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2009.07.25

17時になったら上司と挿管

ずっと作っている研修医向けの本に、「喘息の患者さんを受け持ったら、 その日の17時に挿管の適応を決定する」という項目を入れることにした。

気管内挿管みたいな、生き死にに直結するような手技の適応は、医学的にでなく、むしろ社会的に 決定されるべきだから。

適応は社会が決める

「酸素濃度が下がったら挿管」とか、「意識状態が悪くなったら挿管」だとか、 医学的に正しく記載された教科書には、こういう治療を決断するときには、 まずは患者さんの状態を把握して、それから治療の適応を決めるように書かれている。

とりあえずこの年齢になるまで、 どうにか大きなトラブルなく来たけれど、 自分の積んできた判断をふり返って、物事を医学的に判断した記憶というのが、この数年間ほとんどない。

気管内挿管のような、生命の維持には欠かせない、その反面、それが行われる患者さん自身にも リスクが発生するような治療についての判断は、「医学的に」ではなく、 むしろ積極的に、「社会的に」決定されるべきだと思う。

それはたとえば、病棟スタッフの脳裏に帰宅時間がちらつく「17時」であったり、 あるいはまた、「今日は当直あけだから家でしっかり寝たい」 日には挿管の閾値を下げてみることだったり。

判断をねじ曲げるもの

医療というものが、教えられることで再現が可能な「技術」である以上、 ある患者さんに対して、為されるべきことがしっかり行われていれば、それは「過失」にならない。

トラブルのほとんどは判断の間違い、あとからその状況をふり返って、「やるべき事が行われていなかった」と 判定された状況であって、タイミングはあまり問われない。そうした「間違った」判断のほとんどは、 「医学的な」判断が、社会的な圧力でねじ曲げられることから発生する。

  • その日に上司が叱りとばした下級生は、患者さんの具合が悪くなっても、それを上司に伝えられなくなる
  • 帰宅時間も迫った17時58分頃に、「患者さんがちょとだけ苦しいそうです」なんて連絡を受けた主治医は、 しばしば「ちょっと」を恐ろしく過小に評価して、急変の徴候を見逃す
  • 「これから飲み会」だとか、自分が主催する勉強会を目前に控えた状況において、 患者さんの症状はしばしば「安定している」と判断されて、後を引き継いだ当直医は、 しばしば急変コールで真っ青になる

どれだけ「医学的に」正しい判断を下したところで、社会的なバイアスからは逃れられない。 正常値には幅があって、それはしばしば、間違った判断を補強する材料として使われてしまう。

医学的な決断、抗生剤を使うだとか、気管内挿管を行うことだとか、患者さんに必要な処置を、 社会的なバイアスから自由な立場で行おうと思ったなら、「バイアスのかかりやすい状況」を あらかじめ組み込んだ、社会的な適応基準を作ったほうが、結局のところ、 患者さんにとって正しい判断につながる。

軽い人ほど重く診る

トラブルから自由でいようと思ったら、だから「重い」決断、気管内挿管を行って人工呼吸器をつけることなんかは、 「社会的に」決断されるべきだと思う。患者さんが苦しそうだからとか、酸素濃度が下がったから、といった 理由でなく、むしろ「もうすぐ外科の上司が帰りそう」だとか、「明日は当直だから今日は寝ておきたい」だとか。 挿管みたいな手技は、危険を伴うからこそ、万全の状況を作れないタイミングを避けるために、 いかにも下らない、「社会的な」理由を、もっと積極的に援用すべきなんだと思う。

重たい病気の患者さんというのは、やるべきことさえ行われていれば、どれだけひどい対応を行ったところで、 まずトラブルにならない。

具合の悪い患者さんというのは要するに、「医学的な正解が明らかな人」だから、 主治医がどれだけひどい態度を行おうが、どれだけ適当な根拠で判断を下そうが、 同じ医学知識を持った人なら、その患者さんに対して行うことは、結局変わらない。

怖いのはむしろ「正解のない人」、症状としては軽くて、そのくせ夜中とか、 早朝4時に歩いて外来にやってくるような患者さんで、 「医学的には」何もしないで帰すことが正解になるような人たち。

こういう人はたいてい、患者さん自身が想定している正解というものを持っていて、 それから外れた対応をするとトラブルになるし、あとから実は病気が隠れていたりしたら、 あとから修正が効かない。

「いいお医者さん」のこと

個人的にはだから、軽症そうに見える人ほど、「ようこそお越し下さいました大変だったでしょう」みたいな 態度を心がけるようにしている。どう頑張ったって、「何しに来たの?」みたいな本音が透けちゃうのは 隠しようがないから、せめて外面だけでも丁寧に見える態度を目指す。

「いいお医者さん」としてのありかたというのは、サービス精神なんかじゃなくて、 むしろ保身だとか、臆病さだとか、トラブルを避けて、なるべく楽して働きたいだとか、 そんな後ろ向きな努力の帰結としてたどり着くべきだと思う。

自分たちの仕事は、お客さんから「お前のこの対応はよかった」だとか、 「お前のここが気にくわない」だとか、そんなフィードバックが得られる機会が極めて少ない。

医師としての振る舞いかたというのは、どうしたって独善的なものにならざるを得ないんだけれど、 理念先行で「いいお医者さん」を目指してしまうと、「偽善」に「独善」が重なって、なんだか救いようがない。

トラブルを避けたいとか、訴訟から無縁に過ごしたいだとか、 出発点は、人なら誰でも持っている「わかるわかる」的な価値から始めないと、 その人の積んできた「独善」は、誰の役にも立たないような気がする。

