« 診断学のこと | 機関銃の社会史 »

2008.10.12

証拠の時代の振る舞いかた

機関銃が世の中に登場して、それはもちろん極めて効率的な道具だったから、 すぐに戦争で用いられるようになった。

異民族との戦争では、機関銃は、時に100倍もの戦力差を跳ね返す活躍を見せたから、 現場の兵士はその武器を大歓迎して、それでもなお、将官の人達は、機関銃の価値を認めようとしなかったのだという。

兵士が一列横隊で銃剣突撃して、騎兵隊が戦場最強の部隊だった時代。

戦争教則は、銃剣と騎兵とを最大に生かすように理論が組まれて、磨き上げられた理論を捨てるのは もったいないから、将軍は機関銃を捨てた。

それはたしかに「異民族」との戦いで活躍したかもしれないけれど、「人間同士」の戦いは、 あくまでもライフルと、銃剣突撃とで決着がつくものだから、そこに機関銃の出番はないのだと。

本当の戦争が始まって、ドイツが機関銃を採用して、横一文字に並んだ騎兵、「正しい戦場」での 最強部隊が、機関銃陣地に殺到した。

騎兵も歩兵も、もちろん機関銃に皆殺しにされて、そこから初めて、機関銃は「正しさ」を得た。

高齢者医療のこと

寝たきりに近いような高齢者の肺炎を治療するときは、どうせほとんどが誤嚥だし、 入院当初はゼーゼー言ってる人多いから、必ずといっていいほど広域の抗生剤を使って、 ごく少量のステロイドを併用する。邪道だけれど、熱がすぐ下がる。

若い人は病気に対する身体の反応が強いから、たぶん少量ステロイドなんかは高齢者以上に 有効だし、基本的に歩いて退院して、みんな二度と病院には来ないから、どれだけ強力な 抗生物質を使ったところで、耐性菌の問題が発生しない。

寝たきりに近いような、「異民族」である高齢者によく効くやりかたは、 もちろん若い人にだって有効なんだけれど、「少量ステロイド」は教科書に書いてない。 恐らくは、いろんな領域の治療手段に、こうした「邪道」があるはずだけれど、 若い人の治療は、教科書どおりに厳密にやらないと、万が一の時すごく怖いから、 教科書から逸脱できない。

逆説的だけれど、教科書どおりにやって失敗したところで、自分達は悪くない。 教科書のやりかたを逸脱しないと治癒が見えてこない状況で、ルールを破って、 もしも成果が「完璧」に届かなかったら、人生失う。

成果を問われる人ほど過程が重視される

超高齢者の病気みたいな、そもそもの治癒率が若い人に比べて低くて、 その代わり、「失敗」しても責を問われにくい「異民族」に対してなら、 たぶんたいていの病院で、主治医が考える範囲で一番有効な手段から行使される。

一方で、若くて歩いてきた患者さんみたいに、「絶対に失敗できない」ような 人を相手にするときには、教科書どおりの、「機関銃を使わないで騎兵を前進させる」 やりかたしか選択できない。

成功へのプレッシャーが厳しくなればなるほどに、過程の「正しさ」が重視される。 誰が重視するのかといえば、それはたぶん「主治医の中の裁判官」みたいな、 本来そこにいないはずの誰かなんだけれど。

ルールがいいかげんだった昔、ガイドラインというのは、それを破ることで初めて治癒につながるような ところがあって、治療のやりかたは、医師が違えばみんな微妙に違ってたから、 要するに「勝てばいい」状態だった。

「証拠」の時代になって、ルールの正しさが厳密に検証されるようになって、 ルールは正しさを得た代わり、融通が利かなくなった。「正しく勝つ」ことは、 「ただ勝つ」ことより困難だった、正しさで磨かれたルールは、 逸脱を許してくれなくなった。

正しい誤診のノウハウ

恐らくはガイドラインを書いてる人も、そのあたりを暗黙に分かっているのだと思う。

「不必要に広域の抗生剤の使用は現に慎むべきである」なんて前書きが書いてあるくせに、 当のガイドラインに記載されている抗生剤は、もう地上のあらゆる細菌を殺せるようなものが 選択されていたりとか、それが「正しい」ことになっているから。

