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2009.04.30

今追っかけているページ

新型インフルエンザに関して、個人的に見ているページのリスト。

全ては公開情報で、基本的に、医療従事者だけが知りうる秘密の情報だとか、 我々だけに伝えられる、特殊な情報ルートとか、世の中にはたぶん存在しないはず。

政府のページ

海外のサイト

  • CDC の翻訳版 CDC の新型インフルエンザに関するページ。Google 翻訳版。ある程度速報性があって、間違いなく公式の情報。 紋切り型の文章が多いからなのか、Google 先生の翻訳が案外読みやすくて便利。

  • 2009 swine flu outbreak – Wikipedia, the free encyclopedia Wikipedia の新型インフルエンザに関するページ。世界の感染者数だとか、ニュースについて素早く更新される。 自動翻訳は、あんまり役に立たないので、英語のまま、数字を拾ったほうがいいと思う。

日本語のサイト

こういうのはいくつかまとめて追っかけて、お互い比較しながら見ていくといいと思う。

話題を追っかけるのに

やっぱりアメリカの人たちも慌ててるんだな、ということがよく分かる。

専門家の方々

何か本当に伝わらないといけないような情報が流れるとしたら、たぶんこのへんの先生がたが 何らかの言及を行うはず。

マニュアル類

内輪で配って回し読みするのに便利。印刷すると150ページぐらいある。

2009.04.27

被弾したあとのことを考える

1970年代前半、アメリカで新しい考えかたに基づいた攻撃機が設計されることになって、 アドバイザーとして、当時現役を引退していた、ベテランパイロットが招かれた。

実戦というものをよく知っていたその人は、これから作られる航空機に対して、 「被弾しないようにするよりも、被弾したあとのことを考えよ」とアドバイスした。

飛行機は実際、その方針で設計されて、片翼がなくなろうが、エンジンが片方吹き飛ばされようが、 何があっても飛び続ける航空機が出来上がった。

現場からの信頼を得たその機体は、 砲弾の飛び交う中、今でも現役で活躍しているんだという。

注意書きは役に立たない

「○○の可能性があるから気をつけること」なんて、教科書にはたいてい書いてある。

ところがたぶん、たいていの場合、教科書を開くのは、「○○」をやってしまったあとだから、 慌ててページをめくった先に、「気をつけよ」なんて書かれていても、余計なお世話だって思う。

特に現場で使うマニュアル本を書こうと思ったならば、読者を「被弾しないように」誘導するような 記述はあまり意味をなさなくて、むしろ被弾したあと、それでもなお、患者さんを立て直せるような、 そんなやりかたに行き当たれるような書きかたをしないと、現場で使えない。

進捗状況

週末こんなことを考えて、また少し直しました。

  • 「考慮する」「注意する」系の、後ろ向きな記載を削除しました
  • 血液生化学検査の解説を、もう少し断言口調に直しました
  • 鑑別疾患の記載が微妙に増えました
  • 略語を増やし、減ページを試みました

こちらからダウンロード してみて下さい。

けっこう記述が変わっていると思います。

2009.04.23

西洋医学のアンチョコ本について

調べて考える余裕のない状況で、とりあえずとっさの対処を行いたいとき、 知らない疾患であっても、とりあえず知っているふりをしたいとき、 夜間に患者さんが急変して、まわりには他に、聞ける人なんて誰もいない状況に置かれたときに、 アンチョコというものは、しばしばとても役に立つ。

アンチョコ本をいくら読み込んだところで、体系的な医学知識を身につける役には立たないけれど、 お守り代わりに持ち歩いていると、何かのときに身を守ってくれる、そんなことを目標にした 本がいくつか出版されていて、今自分が書いているものも、一応そんな場所を目指している。

最近読んだ本について。

MGH Pocket Medicine

たぶん世界で一番売れている内科のアンチョコ本。マサチューセッツ総合病院という、 世界で一番有名な病院の先生がたが作った本で、300ページに満たない小さな本なのに、 これ一冊で内科全科をカバーしている。

読んでいると落ち込む。もう圧倒的によくできていて、これだけいいものが世の中で出版されているのに、 自分は今更何やってるんだろうなんて、土俵にも上がってないくせに、負けた気分になる。

