2007年11月13日

病名を避ける退院交渉

最近は、病名を使って話をすることを極力避けるようにしている。

「肺炎が治ったから退院しましょう」ではなくて、 「抗生物質を中止しても発熱が再燃しないようなので、あとは外来で…」みたいな。

それが正しいのかどうかは分からないけれど、 そのほうが患者さんの状況受け入れが円滑に進む気がしている。

病名は医師の状況解釈

超高齢の患者さんが入院。夜寝ない。点滴を引き抜く。徘徊して転ぶ。 叫んで手がつけられない。

どうしようもないからご家族呼んで、「痴呆ひどくて診られません」なんてやったら、 間違いなくトラブルになる。「母は混乱しているだけで、 痴呆なんかじゃありません。ちゃんと診て下さい」なんて。

寝ないとか、点滴出来ないといったことは事実。でも事実の集積を抽象化して、「痴呆」なんて 病名に導いたのは医師。事実は受け入れるしかないけれど、 事実の集積を解釈するのは誰もが持っている権利。

「病名をつけられた」患者さんの退院に同意するということは、要するに 事実の集積に対する医師の考えかた全てを、無批判に受け入れることに等しい。

医師と患者、いくつかの事実を挟んで対峙して、 それをどうくっつけて、抽象化したものから何を見出すのか。 同じ解釈にいたる可能性は極めて低いのに、病名という道具はしばしば、 医師と全く同じ解釈を相手に強要する。

自分達は一方的に病名を告げる側だけれど、そんな行為はあるいは、 それを受け入れる相手側に、かなり大きな負担を強いている気がする。

分かりやすさには主観が入る

事実の集積に意図を加えて、分かりやすい物語として流布するやりかたは マスコミの得意分野だけれど、「分かりやすくする」という工程は、 そもそも歪みから自由になれない。

地球儀を地図として平面化する、事実の集積を分かりやすく解釈して言語化するというのは、 要するにこんなこと。病名も一緒。球を平面にするときには、どんなやりかたをしても ゆがみを生じる。平面化の技法にはいろんなやりかたがあるけれど、 やりかたを選ぶというその行為自体、そこには医師の主観が混入する。

そんな主観は、あるいは患者さんの御家族にそれを見透かされていて、 病名の欺まん性は、しばしばご家族の反発となって表面化している気がする。

属性を付加する病名

分かりやすさはまた、単なる事実に属性を付加してしまう。球面が平面に展開されるだけで、 そこには「上」や「下」、あるいは球面には存在しなかった 「辺境」や「中心」なんて属性がついてくる。

属性というものはたぶん、思っている以上にその人を不自由にする。

何もない平面に、一本の線を引く。こんな行為一つとっても、 平面上での自由な振舞いは、線が出現したあとは、「右に行った」だとか「線をまたいだ」だとか、 それまではありえなかった言語化を受ける。平面の上で、人は自由に振舞っているのに、 それでも線という属性は、その人の行動を縛ってしまう。

事実も病名も単なる言葉にしかすぎないけれど、病名という「属性を背負った言葉」は、 恐らくは病名をつける側が想像している以上に相手を縛るし、 相手にとって重荷になっている可能性がある。

スケールが変わると正確さも変わる

あれだけ精密に見える田宮模型のプラモデルなんかも、 実際には「精密に見せる」ために歪みを加えているのだそうだ。

あれだけ有名な会社になると、たとえば自動車会社なんかは、門外不出の設計図面そのものを 貸してくれたりするらしい。図面どおりに金型をおこせば、実物と寸分たがわないプラモデルが 作れるのだけれど、そうして作ったプラモデルというのは、何となく迫力の足りない、 なんだかペシャっとした形になってしまうのだという。

自動車はたぶん、実物大で見るからかっこよく見えるようにデザインされていて、 そのかっこ良さというのは、模型サイズに縮めたときには伝わらなくなってしまう。

模型会社のデザイナーは、正確な図面を元にして、そこにあえて歪みを加えて、 模型としてかっこよく見える、あるいは模型として精密に見えるよう、 金型の図面を引きなおすのだという。

医師と患者とは、恐らくは物事をみるスケールが違うし、生活している時間軸が全く違う。

事実をなるべく歪めないで、分かりやすく提供する。そんな努力を医師側が行ったところで、 視点のスケールが違う患者さん側には、恐らくそれは、「正確だ」という印象として伝わらない。

