2007.11.30
法律の人達は神様でも裁いてればいいんだと思う
制御解決と構造解決
昔聞いた話。どこかの老人保健施設は、病棟の廊下がすべて斜めに交差していて、 上から見ると、ちょうど「魚の骨」のような作りになっているのだという。
病室から廊下を歩いて、「背骨」に相当する中央廊下に出た老人は、 道なりに「頭」のほうにむかって歩く。
病棟の廊下は薄暗くて、壁紙の色は全て同じ。中央廊下には「交差点」がいくつもあるけれど、 頭方向に向かうぶんには、よほど注意を向けないと、中央廊下は一本道にしか見えない。
「魚の頭」に当たる部分は、ちょうど粒子加速器のような、円環になった廊下がある。 中央廊下を歩いてきた老人は、円環の接線方向に「頭」に入る。 「頭」もまた、壁の色が他の場所と変わらないから、一度円環を歩き出した老人には、 出口が見えなくなってしまう。
自分のベッドからおき出して、病棟内を徘徊してしまうお年よりは、 結局みんな「頭」に集められて、あとは日当たりのいい円環廊下を歩きつづける。 みんな疲れるまで歩きつづけて、疲れたらそこで眠る。
行くところは一緒だから監視する必要もなくて、病棟からいなくなってしまったお年寄りを 探すのも簡単で、動作線が想定できるから、転倒対策も立てやすいらしい。
問題を解決するやりかたには、問題が起きないように監視を続ける「制御」によるやりかたと、 そもそも問題がおきない、あるいは問題が大きくならない「構造」を作ってしまうやりかたとがあって、 上手な構造が作れる問題ならば、たぶん構造による解決のほうが維持管理しやすいし、 見逃しであったり、手抜きや虚偽みたいなモラルの問題がおきにくい。
倫理の限界と構造解決
主訴「診られない」、あるいは主訴「入院希望」なんて高齢者が、今日も何人か入院になった。
年齢なりに、たしかに具合は悪いんだけれど、悪くなってもう3ヶ月目だとか、 見た目全く元気で、救急車から歩いて降りてきて、冬近くなって自信持てないから 入院させてくれだとか。
うちの地域はまだ少しだけ余力があって、こんな人でも入院先は見つかるけれど、 都市部はもう無理。こういう人が入院すると、もう退院の目処が立たなくて、 病棟が廻らなくなってしまう。
今の施設は、今月に入って病棟利用率98%とか、もうギリギリ。 それでも周囲に老健施設がたくさんあるから、何とかまわる。 都市部にいくと、地面代高くて老健施設は食べていけない。入院させたら返せない。 施設に返そうにも、退院したら支払い4倍とか当たり前だから、 みんなもう当たり前のように帰ろうとしない。
実際当たり前なんだと思う。病院にしがみつくのが一番安価で、 一番いいサービスを受けられるんだから。
寒くなると、行政は浮浪者の人達に小銭渡して、 「これで大宮あたりに行って下さい」なんて、年中行事。
たしかその地域の浮浪者を生存させるのは、その自治体の義務みたいになっていて、 冬を迎えた浮浪者の人には、自治体に保護責任が生じてしまう。
どの自治体にもお金なんて残ってないから、お互い押し付け合い。 浮浪者の人達もそのへん分かってて、2つの都市を3往復ぐらいして、越冬するためのお金を貯める。 倫理で「何とかする」限界。たぶん今も構造は変わっていないと思う。
今いる地域には、こんな浮浪者の問題が全くない。寒いから。
僻地の冬は寒くて、そもそも構造的に「浮浪」すること自体が不可能。だから問題が発生しない。
一般内科みたいな、介護とか福祉の泥沼に浸かる仕事も、 老健施設がたくさんあって、気候が厳しい田舎にいるぶんにはまだ何とかなる。 同じことを都市部でやれといわれたら絶対逃げる。
法律家がルールを手放す日
患者さんが「居つく」ことを防ぐのは簡単で、急性期の大病院を一番高価にして、 老健施設、在宅介護サービスの順番に、経済的な負担を少なくすればいいだけの話。 高速道路に料金取るのと一緒。医者の懐潤すのが嫌なら、昔の道路公団みたいに 国の収入にしたっていい。
「上から下へ」の構造さえ作れたならば、あとは細かい矛盾に最小限の制御だけでいけるはず。
政治の人達が大好きなのは、道徳による制御。「老親は、家で診るのが一番幸せです」なんて。
政府が主張する道徳は、要するに「一番お金がかかって、 一番サービスが悪いところに親放り込むのが道徳的に正しい」なんて、 無茶な主張。個人の道徳と、政府の道徳と対立していて、誰も従うわけがない。