本題

2009病棟ガイド」の内容を、 そんなわけで40箇所ほど改訂しました。

医学部分には大きな変化はありませんが、一部の手技について、判断の基準に 追記を行っています。

書けば書くほど「出版」が遠のいていくような気もしますが、だいたい内容が固まりつつあります。 「LaTeX 入稿が可能」、 「爪見出しの追加が可能」で、商業出版を考えて下さる 業者さんがいらっしゃいましたら、ぜひ相談させていただければ幸いです。。

2009.07.21

Open Office で症例報告スライドを作る

だいたい10枚、急に頼まれたときなんかに、最小限の手間で、平凡な資料を作るやりかた。

表題、入院時病歴、理学所見、検査データ、画像所見のスライドが2枚ぐらいで、 だいたい7枚。あとは経過表を作って、考察を2枚ぐらい入れると、だいたい10枚になる。

病歴スライドと理学所見

これはカルテを引き写すだけ。

コツというか、姑息な知恵として、「症例」「現病歴」「既往歴」みたいな 見出しと、それに続く本文とを、全て独立したテキストボックスで作っておく。 あとからそれを、スライドを「表示->グリッド線を表示」にして、 適当に見栄え良く配列しておくと、あとから上司に「ここを直せ」なんて言われたとき、 レイアウトの狂いを最小限にできて便利。

検査データ

「エクセルで作ると便利」という意見を以前にいただいたことがあって、電子カルテ の入っている病院だと、検査データをCSV形式で読み出せるから、エクセルとの親和性が 高いのだけれど、うちの施設にはそんなものはない。

で、必要な検査データも限られているから、これは全部手打ちしてしまったほうが、 結局速いような気がしている。

これもまた、一つのテキストボックスに全ての数字を入れてしまうと、 あとからレイアウトの収拾がつかなくなってしまう。

だからたとえば、「Na 139 meq/l」なんて記述は、一つ一つ別のテキストボックスに収めておいて、 「血算」だとか「生化学」なんて見出しと同じく、全部ばらばらのテキストボックスとして配列する。 あとから「テキストボックスを複数選択後右クリック->配列」、または 「分布」を用いることで、数字を見栄え良く並べられる。

表作成機能を使うとか、もっと賢いやりかたはあるはずだけれど、 こういうのは外野の意見でどんどん体裁が変わるものだから、 一番馬鹿っぽいやりかたしたほうが、変更しやすいような気がする。

Open Office は、テキストボックスを複数作ると、そのうち画面の任意の場所を 右クリックすると、勝手に新しいテキストボックスを作るようになるので、 こういうやりかたをするのに少しだけ便利。

経過表の盗みかた

時系列に沿って、使った薬の量や、人工呼吸器の設定、 患者さんの体温だとか血圧、症状なんかを並べた「経過表」というものが、 作る上で一番面倒くさい。

発想は大変だから、まずは「盗む」ことを考えたほうが速い。

  • PubMed を使う:「Limits」を選択して、「links to free full text」 「Case Reports」にそれぞれチェックを入れてから病名を検索すると、 PDF がダウンロード可能な症例報告だけが残る。 症例報告には、たいていの場合経過表がついてくるから、それを見て考える
  • Google を使う:Google のイメージ検索で「clinical course」という言葉を検索すると、 いろんな病気の臨床経過表が引っ張れる。それを参考にする
  • PowerPoint 検索:病名と一緒に、「.ppt」という文字列を検索すると、 パワーポイントプレゼンテーションだけが検索できる。 運がよければ、「そのものずばり」のスライドがダウロードできる

Google の画像検索が、たぶん一番簡単だと思う。以前よりも患者さんの個人情報にみんな 配慮するようになったのか、パワーポイント検索を行っても、症例報告スライドが手に入りにくくなった。

作りかた

例によってこんなスライドを作る。

20090206083852

以下のものが作れれば、同じスライドが作れる。

  • 治療経過を書くための横棒グラフ
  • 日程や単位を記載するための目盛り軸
  • データを視覚化するための折れ線グラフ

横棒グラフ

治療薬や酸素投与量を書くときに使う横棒グラフは、ただの四角形。

下段のメニューから四角形を選んで、適当に大きさを調整して配列する。大きく作って、 「右クリック-> 配列」で並べたあとに「右クリック->グループ化」を行えば、 拡大縮小できる。

Open Office は、四角形の上にテキストボックスを重ねると、文字が四角形に 勝手に一体化されてしまうことがあるので、別の場所にテキストボックスを作って、 最後に重ねたほうがいいかもしれない。このへんの挙動は、Power Point と 少し違うような気がする。

目盛り付きの縦軸/横軸

折れ線グラフの目盛り軸を以下のように作る。

  1. まずは小さな横棒をひいて、それを必要な数だけコピーする。これが目盛りになる
  2. コピーした横棒を、これも適当な間隔を開けて、何となく縦に並べる
  3. 全ての横棒を選択-> 右クリック -> 配置 ->右揃え で、横棒が縦一列に並ぶ
  4. もう一度全ての縦棒を選択 -> 右クリック -> 分布 -> 縦 で、等間隔に並ぶ
  5. 等間隔に並んだ目盛りにくっつけるように縦棒をひく。これが軸になる
  6. 最後に全てを選択 -> 図形の調整 -> グループ化 で一つの固まりにする

グループ化を行ったあとは、長さや幅が自由に調整可能な目盛り軸が得られる。少し大きめに作って、 グループ化したあとで縮小すると、小さな目盛り軸がきれいに作れる。 あとはテキストボックスに数字を入れて、それも「右揃え->分布」を用いて 縦一列に並べてやると、目盛りと数値の入ったグラフ軸が作れる。

折れ線グラフを書く

体温変化をスライドにするときとか、検査結果を図表にする時は、全部折れ線グラフのお世話になる。

エクセルにまめにデータを打ち込んでいる人なら、そもそも慌てる状況にならないんだろうけれど、 急いでいるとき、とりあえずそこそこ見栄えのいい図をでっち上げるときには、 全部フリーハンドで、それっぽいグラフを描くことになる。

