2007年10月 4日

良心なんて最初から無かった

昔のお医者はやる気があったとか。内からほとばしらんばかりの良心にあふれてたとか。 爺医の人達のお茶のみ話。

よかった昔。医師は良心と奉仕、患者は慎みと公共心持ちよって、お互い美しい日々。

時代が代わって、医師は良心失って、患者は慎み無くして下品になって。 お互い大切な何かを失って、だからこそ医療はこれだけ殺伐としたなんて。 問題は全部現場のせいになって、司法とマスコミだけが高笑い。

最初は誰でも獣

良心とか道徳とかいう概念は、状況を説明するために事後的に付加された 考えかたであって、生得的に実装されている性質なんかではないのだと思う。

たとえば本能は弱肉強食ルールを叫んでいる状況で、実際には協調しながらの 行動のほうが都合がよかったり、目先の利益を抑えこんで考えたほうが、 後々のメリットが大きかったり。

直感が叫ぶ「獣の正解」と、状況から選択された、「人間の正解」と。

道徳とか良心なんて言葉が引っ張り出されるのは、獣レベルでは「不正解」のシグナルを 出しているのに、目先の不利益を飲み込んで、誰か他の人との協調を選ばざるを得ない状況。

獣層と人間層で生じた認知的不協和を解消するために、 みんな頭の中で合理的な説明を考える。

理論上、山登りのルートは無数に考えられるけど、 実際には何本かの登山道に収斂してしまうように、 認知の不協和を解消するための説明もまた、本来は無数に考えられても、 それらはやがていくつかの代表的なやりかたに収斂してしまう。

収斂したそんな説明が、道徳であったり、良心であったり、 あるいは理性であったり。

どれも合理的ではあるけれど、科学的な事実とは異なった何か。

「良心を持った医師」が消えたわけ

要するに昔は、社会の中で「良心を持った医師」として 振舞うことに、何らかの利益があった。

恐らくは患者さん側も、そんな医師の振舞いを強化することで何らかの利益が得られたから、 医師は良心的に振舞って、患者さん側はそれを賞賛して、 社会には自意識の通貨が循環して、経済圏を作っていた。

お互いの行動がお互いを強化しあう、こんな共依存関係が崩れたきっかけは、 権利意識だとか、生意気な医者だとか、マスコミの陰謀なんかではなくて、 単純に医学が発達したことなのだと思う。

たとえば冷蔵庫のなかった大昔。食材の保管をどんなにていねいに行ったところで、 傷みの早い部分は必ずあるし、それらを捨てていたら、たぶん料理屋さんは採算がとれない。 昔の料理屋さんでご飯を食べれば、運がよければ新鮮な食材にありつけるけれど、 運が悪ければ、痛んだ食材を出されたかもしれない。

冷蔵庫が無かった昔と、技術が発達して、食材の全てを冷蔵可能になった現在と。

お互いがそれぞれ10人のお客さんに料理を出して勝負をすると、 「一番おいしい料理」については、昔も今もいい勝負。現代技術は、もしかしたら 昔の職人に勝てないかもしれない。

ところが「一番ダメな皿」で勝負をすると、これは間違いなく現代の料理人のほうが いい料理を作るはず。技術の進歩は、あるいはピーク性能を変えないけれど、 「皿ごと」の偏差は少なくなって、平均性能は間違いなく向上させる。

医療の進歩もまた、もちろん「ピーク」も向上したけれど、何よりも平均値の進歩。 技術の進歩は、医師の振る舞いが、医療行為の結果に寄与する割合を減らした。

主治医自ら試験管振ってた血液検査も、今ではマウスクリックひとつ。 いろんな技術が進化して、上手な医師も、そうでない医師も、 今ではできることはみんな同じ。おだてても、罵倒しても、受けられるサービスはそんなに変わらない。

患者さんには、医師の振舞いを賞賛しなくても同じ結果が得られるようになって、 医師の側もまた、他の医師以上に頑張らなくても、同じ結果が出せるようになった。

技術の進歩は良心を消した。

「良心があった昔」たぶん、本来は不必要な賞賛、本来不必要だった頑張りというものを、 それぞれ「公共心」、「良心」なんて名前を付けて合理化してきた状況。 今ではそんな物語を作らなくても、無理しないで同じ結果が得られるようになっただけのこと。

医師が良心を失ったわけでも、患者さんが公共心を失ったわけでもなくて、 そもそもそんなものは最初から存在しなくて。

あくまでも生じたことは、技術の進歩。

極限値に収斂する業界の未来

無限の発展が期待できるような業界と違って、医療みたいにある目標を極限値にして、 そこに限りなく収斂していくような発展のしかたをする業界は、 技術が進むほどに進化の速度が遅く見えて、ユーザーと技術者との疑心暗鬼が深まっていく。

