痴呆の薬物治療

Jun 14, 2002

1  はじめに

アルツハイマー型痴呆は、進行性の疾患である。原因についてははっきりしていないが、 神経細胞の変性の結果、ニューロトランスミッターであるアセチルコリン、セロトニン、ノルアドレナリン、 そしてソマトスタチンが脳内に欠乏していることはわかっている。

痴呆の薬物治療はさまざまなものがあるが、今はこれらのニューロトランスミッターをターゲットに、開発が 行われている。

2  認知障害の治療

2.1  コリン作動薬

概要  

コリン作動薬による治療は、アルツハイマー型痴呆の患者の大脳皮質に、アセチルコリンエステラーゼ活性が 低下しているという観察に基づいている。このため、中枢のアセチルコリン活性を増強させれば、記憶障害や 認知障害が改善しうると考えられた。

このために用いられた薬物としては、アセチルコリンの直接供給(レシチン、コリン)、アセチルコリン分解阻害 (フィゾスチグミンなど)が当初用いられたが、効果は無かった。

また、アセチルコリンの分泌を刺激するために、オピオイドレセプター拮抗薬(ナロキソンなど)もトライアルされた が、軽度の認知障害の改善が認められただけであったという。

一方、ニコチンの少量の静注は、記憶障害の改善に役立ったという報告があり、疫学的にも、喫煙者には アルツハイマー型痴呆の発症が少なかったという報告がある。

Tacrine  

Tacrineは、中枢作動性のアセチルコリンエステラーゼ阻害剤で、軽度のから中等度のアルツハイマー型痴呆の患者 について、認知機能の改善が認められた。

この効果は量依存性で、高用量に耐えられた患者において、その効果も最も高かった。Tacrineの副作用は多く、 このトライアルでも、30週間のトライアル期間中、服用を続けられた患者は30%程度しかいなかった。

主な副作用は嘔吐、下痢、食欲不振、嚥下障害などで、肝機能障害も25%程度の患者に認められた。

また、Tacrineはアルツハイマー型痴呆の進行自体を抑える効果は無く、薬を中止すると、患者の症状は速やかに 元に戻るか、あるいは悪化した。

この薬の適応は、個々の患者で決定するしかないが、最初の24週間の服用期間中は、頻回の血液データのフォローを 行った方がよい。

2.2  麦角製剤

ヒデルギンのような麦角アルカロイドは、以前より痴呆の治療手段として試みられてきた。

しかし、アルツハイマー型痴呆の患者においては、その効果は無かった。

この薬の薬効ははっきりしていないが、恐らくは脳内でのコリン活性を高めていると考えられている。いくつかのトライアル では、麦角アルカロイドは認知機能の軽度の改善を報告しているが、近年のメタアナリシスでは、やはり麦角アルカロイド は認知機能の改善には効果がないと結論されている。

2.3  精神刺激薬

精神刺激薬を痴呆患者に投与することで、ノルアドレナリンの作用を介して、 残存した神経細胞の賦活がはかれると考えられてきた。

メチルフェニデートは、この目的でトライアルされ、痴呆患者の意識状態の改善に効果があることが 証明されている。

しかし、この薬は患者の認知機能の改善には、役には立たなかった。

2.4  アスピリン

痴呆の最も多い原因としては、アルツハイマー型痴呆とともに脳血管性痴呆があるが、 脳血管性痴呆のリスク因子と、大きな脳梗塞のリスク因子が共通するものであるのかどうかはまだはっきりしていない。

脳梗塞予防に払う努力で、同様に脳血管性痴呆を予防できると信じられているが、まだ証明されているわけではない。 残念ながら、ほとんどの脳梗塞予防のトライアルは痴呆の発生をエンドポイントにしておらず、痴呆についての 評価ができない。

痴呆に対するアスピリンの効果を論じたトライアルは、小さなものがひとつあり、この結果からは、アスピリンの 内服を行うことで、脳血管性痴呆は進行が止まるか、あるいは認知機能の改善が生じたという。

現在のところ、脳血管性痴呆の患者に対してアスピリンを用いることは、適切であると考えられている。

アルツハイマー型痴呆の患者に対しても、アスピリンは有効である可能性がある。

アルツハイマー型痴呆の患者に対してインドメタシンを投与したトライアルでは、インドメタシンを投与された患者は、 プラセボに比べて認知機能の低下が少なかった。

アスピリンは禁忌が無ければ、痴呆の患者に対して効果が期待できる薬剤のひとつであるが、末期の痴呆患者に 対する効果は疑問視されている。

2.5  その他の薬

サイアミンなどのビタミン、トリプトファン、チロシンなどのトライアルの結果は、いずれもはっきりした結果が 出なかった。

甲状腺ホルモン、ACTH、バソプレッシンの投与なども効果があると考えられたが、やはり認知機能の改善効果は 証明できなかった。

近年トライアルされているものとして、抗うつ薬、ニコチン製剤が現在進行中である。

また、セレギリンは抗酸化作用をもつ抗パーキンソン薬であるが、この製剤はアルツハイマー型痴呆の進行を 遅らせると考えられている。この薬は、あるレポートでは効果がないとされたが、ビタミンEとの併用を行った スタディーでは、効果があったと報告されている。