読んだときの濃縮感がすごい。ほとんど全ての文章は箇条書きで、素っ気ないぐらいの簡単な英文なのに、 場所によっては成書でも隅っこにしか書かれていないような内容が詳しく記述されていたり、2007年出版の 本なのに、その年の論文が、すでに引用文献として取り上げられていたり。たぶん出版ぎりぎりまで編集作業を 続けていて、編集した人は大変だったんだろうなと思う。

編集方針が異様で面白い。一番売れている本に「異様」という形容はおかしいんだけれど。 この本は、「小さな成書」を目指していない気がする。ページを開けると、すぐに心電図の解説から始まって、 病気のお話しは、後ろのほうにくる。生き死にに直結するような疾患に、 必ずしも多くのページが割かれていなかったり、逆に滅多に見ないけれど見逃しやすい、 膠原病だとか、血管炎の解説が充実していたり、普通の教科書とは、体裁がずいぶん異なっている。

病態生理とも、統計的な疾患頻度とも関係のない、恐らくは「研修医の脳内心配世界」みたいな ものを想定して、そこにあわせて記載する知識の配分を決めている印象。MGHみたいな世界一流の病院スタッフが、 研修医の脳内風景にあわせて本気出すんだから、そりゃ売れるよなと思う。

すごく分かりやすい本だけれど、いわゆる「研修医向け」かといえば、ちょっと躊躇する。

リスクの高そうな治療であっても、容赦なく「こう治療する」みたいな断言形式で書かれてて、 どこか安全装置のかかってない武器を見ているような気がする。この本は、これを読んだ研修医に 「自分の足を撃つ権利」をきちんと保証していて、もちろん大けがする可能性もあるんだろうけれど、 ある意味これを読んだ研修医に、同じ医師として、筆者の人たちが敬意を払ってるようにも思える。

普段研修医向けに何か作っているときには、「研修医ならこの程度知っていれば」だとか、 「この書きかたは教育上よろしくない」みたいな、上から目線みたいなものから 自由になるのが大変なんだけれど、この本を書いている人たちは、良くも悪くもそういうものから 自由なんだと思う。

ちゃんと現場の兵隊から意見を吸い上げて、「教育」はとりあえず置いておいて、 とにかく研修医にとっての便利な本を作るんだ、という意気込みみたいなものを感じる。

もっともこの本の密度を支えているのは「小さなフォント」によるところも大きくて、 旧版の日本語訳本が500ページを超えている。当直あけにこの本を読むと、目が疲れてしまって、 文字を追っかけるのが苦痛でしょうがない。

Saint-Frances Guide: Clinical Clerkship in Outpatient Medicine

これも有名な本。「入院版」と「外来版」に分かれていて、今年の9月に入院患者版の新しいものが出版される予定。

西洋の語呂合わせだとか、「HotKey」という、忘れてはならない豆知識みたいなものが別枠で記載されていて、 分かりやすい。2冊に分かれている分、ページ数に相当余裕をとってあって、見た目の凝集感みたいなものは 少ないけれど、読みやすい。

特に「外来版」は広く浅くを志向しているところがあって、内科の本なのに、婦人科や泌尿器科、 皮膚科の症状にも相当なページ数が割かれている。

各章が独立するように編集されていて、どこから読んでも、その場、 その場の知識で状況を切り抜けられるようになっている。 自分みたいに、何か使えそうな文章だとか、図版を拾いながら読んでいると、だから役に立つ場所と、 そうでないところとの境界がはっきりしていて、使えそうなところは付箋を貼りながら、そうでないところは とばし読みができて、ありがたい。

家庭医向けの名著として紹介される本だけれど、研修医の人が読むにはカバーしている範囲が広すぎて、 たぶん病棟で役に立つことが半分ぐらいしかないから、夏に出る入院患者版を待ったほうがいいかもしれない。

On Call Principles and Protocols

自分が書いているマニュアル本の、元ネタというか、目次をそのまま利用した本。

「研修医の当直に役立つ」ことに目的が特化していて、目次や章立ては「看護師さんからの電話」順、 電話を受けて、電話口で聞くべきこと、病棟に行くまでの数分間で考えること、患者さんを見てから考えること、 患者さんの症状を見て、そこから致命的になりうるシナリオについて、それぞれ記載されている。

この本は、とにかく「研修医を守る」という意志が伝わってきて、好感が持てる。

イントロダクションとして、簡単な診察のしかたが記載されたあとに書かれているのは 「患者さんからの身の守りかた」であって、感染防御であるとか、針刺し事故を起こしてしまったときに、 自らにどんな治療を行うべきなのかとか、まずは医師自身を守って、それから患者さんと対峙する、という 編集方針があって、これはいいことだな、と思う。

