2008年3月12日

アートとクラフト

「クラフト」というのはまず素材があって、そこから何が作れるのかを考える立場。

「アート」というのは、まず作りたいものがあって、その表現手段として、 素材が選択されるやりかた。

技術はたぶん、「アート」から始まって「クラフト」へと移行する。 成熟して、確立した技術が、今度は「素材」となって使われるようになる、 そんな流れがあるんだと思う。

ボブの絵画教室

アメリカの画家ボブ・ロスは、「アーティスト」ではないんだそうだ。

人気番組だった「ボブの絵画教室」の中で、ボブは「簡単でしょう?」を くり返しながら、すごいスピードで風景画を仕上げていく。 30分ほどの番組なのに、出来上がった風景画はたしかにすばらしくて、 何よりも筆を動かすボブの手に迷いがなくて、あの番組それ自体が芸術なんだと思ってた。

ボブ・ロスの絵画はきれいで、絵を描く行為それ自体にも娯楽としてのおもしろさが 備わっているのに、伝統的な芸術家は批判するらしい。

ボブの絵画は、あくまでも表層的な手法できれいな絵を描くやりかたであって、 画家の内面に、何か描きたい物があって、それを表現しているわけではないから、 あれは「クラフト」ではあっても、アートではありえないのだと。

「そんな立場を取らないと食べていけない人がいる」というのは、何となく理解できるけれど、 そんな芸術なら、とりあえず自分はいらないかなとも思う。

中国には、芸術家の贋作で生計を立てている村がある。

村一番の「ゴッホ名人」が取材を受けて、カメラの前で「ひまわり」を描いていた。 もう何百枚も同じ絵を描いているからなのか、筆には迷いがなくて、 素人目にはいかにも「ゴッホっぽい」、スタジオの専門家も「いい絵ですね」なんて コメントしてた。

「ゴッホはいいですね。描きやすくて

工芸作品としてのゴッホは、「ゴッホ名人」のこの言葉がすべてなんだと思う。

芸術作品としてのゴッホの付加価値は、あの時代だったとか、奇行が目立ったとか、 自殺したとか、あとはもうひとつ、あんな作風を初めて作ったとか。

芸術を評論する人達は、バックグラウンドの付加価値にはあんまり言及しないけれど、 作家としてのゴッホを理解してるのは、ゴッホに何億円もの値札をぶら下げて大儲けする評論家なのか、 何百枚もの「ひまわり」を描きつづけている「ゴッホ名人」の中国人なのか。

ゴッホが今生きてたら、やっぱり中国人と握手する気がする。

頭を使うと予後が悪くなる

近所で開業している先生から、心臓悪くした人がよく紹介される。

みんな同じように血圧高くて、同じようにちょっとだけ血糖高くて、 たいてい腰痛持ち。みんなまるで、判で押したように同じような患者さんなのに、 処方される薬はみんな違う。

入院依頼があって入院してもらって、たいていの場合、薬を全部止めると治る。

心臓治療に使う薬は、この10年ぐらいでほとんど確立している。原疾患が 心筋梗塞だろうが弁膜症だろうが、拡張型心筋症だろうが、使う薬は全く同じ。 薬もよくなって、適当に出しても何となく効いてくれるから、量を調整する必要もない。

自分が普段心不全の患者さんに出している薬は、9割までが全く同じ処方で、 量も同じ。調整する人もほとんどいない。頭使って頑張ると、 病棟が混乱するので、最近はかなり意識的に、頭を使うことを放棄するようにしているけれど、 結局それで問題は生じない。

自分が診察している患者さんは、だから点滴も一緒で、飲んでいる薬も全く同じだから、 原理的にはトラブルが発生しない。患者さん間違えても、同じ薬が行くはずだから。

それでも他人様が作ったクリニカルパスを受け入れるのにはものすごい抵抗があって、 ちょこちょこ書き替えては顰蹙買ったりしているのだけれど。

アートとクラフトのこと

技術は発見されて成熟して、確立したあと、今度は「素材」となって、 次世代の技術者に立ちはだかる。

素材化した技術を前にした技術者は、「アーティスト」として、素材を制圧する道を選ぶのか、 それともクラフトマンとなって、素材を受け入れ、素材に使われる道を選ぶのか、 そのとき自らを試される。

クラフトを志向する技術者は、素材に敬意を払う。確立した、「つまらない」技術を組み合わせて、 信頼性の高いプロダクトを作ろうと努力する。クラフトを極めていくと、 出来上がる製品は「ばらつき」が少なくなって、より「つまらなく」、 より「ありきたりな」、あたかも機械で作ったような方向へと進化する。

アートを志向する技術者は、何よりも「内なる情熱」を持ちつづけないといけない。 アーティストには、まず作りたいものがあって、その情熱に動かされる形で 素材を「制圧」して、素材上の何かを作らないといけない。大切なのは 「未踏」であって「未知」であることだから、もちろん信頼性なんてないけれど、 新しさが受け入れられれば、その技術者もゴッホになれる。

恐らくはもっとも無残な状態が、芸術引き受けるだけの才覚ない人が、 工芸品で十二分に間にあっている場所で、「芸術家」を気取ることなんだと思う。

それが素人絵画なら、ただのかわいそうな人で済むけれど、 医療みたいな現場では、「芸術家」はしばしばとんでもない失敗をしでかす。

ベテランはベテランなんだからこそ、「医療は本来ものすごくつまらない事のくり返しなんだ」 ということを、自ら認めるべきだと思う。

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2008年2月12日

量産型はダテじゃない

昔から救急外来という場所が好き。怖いし疲れるし、 最近は、いろんな人から文句言われたり訴えられたり、 ろくなことが起きない場所なんだけれど、それでもやっぱり救急が好き。

リスク回避の手段を前から考えてる。リスク管理の問題さえ解決できれば、 この場所にはまだまだ、昔みたいな賑わいが戻ってくるだけの楽しさがあるはずだから。

最初の頃は、技術の向上それ自体がゴールだと思っていた。

自分なんかよりもはるかに高い技術を持った人達が、次々と刺されて現場を去っていくのを見て、 大事なのは技術じゃなくて、むしろ交渉能力なんだと思った。

交渉のやりかたとか、人質交渉人のマニュアルとか、ちょっと外れて新興宗教の洗脳手法とか、 とにかく「交渉」に関係することをあれこれ調べた。

それは多少の役に立ったけれど、本当に怖い人達は、交渉というルールの枠外にいた。

「刺す」行為はそもそも引き合わない。何かの目的があって交渉を持ちかける人達は、 それをよく知っていて、その人達を相手に交渉の技術を磨いたところで、 自分が刺されて倒れる確率は、あんまり変わらない。どんなに交渉が上手であっても、 医師が救急外来に立ち続ける以上、いつかは刺される。

医師が現場に立っていて、何かの判断を行ってる部分こそが問題なんだと、何となく気がついた。

判断のマニュアル化。医療の現場から医師の裁量を減らすやりかたは、 たぶん現場を様々な患者さんから守るための、強力な盾として作用する。

防衛手段としての接客マニュアル

「スマイルゼロ円」なんて、現場の人間に頭を使わせない、 マクドナルドの接客マニュアル。あれはたぶん、お客さんに均一な笑顔を提供する役割と、 「笑顔が嫌いなお客さん」みたいに特殊な顧客から、現場を保護する役割とをあわせもつ。

マクドナルドに入れば、スタッフはみんな笑顔。このへんはたぶんマニュアル化されていて、 おまけにもう一つ、「スマイルゼロ円」は、ほとんど公知のものとして公開されている。

仮に、笑顔を向けられるとものすごく不愉快になるお客さんがいたとしても、 そんな人は本来、最初からマクドナルドには入らない。「マニュアルに強制された笑顔」 が公知のものならば、「マクドナルドに入ると笑われる」ことを知って入った客さんだって、 責任が発生するはず。

あらゆる種類のお客さんに対して開いている職場は、様々なクレームに翻弄された 帰結として、きっとマクドナルドの接客マニュアルみたいな、 現場を「無脳化」するやりかたにたどり着く。

万能の防衛手段は作れない。

どんなにきちんと接客しても、その行為自体を「不愉快」と定義されれば反論できないし、 スタッフが訴訟に巻き込まれたら、現場の士気は下がってしまう。 接客なんて行為に正解は存在しないからこそ、会社側が唯一取れる防衛手段は、 「会社としての正解」を作ってしまって、それを誰の目にも止まる場所に公開しておくことなんだと思う。

プロトタイプ幻想のこと

量産品に対する生理的嫌悪感というのは、何となく技術系に共通する思い。

凡庸な量産品の群れを、すばらしい性能を持ったプロトタイプが打ち破っていく物語はみんな 大好きだったり、長年かけて改良されてきた欠点だらけの量産品を見せられると、 何となく一から作り直したい欲求にかられたり。

「量産品」は、伊達じゃない。

限界性能を目指した実験室グレードの試作品は、発注段階では全てを理想条件で設計するから、 当たり前のように初期性能を発揮できない。部品が特殊だから交換きかないし、 信頼性なんて考えられない。