さらに、アンギオテンシン変換酵素阻害剤、エストロゲン補充療法、抗炎症薬(NSAIDs) が現在治験中である。

3  問題行動、精神症状に対する治療

3.1  はじめに

記憶障害や、コミュニケーション障害の影響もあり、痴呆の患者の場合には、しばしば問題行動が生じる。

徘徊や、怒り、不隠といった行動は、痴呆の患者の約70%に生じる。

3.2  不隠

不隠は、ナーシングホームに入所した患者の70%近くに生じる。不隠はまた、全身倦怠感の一症状として出現することもあり、 また痴呆の患者の症状の最終像としても生じてくる。

神経学的には、不隠の原因ははっきりしていないが、恐らくはセロトニンの欠乏が関与していると考えられている。

不隠の重篤さと、痴呆の進行は相関すると考えている研究者は多いが、まったく関係が無かったというレポートもある。

不隠は、痴呆に伴って生じてくる症状のひとつであるが、呼吸困難や痛み、さらに譫妄 1の症状として出現することも あり、注意が必要である。

また、ジゴキシンや抗コリン薬、ベンゾジアゼピン系の薬剤の副作用、中断後のリバウンドで不隠が出現することもある。

不眠や、環境の変化もまた、不隠の原因になる。

3.3  妄想や幻覚

妄想  

妄想は、アルツハイマー型痴呆の患者の30〜57%に見られる。この症状はアセチルコリンの欠乏と、辺縁系で ドーパミンの作用が保たれている状態が合併している際に生じるといわれている。

妄想は、アルツハイマー型痴呆の患者の中期から末期に多く見られるが、全病期を通じて生じる可能性はある。 妄想を生じた患者は、そうでない患者に比べて認知機能の低下が強いが、生命予後については大きな差は無い。

