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2008.03.12

アートとクラフト

「クラフト」というのはまず素材があって、そこから何が作れるのかを考える立場。

「アート」というのは、まず作りたいものがあって、その表現手段として、 素材が選択されるやりかた。

技術はたぶん、「アート」から始まって「クラフト」へと移行する。 成熟して、確立した技術が、今度は「素材」となって使われるようになる、 そんな流れがあるんだと思う。

ボブの絵画教室

アメリカの画家ボブ・ロスは、「アーティスト」ではないんだそうだ。

人気番組だった「ボブの絵画教室」の中で、ボブは「簡単でしょう?」を くり返しながら、すごいスピードで風景画を仕上げていく。 30分ほどの番組なのに、出来上がった風景画はたしかにすばらしくて、 何よりも筆を動かすボブの手に迷いがなくて、あの番組それ自体が芸術なんだと思ってた。

ボブ・ロスの絵画はきれいで、絵を描く行為それ自体にも娯楽としてのおもしろさが 備わっているのに、伝統的な芸術家は批判するらしい。

ボブの絵画は、あくまでも表層的な手法できれいな絵を描くやりかたであって、 画家の内面に、何か描きたい物があって、それを表現しているわけではないから、 あれは「クラフト」ではあっても、アートではありえないのだと。

「そんな立場を取らないと食べていけない人がいる」というのは、何となく理解できるけれど、 そんな芸術なら、とりあえず自分はいらないかなとも思う。

中国には、芸術家の贋作で生計を立てている村がある。

村一番の「ゴッホ名人」が取材を受けて、カメラの前で「ひまわり」を描いていた。 もう何百枚も同じ絵を描いているからなのか、筆には迷いがなくて、 素人目にはいかにも「ゴッホっぽい」、スタジオの専門家も「いい絵ですね」なんて コメントしてた。

「ゴッホはいいですね。描きやすくて

工芸作品としてのゴッホは、「ゴッホ名人」のこの言葉がすべてなんだと思う。

芸術作品としてのゴッホの付加価値は、あの時代だったとか、奇行が目立ったとか、 自殺したとか、あとはもうひとつ、あんな作風を初めて作ったとか。

芸術を評論する人達は、バックグラウンドの付加価値にはあんまり言及しないけれど、 作家としてのゴッホを理解してるのは、ゴッホに何億円もの値札をぶら下げて大儲けする評論家なのか、 何百枚もの「ひまわり」を描きつづけている「ゴッホ名人」の中国人なのか。

ゴッホが今生きてたら、やっぱり中国人と握手する気がする。

頭を使うと予後が悪くなる

近所で開業している先生から、心臓悪くした人がよく紹介される。

みんな同じように血圧高くて、同じようにちょっとだけ血糖高くて、 たいてい腰痛持ち。みんなまるで、判で押したように同じような患者さんなのに、 処方される薬はみんな違う。

入院依頼があって入院してもらって、たいていの場合、薬を全部止めると治る。

心臓治療に使う薬は、この10年ぐらいでほとんど確立している。原疾患が 心筋梗塞だろうが弁膜症だろうが、拡張型心筋症だろうが、使う薬は全く同じ。 薬もよくなって、適当に出しても何となく効いてくれるから、量を調整する必要もない。

自分が普段心不全の患者さんに出している薬は、9割までが全く同じ処方で、 量も同じ。調整する人もほとんどいない。頭使って頑張ると、 病棟が混乱するので、最近はかなり意識的に、頭を使うことを放棄するようにしているけれど、 結局それで問題は生じない。

自分が診察している患者さんは、だから点滴も一緒で、飲んでいる薬も全く同じだから、 原理的にはトラブルが発生しない。患者さん間違えても、同じ薬が行くはずだから。

それでも他人様が作ったクリニカルパスを受け入れるのにはものすごい抵抗があって、 ちょこちょこ書き替えては顰蹙買ったりしているのだけれど。

アートとクラフトのこと

技術は発見されて成熟して、確立したあと、今度は「素材」となって、 次世代の技術者に立ちはだかる。

素材化した技術を前にした技術者は、「アーティスト」として、素材を制圧する道を選ぶのか、 それともクラフトマンとなって、素材を受け入れ、素材に使われる道を選ぶのか、 そのとき自らを試される。