対立しあういろんな道徳と、構造の不在。 決まりごとを山程作って、未定義の道徳振り回して物事を進める今の制度は、無理がある。
問題なのは、「道徳のありかた」を議論する場所がどこにもなくて、 構造を決定する機関と、道徳を定義する機関とが分割されていないこと。 道徳が未定義だから、絶対に不満が出るし、分かれてあるべき場所が 分かれていないから、いつまでたっても不正が無くならない。これもまた構造の問題。
たぶん法律家の人達は「あるべき日本の道徳」とか、正義といったものを、 議論して定義するところまでを仕事の範囲にして、実装は経済学者に任せればいいんだと思う。
ほとんどどんな条件のもとでも、一意的な均衡に誘導するメカニズムは存在するし、 経済学者はたぶん、それをデザインすることができる。
- 法律家は「国民はこうあるべき」という仕様書を作って、経済学者に渡す
- 経済学者は仕様書をもとにして、それを実装するための構造を考え出す
- そのデザインには誰も口出しできない代わり、経済学者は、「仕様書」には口を出せない
道義最適と、経済最適とは、たぶんしばしばぶつかりあう。 「どちらがより最適なのか?」を議論する場所は、あくまでも仕様書を作る議会。 法律家のお仕事。
構造的に、汚職の発生する余地なくなると思うんだけれど。
社会を不幸にする「法律家の正しさ」
科学の基礎分野、触媒が働く理由とか、麻酔が効果を出す理由とか、 そんな根源的な「何故」に答えようとする科学者がいなくなった。
ゲノムの分野なんかは、もはや「何故」を考える人は少数で、とりあえず遺伝子見つけて、 誰かが将来「何故」を解明したときには、サブマリン特許で大儲けなんて。
科学者の世界は「オセロゲーム」であるべきなのだと思う。
根源に近い疑問、「角」に当たる領域を確保することこそが、 最大の利益につながるルール。盤の真ん中でいくら自分の駒を増やしても、 誰かが角を発見したら、自分の駒は裏返されて、利益を相手に返還するルール。
たぶん「オセロルールが通用する」社会というのは、 経済とか技術系の人達が志向する「正しい」社会だけれど、 それはもしかしたら、法律の人達が守ってきた「正しさ」とぶつかりあう。
法律の人達にとっての「道徳的に正しい科学者」は、何か宗教的な情熱につき動かされて、 対価など目もくれずに、むしろ対価の少なさにこそ喜びを覚えて、 基礎の基礎へと潜っていく、そんな生き物。前提からして歪んでいる。
角を取られたら裏返る。挟まれたら裏がえる。そんな当たり前のことが、 法律が制御する実世界では極めて難しい。誰かが一生懸命基礎技術を発見しても、 それが発表された頃にはなぜか、その技術は法律的に「既知のもの」になっていて、 科学者は報われない。報われないから手が出せない。
「正しさからの自由」の先にあるもの
「正しさ」に基礎を置いた学問は、もはや人の振舞いを規定できない。
正しかろうがそうでなかろうが、経済学者はインセンティブを使って 人の振舞いをデザインできるし、優れたプログラマは、優れたソフトウェアを開発して、 人の振舞いを強引に最適化してしまう。
それが正しかろうがそうでなかろうが、世の中は正しさとは無関係に、勝手に進む。
変わらない「正しさ」を提供してきた人達は、今ではいろんな分野で律速段階になっていたり、 「国家のためにその才能を使いませんか? 」なんて、失笑するしかない発言をしてみたり。
国家のために何か優秀な人達の力を援用したいのならば、 道徳を説くんじゃなくて、その人たちが国のために力を発揮することが、 その人達の利益になるような仕組みを考えるのが筋。それはもはや法律家にはできないこと。
「学」というものもまた、一種の生態系なのだと思う。
法律家や政治家が支配していたニッチは、今はどうみても経済学の領域。 論理と度胸の経済学者が支配していた「お金」の世界は、 今は物理学者や数学者が大活躍。様々な学問は、そのニッチを奪いあいながら、社会は進む。
もはや下々に正しさを説く法律家という存在は、消え去るべき既得権益者にしか見えない。 彼らもまた、滅びたくないのなら、別のニッチを奪わないといけない。
法律の人達は、いろんな「正義」がぶつかりあう状況をずっと見てきて、 正義をゆがめたり、正義を運用したりといった仕事なら、きっと誰にも負けない。
最大多数が納得する正義、「神様」を定義する仕事、従来だったら倫理の人とか、 宗教の人たちなんかが占めていたニッチは、「膨大な症例数」を 武器にした法律家が奪えるような気がする。
