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2008.11.17

答えを出すために規格を作る

解答しなくてはいけない問題が大きすぎて、どこから手を付けていいのか分らないときには、 まずはリーダーとして旗を振る人が、「規格」を作ってしまうと上手くいくような気がする。

電気自動車のこと

ちょっと前の「夢の扉」だったか、大学の先生が水素自動車を作っていた。

沼地にいる「水素生成菌」を培養して、砂糖から水素を取り出す実験を繰り返して、 最終的には「砂糖水で走る車を作る」なんて夢を語ってた。

番組終盤、その研究室ではたしかに「水素自動車」が走っていたけれど、 それは「貯めた水素で走る実験車」であって、水素生成菌は、あんまり関係なかった。 その人の研究を世に問うためには、動く車があったほうが説得力あるんだろうけれど、 「水素で動く車」それ自体は、すでにいろんなメーカーが作ってるんだから、 今さらそれを再発明したところで、なんだか道のり遠そうだった。

「次世代の自動車」には規格がなくて、燃料電池だとか、水素自動車だとか、 アイデアがひしめいて、誰も「解答」を知らない状態。現行のエンジンを改良するのか、 それともモーター中心にやっていくのか、そのあたりもまだ、何も決まっていない。

何も決まっていないからこそ、「当たり」を見つけた人が成果の総取りができるから、 世界中の研究者がこのテーマに取り組んでいるのだろうけれど、問題はすごく大きい。 「当たり」にたどり着くためには、エネルギーを作ること、動く車を作ること、 エネルギーを供給するためのインフラを整備すること、あらゆる問題に答えを出して、 その全ての領域で、自分達の優位を証明しないといけないから。

電池の規格を決めるべきだと思う

政府の人達が、次世代の自動車を本当に欲しがっているのなら、まずやるべきなのは、 「電池の規格」を勝手に決めてしまうことなんだと思う。

電池の大きさだとか重量、生み出さないといけないエネルギーみたいな規格が「これ」と決まったなら、 自動車メーカーは、その規格に沿った範囲でもっとも効率のいい自動車を設計できる。 電池の性能が多少変わったところで、自動車メーカーは設計を変える必要はないし、 自動車を作る人達は、とにかく「その電池で動く性能のいい車」を作ることに全力を挙げて、 電池の開発だとか、インフラの整備だとか、考えなくて済む。

燃料電池屋さんも、水素屋さんも、昔ながらの電池屋さんも、大きさと、 必要な電力が規格化されれば、今度はその範囲での設計が要求される。

どれだけ画期的なやりかたを思いついたところで、規格内におさまらなければ意味ないし、 だからこそたぶん、開発段階での選択枝は、相当に絞られる。将来的に技術が進歩して、 蓄電池の大きさの原子炉だとか、「電池サイズのハイブリッドエンジン」なんかができて、 それが市場を席巻したとしても、混乱は最小限で住む。大きさと、取り出せるエネルギーが 同じであれば、自動車メーカーは、「電池」を取り替えればいいだけの話だから。

「充電スタンド」だとか「水素スタンド」みたいなインフラの問題も、 規格さえ決まってしまえば、それが商売になるのかどうか、実物なしで検討することが出来る。

「電池」の大きさと重さが決まれば、あとは電池寿命と輸送の問題で、 輸送コストを誰に負担してもらうのか、ガソリンスタンドの役割をどう置換していくのか、 規格さえ決まっていれば、ガソリンスタンドの人達がいきなり路頭に迷うような事態は避けられて、 インフラの置換も、穏やかに進めることができるはず。

規格は問題を切り分ける

解決しなくてはいけない問題が大きすぎて、どこから手を付けていいのか、 正解がどの当たりにあるのか、誰にも想像がつかないときには、とりあえず「これ」という規格を、 強引に決めてしまえばいいのだと思う。

今ある世界と、問題が解決された、次の世界と、規格というものは、 長くて暗い道のりに、とりあえず「杭」を打つ行為。

杭には意味がないし、杭をたどっていく道のりが、果たして最短なのか、最善なのか、 それは杭を打つ人にだって分らないだろうけれど、「杭は動かない」ことを前提に出来るのなら、 開発者は、杭の数だけ増えていく。それは最善ではないかもしれないけれど、 確実なやりかたではあると思う。

