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2010.11.26

手の抜きかたを考える

戦争中に大量に作られた「戦時標準船」というものに関するお話。

戦争を継続するには莫大な物資が必要で、輸送に使う船は、戦争が始まるとすぐに足りなくなるから、 戦争中には「戦時標準船」という、大量生産品の船が大量に造られて、日米ではその考えかたが異なっていた。

日本は手を抜けなかった

日本の戦時標準船は、最初の頃は高品質すぎて、全然「手抜き」になっていなかったのだという。

戦時だから、たしかに見た目は粗末になったけれど、船体は3次元曲面で描かれていて、 中身は従来の高品質な船舶そのままだったから、大量生産を目指して「手抜き」を心がけたはずなのに、工期の短縮は達成できなかった。

戦争の後半、いよいよ物資が足りなくなって、改めて「手抜き」を目指して図面が引かれた船には、今度は安全装置が備わっていなかった。

船には欠かせない安全装置である「二重底」は省かれていたし、性能が低くて安全性の低い船舶を、 それでも軍は従来どおりに運用したものだから、被害は莫大なものだったらしい。

米国のリバティー船

米国の戦時標準船であった「リバティー船」は、粗製濫造された無骨な船であったわりに、船に必要な基本的な部分は従来どおりで、二重底も備わっていた。 その代わり、リバティー船のエンジンは時代後れで、安価な代わり、速度は遅かった。

米国は、鈍重な船舶を運用するに当たって、護送船団のありかたを改めたのだという。 船は遅いから、空母を必ず護衛に付けて、損失を最小にするよう心がけたのだと。

量の運用は難しい

質よりも量が求められるような状況に対峙して、何かの「手抜き」を代償に得られた「量」を運用するのは難しい。

「手抜き」自体、大胆にそれを行うのは案外難しいし、手を抜いて、低い性能の代替品を大量に作ったところで、 それを運用する側に、量を前提とした思想がなかったら、品質の低さがそのまま致命的な欠点となってしまう。

性能の低さを、運用でなく、「現場の頑張り」でだいしょうすると、悲惨なことになる。 その代替品がそもそも想定していない性能を、「頑張って」達成することを求められるし、 頑張って、達成できるわけもないのに、全ては「現場の奮起が足りない」せいにされる。

「手抜き」の企画は、まずは組織の「上」にいる人たちが、その性能を前提とした運用方法を見直さない限り、必ず失敗してしまう。

そもそも「手抜きができない」ことだとか、ようやく作った低い性能の代替品を、今までどおりのやりかたでしか運用できなくて、 結果として損失ばかり増えてしまうことだとか、戦時標準船も、半導体も、問題の根っこがよく似ている。

問いを立てて手抜きを運用する

「手を抜こう」なんて宣言したところで、やっぱりそれは上手くいかないし、低い性能の何かが生まれて、 「性能は低いけれど精神力でカバーせよ」なんて指揮された現場は、「頑張りが足りない」結果として自滅する。

「どうすれば手を抜けるのか?」という問いの立てかたからは、建設的な発想は生まれてこない。

量を運用しようと思ったら、現場を指揮する人に、まずは「その人にとって譲れない要素」を考えて、それを限界まで絞り込んでもらってから、 今度はそこから、「ならばそれが欠けているものを与えられたとして、それをどう運用するのか?」と問うことで、もう少しましな答えが出てくるのではないかと思う。

それが戦時標準船ならば、たとえば「速度」や「最大積載量」、「防御力」あたりが譲れない要素であって、 今度は「遅い船」や「荷物が積めない船」、「簡単に沈む船」をそれぞれ前提として、どういう運用を行えば、 それで目的を達成できるのかを発想してもらえれば、「それが前提の運用」というものが、もう少しだけ前向きに考えられる。

そんな問いに対して「精神力でカバーする」という答えしか返せない人は、上に立ってはいけないのだと思う。

2010.11.24

電線に意識が宿る

スマートホンを持ち歩くようになってから考えたこと。自分なんかはむしろようやく追いついた側で、 携帯電話を使いこなしている人たちは、もっとずっと先を行っているのではないかと思う。

道具の境界がなくなった

ちょっと前までだったら、原稿を書くときにはこの道具、大切な連絡をするときにはこの道具といったように、 同じPCを介した作業であっても、道具を使い分けていた。

スマートホンを持ち歩くようになってから、こうした道具の境界というものが曖昧になって、全てはチャットの延長のようなものへと収斂しつつあるような気がする。

今はたとえば、印刷原稿はTeX で書いて、それをSubversion 経由で出版社にアップロードする。出版社のサーバーが原稿を受け取ると、 それが自動的にメール配信されて、編集者が原稿を手直しすると、訂正箇所の差分ファイルが、またSubversion 経由で送られてくる。 通信メディアは、この場合は電子メールだけれど、Android 携帯は、Gmail が来るとすぐに音で反応するから、遅延はほとんどゼロでいける。

Subversion を介したやりとりとは別に、原稿を読んでもらうために、出版前の原稿はWiki を通じて査読をお願いした人に読んでもらっているけれど、 Wiki のバックグラウンドでもメール配信が動いているから、誰かがWiki に訂正を加えると、それがGmail 経由でスマートホンにプッシュされる。 スマートホンから通知があったら、その場でブラウザを立ち上げると、何があったのかがすぐ分かる。

こうした連絡は、基本的にはメールを介しているけれど、つながっている人たちのほとんどはTwitter を使っていたり、はてなブックマークを使っていたりするから、 メールを使わなくても、Twitter 経由い、あるいはブックマークコメント経由でも、だいたい同じ間合いで会話が成り立つ。

昔だったらこのあたりは、チャットはチャットなりの、掲示板は掲示板なりの空気や流れがあって、 それぞれ使い分けたりしていたけれど、即時性が増していった結果として、道具の境界は曖昧になってきた。