限界目指してること。不安定であること。信頼性が低いこと。 どこから壊れるのか分からない予測不可能性は、物語世界ではプロトタイプの魅力として 語られるけれど、実世界ではもちろん通用しない。

量産されて、市場の検証を十分に受けた製品は、安定していて、挙動が読める。 何がおきても、それは予想の範囲だから、信頼できるからこそ「つまらない」。

「ガンダム」とか「宇宙戦艦ヤマト」みたいなプロトタイプには、本当は勝たせちゃいけないんだと思う。 全人類の期待を一身に背負ったプロトタイプは、性能が劣った敵側の量産品に 囲まれて、そのうち故障が頻発して、部品が足りなくなって、結局人類滅亡するのが正しいはず。

部分の最適化は、必ずしも全体最適につながらない。

プロトタイプは、いい部品の寄せ集めで作られていて、 状況ごとのピーク性能はたしかに高いけれど、個々の「よさ」をいくら集めたところで、 それは全体としての「高性能」にはつながらない。

「安心できる医療」みたいな高性能を目指すとき、個々の医師が「いい医師」目指す今のやりかたは、 「プロトタイプの幻想」に縛られてる気がして、間違っているように思う。

マスメディアが絶賛するような「いい医師」像をいくら追求しても、あの延長線上にはたぶん、 「安心」は現れない。定食屋的な、量産品的なやりかたは、「いい医師」とは異なるけれど、 「安心」にはよほど近い気がする。

みんなが判子で押したようなやりかたをする医療は、つまらない。つまらないからこそ、 医師の判断は見通しがよくなって、見通しのいい構造は、結局信頼につながっていく。

みんなが同じことを繰り返せば、どこで間違うのか、どこで悪くなるのか、そんなデータを共有できて、 技術を「枯らす」ことができる。今みたいに、みんながカスタムメイドの医療目指して、 一人一人がピーク性能目指すやりかたやってると、信頼性はいつまで経っても上がらない。

マニュアルに縛られたやりかたは、最初のうちは無様で信頼性も低いだろうけれど、 間違いが生じても、それを改良して前に進めるやりかたを示せるのなら、そこから 「信頼」を生み出せるはず。

行為の定義化が開く未来

防衛手段としてのマニュアル医療を、やっぱり現場の偉い人達は、 もっと真剣に考えるべきなんだと思う。

「証拠に基づいた医療」に基づいた診療ガイドラインとか、学会が作った外傷のガイドラインなんかは、 患者さんを守ることに特化しているぶん、まだまだ踏み込みが甘いし、 あれでは受け入れられない。

医学的には正しいけれど、現場を守る視点がないやりかたでは、 結局現場は回らない。

アメリカの警察マニュアルなんかでは、自らの身を守る手段を確保してからでないと、 犯人には近づけない。一番危険な鉄火場では、防御を確保してからでないと、 現場の理性を担保できないから。

現場が100%スペックどおりに動くことを想定する、名人芸を「当然のもの」として要求する、 「患者さんのための」ガイドラインというのは、医師の生存可能性を考慮しないぶん、 結局それは、患者さんの不利益につながっている気がする。

「エコーを用いて腹腔内出血を診断する」なんてサラッと書いてあるようなマニュアルは、 あれは偉い先生が「俺はこんなことまでできる男なんだぜ」みたいな、 その人の実力を誇示する道具ではあっても、現場を守る役には立たない。

それをもらった現場が、あまりの馬鹿さに絶句するぐらい、 「馬鹿向け」に作った診療マニュアルを学会が出して、 それを広く一般の人達に公開するのが、結局正解なんだと思う。

症状から検査のセットを呼び出して、診断をパスして治療が始まる、 そんな手順書が一般公開できれば、 たとえば「あなたの訴えを持って病院に行くと、こんなことをされて、○万円請求されますが、 いいですか ?」みたいな情報提供だってできるはずだし、患者さんの主訴それ自体が、 診療の「要件定義」として医療機関を駆動するようになる。

患者さんが「とにかく調子が悪い」みたいな主訴を選択すれば、 それによって莫大な検査コストが発生するし、 その患者さんが「治療」にたどり着くまでの時間も余計にかかる。 その患者さんがもっと詳しい経過を 説明すれば、それだけ検査は減って、より安価に、短時間で治療までたどりつける。

無脳化した、現場の判断を放棄した医療というのは、 だから自分の身体に対して自覚的な人が得をして、 無自覚な人が損をする構造が実装できる。今は全く逆。 身体に無自覚で、声が大きな人が、 現場の限られたりソースを総取りしてしまう。

診療手順を全て公開すれば、たとえば医療機関を意のままに動かしてみたり、 あまつさえ「医療機関に自殺の手伝いをさせる」なんてことすら可能になるんだろうけれど、 それでいいんだと思う。我々はしょせん道具であって、お金を払うのは 病院に来る患者さんなのだから。

医学的には、そんなことは正しくないんだけれど、 無脳化した現場、「患者さんの声」駆動型の組織というのは、あらゆる人に対して 門戸を開いた組織が最後にたどり着く先として、必然なのだと思う。

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2007年9月 9日

機械親和的な問題定義言語

正しい問いは答えを含んでいる

たとえば「このだるい身体を何とかして下さい」という問いには誰も 答えを用意できないけれど、「40代やせ型女性。半年前からの動悸、体重減少、 発汗。診断は?」なんて問われれば、国家試験前の学生ならば 10人が10人、「甲状腺機能亢進症」なんて答えを返す。

google 先生なんかはこのあたりもう少し優秀で、同じ単語を打ち込んで検索すると、 糖尿病とか、過敏性腸症候群とか、拒食症、癌なんか、他の鑑別診断も引っ張れたりする。

たぶん、世の中で「技術者」と呼ばれる人がやっていることの半分は、 問題を定義することで、残りの半分は問題を解決すること。 問題をより深く追求したり、あるいは技術をもっと先に進めるのは、 どちらかというと科学者の仕事。

原始的な言葉と流暢な言葉

大昔の植民地時代、いろんな国から白人の植民地に釣れてこられた人達は、 お互い言葉が通じなかった。

話せないのは結構つらいし、共通の言語セットになりうるのは、白人が 喋っている英語しかなかったから、彼らは何とか英語を学んで、 最初は単語と単語をつなぎ合わせて、そのうち原始的な文法が そこに生まれて、「ピジン英語」という、原始的な英語を作った。

ピジン言語は流暢さには欠けていて、その言葉は決して美しくは 聞こえなかったけれど、文法はシンプルで、学びやすかったのだという。

言葉というのは恐らく、違った分化が衝突したときに新しい「ピジン言語」 が生まれて、それが新しい集団の中で使われるようになると、 今度はより流暢な方向へと変化する。

いろんな業界で使われる専門用語、あるいはジャーゴンといったものは、 オリジナルな日本語に比べると、なんだか内輪感が強くて、 技術者同士はお互い打ち解けて話しているんだけれど、 その内容が外に伝わりにくい。

こんな変化は、たぶん言葉の進化としては正常なんだけれど、技術のタコツボ化を 生んでしまったり、あるいはその言葉があるおかげで、 解釈の混乱を招いてしまったり。

翻訳エンジンを駆使する子供

梅田望夫氏が以前、韓国の子供から英語の手紙をもらった経緯を文章にしていた。

英語もろくに話せないはずのその子供は、それでもインターネットの翻訳エンジンを 駆使して英語を書いていく中で、翻訳エンジンに乗っかりやすい韓国語というのを 独自にアレンジして、比較的流暢な英文手紙を書いたのだそうだ。

素直に英語学べよ、なんて思うけれど、こんな言葉の進化というのは、 たぶん今までの言語発達の方向とは逆に向かっていて、ちょっと面白い。

あえて自分の言語を崩して、機械により親和的な中間言語を作り出すというのは、 要するに、人間が機械というものを「衝突するに価する文化を持った相手」として いよいよ認識しはじめた、そんな意味あい。

翻訳エンジン、検索エンジンが相当程度に発達した現在、 専門分野を全て学ぶより、専門家でない人達の言葉を 専門領域の問題定義言語に変換できれば、 あとはそれを機械処理にかけてしまうだけで、答えを導く部分は機械任せにできてしまう、 もうそんな時代はとっくに来ていて、あとは言語定義の問題だけが残ってる。

具体案

たとえば年齢は10年ごとに10段階。「締めつけるような痛み」なんかは不可表現で、 「痛み。胸。締め付ける。」みたいな書きかたを医学部のある時期に強制してもらう。

症状を定義する言葉というのはそんなに多くなくて、病名につながる単語はせいぜい数百。

皮膚の色とか手触り、音やら触ったときの硬さやらを定義したって、必要な単語は、 いいところ3000ぐらいで済むような気がする。携帯電話なんかに入っている 「予測変換」の辞書単語数がたぶん2万ぐらいだから、それに比べても圧倒的に 少ない語彙でいけるはず。

