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2009.02.26

才能がなかった

昔話。

研修医の頃

「研究」と「臨床」と、自分たちの頃は、卒業生がとるべき進路は 真っ二つに分かれていて、自分は臨床で名を上げたくて、そっちを選んだ。

忙しくて、厳しい研修をさせる病院に入って、バタバタと走り回って、何とか走れた。 走れたことで自信ついて、自信あったから、大学医局に入った。

新しい環境に慣れるのには相当に時間がかかったけれど、大学でも、 それなりに居場所ができて、そこは居心地がよかった。今から思うと勘違いだったんだけれど、 居心地よかったから、自分はきっと、そこそこすごいんだろうなと思ってた。

地方会に症例発表をする機会があって、田舎の大学は駅から遠いから、 駅までの道のりを、下級生の車で送ってもらった。

昔も今も、下級生には上級生を持ち上げることが義務づけられているから、道中の車内は、 もちろん自分の大自慢大会になって、下級生は「わぁすごいですねぇ先生」なんて、賞賛してくれた。

それはたしかに賞賛だったんだけれど、何か違ってた。ほめてほしかったのは、 たとえば臨床医としての判断力だとか、心臓カテーテル検査の腕前だとか、 そういうかっこいい部分だったのだけれど、出てこなかった。

下級生から見た自分の「すごさ」というのは、 たとえば誰も興味を持っていなかった、患者さんの食事の好みに詳しいだとか、 当時の病棟では、みんなが使い捨てにしていた人工呼吸器のパーツから、 新しい呼吸回路を組み立てられることだった。

下級生の風景には、自分という人間は、要するに、御用聞きとゴミあさり、廃物利用の エキスパートだった。彼らはそれを、たしかに「すごい」とほめてくれたのだけれど。

心臓カテーテル検査の腕前みたいな、かっこいい、競合者の多い、 みんながそこを目指していた序列の話になると、もう自分の名前は出てこなかった。

「先生はすごいですよね」なんておべっか使われながら、車の中で、 「自分は全然すごくないんだ」ということに気がついて、なんだかそのとき、 世界はずいぶん変わって見えた。

才能がないから成功する

「ブルーマングループ」という、米国で成功したパフォーマーの人たちは、 「才能がないことが成功の秘訣」なんだと語っていた。

「何の才能もなかったね。だから自分たちで楽器を作った。
楽器を作ることに才能が無くても、自分たちで作れば、
演奏者としてトップになれるからね」
ブルーマンを生み出した3人が語る秘密 – ブルーマンワールド

彼らには才能がなかったから、競合者のいる場所では、競争に勝てなかったから、 彼らは楽器と、たぶん世界を自作した。

彼らの音楽は、だから世界のどこにもないものだったから、それから15年、今でも成功し続けているのだと。

すでに出来上がった、「型」に追従していても、一番手には絶対に追いつけない。

劣化コピーには、「安い」という以上の価値が発生しない。そこでどれだけ頑張ったところで、 努力の成果は安く買いたたかれるし、もっと安価な新人は、ニッチを下から脅かす。

居場所というものは、自分で作り出さないといけないものなんだと思う。 たとえ先人のやりかたを継承するにしても、その人独自の見せかただとか、 切り口は、やっぱり自分で作らない限り、その人は絶対に、一番手にはなれない。

臨床頑張って、心カテ頑張って、自分は結局、芽が出なかった。

それでもその代わり、忙しい研修期間を通じて、大学の人たちが興味を持たなかった分野の知識が少しだけ身について、 「主流」とはかけ離れた、ちっぽけな知識が、自分に居場所を提供してくれた。そのときは気がつかなかったし、 むしろ自分にとって、それは余計な夾雑物にすら見えたのだけれど。

何かに「乗っかっている」と感じたその時点で、その場所は、沈みゆく泥船に変貌してしまう。

努力だとか、才能はもちろん大切なんだけれど、努力が成果に結びつかないことなんてしょっちゅうだし、 才能は、ない人間がいくら望んでも、もうどうしようもなく、手が届かない。