経済学者がお金から自由になろうとしているように、 法律家はそろそろ、法律から自由になってもいいのだと思う。
内容は次のことといたしまして、まず用語の使い方の疑問ですが。
「法律の人達」「法律家」とありますが、それは「法曹」と同義でしょうか? 日本の「法律家」は狭義には法曹実務家すなわち司法試験に合格して法律実務に携わる裁判官・検事・弁護士を指し、広義には法律研究職を含みます。
お書きになった文章の状況ですと、裁判はおろか、弁護士による交渉案件にもなっていませんが、それが「法律家」の仕事(表題にある「裁く」こと)といえるのでしょうか。
法律を作るのは国会議員の仕事。 法律を運用して医療行政を行うのは厚労省ほか行政庁の仕事。 そして、法律家(裁判官、検事、弁護士)は何らかの紛争が生じた場合に、法律を用いてその紛争を解決するのが仕事です。 「法律家」にどうせよと言われても、(紛争案件になっていないので)ご指摘の状況は全く改まらないと思われます。
あるいは、貴殿が法律家の登場する場面(裁判)が背景にあるということを明言されないために、読者からすれば論理の飛躍があるように見える・・・ということでしょうか。
Posted at 2007.11.30 10:59 PM by YUNYUN
字義通りに「法律の人達」と読んでしまうとかなり違和感を感じます。いわゆる「お役人」や「政治家」や「マスコミ」と読み替えれば、そんなに違和感はないですね。
Posted at 2007.12.1 12:33 AM by とおりすがり
パリサイとかの律法者?
Posted at 2007.12.1 3:03 AM by 通りすがり
おもしろい考えですね。 法律家がシステム構築に参加する時代。 法律家も時代の変化に適応する必要があると思います。 でも人の多様性に対応したシステムが人に作れるのか? 戦いを認めない日本で何ができるか? ぼくは悩んでいます・・
Posted at 2007.12.1 9:27 AM by Teruhiro
いろんなところでYUNYUN 様の議論を拝見しています。誰が何を言っても「正しい言葉で」「それは法律の問題」で話が始まって、最後は「あんたむかつくね」「では、そういう立法をしてください」で終わっちゃうような。
YUNYUN 様は相手に「ここにおいで」なんてラインを示しても、それを越えた先にどんな「ごほうび」がもらえるのかを示してくれないような気がします。 言葉を覚えてラインを越えて、その先に何か問題解決の役に立つものが存在するのか、それともラインを越えたら「立法の問題」で思考停止を強要されるのか。
そのへん見えないと、申しわけないのですが、そのラインまで歩く気力もわきませんし、議論を転がす気にならないのです。
悪しからず、ご了承ください。
Posted at 2007.12.1 10:03 AM by medtoolz
Posted at 2007.12.1 10:16 AM by medtoolz
YUNYUN 様 ごめんなさい。コメント一つ削除させていただきました。
いくつか誤解していると思われる点を。 「あんたむかつくね」というのはもちろん、言われる側の発言であって、YUNYUN 様がそんな発言をする人だとは認識していません。 「法曹バカ」という言葉も同様、我々医療者側の自戒として書いた言葉で、そのあたりは元コメントを読んでいただければお分かりにになるかと思います。
Posted at 2007.12.1 6:53 PM by medtoolz
bewaadさんのところにコメントしようかと思ったのですが、こちらにしておきます。あちらの話は読んだ上で。
十数年前(京都議定書の少し前)に経済を学んでいた身としては、当時研究対象としてホットだった排出権取引市場について、「仕様書が無いままに構造を考えたが、国民(≒企業)に選ばれた政治家によるGOが出ない」という状況が日本で続いているのを感じます。 何が道徳かという話は置いておくと、経済学が先走って仕様書の無いままに目をキラキラさせながら構造を作ってみたら、受け入れられないという話。
経済学からのアプローチとしては、久し振りに「強度のある」ものだった気がするんですけどね。
Posted at 2007.12.1 7:39 PM by hau
