能力ありません」という宣言。

こんな時の最適解は、残念ながら、紹介する医師が「もっと無能になること」で、 この場合なら、「胆石」なんて診断つけないで、「お腹痛がってるんだけれど私馬鹿だから分かりません」なんて、 自分の「無能」を訴えればいい。高次施設は患者さんを受け入れざるを得なくなる。

能力見せると損をする。本当に馬鹿な話なんだけれど、今のルールは「無能」であることに罰則がなくて、 判断をするごと、能力を行使するごとに責任が発生して、残念ながら、能力を見せても見せなくても、 報酬はあんまり変わらない。

現場はだから、能力あって先が見える人から「無能」を宣言して、そんな人達は「隠れたニーズ」とか 勝手に掘り起こしては、やっかいそうな人をこっちに投げる。「能力ある」なんて一方的に認定された、 本当は経験年次も能力も、「能力ない」宣言した人に比べてはるかに劣る自分たちは、 「能ある無能」に食い尽くされて、現場はますます疲弊する。絶対間違ってる。

経営してほしい

行うべきは「トリアージ」なんかではなくて、やはり「経営」なのだと思う。そもそも足りてないんだから。 何万人もいる医師の集団は、未だに「経営」されていないから、リソースは「限られた」ことになって、 分配のやりかたばっかりが議論になるけれど、本来はたぶん、経営して増やすこと考えないといけない状況。

たとえば「紹介」という行為を1 回行う際に、一律100万円程度の紹介料を徴収するルールを設定するだけで、 最初に患者さん診た開業医の先生には「紹介の価値」を判断することが科せられる。

その価値があると判断されれば、その先生はお金をかぶって患者さんを紹介するだろうし、 正しい信頼関係が作れていれば、あるいはその医師が有能ならば、 「命の報酬」は、患者さんから受け取る手段を考えればいい。 あるいは自分のクリニックで患者さんを診察するなら、もちろん紹介料は発生しない。

全ての医師が「判断」を求められて、紹介料の価値が上がれば、今度は「有能であること」に 経済的な動機が発生する。本来有能な人達は、たぶん無能であるふり止めて、 きっと本来の能力を見せてくれるはず。

みんなで考えて、考えた結果として、足りない現場に「手」が増える。

「みんなで一緒に考える」社会というのは、だから本来的に苦しくて、 誰もが「能力を出す痛み」から逃れられない。

「みんな一緒で平等」という考えかたは楽だけれど、それは「みんな無能」を前提にした安楽。 「みんなで一緒に考える」、経営は、その「みんな」の能力を前提に、痛むことを強いる考えかた。

「平等」よりも「経営」のほうが、よっぽど人間的だと思うんだけれど。

Comment & Trackback

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平等は無能を生む。
これはどんな業界でも、どんな組織でも一緒ですよね。

>平等は無能を生む
真理かも。。社会主義の国なんかが行きすぎるとこうなるような。

私も同じようなことで、疲れることがありますが「愚か者ほど出世する」という本を読んで「無能」の勉強ができました。

medtoolzさま  最近、愛読するようになりました。きわどいどころを突いていて、とても面白いです。

私(精神科医)の最近の経験:

「うつ状態で入院希望」と開業医からの紹介。明らかなボーダーダインで、入院を断ったら怒りまくり。手を焼いている家族たちも一緒に攻めてきて、帰ってもらうのに2時間半。

部長はベッドを埋めるために適応のない入院を取り、病棟に丸投げ。振り回される看護婦は、聞こえよがしに「あの人が辞めたらいいんや」と。そんな医師を追い出しても得にならないので、早く逃げ出す算段中。それが、借金に苦しむ某有名研修病院の現実。

保険診療に留まる限り、ラットレースから離れられません。それとも、収入は他から得て、医療はボランティアとしてするべきなのでしょうか。。。

今後、医療崩壊が進むと搬送先に困った有能な救急隊や有能な先生方がどんどん無能化するんでしょうかねえ… 有能であることに価値がなければ無能を装う方が楽という意見に激しく同意します。医師免許とっても自分の知識、技能を磨かず あたりだけつけてほとんど丸投げとか臨床やらずに周辺分野へ行くとかのほうがいいんですかね?へたに能力あると刑事責任が待ってるし、そこそこ安全であるならそっち行く人もいるだろうし… 2次医療機関で勤務している身としては開業の先生方にうまく利用してもらいたいし3次の先生方には負担をかけずに失礼のない紹介を心がけてるつもりですが今の体制もいつまで持つことやら  まとまりなくてすいません。

>きわどいところ
だからよく炎上するんですよね。。

>有能な先生方がどんどん無能化
有能な人達の尻叩くのが政府の役割だと思うんですけどね。。

>>有能な人達の尻叩くのが政府の役割…
 尻叩かずにあたまたたいちゃってる感じですものねえ、
権力担当がバカばっかしでは。聞くところによると昔は
もっとしたたかな賢さが……
 はっ、「有能なはず」の国家権力の中の人たちまで
「無能行動化」している?

僕はもう少し楽観的に考えています。結構、お上はしたたかで計画通りに事は進んでいるのではと。
1.病院のリストラクションつまり無駄な病院を合併や閉鎖などして病床数と病院数を減らし勤務医を存在が必要不可欠な病院に集約する。
2.病院の数が減ることで就職先が減り開業医が増える。
3.入院できなくなった慢性期の患者さん達は「かかりつけ医」制度などで包括としてしまい増加した開業医が担当する。
4.歯科医師と同じように開業医が増えれば自由競争となり質が向上する可能性がある。
・・・粛々とこれが進んでいるような気がしますが。
その際に困るのは今苦労を回避している若いドクターでしょうな。。そのことに気づいている若い研修医は結構頑張り始めています。。ドクターの世界も格差が生じています。。

もう少し、自宅でお亡くなりになってもらいましょうよ。

>尻叩かずにあたまたたいちゃってる
誰が上手いこと言えと。。

>開業医が担当
そもそもベッド持たずに開業した人達がちゃんと在宅やってくれれば、話こじれないんですよね。もらうもんだけもらってあとおっ被せるから、救急の現場が死ぬわけで。

>救急の現場が死ぬ
昔を思い出します。。病気じゃない、あるいは今来なくてもいい「救急患者さん」を一晩で何十人も診ていた頃を。。
呼ばれるたび、廊下を歩きながら「今回は本物の病人でありますように。。。」なんて祈ってました。。
「仕事中は怒りを抑え込む術」を身につけられて良かったですが、精神的にはギリギリでした。。(_ _)
あ、あとは「立って眠る術」も身に付きました(^^;)
昔の話です。。

>立って眠る術
エレベーターの中に入った瞬間眠くなるのはデフォですよね。。

はい(^^)あと、勉強会でスライド映写のため電気が消されたら、、、即爆睡です。。