「救急が危ない」だとか、「とりあえずIT」だとか、自分達の業界が抱えている問題というのもまた、 なんだか相当に大きくて、大きな割にはアイデア無いし、保険診療は好き勝手出来ないから、難しい。

「医療の問題」という大きすぎる問題に、病院だとか政府、マスメディア、たくさんの「知識人」だとか「市民」 だとか、系の内外からいろんな人が意見するけれど、そもそもの「治癒」とは何なのか、 「問題が解決した」とはどういう状態のことを指すのか、統一しないから、まとまらない。

政府の人達が今やらないといけないのは、「ここから先は不可抗力」だとか、 「ここまで来たら治癒」みたいな規格をとりあえず決めて、「10年は絶対変えない」だとか、 それを宣言することなんだと思う。

そんな決定はベストではないし、恣意的に決められた基準のために割を喰う人なんかも 出てくるんだろうけれど、動かない場所が与えられると、そこを基準に発想を生む人も、また増える。

「何とかする」だとか「治す」なんて問題は大きすぎて、こんな時だからこそ、 一番偉い人達が、「規格」だとか「基準」を示すべきだと思う。

Comment & Trackback

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ソレをやったのがNTTですが。
結論として 日本独自規格とか、ガラパゴス化とかいわれています。

でも、技術的には進んで入るんですけどね。
規格って難しいと思いました。

テクノロジーの国際標準を決める場は、まさに利害が絡んでくるので、なまなましい世界のようです。日本企業から派遣される人間には権限が与えられていなくて、国際標準の場で全然駄目だとも。

なぜかΣプロジェクトを連想してしまうのは私だけでしょうか?

シグマ懐かしい。。。国が旗振って大失敗した墓標ですよね。。

「規格」だけ作って、「ゴール」決めないのがいいのかな、と。

企画って規格の誤字? 
にしては大胆すぎるし、企画が正しければイマイチ意味不明だし。。。

誤字。。直しました。

>そもそもの「治癒」とは何なのか、「問題が解決した」とはどういう状態のことを指すのか、統一しないから、まとまらない。

定義がはっきりしないまま議論が進んでも混乱するだけで何の解決もされないですよね。今の政治や労働、教育の問題もそうでしょうけど。

そういった時に「軸」になるべきものは、本来は哲学とか宗教だと思うんですけどねぇ。。。

たしかに。。

デファクトスタンダードを目指して覇権を競うところに、ものすごい進歩が生まれますし、ユーザーにとても利益になってると思いますね。。競争してるほうは、つらいけどね。

スタンダードとった国は天下取れるから、今の時代は大変なんでしょうね。。

料理は焦げないようにするというのも規格かな。
昭和50年頃の特許か実用新案かで玉子焼きを焦げないように作る方法?が公開された話。
玉子焼きの焦げの原因はガスによる泡だった
減圧タンクなどを使い卵液の気泡や溶解しているガスを抜くという単純な発想。

初耳。。

 無線通信とか動画とかのソフトウェア的な規格なら統一したほうが企業にも利点があるけど、電気自動車みたいなハードウェアは、市場が立ち上がってない今の時点で規格の委員会を作るのは政治力学的にも無理なんじゃないかな…。電池がコモディティ化したらうまみがないし。リチウムイオン一つとっても電極材料、電解質等まだまだ改良の余地がある。
携帯電話の例を見れば、3.9世代にしてようやく世界標準規格としてLTEが登場しようとしているわけです。鉄道の狭軌と標準軌の例もありますが、電気自動車の場合はコンセントをいじらなければインフラをそれほど変えなくてもすむんだから、もう5年くらい待ってもそれほど社会的損失は出ないんじゃないかなと。
医療の場合で言えば、ビッグプレイヤーが居ないのが問題なのだと思います。メーカーなら一番手が規格をごり押しすればそれがデファクトになる場合もある。でも、日本の医療業界にはそういうアクターはいないでしょう。規格の構成を政府に頼ってしまうようでは、今日的にはあまり健全とはいえないような…。