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2007.05.21

「負けない」医療の作りかた

問診と理学所見を中心にした、必要最小限の医療資源を駆使した医療というのは、 「勝つけれど負ける」戦略の延長。勝ちかたはとてもエレガントだけれど、 負ける確率が結構高い。

勝ち点で負けを挽回できる「勝者のゲーム」なら、「勝つ」戦略はとても有効なんだけれど、 ひとつのミスが命取りになる「敗者のゲーム」では、「負けない」戦略が重要になってくる。

医学というルールにも、マスコミの人達とか、法曹の人たちなんかがいろんなメタルールを追加して、 以前みたいな「勝つ」戦略は不利になった。

「負けない」医療、ミスを許容しないルールで生き残りをはかろうと思ったら、考えかたを変えないといけない。

  • ベテラン医師が軽症患者を診察する
  • 機械によるスクリーニング検査を徹底する

フロントラインは優秀な人

リスクに対する考えかたを改める必要がある。重症外傷の患者さんとか、 術中死の可能性が高い患者さんなんかは、最悪の事態になったところで、 それがとがめられるリスクは低い。

簡単な症例、単なる切り傷とか、風邪みたいな一番軽症の人達こそ、 「万が一」が生じたときのリスクが極めて高い。

診療という一連の行為の中で、リスクが一番高いのは、治療ではなく患者さんの振り分け。 診療の中で最もリスクの高い行為は、最も能力の高い人が行わなくてはならない。

たとえば産科医療の現場に必要なのは、産婆じゃなくて乳母。

助産師が前に立って、ベテラン医師を温存するんじゃなくて、 ベテラン医師がフロントラインを作って、 あとの人達は後方支援に徹しないと、どこかで「負け」てしまう。

「負けてない」状況を作るスクリーニング

勝利条件を決めるのは審判だけれど、「負けていない」状況は、選手でも作り出せる。

何が勝ちなのか見えない状況で「負けない」ためには、 スクリーニングの考えかたを徹底して、 「負けてない」条件を医師側が作ってしまうことが大切。

診断学の領域で、この10年間で生じた最も大きな進歩というのは、 検査データに「ハイ」とか「ロー」が表示されるようになったことだと思う。

大昔、検査データというのは、「読む」ものだった。 医師は数字の流れを読みながら、患者さんの体の中に想像をめぐらせた。

検査の異常値が「ハイ/ロー」で表示されるようになって、 検査所見は「読む」ものから「見る」ものへと変貌した。

検査データに異常値のない人は正常

これは間違いで、そもそも検査データには正常値なんてないんだけれど、 検査に「異常、正常」という概念が導入されて、トラブルは格段に減った。

「検査所見は正常な人」と、「健康な人」とは全然違う。

ところが、「調子は悪いけれど検査は正常」という考えかたは「負けてない」。 「原因は分かりません」という医師の言い回しは「負け」。両方とも勝ちではないけれど、 違いは大きい。実際問題、「検査正常」という勝利条件をうまく使うと、トラブルは格段に減る。

来院した患者さん全員にCTを撮ったり、あるいは血液検査を施行したりすることで、 「CTは正常な人」「検査は正常な人」という、負けないための手段が手に入る。

医療費の無駄遣いなんだけれど、大量消費前提ならば、これらはまだまだコストダウンも可能だろうし。

スクリーニング検査のありがたいところは、技術者の育成が簡単なこと。

研修医が採血するだけで患者さんからクレームが殺到する昨今、検査データや 画像診断をベテランと一緒に読む行為は、安全な研修ができる数少ない分野。

患者さん全員に同じスクリーニング検査を行って、まずは「検査所見上正常な患者かどうか」 を見分ける目を持つ医師を育てる。ここまでならば、医師が「負ける」ことなく可能なはず。

これからしばらくの間、ローテートした人たちが「何でもできる」認定されて無茶な思いを させられて。リスクの高い現場からはますます人がいなくなった頃、たぶん「負けない」医療が 模索されるはず。

血液検査とCT読影を最初に学んで、そのあとでICU の重症患者の受け持ちを実習してから一般病棟デビュー、 2年間の研修の最後は外来診療みたいな流れなら、「安全な医者」作れると思うんだけれど。

