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2008.09.06

人体のアナロジー

勤勉さとか、専門家とか、成果主義とか。

有能さ

  • 細胞にとっての「有能」「無能」というものは、分化度に相当する。「有能である」ことは、すなわち「それ以外のものになれない」ということを、必然的に意味する。だから何にでもなれるES細胞は、それ単体ではもっとも無能な細胞だし、思考の一翼を担う神経細胞、外敵から身を守る皮膚や白血球、全ては専門家であって、一度専門家になった細胞は、他の細胞に変化することは、原則出来ない
  • 「本来そこにいる能力を持たない人がそこにいる」ことは、人体でもときどき起こる。胃の粘膜内に腸の粘膜が生えてくる「腸上皮化生」とか、脾臓がいくつかに分かれて、他の場所に生えてくるとか。もちろんそんな細胞は、全くの役立たずであったり、時には潰瘍の原因になったりして、必然的に弱点となる。ミスマッチが「思わぬ長所」を発揮することは、生体ではまずありえない

勤勉さと発癌

  • 細胞にとっての「勤勉さ」というものは、恐らくは分裂速度に相当する。細胞もまた、夜になると「休む」。分裂は日中のほうが勢いがあって、夜間は落ち着く * 24時間働いて、分裂を止めない細胞の代表は「がん細胞」であって、正常な細胞から見れば、細胞周期に同調しないこと、勤勉でありすぎることは、むしろ病的なものに見える。役に立たない「勤勉な無能」は、やがて系全体を滅ぼしてしまう
  • 腸上皮化生、本来その細胞がいるべきでないところに発生した腸粘膜は、癌の原因になりやすいことでも知られる。社会にこじつけると、「無能を勤勉で補う」ことが、結果として癌化につながるようにも見える

幸福の所在みたいなもの

  • 細胞が「有能で」あろうと志向したら、専門家を目指さないと、系に貢献出来ない。その代わり、人体においては「専門家だから価値がある」なんてことはなく、皮膚の細胞も、白血球も、専門分化がもっとも進んだ細胞であるにもかかわらず、寿命は短い。「代わりはいくらでもいる専門家」は、人体においても、役に立った後、短時間で使い捨てられてしまう
  • 「報酬」に相当する、栄養だとか血流をもっとも豊富に受けている細胞、たとえば神経細胞とか、腎臓の細胞は、あれは「大切にされている」と言うよりも、むしろ「能力の限界まで酷使されている」という見かたのほうが正しい。余分な栄養を蓄えるのは脂肪組織だけれど、あの細胞にしても、「贅沢をしている」のではなく、「そういう仕事をしている」だけに過ぎない

生体は価値判断を行わない

  • 人体は価値判断を行わない。有能だとか、重要だとか、それは系を外から観察した外野の投影であって、人体はたぶん「神経細胞さんはすごいな」とか、考えてない
  • どの細胞にも代わりはいるし、一部が抜けても他が代償する。蜂の巣社会の「女王蜂」に相当する細胞は、人体という小さな社会においては存在しない
  • 女王蜂みたいな存在に価値を見出す視点も、もしかしたら観察者の投影なのかもしれない。君臨する「女王」という見かたもできるけれど、裏を返せば女王は、巣の中で「もっとも酷使されている蜂」という見かたもできるから

Comment & Trackback

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なるほどフラクタルだなあ。
ES細胞のような新卒社員は、可能性と無能さの象徴か。

>可能性と無能さの象徴
この両者は、たしかに共存するものなのですね。。

> 人体は価値判断を行わない。有能だとか、重要だとか
でも状況に対する最適化は行われますよね
リソースの分配、
筋肉を使わないと萎えるとか
おなかがいっぱいだと眠くなるとか

ここでいう「価値」が、経済でいうところの「希少性」のみを指していて、「役に立つ」という本来の価値そのもの=目的の実現に対して役に立つ性質をスルーしているのはどうなんでしょうね。

なので、生体は子孫を残すことも含めた「生き続ける」という意味において、無意識的にも意識的にも十分に価値判断を行っていると思いますよ。

初めまして。
検索エンジンから偶然こちらのブログを発見して、興味深い文章に惹かれてしまい、以来たびたび覗かせていただいています。

細胞と人体の関係って、人間と社会の構図とよく似ていますよね。
誰しも生まれた時は幹細胞。
成長して、ある分野への専門性を高めれば高めるほど、ほかの分野へはつぶしが利かなくなっていく。
神経、筋組織、上皮、血球・・・などなどの「専門家」が互いに協力し合い人体を作っているのと同様、
人間ひとりひとりの能力はバラバラでも、それが集まって社会を形成し、うまく世の中をまわしている。
神様ってのはうまく生命を作ったもんだと思います。

人体のアナロジーをそのまんま社会に適用して誰かの説得を試みると、もしかしたら「それはナチスの考えかた」だとか反論されたりして。。