調整可能な折れ線は、下段メニューの「曲線」の中から、「多角形」を選択することで得られる。

マウスをドラッグして、時々クリックするだけで、関節のついた折れ線になる。最後にダブルクリックを行うと、 折れ線はそこで終了する。これは「関節」のついた、調整可能な折れ線なので、あとは折れ線を選択後、 「頂点の編集」で、何となくそれっぽい形を作れる。

Open Office の頂点移動は粗いんだけれど、Ctrl キーを押しながらマウスをドラッグすると、 折れ線の微調整が行える。

それっぽいグラフが書けたら、目盛り軸と折れ線とを全て選択して、右クリック->グループ化 を行っておく。

ラフスケッチの効用

マイクロソフトのPowerPoint に比べると、OpenOffice のそれはわずかに使いにくいというか、 こなれていない印象があるけれど、簡単なスライドならば、もう十分実用範囲に思える。

昔こういうのを作っていた頃は、最初からパワーポイントを手打ちしていたんだけれど、最近はたいてい、 そのへんのメモ帳に、ボールペンで下書きを殴り書きしておいて、それを「清書」するかんじでPC を使っている。

パワーポイントみたいなソフトは、清書するための道具としては相当に優れているんだけれど、 頭の中にあるものをまとめる道具としては複雑すぎるというか、なんだかピンセットで家を建てるような ところがあって、「作りながら考える」やりかたをすると、かえって時間がかかる。

自分が作るのは、せいぜい病歴だとか検査データの数字を配列したり、そこにX線写真の画像を張り込む程度で、 複雑さの程度は浅いんだけれど、こんなものでも、「絵コンテ」みたいなものがあると、作業が簡単になる気がする。

ラフな下書きは、もちろん適当に描くだけなんだけれど、ラフすぎるとうまくいかない。

それが文字なら、最悪それだけ読んでもスライドが作れる程度、写真なら、それが胸の単純写真なのか、 CTスキャン画像なのか分かる程度には、詳しく書かないといけない。あとから清書するからといって、 めんどくさそうなところをラフにやり過ぎると、今度は実際スライドを作るときに、 ラフがなんの役にも立たなくて、愕然とする。

ラフを描くときには、「めんどくさいな」とか、「ここはどうせ清書するときに作り込むから」とか、 自分に言い訳する場所が、たいていの場合、スライドを作るときに一番面倒な部分になる。 ボールペンで下書きするときに、ここをおろそかにすると、だからラフの意味がなくなってしまう。

「崖の上のポニョ」のDVD には、絵コンテのおまけがついてくる。

オープニングの、海の生き物が画面いっぱいにあふれている様なんかは、 絵コンテには、そのまんま全部の生き物がびっしり描かれているし、部屋の中で無線機を使う場面では、 机の上に並ぶ無線機のメーターだとか、本棚の本、たしか夏目漱石の本の背表紙まで、きちんと描かれている。

ああいうのを、たとえば「海の中にクラゲがびっしり」だとか、「雑然とした机」なんて言葉でごまかして、 絵コンテをいいかげんに済ましてしまうと、たぶん現場が混乱するんだろうし、 ラフを描く段階で「面倒くさいな」と思うその場所は、清書するときにラフがあると一番助かる場所であって、 「頭の中身を画像化すること」というのは、要するにそういう作業なんだと思う。

2009.07.14

くじ引きルールの考えかた

「投票された票については、今までどおり候補者に配分する。無効票や白票、そもそも投票されなかった票は一つにまとめて、候補者全員で「くじ引き」を行って、勝った人がそれを総取りできる」というルールの補足。

たとえばそこに住んでいる住民に、投票というものを強制して、無理矢理「投票率100%」を実現したところで、 選挙に興味がない人は、やっぱり「どうだっていい」と思うだろうし、「誰が勝利したって世の中一緒」だと思う。 「くじ引きルール」というのは、「投票に行かない人はそう思っている」という仮定の下に、擬似的に、 安価に「投票率100%」と同じ状況を作り出そうとしている。

  • くじ引きという理不尽が選挙に組み込まれると、「まじめ」に政治家を目指そうという人は、選挙に対する意識の極めて高い、 投票率がほとんど100%の地域で勝ち上がらないといけない
  • そういう場所は、激戦区であるその代わり、政治に対する関心が極端に高いから、候補者は、政策をつぶやくだけで、 それが勝手に広まっていく。街宣車で自分の名前を叫ばなくても、住民は勝手に政策を読むから、 名前を周知するコストは安価になる
  • 選挙のコストというのは要するに、「興味のない人に、興味を持ってもらう」ためのコストで、 つながりの緊密な、投票率の極端に高い地域というものを仮定すると、そういう場所では、 競争率が高い代わりに、選挙のコスト自体は安価だし、みんな政策を見るから、 コストをかけても、勝率はそんなに変わらない
  • 一方で、政治に対する関心が実質存在しない地域では、投票と、くじ引きとがほとんど等しくなる。 そういう場所では、そもそも「選挙活動」それ自体の意味がない。仮にある候補者の名前が周知されたところで、 その人と、「通りすがりの立候補者」とは、くじ引きルールの上で対等になってしまうから、やっぱり選挙には、 一切のお金がかからない。政治に対する関心が低めの地域で、忠誠心の高い小さな地盤に支えられた「ベテラン議員」の 既得権益はこれで滅ぶ。地元の業者さんとか、特定の政治家にお金を積む理由が無くなるから、変な癒着が減ると思う
  • 投票率が中途半端な、だいたい60%ぐらいの地域での戦いかたは難しい。頑張って選挙戦を戦ったところで、 選挙の勝者が、くじ引き野郎に逆転されたりする。これを防ぐためには、まじめな候補者は、「勝つ戦いかた」を 考えるだけでなく、地域全体を啓蒙して、投票率それ自体を挙げることに、自ら努力しないといけない。 今の選挙みたいに、「雨が降ったら投票率下がって俺様有利」みたいな発想はできなくなる
  • くじ引きルールだと、投票率は仮想的に100% になるから、従来の、たとえば宗教団体直結政党みたいな、 「戦略による効率のいい勝利」は望めなくなる。まじめな地域は激戦区だから、政策訴えないと勝てないし、 不真面目な地域は「くじ引き」だから、最低限、全ての地域に候補者を立てる必要があって、今みたいに、 勝てる地域にだけ候補者を配置する、効率のいいやりかたが通用しなくなる
  • たとえば誰かが、地域を徹底的に「教化」して、投票率100%、しかも支持率100%にしてしまったなら、 その議員はいつまでも、そこに居座ることになる。でもそういう人は支持されてるんだから、別にそれでいいと思う