居場所というものはその代わり、かっこよさを望まなくていいのなら、 才能がなくてもたぶん、手持ちの部品でどうにか作れる。

自分にしかできない何かを身につけること。他の誰もが、それまで興味を持たなかったような場所を探すこと。 あるいは、自分が継承してきた何かに、新しい価値を探してみることが大切なんだと思う。

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5つめの要素

・自分が好きで
・自分が得意で
・自分が価値のあるものと思い
・それなりに食べていくことのできる分野

でも、5つ目の要素として
人から賞賛されなければ、自分で自分をカッコいいと思えなければ、
「何だかなあ~」となってしまうのかもしれません

心カテはカッコよくて、廃品利用の呼吸回路はカッコ悪くて・・・

カッコ悪くても、その分野を愛し続けることのできる人だけが
成功できるのでしょうね

たしかに。。

“「主流」とはかけ離れた、ちっぽけな知識”って具体的にはなんだったんでしょうか?

心カテで芽が出なかった・・・。それが本当かどうかは知りませんが、そういったことに気が付いて、素晴らしいブログを書くようになり、それを継続している・・・、なんという才能でしょうか!!それこそ、「ブルーマングループ」に匹敵するくらい!!

ブログの内容自体もどちらと言えば、他業種の方ものぞきにきているような、医療系の中では「ニッチ」なのも素敵なところです。

世の中には、自分の才能がないことが分かっていてもあきらめられない人もいれば、才能がないことすら気づかない人もいます。医者でもオペや心カテの下手なベテランは数多くいますし、大学にしがみついているのも多いですよね。

自分の能力に見切りをつけて、新しい道を切り開けるのは、すごい才能だと思います。

ありがとうございます。。。

こんにちは。初めてコメントします。

「才能がないから成功する」って、才能はあくまで過去「できると思ってる」ことに過ぎなくて、それ以上に努力をすることで、結果成果が出るのかもしれませんね。とわかっていても、絶対的な経験量の差、遺伝子レベルの差(両親や家庭環境の影響とか)を言い訳にしてしまいそうになりますが。

あと、居場所の話も、企業という組織の中にいる身としては、わかっていてもなかなかできていない点、反省したのでした。。。。

[...] 病院に入って、バタバタ と走り回って、何とか走り切れた。走れたことで自信ついて、自信あったから、 大学医局に入った。新しい環境に慣れるのには相当に時間… original article [...]

[...] 才能がなかった – レジデント初期研修用資料 [...]

「才能がないから成功する」
才能が無い分他の所に眼が行き、結果として才能ある人のできない所を補完し、そして全体的にまとまった組織の一員となる。
その結果、その人には居場所が与えられる。

ーーーー何かにーーー沈み行く泥舟に変貌する、、、、。
才能が無いのに才能あるふりをするのは最悪で、
才能があるのに才能が無いふりをする人は実はとんでもない賢人だったりする。
この二つの違う点は「乗っかっている」か「乗っかっていないか」かもしれない。

弱小個人病院から民間総合病院を経て大学まできたが、所詮は「大学に入れなかった民間の人」と後輩に鼻で笑われるしかない。だからこそ陰でこそこそ「乗っからない」ことをやるのもいいのかもしれない。そう気付かせてくださり、感謝です☆

・自分が種を持っているか解らない
・いつ実を結ぶか解らない

類の問題に、技術的な層で才能不足が解った時、

・他の強い信念・動機付けから続ける
・進路選択を過った尻拭い感で続ける

という二者択一に陥りがちですが、幸運にも

・より評価される舞台が発見された

時に、勿体無い感情に流されず合理的な判断…

・軌道を修正する(過去、未練を断ち切る)

という行動に出られる勇気があるかどうかですね
今の方向性に才能が無いと言っても、より評価される
舞台を「見つけてもらう」という他力本願的な幸運が
なければ決断を出せない人が多いために、自ら
限定的な舞台に追い詰めてしまっている事がある。

才能というのは、「ある」「ない」より、「育つ」「育たない」という側面が大きい
ttp://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50873308.html

新天地を諦めるなら、今やってる事に「育つ」という
確信をもつ覚悟が無いと満足感の少ない
不幸な人生になってしまうということでしょうね。