「どれ」よりも「何」が大切

アプリケーションの境界が曖昧になった結果として、「どれを使いたいのか」でなく、「何をしたいのか」に、今まで以上に重心が移っていくのだと思う。

何かやりたいことがあったときに、「どれ」にこだわると、「何」を決断するタイミングを逸するのかもしれない。 自分がマニュアル本を作ろうと思ったときには、最初に「TeX を使いたい」というこだわりがあったものだから、 結果としてたぶん、あれで4年ぐらい遠回りした気がする。

メモを取って、それをPDAで持ち歩く、それだけのことを実現するのに、「LaTeX でメモを取る」という一線にこだわったあまり、 Palm とLaTeX との連携は難しくて、Android 携帯でPDFが読めるようになって、ようやく紙のメモ帳に追いついた。 このあたりもたとえば、 Androbook のようなサービスを使うことで、 もっと便利な、ハイパーリンクを活用したメモをPDA上で運用することなんかが簡単にできるようになるのかもしれない。

あらゆるものが携帯電話になる

PC上だけでなく、たぶんリアル世界での道具もまた、境界が曖昧になって行くのだと思うし、境界をまたげない機械は取り残されてしまう気もする。

恐らくはあらゆる機械に通信機能がつくようになる。デジカメとスマートホンとの境界はすでに曖昧になりつつあるし、 そのうちたぶん、Kindle みたいに通信無料、ストレージ無限がコンパクトデジカメの最低要件になっていく気がする。 あるいはストレージをメーカーが用意する時点でもう古くて、ユーザーが画像を保存するためのメディアを、ネットワークを通じて 簡単に選択できるようにならないと、時代に取り残されてしまうのかもしれない。

「会話する家電」の流れは、やっぱり必ずあるんじゃないかと思う。自分の中身をプッシュ配信する冷蔵庫とか、 ガスの大きさを配信するコンロとか。「インターネット家電」というものは、発案されたときには笑い話だったし、 今だってそういうものは市販されていないけれど、スマートホンを当たり前に持ち歩くようになると、 ほんの2歩、台所に火加減を確認する手間が省けるのなら、人はそれを省こうとするんじゃないかと思える。 「歩いて確認しろよ」という突っ込みは、最後の1クリック分の想像力が足りない気がする。

「それが携帯電話になったら人はどう変わるのか?」という遊びをするといいのかもしれない。冷蔵庫の機能を持った携帯電話。 電子レンジの機能を持った携帯電話。その場所から見えるもの、周りにあるお店をプッシュ配信する車。すぐにだって始められるし、 通信機能を付けたって、「通話料は永久に無料」をひねり出す政治的な抜け道も、Kindle みたいなやりかたで、何とかなるのではないかと思う。 昔は全部笑い話だったけれど、それを笑わない人の数は、ゆっくりとだけれど増えていく。

電線に意識が宿る

IE4 の「画期的な機能」として、情報のプッシュ配信というものが搭載されていて、当時は大いに期待して、インストールして、 「単なる広告じゃん」なんて、騙された気分になった。

あの頃「プッシュ」された情報を閲覧するためには、何よりも机に座ってPCを立ち上げる必要があって、 今はポケットのスマートホンが、当たり前のようにシグナルを「プッシュ」して、人の行動に指示を出す。

流れとしては、これは決して不快ではなくて、自分はどんどん怠惰になった。今はもう、天気を確認するのにも、 空を見ないでAndroid の天気ヴィジェットを確認する。

自分が生きているうちに、電気の流れるあらゆる機械が「つぶやく」ようになるのだと思う。蛍光灯や電気ポット、 電子レンジももちろんだし、町の自動販売機とか、自動ドアや乗用車に至るまで、何か人間が動作をすれば、 動作をしたこと、それに対する反応を、ネット越しの誰かに向かって配信するようになる。

それをいちいち確認するのは無理だろうけれど、たとえばある家の「つぶやき」を時間軸で視覚化すれば、そこに生きている人の 生活サイクルが見えてくるし、生活サイクルに狂いがあれば、何かあったということが見て取れる。

あるいは「つぶやき」と位置情報とを重積すれば、今現在の、町の「賑わい」を視覚化することだってできるし、 スマートホンにはカメラがついているから、撮影した画像を公開にしている人にアクセスして、「現在のそこの風景」を、 居ながらにして眺めることもできる。

自販機や、蛍光灯がやっていることは、それを操作した人間に対する機械的な反応だけれど、 それを集めて視覚化すると、「家の意識」や「町の意識」としか表現できない何かになる。

「つぶやく家」や「つぶやく町」というのは気持ちが悪いかもだけれど、流れとしては必然であって、 「風水」みたいな考えかたを通じて、なんとなく理解をしていた場所の意識みたいなものが、 可視化されるようになっていくのだと思う。

2010.11.22

握手には意味がある

握手というものは、「私はルールを守ります」と相手に宣言するときのどうにもなるし、 ルールの外側で交渉を行う際には、握手を行うことが、相手の立場を崩すきっかけになったりもする。

交渉は一つじゃない

交渉には、「ルールブックの上で行われる交渉」と、「ルールブックを挟んだ交渉」とがあって、 「ルールブックをしっかり読んで、お互いに可能なことを探しましょう」というのも交渉術だし、 「とりあえずルールブックを破り捨てて、うろたえる相手にこちらのルールを突きつけてやりましょう」というのも交渉術になる。

向いてる方向は正反対なのに、同じ言葉でくくられるから、交渉術というものはしばしば誤解される。

たとえば「ハーバード流」や「ユダヤ人の教え」といった本も「交渉」を扱っているけれど、 そもそも契約書を守るつもりのない相手に対して、こんなやりかたで挑んだら大変なことになる。

軍事や外交の考えかたは、交渉と言うには大げさに過ぎるけれど、お互いにルールを守るその手前の段階では、 むしろこちらの考えかたのほうが、「交渉」という言葉が腑に落ちる。

交渉術が、ハーバードに学んだり、ヤクザに学んだり、人質交渉人に学んだり、ホテルマンに学んだり、 みんな違うことを言って、みんななんとなく嘘を言ってないように思えるのは、それぞれの人が、 それぞれの方向に向かって真実を語っているからで、交渉というのは一つではないのだと思う。