ルールブックに1行追加するだけで、戦いかたは、けっこう変わる。政治家という人たちが、 党派をつくって、派閥をつくって、いわば「手下」を増やしていこうと思ったならば、 選挙に多する関心の高い激戦区を勝ち続けたベテランが、周辺地域を「教化」して、選挙に対する 地域の関心を高めていって、新しい激戦区を生み出して、さらにそこで、自らの政策が受け入れられないといけない。

厳しいことにはなるだろうけれど、行き先は、そんなに悪い方向ではないと思う。

2009.07.13

選挙はくじ引きにすればいい

候補者の「努力」が結果に反映される、今の選挙システムというのはまじめすぎるような気がする。

選挙というものは、もっとうんと馬鹿らしいやりかた、賭け事に近い、偶然に大きく左右されるような やりかたをしたほうがいいと思う。

具体的には、投票された票については、今までどおり候補者に配分するとして、無効票だとか白票、 そもそも投票されなかった票を一つにまとめて、候補者全員で「くじ引き」を行って、 勝った人がそれを総取りできるようにする。

選挙に対する意識の高い、投票率の高い地域なら、このやりかたはなんの影響ももたらさないけれど、 投票率が低い、そのくせ結束した小さな「地盤」を持つ候補者が、ベテランの顔をして当選を繰り返すような地域なら、 たぶん当選者の顔ぶれは毎回変わる。

その地域で何度も当選しているベテランは、たとえば「飲み会の罰ゲームで立候補させられた大学生」とか、 「引退後の楽しみで運試ししている元社長」とか、今までだったらあり得ない、下手すると選挙活動すらしていない 人たちを相手に、「くじ引き」で勝負することになる。

ベテランが、ベテランらしくあろうと思ったら、地域の投票率を高めて、 なおも自分が当選するように頑張るか、毎回当選するための「努力」を放棄して「運試し」の仲間に加わるか、 決断を強いられることになる。

努力を続けている人

同期の出世頭で、東大の法科を出て、誰でも知ってる有名企業に入って、 人生絶好調が過ぎて政治の世界に足を踏み入れて、 そのあとずっと、まだ一度も当選していない男がいる。

時々名前を検索すんだけれど、党の指導なのか、出自とは全く関係のない市議選挙だとか、 国会議員選挙に出馬を繰り返して、やっぱりまだ、「議員」としての名前を見たことがない。 数年前まで候補者としての名前を見たから、きっと志は高いままに頑張ってるんだろうけれど、 前会ったときには「アルバイトで何とか食ってる」と話してたから、いまもたぶん、定期的な収入なんて 無いんだと思う。この数年、検索しても名前を見なくなって、40も近い男が、今何をして「食って」いるのか、分からない。

今政治がごたごたしていて、どの党にもたぶん、こうした「努力」を重ねている議員の候補がたくさんいて、 もしかしたら彼なんかも、「新人の」、「若手」政治家として、どこかに顔を出すかもしれない。

恐らくは、多くの若手議員なんて呼ばれている人、「二世」でくくれない経歴を持った人というのは、 たいていがこんな下積み期間を持っているんだろうけれど、こういう人たちが、 その「努力」が報われて議員になれたなら、誰だってたぶん、 その失われた15年だとか20年を取り戻したいと思う気がする。

その男が政治に舵を切らなかったなら、今もその会社は順調に経営されているみたいだから、 たぶん兵隊の位もそれなりに上がって、この15年ぐらいの時間で、 1 億円ぐらいは稼ぎ出していたはず。たとえばこの男が当選を果たしたそのとき、 誰か親切そうな人が、1 億円ぐらい持ってにこやかに援助を申請したなら、やっぱりそこで、 「志」を貫いて清貧決め込むのは難しいと思う。

たとえばある日、「君が明日から国会議員だ」なんて、昨日まで普通に暮らしていた人が、 ある日いきなり議員に指名されたなら、そこで1 億円差し出されたら、誰だって怪しむ。

ところが「努力」を積んできた人なら、その1 億円というものは、「15年前に落とした1 億円」が 入った自分の鞄なんだから、それは「懐に入れる」ものなんかじゃなくて、払った努力の当然の見返りとして、 きっと「取り戻す」べきものに見えるはず。

努力が報われない世の中というのは嫌だけれど、政治家の、その立場を得るための 「努力」というものは、世の中に、あまりいい結果をもたらさない気がする。

災厄としてのリーダーという役割

「リーダーに選ばれる」というイベントは、その人にとっての名誉でなく、むしろ災厄でなくてはいけない。

実世界で「リーダー」を任じられた人は、たぶん自ら望んでそうなったというよりも、 困難に直面したチームにあって、責任者として、あるいは失敗したときに差し出される「首」として、 無理矢理そういう立場に追い込まれたケースのほうが多い。