当直に特化した編集で、患者さんの症状後との振る舞いかたに加えて、患者さんが暴れただとか、 死亡宣告に呼ばれたときの振る舞いかた、点滴ラインがつまったときの復活手段だとか、 たしかにこの本が一冊あれば、当直はずいぶん楽になりそうな、そんな予感が伝わってくる。

アンチョコ本の矜持

最近はずっと、こういった本に付箋を貼りながら、自分の原稿データにそれを反映、 もとい内容を丸写ししながら、少しずつページ数を増やしているんだけれど、やっぱりこういうのは、 西洋人上手だなと思う。

マニュアル本は、もちろん日本の有名病院もたくさん出版しているし、売れているものはたいてい 手元にあるんだけれど、日本で出版されている小さな本は、どちらかというと小さな成書を目指している雰囲気で、 研修医の役に立つというより、むしろ研修医を教育するために書かれているような気がする。

教科書としての体裁が整っている本はきれいだし、到達度テストみたいなものがくっついていると、 たしかに勉強には便利なのかもしれないけれど、500ページに満たない本は、やっぱり勉強に使われることを 想定するには無理がある。

有名な「ワシントンマニュアル」だとか、競合する「Practical Guide to the Care of the Medical Patient」 みたいな本は、研修医向けの簡易教科書として作られているけれど、A5 版で900ページ近くある。 版を重ねに重ねてあの分量なんだから、教科書として本を成り立たせるためには、 やっぱりそれが最小限度なんだろうと思う。

MGH のPocket Medicine みたいな本を研修医にもたれると、教える側は大変な思いをする。

「教育」というのはたいてい、重箱の隅みたいな知識をつついて、研修医に自分の優位を示した ところから始まるけれど、この本には、そうした「隅」がほとんど全て書かれているから。

いいアンチョコ本をもたれると、教える側は、研修医を「ずるいな」と思う。

あれを作ったMGHの人たちは、たぶん重箱の隅みたいな知識にすがった権威みたいなものを 「下らないものである」と看破している。圧倒的な能力差、実力差でもって、 研修医と対峙できる自信がないと、ああいう本は書けない気がする。

進捗状況

とりあえずこんな本から、記述だとか図版を移植しました。最初の頃から見れば、内容はずいぶん変わりました。

こちら から新版をダウンロードしていただければ幸いです。

2009.04.22

「病棟ガイド」更新しました

2009病棟ガイドの内容を改めました。

  • 4月21日までにご指摘いただいた訂正箇所の反映
  • レイアウト変更による減ページ
  • 血液内科領域の話題について、見直しと書き換え

2009.04.19

勝手に正しくなっていく教科書を作りたい

たぶんどこの業界でも同じなんだろうけれど、そこで働いていくために必要な知識というのは、 ちょうど樹木のような形をしている。知識の体系を形作るために、あるいは全体の見通しをよくするために、 幹だとか、枝ぶりというものが絶対に必要なんだけれど、「薬草」として、実際に役に立つのは、 恐らく「葉っぱ」の部分なのだと思う。

幹から葉っぱまで、知識を樹木ごと丸呑みできれば、その人は業界を理解した、ということに なるのだろうけれど、それをやるのは難しい。

内科だと、たとえば「ハリソン内科学」みたいな成書を一冊、隅から隅まで理解できれば、 たぶんその人に文句を言う医師は相当に少なくなるけれど、世の中にはたぶん、 ハリソン内科学の原著を読み通した人は、そもそもそんなに多くない。

凡人に理解できる量というのは限られて、だから世の中には、神様みたいにあがめられる大きな本とは別に、 小さくまとまった、知識の切り売りを試みた本がたくさん売られる。

必要なのは「薬草」であって、薬効成分は「葉っぱ」に含まれているわけだから、 小さな本というのは必然的に「薬草のつまった袋」みたいなものを目指さないとおかしいんだけれど、 日本で出版されている研修医向けの教科書は、どういうわけだか「葉っぱ」がほとんど残っていない、 幹があって、枝があって、枝ぶりだけは立派な、樹木の骨格標本みたいなものばっかり。