ルールブックには限界がある

基本的に、「議論」や「説得」のようなやりかたを通じて、その人の見解を変えることはできない。

「ハーバード流交渉術」のようなやりかたは、お互いの見解を書き換えることなく、相手があらかじめ想定していた範囲での妥協を引き出したり、 あるいは相手が気づいていない「妥協の余地」や「交渉の余地」を、「まだこんなにありますよ」と示してみせることで合意を引き出すための方法論であって、 見解の書き換えを前提にしない以上、「ハーバード流」のやりかたでは、たしかにwin-win の解決以外に選択は得られない。

「ハーバード流交渉術」の達人は、ルールブックを細かく勉強する。相手が「柔道」を挑んできたときに、 レスリングみたいな「judo 」ルールで対抗すれば、ルールブックを活かせる分だけ、ルールの範囲で有利な勝負ができる。

そもそもルールブックを守る気のない相手は、「柔道をやりましょう」とやってきた相手に対して、武器を手にしたり、 相手選手の家族を人質に取ろうとしたりする。こういう人たち相手に「ハーバード流」を説いても無理で、 そもそもルールとは何なのか、それを守ってみせることでどんな利益があるのか、どんなルールなら共有できるのか、 そのあたりから話を始めないと、ゲームにならない。

事実やルールを書き換える

そこにある事実を基盤にしてお互いの見解が作られて、事実が共有されていれば、対立した見解は、 自然発生したルールの中でぶつかりあう。事実が変わらない以上、見解は一定の範囲に収斂して、 一致した見解の落としどころを、「ルール」の中で、お互いに探り合うことになる。

ルールを逸脱した「落としどころ」を、相手を屈服させる、決定的な妥協を強いる、 明らかにその人の不利益になるような振る舞いを引き出すためには「見解の書き換え」を行わなくてはならない。

議論という手法でこれをやるのは無理で、世の中のいろんな場所で、「議論で見解は書き換えられる」と誤解されていて、不毛な議論が終わらない。

定まったルールがあるところに、別のルールを持ち込めば、「ルール違反だ」と怒られる。 ところが対立する見解の、根拠となっている事実関係が改変されたら、ルールは変更を余儀なくされる。

相手の側から決定的な妥協を引きずり出す、「見解の書き換え」を行うためには、見解の地盤になっている事実の侵略を行う必要がある。

「勝つためにはまず人質」なんて発想をする人と柔道をしようと思ったら、「そもそもスポーツと殺しあいは何が違うのか」あたりから説かないと、恐ろしくて勝負が始められない。ハーバード流どころじゃない。

固定した状況に、無理矢理に「ある事実」をねじ込める人は、それを通じて場のルールを改変できる。 外乱からルールを守るために契約書が交わされるのだけれど、ルールを逸脱した交渉を行う人は、 みんなその場所を攻撃対象として狙ってくる。

様々な状況で、万能選手的に交渉が上手な人というのは、口が上手い、論理の構築が巧みというよりも、 むしろそうした巧みさを利用して、ルールの境界を微妙に変更してみせるのが上手なんだと思う。

だから握手が強い

交渉を進めるためには事実の改変に注意しないといけないし、それがどれだけ些細なものであっても、場で共有された事実に、 別の何かが付け加えられたら、ルールはもう、元のままではいられない。

握手というのは、「私はルールを守ります」という宣言であると同時に、拒否することが難しい、最も小さな「事実」でもある。

「お互い手を握った」という事実を、人はそう簡単にスルーできない。

ネット越しにどれだけ激しい言葉を浴びせられたところで、相手がどれだけの正当性を宣言したところで、 電源を落とせば忘れるし、忘れられる程度の何かは、その人の見解には響かない。ところが握手の感触はいつまでも残って、 「握手をした相手」のことを、冷酷に切り捨てられる人は少ないし、それをやると今度は、「あの人は握手をした人間を切り捨てた」という、 握手が導入される前にはありえなかった印象が、その行動に付け加えられてしまう。

たかだか握手でも、これを無意味だと断じる人は、そもそも交渉ごとに向いていないのだと思う。

2010.11.18

面白いものと売れるもの

誰かに「これは面白い」という評価をいただいて、それを「売るもの」へと手直ししているときには、 誰もがたぶん、どこかで「面白さを削る」ような気分を味わうんじゃないかと思う。

「お金が取れるぐらいに面白いもの」と、実際に「売られているもの」との間には深い断絶があって、それを超えるのはなかなか難しい。

スマートホンの話

このところずっと Android 携帯で遊んでいて、今さらながらこれが面白い。

HT-03A は、ほとんど毎日のように何らかのROMが更新されていて、自分なんかは正直、 XDA developper で交わされている内容の1割も理解できていないんだけれど、いろんな国の人たちが、 新しいROMを発表してみたり、「俺の作ったbootimage を見てくれ」なんてフォーラムを立ち上げて、 名乗りを挙げた人柱が見事に玉砕してみたり、ログを追いかけているだけで、 なんだか自分が詳しい人間になれたような気分で楽しめる。

携帯電話は仕事の道具でもあるから、自分が実際に入れているのは、 発表されているカスタムROM の中でもずいぶんと安定したものばかりだけれど、 掲示板で「甘え」と罵られながら、それでも使い勝手はずいぶん変わって、快適になった。

面白さと実用性は両立できる

「製品」としてのHT-03A は、不便だった。

電話アイコンをクリックしてから住所録が出てくるまで2秒、そこから電話がかかるまでさらに数秒、 ボタンを押すと待たされて、画面をスクロールしようとすると、また待たされて、「こんなものだ」と 我慢しようにも、さすがに使っていて嫌になってきた。

Hyper-J というカスタムROMを焼いてから、電話をかけたり、何かのアプリを閉じてからホーム画面に戻るのが、 「数秒」から「一息」に進化して、これだけで画期的に快適になった。

今はOS のバージョンを2.2 に上げて、何故か最近になって発掘された「埋蔵メモリ」を使えるようにするようなカーネルを上書きして、 「電話ボタンを押すと電話がかかる」という工程が一瞬で行けるようになって、OSのバージョンが上がって、PDFファイルも読めるようになった。

