2009.03.16
検査に対する富豪的態度
たとえばCTスキャンのデータ、人体の、何十枚もの「輪切り」写真から、 あらゆる異常を探し出すためには、病気に関する知識、人体の解剖に関する専門的な 知識は欠かせない。
ところが「気胸の有無」を調べるためにCTスキャンを切ると、そこに気胸があるのかどうか、 写真を見れば、異常は誰の目にも明らかで、診断を下すのに、もはや医学知識もいらない。
先入観を持たずにデータに当たって、そこから可能な限りの情報を引き出そうとする態度というのは、 人体から取り出せるデータがまだまだ少なかった昔、「より多く読める」ことが「よさ」につながった 時代を、悪い形で引きずっている気がする。取り出せるデータが増えすぎた今は、むしろデータを「雑に」扱う態度、 膨大なデータを、「いい結果」を得るために利用するのではなく、 むしろ「手を抜く」ために、今までと同じだけの成果を、より少ない手間、 より少ない人的リソースでそこに到達するために、利用すべきなのだと思う。
検査が貴重だった昔
昔の検査は、貴重で大切なものだった。CTスキャンだとか、血液検査を一項目だけ 提出するのに、誰かの「顔」を立てないといけなかったり、目の前の機械は空いているのに、 申請書を書いてお願いしないと、機械を動かしてくれなかったり。
検査というものは、それを一度使うなら、そこからあらゆるデータ、 あらゆる異常所見を絞り出さないと、なんだかもったいない気がした。 少ないデータから、たくさんの意味を引き出すためには知識が必要で、勉強しないと知識は 得られなかったから、検査はやっぱり、専門家のものだった。
中央検査室という組織構造だとか、最近のCTスキャンみたいな検査は進歩して、 今は誰かの「顔」を気にすることなく、クリック一つ、チェック一つで、研修医でも、 莫大な情報が簡単に手に入るようになった。データの量は、今度は多すぎて、 その中から全ての異常を読み出すためには、やっぱり専門家の力が要った。
富豪的なやりかた のこと
莫大なCTスキャンデータからあらゆる異常を拾い出そう、という態度は、 検査データがありがたいものだった時代の、貧乏くささを引きずっているような気がする。
検査に対して「富豪」的な、膨大な検査データを前にして、 それを全然ありがたがって見せない態度を取る文化というのは、 たとえば聴診器で丁寧に診察すれば診断できるような病気に対して、 あえてCTスキャンを切ってみたり、血液生化学検査のセット採血みたいな、 「面」のデータが得られる検査をとりあえずオーダーして、話を聞けば診断できるような病気を、 あえて検査に頼るようなやりかた。
莫大なデータを丁寧に評価すれば、もちろんいろんな異常が見つかるのかもしれないけれど、 富豪的なやりかたは、そんなデータを、特定の症状から考えられる、 ある病気の有無を評価するためだけに用いて、残ったデータは、見ないで捨てる。
せっかくのデータを生かさないで使い捨てにする、富豪的なやりかたは、無駄が多いその代わり、 人間の負担を最小にする。
問診だとか、聴診は大変だし、それを行う人間の訓練が不十分だと、間違いも多い。 富豪的なやりかたは、患者さんの症状を聞いたら、あとは検査にチェック一つ入れるだけだから、 人間がどれだけ無能であっても、同じ結果にたどり着ける。電気代だとか、試薬代はかかるけれど、 人間側の負荷だとか、ばらつきは最小にできる。
ていねいに診察して、あやふやな答えに訓練で精度を上げるやりかたは、たしかにお金がかからないけれど、 CTスキャンの「ありがたさ」に、人間が負けているような気がする。
診察なんてしなくても、CTスキャン一発で、ほぼ100%確定診断できるケースはたくさんあって、 特に特定の病気を想定して、その有無だけを判断するような使いかたをする限り、 CTみたいなたくさんのデータをもたらしてくれる検査は、人間側に足りない知識を補ってくれる。
量が質に転化する
正しい先入観を持って使われた莫大なデータは、人間の知識を補完して、 その人に、実力以上の診断能力をもたらしてくれる。
使う目的があいまいである限り、最近の検査の、莫大なデータ量は、単なる「量」であって、 質的変化が生まれない。
ノーヒントで「異常の有無を診断してください」みたいなオーダーをすれば、 放射線診断の専門家ですら、たくさんのCT画像の中から、異常を全て発見するのは難しい。 目的のあいまいな依頼に応えるためには、「質」の担保を人間側が行う必要があって、 データの量が増えたなら、負担はそれだけ増えて、質は低下してしまう。