発熱して具合の悪い患者さんがいて、何となく細菌感染症で、とにかく速く抗生物質を 使いたい状況があったとき、その人をとりあえず、肺炎と「誤診」しておくと、 あらゆる細菌を殺せるような抗生物質が、「正しく」利用できるようになる。

ルールが示す正しさと、その状況に置かれた医師が想定する正しさとが異なることは、たぶん そんなに珍しいことではなくて、ルールが厳密になればなるほどに、今度はそのルールを 回避するための「正しい誤診のやりかた」みたいな、悪いノウハウが現場に貯まる。

証拠に基づいた医療、Evidence Based Medicine の考えかたというのは、 受け持った患者さんを診るときには主治医の手足を縛るけれど、 診たくない患者さんを断るときには、絶大な威力を発揮する。

○○様のご加療に関しては、ガイドライン上は、貴施設の設備にて十分に対応可能かと思われます。
先生におかれましてはお忙しい中申し訳ありませんが、よろしくご加療下さい。
証拠に基づいた正しい医療を心がけ、お互い精進していきたいものです。 敬具。

紹介受けて、断って、こんな文面で返事書いておけば、たぶん二度と送ってこない。

以前、休日外来で「胆管炎」を診断した先生が、その人を入院させようにも、 どこの病院も取ってくれなかったなんて嘆いてたけれど、胆管炎のガイドラインは厳密で、 「最低限これだけの」という人的リソースが、細かく指定されている。現場をよく知った人達が、 「絶対に勝てる戦い」するために作ったガイドライン。

それだけの装備を休日にそろえているところは少ないはずだから、胆管炎を診断したその先生は、 むしろ「分からないけれどお腹痛がってまーす」なんて、バカのふりして「誤診」するのが、 患者さんにとってはよっぽど正しいやりかただった。

こういう教科書書いてほしい

「証拠」と「統計」が好きな人達は、「蹄の音を聞いたときにシマウマを想像してはいけない」なんていう。

蹄の音を立てて歩く生き物といえば「馬」であって、シマウマは滅多にいないから、頻度順で考えよなんて。

たとえばその人がサバンナに放り出されて、シマウマという生き物が、滅多にいないけれど、 猛毒持った肉食動物だったとしたら、恐らくは同じことを言えない気がする。

殺されたくなかったら、「シマウマを想像してはいけない」じゃなくて、 まずはシマウマでないことを確認しないといけないし、生き延びていくためには草食動物を狩る必要があったとして、 蹄の音が聞こえたのなら、それがシマウマでないことさえ分かれば、あとは相手が馬だろうが水牛だろうが、 「槍を投げて仕留める」やりかたは、そんなに変わらない。

教科書はだから、症状別に項目を分けて、まずは「その症状で死ぬ」病気を列挙して、 それぞれの診断方法と、検査の感度をとをまとめてほしい。同じ病気を診断するのにも、 全身のCTスキャン撮るやりかたから理学所見一本でやるやりかたまで様々だろうけれど、 教科書は診断確度を示すだけで、「武器」の選択は主治医任せで。

「死ぬ病気」が除外できた患者さんは、その時点ではまだ症状を持っていて、 身体は「分からないけれどとりあえず死なない」状態になっているはず。 症状ごとの各論編は、今度は「ステロイドが効く疾患」「抗生物質が効く疾患」 「抗凝固薬が必要な疾患」だとか、治療がある程度共通する病気をまとめて、 それぞれの治療を開始するために必要な所見と、そこに属するそれぞれの疾患について、 詳しい診断方法を記述するのがいいと思う。

分からない人に遭遇した状況で、まず一番知りたいのは、 患者さんを「分からないけれどとりあえず死なない」状態に持って行くことで、 次にやるべきは、症状に対して治療を開始すること。診断名は本来そのあとだっていいはず。 一つの症状に、考えられる診断名が20も30も列挙されたところで、治療なんてどうせ3種類ぐらいしかないんだから。

いろんな施設が「院内マニュアル」みたいなものを、もっと公開するといいなと思う。

正しさと統計とで磨き上げられたガイドラインは、信仰したり、 相手を罵倒するための道具としては、すごく良くできているんだけれど。

Comment & Trackback

Comments and Trackback are closed.