たとえば医療以上に進んでいるのが、警察業界。

警察機能が完璧になって、検挙率がほとんど100%になったところで、 殺す人は殺すし、騙す人は騙す。最後に残るのは閾値の問題だから、 警察の捜査力がどんなに神がかるようになったところで、「境界ギリギリ」を目指す人は減らない。

完璧を目指せば目指すほど、その集団が動くときのコストは大きくなる。

警察組織は、個人として接するときには結構いいかげんなやりかたが通用するけれど、 一度公式に動き始めると、ものすごい数の人が投入される。

病院外で亡くなった患者さんは、基本的に警察の検死を受ける。 「病死の疑いが強い」のならば、警察の人も個人。みんなご家族に一礼して、 手続きどおりの検死を行って、案外簡単に事務処理が進む。

ところが死亡診断書に「外因死の疑い」なんて書いた日には、その日一日潰れてしまう。 警察官は倍増するし、いきなり目が怖くなる。 言葉の全てに言質がとられて、さっきまでの世間話が、いつのまにか「調書」になって。

確実さが求められる業界の確実さを担保しているのは、莫大な手続きと、書類の山。 それを人海戦術でこなすから、巻き込まれる人の数も莫大だし、こっちも大変。

警察当局に「事件性あり」で行動してもらうのは、すごく大変なのだそうだ。

素人に警察を動かすなんて到底無理で、刑事立件に慣れている弁護士の人が警察に日参して、 あまつさえいろんなルートの圧力駆使して、4回目か5回目のお願いで、やっと「刑事事件」 として公式に動き出すのだという。

極限値に収斂していく業界は、たぶんその進歩が究極に近づくにつれて、 外から見るとどんどん「怠惰」になっていく。

警察を公式に動かすためには、たぶん莫大な予算であったり、マンパワーをつぎ込む必要があって、 それをやり始めると止められないし、たぶん日常業務が回らなくなる。

ストーカー殺人なんかで 警察の怠惰が叩かれていたけれど、恐らくそれは、 「刑事」に舵を切るコストがあまりにも高くなってしまって、 もはや現場の判断では、それを決断できなくなっているんだと思う。

良心無くした医者は、今は金目当てで怠惰になった。これもまたきっと、技術的必然。

まとめ

たぶん最初から、良心とか奉仕の心、感謝の心も存在しなかった。

それを仮定したほうが社会コストが少ない状況があって、 技術が進歩して、今はそれがなくても大丈夫になって、良心は姿を消した。

良心ルールがあった昔、それにすがって社会回してきた人達にとっては、 後に続く世代も同じ概念共有してくれたほうが、たぶん低コストで品質の高い労働力を得られた。

手段がいつしか目的にとって変わって、本当は存在しない、 不合理を納得させるための物語でしかなかった道徳とか公共心が、 いつしか利権を隠した真実として、教育されるようになった。

今の社会にはそんなもの必要なくて、むしろそれにすがっている人は割り喰ってばかり。

無いもの信じて失敗した人達が、最初からなかったものを今さら探そうとするから、 犯人さがしが始まって。そんな認知的不協和を解決するための新しい物語、 技術が進んだ現在の道徳というのが、あるいは「すべて医者が悪い」とか、 「警察は全員腐ってる」とか。

安全率とコストとの見直しをするべきなのだと思う。確実さをわずかに上げるのにも 莫大なコストがかかる昨今だけれど、進歩した技術は、安全率のわずかな 低下さえ容認できるなら、本来莫大なコスト削減も実現できるし、 「安全はお金で買うもの」なんて考えかたも広まるはず。

「道徳はマスコミと日教組の陰謀」なんて、新しい道徳をみんなが受け入れられるなら、 世の中ずいぶん変わると思うんだけれど。

コメント

>内面(良心)の存在を仮構して
結局そういうことなんでしょうけどね。できることなら良心なんて概念入れないで、
実世界を説明できたらいいな、なんて思ったり。

行動主義心理学者が社会学に転向したらこんなかな、って印象を受けました。
内面(良心)の存在を仮構して、状況とフィードバックするってモデルの方が、計算コストが同等なら精度の良い近似を得られると思います。

>患者や家族に対してアメニティを提供するのは、看護婦のほうが得意そう

英国なんかはそのあたり割り切って、外来専属ナースが薬を出す形にして大もうけしている
クリニックがあるそうですね。

面白いエントリーありがとうございます。
冷蔵庫の例を、自動車に変えてみても面白いかも知れません(以前その様なエントリーを書いていたならすいません)。
自動車で、書き直すとこんな感じ。
技術の進歩により、今60km/hでない自動車や、すぐ壊れる自動車を作るほうがかえって難しい。とはいえ、人々は、400km/h出る車を望んではいない(公道でそんな速さでは走れない)。
いつの頃からか、自動車メーカーは、速度ではなく、車内空間のアメニティや、環境に優しいという別のセールスポイントを考え始めた。
つまり、ある技術が極限値をむかえてしまったので、別の技術を競いだした。
この前新聞で、看護婦が副医院長になる例が増えたと載っていた。患者を治療するのは、医師のほうが得意だが、患者や家族に対してアメニティを提供するのは、看護婦のほうが得意そうだ。
つまり、自動車業界が速度競争ではなく、アメニティ競争に軸足を移したように、医療業界も、別の競争原理に移行するかも知れない( 医療関係者ではないので妄想で書いてます)。