ところが目的を絞った状態で、たくさんのデータを目の前にすると、データの量が、診断の質に転化する。
- 「気胸の有無」を診断するのにCTスキャンをオーダーすると、解剖の知識がなくても、 誰にでも、肺がしぼんでいることが診断できる
- 今のCTは、患者さんの画像データを筋肉だけの3次元模型に再構築して、リンパ節のデータだけを、 そこに重積できる。癌に関する知識、外科の知識が一切なくても、 「このリンパ節が腫れてるから切除しましょう」なんて方針が、 今では誰にだって下せるようになっている
自分たちは昔、「先入観を持つな」と教わった。データに対して先入観を持ってしまうと、 全ての異常を見いだすことができないから、と。
これからはむしろ、健全な先入観を持って、データに対峙すべきなのだと思う。
ある症状の患者さんを見たら、その症状から致命的な経過をたどりうる病気はいくつかに限定される。
まずはそれを見つけるためだけに、目的を限定してからデータに対峙すれば、データの量は質に転化して、 恐らくは人間の足りない知識だとか、集中力を助けてくれる。
莫大な知識を持って、わずかなデータからできる限りの意味を引き出すのが昔のやりかたなら、 莫大なデータ量に、先入観で絞り込みをかけることで、属人的な知識とか、 判断力の追放を試みることが、これから目指すべき方向なんだと思う。
まあ、そうして富豪的に使われた検査の残りかすを拾い集めなくてはいけない放射線科医としては、ちょっとどうかなぁ?と思うことが多いのも事実です。富豪的なデータの使い方をしていない仕事の仕方が古いのかもしれません。現実的には後出しじゃんけんで「見逃し」といわれるかと思うとなかなか大変です。。
Posted at 2009.03.16 10:39 PM by 専門家にはなれていない半熟医
身体所見という主観的な検査結果と採血や画像検査といった客観的な検査結果。判断する時点でどうしても主観的判断が入ってしまいますが、少なくとも検査自体に主観が入っていない分採血や画像の方がより『科学的』ですよね。
Posted at 2009.03.17 10:54 AM by heimlich
はじめてコメントさせていただきます。
>現実的には後出しじゃんけんで「見逃し」といわれるかと思うとなかなか大変です。。
これが富豪的に使われた場合の最大の難点なんですよね。
気胸を見るために行われたCTで見落とされた肺癌があったとして、進行してからあの時CT撮ってたのになぜ指摘されなかったのかとなると、見直せばそこにはしっかり画像が証拠として残ってるわけです。
CTが特殊検査であった時代に、そこに見えているもの全てを指摘せよとの教育を受けた世代としては、検査の増加だけではなく、機械の進歩で見えるものが増えすぎたことで苦しい思いをしていますが、富豪にはなれないというか。
貧乏性かつ小心者、胸部CT撮ったときに下端にかすった膵臓のガンを指摘したりして暮らしてます。
Posted at 2009.03.17 2:10 PM by 沼地
>属人的な知識とか、判断力の追放を試みることが、これから目指すべき方向なんだと思う。
科学的に真っ当ではあるけれど、それは医者(技術者)の存在価値をどんどん減らしていく事なんだぜ?
まぁ、技術進歩ってのは往々にしてそういうもんなんだけど…。
究極的には、人が介在しなくても事は成るようにするのが目指すべきところなのだから。
因果なものよね、開発系の技術者って。
Posted at 2009.03.17 9:50 PM by e
今日は、96歳 女性 主訴発熱 脳梗塞後遺症で熱がない状態でも意思疎通は不能 胃瘻で経管栄養 施設入所中 家族は3ヶ月から半年に一回面会に来る 痛刺激への反応は極めて鈍い 開眼や追視はする(個人特定を防ぐため、一部実際から改変)
診察所見の中に、痛み刺激に対する反応が含まれないと、視診聴診以外はほとんど役に立ちません。迷わず胸腹骨盤単純CTをオーダしました(肝胆酵素採血は1項目を除き全て基準値内、WBC 22600、CRP 22)
答えは胆嚢炎+軽度誤嚥性肺炎でした。来院した時点で検査するしかないっす!応需義務がある限り。もちろん、検査しないことの不作為を問われる可能性がないなら、検査しませんが。
Posted at 2009.03.18 12:09 AM by たぬき(私は内科医)
>> ある病気の有無を評価するためだけに用いて、残ったデータは、見ないで捨てる。
まったく 見ない はまずいんじゃないでしょうか?