正確だ、歪みが少ないという印象をもってもらうためには事実を歪めることが必要で、 ところが相手の視点は一人一人違うから、把握した事実をどう歪めれば「正しく」なるのか、 恐らくはそれを見越すのはすごく難しい。

むしろ事実は事実だけ、ありのままにそれを伝えて、相手の印象を尋ねるやりかたのほうが、 結果として「正しい医師の印象」を伝えることができる気がする。

まとめ

  • 病名という道具は、いくつかの事実をまとめて、相手に医師の考えを簡単に伝える役には立つけれど、 それを交渉の道具に使うと、上手く行かないケースがある
  • 事実をまとめるという行為は、分かりやすくなる反面、相手がとれる選択肢を 「それを丸々受け入れるか、拒否するか」に絞ってしまい、 提案を受け入れる閾値を必要以上に高めてしまう
  • 事実の抽象度を高める作業は、まずはそれを相手にゆだねないと失敗する
  • 印象で抽象化しない事実をそのまんま伝えて、こちらが抱えている問題を相手に伝えて、 その上で「この問題を解決するのに、どうすればいいとお考えですか?」みたいな尋ねかたをすると、 上手くいくひとは上手くいく
  • 「もっと頑張れ」みたいな返事しか返さないご家族相手だと、もう何をやっても上手くいかない

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2006年5月25日

病名がつくる境界

誰かの陰口をいうときに、「あいつさぁ、なんか病名つくんじゃねえの…」という表現を使って、 周囲の黒い笑いを誘うのは効果的なやりかただ。

「病名が何なのか」は、こちらからは明示しない。

たぶんみんな、頭の中にある一番ひどい病名が浮かんでる。

病名をつけることで生まれる共犯者意識、病名をつけることで生まれる 「正常を外れた奴」というレッテルは、 対象に破滅的なダメージを与えてくれる。

病名は境界を内包している

病名をつけることというのは、「正常な私達」と「あなた」との間に境界を作る行為だ。

健康な状態と病気の状態というのは、本当は連続していて、 境界なんか存在しない。

どんなに健康な人でもどこかしらには悪いところはあるし、その逆もしかり。

でも、連続した概念は科学で扱うのは面倒だから、適当な大きさで境界を引いて、 病名という言葉で一塊としてあつかう。

一つの病名には、いろいろな原因が含まれている。

昔は病気は治らなかった。治る原因しかない人は病人じゃなかったし、 治らない原因を持っていた人は亡くなった。

病名という境界は、そのまま世界の境界だった。役に立ったし、矛盾が無かった。

医学は進んだ。病気を作っているいろいろな原因のうち、そのいくつかは解決可能になった。 病気という境界は実世界のほうに進入してきて、「一生治らない病気」が生まれた。

集団の中で仲間はずれを作るときに必要なのは、境界だ。

病名をつけられた人は、「向こう側」の人。完全に回復した人だけは「こちら側」に 戻ってこれたけど、そうでない人はもっとむこうにいって、見えなくなってしまった。

今は違う。病人の世界と健康人の世界とは、地続きで存在している。

病人の世界にもたくさんの人がいて、みんなこちら側に戻って来たがっている。 みんな十分に社会生活ができるのに、病名という境界が邪魔をして、 健康人の世界にはなかなか戻れない。

「あなたの病名は○○です」とか、「あなたの病気は、今こうなっています」といった表現は怖い。

自分も全く自覚なしに多用しているけれど、ありもしない境界を作る行為はしないほうがいい。

境界を戻るのは難しい

2つのりんごと3つのりんご。足したら5つ。

2+3=5。

りんごを足す前の状態と、足した後の状態。足し算が行われたことで、2と3という 情報は失われ、「5」という答えだけが残る。

2と3と言う数字から5を再現するのは簡単だ。 ところが逆は難しい。5を作るには、1と4とを足してもいいし、 7から2を引いたってかまわない。

」という境界をまたいだとき、情報は抽象化されて失われる。

病名は境界だから、一度ついてしまった病名を覆して、「健康人」に戻るのには相当な苦労がいる。

病名とは、いくつかの症状を足して、抽象化したものだ。

症状の原因のあるものは解決可能だし、あるものは解決不可能。 全ての原因が解決しなくても、社会復帰自体は十分に可能。

ところが、病名がついてしまった時点で、健康であったころの情報は抽象化され、 失われる。

病名がついた人は、原因の全てが解決しなければ、定義の上では「健康に」もどることはできない。

糖尿病や高血圧はいい薬がたくさんできてきて、大分コントロールがつくようになった。 みんな普通に社会生活を送っているのに、一度ついてしまった病名が外れることはまれだ。