それを実際に発音すると、たぶん原始人がしゃべっているような、 お世辞にも頭良さそうには聞こえない、そんな言語セットが作れる。

面倒なのは、普通「専門用語」といえば、今までの言葉からさらに語彙を 増やしていく作業になるはずなのが、 それとは逆に、極めて限定された語彙で、今までの日常会話を表現する訓練を する必要がある部分。それは恐らくは今までの語学の授業みたいには 行かなくて、医療なら「医療用問題定義言語」を学んだ人達と1週間ぐらい合宿生活をして、 その間に自分の語彙を減らしていくような、そんなやりかたをしないと覚えられないと思う。

人間側さえこんな言葉を覚えてしまえば、機械側の準備はある意味楽。

予測変換のやり方で、「次に来る単語」を確率論的に予測していくだけで、 たぶんそれなりの精度で病名にまでたどりつけるだろうし、ベイズフィルタみたいな ものを使って、打ちこまれた病歴から予想される病名を羅列しても行けそう。 いずれにしても、言語認識の部分を実装しなくてもいいならば、 そんなに大げさな話にはならないはず。

何ができるのか

医師のお仕事、「問診、触診を経て検査を出して診断を決めて、そこから治療プランを立てて…」 という流れの7割ぐらいが機械化できる可能性がある。

言葉の問題定義言語化というのは、恐らくは純粋に語学のお話で、 生理学とか、解剖学の知識は無くてもいいか、少なくとも今までよりも少なくて済むはず。

理学所見は?なんて疑問は当然でるけれど、たとえば鍼灸師の人達は、 医学なんかじゃなくて、気とか経絡とか、西洋医学とは違った立場から 身体を診るけれど、彼らは医師よりも短い養成期間で、医師よりも多くの語彙を駆使して 身体を表現できる。

それは医学とは全然違うものだけれど、「身体所見を機械に理解可能な形に翻訳する」 という工程には、少なくとも医学知識の出番はそんなに無いはず。

機械仕掛けの神様のこと

問題定義のための言語セットがその分野に実装されて、思考の全てか、 あるいはその一部を機械が手助けしてくれるようになって来ると、 今度は「専門家」というものの定義が変わってくる。

今までは、知っている人、語彙の多さが専門性を定義してきたけれど、 「何でも知っているけれど何もできない機械」が実体化するようになると、 今度は語彙をどう削り込むか、より少ない語彙でその問題を定義できることこそが 専門性を定義するようになる。

知の高速道路化。

「語彙の増やしかた」を学ぶよりは、恐らくは「語彙の削りかた」を習得するのはより簡単で、 たとえば医学なら、医学部6年を卒業するよりははるかに短い時間で、医師の真似事が できるようになる。そうなると今度は、たとえば理学部でネズミ相手に試験管振ってた人とか、 スパコン叩いて天体シミュレーション走らせてた人なんかがある日気が向いて、 ちょっと内科になってみました、なんてことが決して夢で無くなる。

いろんな専門分野に、いろんな言語セットが実装されて、専門分野を基礎から学ぶのではなくて、 自分が今知っている語彙から、機械にとって不必要な語彙の「捨てかた」を学ぶことで専門分野を 学ぶことに代えられる時代というのは、あらゆる分野の専門領域に「高速道路」が実装されて、 最先端分野の少し手前までは、ほとんど労力無く進むことができる。

高速道路が作られても、「その道を今まで歩いて来た」という経験やら、能力といったものは、 たぶんやはり必要になってくるはず。高速道路を降りた先では、やはり足で歩かないといけないから。

機械仕掛けの神様が君臨する近未来、高速道路を降りた原野には、 同じ道を歩いてきた均一な集団があるんじゃなくて、 山で足を鍛えてきた人、トラックスポーツ一筋だった人、本業は走りじゃなくて泳ぎだったり、 格闘技だったり、いろんな「鍛えた足」がそこに集まって、いろんな方向に向かって 多様性を競う時代が来る。

自分達が職を失うリスクはもちろんあるのだろうけれど、それはきっと、 すごく面白いことなんだと思う。

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2007年2月26日

優秀な技術者は優秀な需要を抱えた人に降りてくる

ひとつ前の話の続き。

何でそこまで簡単な医療マニュアル、Lightweight Language 的なやり方にこだわるのかというと、 それは「技術を深く理解していることと、優秀なアウトプットを出し続けることとは根本的に異なる」 という思いがあるため。

たとえば炎症性腸疾患という、比較的に診断の難しい病気がある。

大腸カメラを行えば診断は可能だけれど、血便とか腹痛みたいな症状を 訴えて来院する人は案外少なくて、体重減少とか全身倦怠感、 関節痛や不明熱みたいな症状で外来を受診する人もいる。

炎症性腸疾患の内視鏡診断や病理診断、病態生理や治療のやり方についての 専門知識を持っている人は確かに優秀な技術者であるには違いないのだけれど、 こんな人たちは「消化器内科」に所属しているから、不明熱で受診した人たちが 専門医に一発でかかれる可能性は低い。

こんな専門家とは対照的に、専門知識を持っていなくても、「若い女性の不明熱や 関節症状があって、他の原因が否定できるような時には大腸カメラをオーダーするのは 決してオーバーではない」という一文をひねり出せる人というのは、炎症性腸疾患の 専門家と同じくらいに素晴らしい技術者なんだと思うし、また患者さんにとってみれば、 こんな発想ができる人こそ「ユーザー本位」の考え方をする人なんだと思う。

優秀な技術者というのは、もちろん優秀な専門家であることが多いのだけれど、 残念ながら、優秀な専門家が優秀な患者需要を抱えている可能性は意外に低くて、 需要と知識のアンバランスというのは、ただでさえ人の少ないこの業界を、 更に非効率にしているような気がする。

たとえばPerl やRuby みたいなスクリプト言語というのは習得が比較的容易 といわれているけれど、そのコミュニティで「クールな」スクリプトを発表している人全員が、 C言語みたいなもっと専門的な、習得の難しい言語のプロかというとたぶん そんなことはない。

Perl しか知らないけれど、その人が作るスクリプトには すごい需要があって、もっと優秀な技術を持った人たちが「こんなところに需要があったのか」 と驚くような、そんなものを作れたりすることもあったりするんじゃないだろうか。

この業界にもPerl みたいな高級言語を実装して、例えば救急隊や看護婦さん、 検査の人たちともっと突っ込んだ会話をしたり、自分みたいな一般医と 専門家とがもっとコミュニケーションをとって、現場の言葉と専門家の知識とを 連携できるようになると強力だし、この仕事は今よりもっと面白くなる、 そんな思いがあって。

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2005年10月25日

分かりやすいマニュアルへの試行錯誤(2)

分かりやすい/読みやすいとは

以前書いた病棟ガイドもいいかげん古くなったので、今年こそ内容を書き改めたい。 できれば、もうすこし分かりやすい内容で。 洗脳とか、ゲーム脳化とか、そういった下衆な意図無しのやつを。

工業製品の取扱説明書は、読者に「読んでもらう」ための工夫、「分かってもらう」ための工夫が いろいろと考えられている。

  • 読んでもらうためには、まず読者に知識を与え、 さらに安心感を与え、同時に潜在的危機感へも訴えながら、文章内容を理解してもらう。
  • マニュアルに情報を並べる順番は、製品を開封してから電源を入れ、実際に使って見るまでを順を追って書く。 ユーザー視点での順番を心がける。
  • 最初に概略を書く。これから提示される手順がどんなものなのか、事前に分かってもらう。
  • 結果志向で書く。「○○をしてください。すると、こういったことがおきます。」という、行動の結果何がおきるかを記載する。 行動の目的については、紙面が足りないなら省いてもいい。
  • 禁止事項も、規則を破るとどんな結果が待っているのか、具体的に書く。

これを読んで、自分がどんなことができるようになるのか。 果たして読むに値する内容なのか。こうした不安感がぬぐえないと、読者は集中できない。 読者が安心して読める文章は、読みやすいし分かりやすい。

それでもなお、マニュアルを読むのは面倒だ。工業製品。曲がりなりにもプロの作った取扱説明書ですら、 まともに読みきったことなどほとんどない。使いかたが分からずに失敗したことなど何度もあるけれど、 目の前に「現物」がある以上、試行錯誤して見たくなるのが人情だ。

病棟マニュアルも同じだ。「読まないと事故になるぞ」といくら脅しても、目の前にはいつも病人がいる。 読むひまがあったら、目の前の現実をとりあえず何とかしたい。読む時間は惜しい。

伝わりやすさはお互い共有しているものに比例する

「一目見てパッと分かる」を目指すには、テキストというメディアはまだまだ非力だ。

音声メディアや映画に比べれば、テキストを読むのは圧倒的に速い。 それでもまだまだ「一目で」には遠い。

コミュニケーションを速く深める基本は、お互いの経験をより多く共有しておくことだ。 長年一緒に働いた仲間であれば、言葉にしなくても伝わる部分は増える。 同じ仕事場の仲間。同じ科を専門にしている人。同じ言語を話す人。同じ地球に住む人。共有するものが少なくなればなるほど、 新しいやりかたを共有するのに時間がかかる。