捨てるために必要なのは、瞬間の判断を可能にする一応科学的な根拠。データは、機械的に正常値・異常値のどちらかに分けられる。とりあえず、正常範囲内なら、正常上限・下限とか考えずに、確かに、このやり方なら捨てられる。
画像を捨てるためこそに レポート がある。読影する放射線科医に異常を指摘されなければ、その画像情報は捨てられる。後出しジャンケンでたたかれるのは、まずレポート。だから、自分がどう思おうと、電子カルテにはレポートを貼り付ける。自分の専門領域は、もちろん画像を細かく直接見るけれど、他の領域を 捨てる ことについては、放射線科医の読影レポートは本当に助かる(放射線科医の先生、失礼な物言い、ごめんなさい。放射線科医って、実は、かなりの地雷仕事だって、いつも思います)。もちろん、すぐに放射線科医のレポートがあがってこない病院は、主治医にとっては、もっと地雷原。
Posted at 2009.03.18 2:43 AM by 貧民
昔、放射線科で読影修行をしていた頃。
指導医に、
「俺たちが見逃し、担当医が見逃すのが1番怖いんだ」
と言われました。
でも defensive medicine の教えを忠実に実行している米国のレジデントは、
放射線科の読影だけ読んで、フィルムを見ないんだとか。
本末転倒ですね。残念ながら、これが現実です
Posted at 2009.03.18 5:26 PM by エリヤフ先生
今でも大学で教育している診断学はまったく時代遅れだと思いますよ。訴訟になれば、いくら理学的所見を書いても、1枚の客観的画像が、データがそれを確実に上回ります。理学的所見は主観的であり、信用されません。
皆保険制度下では、病名との整合性さえあれば、実質コストの上限はないのですから、大量の非侵襲的検査を用いて、“圧倒的な火力で面制圧する” 作戦が正しいです。ただ“検査量”あるのみです。
Posted at 2009.03.18 6:05 PM by 大輔
放射線科的発想を持ってくれば、
あまり多くの検査をすると signal noise ratio が悪くなって、
解釈が難しくなるのではないかと危惧します
たとえば、20項目検査すると平均1項目は異常値が出るわけで、
それに取り憑かれると正診から遠くなってしまわないかと・・・
Posted at 2009.03.18 11:06 PM by エリヤフ先生
実際問題、こういうやりかたを運用するのは難しいですよね。。
Posted at 2009.03.19 7:59 AM by medtoolz
タグ”EBMのその先に行くために”
典型的な「合成の誤謬」「共有地の悲劇」の発生素地のような…↓
”皆保険制度下では、病名との整合性さえあれば、実質コストの上限はないのですから、大量の非侵襲的検査を用いて、“圧倒的な火力で面制圧する” 作戦が正しいです。ただ“検査量”あるのみです。”
”防衛医療”
医療行為(診断・治療)が熟練した経験者の職人芸でなくなるために、必要だと思うんですけど、”こういうやりかたを運用するのは難しいですよね。”ぇ
Posted at 2009.03.20 11:04 PM by 匿名希望
今回はコメントも多く、色々と考えさせられます。
議論の1つは
ヒストリー&フィジカル派 vs 血液画像大量検査派
というものですね。
それぞれの流派に得意な疾患があるわけで、
片頭痛はいくら血液画像大量検査をしても診断がつきません。
なので、ほぼヒストリーのみになるわけです。
しかし、
「会社の同僚がクモ膜下出血で倒れたので、自分も心配だ」
という主訴の場合、いくらヒストリーを丁寧にとっても未破裂動脈瘤を発見することはできません。さっさとMRAを撮影するのが正解です。
大切なのはバランスのとれた考え方ですね。
ただ、並行して行われている議論として、
検査を乱発した場合、胸部CTにうつっている膵癌のような
ダブルトラップ型の地雷疾患を自ら招き寄せてしまわないか、
という懸念があります。
放射線科の所見だけ読んでフィルムは見ない、
というのは放射線科に地雷を押し付けるという処世術であって、
本質的解決ではありません。
皆、それはわかっているんだけど、
解決法が見当たらなくて辛い、
というのが偽らざる実感かもしれません。
まあ、訴訟とか何とか、余計な事さえ考えなければ、
貧乏人的やり方から、富豪的やり方へのシフトは、
大筋、間違っていないと感じています。
Posted at 2009.03.22 2:56 PM by エリヤフ先生
>放射線科の所見だけ読んでフィルムは見ない、