幻覚  

幻覚はアルツハイマー型痴呆の患者の28%に生じる。視覚的な異常を訴える患者が最も多いが、時には その中に動物や、他人が見えることもある。

外からの刺激、たとえばテレビの音などがきっかけになり、幻覚を生じることがある。

3.4  不安

不安は、痴呆の患者の40%程度に認められる。患者の年齢が進むと、生じる可能性が高くなる傾向にある。

代表的な症状はいらつき、何度も同じ事を聞く、などであるが、この症状はまた、譫妄の初期症状であることがあり、 注意が必要である。

認知障害、痴呆の進行、抑うつ、社会的な活動の消失など、さまざまな事が原因になる。

3.5  抑うつ状態

抑うつは、痴呆の患者に一般的に生じるが、どちらかというと非アルツハイマー型痴呆の患者に多く見られる。

ノルアドレナリン、セロトニンの欠乏が、アルツハイマー型痴呆の患者の抑うつに関与していると考えられている。

抑うつ状態は痴呆の無い高齢者においても見られるが、アルツハイマー型痴呆の患者においてはその発症頻度は 3〜4倍である。

他の症状とは異なり、抑うつ状態は環境の刺激の増加などの治療に、比較的容易に反応する。高齢者の抑うつ においては、自殺はまれである。

3.6  睡眠障害

昼夜の逆転は、痴呆の患者の45〜69%に認められ、介護者に対する大きな問題になっている。

入眠剤は短期的には効果があるが、副作用は多く、また長期間の服用により、痴呆の進行に対してどういった影響が あるか、といった部分についてはほとんど分かっていない。

不眠の原因が、抑うつや不安にある場合には、それらの症状に対する治療を行うことで、症状をとることができる。

医原性の不眠の原因になるもの、たとえばスタッフの立てる音、カフェインの服用、眠前や夕方の利尿薬の服用、 鎮静剤の日中の使用などは極力避けるべきである。

日中の昼寝を少なくするよう促し、運動を行うことで夜間の入眠を誘うのは有効であるが、逆に休息が必要な患者の場合、 それが原因で不隠になってしまうことがある。

認知機能の障害が進行してしまうため、痴呆の患者に対しては、ベンゾジアゼピンや、抗コリン作用を持つ薬剤は、 不眠の治療薬としては避けるべきである。

少量のトラゾドンや、胞水クロラールが、こうした患者では推薦されている。

4  痴呆随伴症状の薬物治療

4.1  抗精神病薬

痴呆の患者の症状が、精神分裂病の症状に類似していることは以前より指摘されていたが、これらの症状全てに 抗精神病薬が効果があるかどうかは、分かっていない。

不安や幻覚、怒りといった症状については、抗精神病薬は中等度に有効であるが、その副作用が抗精神病薬の 使用を制限している。

痴呆の患者に対する抗精神病薬の効果は、とくに不隠、幻聴や幻覚といった症状に対してはプラセボとの比較で 18%の患者に対して効果があったという。一方、セデーションの副作用は多く、またデータ上”改善”の 範疇に入っていた患者に、単にセデーションがかかっておとなしくなっていた患者が入っていた可能性が 高いなどの問題が指摘されている。

また、抗精神病薬の持つ、抗コリン作用は認知障害を悪化させ、記憶を損ない、結果として患者の混乱をひどくしてしまう。 尿閉や便秘も、抗コリン作用が強い低力価の抗精神病薬(クロルプロマジンなど)では多い。

ハロペリドールなどの、高力価の抗精神病薬は抗コリン作用は少ないが、一方、錐体外路症状 2の発生頻度は高い。

さらに、QT時間の延長を介した突然死の発生も、抗精神病薬で報告されている。転倒の頻度が高くなることにも、 注意が必要である。

痴呆の患者に抗精神病薬を用いる場合、高力価の、半減期の短い薬剤、たとえばハロペリドールなどを用いるべきである。 新世代の抗精神病薬、たとえばリスペリドンなどは副作用は少ないが、痴呆に対する効果についてはまだ はっきりした評価は出ていない。

4.2  抗不安薬

ベンゾジアゼピンは不安や不眠、恐れといった症状に広く用いられるが、痴呆に与える影響ははっきりしていない。

副作用としては認知機能の悪化、セデーション、転倒の頻度が高くなることなどが挙げられ、 続けて服用することで、さらに依存の可能性が生じる。

一定の時間に、患者をおとなしくさせる必要がある場合は、半減期が短く、さらに代謝産物に薬理活性の無い薬剤、 たとえばロラゼパムやオキサゼパムが使いやすいかもしれない。

新世代の抗不安薬であるブスピロンは、安全性の面では有効であるが、効果についてはまだはっきりしていない。

トラゾドンもまた、抗不安薬として用いられる。

4.3  抗うつ薬

SSRI   痴呆の患者に抑うつが生じてきた場合、抗うつ薬の適応である。SSRIは副作用も少なく、高齢者の抑うつに対して 有効な薬剤である。 SSRIは現在、三環系抗うつ薬にとって代わりつつある。

抑うつに対してだけではなく、小さなトライアルではあるが、SSRIのシタロプラムが痴呆の患者の問題行動、 たとえばじっとしていられない、不安、いらつき、といった症状に対しても効果があったという報告がある。

フロキセチンやパロキセチンといった、ある種のSSRIではかえって不安は強くなる傾向があり、 痴呆の患者一般にSSRIを用いることが適切かどうかについては、まだはっきりしていない。

トラゾドン   新世代の抗うつ薬のトラゾドンは、高齢者でも非常に認容性がよく、また不隠のコントロールに有効な薬物である。 不眠に対して本剤を用いる場合は、25〜50mgといった少量で効果がある。不隠のコントロールや、あるいは不安や 抑うつに対して用いる場合には、25〜400mgの範囲で用いる。

4.4  カルバマゼピン

抗痙攣剤のカルバマゼピンは、セロトニンの作用を介して、辺縁系の機能障害を改善するといわれている。

小さなレポートしかないが、カルバマゼピンは抗精神病薬が無効であった、不隠の強い痴呆の患者に対して、 200〜1000mgの量を用いることで、効果があったという報告がある。

スティーブンスジョンソン症候群、肝機能障害、皮疹といった副作用が出やすい薬剤のため、注意が必要である。

4.5  その他の薬剤

β遮断薬は、頭部外傷の患者の不隠の治療に、古くから用いられてきた。 痴呆の患者に対して、β遮断薬を用いたレポートは、逸話的なものが多いが、40〜520mg/日のプロプラノロールや、 60〜100mg/日のピンドロールが有効であったという報告がある。

また、エストロゲンを、不隠の強い高齢者の男性に投与することで、不隠のコントロールがついたとういう報告がある。


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On 14 Jun 2002, 14:47.