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2007.02.20

「信じたがる人」に伝わる意見

理性的な、あるいは科学的な「いい考え」というのは実世界ではなかなか受け入れられない。 その一方で、「納豆がダイエットに効果的」とか、「この壺買えば人生勝ち組み」みたいな考え方は 大流行。

「いい考えかたが広まる」というのは机上の空論。広まった考えかたが、事後的に「いい」ものとして 認知されるのが世の中。

広まる考えかたと、そうでない考えかたとを分けているのは、たぶん「信じたがる人」 たちを意識した発信を行っているのかどうかだと思う。

「優越感ゲーム」のルール

世の中を支配しているのは、優越感という万能通貨。

経済的な力。社会的な地位。目に見えない名声や、賛同者の数といった社会の様々な パラメーターは、「優越感ゲーム」というメタルールの元ではお互い交換可能なものとして機能する。

ゲームは突然始まって、通貨の交換が一段落した時点でいきなり終了する。 初期条件は極めて不公平。 最初から多くの通貨を持っている人もいれば、何も持っていないのに、 いきなり「ゲーム開始」の合図を聞く人もいる。

何も持っていない「信じたがる人」

マーケティング屋さんが「下流」と呼んでみたり、あるいは新興宗教を主催する人たちなんかが真っ先に ターゲットとして想定するのは、このグループの人達。

信じたがる人というのは、「優越感ゲーム」が開始された時点ではほとんど何も持っていない。

納豆がある日バカ売れしてみたり、科学を信じる連中からするとありえない行動をするのも、 このグループの人達。そんな行動の裏にはたぶん、「現状以外であれば何でもいい」という、 感覚がある。

考えうる全ての選択肢が絶望しか生まない場合、 最悪に見える選択が、最善手に見えてくることがある。

優越感ゲームというのは、誰かが勝手に笛を吹いて、ある日突然始まる。

初期設定が全然公平でないから、何も無い状態でゲームの会場に放り出されたプレーヤーは、 理不尽な思いをする。「リセットボタン」を押して最初からやり直したくなる、そんな状況。

「優越感通貨」というのは交換しあうことで価値を増していくけれど、 何も持っていないところからゲームに参加した人がとれる戦略は、誰かのアイデアを「信じること」だけ。

信じたアイデアが失敗したところで、「信じたがる人」が失うものはほとんど無い。 この人たちがアイデアを選択するとき、最も重視されるのは短期的な成果で、 その次が成功した時の対価。アイデアの実現可能性みたいな要素は後回しになる。

「信じたがる人たち」に働きかけるには

偏りのない事実を並べて判断してもらったり、事件の構造的な問題を指摘して、 それを解決するための方法を考えてもらったりするやりかたというのは、信じたがる人達には広まらない。

考えたところで、彼らに「優越感通貨」は支払われないし、この人達が一番望んでいるのは 今の理不尽なゲームがとりあえず終了して、次の「ゲーム開始」の時までに 通貨を蓄えておくことだから、 「これを信じることで何が得られるのか」を明示していないアイデアは受け入れられない。

アイデアを述べる人間の好感度も大切。

たとえば愛煙家に「健康に悪いですよ」と禁煙をお願いする場合。

  • ある程度の通貨を持っている人の言い訳は、肺ガンのリスクはそんなに高くないとか、 自分にとっては禁煙による不利益のほうが利益よりも圧倒的に多いからとか、 自分の正当性を支持する対抗論理を持ち出すこと
  • 「信じたがる人」は、より属人的な判断を行う。禁煙しない理由として 「あの医者の態度が気に食わないから従わない」 という反応が返ってきたりする

失うものがある人にとっては、筋の通らない言い訳をすることは、自分の通貨を 失ってしまうことを意味するから、論理で相手の説得をはね返す動機が発生する。

失う通貨の無い人にとっては、そもそも対抗論理を作り出すことが無意味なことだから、 「あなたは信じるに値しない人間だよ」という理由で十分だったりする。

属人的な考えをする人を説得するには、「人に対する信頼」自体を担保にすること。

「こうした方が健康にいいですよ」みたいな言いかたじゃなくて、 たとえば「来年も、お孫さんとここを散歩できるといいですね」みたいに誰かに関連付けた動機付けを 行ってみたり、マスメディアの人たちみたいに、 「私を信じて下さい」みたいなキャスターの魅力で人を信用させてみたり。