日本語という言語は、漢字があるぶん、英語よりも習得しにくい(多分)。 日本人は、言語を覚えにくいだけ、英語圏の人よりも共有しているものが多い。 日本語は、漢字を使って情報を圧縮したり、意味を画像化して共有できるため、 英語よりも伝達するのに時間が短くて済む。

習得するのにより分かりにくい言語、文法が複雑であったり、漢字やひらがな意外に多くの記号の 習得が必要であったりする言語があれば、情報の伝達はもっと速くできるかもしれない。

ビジュアル言語というもの

べた書きのテキストというのは、2次元媒体である「紙」の特質を100%生かしきれていない。

少々の改行や段落わけがあったとしても、今の小説のようなメディアは、極端な話テープのような細長い紙でも 再現可能だ。せっかく「本」という2次元の媒体を持ちながら、これはいかにももったいない。

紙は縦横に広がりを持つ空間だから、本当は各々の単語の紙面での位置や大きさ、単語間の距離や関係といった 情報をも表現できる。

このあたりを生かしきっているのは漫画なのだけれど、従来の国語文法の中には、こうした単語の位置情報、 距離情報をどう表現に生かすのかという観点は欠けている。

紙の空間情報を生かし、従来型の文章以上の情報量を持たせようとした試みは総じて「ビジュアル言語」と呼ばれる。

代表的なものはフローチャートのような「構造化チャート」、プログラムを記載するのに用いられる「UML」、 新世代のノートの取りかたとして広まりつつある「マインドマップ」といったものがある。

位置情報を併用した文章表現には、従来の文章には出来ない、以下のような特徴がある。

  • 並列表現が可能。従来の箇条書きでは順番が出来てしまうため、厳密な平等表現は不可能。
  • 読む順番を決めなくても読める。見出しは中心に、内容は末梢に配置できるので、読みたい所から読める。
  • 内容の重要さに重み付けが可能。上の方ほど重要、中心に近いほど重要といった、位置を用いた内容のランク付けが可能。
  • 流れを表現するのに適する。これは従来の文章でも可能だったが、並列、分岐、因果関係といった構造を表現するには、フローチャート型式以外では不可能。
  • 全体像を把握するのが容易。「目次」を用意しなくても、紙のどこかに重要な単語だけ集まった場所を作れる。

やはり出てくるマインドマップ

しばらく前からマインドマップを使っている。

FreeMindというソフトをいれて、 PC上でアイデア出しやまとめをするのに用いているが、 慣れるとかなり便利だ。

mindmap.jpg

今回の文章を書くのに作ったマインドマップ。大体20分ぐらいでできる。

マインドマップという考えかた自体は70年代からあるそうなのだけれど、日本語で紹介された本はどれも 自己啓発セミナーの回し者か?としか思えないようなものばかり。 本の中で紹介されるマインドマップの例も、統○失○症の患者の心象風景のようなものばかりでとても 追従する気になれなかったのだけれど、やってみるとたしかに頭の整理が速くなる。

マインドマップを書くツールはたくさんあるが、 創始者公認のMindManagerというツールはLaTeXとの連携が可能 (PDF出力が出来た)だったので、これを目次代わりに使おうと思ったことがある。

前の病棟マニュアルを作っていた頃、一時は各章のはじめのページを マインドマップにしていたのだが、 これがどうやっても見やすいものにならず、結局断念した。

情報をビジュアルに階層化させて提示するという方法の一番駄目なところは、人によって階層化の仕方が違うので、 その階層化の「スキーマ(神経言語)」が共有できないと、まったく何書いてあるかがわからなくなるんですよね。 で、ビジュアルツリー自体にはスキーマが書けないので、分けの分からないツリーがそこかしこに林立して、 それでgopherは消え去っていったと解釈してます。

gopherというのは、現在のインターネットができる前に使われていたファイル共有システムだ。 世界中のコンピュータ内にツリー型式で格納されたファイルを検索して共有できる…はずだったが、 ツリーの分類法方がコンピュータごとに違っていたため、持ち主以外ではまともなファイル検索が出来なかったらしい。

マインドマップを他人に見せるときにも、これと同様の問題が付きまとう。マインドマップで取ったノートというのは、 中心に本題があり、そこから四方八方に枝を伸ばす。それぞれの枝には書いた人が重要と思うキーワードが書き込まれていく。

何を重要と思うのか。どんなルールで分類、重み付けを行うのかは、書いた人にゆだねられている。この感覚を 共有できなければ、せっかくの位置情報は他人に伝えることが出来ない。

テキスト情報を2次元展開するとき、どこに重要な情報があるのか、作者としてはどこから読んでほしいのか、 そうした情報を読者に伝える術がないと、ビジュアル言語のメリットは消失してしまう。

プログラマーの人達が使う「UML」の場合、このルールを厳密に決めてしまっている。ルールを伝える教科書は、 従来どおりのベタ打ちテキスト型式。非常に難解(もともとJAVAプログラムをするためのルールだから、ある意味当たり前)で、 すぐに放り出してしまった。

視線誘導を利用したルールの伝達

ビジュアル言語を用いて情報を伝達したいとき、一番問題になるのが、 どこから読むのか、どうやって読み進めていくのかというルールの伝達方法だ。

従来型のテキストメディアでは、このルールが非常にシンプルだった。洋書型式の横書きならば、 左上から書き出し。行を追って徐々に下に目線を移動し、右下で終了。文章の読める人は、 子供の頃から同じルールでやってきた。

あまりにも昔からやってきたルール。このルールが、しばしば新しいやりかたを導入するのに 大きな障害になる。

いまだに全く出来ないのだけれど、やはり自己啓発系の出版社から多く出ている速読術、 「右脳を使った」読書術といったものの多くは、まずは文字のないページをめくったり、 記号しか書かれていない本で視線を速く動かす 練習を要求している。

これは、人間には「文字があったら読む」という固定観念が出来てしまっていて、 これに逆らって視線を速く動かそうとするとき、 古くからの習慣が邪魔になってしまうからだという。

これをいちいち練習するのは面倒だし、また簡単にできる人もそう多くはない。

たとえ横書きの文章であっても、何とかして読者の視線を縦に誘導する方法はとれないものか。

同じ紙メディアでこれをやっているのが漫画だ。

一枚絵と比べたとき、漫画にはコマ割という時間の前後を示す区切りがあるために、 より絵の中の視線をコントロールする必要があります。
漫画を読んだ事のある人ならまず読み方を大きくはずすことはないですが、それでも変形ゴマや横長コマに縦並びのふたコマをあわせたときなんかは、どの順番で読むのかを指示する必要があります。 昔の漫画ではコマごとに数字を振ってこれを解決したようですが、今となってはネタとしては使うことはあっても見る順番の指定のためではありません。矢印を使うというのも手としてはありますが、本当に見難いときや、シャレでやるのはいいかもしれませんが、全コマするものではないと思います。 そんな漫画で視線をコントロールするのが、視線を誘導するテクニック「視線誘導」です。 ComicStudioより引用。

漫画というメディアでは、読者の視線はコマ割りによって、 またキャラクターの目線や動作線によって 誘導される。読みやすい漫画、「上手いな」と思う漫画は、 読者の視線の誘導が非常によくできているそうだ。

この視線誘導の手法には「文法」がある。新人作家の原稿で、 「何か、今一つ」という印象をベテランが持ったとき、 「ここが悪い」と指摘する部分は誰もが同じだという。

テキスト文章もまた、枠で囲ってしまうと印象が変わる。

  1. テキストは、ただベタ打ちされているときは1行目の左端に視線が集中する。
  2. ところが、1かたまりの文章が枠で囲まれていると、読者の視線は囲みの中心に集まる。
  3. 囲みをいくつか縦に重ねると、読者の視線は自然に縦に走る。
  4. それぞれの囲みを枝で結びつけると、その方向に読者の視線の誘導が可能になる。

挿絵のたくさん入っている教科書は、一見読みやすそうで、そうでもないものがたくさんある。

その理由は、おそらくは挿絵に視線が集まってしまい、 読者の視線が文章から「剥がれて」しまっているからなのだと思う。

文章を文章として目で追うのではなく、一つの「かたまり」として認識してもらい、 文字を追うのではなくページ全体の流れを追ってもらう。その理解は漢字かな混じりの 日本語の潜在能力に賭ける。

ページの左上に主題をもってきたマインドマップのような ページ構成を何とかとれないものかどうか、いまいろいろと試しているところ。

LaTeXでこうしたことを続けるのも、自分の能力からはそろそろ限界に近い。 いまさら「InDesign」を勉強する時間もないし…。

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2005年10月24日

分かりやすいマニュアルへの試行錯誤(1)

