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2007.02.17

医療が業界間交渉のテーブルにつくために

外交3原則

  1. 国家は国際ルールを守らなくてはならない。また、ルールの無視を看過することによって、別の国家に 危害を及ぼしてはならない
  2. 国家は国際ルールに服従しなければならない。ただし、そのルールが自国の行動原則に反する場合はこの限りでない
  3. 国家は、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない

治療教義という言葉を作ったり、行動原理と表現したり。

どういう書きかたしても全く反響のない話題だけれど、もう少しだけ。

何がしたいのか

医療以外のいろんな業界の人、司法や報道、企業家やエンジニアの人達と、 もっと話がしたい。基本はそれだけ。

単なる個人として誰かと話すのは本当に簡単なこと。テレビに出るような有名人とだって、 ネット世界ではコメントでもメールでもいくらだって手段があるし、返事をいただけることだってある。

でもそれはあくまでも個人と個人のやりとり。立場の異なった業界を越えて、 たとえば特定の話題を議論するとか、何かの問題を越えるために協力しあうとか、 そんな業界同士の話にはならない。

医療には「業界」の概念がない。

異分野に進出して活躍している医師もいるけれど、あれは「優秀な個人」としての振る舞い。 医師の立場、医師のものの見かたが何かの役に立つとか、そんな要素はほとんどなくて、 せいぜい「免許持ってるから便利」、その程度。

イメージとしては、国際外交の世界。

いろんな国、いろんな立場のある国際政治の舞台では、それでも国家どうしは対等に「外交」を行う。 もちろん小さな国は割りを食うことも多いけれど、政治的にうまく立ち回ってみたり、 国益が全く異なる国同士が、何かの目的では協調してみたり。

ドロドロの国際政治ゲームの舞台では、それでも「国家」でさえあれば、 対等なプレーヤーとして参加可能。 参加したあとは、その国の能力次第。

国際政治の舞台で、唯一仲間はずれにされるのが「憲法を持たない国家」。

今の医療業界はこの状態。

外交にはルールが必要

国際政治の舞台には、たとえば人道主義とか、侵略禁止とか、国連で決めた、あるいは もっと漠然とした「国際ルール」みたいなものがあって、 それぞれの国家はそれを踏まえて外交を展開する。

国際ルールとは別に、それぞれの国家には行動原理、たとえばそれは憲法で明文化されていたり、 イギリスみたいに経験の蓄積で代用したものもあったり、そんな自分達の行動に内在する ロジックを持っている。

外交は、お互いの行動原理にのっとりながら、相手の動きを探ったり、操ったりするゲーム。

自国の行動原理と、「国際ルール」とをうまく使って相手に圧力をかけたり、 2つのルールの矛盾をついて、 相手の行動を非難してみたり。交渉は、自分のルールをちゃんと持っている限りはお互い対等。

外交世界は、外面だけ性善説ルール。

相手に対して「ウソをつくなよ」ではなくて、「お互い正直にやろうよ」という交渉をする。 これができるのも、お互い行動原理を持っていて、 「国際ルールは破っても、自国の行動原理は守る」という合意ができているから。

憲法のない国とは外交が成立しない

行動原則のない国家とは、外交が成立しない。どんな状況で裏切るのか、どうしたら味方になって、 どうなったら敵対するのかのロジックが見えない以上、 性善説ルールで接するのは不可能。

クーデターのおきた国家が真っ先に作るのは、臨時政府と新憲法。

憲法を持たない国家というのは、どの国家から見ても、外交をする価値が無いと 見られてしまうから、まずは形を整えて、国際舞台から「プレーヤー」として認知してもらう。

「我々の国にはちゃんとルールがあって、我々はそれをきちんと守っている」

そんな宣言が出来ない国や、あるいはその「ルール」を平気で反古にするような国は 世界中から叩かれるし、誰も味方になんかなってくれない。

自分のルールを守るということ

ルールに乗っ取らない批判は全然怖くない。

以前話題になった「新しい歴史教科書」が発売された当初、朝日新聞をはじめとする メディアは感情的な叩きに走ったけれど、売上げは伸びる一方だった。 そんな時、岩波書店が「この教科書の内容では、入試に必要な知識が不十分で、 受験用として考えると現場では使えない」という実用的な批判を行ったのだそうだ。

  • 岩波書店は出版世界の伝統的な「プレーヤー」で、自分のルールを守ってきた実績がある
  • 出版世界での国際ルールは、「教科書は受験に使えること」

プレーヤーからルール違反を指摘された「新しい歴史教科書」は、 何としてでもこの指摘に答える義務が生じてくる。

選択は2つ。

国際ルールに従って、受験知識を織り込んだ新版を発行するか、 「この教科書の歴史認識が正しいんだ」と自国の正当性を主張して、 受験という「国際ルール」の改訂を求めるか。

いずれにしても、ルールに乗っ取った指摘に対しては、必ず行動で返さないと 信用を失うのは基本中の基本。だから恐ろしい。

捏造ばっかりで叩かれまくるマスコミにだって、薄っぺらな「行動ロジック」 というものがあって、基本的にはそれを外さない。

あんないい加減な謝罪会見だけで広告主が納得するのも、マスコミの行動原理に一貫性があるから。 まだまだ「ゲームの相手」として外交を行う資格があると認識されているからなんだと思う。

ルール無き国はゲームに参加する資格が無い

ルールの無い国は、国際社会から相手をしてもらえない。

こいつは交渉しても無駄だな、あるいは、まだまだ交渉するほど成長してないなと思われたら、 周囲からは憐憫の情で見られるだけ。

周囲から憐れまれて、お目こぼしをお願いするのは外交なんかじゃなくて、単なる乞食の論理。

守るべきルールが明文化されていなくて、外の人が見たら矛盾だらけに見える行動をとる 「医療」という業界は、「業界間の外交舞台」からはまだ「プレーヤー」とは認識されていない。