あいまいな境界の持つ利点

あなたの病気は…とか、この病気は…という表現を使ってしまうと、 どうやったらその病気は治るのかとか、手術を受ければいいんですかとか、 話が「全か無か」的な方向にいってしまい、どうもうまくない。

健康な状態と、病気の状態というのは、本来が地続きのものだ。

そこに「病名」という変な境界が残っているから、話がややこしくなる。

「病気か、健康か」という2者択一を迫る会話のやりかたというのはお互い 好ましくない。何よりも、「完全に健康体に戻った」と言う保証が得られないと、 患者さんが退院してくれなくなったりする。

最近心がけているのが、「あなたの病名は…」というかわりに、 「あなたの症状の原因になっているのは…」という 表現を使って、その原因について話すことだ。

単なる言葉遊びにしかすぎないのだけれど、「病名」という言葉をあえて外して、 境界をあいまいにするように心がけることで、 「症状がだんだんよくなって、ある程度落ち着いたら外来へ」といった、 連続的な流れを表現できる気がする。

うまくいくとは限らない。病名をつけないと不満を訴える人も多い。 骨折みたいにそんな言葉遊びが無意味な病気も、また多い。

それでも、内科の慢性疾患の人なんかで、病名が山ほどついてしまう人などに こういう話の持っていきかたをすると、入院期間が1日ぐらいは短くなると思う。

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2005年2月25日

納得と理解とは違う

脳梗塞など、後遺症の残った患者さんの家族に退院のムンテラをする際、家族の人たちは「ずっとこの病院において下さい」と頭を下げてくる。

家族の人たちもいろいろ考えている。もちろんずっといられるわけもないことは分かっているし、一方で自宅に連れ帰ると自分達の生活が台無しになってしまうことを非常に恐れている。

結局、何をどう話しても、結論は長期療養型の病院を紹介する以外の道は無いのだが、この結論をいくら理を尽くして説明しても、素直に納得してくれる家族はほとんどいない。

自分の考えてきた最良の結論以外の方法を受け入れることは、負けることだ。人間は誰も、負けたくない。自分が一晩考えて出した結論を、目の前にいる白衣の人間が、偉そうに否定してきたらどう思うだろうか?

「ああ、先生の言うとおり自分の考えは間違いなんだな」と心から納得する人などいるわけが無い。口ではどう言おうと、「このバカ、俺の言っていることが分からないんだろうか?」と、自分の思いをもっと声高に語ろうとするのが普通の人の反応だ。

退院後の患者の介護をするのが自分達でなければ、話はもっとスムーズに進む。一応専門家である医者が「正しい」方法を説明すれば、家族は通常すぐに理解してくれ、納得してくれる。

一方、利害関係がもろに絡んでくる患者の家族との話は別だ。話を理解してくれることと、それを納得してくれることとの間に超えなくてはならない山は非常に高い。

この山を越えるための方法には大きく2つある。「そこには山がある」ということを家族の方自身に納得してもらう方法と、山自体を力ずくて削ってしまう方法だ。

前者はある意味正攻法で、正しいことをそのまま言っても相手が納得しないとき、あるいは納得できないため、理解も放棄しているときにわざと外した結論を示してみる。

「○○さんの場合はこういう選択肢もある、こういう選択肢も考えられます」と、およそ現実味の無い選択肢を並べてみると、そのうち相手のほうから「こんな方法はだめなのですか?」と切り出してくるときがある。相手の話に従うように結論をコントロールできると、納得と理解とが同時に得られる。

自分達の弱い立場を洗いざらい白状してしまうのもひとつの方法である。医者は必ずしも強い立場ではなく、別に退院にも何ら強制力は持てない、しかも長期間入院患者を抱えていると、最後は厚生省からクレームが…と愚痴モードに突入すると、「要は、悪いのは○泉内閣なんですね」と相手が同情して妥協案を示してくれる。