あるセカイ系の妄想

内容さえすばらしければ、1つの文章、1冊の本というものには世界を変える力がある。

そんな童貞臭いセカイ系の戯言を、昔は本気で信じてた。

研修医だった当時、聖路加だの虎の門だの、大手のブランド病院は「研修医が書いた」と称する レジデントマニュアルを次々と発表していた。あんなもの、絶対使うもんかと思いながら、 下級生の買ったやつを分捕って見てみると、結構便利。くやしかった。

沖縄中部病院のレジデントマニュアルも、なぜか手元にあった。 「研修医当直御法度」という題名で市販されている。「本物」は、売られているやつよりも はるかに質素な装丁で、ポケットに入るように版形も小さい。 左翼過激派の地下文書(なぜか手元にたくさんある…)を連想させる迫力があり、 これはこれで滅茶苦茶うらやましかった。

自分達の病院にもそうした形になるものがほしい。

結構多くの人達が同意してくれ、当時1年生の同級生全員のメモ帳を回収。 休日返上でワープロでデータ化して、みんなに配ったのはもう10年も前。まだパソコンなんて 院内に数台しかなかった頃。

盛り上がった割には1世代しか続かず、当時内容を添削してくれたスタッフドクターもほとんど いなくなってしまった。前の病院を辞めるとき、医局に残っていたマニュアルデータ、 歴代のチーフレジデントの先生方が捨てていったプリントの山を持ち出し、HTMLで 勝手に公開しているのが今の表ページだ。

マニュアル本とは何か

マニュアルとは、「考えかた」を伝えるための本だ。知識を羅列しただけのものは教科書。 複数の人が働く現場で知識を生かすためには、その応用のしかた、治療の目標や戦略、 突っ込むところと撤退するところといったものを、お互いに共有していなくてはならない。

大きな施設では、同じ西洋医学を用いていても、「こういうやりかたで上手くいった」という 戦略は、微妙に異なっている。ベースとなる知識は同じでも、戦略の異なる人が一緒に 仕事をすると、喧嘩になってしまう。知識のマニュアル化は、このために行われる。

どこの病院にも、ある症状や疾患に対する「必勝パターン」というものを持っている。 それが上手くいけばいくほど、医師は過去の成功パターンというものにこだわりを持つ。 その方法は、もしかしたらもっと最適化できるかもしれない。それでも、 「今までは上手くいっていた」という実績 を放り投げるのは容易なことではないし、新しいやりかたはしばしば事故を生む。

「正しいやりかた」などというものは存在しない。施設が違えば、スタッフの数や実力、 緊急に施行できる検査の種類やベッド数など、いろいろなパラメーターが異なってくる。 マニュアルというものは、本当はそれぞれの施設で独自の物を作らないと上手くいかない。

昔は「うちのやりかたが世界最強」と心の底から信じていたから、他人様に読んでもらえるマニュアル というものはどんなものなのか、いろいろと考えた。

読者に戦略の変更を迫るには

異質な考えかたを受け入れてもらうのは大変だ。

大きな病院ならば簡単。歴史の長い大病院の権威。 実際にそのマニュアルを使って「上手くいった」経験を もつ、何人ものレジデントや現場スタッフ。こうしたものは、別の病院に新しい考えかたを もたらす際には強力な武器になる。

うちの病院は不利だ。規模は小さいし、誰もそんな施設は知らない。 大体書いてる奴がもう辞めちゃったから、 筆者も病院名も明かせないまま。そんなあやしいもの、誰も信じない。

全く異質な価値観を提示しようとするとき、通常はかなり抵抗される。

西洋医学のマニュアルだから、「間に合ってます」と言われれば引き下がればいいのだが、 そもそもの始まりが「病院の対抗意識」なんて邪なものだったから、手段は選んでいられない。

当初参考にしたのは、カルト団体の宣伝書だ。ヤ○ギシ会、も○みの塔などの宣伝パンフや伝道書。 なぜか手元にいっぱいあった。

宗教カルトの人達は大変だ。大勢の人に自分の意見を聞いてもらわないと世界が滅んじゃうから、 いろいろな方法を考える。団体のパンフレットも、そうした方法論の流れで、「信じてもらう」ための いろいろな工夫がほどこされている。

  • カルトは危機感を煽る。現状の世界の悪い部分をクローズアップして、「このままでは世界が滅ぶ」と宣言する。 世界滅亡を回避するには、カルトの思想を信じるしかない。
  • カルトは言い切る。断言されたものに対しては、人は肯定か、全否定かの2者択一を迫られる。カルトの論法は、 「負けないけど勝てない」ではなく、「負けるけど勝つ」戦略をとる。否定する人は、「悪魔」認定される。
  • カルトには例外や失敗はない。失敗例は、教えを忠実に守れなかった人だから、思想そのものは悪くない。
  • カルトのパンフには「みんな」がいっぱいいる。「みんな」私達の言うことを信じるでしょう。 「みんな」で力を合わせて…。漠然とした仲間意識は、目の前の人間の言うことを断りにくくする。
  • カルトは権威好きだ。誰も知らない権威の発言は次々と引用され、カルトの思想に厚みを加える。

最初に文章を書いてた頃は、とにかく読んでもらうことが先決だった。 あんまり受けなかったけれど、全部テキストベタ打ちだったから、アクセス数稼ぎにはなった。 今見ると読みずらい。索引もないから、現場で何かを調べるのは無理だろう。

従来の文章を越えるもの

最初にマニュアルを作った頃は、文章のベタ打ちしか出来なかった。

道具といえばワープロだけ。スキャナも持っていなかったし、グラフィックソフトなんてついていなかったから、 文章内に図版を張り込むなんて夢のまた夢。文字ばかり並ぶ本は見苦しかったけれど、 他にやりようもなかった。

そのうちワープロからパソコンになり、Wordをすっ飛ばしていきなりLaTeXを使うようになって数年。 図の張り込みやら、文章のPDF化やらがまともに出来るようになってから、 ようやくマニュアルの「読みやすさ」について考察する余裕が出来た。

この頃感銘を受けていたのが、当時話題だった「ゲーム脳の恐怖」という本だ。

出版された直後から「トンデモ本」認定を受けていた本だったけれど、 「ゲームの世界を無批判に受け入れてしまう、 痴呆患者と同じゲーム脳」のメタファーは印象的だった。

下級生に文章読ませて、相手を「ゲーム脳」化できたら、相当面白いな…。

何年経っても動機は不純。そんなわけで、以下のような方針を考えた。

  • 図版を多くして、文章を短くして、なるべく簡単に読めるようにする。
  • 「理学所見をとる」「聴診する」などというあいまいな言葉を使わず、「右胸を聴診して呼吸音の有無を聞く」といったように、 なるべく具体的な動作を記載する。
  • 同じ文章には同じ絵を付けて、ボーっとしていても絵だけでも内容を追っかけられるようにする。

この頃参考にしたのは、熱帯医学関係のパンフレットや、 未開地にエンジンを売る会社(たしかヤマハ)などで用いている、 現地の人向けの操作マニュアルだ。

言葉が分からなくても、絵を見ているだけで大体分かる。 何をすればいいのか、絵を見て大雑把に把握してから文章を読むから、とても分かりやすい。

「2005病棟ガイド」というマニュアルはこんなことを考えながら作ったのだけれど、 意図した効果を出せたとは言いがたい。

「絵で分からせる」のは、思想としては間違っていないと思う。

それでも、自分には絵心が全くといっていいほどないので、図版は他人様のそれを もらってくるしかない。どんな絵が「分かる」のかも評価できないから、 絵の素人が絵の入った本を作ろうとするのはやっぱり無謀だった。

絵で分からせるという考えかたを突き詰めると、ピクトグラム に行きあたる。これもまた深い世界があり、面白いのだけれど、 本の中で使うには無理があった。当時はまだレーザープリンタを使っていなかったから、 インクの乾きが遅いという問題もあった。

もう一つの方針、「頭を使わず読む」ほうについては、 構造化チャートの考えかたを 使っている。

意思決定のプロセスを、言葉だけで伝えるのは大変だ。文章が長くなるし、ぱっと見て全体像を 把握するのは難しい。構造化チャートという技法は、このプロセスを出来るだけ整理して、 分かりやすく記載する方法だ。

いちばん有名なのはフローチャートなのだが、 これを使っている本はいくらでもあった。それではつまらないので、次世代型の構造化チャート の一つとして発表されている、NSチャートというものを用いている。

フローチャート型式の記載については、一応「分かりやすい」という評価をいただいたのだが、 今度はPDF型式以外の媒体に変換するのが極めて困難になってしまった。 表ページのHTMLは、LaTeXで作ったものをLaTeX2HTMLというソフトで変換しているのだけれど、 あの図を載せるのには相当苦労している。

続く。

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2005年3月29日

電撃戦的治療

疾患の急性期は、対処をしないと患者はどんどん悪くなる。

医師と病気との戦いは、患者さんの体が戦場だ。力強い治療を行えば、より確実に敵を追い出すことが出来るかもしれない。しかし、片端から核爆弾を投下しようものなら、その土地は二度と使い物にならなくなる。