「リーダーになりたい人が立候補して選ばれる」という、選挙政治のやりかたは、他の業界だと珍しい。

リーダーというものは、たいていの場合、誰かが突然に指名されて、 あるいはチームから「あなたしかいない」なんて押し出される形で、 半ば嫌々引き受けるものだと思う。今の政治みたいに、候補者リストを眺めて、 「こんな人しかいないの?」なんてがっかりするという状況は、やっぱり政治限定で、 他の業界で、こういう状態に陥った企業というのは、普通この世からいなくなってしまう。

リーダーに選ばれるということは、本来が「災厄」であって、それは名誉かもしれないけれど、 責任が重くのしかかるから、「やりたい」なんてたくさんの人が手を挙げる状況はちょっとあり得ないし、 たぶんリーダーは、「やりたい」人に任せるよりも、むしろ「嫌だけれどそうならざるを得ない」誰かを捜してきて、 その役割を押しつけるほうが、チームは上手にガバナンスされる。

「本当はリーダーなんてやりたくなかった」という思いが、たぶん正しい判断を導く。 「さっさと辞めたい」リーダーは、メンバーの顔色をうかがう理由が存在しないから、 チームにとって、最適と思える判断を下す可能性が高くなる。

「その仕事をずっと続けたい」と思うリーダーは、「チームにとって最適」な判断よりも、 もしかしたら「仲間受けのいい」判断を優先して、組織の判断を誤ってしまう。 世の中が上手く回っているときには、両者の解離は目立たないけれど、困難に直面した状況で、 仲間の誰もがいい思いができる判断は、たいていの場合、チームの全滅を招く。

選挙はくじ引きでいいと思う

今の選挙のやりかたは、「その仕事を続ける」ことと、「いい判断を下す」こととが、同じ方向を 向いていなくて、民意を反映して正しい判断を下す、政治家というお仕事本来の振る舞いを目指した人は、 たいてい勝てない。

選挙で勝とうと思ったら、結束力の高い支持者を固めた上で、あとは投票率が低ければ低いほどに、 その地域での、政治に対する関心が低いほどに、その候補者が次も当選する可能性が高くなる。

もちろん投票に行かないことだとか、あるいは政治に無関心であることは、それはその人の責任ではあるんだけれど、 政治に関心を持ってもらって、多くの人に、投票所に足を運んでもらうこともまた、政治家の仕事なんだと思う。

地元の関心を高めて投票率を上げる、政治家本来の「仕事」に背を向けた候補者は、 こんどは「くじ引き」という、阿呆で理不尽なシステムに対峙することになる。

政治家はだから、馬鹿らしくてこんな仕事を続けられなくなるか、あるいは本気で「いい政治家」を目指すか、 どちらかを選択することになって、「政治家になるために努力する人」だとか、 「政治家であり続けるために努力する人」は、この業界からいなくなる。

それでも政治をまじめにやりたい人は、せめて自分の地域だけでも、政治に対する関心を高めなくてはならないし、 カルト宗教直結の政党なんかは、「選挙戦略」なんて姑息なやりかたに頼ることなく、今度は政治に無関心な地域に 候補者を送り込んで、正々堂々、教祖の法力で運を呼び込んで、くじ引きに勝利すればいいんだと思う。

2009.07.11

商売の生態系

近所にできたショッピングモールを見て考えたこと。

ショッピングモールができた

実際それができたのはずいぶん前なんだけれど、最初の数ヶ月は、平日でも近所が渋滞するぐらいの賑わいで、 最近になって、平日の夜間ならガラガラになって、ようやく地元住民が、便利に使えるようになった。

通うようになってみれば、けっこうきちんとした外食屋さんが何軒もあって、今までどうしようもなかった 田舎の食糧事情が、ずいぶん改善された。「食べに行こう」なんて思っても、せいぜい4軒ぐらいの選択枝しか 無かった昔を思えば、もう別世界。

で、通うようになって、ショッピングモールの外食屋さんには大きく2種類、 「そこでやっていく」ことを目指している料理屋さんと、 「今を売り抜ける」料理屋さんと、たぶん思惑が別れているように思えた。

そこでやっていく人たち

  • たいていは「東京の○○」というお店が、うちの県に初めて出店した、ということをうたっている
  • それがお寿司屋さんであれ、イタリア料理屋さんであれ、メニューには種類があって、「料理」できる人がいないと作れないものを出す
  • まだ店自体はできて間もないから、店員さんの対応はまだまだぎこちないんだけれど、「こいつを上客にしてやろう」みたいな意志を感じるというか、いつも店内に気を使っていて、緊張している

売り抜けようとしているお店

  • そのショッピングモールだと、「石焼き料理」を売りにする店と、「何でもドリアにして出す」お店がたぶんそうだと思った
  • 店舗こそ分かれているけれど、そのお店は厨房が地続きになっていて、片方は洋風陶器、もう片方は石の鍋なんだけれど、鍋を受ける木枠だとか、食器類は共通していた
  • 店が売りにするのは「調理方法」であって、どちらにしても、鍋に具材を放り込んで、暖めれば料理になるから、材料を仕込む人さえいれば、厨房は、アルバイトでも回せるように思えた
  • 実際問題、夜間の店員さんは全員アルバイトの人たちで、レジは外国の人が担当していたし、厨房は地元大学の体育会メンバーなんだか、 みんなで「次のバイトをどう回すか」の会議をやっていて、相当に大きな声で呼ばないと、店員さんが来てくれない
  • 店の対応はひどいんだけれど、「腕」のあんまり関係ない料理だからそこそこおいしく食べられて、何より「石焼き専門」なんて企画が珍しいからなのか、 初見の客は、自分たちも含めてけっこう入っていた
  • 恐らくは何年かすれば、そういうお店の賞味期限は切れるんだろうけれど、店舗を変えずに、「石焼き」を「釜飯」に変えても、 たぶん出費は最小限でいけるし、「鍋に具材を入れて暖めるだけ」の料理なら、材料を準備する人さえ技術を持っていれば、人を変えずに看板を掛け替えるのも、比較的低コストでいけそうな気がした