重要なのは家族の面子を潰さないように話を持っていくこと、そして家族に自分達がしっかりしないと、目の前のこいつ(医者)だけには頼れないな、と思わせることである。

こうした方法は、あまりやりすぎると医師が知能障害をおこしているように見えるので注意が必要。だいたい、相手をだまして結論に導いてやろうなどとあざといことを考えると、一瞬で相手に悟られる。医師ほどそうした相手の心の動きに鈍感な奴はおらず、また総じて医者という人種は交渉は下手だと心得るべきだ。

全ての交渉ごとは相手の納得なくしては終了できない。言い換えれば医者側が相手を一方的に論破することなどあってはならず、常に相手の助力あっての交渉の結論なのだと肝に命じることである。

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2005年2月 7日

パニックの制御

何かの手段で相手を驚かせ、パニック状態に追い込むと、その人が普段持っているはずの判断力が低下する。

このことを上手く利用できれば、患者やその家族の意思をある程度コントロールできる。

パニックに陥った人は、その解決策としてより簡単なもの、簡単な答えに飛びつく。

その代表的なものが 「オレオレ詐欺」で簡単に示談金を払ってしまう例であるが、これも示談金の支払いが対象のできることでもっとも簡単に見えるからである。

高齢者、専業主婦といった詐欺の被害にあいやすい人たちは、パニックに陥りやすい。こういった人たちは患者さんの介護の主力になっていることが多く、退院の決定権を握っていることも多い。

対象をパニック状態に陥れ、その人が選べる最も簡単な回答が「退院の了承」である状況を作り出せれば、よりスピーディーな退院日の決定が可能になるかもしれない。

たとえばスタッフドクターと患者家族との間に家族と仲のいい研修医をはさみ、患者の退院が上手くいかないのは研修医のせい、とばかりに患者に聞こえるところで研修医を罵倒する。

うまくいくと対象が「自分たちのせいで研修医が怒鳴られている」という心理回路を形成してしまい、退院の交渉がスムーズに進む。

研修医の可能性は無限だ。使い方によってはその悲鳴さえも役に立つ。

2005年1月 6日

相手をその気にさせる看護

訪問看護を専門に行っているナースの中に、時々マインドコントロールの達人がいる。

退院するときに介護することを嫌がる家族、無理に説き伏せて自宅に退院してもらった家族の患者は、少しでも調子が悪くなるとすぐに病院に戻ってきてしまう。

あるとき、「この人たちは絶対3週間で戻ってくるね」と病棟の誰もが思っていたご家族の場合、その訪問看護婦さんが担当してから数ヶ月、ついに1回も再入院することがなかった。自分で訪問に行ってみると、あれほど介護を嫌がっていたはずのご家族はすっかり介護のベテランになっていた。

それからたいぶ経ってその方が亡くなった後、「何かできないかと思って」と近所の介護ボランティアをはじめるようになったという。

まだ自分自身は力ずくのムンテラしかできなかった頃。その看護婦さんに家族を説得する方法を聞いたことがあるが、「とにかく誠意を持って説得、指導するだけですよ」とのことだった(ずいぶん昔の話だが、少なくとも秘伝に相当する話は出なかったように思う)。

今から思うと、その看護婦さんの担当していた家族の顔は病院を退院するときの悲壮なものとは打って変わり、明るくなっていた。訪問先の家の中で何があったのかはわからずじまいだが、とにかくその人が訪問してしばらくすると、患者さんに対する家族の価値観が180度反対になることが珍しくなかった。

某カルト団体の7days合宿は北海道のユースホステルなどを借り切って行う。少ない食事、少ない睡眠時間、朝から始まる説法の3点セットを毎日続けると、3日目ぐらいから参加者の表情が変わる。7日目には団体の厳しい生活が心から楽しいと思えるようになる。

方法論こそ違え、訪問看護の人たちは家族の介護に対する価値観を訪問という行為を通じて書き換えようとしている。それが上手くいっているとき、医者が不必要にしゃしゃり出てもろくなことがない。

今よりもっと馬鹿だった頃、何か自分の「存在意義」が失われてしまうような気がして家族に対して権威的に出てしまい、訪問看護婦さんの苦労をぶち壊しにしてしまったことが何回かある。当時は、自分がやってしまったことにも気がつかなかったが。