「自分で作った臨床メモを参照しながら臨床を行う」という、メモ帳の時代だったらごく当たり前にできていたことは、 電子に夢を見た10年前にはできそうでできなかったのだけれど、スマートホンの時代になって、 ようやくストレスなく実現できるようになった。

Palm の頃は、PC上のメモをPDA にコンバートすることができなかったし、LaTeX で書いたメモをHTML に変換したところで、 HT-03A はSDカード上のHTML 原稿を直接読みに行けなかったから、メモはネット経由で参照することしかできなかった。 SDカードと本体のROM と、ほんの数ミリの、そのわずかな距離を詰めるのに、さらに1年かかった。

カスタムROM を焼いて、実用的なPDFリーダーが動くようになって、デスクトップ画面からアイコンをクリックするだけで、 ようやくメモが立ち上がるようになった。小さなことだけれど、何年もかかって、PDAはようやくメモ帳に並べたんだと思う。

面白いものと売れるもの

あれこれとROM を入れ替えた結果として、自分のHT-03A は速くて便利になったけれど、今度はyoutube が上手に読めなくなった。

もともと動画は見ないから、そのことには全く困っていないのだけれど、youtube をスマートホンから見ようとすると、 閲覧できる動画もあるし、音しか流れない動画もある。どの動画がどういう動作をするのか、クリックしてみないと分からない。

カスタムROM のフォーラムでも、いろんなROM でいくつもの「不具合」が報告されては、それがバージョンアップで潰されたり、 また新しい不具合が発見されたり、忙しくて、面白い。

ところが今のこの状態を「製品」として、お金をもらって販売するものとして見たときには、 これは明らかに欠陥であって、瑕疵がある以上、販売できない。

お金をもらってものを売るときには、その商品の欠点は、長所で補償することができなくなってしまう。

DoCoMo が販売していた状態の、素のままのHT-03A は、商品としては正直どうしようもない、 お金を払ったことを後悔するぐらいにつまらないものだったけれど、たしかに不具合は発生しなかった。 ソフトを立ち上げるのは遅かったし、使った感覚も快適には遠かったけれど、積まれているソフトはすべて動いて、 明らかな「手落ち」と指摘できるものはなかった。

今使っている、中身を入れ替えたHT-03Aは、もう手放せないぐらいに便利に快適になっていて、 快適にはなったけれど、欠点も増えた。動画の閲覧は不安定だし、増加バッテリーを積んでも電池はみるみる減っていくし、 電話やメールこそ、不具合なく確実につながるけれど、じゃあこれから何かのアプリケーションを試すとして、 果たしてどんな不具合が出現するのか、使ってみないと分からないし、メーカーはもちろん、何の保証もしてくれない。 これはたしかに「素晴らしく面白いもの」であっても、このままでは、商品として販売することはできないんだろうと思う。

「お金を支払うこと」の価値というか、商品と一緒に購入できる、「欠点を指摘して保証を要求する権利」いうものが大きくなって、 「面白いもの」と「売れるもの」とを断絶させる谷は深くなった。

溝を超える方法は、「欠点のない商品を作る」というのが王道だけれど、尖った要素は削らざるを得ないだろうし、 価格だって高くなる。

Apple はこのあたり、「私たちのやりかたを肯定できる人だけ買って下さい」という、全ての人という市場にあえて背を向けて見せることで、 「面白さ」と「販売できる」との両立を目指して、Apple の製品を購入する人の裾野が広がると、あれも難しくなるような気がする。

Google 先生はこうした問題に、「最初からお金を取らない」という回答を出して、これが成功しているのかどうかは分からないけれど、 OS としてのAndroid は、「無償」だからこそ面白い試みができるのだろうし、Google という会社のサービスは、不具合満載、 倫理の壁を思わず崩すような失敗も珍しくないのに、ユーザーは減らずに、相変わらず面白い。

お金をもらってものを売る代償というものは、「一番声の大きなユーザーと会話するコスト」なんだと思う。

それがものを売った利益に見合うものなら、販売という手段を取るのだろうし、 会話リスクを限界まで削った結果として、「売るもの」はしばしば、面白さを失ってしまう。 「無償」と「支払い」の間には、「ユーザーを囲い込む」とか「別の手段でお金をもらう」とか、 実は様々なやりかたがあって、この場所に、「面白いもの」と「売れるもの」とを両立させる何かがあるのだと思う。

2010.11.16

土俵をずらす戦略

たとえば大量の戦車や火砲で攻めてくる大軍相手に、物量で劣った側が、より強力な対戦車兵器で応戦を試みても、 物量に押しつぶされて、敗北を避けるのは難しい。

物量で勝てない敵を相手にして、相手の土俵で勝負してしまうと、戦況は間違いなく泥沼化する。 こんな状況で戦うときには、まずは「相手の土俵」を見定めて、「そこでない場所」で全力を尽くせるような状況を考えないといけなくて、 相手が「戦車」であるときには、そこは「地下」なんだという。

まずは穴を掘る

戦車が武器として成立する条件は厳しくて、戦車はたしかに協力だけれど、スピードは遅いし、視界は極端に悪い。 見えない場所から近寄る手段があるのなら、ちょっと大きな地雷を一つ放るだけで、たいていの戦車は動けなくなるし、 壊れた戦車を内側から直すことはできないから、その時点でもう、武器としての戦車は、その意味を失ってしまう。

戦車を運用するときには、だから必ず歩兵の同行が必要で、歩兵の援護がない限り、戦車は武器として成立しない。

たくさんの戦車が攻めてくるという状況で、それを迎える側がトンネルを掘って、地下にこもってしまうと、 戦車は地下の人間に対して手出しができない。歩兵はトンネルに潜れるけれど、地下では戦車の援護が 受けられないから、人的な被害は莫大になってしまう。

「大量の戦車」という、相手の軍隊が持っている強みは、「土俵」を地下に移されてしまうと発揮できなくなってしまうから、 「トンネルに隠れた歩兵」という状況を作られると、戦車軍団がそこを突破するのは難しくなるのだという。