一蓮托生ルールで得をする人

ショッピングモールの大半は衣料品店で、残りのスペースに料理屋さんが入ったり、おもちゃ屋さんが入ったり、業態は様々だけれど、 たぶん「そこでやっていく」戦略と、「今を売り抜ける」戦略と、どこもそれは同じなんだろうと思う。

ショッピングモールは、そこに人が集まらないと商売にならないから、そこでずっとやっていこうと思っている人にとっては、 自分たちがいくら頑張ったところで、まわりが足を引っ張って、モール全体を盛り上げてくれなければ、お店はいつか、 ショッピングモールごと寂れてしまう。

一方で、売り抜け戦略をとる人にとっては、たとえば5年なら5年、まわりがどう頑張ろうと、店の賞味期限内に店の投資を回収できれば それで十分だから、接客だとか、料理それ自体の質だとか、そういうものを向上させようとか、たぶんあまり考えてない。

企画先行型のやりかたは、たぶん頑張っても、頑張らなくても売り上げはそんなに変わらない。だったらたぶん、 最小限の投資で、あらかじめ予想していた売り上げが得られたら、あとは「おまけ」で、商売のサイクルが短いから、 ショッピングモール全体の盛り上がりがどうなろうと、自ら投資して、盛り上げようとか、お客さんを引っ張ろうとか、 そういう気にはならない。

ショッピングモールというやりかたは、たぶん頑張る人が損をして、そこでやっていくひとの頑張りに「乗っかる」形で商売をする人が得をする構造になっている。将来的にはたぶん、企画先行型の、売り抜けを狙うお店が増えて、 そうなるとショッピングモールは盛り下がって、やがて人も減ってしまうのかもしれない。

マクロな話

ビルの設計をしていた人に言わせると、ショッピングモールというものにも、 10年で潰す建てかたをしているところと、 何十年も持たせる建てかたをしているところがあるんだという。

ショッピングモールというのは生活の中心になって、その周囲に住むと、生活がすばらしく便利になるから、土地の価格が上がる。 あらかじめ、どこにショッピングモールが作られるのか分かっていれば、その不動産屋さんは大もうけできるし、 たとえ無価値な場所でも、ショッピングモールがそこに作られれば、その土地の価値は、一気に上がる。

ショッピングモールというのはそういう存在なのに、巨大な建物が造られる中、やけに「撤退」を意識した、 壊しやすいような建てかたをしているショッピングモールというのがあって、そういうところは要するに、 土地が売れたらさっさと撤退して、地元住民が途方に暮れる中、次の「無価値な土地」に、何事もなかったように、 次のショッピングモールを作るんだという。

ショッピングモールの中の店と同様に、モールそれ自体もまた、「そこでずっとやる」ことを目指している会社と、 「今を売り抜ける」ことを目指している会社とがあって、それを見誤って「いい買い物をした」なんて、 高い土地を買ってあとから泣く人というのは、必ずでるんだという。

成果最大と損失最小

自分はずっと借家だし、病院に近いことが選択の全てで、近所にできたショッピングモールというのは、 単に「ラッキーだったな」としか思っていないんだけれど、たぶん同じ商売をするにしても、 「成果最大」を目指す人と、「損失最小」を目指す人とがいて、前者を目指すなら、 よっぽど頑張らないと失敗するし、後者は逆に、めざとく「頑張る人」を見つけては寄っかかって、 その人が疲れたら、速やかに「次」を探さないと、共倒れになる。

自分はどっちが向いてるんだろうとか、ちょっと考えた。

2009.07.06

マニュアルの一部改訂を行いました

  • 上の先生がたに内容の検証をお願いし、結果の一部を反映させました。
  • 循環器領域の話題で、ガイドラインに沿っていなかった場所の記載を一部改めました
  • 「妊婦さんに投与してもいい薬」の種類を増やしました。一応教科書の記載からの転載ですが、自分自身で使ったことのない薬がいくつか入っているため、用いるときには、所属施設の産科医に確認をもらってください

新しい版はここからダウンロードできます。

今のところ、A5版20穴のバインダーノートに両面印刷を行う使われかたを想定しています。 コクヨのル-21Nという製品を使うと、ぎりぎり1冊におさまる分量になります。

2009.07.05

ルールを解説してほしい

ニュース番組が、最近はもう政治一色で、自民党のやりかたがけしからんだとか、今こそ政権交代をだとか、 ニュースキャスターや、政治評論家の人は、どのチャンネルをつけても同じことばっかり繰り返す。

たとえば将棋番組の解説者みたいな、その状況を、素人目にも面白く解説してくれるような、 政治番組の世界にも「解説者」に相当する職種を用意して、「評論家」とは別に、「解説者」の 談話を報道する番組ができたら、ニュースは今まで以上に面白くなるような気がする。

政治というルール

政治家の人はもちろん、「国益」のために、「有権者の皆さん」に政策を考えるのがお仕事だけれど、 「政治というゲーム」には、もちろんいろんなルールがある。

政策を考えることだとか、地元の有権者に、自らの考えかたを分かりやすく説明することというのは、 あれは政治というゲームにおいては「技」に相当するものであって、ルールとは違う。たとえば政治家が、 地元に帰ってお金をばらまいてみせたりしたら、それは「ルール違反」であって、その政治家は、 政治というゲームから、追放されてしまう。

