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2009.08.02

「書かれたルール」と「本当のルール」

ルールブックに書かれたやりかたと、そのゲームに勝つためのやりかたとはしばしば異なって、 ゲームはだから、「ルールを守る」のが好きな人と、「ゲームに勝つ」のが好きな人と、 たいていは2つの文化が衝突する。

「イヤーノート」という教科書

「本がルールを書き換えた」先例がうちの業界にはあって、医学生ならたいてい誰もが持っていて、 医師ならたぶん10人が10人、その本を「クソだ」と断じる、「イヤーノート」という教科書がある。

医学部というのは医学を学ぶ場所だから、医学生の教科書というのは、 もちろん「医学」が体系的に、権威ある先生がたによって記述される。 教科書には、医師として知っていなくてはならないこと、診療に大切なことが中心に記載されて、 みんなそれを読んで勉強する。

ところが自分たちには「国家試験」というものがあって、これに合格しないことには、仕事が始まらない。 国家試験も試験である以上、「誰もが知っていなくてはならない知識」を問題にしてしまうと、 簡単すぎて、誰でも解答できてしまうから、序列をつけられない。国家試験はどうしても、 主流でない分野、重箱の隅をつつくような問題をたくさん混ぜる必要があって、 何とか成績に序列がつくよう、差が生まれるよう、出題者が工夫する。

そうした「工夫」が重なった結果として、「いわゆる教科書」をまじめに勉強することと、 国家試験に合格すること、「ゲーム」が提供するルールブックと、ゲームが規定する勝利との間に、 距離が生まれてしまった。

ゲームの本当のルール

「医師になる」というゲームにおいては、ルールブックには「医学をきちんと勉強すると医師になれる」と 記載されているのに、実際には、国家試験に合格しないと、医師になれない。「いわゆる教科書」をいくら 必死に勉強しても、身につくのは「誰でも知っていなくてはならない知識」であって、国家試験に出題されるのは、 そういう知識ばっかりではないものだから、ルールをまじめに守った人は、国家試験ではしばしば損をする。

誰もが知っていなくてはならない知識をどれだけ詳細に理解できていたところで、 知らない問題は、やっぱり答えられない。医学というのはそこまで成熟した科学じゃないから、 ある分野を深く理解できたなら、他の分野を推測するのに、その「深さ」が役に立つとか、 そういう場面は少ない。

「医師になる」というゲームのルールを、素直に「国家試験に合格すること」と規定し直した人たちがいて、 「イヤーノート」という教科書が出版された。編集方針は明快で、「重要だけれど誰もが知っている知識」は省かれて、 過去の問題に登場した領域だとか、どこかの大学で卒業試験に選ばれた症例なんかはいち早く詳しく紹介されて、 病院の上の先生がたは、学生がそれを読んでるのをみては眉をひそめた。「それ読むと馬鹿になるぞ」とか、よく怒られた。

教科書がルールを書き換える

「いわゆる教科書の正しさ」と、医学生が当時も今も直面している「国家試験という現実」との間には、 どうしようもない解離があって、「イヤーノート」は不完全だったけれど、その間隙を上手に埋めた。 最初の頃は同人誌みたいな本だったけれど、今では普通に一般書店に並んでいて、 たぶんほとんど全ての医学生が、あれを購入していると思う。

医師国家試験というのは資格試験だから、「全員が間違えた問題」は、不適切問題として、 正解から除外される。「イヤーノート」はたぶん、昔も今も、間違っている記載が多いだろうけれど、 全員が同じ教科書で勉強すれば、その教科書がよしんば間違えていようが、その間違えは、 国試においては「正しく」なる。

「読むと馬鹿になる」教科書は、今ではもう、試験問題を作った人に、自らの頭の中身を問うための武器にすらなって、 「情報の共有」と「ルールの書き換え」という、あれはボトムアップで世の中を書き換えた、まれな成功例なんだと 今でも思う。

「診療」というルール

今自分が直面している「診療」の現場においてもまた、「ルールブック」に記載されている医師の振るまいと、 そのゲームが規定する「勝利」、患者さんの治癒と満足との間にギャップがあって、たぶんみんな、 苦労している。