2005年1月 5日

相手をその気にさせる技術

退院のムンテラの後押しなどに心がけていること。

相手のインテリジェンスに関係なく、平常心の人はこうした心理学的なテクニックには耐性ができている。一方何らかの手段で心の平静を失った人は、驚くほどこうしたテクニックに引っかかりやすくなる。何らかの方法で家族の心を「崩す」テクニックと、ここで紹介する「決断させる」テクニックとを上手く併用できる人はいい詐欺師になれる。なかなか上手くはいかないけれど。

スモールステップの法則

大切なのはまずは少しずつ誘導して興味を持たせ、そこで相手が踏み込んできたら必ず何か手ごたえを返すことである。

退院を渋る家族に本格的な退院の話をする前に、まずは経管栄養とおむつ交換を手伝ってもらう。それが上手くいったことをスタッフが誉めそやすと家族は「やってよかった」という印象をもつ。その後インスリン注射や薬の調製など、徐々にできることを増やしていき、「○○ができないから自宅では看られません」という言い訳を事前につぶしてしまう。

行動の強化

結婚詐欺などでは、最初は小額の借金を繰り返してはすぐ返すことを繰り返し、対象から信用を勝ち取っていく。このとき詐欺師は何度も「ありがとう」という言葉を繰り返すことで、対象に「お金を貸す=人助けになる」という回路を作ってしまう。

外来や病棟などでも、何か些細なことを協力してもらうたびに必ず主治医に礼を言わせる。これを繰り返していくと、家族は「いい人」であろうとして主治医の頼みを断りきれなくなる。結果、退院のムンテラがスムーズに行くことが多い。

同様に、笑顔の多いスタッフの外来は往々にして回転が速い。これもまた「悪くなった」といって主治医の微笑を崩したくないという患者の心理を上手に利用している。結果、主治医に体の不調を訴えられなかった夜になって、患者が救急外来に「急変して」やってくることになる。

"フットインザドア"テクニック

強引なセールスマンがドアの間に足をこじ入れてくるもの。少々強引であっても、とにかく対象の足を止めてしまえば相手は断りにくくなる。催眠療法の詐欺などが有名。

たとえば在宅退院を渋る家族にまずは介護保険の申請をやってもらい、次に在宅ベッドの借用相談を行ってもらい…と徐々に在宅への話を進めていくと、そのうち規定路線から降りられなくなってしまう。書類ものは"サインをする"必要があるため、これもまた家族が退院を断りにくくするのに大きな力になっている。

相手に貸しを作る

最初に無茶な要求を出し、わざと相手に断らせることで、相手に罪悪感を作る。その後に本当の要求を通してしまう。霊感商法などでは、まず最初に親身になって対象の話を聞く。その後数百万円もの壷の購入を勧めるが、これはあくまでも断られるのが前提のものである。本当の目的はその後に出てくる数万円のセミナーへの参加であったり、もっと安価な商品の購入である。対象は最初に断った負い目から、こうしたものに飛びつく。

退院の話をする際、しばらく歓談した後まずは突然退院日を切り出し、それを断られたら訪問看護の話を切り出すと、退院へ持っていける可能性が高まる。

また、ムンテラ中に突然のCPR呼び出しをかけてもらい、そのまま退院の話を続ける。「いい人」の家族だと、救急外来でCPRを受けているであろう患者に目の前の医者がいけないのは自分たちのせいだ、と錯覚してくれる。こうなった家族に退院の話をするのは楽勝である。

良いイメージの条件付け

タバコのCMでさわやかな画面を流す、男らしい俳優にタバコを吸わせる等の方法でタバコに良いイメージを関連付けさせる。高血圧や糖尿病等、症状の出てこない病期の人の服薬コンプライアンスを挙げるときにこれを利用する。あなたの飲んでいる薬はこういう効果が期待できる。こんな論文があって、こんな歴史経過で作られたといった無駄話を外来のたびに行う。

血圧がまた上がった、A1Cがいくつになったという話よりも、よっぽど服薬率が維持できるように思う。

逆に、悪いイメージとの関連づけは自分の中では禁じ手にしている。

高血圧を放置すると将来こうなる、糖尿病が悪くなると失明するといったネガティブなイメージをあまりにも強調しすぎると、実際にコントロールが悪化した際に患者が病院に来なくなってしまうことがある。同様に、院内肺炎や痴呆の進行の恐れを理由に退院を迫るのも、次に患者さんが悪くなったときの病院のイメージが最悪になってしまい、本当に必要なときに病院に来なくなってしまう恐れがあるのでほとんど行っていない。