「政治というゲーム」に参加する人が目標にするのは、議会という舞台に、選挙を勝ち抜いて、 そこに立ち続けることであって、政策の考案だとか、政治力の行使だとか、それは単なる戦略、 たくさんある技の一つに過ぎない。「すばらしい政策を考案すること」や「地元有権者と宴会を開くこと」、 あるいは「地元有力者に土下座すること」といった様々なやりかたには、ルールの前に等しい価値を持って、 どれが優れているとか、ましてやどれが「正しい」とか、それを評論家が論じたり、 憤ったりしてみせるのは、どこかおかしい。

政治番組というゲーム

ニュースキャスターが「お茶の間の意見を代弁してみせる」形式はもう出尽くして、 チャンネルごとの差なんて無いに等しいから、こんどはそろそろ、「政治というゲーム」を解説する、 様々な陰謀だとか、戦略を仕掛ける側の思惑を代弁するようなニュース番組を見てみたいなと思う。

今のニュース番組は、「政治家は基本的に真実を述べていて、ニュースキャスターは、 国民の思いを代弁する」という建前で作られているけれど、「政治家はそれぞれの立場を最善にするよう、常に小さな嘘をつくき、報道機関はそれを編集して、面白さを最大化するように加工する」という、報道番組本来のルールに基づいて、 それを技術論として解説する、政治の意図だとか、政治家の主張については、あえて一切介入しない番組を作ってほしい。

政治家の人は、政治というゲームに勝ち抜くために様々な技を考えるし、マスメディアの人たちもまた、 たとえば「ニュース番組というゲーム」に勝ち抜くために、政治家の振る舞いを、なるべく「面白く」しようと、 あれこれ思惑を巡らす。2つのゲーム、2つのルールが重なった結果として、たとえば「政治番組というゲーム」が 生まれて、政治評論家を名乗る人は、そういう状況を解説するのでなく、むしろひたすら盛り上げて、 あの人たちもたぶん、「政治評論家というゲーム」を、自分たちなりのやりかたで戦っているのだと思う。

戦いそれ自体よりも、むしろ「解説」を聞いてみたい。

「この状況でのこのコメントは、世論を誘導するのにあとから効くんですよね」だとか、 「この話題のかわしかたは、たぶん電通パブリックリレーションズのやりかたですね」とか、 あるいは「これは上手な編集ですね。このあとに出てくる笑顔がカットされることで、 この政治家のイメージはこれで一気に悪くなりました」だとか。

解説されると冷静になる

「○○党は○国の手先だ」みたいな陰謀論というのは、たぶん「ない」というのが正解なんだろうけれど、 政治家は政治の舞台に立ち続けないといけないし、ニュース番組を作る人だって、限られた時間で、 限られた予算で、撮影された映像を、可能な限り「面白く」報道しないと、視聴率競争に負けて、 最終的に、ニュース番組という舞台にいられなくなってしまう。

「真実を伝えること」なんて、それは「面白さ」という、報道というゲームを支配するルールから見れば、 プレイヤーが選択できる「技」の一つに過ぎないし、「真実」が、残念ながら「面白さ」を獲得するための 戦略として、事実上機能しない、「真実を伝えよ」なんて騒ぐ人たちが、真実の報道に対して、 何ら対価を支払わなくなったからこそ、「真実を報道する番組」が無くなってしまったのだと思う。

違ったルールで戦っているプレイヤーに対して、「真実の報道していない」なんて叩くのは、 総合格闘技を戦っている選手に対して、「相手を蹴るのは男らしくない」なんて、 観客が文句をいうようなもので、選手にしてみれば困ってしまうと思う。

ニュースというのは、そもそもが編集されて、「面白く」加工されるのがルールなのだから、 ルール自体を解説して、可視化する番組があったら、きっとみんな冷静になれる。

道路の報道なんかで、議員の人が、明らかに無駄っぽい道路を「これは必要なものだと思います」なんて答弁する。 それに対して「あいつは何を言っているんだ」なんて、政治評論家の人が、国民の声を代弁して、政治家を叩く。

こういうのは、政治の人は政治というルールを、政治評論家の人は、政治番組というルールを、それぞれ 戦っているのであって、その戦いを「解説」してくれる人が、今のニュース番組には、欠けているような気がする。

叩かれれば、みんな憤って盛り上がるけれど、物事はそんなに変わらない。この番組を、 たとえば「あの答弁で、彼はこの冬の秘書の給与が払えますね。あの事務所は最近人増やしたから、 今大変なんですよね」だとか、「今の叩きかたは切れ味十分でしたが、最後に口元が綻んでしまった絵を 報道されてしまったのは、彼の立場を難しくしたかもしれませんね」だとか、政治の楽しみかた、 ニュース番組の見どころを、「解説」してくれる番組があれば、みんなもっと、 今の状況を楽しめる。

政治だとか、ニュース番組だとか、あれだけのお金をかけて、たくさんの「役者」が舞台に登場して、 「真実」に、それぞれの思惑を投影して、そこから切り取った「絵」をさらに面白く加工して、 みんな生き残りをかけて、いくつもの複雑な技術が生み出されては、毎日のように覇を競う、 あの光景を見て、あれを憤りの感情一択で消費してしまうのは、あまりにももったいないと思う。

2009.07.03

浮気物語の共通骨格

2ちゃんねるのまとめサイトには、定期的に、「浮気物語」とでも形容するしかない、 「結婚相手が浮気して、それが発覚して離婚に至った元夫の書き込み」が登場する。

書き込みはたいてい、発端から別離に至までの物語になっていて、 その都度共感的な返信が列を連ねて、「はてなブックマーク」が30程度から、多いときだと100ぐらいつく。