今はいろいろ進歩して、40分もあればフルコースの血液検査ができるし、 頭からつま先までCTを切るのも、せいぜい15分あれば終わる。 患者さんがいて、その人の骨格模型を3D で作るのは30分で行ける。

「武器」としては相当に高性能な、こういう診療機械は、研修医でもサイン一つで自由に使えるのが病院という場所なのに、 今の「研修医マニュアル」に書かれているのは、やっぱり昔ながらの、 お話を聞いて、どうせ聞こえもしない聴診器を全身に当てて、なるべく検査をしないよう、 しないよう、「それをオーダーする奴は馬鹿だ」みたいなやりかた。

一方では「間違えるな」と言われ、機械の助けなしには診断不可能な怖い病気が羅列されて、 そのくせ「間違えないための道具」が目の前にいくらでもあるなかで、機械はいつでも暖められて、 医師に使われるのを待っているその中で、それを「使うな」と、「研修医マニュアル」は教える。 2009年7月出版の教科書でもそのへん変わっていなくて、やっぱりおかしいと思う。

症状に応じて検査を販売する

「診療」というゲームの中にある、「研修医」というサブゲームのルールブックには、 「患者さんの症状に応じて、適切な検査を販売せよ」と書いてしまえば、それでいいんじゃないかと思う。

やっていることは単なる「御用聞き」であって、もはやそこには「判断」すらないけれど、 研修医に「判断」を要求して、正しい判断に援用すべき検査機械は使用を禁じられて、 もちろん「分からなかったら上司をコール」なんて必ず書いてあるんだけれど、 気軽に上司をコールできるような施設なら、そもそも「研修医マニュアル」なんて必要ない。

内科とか外科、救急がハイリスクで、そこを目指す人が減って、いろんな声が上がって、 人はそれでも、やっぱり減る。

こういうのもたぶん、「ルールブック」と「本当のルール」との間に解離があって、 研修医にはその間隙がよく見えるのに、そこがいっこうに埋まる気配がないものだから、 間隙が深い分だけ、それが「リスク」に見えるんだと思う。

どれだけ精緻なガイドラインが作られたところで、あるいはすばらしい研修システムが 整えられたところで、研修医の振る舞いを、顧客満足に接続できない、今のルールブックが 変わらない限り、人は増えてこない。

馬鹿な本作りたい

それを読んだ上の先生がたが、「こんなもの読むと馬鹿になるぞ」なんて怒り出すようなものが 作れたらいいなと思う。

「ゲームに勝つ」ことを志向したやりかたは、「ルールを守る」のが好きな人から見れば 間違ったやりかたで、両者の間隙が深いほど、相手が「馬鹿」に見えてくる。

その「馬鹿」が顧客の方向に向かない限り、同業者がお互い「馬鹿」とのの知り合う情景というのは 決して悪いものではないと思うし、結局どちらの「ルール」が正しいのか、それを決めるのは、 最終的にはお客さんなんだから。

Comment & Trackback

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ああ、敷衍して他業界でも通じる話です。
「馬鹿みたいに」顧客の要望に忠実なことばかりやってて、他社に馬鹿にされていた会社の業績が、業界の中で群を抜いて良い……というのは私がいる業界でも実際に起きている話。更に言うなら、その会社には天才的な技術者はいないわけで。
いかに「天才なき戦い」で勝つか。ゲームに勝つことを目指す上では重要なことだと思います。天才はルールを守った上で勝ってしまうのですが、それを秀才程度の他者が真似しても勝てないですからね!