また、悪いイメージで対象に圧力をかけるには、「これをしておけば大丈夫」という回避策を作らないと効果がない。我々の業界に「大丈夫」なものなど何一つなく、このことも恐怖で対象を煽るのを困難にしている。

一貫性の法則

口にだした信念は曲げたくない。人は、ひとつの意見や物の見方に対して、ある立場をとることを明確にした場合、どんなにそれに反対する意見や証拠があっても、強固に自分の立場を守ろうとする。有能なセールスマンは、一貫性の法則を賢く、それとわからない方法で利用している。

セールスマン:コストを削減して、利益を増やすことは
       とても大切なことだと思いませんか?
相手    :はい、もちろん。
セールスマン:もし私たちの製品が御社のコストを削減して、
       利益を増やすことができるとしたら、
       使ってみたいと思いませんか?

有能なビジネスマンは、いきなり2番目の質問をぶつけたりしない。残念ながら多くのビジネスマンがそうしてしまっているのだが。

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2005年1月 4日

机の配置

話しあいをする際の部屋や机の配置に関する注意。

小さな部屋にたくさんの人が集まると、気分が高まり仲間意識が生まれる。イギリスの議会などは、この効果を高めるために全議員の3分の2が座れるだけの座席しか用意していない。通常出席する人数はこの程度だし、重要な議事の際には立ったままの人が現れるが、それが緊急性の雰囲気を高めることにつながる。

一方で、この効果は退院を渋る家族との話し合い、クレームの対処といったときには向いていない。相手の力がすべてこちらに集中しやすく、また多人数を相手にした際には雰囲気が殺気立ちやすい。こうしたときにはむしろ、広い部屋を用いたり、あえてナースルームの隅を借りてムンテラを行ったりすると相手の気を殺ぐ効果が期待できる。

議論のエネルギーを効果的に高めるためには、議事録を張ったホワイトボードを半円形に囲むような椅子の配置が推薦されている。議論から何かを生み出そうとする際には、テーブルを囲んで座ってはならない。テーブルを置くことはわざわざ垣根を作るような物で、お互いの信頼関係を築くことが難しくなる。

逆に攻撃的な家族を相手に話しあいをせざるを得ないとき、テーブルはメモや飲み物を置くための台になるとともに自分を守る防波堤となる。いろいろな書類が目の前に散乱していると、それを読んだりしているうちに注意力が散漫になる。

円形に座ると、向かい合った人どうしがエネルギーを交わすことになり、医療者側に家族のエネルギーが集中するのを防ぐことができる。この配置は、もっとも攻撃的な相手は目線を合わせようと医療者から最も遠い座席に座ることが多くなる意味でも効果的な配置になる。

空席をうまく利用する。単に席が空いているというだけではなく、空席は会議室にあいた穴のような物で、議事のエネルギーを逃がす効果がある。

2005年1月 1日

攻撃的な家族との対話

み○も○たの手先なのか、「医者はこちらが監視しないとすぐにミスをする」とばかりにやたらと攻撃的な口調になる患者の家族がたまにいる。医師として普通に接していれば通常は何事もなく退院してくれるが、対処のしかたを間違えるとえらいことになる。こうした場合の対処。


攻撃の意図を探る

医師に対する攻撃は、自分たちの主義主張に注目してもらうための手段になることもある。仕事がないこと、出自や経歴に対する負い目などが医師を攻撃する本当の理由になっていることがあり、注意を要する。こうした家族に「自分たちは正しい治療をしている」といくらアピールしたところで、その攻撃性が減ることは絶対にない。

大事なの相手の動機が何であれ相手の「面子を立てる」ことで、白衣効果を信じて権威的に接したりすると火に油を注いでしまう。

攻撃に対する馴れを見せてはいけない

入院期間が長くなってくると、病棟スタッフもこうした攻撃的な家族との接し方に慣れてきてしまう。一方、攻撃的な家族は何かの意図のために注目を引く手段として医者に対して攻撃的なふるまいをする。この2つから推測できるように、家族の戦術はだんだんとエスカレートする可能性がある。

