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2009.01.01

負けかた上手の時代

恐らくは「大きく勝つ」のが得意な人と、「なるべく小さく負ける」ことが得意な人とがいて、 それぞれに求められる能力は、根本的に異なっている。

「勝ちの流れ」を引きずって今まで来た業界には、「負けの上手」がいない。

これからしばらくのあいだ、どこかにいる「負けの上手」は、業界の国境をまたいで、 様々な「負け戦」の指揮を求められる、そんな時代が続く気がする。

大学医局のこと

自分が研修期間を終えた頃には、医師というものは、大学に残って「上」を目指すのが 当たり前みたいな空気がまだあって、自分みたいな、最初から民間病院に就職する人間は 珍しかったし、そういう連中ですら、同期のほとんどは、自分も含めて、 やっぱり大学医局の門を叩いた。

医局に入った最初、「今はみんなが大学医局に戻って来たがるから、 ここに居られるのはせいぜい3 ヶ月だよ」なんて、当時の医局長に宣言された。

3ヶ月は結局1 年になり、3年になり、その時医局にいた上の先生がたをはじめ、 医局の顔ぶれはほとんど変わらないままだった。

大学に残る人の数も減った。ローテーション研修制度が始まって、 たしかに大学は、研修制度の充実に後れを取って、研修医は大学から離れたけれど、 大学から人が離れて、忙しい科から人が離れて、どこかに行った研修医は、 どこにも行き場所なんてないはずなのに、どこかに行ったまま、ほとんど誰も戻ってこなかった。

たかだか7 年間ぐらいの経過。

何が起きているのか、研修医の人達も自分達も、恐らくはもっと上の先生がたも、 どうしてこんな流れになったのか、誰も把握していないし、この状況にどう対処をすればいいのか、 やっぱりまだ、誰にも分からないのだと思う。

勝ち戦の上手

恐らくは医療という業界は、ごく最近に至るまで、それでもずっと「勝って」いたんだろうと思う。 業界全体が「勝って」いるときには、多分より大きく勝てる人が支持される。

勝ち戦の上手は、受け入れやすい、きれいなスローガンを掲げて、堂々とした身なりをして、 威厳のあるしゃべりかたをする。将軍の下にはたくさんの人が集まって、 一つの目標に向かって突き進んで、戦果は挙がる。

「一か八か」的なやりかたは、むしろ好まれる。犠牲はもちろん出るけれど、流れが勝っているときには、 みんな自分が負ける可能性を低く見積もるから、士気は下がらない。

流れはだんだんと変化して、研修医が個人として刑事告発されるようになったり、 「味方」であったはずの、同業の医師が、誰か別の医師を「刺す」ようになったり、 勝ちの流れは実感しにくくなって、「勝ち戦の上手」が発する言葉は、響かなくなった。

「大きく勝つ」やりかたを逆にしたところで、「小さく負ける」ことはできない。

負け戦というものが考えられなかった自分達の業界には、だから上手に負けられる人が少なくて、 恐らくは今でも、いろんな現場で、「大きく勝つ」やりかたで、小さく負けることが要求されて、 板挟みになった現場からは、結果として人がいなくなる。

いい医療を行って、研究をして業績を上げれば、そこはいい病院になる。いい医師になりたかったならば、 いい病院の門を叩く必要があって、「いい医師になりたい」という願いは、もちろん誰もが持っているはずだから、 いい病院を作る努力を続けていれば、そこにはもちろん、研修医が集まってくる。

状況が「勝って」いたとき、恐らくはこんな考えかたで、「いい病院」が作られて、 考えかたそれ自体、やっぱりどこにも間違った場所は見つからない。間違っていないから、 これで上手くいっていたから、「勝ち戦の上手」は、やっぱり今までのやりかたを繰り返す以外の 選択が取れなくて、「いい病院」を目指して、みんな今まで以上に努力して、結果として現場には、 今まで以上に人がいなくなっていく。

大学病院は、残念ながら今「負けて」いるけれど、一方で「勝って」いる民間病院もまた、 「攻めて」いる意識なんてないだろうし、民間の人達にしたところで、どうして自分達が「勝って」いるのか、 本当のところは分からないんだろうと思う。

逆風の中で小さく負ける

最近まで「勝って」いた業界、医療もそうだし、マスメディアだとか、 大きな企業の人達なんかもまた、「勝ちかた」しか知らない人達が、 負け戦の風に晒されて、これから迷走続けるんだろうと思う。

たぶん「上手な負けかた」というものがある。

報酬は、その意味を減じる。「勝ったらこれだけ」なんて成果を示すよりも、 むしろ「負けても最低限ここまで」みたいな、「負け続けた先にあるもの」を、 見通しよく、具体的に提示できた人に支持が集まる。