ここでいう「核爆弾」とは、例えば気管内挿管や補助循環といった侵襲的なデバイス、ステロイドや強力な化学療法、ペネム系の抗生物質といった強力な治療など。これらは人体に対する治療効果は大きいが、一方で新たな出血の合併や日和見感染、耐性菌の出現などの副作用も大きい。

医師は「戦場」に対するダメージを最小限に抑えつつ、病気に撤退してもらわなくてはならない。

従来行われてきた戦術は、ピラミッド型アプローチと呼ばれているものが典型的だ。病気の性質をまずはじっくりと見定め、「弱い」薬、作用も少ない代わりに副作用も最小限の薬剤から投与を開始、病勢に応じて徐々に薬を「強い」ものに変えていく。

この方法は確実なものではあるが、欠点も多い。最小限の治療が「当たった」場合はいい。最小限の副作用で患者さんは元気になり、退院できる。

一方で、第一撃が外れたときは悲惨だ。患者さんの状態は時間とともに悪くなる。より強い治療は、それだけ副作用も強くなる(副作用が少なく、強い治療があれば最初からそうするので問題はおきない)。そうした治療を考える頃には患者の状態は悪くなり、そこに副作用の強い治療が加わる。状態が悪いから、せっかくの切り札も期待したほどには効果が出ない。「最初から、この治療をやっておけばよかった…」と後悔することになる。

軽い治療から試す方法論というのは、一見患者さんにやさしいようでいて、実は患者さんにある種のギャンブルを強いている。

電撃戦的な治療というのは、病気との戦いの概念に時間軸を持ち込む。

電撃戦というのは、第二次世界大戦初期にドイツ軍がとった軍事戦術を指す。これは軍隊を迅速に進撃させる事により、敵に防衛線を構築する暇を与えずに戦線を突破する戦法である。

従来の戦争というのは、お互いが塹壕を掘り、将軍の号令の下突撃を繰り返す消耗戦だった。この方法は、物量の多いほうに確実な勝利をもたらすが、多大な犠牲を伴った。

当時の新技術を基礎として、新たに電撃戦という方法が考案された。これには戦車や飛行機といったハイテク兵器の活躍ももちろんだが、大きかったのは通信だ。無線通信の発達により、ドイツ軍は敵が行動を開始する前に戦略目標を破壊し、敵陣深くに侵入することができた。この際、進撃する部隊の側面防御には気を使わず、その分、進撃速度を少しでも上げる。

従来の戦法と最も異なるのは、指揮権の権限委譲である。現場指揮官は、従来の中央集権的な指揮系統に頼るよりも、自らの判断に従うよう奨励された。


副作用も多いが「強い」治療は、患者の体力に予備力が残っている初期ならば、十分に安全に使用できる。病気を「じっくりと見定める」間にも、時間はどんどん過ぎていき、患者の具合は悪くなる。

ならば、その過程を全てスキップしてしまい、その分稼げた患者さんの予備力を「強い」治療に耐えることに使ってしまおう、というのが電撃戦の考えかただ。具体的には患者さんの来院と同時に、そのときの症状からその人に必要と考えられる物量を大まかに予測し、それを入院初期に全て投入する。

例えば、「発熱+呼吸困難」の患者さんの治療を考えてみる。

診断はいろいろ考えられる。肺炎、敗血症全て、ケトアシドーシス、肺塞栓などの可能性もゼロではない。間質性肺炎、膠原病、心不全の可能性も否定できないが、まずはこうした「相手を見定める」思考を止め、考える前に検査をオーダーする。

診断は機械的に行う。何も考えずに血ガス、生化スクリーニング、具合が悪そうならCT。鑑別疾患を考えるのは時間が惜しい。どうせやることは一緒なので、何も考えずに行動する。

結果がそろう前に治療を始める。治療方針は「松」「竹」「梅」の3通り。「呼吸困難+発熱」に対するプロトコールは、あらかじめ考えておく。ゆめゆめ患者さんごとに調整しようなどとは考えてはいけない。考えるひまがあったら、行動する。

松コース:気管内挿管、第3世代セフェムにステロイド、入院はICU。
竹コース:酸素5lマスク、セフェムにマクロライド内服、入院中に必ず赤沈、胸CTをフォローする。
梅コース:酸素なし、抗生物質は元気ならキノロン内服、ご飯も普通に出す。
どの方針でいくにせよ、まず患者さんへの挨拶と同時に、名刺代わりに解熱薬を服用してもらう。

「松竹梅」の決定は、患者さんの症状とバイタル、年齢などから、戦いに必要な物量を推定して決める。「本当は松だろうけど、竹で行ってみようかな…」などと、後ろ向きなことは考えてはいけない。病気側の予想の斜め上を行く気合で、方針を選ぶ。

今までの治療方針が高級レストランの一流シェフのそれなら、これはクソ忙しい定食屋の方針だ。手荒いが、スピードだけは一流シェフに遅れをとることは無い。マニュアル化された定食なら、わずかな訓練で同じものを作れるようになる。技術の再現性が高いなら、若手の医師が実戦で活躍できるようになるのも早くなる。

「検査値」「画像」のような客観的な情報の増加は、現場の研修医とスタッフとの情報交換を円滑にする。「患者さんがおなかを痛がってます」では現場に行かないと何が起きているのか分からないが、「AMY6600です」と報告があればまず膵炎だ。「原因不明の腹痛があったらAMYを含めた生化スクリーニング」とマニュアルに書いておけば、あとは現場が採血してくれる。

マニュアルの発達は、現場の裁量権の拡大につながる。治療全体の流れを定食化することで、現場レベルで対応できることは増える。患者さんの治療はますます早くなり、それだけ病気側に付け入られる隙は減る。

一番問題になるのは、患者さんごとに必要な「物量」をどうやって予想するかという部分だ。

今のところ、このあたりは「適当」あるいは「勘」で決めている。

情報を蓄積すれば、例えば患者さんの年齢、基礎疾患、どこの施設から来たのか、バイタルサイン、体重や栄養状態といったものから症状ごとの重症度をスコア化し、それぞれの重症度ごとに考えやすい鑑別疾患を決定できそうな気がする。

今はまだそんな便利なものは無いので、患者さんの入院初期には、自分の周りはCPRでもおきたような騒ぎになる。

日常臨床の経験を積み重ねていけば、かならず一定のパターンが生まれる。こういった診断チャートの作成こそが、「総合診療」をうたう医師の仕事なのではないかと思うのだが…。誰かえらい先生方、作ってくれないだろうか。

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2005年3月28日

「流し買い」的な診断手法

救急外来などで患者さんを診察するとき、病歴から想像できる全ての鑑別診断を検討していたら、時間がいくらあっても足りなくなる。

患者さんの症状に対応する「全ての」疾患など想像しようものならその数に圧倒され、思考が停止してしまう。鑑別疾患の数は膨大すぎて、どこから手をつけていいのか分からなくなる。何らかの方法で、自分の頭で処理できる程度に問題を小さくしなくてはならない。

よく分からない患者さんを診察して、正しい診断名を当てるのは、一種の賭け事だ。時間とともに患者さんの状態は悪化する。一つ一つ、確実な判断を積み重ねて診断名にたどり着くだけの時間は、医師には与えられていない。

賭け事の流儀にはいろいろある。本命一点掛け、大穴狙いetc..その中で自分が良くやるのが、「流し買い」をする方法だ。

流し買いとは……

ある1頭の馬、あるいは枠を中心に、そこから他の馬(枠)に馬券を買う方法で、例えば1番の馬からなら1-2、1-3、1-4……という買いかた。中心にした馬(枠)から全部の馬(枠)に流し買いをするとき、“総流し"と言う。「穴馬を見つけたら流せ」という格言もあり、大穴馬券をとる秘訣のひとつともいえる。

例えば「急に発症した呼吸困難、熱は37度後半、振戦、呼吸数30回、血圧は90台、血液ガスはpH7.3 PaO2 75 PaCO2 23 BE-5.5 程度の代謝性アシドーシス」の患者さんの診断を考えてみる。

「流す」候補になる症状名は、呼吸困難、発熱、頻呼吸、低血圧、低酸素、代謝性アシドーシスなどが考えつく。この中から、「放置したことで患者さんが死んでしまう」状態を、よりリアルに想像できる症状を中心に考える。自分の中では、一番怖いのは代謝性アシドーシス。

「代謝性アシドーシス流し」で鑑別診断を考えると、思いつくのはこのあたり

ショック、ケトアシドーシス、敗血症、急性腹症、重症肺塞栓、腎不全といったなかから診断名を考えるなら、次に行う検査は血圧/血糖の測定、過去の腎機能の見直しといったものになる。

血糖正常なら、まずはケトアシドーシスは無さそう。ショックといっても消化管出血のヒストリーとは違いすぎるし、過去の腎機能もどうやら正常、重症肺塞栓は否定しきれないが、熱は出ないだろう、などと考えると、どうやら患者さんは敗血症らしいと当たりがつく。