携帯電話のこと

携帯電話は、様々な会社が独自の製品を作り上げて、ずいぶん栄えて、ここに来てスマートホンがやってきた。

スマートホンの主役は、電話機メーカーというよりもソフトウェアを作る会社であって、ハードからソフトから、全てを作って売ってきた従来の電話と比べると、 購買のきっかけになる何かというものが、ずいぶん異なっているように思える。

メーカーの思惑は、様々なのだろうと思う。Google 先生は情報を集めたいのだろうし、マイクロソフトはソフトを売りたい、 林檎は正直何をしたいのかよく分からないんだけれど、いずれにしてもスマート電話の業界は、ソフトを売る人たちが強くて、ハードは弱い。 日本のメーカーも気を吐いているみたいだけれど、素人が見た限りでは、むしろ台湾あたりのメーカーのほうが、元気が良さそうに見える。

「製品」を販売するときには、ソフトからハードまで、全てを一つのパッケージとして販売するほうが、利幅が高くていい商売になるのだろうけれど、 アップルがそれに挑んで暫定的な成功をおさめて、今度はGoogle が、無償で性能のいいソフトを武器にそこを崩しに来て、 やはり暫定的にせよ、いい成果を上げているように思える。

携帯電話の機能が増して、ソフトウェアが良くなって、魅力の軸足というものが、製品それ自体よりも、むしろソフトの側に写っているように思える。 スマートホンを選ぶときには、まずは「OSの選択」が先に来て、この状況でハードの魅力というものは、もはや単なる選択肢になってしまった。

ハード屋さんとしては、それはやはり面白くないのだろうから、たとえばXperia は独自のソフトを搭載して、それを魅力にしようと一生懸命だけれど、 Xperia 独自のソフトウェアというものが、ユーザーの購買を直接引っ張っているのかといえば、そんなことにはなっていないような気がする。

相手を選択肢にする

「これが買いたい」という動作を押すのは、本来ならたぶん、ハードとソフトが車の両輪で、お互いが相補的に作用することで、 初めて製品は魅力的なものになる。

ところがAndroid だと、ソフトウェアはGoogle 先生がすごい勢いでアップデートをかけるから、 ハードウェアは単なるOSの乗り物になってしまう。乗り物なら、実用性が大切で、 安くて早くて丈夫なら、「それ自体の魅力」というものの意味は軽くなる。

乗り物扱いをされるのは、ハード屋さんはもちろん面白くないだろうから、独自のアプリケーションを製品に乗せることで、 魅力の軸足を製品の側に持ってこようと試みるのだろうけれど、それはちょうど、大戦車軍団を相手に歩兵が突撃を試みるようなもので、 気合いとか根性では、物量をひっくり返すのは難しい。

すごい勢いで進化するソフトウェアを前に、ハード屋さんが「トンネルを掘って地下に潜る」戦略をとろうとするならば、 今度は「様々なソフトウェアの走るハード」を作ることで、いろんなOSに対応させて、OSを乗り物扱いしてしまうことになるのだと思う。

権利の関係でそれは難しいのだろうけれど、何か魅力的な使い勝手だとか、性能を持ったハードウェアを一つ仕上げて、 どれか特定のOSでなく、従来の携帯電話だろうが、Android やWin、Mac OS だろうが、「何でも乗せられる」電話機を 製品化することができれば、今度はソフトウェアの側が選択肢に、ハードウェアの乗り物になる。

進化していくソフトウェアにハードウェアが対応できる限り、ユーザーは好きなOSを積めばいいわけだから、 魅力の軸足は、ソフトからハードへと移ってくる。

空と地下の先にあるもの

それが「速いCPU」でも「打ちやすいキーボード」でも、ハードにはハードならではの魅力があって、 特定のソフトウェアとの紐付けを断ちきることが出来るのならば、そうした魅力が、製品の魅力に直結するようになる。

ソフトウェアを作る人たちは、そうしたやりかたを許さないだろうけれど、ハードもソフトも選択可能になった状況というものは、 メーカーの側からはやりにくくて、ユーザーの側からは歓迎すべき状況で、そうなってほしいなと思う。

ソフトはソフトで、本来これは何かといえば、「データの乗り物」なのだと思う。

データの保存先をどこかに作って、データは会社が責任を持って保存、そのデータを、どのソフトで、どのOSで動かすのかは、 ユーザーが自由に選択できるような状況をデータ屋さんが築くことができれば、こんどはソフトウェアというものが、 「データの乗り物」になってしまう。

Google なんかはこれをやりたくて、今いろんなデータをクラウド化しているのだろうけれど、文章や図版、メールアドレス、 ブックマークをクラウド化して、あとは特定のソフトを使いこなすときの様々な設定だとか、マクロみたいなものがクラウド化できると、 ハードウェアやOS までもが単なる選択肢になって、それに乗っかっているメーカーは厳しくなってくる。

ソフトウェアが「地上」であるとして、「地下」のやりかたが選択可能なハードウェア、「空」にはクラウドデータの流れがあるとして、 「地下の地下」には、恐らくは部品屋さんがいる。「インテルはいってる」のコマーシャルなんかはそれを狙ったものなのだろうし、 携帯電話のCPUでは韓国や台湾のメーカーが気を吐いていて、そこに日本のメーカーが主役として立っていないのが、 寂しくもあり不安でもある。

「空のさらに上」にはじゃあ何があるのか、個人的にはそれは「教育」であって、Google みたいなデータそのものを扱う人たちは、 最終的にはそんなことがやりたいんじゃないかと妄想するのだけれど。

2010.11.11

「ちゃんと」のコスト

何かものを作るときには、「シンプルなやりかた」と「複雑なやりかた」とが選べることがあって、 「ちゃんとやれば」同じ結果がシンプルに達成できるやりかたを選んでしまうと、「ちゃんと」のコストが、 構造の複雑さを上回ってしまうことがある。

「単純な機能を達成するために単純な構造を採用する」ことは、基本的には正義なのだろうけれど、 単純な構造とトレードオフになっているものが何なのかを見極める必要があって、 それが「精密な加工技術」だとか「名人芸的な設計技術」であった場合、その考えかたに乗っかると失敗してしまう。

