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2009.03.02

「悪い人」とはつきあいやすい

ソセゴン中毒のこと

麻薬系鎮痛薬の依存になってしまって、いろんな病院を転々とする人がときどきいて、外来でトラブルの種になる。

パターンはだいたい決まっている。外来では診断不可能で、実際痛くて、 入院中は、たしかに痛み止めとして、麻薬系の鎮痛薬を使うような病気を訴えるケースがほとんど。

  • 「慢性膵炎で東京の病院にかかっている」
  • 「今出張中で、紹介状も薬もない」
  • 「痛みが強かったらソセゴンをうってもらえと主治医に言われている」

このあたりがキーワードになる。痛くて車いすに乗ってくるとか、 しわくちゃの、なぜか電話番号だけ入っていない、大学病院の紹介状を一緒に持ってくる人もいる。

痛みというのは患者さんの言葉を信じるしかないから、こういうのは実質診断不可能なんだけれど、 今はそもそも、「外来で麻薬をうってもらいなさい」なんて指示を出す同業者はいないはずだから、 「麻薬うってくれ」という訴えは、それを根拠に断ることになる。

悪い人は怒鳴って帰る

みんな「薬」が切れてから病院に来るから、いらいらしていて、 もちろん注射は断られるから、自分たちはたいてい怒鳴られる。

医師が患者さんに「負けて」、麻薬を出しちゃうと、以降その病院が「かかりつけ」になって、 自称慢性膵炎の人がたくさん来て、そこから先は大変なことになるらしい。出したことないから分からないけれど。

面倒なんだけれど、こういう人はその代わり、良くも悪くも「麻薬をもらう」という、 明確な目的を持った「プロ」だから、こっちが謝り倒して薬を出さないでいると、 時間の無駄だから、すぐに撤収する。

外来では、もちろん怒鳴るし、机を蹴るし、名札をにらんで「街で会ったら覚悟しとけよ」とか、 「お前は医者なのに、痛くて苦しむ患者を無視するのか」だとか、「この薮医者が」とか、 いろいろ言われるんだけれど、こういうのは歌舞伎の「見得」に似ているところがあって、 様式美だと割り切れる。

「いい人」たちはあきらめない

やっかいなのはむしろ、「いい人」たち。

選択枝の中に「撤収」の文字がなくて、 「目の前のかわいそうな馬鹿医者を、私が献身的に教育してあげよう」なんて、 行動が、良心で駆動される人。

良心というのは本当にやっかいで、目的必要なくて、絶対引かずに、ちょっとでも要求呑んだら、あとは際限がない。

「いい人」と対峙してしまったら、「よさ」を押し売るその人を、 あたかも人生の師匠であるかのようにあがめでもしない限り、 そういう人は満足しない。外来回らないし、帰しても「次」があるから、終わらない。

「悪人」は、つきあいやすい。目的をきちんと持った人と対峙するぶんには、 自分にできることと、そうでないこととの境界が必ず決まる。「悪い人」は怖いけれど、 お互いにやれることが明らかだから、「分」をわきまえさえすれば、何とかなる。

「いい人」は、目的を定義しない。自分の「よさ」を担保に、 相手の懐から、あらゆるものを奪い尽くすまで、よさの押しつけを止めない。 よさを押しつけられる側からすれば、彼らのやっていることは略奪なんだけれど、 彼らはそれを「正当な取引」だと信じて疑わない。

「よさ」の引き受けと取り付け騒ぎ

同じ怒鳴られるのでも、「この人は、目的達成のために、 怒鳴るという手段を選択したんだな」なんて分かっているときには、ダメージはない。

外来では、お互いぎりぎりの信頼はあるし、相手は怒鳴って、自分たちは無能で哀れな医者を演じて、 お互いが「プロ」の範囲で演じる限り、話はそれで終わって、相手もすぐに撤収する。

どちらかが「プロ」であることを止めてしまうと、相手なら警察行きだし、 自分たちが「プロ」を止めれば、以降その病院は「かかりつけ」にされて、骨までしゃぶられる。 怖いけれど、ルールは分かりやすい。

「いい人」の、目的意識のない、「ただ医師に腹が立ったから」とか、怒鳴ることで、こちら側を「矯正」してやろう、 なんて思いの元に発せられた「怒鳴り」は、どう対応したら相手が満足するのか、 そもそもそれが見えないことが恐ろしい。

「いい人」は怖い。彼らはいつも感謝して、いつも全面的にお任せで、 こちらが欲しがってもいない「よさ」を、ふだんからがんがん押しつけてくる。

「いい人」は、ふだん「いい人」であることそれ自体を「貯金」みたいなものだと考えていて、 いざというとき、医師の側から無限に「預金を下ろせる」ことを、心から信じて疑おうとしない。

取引の考えかたが成立しない、こういう人からの「よさ」を一度受け入れてしまうと、 「よさの貯金」が一方的に開始される。その人が、どこかのタイミングで「裏切られた」と感じたとき、 「よさの取り付け騒ぎ」が起きて、大変なことになる。

「よさ」を引き受けることと、麻薬中毒の患者さんに、外来で麻薬を処方してしまうこととは、 だから同じぐらいに危ないことだと考えないといけない。

よさの引き受けも、麻薬の処方と同じく、やってはいけないことなんだけれど、 「よさ」という価値に目をくらまされて、それをやって深みにはまった同業者は、 きっと多いんだろうなと思う。

Comment & Trackback

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いつも読んでいる端から絵が浮かぶのですが、
今回は、「いい人」の絵が浮かんできません。