「本命敗血症、対抗肺塞栓」と暫定的に診断したら、今度はその診断で病歴を逆にたどって、矛盾のないことを確かめる。咳や痰、カテーテル類留置の既往があれば敗血症に矛盾は無い。普通に歩いていた患者さんであれば、まず肺塞栓を生じたりはしないだろう。

一方で、例えば寝たきりの人であったり、何か過凝固状態の危険因子があったりしたら、やはり肺塞栓などべつの疾患も否定できなくなる。そうであった場合、この次にやることは決まってくる。とりあえずバイタルを落ちつけたら、病棟で心エコーを取って出来れば胸CTだな、と思考を進める。

病歴と想定疾患との間に矛盾が出たら、今度はべつの症状から流しなおして考える。この患者さんであれば、低酸素流し、ショック流し、呼吸困難流しでそれぞれ鑑別診断を考えることが可能になる。

流し買いは、「本命」がこけると大変なことになるのだが、思考過程が早い。大事なのは少しでも矛盾を感じたら、潔くべつの症状から考え直すことで、そのためにも症状から流せる疾患をパターンで覚えておくことだ。

じっくり考えれば考えるほど、間違った道に入ったときに今までの思考を放り出すのが惜しくなり、泥沼にはまることになる。

症状-鑑別疾患のパターンは、その症状を生じるメジャーな疾患、そしてまれだが見逃すと患者さんが致命的になる疾患のみを頭に入れておく。当然それ以外は全て見逃すことになるが、残るのはまれだが死なない疾患だ。それならば、専門家がきたときにでも「わからない人がいるんですけど…」と尋ねれば十分である。

流し買い的な診断手法は、医師の思考回路のほとんどをマニュアル化できる。頭を使うのは「この患者さんの状態を代表する症状名は何だろう?」という部分で、医師はここだけを訓練すればいい。

パターン化された判断は、医師の思考過程が明文化されているので、他のスタッフとの連携が取りやすい。また、「患者さんを代表する症状名」を抽出する訓練をつむと、他科にその患者さんを紹介する際、その人をプレゼンテーションするのが上手になるというおまけもつく。

唯一大事なのは、こうした考えかたは医師の鑑別診断思考過程を強引に狭め、パターンに押し込んでいくやりかたなのだと自覚していることだ。

「流して」たどり着いた診断名はギャンブル的な要素が大きく、絶対には程遠い。一方で同じパターンで何度も考えているため、医師はしばしば自己暗示に陥ってしまい、間違った診断を捨て去ることが難しくなることがある。

常に自分の頭の中身を疑いつづけなくてはならない。

2004年12月 3日

USAMRIID Blue Book 第5版

USAMRIID Blue Bookの第5版がいつのまにか出ていた。


アメリカ同時多発テロが会った当時、自分は米軍基地のすぐ隣の病院で勤務していた。当時5階にあった職員食堂からは米軍の輸送機の識別番号が肉眼で読めるほどで、基地にたいしてテロを仕掛けるならばこれ以上は無いぐらいの立地。

911のあった翌日からは基地周囲では検問が行われ、もう緊迫感ありあり。もともと街中にある基地なので、基地の真中を公道が走っているのだが(病院への近道だった)、そこも朝夕を問わずに米兵が巡回するようになった。

そんな矢先に炭疽菌の騒動が続き、医局会でもその対処が問題となった。もともと米兵の家族なども来院する病院でもあり、このときばかりは他人事ではない。そもそも炭疽菌の感染症など診たこともなく、手元にある資料はサンフォードの感染症ガイドのみ、これにしてもまだまだバイオテロ関係の記載などは乏しく、もし患者が来たらどうするのか、そもそもこれは医療従事者に2次感染するものなのか、ニュースで炭疽菌の報道が始まった直後はまったく情報が手に入らなかった。

当時は病院内のインターネット環境も貧弱で、使える電話回線は1本のみ。バイオテロならもう、CDCかUSAMRIIDのどちらかだろうということで見つけたのがこのマニュアルだった。

世の中には結核をはじめとして治療のガイドラインはいくつも出ているが、現場ではじめてこうした感染症に遭遇した場合に役に立つものは本当に少ない。

BlueBookでは総論の部分で「医療従事者が生物兵器犠牲者に接する前に、まず自らを守るステップを踏まねばならない。」とうたっており、まずは医療従事者が患者さんからどう身を守らなくてはいけないのか、どうしたら周囲の(健康な兵士を)安心させられるのかから議論が始まっている部分でやはり本気度が違う。

炭疽菌騒動のとき、結核のアウトブレイクに遭遇したとき、常に問題になったのが「本当にこれで十分なのか?」という答えがガイドラインの中からはほとんど見つからないことだった。

手洗い場所はナースルームで教養で本当に大丈夫なのか、ガウンテクニックを行うにしても、個室に入った感染症患者の真横に白血病の患者を入院させても本当に大丈夫なのか、個室の空気を入れ替えるにしても、HEPAフィルターなど手に入らない状況で空気を大気に開放しても、本当に周囲の住民は安全といえるのか、こうした質問を受けても、自分には答えるすべがまったく無かった。

実際に日本でガイドラインを作っているえらい先生方で、普段病院で臨床をしている人はどれぐらいいるのだろうか。無償で公開されているCDCのガイドラインを「病院における隔離予防策のためのCDCガイドライン」と銘打って有償で販売している時点で、日本の感染症の先生方は感染症と戦う気がどれぐらいあるのか、疑ってしまう。こういうものはきれいに製本して販売するのではなく、PDFでさっさと公開して、一人でも多くの人に読んでもらうほうが有効だと思うのだが。

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2004年12月 2日

CPRについて

今後の改定部分。

CPRの記録者を必ず立てる。後でトラブルになったときに非常に役立つ。

心エコーは便利。とくにPEAでは必須。

単軸断で右室負荷を、長軸断で心嚢水の有無を見る。

特に心タンポナーデ(心筋梗塞には珍しくない)だけは見逃すと一生もので後悔する。


心マをする人は、患者の横に立たなくても、馬乗りになっても効果は同じ。

2004年11月26日

一般内科というしごと

いろいろな科の医者がいる中で、一般内科医という職種は車でいうと軽トラックのような存在です。F1マシンのように特定の目的に特化した専門医とは違い、一般内科は汎用性があり、小回りが利き、どんな病院でも活躍できる自由さがあり、そして価格が安い(泣)…。

自分は一般内科医で、またあまり友達がいなかったためなのか一人で地方の病院に飛ばされたことが何回かありました。

一人内科医の生活は結構大変です。外来は当然毎日、受け持ち患者は50人近くになることもあり、当全外来中の病棟バックアップはなし。救急車は来るし、当直もこなさなくてはならないしでストレスはたまり、その日のうちに家に帰れたとしても自宅で酒びたり。だいたい3ヶ月もこうした暮らしをしていると、(主にアルコールによる肝障害で)気分が悪くて本当に投げ出したくなります。

忙しさに比例して患者さんやその家族からのクレームは増え、訴訟リスクは増し、自分の生活時間をすべてなくすのはデフォルトにしてもそれでも患者さんを見る時間はまったく足りません。

24時間から外来の時間、検査の時間、最低限の自分の睡眠時間を引き(食事は幸い、病院内には経管栄養食だけは売るほどあるので何とかなる)、残った時間の中で最低限確保しなくてはならないのは患者さんとその家族への説明の時間です。世の中に頭が空っぽで口は達者な医者と、頭はよくても寡黙な医者の2種類しかいないとしたら、前者のほうが絶対に患者さん受けはよく、たぶん病院内のトラブルも少なくなるはずです。私は前者の医者を目指しました。

土日や休日、夜中にいきなりナースルームに現れて「今どうなっているのか教えてください」と説明を求める家族にちらっとでもいやな顔をしようものなら、大変なことになります。また、そうした人たちに今の時間に来ることがいかに間違っているか、たとえ1時間かけてお話ししたとしても、家族の怒りに火に油を注ぐだけでしょう。そうしたことをして怒り出さないような家族は、そもそもこちらが対応できないような時間に来たりしません。

限られた時間の中でリップサービスの時間を最大限確保するには後の時間を削るしかありません。患者さんの治療について考える時間と、理学所見を取る時間です。

ベテランのドクターは午前中3時間の間に70人から100人近くの患者さんを診察して涼しい顔をしていますが、あれはあの人たちが特別なオーラをはなって患者さんとの会話を最小限にしているからで、駆け出しの人間が同じまねをしたらお客さんからブン殴られます。

3時間で50人診察をしようと思ったら、文字通り3分診療です。患者さんをコールしてから外来に入ってくるまでが早くて30秒、患者さんとの会話を最大限早口で済ませたころにはもう2分30秒が過ぎ、処方箋とカルテを書くのにも15秒はかかります。15秒間で済ませた聴診と理学所見に信用がおけるでしょうか?だいたいこの間、頭は隣に積まれたカルテの山を低くすることばかり考えていて、病気のことなんか考える余裕はありません。