機関銃

機関銃には、銃弾の反動を利用した「ショートリコイル方式」と、火薬のガスを利用した「ガスオペレーション」方式とがあって、ショートリコイル方式のほうが部品点数が少ない。

マキシムの機関銃だとか、ブローニングの軽機関銃はショートリコイル方式で、この構造は比較的単純なのだけれど、 ショートリコイル方式が成り立つためには、品質の高いばねを作る技術だとか、ごく精密な機械加工の技術が基盤として備わっていないと再現できない。

ガスオペレーション方式の機関銃は、ショートリコイルよりも部品点数が多くて複雑だけれど、部品を動かす力を大きくできるからなのか、 そこまで厳密な設計をしなくても、精密な機械加工ができなくても、そこそこ確実に動作する。

代表的なライフルであるAK47 なんかもガスオペレーション方式で、ソビエトロシアの機械加工技術がなくても、 このライフルは世界中でコピー品が作られて、稚拙な加工技術しか持たない国でも、似たような動作が実現できている。

モルタルの壁

建物の「壁」を作るときに、コンクリートを打ちっ放しにすると、シンプルでかっこいいものが出来上がる。

ところが壁というものには、内側の見栄え品質、中心部分の断熱性、外側の防御機能といういくつもの機能が求められて、 こうした機能をモルタル一つで実現するためには、職人芸的な技能がいる。

安藤忠雄の建築は、コンクリート打ちっ放しの壁で有名だけれど、あれを設計図面どおりに仕上げるのは大変で、 以前何かのテレビ番組で特集されていたときには、海外の建築物なのに、結局想定した仕上がりを実現できなくて、 日本から専門の職人さんを招いていた。

壁紙を貼って、真ん中に断熱材を入れて、外側にはまた別の素材を使うような、一般住宅の壁構造は複雑だけれど、 コンクリート打ちっ放しに比べるとむしろ安価で、職人芸的な技術を持たない人でも、既製品の壁材を組み合わせることで、品質と機能の両立ができる。

空冷エンジン

エンジンには「空冷方式」と「水冷方式」とがあって、冷却のために水を使わなくていいぶんだけ、空冷方式のほうがシンプルであると言える。

ところが空冷エンジンというのは、気流の当たりかたにどうしてもむらができて、高回転までエンジンを回すと、 どこかに必ず過熱する場所ができる。一箇所が過熱すると、エンジンはそこから焼き付いてしまうから、 空冷エンジンというものは、よほど上手に設計しないと、信頼性と馬力とを両立できない。

液冷エンジンは、エンジン内部を水が循環する。水は大量の熱を運搬することができて、「水路」の設計をそこまで緻密に追い込まなくても、 エンジン全体が水で強引に冷やされる。神業的な設計技術を用いなくても、液冷エンジンは、空冷エンジンに比べると信頼性と性能との両立を達成しやすい。

大昔、ホンダがF1 に挑んだときには、空冷エンジンF1 がトライされたけれど、完走できなかった。

ポルシェの空冷エンジンは素晴らしい性能で、しかも高い信頼性を誇っていたけれど、当のポルシェにしてから、 ついに空冷エンジンの改良に限界を感じたのか、今では水冷に変更してしまった。

「ちゃんと」のコストは案外高い

部分の複雑さを受け入れることで、全体としての信頼性を上げる考えかたというのがちょっと面白い。

信頼性や再現性を実現するのに、必ずしもシンプルさが回答にならないケースがあって、一見理想に見える構造が、 場合によっては必ずしも正解にならない場面というのが、技術の世界だと結構あるような気がする。

技術者が乗っかるべき基礎技術というか、「空冷で行くべきか、液例を選択すべきか」といったような判断は、 理想を追求するよりも、むしろ設計しやすさを、「平凡な設計」でもそれなりの性能を期待できるような構造というものを選択したほうが、 その複雑さに引き合うだけの信頼性だとか、柔軟性を得やすいことが多いのではないかと思う。

その人にしか設計できない、精妙を極めた設計/製造を前提に、初めて実現できる単純さというものは、理想的ではあっても、やはり目指してはいけないような気がする。

2010.11.08

HT-03A 備忘録

普段は HT-03A というAndroid 携帯電話を常用していて、機能的にはこれで十分ではあったのだけれど、動作速度に不満があった。

電話をかけようとして、ホーム画面から電話を立ち上げるのにも数秒かかるし、たとえばメールを出したりネットを見たり、 何かのアプリケーションを立ち上げて、それが終了してからホーム画面に戻るのに10秒以上かかったり、 医局にあるいろんなスマートホンと比較して、この速度はちょっと我慢できなかった。

「ROM を入れ替えると快適になる」 という評判をあちこちで聞いて、同時に「失敗すると電話が一切使えなる」という警告に怯えて、 「Hyper-J 」という、安定しているという評判のカスタムROM を入れたのだけれど、使い勝手がずいぶん快適になった。 新しいスマートホンにはさすがにかなわないけれど、これなら十分に常用できて、当分は買い換えないでこのまま行こうと思えた。

一応お約束。煉瓦になっても当方は一切関知しません。自己責任の意味を理解できる方だけ先をお読み下さい

懸念していたこと

普段は病院との連絡に使っている携帯電話だから、カスタムROMに入れ替えて、そもそもそれが電話としてそのまま使えるのかどうか、 それが分からなくてちょっと困った。

ROM を実際に入れ替えてみて、基本的には今までどおり、電話としての機能は問題なく使えた。電話もかけられるし、 3G回線を使ったインターネットも、無線LANを使ったインターネットも今までどおり使えた。

Android 携帯は、アドレス帳機能はWeb 上に記録が残っているから、ROM を入れ替えて、Gmail のID とパスワードを入力すれば、 電話番号リスト、メールの記録、スケジュールについては、Web の側から勝手に書き戻されて、今までどおりに使えた。 今まで使っていたアプリケーションは全て消してしまったけれど、そもそもそれほどたくさん入れていたわけではないから、 それは問題にならなかった。