個人の中の上流下流

産科が消えた。「何とかしなきゃ」。市民が動いて、署名が集まった。 みんな笑った。「馬鹿じゃねぇの。金出せばいいのに。法曹動かさないと意味無いのに」 産科の医師が訴訟されて、同業者がやったのは結局同じこと。

「声をあげよう。危機を訴えよう」

そんな行為に意味がないのは、みんな知っているはずなのに。

「下流」が叫んで、それを見た上流が「もっと正しいやりかたあるのに」と笑う。

たぶんこんな構図は社会のいろんなレベル、いろんなスケールでずっと行われてきたことで、 それこそ小学校のいじめから、国会議事堂での内閣突き上げまで、やってることはみんな同じ。

医師が叫んで、たぶん社会のどこかにはそれを見て「馬鹿じゃねぇの」と医師を笑う「上流」の 人達がいて、その人達の頭の中にはきっと、「正しいやりかた」が考えられているはず。

残念ながら、納豆買ったり壺買ったりする人達を科学が説得できないように、 叫ぶ人達に対しては、「正しいやりかた」なんてナンセンスな戯言にしか見えないし、 医師に対して「正しいやりかた」を提示できる人がどこかにいたとして、 その意見を我々が目にしたところで、やはり「ナンセンスだ」という声しか出てこないんじゃないかと思う。

医師が国民を味方につけようと思ったならば、科学的な事実や構造の問題を淡々と 示すだけでは足りなくて、 「医師を支持することでどんな未来が得られるのか」を提示しないといけないし、 医師全体が属人的に判断の目に晒されるから、「愚民ども」とか、 行儀の悪い発言は絶対に潰していかないといけない。

今の医療者に対して「正しい解答」を示そうとする人が仮にいたとして、 その人たちが「医師なら理性的に判断してくれるはず」なんて思ったら、 アイデアを示した瞬間に袋叩きにされておしまい。

やりかたはマスメディアと一緒。「何とかできます。私を信じて下さい」と断言できるを立てて、 その人を信じた先にどんな未来があるのかをなるべく具体的に示すこと。

「下流マーケティング」の方法論というのは、本来は社会の上流、下流で 広告のやりかたを変えるような限定的なものではなくて、社会のあらゆるレベルにおいて、 優越感ゲームでたまたま「上」になった人たちが、「下」を説得するときに 汎用的に用いることができる技術のはず。

政治家の人とか厚生省の人とか、本来はこんな「下流マーケティング」のプロ中のプロでないと 勤まらないはずなんだけれど。

Comment & Trackback

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危機を訴えられるだけだとネガティブな気持ちになります。 「俺に付いていけば、危機を乗り越えられるんだ」と断言されると、ポジティブな気持ちになります。

その意味では小泉元総理は「下流マーケティング」の天才だったわけですね。

何かを信じたい人仕様に情報を発信するのは、キノコとかで商売する人たちと同じみたいで医療の行動原理にはなりがたいと思います。必要以上に「医療崩壊!」を喧伝して危機感を煽るのもそれらの商売と同じのような気がしないでもないです。でも、「今まで医療者はそういう危機をうったえてこなかったぢゃないか!」と後から批判されたときのアリバイにはなるでしょう?

「医師がどんなヴィジョンを示せるか?」というのは、行動原理の確立と同じことですね。それがなければお金を要求する根拠がない。お金という裏付けがなければ・・・(以下ブログ主先生の意図を汲み取り自粛)

小泉元総理は… そのとおりだったんだと思います。あの時は、民主党は「国民は政策を理解できる程度に 頭がいい」と予想して、自民党は「国民は想像以上に馬鹿ばっかり」というスタンスで 選挙に臨んで、結局自民党が勝ったという…。選挙対策の第一歩は、選挙区のインテリジェンスを 査定することから始まるそうなのですが。

消火器外科医 様 次エントリーで冗談めかして書いていますが、医者の代表じゃなくて、国民の代表みたいな 人を担ぎ出して、「医師と国民はひとつ、敵はあいつら」みたいな形に持っていかないと、 経団連には勝てないんじゃないかと。