私はイヤーノートを知らない世代ですが、
これは国家試験に受かるためのものだったのですね。

medtoolz 先生のマニュアルも診療に勝つ、
というか、
負けないためのもの、
と考えれば、わかりやすいと思います。

まあ
「負けない」といっても色々な意味があるわけで

・正しく診断する、
・地雷疾患を踏まない、
・訴えられない、
・訴えられても負けない・・・
などなど

ルール内で最強を目指してももはや絶対に勝ち目はないので、どうしても、「どこかでずるができないか」を考えてしまうのです。。

一人片隅でこういうことをやっていて、実は世の中は圧倒的に進んでいて、やっとたどり着いたその場所は、実はみんなが3年前に通過したところだった、という展開が怖いのですが、今のところはまだ、大丈夫そうですね。。

>>「武器」としては相当に高性能な、こういう診療機械は、研修医でもサイン一つで自由に使えるのが病院という場所なのに、今の「研修医マニュアル」に書かれているのは、やっぱり昔ながらの、お話を聞いて、どうせ聞こえもしない聴診器を全身に当てて、なるべく検査をしないよう、しないよう、「それをオーダーする奴は馬鹿だ」みたいなやりかた。

人間、年を取ると融通が利かなくなって、新しい「文化」を吸収できなくなるみたい。30歳代になるともうそういう奴が出てきますよね。。。60歳台になると、化石のような知識にしがみついている人もいたりしますし。ただ、その「化石」が何もしらない若い人にとっては新鮮で、どっかで役に立ったりするこもあるのが面白いところではあるのですが、多くはただの害悪ではあります。

ちなみに、「イヤーノート」自体は試験をクリアするのは悪くはないと思いますが、「イヤーノート」的な知識吸収方法に固執する奴は医者として伸びない印象が。。。柔軟なアタマって必要ですよネ。

>>ルール内で最強を目指してももはや絶対に勝ち目はないので、どうしても、「どこかでずるができないか」を考えてしまうのです。。

政治家や資産家の発想ってそんなもんらしいです。

イヤーノートが上の先生方にそんなに評価が低いものだとは思ってなかったです。確かに臨床に出てからは一回も引こうと思ったことないんですけど。。

「医者として正当な努力」みたいなのを求める先生が多い中で、medtoolz先生の講義はオアシスです。こういうアプローチは物凄く需要があるように個人的には思います。

>確かに臨床に出てからは一回も引こうと思ったことないんですけど。。
自分は学生時代には使いませんでしたが、むしろ、今、時々見ます。
PDA版なんですが。

>負けないためのもの、
という視点には心あたりがありますね
medtools先生の病棟ガイドにもお世話になっております。

「病棟ガイド」も時々地味に改訂しているので、見ていただけると有り難いです。。

>化石のような知識にしがみついている

誰かがいってましたがNEJMによると医学知識の半減期は5年だそうです。(5年経つと半分の知識が通用しなくなる)

とある大病院にいるのですがすぐ隣の教室が
> 昔ながらの、お話を聞いて、どうせ聞こえもしない聴診器を全身に当てて、なるべく検査をしないよう、しないよう、「それをオーダーする奴は馬鹿だ」みたいなやりかた。
をしています。もちろん、研修医全員目を輝かせて話しを聞いている(ようです)し,
全員が、世界一流の内科医になってやる、なんて意気込み(のよう)です。

一人の超人を生み出すような武者修行より、凡人が鼻くそほじりながらでもそれなりになる
そんな楽ちん研修を発案する方が、日本の医療全体にとってもいいのにねぇと思いながらいます。
多分それが、medtoolz先生のおっしゃるレジデント促成栽培だと思うのですが。

もっとも、隣の教室のスーパー指導医は、スーパーすぎて
われわれ凡人ののんびり考えがわからないのかもしれません。
彼らと実際に話をすると、いつもそう思います。

少なくとも研修医向けの講義をする先生がたは、プリントを使い回しちゃいけないと思うんですよね。。同じところをぐるぐる回って仕事になるなら、その部分をハードワイアしてしまえば、その人は必要なくなるわけで。

イヤーノートと似た話ですが、全然それほどまでに凄い話で場を濁すことになります。すいません。子供のころ、アマチュア無線(電話級<当時)の免許がほしくて、親に頼んでそれ用の教科書等をかってもらい半年必至に勉強したのに合格しませんでした。理論は完璧だったはずなのに。翌年、あまりにもいやになって、過去問をまとめただけのものを受験3時間前に読んだだけで受けました。合格しました。教科書と試験は違うものなのだ、とそのときにはじめて学習しました。