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2008.04.17

「能力ある人の不作為」という罪悪

動物愛護団体の人たちが「すばらしい人」なんて引用するのは、 圧倒的にマザーテレサが多いらしい。ほかの偉人とか、ましてや 経営者の言葉なんて出てこないらしい。

マザーテレサは、もちろんすごい人であることには間違いないのだろうけれど、 あの人は同時に、「もっとすごいことが出来たのにやらなかった」人なんだと思う。

マザーテレサのこと

マザーテレサは、世の中どうにでも出来るぐらいのすごい力を持っていたのに、 目の前の難民を救うことに全精力をつぎ込んで、「もっとすごいこと」には興味を示さなかった。

悪い言いかたすれば、マザーテレサは能力を持ちながら、怠惰だった。

社会的な立場も、ネームバリューも、あるいは「集金能力」みたいなものも、 マザーはあれだけの能力を持ちながら、自分が「きれい」でいたいがために、 もっと泥臭い、経営の世界に踏み込まないで、難民キャンプの現場にとどまって、 「本気を出せば」救えたはずの、もっと多くの人を救おうとしなかった。

マザーテレサは、たしかに率先して難民の手足を洗ったかもしれないけれど、 そんな仕事は、マザーテレサに比べれば圧倒的に時給の安い人にだってできた。 マザーテレサがちょっと頼めば、100人雇用することだって出来ただろうし、おそらく「雇用」は、 マザーテレサ本人が足洗いに乗り出すよりも、もっと多くの人を喜ばせたはず。

あの人はむしろ現場から離れて、率先してベンツに乗って、プライベートジェットで世界巡って、 寄付をかき集めて「商売」をやるべきだった。マザーテレサならたぶん、難民キャンプ選りすぐりの かわいい子供にボロ着せて、ニューヨークのまっただ中で寄付募るとか、 もっとあざといまねしたところで、世間は反発しなかったと思う。

そんなやりかたはもしかしたら、キリスト教価値観では「汚い」ものかもしれないけれど、 カルカッタの施設1 年分の運営費なんて、たぶんほんの1 日で稼ぎ出せた。

マザーテレサクラスの能力があれば、あるいは存命中、これまでの100倍の人にご飯を配れたかもしれないし、 ワクチンを配布することも出来たかもしれない。

あの人はもしかしたら、自らのスタイル貫くことを最優先して、もうちょっと本気出せば 余裕で救えた多くの人たちを、スタイルのために見殺しにしたのかもしれない。

「能力ある人」の不作為

たとえばスーパーマンが実在する世の中で、本人が環境保護活動に目覚めたら、 スーパーマンはその能力を放り出して、河原でゴミ拾ったりするかもしれない。 たとえ目の前でジャンボジェットが墜落しそうになっていても、河原で弱った子猫見つけて、 猫保護するのに全リソースつぎ込んだなら、ジャンボは墜落するかもしれない。

環境保護活動に汗を流すスーパーマンは、たしかに「いい」人なんだろうし、 環境保護活動とか、動物愛護の活動なんかは「正しい」ことなんだろうけれど、 ジャンボジェットが墜落したら、人々はスーパーマンの不作為を責めると思う。

世の中には明らかに「能力が高い」人がいて、その人たちはしばしば、「きれいさ」とか 「正しさ」みたいな間違った価値観にとらわれる。その能力を全て発揮する前に、 「いい人」である自分に甘んじて、勝ち逃げしようとしたりする。

マザーテレサは間違いなくすごい人で、もちろんいい人だったのだろうけれど、 もしかしたらその「すごさ」を全て解放して、お金とご飯とに換える前に、 「きれい」なまま亡くなった。

そんなやりかたは、みんなもっと「間違ってる」と批判しないといけない。

好きを貫くことは大切で、マザーテレサの「好き」は、たしかに大きな成果を生み出したけれど、 たぶんあの人が本気出してたら、もっともっとすごい結果を出せていた。 あの人がもしも、冷酷な拝金主義者だったのだとしたら、難民キャンプは それ自体が「産業」になって、ちょっとした観光地になっていたかもしれない。

もちろんそうなったら、キャンプはたぶん、平等とは縁がなくなって、壮絶な格差社会に 変貌したかもしれない。それでもたぶん、飢えてなくなる人の数は、 マザーテレサが「きれい」でいたときよりも減った。

マザーテレサ批判する側のお話読むと、頑固で融通が利かない側面があったりとか、 実はけっこうお金に汚い側面あったりとか、 いろいろ出てくるみたいだけれど、むしろそのほうが人間くさくて親しめるなと思う。 それを見ないふりして、「きれい」だけを褒めそやす人たちというのは、やっぱり何か違和感がある。

「正しさ」とか「よさ」みたいなものを、不作為の免罪符にしてはいけないんだと思う。

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Comment & Trackback

人間、自己満足のためにしか動けないと考えれば、多かれ少なかれ偽善的なのかもしれません。その点、マキャベリさんの「目的のためには手段を選ぶな」というのは、とてもストイックな徳目ですね。。。

イカの哲学的に言って、全ての行為は「自分の直感と五感で感じて、生命の実存に触れて」という発想はどうでしょうか。何が正しいこと(すごいこと)でそうでないかは常に判断が危ういし、手段を込みで行為を決めないと偉大な活動家でも足を踏み外しやすいかもしれないという視点です。
キリストも言っているらしいが、「愛がなければ(=イカの実存を感じなければ?)全てはむなしい」ということもあるかもしれません。
(もし論点が的外れなら済みません、、、。)