いっそのこと、完全結果責任ルールにしても面白いのかもしれませんね。
行為に対して満足を得たら対価を払うし、そうでなければ対価を支払わないみたいな。
対価が支払われない場合は、実費を国の総取りにして、そのお金を安全対策に当てる
代わりに、医師の無限責任についても、国が担保してくれるとか。

少なくとも、医師の営業用スマイルだけは充実すると思うのですが。

悲しいけど、事実なのよね。
良くも悪くも勤勉な日本人。
あらゆるものが完璧でなくてはならないという。
億千万に一の確率でも、リスクを認識していたなら防ぐ手立てを講ずべきだと。

コストとか労力とか、善悪すら無視して。

アメリカ人に散々教育されてきたんだから、あいつらのアホさ加減も少し学んだらいいと思うよ。
ただし、奴らのアホな側面は、冷酷な側面の裏側でもあるのだけどね。

>最初からこんな文章書くべきじゃない
読まないのが最善手だと思いますよ。

>脱福者 様
「銃、病原菌、鉄」もそうでしたが、道徳否定というのはそんなに否定的な論ではなくて、
もともとの素質とか、道徳の量みたいなものに優劣があるのではなくて、あくまでも
公平な人間が、いろんな状況に適応して振舞っているだけなんだという価値観をみんな
で共有したいな、というだけなんですけどね…。

状況が思想を変えたのが正しくて、思想の変化が状況を変えたのではないと私も信じています。

いつも切れ味鋭いですね。

 養豚業を野放しにすると国力が落ちるような気候・交易環境下では、「豚は不浄なな生き物」という道徳が存続します。
 目先の利益のために耕牛を食うと長期的に衰亡する気候下では、「牛は神様の乗り物」。
 高度経済成長下では「医師に通常通りに刑法や日常モラルを適用してはならない」。

 物資は目出度く供給過剰になりました。おかげさまで、自然から搾取する人の相対的地位は、人から搾取する人の地位に比べてますます低下しました。このパワーバランスの変化は、医師に不利益をもたらしているでしょう。
 
 経済の変化は、新しい道徳を生みます。経済の変化が既存の道徳勢力の許容範囲内であれば、既存勢力が教義を変更するでしょう。しかし、変化が大規模であれば、宗教革命が---道徳勢力のパワーバランスの崩壊と再構築が---起きます。
 新大陸からヨーロッパに銀が流入し、インフレが常態となったことによって、プロテスタントが生まれました。
 日本では、殺生を生業とする人々が僧侶を呼んで講話を聞ける時代になって、鎌倉新仏教が生まれました。

 今の日本人の多数派は、6系列に束ねられた報道機関を道徳勢力として仰いでいるようですが、どれほど嬉々として仰いでいるのか、そこが私にはわかりません。youtubeやmixiや2ちゃんねる等の流行ぶりを見ると、宗教革命(報道革命?)を望む人は決して少なくない と思うのですが。楽観的過ぎますかね。

最後の一行ではからずも「教師の良心」を期待していることに絶望。


「他の分野になると事情が分からない」ことを肯定するなら、最初からこんな文章書くべきじゃないだろう。

>お金に技術が伴うじゃなく精神に技術が伴っている
精神とお金は、あるいは「価値」とか「対価」なんて言葉で一般化できるかもです。
教育を通じたフィルタ機能は、これもまた別の道徳を強制する形になってしまって、
やっぱりそのうち制度疲労がくるかもしれません。救急車の自制を、なんて叫ぶ
人達が、案外すいた救急車をタクシーがわりに使ったりして。

同じ料理でもプロと素人では味が定性的には変わるし
家庭の味とよその家の味も本人には違う事がわかるから
お金に技術が伴うじゃなく精神に技術が伴っていると思います
でも資本主義社会を維持するには「安全はお金で買うもの」
だと思いますが、やっぱりそれはさみしい気がします。
アメリカとは環境も医療費制度なども違う中、
お金でフィルタリングするより教育でフィルタリングして
見るのはどうでしょう。
例えば60歳以上なったら医療機関利用案内やお子さんが
生まれた方々に幼児健康マニュアルなど講義やテキストで
自分で怪我や痛みの判断ができれば無駄に救急車を呼ばず、
深夜にかけこみする人も減るんじゃないかと思いますが・・・
やっぱり日本人には無理ですかね?

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