こんな状況で何とか事故なく外来を終了するには、頭と所見取りの部分をほかの人たちに代わってもらう意外にありません。外来で唯一まっとうにやったことは患者さんのお話しを聞いたことだけ。ここで「危ない」と思ったらとにかく検査にまわし、あとからもう一度話しを聞きなおします。幸い、検査室や放射線部の人たちは、外来の医者の頭が空だということを分かってくれているので、「先生なら見逃すと思って、CTのスライス追加しておきました」とか、「血液生化でGOT上がってますけど、心電図とってもいいですか?」とか、本当に洒落にならない人のフォローをしてくれます。

病棟でも話は同じです。病棟スタッフも医者が頼りにならないと分かっているので、危なそうな患者さんについてはベッドサイドまで引きずってでも連れて行かれますが、そうでないひとは毎日の患者さんの状態を教えてくれるので、ほとんど会話だけで治療方針が決められます。

勢い、医者の仕事は患者さんの話と他のスタッフの入れてくれる情報から処方箋を発行するだけの変換器としての役割だけになり、残った時間をすべて患者さんとその家族へのリップサービスに費やすことができるわけです。

今年のマニュアルは、そんな立場になった医者が書いています。このため理学所見についての記載は大幅に削除され、やたらと検査、検査と検査所見が重視されます。診断のフローチャートもものすごく馬鹿っぽく書いていますが、使っている自分自身がまったくといっていいほど頭を使っていないんだからしかたありません。教科書的な美しい治療には程遠く、野暮ったく不恰好な診断/治療が多くなっていますが、その分致命的な病気を見落とすことは少なく、患者さんの治療後の経過をあまり見なくても、「やりっぱなし」でも事故になる率は低いはずです。実際のところ、研修医のころから「地雷を踏んだらメモ、また地雷を踏んだらメモ」をみんなで繰り返し、自分たちの馬鹿なミスを保護してくれたスタッフドクター共々ぼろぼろになった成果物がこうしたフローチャートなのですが。

EBMに背を向け、コストを無視した野暮で安全な治療というのがこの本が目指すところなのですが、どこまで達成できているでしょうか…。

2004年11月17日

参考にした書籍

日本語の教科書はどれも無難にまとまっているもののあまり面白くなく、
自分が参考にしているのはほとんどが海外の教科書。編集方針が
独特なものが多く、「こんな表現手法があったのか」と関心することも
しばしば。

Amazonのおかげか、今では日本語の教科書よりも圧倒的に
安価に購入できるものも多い。

**Patient Presentations in General Practice


オーストラリアの一般内科(GP)の診療マニュアル。
作者の人自身が「世の中の本でGPの診療に役に立つものがまったくなかったため
この本を企画した」といったことを書いているとおり、非常に実践的な内容が
書かれている。

章立てはすべて「頭が痛い」「息が苦しい」といった主訴別になっており、
さらに「息子の成績が悪い」「勃たない」といったGPの外来にくるほとんどの
相談、主訴を網羅しており、患者の訴えから鑑別診断を想定し、問診のしかた、
必要な検査までがフローチャートでまとめられ、さらに疾患ごとの治療、
患者へのアドバイスなどがまとめられている。

当初、内容があまりに面白いのでこの本のお手軽な翻訳を海賊版的に作るつもりで
いたのだが、内容が外来のみに偏っていて、入院患者にそのまま使える部分がほとんど
無い…。このためほとんど一から作り直すことになった。

結果的にこの本から引用できたことはほとんどなかったが、外来診療、特に海外の
GPと呼ばれる人がどんな仕事をしているのかがよくわかり、おもしろい。

**Algorithmic Diagnosis of Symptoms and Signs:A Cost-Effective Approach

作者の先生は神経内科の人で、ほかにも何冊か一般内科、救急外来での鑑別診断
の本を書いている。

この本は2004年に第2版が出版されたもので、内科領域で遭遇する主訴、
患者の状態変化(血圧低下や発熱、浮腫など)に対してまずどういった検査を行い、
そこからどんな疾患が考えられるかをすべてフローチャートを用いて説明している。

今回作った研修医マニュアルとほとんど同じような考え方で書かれており、
とても参考になったが、表題で Cost-Effective Approach とあるように、
血液検査やCTといった検査による鑑別はほとんど記載されていない。

また、無理やりフローチャートに鑑別診断を押し込むためか、結構無理のある
診断を行っている部分もある。理学所見による鑑別診断で条件分枝を行って
いる部分も多く、理学所見の訓練を十分に受けていない研修医に本書と
同じような診断方法を教えても間違えが増えると思う。


逆に理学所見に自信のある先生、安易な検査オーダーを嫌う先生には
本書は面白く読めるかもしれない。自分自身は自分の理学所見の感度/特異度とも
信じる気になれないので、どうしてもいろいろと検査をオーダーしてしまう。

自分で書いたマニュアルにもフローチャートが多数出てくるが、当初は本書
のそれを丸々翻訳するつもりでいたものの、結局ほとんど一から作った。

**Common Medical Diagnoses: An Algorithmic Approach

この本も、内科領域でよく見る患者の主訴からどんな鑑別診断を考え、
それにいたるまでにどんな検査をオーダーし、その結果から何を考えるかを
フローチャート型式でまとめている。前の本よりも編集方針は徹底しており、
1ページ全体を用いた大きなフローチャートとその解説以外には何も書かれていない。

内科学の教科書的な病態生理、治療法といった内容についてはハリソン、セシルの
参照ページが記載されているのみ。

200ページあまりの薄い本だが非常に面白く読めた。

ただ、フローチャートは非常に複雑で、それを1ページに収めるために本も
大きくなっており、持ち歩くのは難しい。この本は理学所見よりも検査所見に
重点をおいて鑑別診断を行っており、どちらかというと自分の感覚にあっていたが、
日本ではできない検査が多々あったり、喘鳴を訴える患者にまず行うべき検査に
精密肺機能検査をあげてみたりと日本の現場の感覚とずれている部分も多かった。

フローチャートは考え方の流れを記載するにはわかりやすい方法なのだが、
主訴から鑑別診断までをこれで書くとピラミッド型になってしまい、
鑑別診断を細かくするほど幅が広がり1ページに収まらなくなってしまう。

この本はフローチャートを用いて最終診断まで記載しているが、その結果
チャートは巨大になり、たとえば腹痛の鑑別診断チャートは4ページに分割して
記載されている。そうなると全体像をつかむのは困難になり、かといって
一覧性を高めるために本を大きくすると持ち運べなくなるというジレンマが
生じてしまう。

2004病棟ガイドについて

EBMばやりの昨今ですが、それに違和感を覚えることも多々あります。

自分も循環器の医者なので、ランダマイズドスタディにより検証されなかった
薬を漫然と投与したり、また過去のトライアルで効果が否定された治療をいつまでも
続けたりといったことはしないよう、研修医時代から教え込まれました。

ただ、循環器領域のように1つのトライアルで数万人の患者が集められる領域とは
ちがい、他の分野で数百人規模のトライアルを読んだ程度で
エビデンスがある、正しいのは自分だとその論文どおりの治療を
強制するような風潮には閉口しています。

この本は、あえてそうしたEBM的な価値観とは離れ、自分が今までやってきて、
とりあえず大きなトラブルも無く患者を帰すことができた方法をまとめてみました。

内容についてはHarrison,CMDT,Saint-Frances Guide,Mosby's Guideなどを底本にし、
それらの記載の面白そうな部分を自分の文章でつなぎ合わせたような構成をとっています。

章立てについては、Patient Presentations in General Practice という
オーストラリアのGPの教科書を参考に、患者さんの症状別に記載することをこころがけ
ました。各疾患の記載については簡略なものになっています。

診断のフローチャートの書き方が独特のものになっていますが、これは
Nassi-Schneidermanチャートという記載法です。
もともとはコンピュータープログラムを記載するための方法ですが、限られた紙面に
診断チャートを記載するため、こうした書き方になっています。

**想定している使いかた

この本は、以下のような使いかたを想定しています。
-病棟で何か患者さんの症状で判断に困った際、鑑別診断や検査の手順を思い出す際に。
-なにか知らない病名を上司から聞かされた際、とりあえずどういった検査をオーダーすべきか調べる際に。病態は一切書いていませんが、そうした部分は極力書くようにしています。
-上司から"こんな病気、知ってる?"などと聞かれた際にこの本を見せ、とりあえず話題をつなぐために。一言「全く知りません」と答えるよりは、わずかな知識でも上級医としゃべったほうが、いろいろ有益なものを教えてもらえる確率が高くなると思います。

逆に、この本だけで病棟業務を行う(そんな人はいないでしょうが…)、信頼できる
上司のいない病院でこの本を使うといった行為は非常に危険です。
本書の内容は偏っており、また内容の正確性については全く保証できません。

今後、読んでいただけた方からの意見を参考にさせていただきつつ、内容を徐々に
正確なものに近づけていくようにしますが、現時点ではまだまだ不正確な内容も多いと
思います。訂正すべき点、ご意見など聞かせていただければ幸いです。