クラフトを志向する技術者は、素材に敬意を払う。確立した、「つまらない」技術を組み合わせて、 信頼性の高いプロダクトを作ろうと努力する。クラフトを極めていくと、 出来上がる製品は「ばらつき」が少なくなって、より「つまらなく」、 より「ありきたりな」、あたかも機械で作ったような方向へと進化する。

アートを志向する技術者は、何よりも「内なる情熱」を持ちつづけないといけない。 アーティストには、まず作りたいものがあって、その情熱に動かされる形で 素材を「制圧」して、素材上の何かを作らないといけない。大切なのは 「未踏」であって「未知」であることだから、もちろん信頼性なんてないけれど、 新しさが受け入れられれば、その技術者もゴッホになれる。

恐らくはもっとも無残な状態が、芸術引き受けるだけの才覚ない人が、 工芸品で十二分に間にあっている場所で、「芸術家」を気取ることなんだと思う。

それが素人絵画なら、ただのかわいそうな人で済むけれど、 医療みたいな現場では、「芸術家」はしばしばとんでもない失敗をしでかす。

ベテランはベテランなんだからこそ、「医療は本来ものすごくつまらない事のくり返しなんだ」 ということを、自ら認めるべきだと思う。

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Comment & Trackback

我が身を省みて。 芸術引き受けるだけの才覚無い自分が、 芸術家たちが華を競っている場所で、 「クラフトマン」を気取って一定の成功を収め顰蹙を買っています。

結局、技術を習得して洗練されて行けば行くほど、ブルーワークなのだと思う。倦怠せずに情熱を持って医療を続けていくには何らかの目的意識が必要かと。手段は手段、目的は目的としっかり認識していられるかが重要かと。患者さんは必ずいつか死ぬ。アーティストとして患者さん達が満足して「死」を迎えることができる環境、精神的満足を用意できるかどうか。それが医療者の最も大切な役割なんだと思う。正論すぎて医者仲間にも相手にもされないのだけど。医療業界の常識を少しずつでも変えて行かなければならないと思っています。

それと、医療技術の進歩がとてつもなく速くなって一つの医療技術で食べていける期間が短くなった。昔なら、胃透視、注腸、GIF、CF、ERCP、血管造影などなどスペシャリストであれば尊敬され、それで食べて行けたし権威泥続けることもできた。それが血管造影がangio CTにERCPがMRCPにそして心カテーテルか心血管CTに。そしてPETもブームが去った。技術の進歩について行けなくなり、食べていけなくなってしまった先輩達がたくさんいる。だから、一つの技術はツールとして割り切り、常に新しい技術を取り入れていかないといけない。技術にしがみつき、哀れな姿で空威張りしている裸の王様が沢山いる。患者さん達に有害ですらある。

「クラフトマン」を気取って一定の成功 クラフトマンとして大成功している医師がいるんだとしたら、普段はサボってて、 何も仕事してないように見えるはずなんですよね。トラブルも含めて、全て予測の うちに入れて、仕事を定型化してるでしょうから。。

技術を習得して洗練されて行けば行くほど、ブルーワークなのだと 同意。

ある日担ぎ込まれるうっ血性心不全のご老人。 慢性心房細動なのに主治医の開業されている先生からはずっとジソピラミド・ペルサンチン出されており。 まずは利尿薬で治療・勿論I群薬は中止。ACE阻害薬、抗アルドステロン薬、カルベジロール。すっきりした顔に。 失礼のないように丁寧に丁重に報告書(紹介状の返事にあらず)を記載して。お渡ししてお帰りに。 翌月また救急で御来院。 飲んでる薬は元の木阿弥。RAA系神経体液性因子抑制薬は全てカット+ジソピラミド再開されて。

いや、実話…じゃないですよ??

もはや日常。。定額支払い制度になってから、このへん本当にひどくなったような。 悪くして再入院費用稼いだほうが、売上げ伸びたりして。。。

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