ROM の入れ替えを行う際に、事前に記録しておくべきことは、基本的に何もなかった。何か特別なID とか、パスワードのメモを忘れて、 「ROMの入れ替えには成功したけれど、電話機としては二度と使えなかった」という状況を恐れていたのだけれど、Gmail のID とパスワードさえ 覚えていれば十分だった。

手順の概要

必要なことのほとんど全ては、 Android Custom Cookbook というWiki に書かれていて、このとおりにやればROM の書き換えができた。 ただしこのページは、HT-03A 以外にもいくつかのAndroid 携帯に対応していて、同じ工程にいくつかの選択肢が用意されていて、初心者にはそれが怖かった。

自分がやったのは、以下の順番。

  1. AndroidSDK導入(Windows)
  2. Goldcard作成
  3. ダウングレード
  4. root 化
  5. RA-sapphire の導入
  6. Rom導入 HyperJ
  7. Titanium Backup の導入SPLの変更
  8. その他アプリケーションの導入

これはどちらかというと遠回りなやりかたで、もっと簡単にROM を変更する手順も紹介されているけれど、 このやりかたは比較的確実で、いざというときの後戻りがやりやすいように思う。

AndroidSDK導入

携帯電話本体と接続する、PC側にソフトを設定する。

基本的な流れは、 AndroidSDK導入(Windows) のとおりでいける。分かりにくい部分について、初心者向けの手順書 も準備されていて、とても親切にできている。

はまるのは以下の部分。

  • android-sdk の今のバージョンは、最初からUSBドライバーが入っているみたいで、ドライバーのダウンロードとインストールは、行わなくても大丈夫だった
  • 手順書の最初にEclipse の導入が記載されていているのだけれど、ROM を変更するに当たって、Eclipse がどこで使われているのがよく分からない。なくても大丈夫なのかもしれない
  • PCと携帯電話本体とを接続するときには、Android の「アプリケーション」 -> 「開発」 -> 「USBデバッグ」をチェックする必要がある。これだけやっておくと、後は無造作にUSBを接続するだけでリンクされる

Goldcard作成

Goldcard作成 の手順書の通りに行えば、同じものが作れるはず。

これを作らないでroot 化 する方法もあるけれど、このカードを作っておくと、ROM が固まって、携帯電話が立ち上がらなくなってしまったときに、 GoldCard から復活をかけられる。もしもの時に役に立つから、SDカードを1枚、これを作るために取っておいてもいいと思う。

ダウングレード

HT-03A に入っている、バージョン1.6 のOS から、root 化ができるバージョン 1.5へと書き戻す作業。

ダウングレードの手順書 に従って、GoldCard に myTouch3G 1.5 のROMを書き込む。DoCoMo の携帯電話ではなくなるけれど、このままでもGmail のID とパスワードがあれば、 普通に携帯電話として使える。

myTouchi 3G ではなく、DoCoMo 1.5 に戻すやりかた もあるみたいだけれど、試していない。

ダウングレードを行って立ち上げると、myTouchi 3G の初期画面に入れる。初期画面 から menu ボタンを押すと、APN 設定画面に入れるので、 BizホーダイのAPN設定 を書き込んで保存すると、Gmail の認証画面に進める。あとはGmail のID とパスワードを 入力すれば、Web 側からアドレス帳やスケジュールが書き戻されて、とりあえず「普通のスマートホン」として使うことができるようになる。

普通は「Bzホーダイ」で契約しているはずで、APN はmpr2.bizho.net のほうになるはず。

root 化

手順書 に記載されている、setupsu.apk を利用するやりかたが簡単だと思う。

nagamatu’s SetupSU at master – GitHub が、アプリケーションの管理ページになっているみたい。

この時点で、携帯電話は普通に使えるようになっているはずなので、Astro なり、ES ファイルエクスプローラー なり、ファイル管理アプリケーションを Android マーケットからダウンロードしておく。

setupsu.apkは、HT-03AとPCをUSBで接続、マウントした上で、SDカード上にコピーしておく。USBを外して、ファイルマネージャーでsetupsu.apk を 選択すると、「インストールしますか?」という選択肢が出現する。

インストールすると、アプリケーション一覧に「す設定」というアプリケーションが出現するので、 それをタップするとroot 化が完了、同時にbusy box という、Linux のコマンドを実行するためのアプリケーションがインストールされる。

root 化もまた、公式1.6からのダイレクトアップグレードを行う手順 が公開されていて、 こちらのほうが間違いなく速いのだけれど、「壊れたときに復活できる」手段が増やせる分だけ、延々と書いてきたやりかたを、 最初は行ったほうがいいんじゃないかと思う。

RA-sapphire の導入

ROM を書き換えるときには、「SDカード上にROMをコピー -> ホームボタンを押しながら電源オン -> リカバリモードからSDカード上のROMを本体に上書き」 という手順を取る。ROM の導入が可能になっているリカバリモード 上で動くアプリケーションを、あらかじめ入れておかないといけない。

手順書 で紹介されている RA-sapphire 以外にも、 FlashRecovery を用いた手順 が公開されているけれど、 最初のやりかたを行ったほうがいいように思う。RA-sapphire を用いた紹介記事のほうが多いから、トラブルになったときに、調べやすいような気がする。

RA-sapphire は、バージョンが v1.7.0 に上がっている。HT-03Aの場合、必ず末尾Gの物を使用しないといけない。無印のバージョンと、cyan の バージョンとがあるけれど、これは背景の色が違うだけで、機能は同じらしい。

ROM の導入

ROM の書き換えを行う前に、あらかじめ Home を押しながら起動 -> RA-sapphire 起動 -> NANDROID BACKUP で、 今の状態をバックアップしておくと、いざというときにとりあえず動く環境を書き戻せるかもしれない。

バックアップを取った後は、Rom導入の手順書 に 従っておけば、そのまま上手くいくはず。

自分は今回、 HyperJ というカスタムROMを使わせてもらった。 あらかじめ、SDカード上に HYPER-J-1.5.zip と HYPER-J-1.5b-patch-Black.zip とを置いておいて、RA-sapphire のFlash zip from sdcard から、この順番で 導入した後、最後に再起動を行うと、新しいROMの入ったスマートホンとして立ち上がってくれた。

