2008.12.20
サービスの考えかた
認知症の厳しい99歳のお年寄りが今入院していて、看護師さんがそのまんま、 「認知症が厳しくて大変です」なんてご家族にお話ししたら怒られて、 病棟で、「あの家族は厳しいから気をつけて」なんて申し送りしてた。
何かが間違ってると思った。
接遇向上のこと
看護師さん達は、「接遇向上」と称して、この数年、丁寧なしゃべりかただとか、 相手の目を見て、受容的な態度を取るだとか、サービスの向上を目指して、 医師なんかよりもよっぽど熱心に取り組んでる。熱心なんだけれど、どこかずれている。
「サービス」というもの、顧客に「理解」を販売する、医療みたいなサービスにおいては、 サービスの向上とは、すなわち印象から判断を削除して、事実をより分かりやすく、 予断を除いた形で提供することなのだと思う。
事実と判断とを峻別する
「その人が認知症であるか否か」をきちんと定義することなんて、そもそもできない。 極論すれば、あらゆる病気の診断は、「医師がそう判断したから」という以上の根拠を持てない。
熱を出した患者さんがいて、肺の中が喀痰と細菌で満たされているのが確認されても、 確実に断言できるのは、「発熱している」こと、せいぜい「肺の中に膿がある」ことぐらいで、 「肺炎である」というのは判断であって、断言できる事実にはなり得ない。
病名というのはだから、状況を判断する人の口から出るべきものだし、 「インフォームドコンセント」だとか、「病気を指揮するのは、サービスの受け手である患者さん自身である」 なんて立場を本気で貫こうと思ったならば、医療従事者の口からは、「病名」を出してはいけない。
判断はサービスに貢献しない
医療者が提供する「判断」というものは、恐らくはサービスに貢献しない。
医療従事者は、患者さんの目の前に事実を積む。患者さんはそれを見て、何かの判断を下して、 病衣はそれに従って動く。これが行われてはじめて、健全な主従関係が、 「従僕としての医療者」という、絵に描いた理念が実体化する。
「診断」のような、医療者側の判断を含んだ言葉は、本来はたぶん、 「事実の詰みかた」を工夫する形で、患者さんとの会話から回避されないといけないし、 そうした工夫を考えることが、医療従事者にとっての「サービス向上」なんだろうと思う。
99歳の、くだんの患者さんにしてみれば、一晩に6回以上点滴引き抜くだとか、 便こねした手を口に入れようとするとか、一晩中叫び通しで一睡もしないとか、 それは疑いようもない、看護師さんが観測した事実。
事実を重ねて、患者さんのご家族に「じゃあ、どうする」を考えてもらうのが筋であって、 「この人は認知症だから、そういう対応をします」をこちらからやると、 それをどれだけ丁寧な言葉で飾ったところで、やっぱりご家族は不快に感じる。
クソの山にバケツいっぱいの香水を振りかけたところで、それは「いい匂いのするクソ」にしかなれない。
「香水」を工夫しちゃいけないのだと思う。
>顧客に「理解」を販売するサービス
同様のサービスはうちの業界でも多々発生しています。感じるのは、一般的に一昔前と比べて、そういうサービスを求める顧客が増えている傾向にあるということ。
やや不愉快にさせる可能性のある解決策を提案する場合でも、事実を丁寧に説明することで納得してもらえた、というケースが増えている印象すらあります。
なので、疑いようの無い「事実」の説明が一番喜ばれるというか、求められているという論旨にはものすごく同意できます。
Posted at 2008.12.20 4:09 PM by hau
hatena/REV氏あたりが事実認定=報告=軍ネタを連想すると連想。
訴訟がらみもそうですかね。”被害者”"加害者”のラベリングは「判断」の結果。事実を十分「積んで」ない時点ではdangerousな発言。
Posted at 2008.12.20 6:31 PM by 匿名希望
『医療従事者は、患者さんの目の前に事実を積む。患者さんはそれを見て、何かの判断を下して、 病衣はそれに従って動く』
このことをストレートに文字にできることに感動します。
特に、「病衣はそれに従って動く」というのは、なかなか言えない表現ですが、とても重い意味あいを持っていると思います。
100年後の医療がどうなっているかは誰にも分かりませんが、上記の要素が相当部分含まれた医療になっているのでしょうね。
追伸:
現在の医療においても、少なくとも、私が治してあげるとか、主治医の自分について来なさい的な医療は、排除したいですね。
Posted at 2008.12.20 8:23 PM by 金沢大学 血液内科・呼吸器内科
>>「認知症が厳しくて大変です」
寅さんに言わすと、「それを言っちゃおしめぇよ!!」でしょうね。
こういったことを解決し、周知に徹底するには、経験とフィードバックしかないように思います。一朝一夕にはできないのでしょうけど。
Posted at 2008.12.20 11:13 PM by JFK
【日報】『サービスの考え方―レジデント初期研修用資料』から
『レジデント初期研修用資料』から。
「「診断」のような、医療者側の判断を含んだ言葉は、本来はたぶん、「事実の詰みかた」を工夫する形で、患者さんとの会話から回避されな…
Posted at 2008.12.21 9:55 AM by 整体/横浜//腰痛・首痛・自律神経失調など心身の不調に悩んでるあなたへ―心と脳と身体の整体で元気になろう!
> 医療従事者は、患者さんの目の前に事実を積む。
> 患者さんはそれを見て、何かの判断を下して、
> 病衣はそれに従って動く。
ここの部分に大事なことが集約されており、
なるほど、と思わされます。
診断名を言うのは「私の病気は何でしょうか?」と尋ねられてから、
治療方針を提案するのは「どうしたらいいのか」と訊かれてから、
それで十分に遅くないのかもしれません。
ところで、「病衣」というのは何かの変換ミスでしょうか?
「病医」とか、「病院」とか・・・
Posted at 2008.12.21 12:41 PM by エリヤフ先生
サービス – Wikipedia:関連の項目には「感情労働」てあるな。
それで連想したのは・・・・・・・
「相手に罪悪感・申し訳なさをもたせると援助・サービスを受けやすい」か。
Posted at 2008.12.21 1:26 PM by 匿名
ミリタリーな発想は、いろんな場所で参考になるような気が。。
「病衣」は誤植なのですが、これはこれで面白く読めそうなので、このままで。
Posted at 2008.12.22 12:57 PM by medtoolz