というのは放射線科に地雷を押し付けるという処世術であって、
本質的解決ではありません。
これはアメリカでは放射線科医の地位が高く、司令塔と考えられているからであり、放射線科医はものすごく高収入でかわりに訴訟のリスクを引き受けています。
日本では放射線科医の地位は低く、画像診断はあくまで補助診断、見落としがあれば総合的に判断すべき主治医に責任有りとなると思われます。
かつ日本はものすごく画像診断機器がたくさんあるのに画像診断医はあまりいません。
まあ個人的には被爆のリスクなど考えれば、CTなどからは読めるすべての情報を得ないともったいない。
MRI は漫然と撮らずに何を見たいかしぼらないと検査の質が落ちるから、頭と脊椎以外は無駄使いをしない。
超音波のみは安くてリスクが無いから富豪的に使う。(安いから使うって既に富豪じゃないけど。笑
現状の貧乏症な画像診断はまあ妥当な落としどころかもと思っています。
….ってよその国からすると日本の画像診断の件数はべらぼうに多くて、ある意味すでに富豪って思われてるかもしれないですね。(やってるほうからすると外国に比べてめっちゃ安いから薄利多売なんだけど、他の医療と同様に。
Posted at 2009.03.22 4:22 PM by 沼地
>今日は、96歳 女性 主訴発熱 脳梗塞後遺症で熱がない状態でも
>意思疎通は不能 胃瘻で経管栄養 施設入所中
>家族は3ヶ月から半年に一回面会に来る 痛刺激への反応は極めて鈍い
>開眼や追視はする(個人特定を防ぐため、一部実際から改変)
>診察所見の中に、痛み刺激に対する反応が含まれないと、
>視診聴診以外はほとんど役に立ちません。
>迷わず胸腹骨盤単純CTをオーダしました
>(肝胆酵素採血は1項目を除き全て基準値内、WBC 22600、CRP 22)
>答えは胆嚢炎+軽度誤嚥性肺炎でした。
>来院した時点で検査するしかないっす!
>応需義務がある限り。
>もちろん、検査しないことの不作為を問われる可能性がないなら、
>検査しませんが。
感染症を疑診しているのであれば、フォーカスの所在が一番大事な情報なので、
全身CTを撮ることは全く正当化出来ると思います。
ただ、この人の場合はきちんと正診することが、
誰のためになっているのかという議論も有るような気もします。
不作為かどうかは家族のマインド次第でしょうし。
同時に、胆嚢炎に対して刺す選択が無く、
抗菌薬をやって転がしておくだけならばそもそも何の検査もいらない様な気もします。
(主訴発熱→3世代程度の抗菌薬、キノロンを胃瘻から入れるとか
でいいじゃないでしょうか)
それから、重症度とCRPの相関ってどのくらいあるのでしょうか。
僕はCRP主義でもアンチCRP主義でも無いですが、
後学のために知っておきたいなぁと思って。
CRPがいくつを超えたら急変するから入院させろとか、
いくつ以下なら帰宅させてもいいとか。
Posted at 2009.03.25 6:13 PM by もと救急医
婦人科悪性腫瘍術後で、下肢のリンパ浮腫の感染とかだと、CRP30台とかでも、結構元気にwalk inでやってくることがありますね。CRPの絶対値よりも、やはりfocusが効いてくるような気がしますが、内科の先生的にはいかがでしょうか?
Posted at 2009.03.25 7:56 PM by heimlich
すごくきついことを言えば、96歳の“発熱”を診察しなきゃいけない先生の環境に同情します。できるなら、逃散を! あとは、家族がDQNか、非DQNかを見極めたうえで、検査計画立案です。そもそも、何で胃婁なんかやったの???
こういう超高齢者は、胃婁がいるといった(作った外科医でなく)主治医が最後までみるべきですよ。他の大多数の先進国では、自分で食べられなくなったら、そのままですから。自分で食べられない人に、胃婁とかつくって、強制的に栄養をあたえて心臓が拍動する時間をのばすのは、“並外れた金持ちの道楽” というのがグロールスタンダードですよ。健康保険とは別の価値観の世界じゃないでしょうか?
Posted at 2009.03.26 7:51 AM by Chihaya
高CRP 値は、見ても「わぁびっくり」と思うぐらいで、数字がどうだからこう、とか、振る舞いを変える機会は少ない気が。
むしろCRP正常なのに赤沈亢進をみたらSLE疑うとか、胸痛があってCRP馬鹿上がりしてたら大動脈の破綻を疑うとか、CRPは、邪道な使い方ができて面白いですよね。
Posted at 2009.03.27 8:05 AM by medtoolz