ワシントンマニュアルの頃

恐らくは「教科書で何かを学ぶ」という文化自体、自分たちの業界でそれが当たり前になったのは、 せいぜいここ10年ぐらいなんだと思う。

自分が研修した病院では、当時「ワシントンマニュアル」という本が研修医向けの教科書として 推薦されていて、みんな読めるわけもないのに英語版を買わされて、あとからこっそり日本語版を買っているのを 見つかると、上の先生がたから怒られた。

当時からもう、聖路加国際病院だとか、虎ノ門病院みたいな大きな病院では、研修医向けの、病院の名前を冠した 教科書を出版していた。あれは本当にうらやましかったし、知識がコンパクトにまとまっていて読みやすかったんだけれど、 「それを使って何かやる」という場面は、少なかった。

そうした教科書は分かりやすくて、知識の見通しに優れていて、そういうのを読むと、 なんだか自分が上等な人間になれたような、頭がよくなったような、そんな気分になれるんだけれど、 できることはあんまり変わらない。

日本語の教科書は、最後の「詰め」を踏み込んでくれなくて、たとえば「○○療法が行われることがある」だとか、 「免疫抑制剤の使用を考慮する」だとか。知識を得て、それを考慮するその段階に至って、 教科書には「考慮する」としか書かれていないから、最後の最後は、現場の判断。上の先生に やり方を尋ねたり、あるいはあやふやな英語の知識で「ワシントンマニュアル」を読んで、 そこに記載されているやりかたに従ってみたり。

ワシントンマニュアルは、研修医が読むには厚すぎて、おまけに全部英語だから、総論部分を読むのが 本当におっくうで、当時はもう、あの本が嫌いで嫌いでしょうがなかったんだけれど、実際問題、 使えるもの、医学知識の「葉っぱ」部分をきちんと書いてある教科書は、当時も今も、あれぐらいしかなかった。

証拠中心主義の時代

あらゆる意見に論文レベルでの証拠を求めるEBM の時代になって、状況はむしろ 悪くなったような気がする。

「EBMに基づいた」を売りにする教科書は増えたし、昔に比べれば、教科書は少しだけ 安くなって、図版も増えて、日本語の教科書は読みやすくはなったのだけれど、 「○○療法が行われることがある」だとか、「○○を考慮する」みたいな、 踏み込みをためらう記載は増えた。

一人の人間が全部書くのは無理だから、今は分担執筆が主流みたいだけれど、 何か書いて、それを裏付ける論文を探しても、ならばその論文が本当に正しいことを 補償してくれる論文だとか、あるいは自分が書いた知識と、正反対のことを主張している 論文が本当にないのかどうか、個人でそれを調べるのは難しい。

難しいし、分担執筆には締め切りがあって、たいていの場合、みんな締め切り直前になってから 調べはじめるから、時間がなくて、踏み込めない。

教科書はだから、正しいし、見通しがいいんだけれど、役に立たない。

論文で磨き立てられた仏壇みたいな教科書がある。

見た目は立派で、表面は「証拠」で磨き立てられてぴかぴかなんだけれど、仏壇をあけても、 引き出しを探しても、「薬草」なんて一枚も入ってない。引き出しの隅っこに紙が入ってて、 そこにはただ一行、「治療は現場の判断で」なんて書かれてる。

教科書作りたい

「研修医向けの簡易な医学教科書」という分野に必要なのは「切り貼り」の能力であって、 画期的な発見をする能力だとか、論文分野ですごい業績を上げるだけの粘り強さだとか、 自分には欠けていた、そういう資質がなくてもどうにかなる。

「教科書を作る」なんて言っても、やっていることはだから切り貼りで、 すでに発売されている、研修医向けの日本語教科書を何冊か、面白そうなところを 抜き書きして、それをまとめて一冊にして、何か大きな教科書、 自分だったら「Current Medical Diagnosis and Treatment」でその内容を 検証しているだけなんだけれど、「この文章は面白い」なんて切り抜いた文章が、 結局のところ、英語の教科書をそのまんま和訳しただけだったりしている箇所がいくつも見つかる。 今の時代になっても、良い日本語教科書というものは、要するに良い翻訳なんだな、なんて思う。

海外の教科書は、それを書く人が持っている「葉っぱ」を見せるために教科書を書いているところがある。 まずは「ところで俺の葉っぱを見てくれ。。コイツをどう思う?」なんて筆者の思いがあって、 自分の意見を補強するために、あちこちから医学論文が引っ張られる。意見があって、それに基づいた 処方があって、それを裏打ちするための論文があるから、役に立つ。