相手に攻撃されていると感じた場合、「あなた方の攻撃は効いていない」という態度に出るのはむしろ逆効果で、常にある一定のダメージをこうむっていることをアピールしたほうがよい。売り言葉に買い言葉で「訴えたければどうぞ」「そんなにいうなら紹介状書きますけど、転院します?」などと対応すると大変なことになる。病院長へのクレームの手紙程度ですむはずだったところが、ある日いきなり弁護士が病院にやってきたりするかもしれない。

集団の流れをコントロールする

多人数で面談にきた家族の扱いを誤ると、攻撃的な集団に変容する可能性がある。正面衝突を避けるには、人の流れを変えるためのいくつかの方法がある。

言葉で伝える代わりに、レントゲン写真のようなシンボルを使う。家族の注視を医者自身から外せるだけで、ずいぶんと対話がやりやすくなる。

説明する医師の立ち位置と画像を置くシャーカステンとの位置はあえて別の場所にする。攻撃的な家族の人は医師のすぐそばに座ることが多い。こうすることで「画像をお見せします」といって違和感なくその人から逃げられる可能性が出てくる。

大きな群集は細分化する。家族の集団と対面して座るのは最悪で、むしろ中央に大きな机を置いて攻撃的な人と物理的な距離をおいたほうが良い。あるいは家族には長いすに腰掛けてもらい、1列になった家族と対峙するのではなく、医師もまたその一方の端に座って話をするようにすると集中攻撃を避けられる。攻撃的な人は身を乗り出してくるが、医師が座っている限りは椅子の座面以上に身を乗り出すことは不可能になる。

もともと敵意のない群集に対しては、監視カメラがあるだけで反社会的行動を阻止できる。ムンテラをナースルームの隅のような人通りの多いところで行うだけで、ある程度は攻撃的な意思の抑止力になる。


イスラエル式テロ対処マニュアル―爆弾テロ対応の手順より。

2004年12月29日

退院交渉のノウハウ

人質をとって立てこもった犯人との交渉技術は自分たちの領域でも応用できそうなものが多い。

患者さんやご家族は犯罪者ではないし、要求が「病気が良くなること」であるうちは、医師と利害が相対することなどありえない。しかし、要求が「できる限りの入院期間の延長」である場合、話は違ってくる。

病院というところは一度入院してしまうと、医療者側に退院の決定権はない。「強制退院」などは、実際にやろうとすれば大変な覚悟が必要で、退院後に何かあったら必ず大きなトラブルになる。

転院先の老健施設はコストが高いわりに人手が少なく、サービスは十分に行き届かない。急性期病院は保険も効き、スタッフも十分そろって安心。家族はすべて「お任せ」にしておけば、何から何まで面倒を見てくれる。

高齢者の入退院を何度か繰り返せば、ほとんどの家族は急性期病院の長期間入院がもっとも「お得」であることを見抜いてしまう。大体、老健施設は解除の人が1日2回見回るだけで1ヶ月に40万円、救急病院ならバイタル4検体制であっても医療費は事実上タダ。どちらが得なのか、誰でもすぐに分かることだ。

東京の人は何が正しいのかを見抜くのが早い。都立の病院などでは、退院のムンテラをすると弁護士が付き添ってくる。高いお金を出してサービスの悪い老健に移されるぐらいなら、弁護士を雇って都立病院に2-3年置いてもらったほうが家族としてもはるかに安くつく。患者の予後も多分そのほうがいいだろう。困るのは医療従事者だけ。これをやられると病院がパンクする。

実際問題、本気で開き直った家族に退院のお話をしても医療者側にまったく勝ち目はない。まだかろうじて白衣の力が効く相手、医者を怒らせると「強制退院」が本気で執行されるかもしれないと思っている家族には、まだなんとか交渉の余地がある。このあたり、警察よりも我々のほうがずっと交渉の分が悪い。

以下、普段気をつけるようにしていること。

まずは聞き役に徹し、家族に話をさせる。相手の家の事情、困っていることなどとにかく口をはさまず聞く。お互いの連帯感情を構築するためには必須である。売り言葉に買い言葉ほど危険なものはなく、とにかくまずは聞く。

怒りながらムンテラにのぞんだ家族であっても、その精神の緊張状態は30分ほどで終わる。この間聞き役に徹していると、だんだんと落ち着きを取り戻す。交渉はこのタイミングを見計らい、アプローチしていく。