Hyper-J は日本語化がきちんと行き届いているROMで、あらかじめBiz ホーダイのAPN 設定が書き込まれていたから、 特別な設定は何も必要なかった。

ここで上手く立ち上がらないと、画面は真っ暗なまま、うんともすんともいわなくなる。最初の起動は時間がかかるけれど、それでもせいぜい数分単位で、 起動画面はずっと表示されている。画面が真っ暗になるか、10分たっても起動しなかったら、どこかで失敗している可能性が高いと思う。

固まってしまったときには、裏ぶたを開けて電池を外すと、やり直すことができる。もう一度起動を試みて、いよいよ駄目だったときには以下を試す。

  • Home を押しながら起動 -> RA-sapphire 起動 -> NANDROID BACKUP から、バックアップした元のROM イメージを書き戻す
  • それでも無理なら、SD カードを事前に作ってあるはずのGoldCard に変更、HT-03Aの電源を切った後、ボリュームダウンを押しながら電源を入れFastbootモードに入る。 自動的にSAPPIMG.nbhが認識されるので、「Do you want to start up」と表示されたらトラックボールを押すと、まずはmyTouch3G の状態に書き戻せる

ROM の変更についても、「ROM Manager」 というアプリケーションを使ったやりかたが 紹介されていて、こちらのほうが圧倒的に簡単そうなんだけれど、ROMに乗ったアプリケーション上からROM 全体を書き換えるのはなんとなく怖くて、試していない。

Titanium Backup の導入とSPLの変更

この時点で、新しいROM イメージで立ち上がっているはずなので、以下の手順は蛇足ではある。

それでも強力なバックアップツールである Titanium Backup の導入 を行っておくと、 いざというときにいつでも調子のいいときの環境を書き戻せるので、入れておくと安心だと思う。

SPLの変更も 同様で、HT-03A のROM を書き換えるときには必要ない手順だけれど、何かの拍子にROM が壊れて、通常起動も、ホームボタンを押しながらのリカバリモードも 立ち上がらない状態になっても、fastboot に入ってPCからRA-sapphire を書き戻せる 可能性が 残されるので、保険としてこれをやってもいいんじゃないかと思う。

その他

この時点で、HT-03A はずいぶん軽く動くようになって、変化を体感できる。できることは基本的に今までどおりで、 後は昔使っていたアプリケーションをAndroid マーケットからもう一度ダウンロードすれば、だいたい元の使い勝手で、 快適さだけ増した状態に持って行ける。

ただこれだけだとすこし寂しいので、以下の手順でCPUのクロック周波数を上げることにした。

  1. xda-developers という、Android のカスタムROMを作っている人たちの掲示板に行って、会員登録をしておく
  2. UNIVERSAL OVERCLOCK for ANY ROM– Wifi Fixed Version 2.0.1SetCPU for Root Users 2.0.4 をダウンロードしておく
  3. UNIVERSAL OVERCLOCK for ANY ROM をSDカード上にコピー、RA-sapphire でROM に上書き
  4. SetCPU をSDカード上にコピー、何か適当なファイル管理アプリケーションからインストール
  5. SetCPU 上では、最大825MHz までオーバークロックが可能な設定になっているけれど、作者の人は「652MHz」を推奨していた

オーバークロックは、やり過ぎて固まると起動できなくなる可能性があるので、あらかじめSetCPU のprofiles から「Charging/Full 」を 選択して、充電状態でのクロック周波数を480MHz 程度に設定しておくと安心材料が増える。オーバークロックしすぎて動かなくなったら、 充電状態のまま起動すると、クロック周波数が下がった状態で起動できるので、固まる前にSetCPU の設定を変更できるかもしれない。

自分の携帯電話は、Max 652MHz、Min 480MHzで今のところ安定している。

創造の生まれる場所

2ちゃんねるのROM 焼き板を眺めたのだけれど、掲示板の人たちは、誰もが人柱戦争に参加していて、 HT-03A は、落ちたり固まったりは当たり前、屍の山を作りながら、それでもみんな、できたばかりの危険なROM に手を出しては、 快適になったとか、文鎮になってしまったとか、レポートをどんどん上げて、とても楽しそうにしている。

Hyper-J は安定しているROM で、十分に早くて快適で、日本語情報が充実していて文句の付けようがないんだけれど、 掲示板では「Hyper-J は甘え」なんて書かれていて、たしかにそのとおりだと思った。

ありふれていること、見捨てられていること、小さなことというのが、創造の3要件なのだと思った。特に「失敗が許されないぐらいに大きな問題」には、創造的な問題解決というものはありえない。

HT-03A は、どこかNTT から「見捨てられた」携帯電話で、それほどたくさんは売れなかったみたいだし、 「Android はアップデートできるから、中身は常に最新です」なんてDoCoMo の人から勧められたわりに、 アップデートは1回だけだった。

この携帯電話は、それでも世界的にはそこそこの数が出ていて、後続の、もっと高性能な携帯電話に比べれば、 価格もそんなに高くなかったから、性能こそ平凡だけれど、詳しい人たちがたくさんいて、中身は別物に進化した。

携帯電話をゼロから作るためには大規模な工場が必要だし、OSを最初から作り出すのも大変そうだけれど、 「ROMをいいとこ取りして改良する」というのは、詳しい人であれば、個人でなんとか手が出る範囲で、 問題の大きさとしてちょうど良かったのではないかと思う。

結果としてHT-03Aは、性能こそ、Xperia やGalaxy に比べると、比べようもなく低い製品なのに、 先端を行っている人たちはGoogle の発表した最新のROMを焼いていて、CPUはオーバークロックされて、 ベンチマーク上は、Xperia の背中に手が届きそうで、まだまだとても面白い状況が続きそう。

ハードウェアの絶対的な差をひっくり返すことはさすがに無理だろうけれど、この携帯電話がここまでの性能を持っていたなんて、 作った人も予想していなかったんじゃないかと思う。

あと1年ぐらいはHT-03Aで頑張ってみる。