>証拠に基づいた医療、Evidence Based Medicine の考えかたというのは、
>受け持った患者さんを診るときには主治医の手足を縛るけれど、
>診たくない患者さんを断るときには、絶大な威力を発揮する。
あはは。
実は僕も同じことを考えていました。

基本的にはEvidence Based Medicineやガイドラインは、
サボることを正当化するために使えばいいのです。

うる覚えですが、、、
・肺塞栓症はDダイマー陰性ならほぼ除外できる。
 (たしか98%くらいでしたっけ?)
 →これで造影CTさぼれます。
・髄膜炎でもっとも感度の高い身体所見はjolt accentuation。
 陰性なら○○%で除外できる。
 →陰性ならカルテに記載してルンバールをさぼる。
   陽性ならカルテに記載せず、他の証拠を集めてさぼる。
・SAHで来院された方で24時間以内に手術をしてもしなくても
 転帰は変わらない。
 →深夜にSAH診断しても、脳外科医を起越さなくても良い。

まぁ臨床家が都合よく使えばいいんじゃないですかね。
日本での使われ方くらいでいい気がしています。
とくに急性期医療に関して言えば、
エビデンスなんてあってあって無きが如しと思ってます。
ちらっと勉強して、絶対にやっちゃいけないことと、
やらなきゃしかられそうなことだけチェックしておけばいいような。

一方、慢性期はたしかに
・実はジギタリスが心不全を悪くしている
・実はステロイドが悪くしている
なんかの例もあるし、
勘だけにたよりすぎるといけないのかもしれません。

個人的には「肺炎」のフリをして抗菌薬を使うときには、
第三世代セフェムあたりにするのがセンスが良さそうかと。
(いきなり緑膿菌やMRSA生える高齢者は寿命かなみたいな)
むしろ、若い人の謎の敗血症こそ、
けちけちせずに培養確定するまでぶっこむ法がいいような。

「院内マニュアル」の公開。
大賛成です。研修病院がこぞってやればいい。
検討会をすれば面白そうですね。

東郷隆著のププタンという小説(短編集)が、機関銃登場初期のアジア(近東含む)における受けとめが種々描かれていて(結果的にそのインパクトの大きさがわかって)面白かった。

「こういう教科書書いてほしい」の部分。

蹄の音を聞いたら、まず肉食猛毒シマウマを想像せよ、というのは、
ERでの「3C(critical, common, curable)の順に考えよ」という教えに
合致しているように思います。

まずcriticalを除外して、死なない状態にするわけですね。

「症状ごとの各論編」の部分。
治療ごとの分類というのが新鮮でした。
たまたま下肢の腫れの鑑別診断の本を読んでいたので、
見事にステロイド、抗生剤、抗凝固薬の3つで分類できます。

※ 肺塞栓のDダイマー陰性で造影CTをサボるのは私もやっています。
急性大動脈解離もDダイマー陰性で造影CT省略可なんですよね。

はじめまして。若手内科医です。
すでにご存知かもしれませんが『誰も教えてくれなかった診断学』に
アウトカムを含めた考え方ってのが書いてあって
そういうのをはじめて文章でちゃんと読んだ気がしました。
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=18870
これは教科書ではないので、ちゃんと症状を網羅してる本があったらさらに嬉しいですが。

>たとえばその人がサバンナに放り出されて、シマウマという生き物が、滅多にいないけれど、猛毒持った肉食動物だったとしたら、恐らくは同じことを言えない気がする。

確認順序を、確率のみではなく確率*重要度で求めるべきってことですかね。

胸痛で救急外来に来た患者さん。AMIと大動脈解離とPEと気胸され除外できれば、まあすぐに死ぬことはないわけで。今なら、造影CTで、すぐにすべてカタがついちゃいますよね(読影も技師さんがしてくれますし)。極論を言えば、問診も聴診も心電図も心エコーもいらないわけでして(ま、血液データくらいは読めないといかんのでしょうけど)。
ただ、こんな状況、今まで苦労してきたエライ年配の先生方は、まぁ納得できないでしょうね。たぶん、理屈抜きに許せないと思う。俺たちがやってきたのは何だったんたんだ!って。薪と釜でご飯を炊く名人がなかなか電気炊飯器を受け入れられないように。
そういう人達って、ガイドラインを作る側だから、結果として、機関銃や造影CTのような自分達の方から見た「邪道」は反映されずに、「昔ながらの正しいやり方」に固執したガイドラインが作成されていくのでは、と思ってみたりもしております。