[…] original article « Twitterからのクイズに正解したら5ドルもらえる『Twitter Me This』 はてな的経営 - pal-9999の日記 » […]

マザー・テレサの偉大さの源泉はその「いい人」であったところに起因していると思うのですが・・・

正しいことの危うさというか、そこは安住の地でなくて、足場は案外脆弱なのかな、と。
マザーテレサは、それでも案外「いい人」とは遠くて、実は冷徹なビジネスマンとしての
顔を持ってからこそ、あれだけ成功したのかな、なんて。すごい資産持ってたみたいですし。。

なんか全然同意できない。
経営なんかで人を救うより行った行為が歴史となって未来永劫たくさんの人を救っていくんですよ?

「正しさ」を犠牲にしてまで追い求めるべき、その”すごさ”とやらは、ナンボのものなんでしょうか?
”すごく”なければならないんですか?

本当は、「自分が主張する方法の方が『正しい』」とおっしゃりたいのではないんですか。

「罪悪」「間違っている」とまで批判するなら、堂々とご自身の「正しさ」を主張すべきだと思いますよ。

色々な意見があるとは思いますが、確かにマザーテレサの力の源泉は「いいひと」であることだったはずですから、実際にその力を存分に振るおうとしてもやればやるほど「力」は目減りしてあまり利益は上がらないのではないかと私的には思ってしまいます。
ただ、確かに能力のある人の不作為は傍目に見てもどうしてもっと有効に使わないのか不思議に思うことがあります。
まあ、他人の力をあてにするなと言われれば其れまでですが…
正しいかそうでないかは結局自分の主張でしかないから、あまり正しさを競うのは好きではないです。

マザーテレサが残したかったのは、救済じゃなくて、救済に対する思想なのでそれでよいと思います。その意思を引き継ぐものが多数要るのですから、長期的な視野で見れば、戦略として成功でしょう。一時だけ貧困を救えても意味がないんです。

マザーテレサは、ただただ孤独に死に行く人に一緒にいる。 あなたは一人きりではない。 あなたの人生は無駄ではない。
そのメッセージを伝えるために修道会を作って、その初志を一生貫いただけです。
他に素晴らしい方法があって、どの様に救済すべきかとか分かっているなら、その人がやればよろしいのです。
能力のある人の不作為とはむしろこちらの人ではないのでしょうか。

>能力のある人の不作為とはむしろこちらの人
私も一応、本当に医者として働いてるわけなんですが。。。

先生が、不作為と申し上げたわけけではありません。
マザーテレサが存命中から先生のようなご意見の方がたくさんおられたのは承知しています。
しかし、マザーテレサはわざわざ最下層のカーストの印をつけて「あなたと共にいる。」 といる道をえらんだのです。
人それぞれのスタイルがあるのですから、どの様な道をたどって「作為」するかはその人のものです。 マザーの行動は不作為といわれる筋合いのものではないと思います。 それが言いたかっただけです。
先生のお気持ちを傷つけたかったわけではありません。
ご理解いただければ有り難いです。

個人的にはとても面白い御意見だと思います。マザー・テレサが「きれい好き」ということについては、良い悪いは別にして、同意します。

しかし、もし、かつてある王国の王であった仏陀が、悟りを開いた後に、財力に物を言わせてその思想を普及させようとしたならば、仏教はここまで大きな影響力を持ちえたのか、そして極めて多くの人を「救えた」のか・・・・?、とも思います。仏陀の愚直的な布教が仏教をより「高貴な」ものにし、その寿命を今に至るまで長続きさせた一因である気がするからです。

もし、有名になったマザー・テレサが、もっと泥臭い、経営の世界に踏み込んでいたら、一時的には救済される人が増えるかもしれませんでしたが、彼女の思想の「高貴さ」は傷つき、いつしか彼女の影響力は落ち、長い目で見れば救済される人は減るような気がします。

ただ、マホメットについては、以上のことについては当てはまらないとは思うので、きれいじゃないマザー・テレサ的作戦も、アリだったのかもしれませんが。

マホメットは、生い立ちからやったことから、なんだかベンチャー企業立ち上げた伝説の
経営者みたいな人生送ってますよね。。

やはりマザーテレサの行動に違和感があります。
救済に対する思想を広め、将来救われるであろう人を増やす目的で、今救うことができる人の一部しか救わない方が良いのか?
将来救われるかもしれない人を減らしてでも、今救うことが可能な人を増やす方が良いのか?
どちらの立場をどのくらい選ぶかはマザーテレサの見識や覚悟によって決まっていたというと綺麗に聞こえるようだけども、
結局マザーテレサは「他者を救いたい」という自分の欲望にドライブされて、救われる人というラベルや救われない人というラベルを他者に対して自分勝手に貼り付けているようにも思えてしまう。

「マザーテレサの不作為」なんて言い回しは、企業経営する人達なんかが前からよく言及してたと
おもうんですよね。。自分としては「今さら」のお話で、炎上は想定外だったり。

>経営なんかで人を救うより行った行為が歴史となって未来永劫たくさんの人を救っていくんですよ

じゃあ、今苦しんでいる人はどうでも良い、と。

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