交渉者が医者としての権威的な立場を崩さないと、家族は絶対に抵抗する。相手の感情を逆なでせず、問題を一緒になって解決する存在であることを認識させなくてはならない。

大きな声でしゃべるのは問題外で、相手との公平な立場を構築することができず、家族と医者との間に明らかな力関係を作ってしまう。家族も大声で対応しなくてはならず、心理的にも抑圧されてしまう。相手を疲れさせれば勝ち、という考え方は絶対に通用しない。

人は誰でも、第一印象を基準に物事を判断する。退院日のことだけを気にかけている素振りを少しでも見せると、家族は敵意をむき出しにする。話題の中心は患者さんの病状にするべきで、穏やかに接することが大切である。

家族の話し方に、交渉者も口調を合わせる必要がある。相手に合わせずに一方的な話し方や言葉遣いをすると、その気はなくとも教育水準や環境の違いを馬鹿にされたり、見下された印象を相手が持つ可能性がある。(これには全く逆の意見もあり、医者が口調をくだけさせてはいけないという人もいる。)

2004年12月24日

人質交渉

人質を取った犯人との交渉のテクニックは、我々の現場でのさまざまな交渉ごと、たとえば退院を渋る家族の説得や、治療の結果についていろいろクレームをつけてくるような人との交渉にも応用できそうな気がする。ただ、そうしたノウハウを実際に公開している組織は少なく、なかなか参考になる資料がない。

静寂の叫び」は小説だが、こうした人質交渉のテクニックについて詳細に記されている。どこまで本当なのかは小説なので分からないが、それでも参考にはなると思う。

紙の真中に線を引き、左側には「約束」、右側には「嘘」と書いておく。交渉人が犯人に約束すること、嘘をつくことをすべてそこに書いておく。嘘つきの名人になるには優れた記憶力が必要とされる。

犯人の目的はテロリストとは違う。誰かを殺すためではなく、自分が逃げることだ。十分な時間を与えてやれば人質というものが極めて厄介な荷物であることに気がつくはずだ。

犯人と人質は、なんとしても一緒にしておかなくてはならない。

交渉担当者は、できるだけ人質の事を話題にするのを避けなくてはならない。人質には取引材料にするほどの価値はないのだと、犯人たちに思わせるためだ。

相手が話しにのってくるかどうかが常に最初のハードルとなる。無口な犯人こそが危険であり厄介なのだ。

人質解放交渉は、繰り返し妥協の限界を試していくことにほかならない。交渉を続けていく中で、単刀直入な要望はしばしば驚くほどの確立で聞きいらられるものだ。頼み事をした後は、ただじっと黙っていればいい。

相手に対して自発的に寛容な態度に出ることで、相手を守勢に立たせることができる。相手に借りを作ることで、攻守の立場を入れ替えることができるかもしれない。

もちろん患者さんは犯人などではないし、クレームの内容と人質とはまったく質が異なる。

しかし、こうした交渉ごとの技術について、医療従事者はあまりにも無知であり、他の業種からこうした交渉ごとのテクニックを学ぶ必要はあるように思う。

基本的に医師は患者に対して何一つ強制力を持てず、治療の拒否もできない。退院にしても、相手が納得しなければこちらから強制的に退院日を決めることなどできない(某国立病院など、某首相の御母堂は10年以上も個室を占拠していた)。

今の状態はいわば「やられっぱなし」なのだが、それでも数年前までは患者様サイドの良識にすがり、何とか機能していた。今は違う。有名人の高齢者介護の手記の中にも「いろいろ調べてみると、介護型の病院よりも急性期病院に長く入院したほうがコストが安く、看護の質も高いことが分かった。主治医と交渉し、今の病院にずっとおいてもらうことにした。」などという記述が平気で書かれる。

介護保険の実質的な給付削減も本決まりになり、今後はますます退院のムンテラは厳しくなる。なにしろ治療が上手くいって、短期間で退院にまでこぎつけたところで、家族からしてみれば「余計なことしやがって。もっと長く入院させろ。」と言われる時代だ。

医者は神様じゃないし、政治にコミットするのも趣味じゃない。技術者らしく、与えられた状況の中でベストを尽くすことを目標に働いてきたが、退院のトラブルに対しては正直限界に近づきつつある。

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