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こんにちは。 結論部の思想はいいアイディアのように感じました。連想したことを幾つか。 ・「この10年間で生じた最も大きな進歩というのは、検査データに「ハイ」とか「ロー」が表示されるようになったこと」  表示する施設・しない施設が混在していた時期があったことと思います。ポリシーの違い(Don’t look, feel! な病院は導入しない)ではなく、進歩(機器更新の時期)の違いであり、今はほぼ全施設(全機器)で表示されているのですね。

・聴診(=僻地診療所でも実施可能なワザ)のみを伝達することは困難。  ところが、超音波検査と聴診を両方勉強してからなら、聴診(diastolic rumble、僧帽弁逆流音の放散方向)からドップラー画像をイメージすることができる(?)。あるいはCTと単純写真を比べて勉強して、単純写真が深く読めるようになる。(ン十年前のフェルソンなら知らず、イマドキの胸部読影入門本で解答欄にCTの説明がない本はない?)  原著が手許にないのでうろ覚えですが、養老孟司氏が「脳化」に関して語り始めていた時代に、医師の検査好き・検査頼りを評していたことがあります。ざっとGoogle検索してみますと以下の表現がありました。 >氏は「情報化」=「脳化」であり、生きる実体(身体)が諸行無常なのに対して、情報化は固定化、シンボル化であると論じる。  養老先生が「近頃の医者の検査だのみ」に対して否定的な論調だったか否かは記憶していませんが。  現実には、検査結果という形での固定化・シンボル化が共有・伝達面できわめて実用的である、ということですね。 

>Don’t look, feel! な病院は導入しない説 ではなく >Don’t look, feel! な指導者が仕切っている病院は導入しない説 がより適切でしたかね。

有限の共有リソースの有効利用もマクロ(ミクロ?)的には問題になりましょうか。 ・夜間の頭痛めまいに関し、pretest likelihoodが相当低くても、可能なら頭のCTを撮るというのは問題になりにくいと思います。万が一の見逃しが高くつく。広い意味では防衛医療。(相対的に)検査時間コストもそうかからず、レントゲン技師の技術が一定レベルで可能になる養成コストもそうかからない(テクノロジーの進歩万歳)。検査機器も空いてるし。 次に来るのが ・術前の心電図異常で全例心エコー。  これはやってるところはありましょうか?検査時間コストと養成コストとそれに対するベネフィットが割に合わなさそうです。やられたらパンク? ・単純な市中肺炎ごときでCT検査をとるな、という導師(あるいは常識)は正しい。頭に比べて胸部CTは撮るの(も読むのも)大変そうですし、目に見えるメリットには乏しい。  しかしながら、どんどんCTを撮るのがいいという考えもありそうに思われます。  問題になるのは、CT検査機器は予約検査で一杯、という点で。全例は無理でも、撮る撮らないのカットオフを取る方向にシフトさせてもいいのかな、と。

コメントありがとうございます。 日本人はメカとの親和性が異様に高い民族ですし、そろそろ「日本流」西洋医学 を考えたっていいと思うんですけどねぇ…。 CTなんかも、24時間ブン回すの前提でスケジュール組めば、どの施設だって予約 入りまくりでしょうし。実際のところ、ヨーロッパのほうでは高額医療機器の 数が少なくて、24時間運用は当たり前にやってるみたいですし。スタッフ3交代で、 カテ出しが午前3時とか…。

 新米医師のキャリアの最初の2年ぐらいを法医学(司法解剖?)の場で修行すれば、患者さんが亡くなる危険はほとんどなしに、医療にかかわるそれ以外の厄介さ全部(手遅れのリスク、個別性、医師の患者からの感染、やっかいな親戚…)を体験し、そのうえ司法の場で通用する表現や書類の作り方が身について、とても強力な医師が育ちそうにおもいます。  うまくすれば、司法解剖の人手不足も補えるかも…。

司法解剖の場にいらっしゃる方は、病人というよりは事件や事故でなくなった方ですからねぇ…。 ブルガリアとか、昔の共産主義が残っている国家では、亡くなった患者さんの身体は「国家の財産」 なので、基本的に全員解剖されるのだとか。 そんな国のノウハウが出回ってくると、またいろんなことが分かるのかもしれませんね。

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