分担執筆された日本語教科書は、論文が、クリスマスツリーの飾りみたいに使われているように 思えるときがある。有名な論文が、見通しのいい知識体系にぶら下げられて、それはたしかにきれいなんだけれど、 葉っぱが邪魔だからなのか、現場で使える知識はきれいに除かれて、そこは「現場の判断」に任される。

恐らくは現場で働く誰もが持っていて、業界全体に散逸しているであろう「葉っぱ」を収集したいなと思う。

今書いているものは、ツッコミに対する柔軟性が高くなることを意図して作ったから、 読んだ誰かが「ここがダメだよ」なんて感想抱いたとして、そういうお話しを吸収して、 訂正版をかけていければ、進歩する。

多数決で「勝手に面白くなっていく小説」なんてものを作るのは厳しいけれど、 「勝手に正しくなっていく、簡易な内科入門書」なら、大元の知識は内科の成書一冊で、 あとは「創造」というよりも順列組み合わせの領域だから、それができる可能性は高いと思う。

少部数、高頻度で出版を繰り返す形をとって、裏表紙に「私はたいていここにつながってます」なんて、 Twitter のアドレスを書いておいて、買ってくれた人とリアルタイムでディスカッションしながら、 「次の版ではそこを改訂します。2週間後に出ます」なんてやれたら、きっと面白い。 本当はオープンソースにして、各病院ごとのローカル版とか作れたらいいんだけれど。

少部数出版が高価であること、Amazon みたいな決済システムに素人が参入するのが難しいこと、 なによりも、今作っているものが、商業クオリティにはまだまだ遠すぎて、 やらなきゃならないことはたくさんあるんだけれど、今はこんな場所を目指してる。

2009.04.18

マニュアルの一部を改訂しました

2009病棟ガイドの内容を改めました。

  • ご指摘をいただいた訂正事項を反映させました
  • 目次をもう少し細かくしました
  • これに伴い、ページ数が大幅に増えてしまいました

2009.04.15

ドッグフードを食べる

コンピュータープログラムを開発する人たちには、開発途中の未完成なプログラムを無理矢理使って仕事をする 時期というものがあって、それを「自分のドッグフードを食べる」なんて表現するらしい。

自分が今作っているものは、コンピュータープログラムほど複雑なものではないし、やっていることは、 開発というよりは「切り貼り」のほうが近いのだけれど、とりあえず出来上がったものは、 やっぱり「ドッグフード」であって、使いやすいものを目指すには、それを自分で食べないといけない。

使って分かったこと

今回作った「テトリスみたいな鑑別診断表」は、たぶんそこそこ見やすいような気がする。

患者さんがいて、症状を抱えていて、特定の疾患を狙ったわけではないけれど、とりあえず何かの検査結果が その人にくっついているという状況は珍しくなくて、とくに地域で開業している先生がたから紹介された患者さんは、 たいていの場合、たくさんの検査結果を抱えたまんま紹介される。

表を使うと、無目的に提出された検査を使って、消去法みたいなやりかたで鑑別診断を絞り込むことができて、 特定の病気に近づくだとか、あるいはもっと広い鑑別診断を探しに行くだとか、1枚の表を、複数の目的に 使い回すことができる。

こういう表はその代わり、表の中に、相当広い範囲の鑑別診断を放り込んでおかないと、怖くて使えない。

病気というのは、2割の病気が全体の8割を占める構造をしているから、2割を知っていれば、たしかに8割に対応できる。

ところが鑑別診断が問題になってくるケースというのは、2割の自明な疾患は、そもそも考慮の対象外に なっていることが多くて、診断表は、想定していたよりもずっと広い範囲で鑑別診断を一覧できないと、 例外が多すぎて役に立たなかった。結局全部書き直した。

被ツッコミ耐性について

何か大きな規模の文章を作るときには、「総論」と「各論」を分離しておくこと、医療なら「病名」に当たる、 ひとかたまりになった知識の「置き場所」をきちんと定めて、それを文章内部で相互参照できるようにしておくと、 あとからいろいろ突っ込まれたとき、訂正が簡単になる。

未完成な「ドッグフード」を同僚の先生がたに読んでもらって、 「内容には全く賛同できないけれど趣旨は良く分かる」なんて 叱られながら、いろんなところを直してもらうこの頃。