あ、連投すみません。もうひとつだけ。
狭心症疑いで外来に来られた方に対するアプローチの仕方。
①年配の先生なら、まずトレッドミルをして、疑わしかったら負荷心筋シンチが冠動脈CTAを追加して、やっぱり狭心症が濃厚となったらCAGというパターンが多いような気がしますが、②最近の先生の傾向とすれば、疑わしかったらすぐにCAG、という選択をしがちな気がします。年配の先生方には若い先生方に比べて、CAGは怖いという印象が強い(検査での死亡率が1%なんで時代もあったようで)こともあり、どっちが正しいかは議論が分かれるんでしょうけど、①の方が手間がかかるし、病院の利益も少ないのでは?、という変な考えも浮かびます。
いざ、「院内マニュアル」作成となっても、こういった「大人の事情」はどうするのかな、という気もしております。

[...] を大歓迎 して、それでもなお、将官の人達は、機関銃の価値を認めようとしなかったのだ という。 兵士が一列横隊で銃剣突撃して、騎兵隊が戦場最強の… [IMAGE] [IMAGE] original article [...]

「胸痛」という主訴聞いたその時点で、黙ってCT撮れば、その患者さんはたしかに「分からないけれど死なない」状態が手に入るんですよね。。

なんというか、「症状」->「診断」->「治癒」という医学本来の流れもまた、今60代の先生方がやってたみたいに、自分で試験管振って血液生化学検査出してた時代ならば正しいのでしょうけれど、今はそれこそ、クリック一発で採血40項目とか、まさに機関銃時代なわけで。

個人的には「症状」->「分からないけれど死なない」->「治せるけれど分からない」->「診断と治癒」になってもいいのかな、と。。

[...] 証拠の時代の振る舞いかた – レジデント初期研修用資料 (tags: medical) [...]

Ddimer陰性で肺塞栓否定・・・と何度か登場しましたが、原著論文はたしか、検査前確率(特にDVTの)が低い場合に有用性は限られていたと理解していますが。

むしろ、リスクのある患者で失神とか必ずしも特異的な症状でない主訴呈してきたときに鑑別に含めることを忘れないことが大事かと。

いずれにせよ、検査前確率が高い場合は、Dダイマー測ってみてrule out云々という方向に進むのではなく、rule in するための各種検査に進むべき、なのは当たり前ですよね・・・

>治療がある程度共通する病気をまとめて、それぞれの治療を開始するために必要な所見と、そこに属するそれぞれの疾患について、詳しい診断方法を記述するのがいいと思う。

何の為の診断か、ということはとても大切ですよね。

学生の頃は(今でもですが)視野がとても偏狭たったため、「治療あっての診断だ。治療できない病気を診断する必要はない」と極論を述べておりました。そのような理由で、母校の神経内科学教室には学術的にすばらしい先生方がおられたため入局を一時考えたこともありましたが、結局私の偏狭な視野がそれを許しませんでした。

今は、多少視野が広がった為、「治療法がなくても、予後予測ができるならば診断することが患者さんの利益につながることがある」と考えるようになりましたが、やはり個人的には「治療法や予後が同じ疾患を鑑別診断する必要はない」という考えに強く惹かれます。

かたや、神経内科の先生の中には別の考えを持っている方がおられます。「神経内科学の正確な論文は、百年以上昔に記載されたものであっても十分現在でも通用する。だから私は百年たっても色あせない正確な論文を書くのだ」と。神経内科の先生が診断するのは、目の前の患者さんの為ではなく、むこう百年、あるいは二百年先を見据えた医学の進歩のためなのかもしれません。

>治療法や予後が同じ疾患を鑑別診断する必要はない

私は今でもこっちですよね。。治療をさっさと開始する口実探すために診断するのは、どうにも面倒で。。