報酬をいくら増やしても、救急を回す医師が足りない現状を変化させるのは難しいけれど、 たとえば「一晩に20人見たら問答無用で寝ていい」だとか、「トラブルに陥ったら病院として責任を取る」だとか、 ワーストケースに具体的な条件を提示する施設がでてきたら、状況変わると思う。

負け上手は、恐らくは「よさ」を否定する。

逆風吹いてる中、「いい病院」みたいな、曖昧できれいな考えかたの中で業務を行うのは疲れる。 予算なくて、早期退院のプレッシャーばっかり高まる中、病院の理念は「患者様にずっと安心できる場所を提供する」 だったりすると、現場が理念を裏切らない限り、現場は回らなくなってしまう。

きれいな理念の下では、そこで働く全ての医師は「悪人」になる。 「うちは営利目的だから、お金にならない患者さんは切り捨てろ」だとか、 「上」の理念が「よさ」を否定する限りにおいて、医師は逆風の中でも「善人」でいられて、 そういう考えかたをする人の下には、むしろ「よさ」を志向する医師が集まる気がする。

「勝ち」と「負け」、両方の局面が混在する業界においては、 原理的に、「歴戦の臆病者」は生き残るけれど、「歴戦の勇士」はどこかで負けて、存在できない。

逆風の中で、負けを最小限に抑えながら「次」を伺う、そんな状況を生き延びてきた 臆病者のやりかたというのが、これからたぶん、いろんな業界で求められるのだろうと思う。

Comment & Trackback

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「逆風の中で小さく負ける」:なるほど。

なかなか出来ない発想ですが、確かに核心をついているように思います。

上手に負けるコツは、診療に際しての“消耗”を少なくすること。ならば、絶対的な診療報酬などを論ずるより、co-morbidityのない紹介患者を沢山あつめ、短期入院で侵襲的治療をさっとやって退院・逆紹介 といったことを、システムで考えないといけません。“消耗”が少なければ、多少のリスクはあっても、技術を身につけたい人は集まる気がします。小児の慢性疾患とか、インオペの悪性腫瘍とか、とにかく“消耗”するだけです。だから、なり手もないんでしょうね。

また、国公立病院は、一晩に20人みても問答無用で次の救急車を取れ とか トラブルに陥ったら病院は一切責任を取らず、個人で対応しろですから、余計に誰も来ませんよ。

表面的文言からは「敗者のゲーム」 チャールズ・エリス著を即連想するわけですが。
それはそれとして、阿佐田哲也氏の言”人生は9勝6敗を”を髣髴させるものがありますね。
そして横綱になっちゃうと若花田みたいに負けたら即引退だけど、無気力相撲で8勝7敗でがんばり続けたら力士生命を長らえることができる、みたいな。

↑↑インオペの悪性腫瘍=消耗って、ひでぇ
諏訪中央病院緩和ケア科の先生になんといえば・・・

インオペの悪性腫瘍=消耗、って、
そうかもしれないし、そうでないかもしれません。

私はガンを扱っていませんが、
近々、緩和ケアの先生の講演を聴く機会があるので、
そこらへん、どう折り合いをつけているのか、伺ってみます

確かに、負け戦の時代に、勝ち上手の教授の演説を聞いても、
「なんだかズレてんじゃないスか」としか思えませんね
口に出しては言わないけど・・・

「負け戦の時代」
たしかにそうですね。
最近、納得した言葉に「三方一両損の時代」というのもあり、
通じるところがありますね。

すこしでもまともな損をして、それを納得したりさせたりの方が重要なんだとおもいます。

いい病院といえば、海の近くのあの虎病院。
なかなか苦しい状況のようですね。
OBとしてはがんばってほしいのですが。
そういえば、救急の部長がテレビに取材されて、
4日に放送されるようですよ。

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負けかた上手の時代 – レジデント初期研修用資料 うまく負けるには、まず現実の内容を脚色せずに受け取る必要があるのですけど、医療の世界は“きれいごと”や“ブラックボックス”…

海の近くの病院、なんか人増えてないみたいですね。。

あけましておめでとうございます。
今年も先生にとって良い年となりますように。

景気の悪化によってお金が流れにくくなったマスメディアの迷走ってどんななのかなとちょっと考えてみました。
カタツムリを鳥の目の付くところに移動させる寄生虫を思い出したんですが・・・。

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迷走しまくるんでしょうね。。医師会雑誌に、のっけから「マスメディアと医師会は共闘すべき」なんて対談出てましたし。