もう限界だよ、崩壊しちゃうよなんていくら訴えたところで、 それを見る「外の人達」の視線というのは、アフリカなんかの失敗国家の難民に対する視線と同じ。

「あぁあいつらかわいそうだな」とは思っても、あの業界と協力して何とかしようとか、 自分達の業界ならば手助けができるかもとか、 そんなふうに考えてくれる業界は、たぶん無い。

個人同士の対話から業界同士の交渉へ、やがては国家間の外交へ。

対話の粒度がだんだんと大きくなっていく中で、固有名詞の力はだんだんと薄れていって、 相対的に「属性」の力が増していく。医療従事者がもっと粒度の大きな世界に出ていこうと 思ったら、「医師とはどんな職能集団なのか」を文章化したものは絶対欠かせない。

たとえばこんなの

「医師というエンジニア」の行動原則をこんなふうにみんなで蓄積していく。

  • 技術最適化よりも安全を優先する:昇圧薬は薄くすべきか濃くすべきか? 余分な水分を入れたくないという技術的な立場からは濃くしたほうがよくても、 安全優先という立場からは当然「薄くするべき」となる
  • チームのことを考える: 技術的に最適化した「俺様処方」は是か非か? チームでやるという教義に従えば、限界まで追い込んだ分かりにくい処方をするよりは、 汎用品をうまく組み合わせた分かりやすい処方が正しい
  • 信頼性は追求するのでなく分配するもの: 安全を保証するために必要なマンパワーと機械とは、求められる保証の程度に応じて変わる。 限られたマンパワーとマシンパワーとをどう振り分けるのかを考えるのも医者の仕事
  • どうせ壊れるなら安全な方向に:壊れると輸液が入る旧式ポンプから、壊れても止まるだけのシリンジポンプへ。 抜けると危険な中心静脈ラインよりは、より安全な末梢輸液や皮下輸液へ。 ハイテクと安全とは両立させず、常に安全へ
  • チームを組織する: 「みんな馬鹿ばっかりで俺様の力を生かせねぇ」なんて愚痴をいう医者は、基本的に無能。 本当に優れた人は、どこにいっても自分のチームを作るし、やる気の無い周囲の人が、 いつのまにか喜んでその人のために働き出す。 チーム作りのノウハウというのもまた、医師の重要な機能

技術的には問題なかったとか、彼は万全を尽くしたとかじゃなくて、 「あの行動は医師としての行動原則に則していたのか?」を討議する。イギリスの不文憲法 みたいに過去の行動基準をみんなで蓄積して、形にしていく。

最初は病院内の専門科ごと。それを持ちよって粒度を上げて、病院ごとの行動原理を作って、 さらにそれをまとめて、「医師の憲法」みたいな形へ。

無理?

Comment & Trackback

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五族協和でお馴染みの満洲国には国籍法がなかったそうですが(=満洲国国民とは誰ぞやを定義した法律はなかった)、憲法はあったんですかねぇ……

条約を結ぶとそれに準じて法律が改正されるというのはよく聞く話ですが(男女雇用機会均等法施行は男女の労働だか権利だか関連のなんかの条約批准がきっかけ)

国際条約は2国間から多国間まで、色々ありますね。 しばりがきついものだけに、適用できる範囲は初手から限定され明示されている。

無理でしょうね。医療ってのは「治療教義」も「行動原理」よりも、「俺様処方」が幅を利かす世界ですから。また「俺様処方」な医師が超人的な働きをしてオペも上手かったりするから手に負えない。

「医師の憲法」というとヒポクラテスの誓いが直ちに想起されますあ、情況は「ヒポクラテスたち」なのであって、これをいかに突破するか?となるわけです。でも超人的な俺様朕であるところのオーベンに逆らえるわけもなく、まあ田舎だからしょうがないよね、と納得するしかないです。「あの先生はたしかに手術上手いけど、しょせんは田舎の外科医だよね」とか言って、オーベンに堂々と意見できない己を慰めるほかないのです。

まぁ無理なんですけど。 でも、無理で思考停止しちゃうと、やっぱりこのまんまの状態が続いてしまうわけで。 「憲法制定」という行為は、医師が他の業界に進出するためのパスポートみたいな もので、これが無いと、病院はいつまで経っても中小企業止まりなんじゃないかと。

*チームを組織する* 医療という業界は大規模なほど、「外」とのつながりが薄い印象。 個人規模のクリニックなどは、サービスの色合いも濃くなるので、他業種を交えたチーム化が容易かも。そうなると他業種との交渉もあって。 そんな小さなチームが大所帯の医療に影響を与えて、大所帯が他業種とチーム化しようとするときに、他業種に理解してもらうために行動原理が必要。だって大所帯だし、と思った。

アメリカで言うところのBoard of medicine ドイツで言うところの職業裁判所

彼の国にそれがあり,医師の職業の尊厳と信頼を担保している。(十分とはいえないらしいですが) 我が国ではそれがないです。医師法が医師としての規範を示しているとは到底考えられません。 今まで医師不足もあり、なあなあの体質でやってきたわけですが、日本医師の身分団体が(もしあれば、の話ですが)その辺の規範をきっちり示すかと言われたら,悲観的かもしれませんけど、やらなきゃ未来はないと思います。 参照 http://www.fine.bun.kyoto-u.ac.jp/tr4/NLsasaki.pdf

法律とか規則というのは、自分達を縛るものであると同時に、本当は強力な防御の手段 としても機能するはずなんですがねぇ…。 PDF ありがとうございました。 読んでみます。