これをやるとき、せっかくいただいたツッコミに対して、文脈上直せない場所を作ってしまったり、 あるいは考えかただとか、結論が彼我で分かれる場所が生じたとき、文章の任意の場所を、 自由に切り離せるようにしておくと、「直し」を受け入れやすい。

膨大な前書きがまずあって、そのあと前1/3を「総論」が占めて、さらに各論が続くような構造を作ってしまうと、 専門家の先生がたも、いちいち「前書き」から読まないといけないから面倒だし、総論にツッコミを入れると、 巻き添えを喰って各論が1章丸ごと消し飛んだりすることがある。

全ての章立てを「症状」ごとにするやりかたは、どこを消し飛ばされても全体の構造が揺らぎにくいので、 いろんな先生がたから叩かれながらも、叩かれたぶんだけ、いい方向に進めやすいような気がする。

ドッグフードが料理になる日

とくに「総合診療」なんて科目を志す人たちは、遠回りかもしれないけれど、やっぱり自分の教科書を 作るべきなんだと思う。

何かそういうものを文章にして持っていると、自分が今何を知っているのか、どの分野に詳しくて、 どの分野に疎いのか、他科の専門家から見て、その詳しさだとか、疎さというのは、どの程度 客観性があるものなのか、いろいろ指摘をいただけて、面白い。

今自分が作っているものは、たとえばこれをルーズリーフに両面印刷して、ファイルに綴じると600円ぐらいかかる。 誰か上の先生に読んでもらうときには、もちろん新品を渡して赤を入れて貰うわけだけれど、 いくつかの添削を貰うために、いちいち1冊潰すのは無駄なようでいて、「他人様の意見が500円足らずで買える」 というのは、ものすごく安い買い物をしているのだと思う。

誰かの意見を「買う」というの、はすごく難しい。お金を払って講義を聴いても、それは万人向けの内容であって、 講師の人が自分の「穴」を埋めてくれるのとは、ずいぶん違う。話を聞くだけならタダ、なんてことは全然なくて、 意見をもらう対価として、自分で何か書いて、印刷から製本から全部自前というやりかたは、 面倒なようでいて、たぶん支払ったコストに十分見合うだけのものが得られるような気がする。

今のPCは早くなったし、LaTeX はやっぱり有用だよ、と一応勧めておく。

マニュアルを一部改訂しました

2009病棟ガイドの内容を改めました。

  • 循環器作動薬の記載がショボかったので、もう少し詳しくしました
  • 鑑別診断について、「この症状を呈するその他疾患」で逃げていたのを表にまとめました
  • 疾患の種類については、そんなに増やしていません

昇圧薬、降圧薬、血栓溶解薬、抗不整脈薬の使いかたと使用量について、それなりに詳しく書いたつもりですが、 計算間違いの可能性ありありなので、気をつけてください。

どなたか検算していただけると幸いです。。

2009.04.09

CMDTとの整合をとりました

2009病棟ガイドを改訂しました。

  • Current Medical Diagnosis and Treatment 2009 年版と、ひととおり内容をつき合わせました
  • 薬がアメリカ人の量になり、全体に増えています
  • このあと日本の教科書をあれこれ読みながら、現実にそぐわない場所を直していきますが、「ここはおかしいよ」という場所があれば、ご指摘いただければありがたいです

2009.04.08

無様にやるのは難しい

相変わらず、教科書みたいなものを少しずつ書いている。

薬の使いかただとか、手技だとか、どうせ書くならば、なるべく「みっともない」やりかたを、 不格好で、誰にでもできるような、熟練した人がそれを読んだら、あまりのくだらなさに笑ってしまうような、 そんなやりかたを紹介したいのだけれど、それがとても難しい。

挿管チューブのこと

たとえば人工呼吸器管理を行うときには、できるだけ太い挿管チューブを使ったほうが、 患者さんの全身管理がやりやすくなる。

太いチューブは入れるのが少し難しいのだけれど、それでも慣れれば簡単に入る。 ベテランはだから、みんな太い挿管チューブを選択して、慣れていない若手には、 「もっと太いの使え」なんて、お前も速く一人前になれだなんて、発破をかける。