どんな感じなのでしょうか・・・プロ市民系かな

もちろん、ペン中の人たちとはトラブル続きです
絵が浮かぶどころか、摑み合いになった手の感触まで残っています

ブックマークコメント欄「たぶん、振り込め詐欺団の中よりボランティアグループの中の人として立ち回る方が難しいんだよな」は、かなり自分の感覚に近いな、と思いました。。
目的がはっきりしていないと、極め要素が他にないから、原理主義的な人の大声を止められる人が、いなくなっちゃうんですよね。。

こういった「よさ」は、本人は意識しているか無意識かは分かりませんが、所詮「偽善」なわけで。。。市民運動系とどこか似ているような気はします。

こういった人達への対処法として個人的に心がけているのは、ぶれない自分独自の信念を持つことだと思います。向こうが押し付けてくる「よさ」を価値観の違いにすりかえてしまうことで、議論はかみ合わなくなるとは思いますが、少なくとも相手の土俵で戦う必要はなくなります。

これは、いくら相手が共産主義のよさを全面に打ち出してきても、資本主義への信念を打ち出せば、最低でもドローには持ち込める状況に似ていると思います。そして、時間は正しいことに味方をするはずですから、最終的にはこちらが勝者になるはずです。これには、小難しい理論は関係ありません。

なるほどね。
宗教系も近いかもしれません。

異教徒ともつきあえるか否かは、相手の考え方を尊重すること、
少なくとも、お互いに相手を洗脳しようとしないこと、ですな。

「いい人、は目的を定義しない」
目的がはっきりしないからぶれていくわけで、ぶれていてもその運動自体が「偽善」のもとでやっていると言って正当化される、、、。

いい人の言う「偽善」は実感しないとどうにもならないのですが、
実感するには時間がかかるし、個人差もあるし、、、。

脱臼して痛いから整復に麻酔かけてくれと要求する人も居ましたね☆
手術を薦められると二度と来なくなりました☆
これもある意味麻薬中毒の一例だったのだと、これを読んで思い出したものです☆

自分(の考え)は間違ってなくて世界のほうが間違っているんだというのは、言及もありましたが、「原理主義」でしょうね

ジゴキシン中毒とペンタミジン(ソセゴン|ペンタジン)中毒と同じ中毒という表現なのが興味深い

精神科という仕事柄、いわゆる「いい人」をつきあうことは少ないのですが、際限のない共感や奉仕をもとめるパーソナリティー障害の方はよく来られます。

「最初に枠を決めて」というのがセオリーですが、どうにもならなくなったら、わざと相手と違うレベルの話しに徹して、話をかみ合わないようにしておいて、相手がキレるのを待つこともあります。

もっとも、こういう人はストレス耐性が低くて勝負がつくのが早いから助かっているのかもしれませんが。

ソセゴン中毒はペインコントロール不良例の吹きだまりみたいなイメージが強くて、医療者として葛藤することがままあります。

「いい人」像は”典型的な日本人”像に重なります。記憶のブラックリストに残る「悪い人」はその人の巻き起こした嵐を耐えさえすれば乗り切れるように思うのですが、
爆弾を育てているかも知れない「いい人」は考え込むほどに対応に苦慮します。
自らの言動に責任を持つしかないということですかね。

同業者にもいますよ。
「患者様のために」際限なく譲歩して要求を聞き入れることが善だと思っているのが。
どこかで線を引かないとリソースは有限だと言っても善人が善意でやっているからタチが悪い。

ソーシャルワーカーです。
いつもいつもとても面白く読ませていただいています。

「よさ」の引き受けと取り付け騒ぎ

普段感じていたもやもやしていたあの気持が、文章になっていて、
感動すら覚えました。

福祉関係者は80%がそれでできていると思います。
それがないと成り立たない局面はあるのですが、
仕事であることを忘れてしまうことがあります。
おそらく私も。

プロ失格です。

市民運動たたきのコメントをしている人は
おそらく「市民運動を叩くことはいつでも正しい」と信じ
その原理原則にこりかたまっている人なのでしょうねw
そのためならエントリーの内容に関係ないコメントを
他人のブログに貼り付けるのも全く平気(@∀@)
外来にやってくる困った人たちの話なのに
いつのまにか共産主義だの資本主義だのの話にもちこむ、
まさに「いつも自分の話しかしない人たち」。
なるほど、これが「正しい人」の行動様式なのですね。
ほんとうにありがとうございました。
私も気をつけたいものです。(@∀@)

なお、今回のエントリに関しては
医療事務の経験のある私ですが、正直あまり
よくわかりませんでした。
酔っ払いとか精神的にバランスを崩した人とかは
相手をしたことがありますが、上記のような
「悪い人」にも「いい人」にも会ったことがありません。
まあ単に幸運だった、ということかもしれませんね。

幸運なんでしょうね。

>>幸運なんでしょうね

ホント、そう思いますねぇ。。。

色んな意味で遠距離にあるモノ同士を連結させてそこに立ちのぼる意外性・ネタを楽しむページなのでは。
具体性は犠牲にされ、記号・属性・シニフィアンが重視される。
JFK氏にしても共産主義の話をいつもしているわけではないでしょう。しらんけど。
多分CLAW氏は市民運動への言及への敏感さ・「叩き」と受け取る閾値が他のコメンテーターと違うんでしょうな。それはわかります。
>「いつも自分の話しかしない人たち」。
 黒●猫●さんのことかーーー!!

言語定義いいかげんなまま書いてるから、そもそもここで議論が生まれるわけないんですよね。。