技術の発展進歩迷走に付き合わされて 振り回される法律屋さんも大変だわなぁと 思うときもある。 ただ、そんなことを思えるのは、自分が自由な分野の 技術屋だからなんだろうなぁ。 ある種のルールの下で戦わないといけない制約のある 技術屋さんからすれば、法律屋さんの働きがそく仕事に 影響してくるわけで…そりゃ殴り合いになる罠
Posted at 2007.12.1 9:09 PM by ヘッポコ技術屋
Posted at 2007.12.2 11:05 AM by medtoolz
最近読んだ「失敗に関する工学系の新書(題名失念)」 によると、日本の大学の法学部には「立法学」の部門が 伝統的に欠けているとか。 わたしの誤読でなければ、欧米など外国の法律家に比べ 日本の法律関連システム(工学寄りの普通名詞的表現)の 担い手の文化は、運用スペシャリストにかたよって、法の 設計能力が貧弱になっている心配が濃厚。 マーフィーの法則に従えば、法の設計条件の変化が必然 となる筈の科学技術立国では、遠からず法令の設計ミスに 係わる大災害を世界に先駆けて体験する覚悟が要りそう…
Posted at 2007.12.2 3:35 PM by しらせひびき
>上から見ると、ちょうど「魚の骨」 そんな施設があるってのは、初めて知りました。
医療でも、ミスをなくすためにも「構造」、「システム」を作るって事が大事ですよね。
あ、伝えるのが遅れてしまいましたけど。 勝手に、「アルファブロガー・アワード」への推薦記事を書かせて頂きました。 http://kenkoubyoukinashi.blog36.fc2.com/blog-date-20071115.html
Posted at 2007.12.2 9:13 PM by Dr. I
用語定義? 面白いですねえ。 私もその用語定義をよくしますよ。 喧嘩の時にね。 言葉の選び方の無神経な(すなわちコミュニケーションの無神経な)奴に対して使います(笑)。 お前が言う、その言葉の定義付けをよお、お前と俺とでやってからよお、その言葉を使えよ! なあ! というふうにですね。 それは別に言葉の定義付けをハッキリさせようなんて目的じゃなくて、こいつを痛めつけたい、という目的から言う言葉なんですねえ(笑)。
ですがmedtoolzさんには無神経さを感じないですから、そしてというか、だからというか、言葉の定義付けなんかしなくてもいい、というか分かってくれてるだろうというか、したくない、という気分なんですねえ。
補足ですが私も、一人称複数形を使う奴を信用してないんですよ。われわれとか私たちとかね。 それは卑怯な物言いだから。
せめてブログぐらいは、そういう、利害関係を離れた、立場を離れた、言説聴きたいなあ。
Posted at 2007.12.3 4:39 PM by D
Posted at 2007.12.3 6:09 PM by medtoolz
先回、二重投稿失礼いたしました。
『失敗は予測できる』光文社新書(中尾政之)でした。著者は 失敗のセンセイこと畑村洋太郎の一門(一党?)です。 私の司法のメンタルモデルの核は『アリー・マイ・ラブ』等 のアメリカドラマなので、それらと比べて感じる日本の司法関 係者の「法令の改良に対する消極性」に、この本を読むまでは いささか不信感をもっていました。三権分立を口実にした責任 回避とか、作業環境としての現行法の変化を厭うとか。
工学の教養で習った日米の法律の設計・運用思想のちがいを さしひいても違和感がありました。が、文化としての欠落だと すると、納得がいくと同時に先行きの困難さも感じます。邪悪 な敵ならつぶすという選択肢があったのですが…
工学分野でも、類似の問題は経験しています。歴史的に
(デザイン-(設計=機能・性能))=(意匠=美観)
というとても不完全な分割が通用してきていて、世界の工業の 先頭集団に仲間入りした1980年頃から問題になったと聞い ています。「機能かつ美観」の部分について理解をえるための 工業デザイナーの苦労は20年以上経つ今でも、まだなくならな いようです。
長文になってしまいました、すみません。
Posted at 2007.12.12 6:07 PM by しらせひびき
畑村洋太郎 先生の本は面白いですよね。あの人の本は、一般向けのやつはたとえ話が今一つで あんまり面白くなくて、技術者向けのやつはものすごく面白いのに、今度はたとえ話が マニアックにすぎて実感できなくて、結局全部買いました。あれが販売戦略ならすごいですよね。。
Posted at 2007.12.13 7:53 PM by medtoolz