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2012.05.14

「ちゃんと」できる人なんていない

あってはならない「確実に」という作業指示 – プリウスに見るゴムホースの「組み付け基準」 という記事が興味深かった。

「適切」は難しい

「適切に」判断したり、「正しく」組み付けたりすることは、特にそれが100% に近い再現を求められた場合には、とんでもなく難しい。

詳細なマニュアルを作成して、現場にそれを徹底したところで、大きく「適切に判断を行う」と書かれた項目が残っていたら、かならず誰かが間違える。

「適切」な判断や「正しい」組み付けを現場に実現しようと思ったら、マニュアル本から「適切」や「正しく」といった言葉を追放すればいい。便利な言葉が禁止されれば不便になって、マニュアルを書く人は頭を抱える。抱えた頭で手順を見直すと、「正しく」やらなくても正しい結果にしかなりようがない、本来そうあるべき手順にたどり着ける。

困っている人は「正しく」やらない

最近部屋を整理していたら、棚の奥から研修医時代のシステム手帳が出土した。

内科のメモを書きためていた当時、問題は山積みで、教科書に書かれた「適切な判断」を再現できるだけの能力が自分になくて、本当に困っていた。

全領域で困った結果、教科書に「低血糖を見逃すな」と記載された項目には「血糖を測れ」とメモを追記し、「○○病の可能性にも留意する必要がある」と書かれた項目には、提出すべき検査のルーチンにあらかじめそれを組み込み、正しくできなくても正しい結果が出力されるようなやりかたを、いくつか作ることができた。

自身の経験が積み重なる中で、知識の量は増えて、同時にメモ書きには、「正しく」とか「適切」、「○○病に気をつける」といった記載が増えた。

「どうにかしたい」という切実感は、経験とともにむしろ遠のいた。メモ書きは今でも続いて、リビジョンはそろそろ200を超えて、改定を重ねるごとに記載される文章量は増えているけれど、こういうのはやっぱり、「現場で今困っている人が、問題の解決に必要な道具を作る」のが正解なのだろうと思う。

便利な何かが生まれても、それを「もっと正しく」改良しようと考えたそのときは、劣化が始まる瞬間でもある。

「ちゃんと」はやめたほうがいい

「ちゃんとやれば大丈夫」という道徳が強い場所で、ちゃんとできない場合を考えるのは難しい。

今はきっと減っているだろうけれど、「ちゃんと話を聞けば、患者さんは検査などしなくても全てを語ってくれる。不必要な検査は患者さんに余計な負担をかける」系の言説が昔は強くて、あれが怖くて嫌だった。素直に「怖い」と悲鳴をあげれば、今度は「ちゃんとやれば患者さんはきっと分かってくれる」と諭された。

安全と道徳とは、どうしても衝突が避けられない。安全を徹底しようと思ったら、まずは「人間はちゃんとやれない。事故が起きるような状況においては特に」というところから始めないと難しい。「飲み会の翌日は、初診の腹痛にCTと採血一式を出しても怒らない」と研修医に通達を出すような、そこまで不謹慎な状況を真面目に論じて見せないと、会議室は「ちゃんと」から自由になれない。

「ちゃんとやれば大丈夫」みたいな言葉の根拠が、「俺様は運がいい」である人は多い。「最近の若い奴らはだらしない。俺達の世代はもっと頑張り、ちゃんとやり、成果を掴んだ」というベテランの人たちはたしかに嘘入っていないのだけれど、その人達の同級生は、同じく頑張り、体を壊し、成果に到達する前に亡くなった。

能力は、再現の手法を示してみせることで、はじめてそれを他人に求めることができる。「ちゃんと」やって生き延びてきたベテランの人たちには、ぜひとも「ちゃんとを再現する方法」を残してほしいなと思う。

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