教科書には、太いチューブのメリットばっかり強調される。

喀痰吸引がやりやすいこと。患者さんの呼吸仕事量は、もちろん空気の通り道である挿管チューブが 太ければ、それだけ楽になること。それはもう、反論のしようがない事実なんだけれど、太いチューブを 入れることができない初心者には、手が届かない。 太いのがいいとして、細かったら本当にいけないのか、同じ重症度の患者さんを抱えて、 術者が下手くそで、太いチューブが入らなかったら、そのことは、患者さんに対して どの程度致命的なのか、そういうことは、あんまり書かれていない。

たとえば呼吸不全を起こした成人男性については、こんなことを知りたい。

  • 何かのトラブルで細いチューブしか入れられなかったとして、どれぐらいの細さから問題が発生するのか
  • あるいはどれぐらいの期間までなら、細いチューブでも戦えるのか
  • そういう状況をどうしても離脱できなかったときに、他に何を行えば、細いチューブで患者さんを維持できるのか

手元にある呼吸管理の本を調べても、そもそも「細いチューブ」に言及している本自体が少ないし、 それをやったことがある人も、あるいは少ないのかもしれない。マニュアル本にこういうことが記載されていたら、 きっと便利だと思うんだけれど。

真のベテランはみっともない

NHKのクローズアップ現代で、グローバル化する企業の特集が組まれていた。

番組の中で、英会話教育に取り組む企業が放映されて、「きれいさ」とは対極にあるような、 単語をブチブチに切って、適当に並べただけみたいな、そんな英会話が教えられていた。

放映されていた分量はごくわずかだったけれど、講師の先生は、正しい文法だとか、 きれいな言い回しだとか、いわゆる英会話のやりかたを無視しているように見えた。

番組の中では、前置きなしで「このコーヒーは冷めないという言葉を英語で語って下さい」みたいな 問題が出されて、英会話の苦手な参加者に、手持ちの知識でどうやって相手にそれを伝えるのか、 ごまかしかたというか、逃げかたというか、「これっぽっちの知識しかなくても、英語は十分に伝わるんです」 なんてメッセージが伝えられていた。

これはすばらしい試みだと思った。

もっと無様なやりかたを教えてほしい

医学教科書は、「できる人」ががんばれば理想的にいけるやりかたが書かれていて、 たいていの場合、読者のレベルは書いた人より低いから、読者に理想を要求されても困ってしまう。

感染症医学の教科書は、患者さんを詳細に診察して、内蔵の奥の奥から、「正しい検体」を検査に出せれば、 「この薬で絶対に治ります」なんて請けあう。プロの助言はたしかに間違っていないんだけれど、 その正しさは、自分たち内科が「正しい検体」を取ってくることが前提で、そこの責任は請けあってくれない。

あの人たちの言葉は、たしかに何一つ間違っていないのに、現場ではしばしば、なんの役にも立たない。

ベテランの人たちはむしろ、「抗生剤は、こんなに間抜けな使いかたをされても、患者さんは治るんだよ」 みたいな例を示すべきなのだと思う。誰が見ても最低のやりかた、 門外漢の内科が見ても、「さすがにこれはないだろう」なんてやりかたをこそ、 プロがやって見せて、限界のある場所を示すべきなんだと思う。

身も蓋もない正論をまくし立てるベテランが、どうしていいのか分からない状況の患者さんを 抱えた若手の前に立ちはだかっても、尊敬は得られない。その人の論理がどれだけ優れていても、 邪魔された若手は、ベテランにすがるどころか、彼らを回避する方法を編み出すだろうから。

「みっともない」マニュアルを作りたい。

右も左も分からない研修医がこれを読んで、「こんなのでいいなら、俺のほうが上手に治せる」なんて、 思わず笑ってしまえるような、診断だとか、治療のやりかたが書ければいいなと思う。

「みっともなくやる」のは難しい。そうしたやりかたをするためには、「それでも大丈夫」という根拠が必要だし、 たいていの場合、「ちゃんとやった」ほうが、管理ははるかに簡単だから、 みっともないやりかたは、たくさんのトラブルケースを乗り越えてきた人でないと身につけられないし、 語れない。

その場に集った医師の中で、もっとも無様で、不格好なやりかたを提案できる人が、 本当のベテランなんだと思う。

みっともなくやれないベテランは、そもそも自分をベテランと認めちゃいけないし、 無様なベテランが、後ろで一番無様に構えてくれているからこそ、 若手は安心して「ちゃんとやる」ことができるのだから。

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