共通事項がある

2つ仮定する。

  • 2ちゃんねるの書き込みは、基本的に創作、あるいは脚色を加えた経験談である
  • 「浮気物語」自体は、恐らくは似たような物語が定期的に書き込まれていて、人気のあるものだけが浮上して、「まとめサイト」に補足される

掲示板世間での生存競争というか、ある種の淘汰を受けた結果として、人気のある浮気物語と、 人気のでなかった浮気物語が存在していて、恐らくは「同情されやすい浮気物語の構造」とでもいうべきものが、 淘汰の結果として、生み出されているような気がする。

主人公は普通の人

浮気が発覚する前段階で、主人公はたいてい営業職で、朝から晩まで、汗まみれで働いている。

土木系の、筋骨隆々とした人物が主人公の物語だとか、何か創造的な仕事、作家だとか、 イラストレーターだとか、何かを生み出すような、誰かのやっかみを誘うような仕事では、 たぶん共感を引っ張れない。

調子の悪いときに浮気が発覚する

浮気物語は、たいていの場合、主人公が奥さんの携帯電話記録を見る場面から始まる。

これを見つけるときの主人公は、たいていの場合、体の調子が悪い。徹夜が続いたとか、 あまり気の乗らない飲み会の帰り、疲れ果てて酔っていたときだとか、 休みたいとき、さっさと寝たいときに、なぜか携帯電話が目に入って、物語が動く。

あらかじめ怪しんでいただとか、絶好調のときに、何かのついでに携帯電話を覗くとか、 そういう始まりかたはしない。

主人公の調査能力は弱い

主人公が浮気を疑って、浮気の証拠固めは、たいていの場合「興信所」の仕事になる。

浮気を検証する場面では、たとえば主人公自らが張り込んだり、 何か些細なきっかけを重ねて推理したり、誘導尋問的なやりかたで相手を追い込んだりとか、 同じような境遇を抱えた読者の参考になりそうな、具体的な描写は少ない。

もちろん浮気された主人公は普通の人だから、そもそもそんなノウハウは持っていないのだろうけれど、 だいたい物語の前半1/3ぐらいのところで「興信所」が登場して、次の場面では、もう証拠がそろう。

「強い友人」の存在

証拠がそろったあとに、浮気の現場に踏み込む場面が来る。

主人公自らが戦う物語は少ない。浮気相手を殴るだとか、脅しあげるような描写も少ない。

主人公にはその代わり、強力な味方がついてくれることが多い。

  • 興信所の人が親切で、暴力沙汰の場面まで付き添ってくれる
  • 浮気相手の男側に「主人公に同情的な強い先輩」がいて、相手を殴ってくれる
  • 浮気の相手は取引先の企業にいて、その上司が主人公に味方してくれる

たいていこんな設定があって、主人公自身は暴力から自由でいられて、 浮気という状況に傷つく一方、暴力装置となる第三者が登場して、 読者のうっぷんは、この人が晴らしてくれる。

こういうのもたぶん、主人公自らが喧嘩の達人になったりすると、読者の共感が薄れてしまうのだと思う。

災厄は実家に及ぶ

状況はたいてい泥沼化する。浮気相手だとか、浮気した奥さんの実家まで巻き込まれて、みんな不幸にあう。

お話しが、夫婦の別離で収束することは少なくて、 浮気相手の家庭が無茶苦茶になるだとか、奥さんの実家に浮気した奥さんが帰ったあと、 実家の親共々主人公の前で土下座するだとか、話はたいてい、いろんな人に飛び火して、 主人公の不幸は、多数の不幸で購われることになる。

トラブルを抱えたご家族なんかを相手にしていて、そこに集まる人が5人を超えると、 状況を制御するのがすごく難しくなるんだけれど、浮気物語を読んでいると、 物語の最終局面、離婚を決意した主人公と、関係者とが対峙する場面になると、 制御可能人数以上の人物が同じ部屋に集まって、それでも事態は収束に向かう。

事態を収めるのは、たいていの場合「実家の父親」だったり、あるいは「先輩」だったり、 そこに集まった中での父親的な人であって、主人公自らが場を仕切る場面は、やっぱり少ない気がする。

主人公にも不幸が来る

離婚が成立したあとに、主人公が病気で倒れてしまって、最後は「親友」が同じIDで書き込む物語があったけれど、 どんな「浮気物語」も、たいていの場合、離婚が成立して平和に終わることは少ない。

主人公が人間不信になってしばらく仕事ができなくなったり、子供の半分を相手に取られたり、 100% の勝利というのは与えられない。

匿名物語の構造

匿名掲示板世界ではたぶん、似たような物語がたくさんあって、お互い競合しながら、 読者の共感を奪いあいながら、生存競争に打ち勝った物語だけが、「まとめサイト」を通じて浮上している。

作者が匿名である以上、読者の興味は物語それ自体に向かって、恐らくは神話だとか、 民話なんかと同じく、「浮気物語」みたいなものにも、読者の共感をもらいやすい物語の構造というものがあって、 掲示板での生存競争の結果、「浮気物語」もまた、神話の構造みたいな、共通した物語の骨格というべきものを 獲得したのだと思う。

駆け出しの作家が書くべき1作目というのは、だから「ありきたりな物語」である必要がある。

最初から奇をてらった、共通骨格から外れた物語を書いたところで、 「名」を持たない者がそれをやっても、読者はついてこない。

「ありきたり」を重ねて、共感を積み重ねて、読者の興味が、物語それ自体から、 それを書いた人にうつったとき、作家は初めて「名前」を得ることができる。

作家はたぶん、名前を得ることで、そこで初めて、多様な物語を紡ぐ権利が発生するのだと思う。