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2007.02.15

囲い込みメソッド

組織のとか、そんな面倒なことは考えないで、 中の人達を囲い込んで、ひたすらに安い価格で現状維持を目指す、そんな 思いっきり後ろ向きな方法論。

やりこみ要素

たとえスキルを磨けたとしても、それがあまりにも狭い世界でしか通用しない技術になってしまうと、 もはや全く潰しが効かなくなってしまう。潰しの効かない、 行き場のない人は安い値段で囲い込むことが可能。

バイク便の上手な人達というのは周囲から尊敬されるけれど、いくら技術を磨いたところで、 それは「バイクの操縦が上手」というだけ。その技術がいくら優れていても、 他の業界に通用する技術ではないから、高スキルの人が流出する可能性がほとんど無い。

技術者には穴倉的な狭い世界で存分に競っていただいて、 その情熱を「移動能力」の削りあいに持っていければ、 高スキルの技術者をいくらでも安く買い叩けるようになる。

重粒子線治療に特化した放射線科医の人とか、 もちろん「ただの医者」としていくらでも潰しは効くだろうけれど、 自分の腕を生かそうと思ったら、狭い世界の罠に落ちてしまうかも。

楽園化

あれしたい、これしたいみたいな細かい雑用は全部企業側が負担してくれて、 技術者は技術のことに専念できる環境。

一見すばらしいことだけれど、楽園みたいな環境を意図的に作られると、その人は囲い込まれる。

転職に役立つ「手に職のついた状態」というのは、スタンドアロンでその技術を再現できること。

それをやるには「全部」知っていないといけないのだけれど、全部を知るためには バックグラウンドでどんな雑用が行われていて、それに何人ぐらいの人が かかわっているのか、そんなことも知っていないと、新しい場所で技術を再現できない。

一番面白そうなところに夢中になっていて、雇用者側もそれを良しとしているような環境に長くいると、 そこから他に移ったときに全く役に立たない自分に気付いたりして、すごく大変。

これから競争が激しくなって、雇用者側にも「選ぶゆとり」が出てくる時代がきたら、 医師を囲い込む環境戦略として「楽園」をつくる施設が出てくるかも。

「移動するのか…。かまわないけれど、君の知識が他の病院で通用するかな?」

最後は部長のこんな殺し文句で。

特別な言葉と習慣

その病院だけでしか通用しない略語とか隠語、あるいは研修医同士の競争意識を 高めるような院内資格とか、研修医同士のコミュニケーションの種になるような イベントを山ほど用意する。

  • エネルギーをつぎ込めるような要素
  • コミュニケーションを高めるような何か
  • 伝統要素や権威要素を入れる工夫

たとえば欧米の有名病院と同じ名前のイベントとか、 むこうのレジデントに採用されている階級制度とか。

横のつながりを強化して、「何かやってる」「俺達成長している」感覚を 強める工夫は、変化を拒んで現状維持を望む、保守的で排他的な空気を強化する。

研修医が自分達以外の施設のことを見下したり、馬鹿にしたりする空気が作れれば、 まずは大成功。そうした外の施設に行くことが「負け」になってしまう空気の中では、 重労働に耐えること、安い報酬に甘んじること自体が「勝ち」であるという、 価値の逆転が生じてしまう。

「最後の1ピース」を隠す

一人の患者さんを診察から退院までフォローするには、いくつもの判断を重ねる必要がある。

技術をマスターするためには、もちろん全ての場面での判断を知らないといけないけれど、 面白い場面と、重要な場面とはしばしば異なっていて、地味だけれど重要な場面には、 患者さんと部長しかいなかったりする。

島や僻地に放り出されて、1から10まで自分でやらなきゃ回らないところにいくと、 こんな「地味だけど重要な場面」を嫌でも見ないといけないのだけれど、 もしもこれを意図的に隠された場合、研修医では隠されたことに気付けない。

有能な人というのは判断が上手だけれど、回りのサポートがあってはじめて 「使える」人と、どこにいっても同じように有能な人とがいる。

場所に特化しない有能な人というのは、自分の判断一つ一つにちゃんと根拠があって、 それを回りに説明できるから、自分をサポートしてくれる環境自体を 自分で作れる。

「なぜ、自分は、この行動を取るのか?この行動が最適な行動だと言えるのか?」 こういうことを、徹底的に自問自答しながら行動しなければなりません。 有能な人というのは、常にそれをやっているわけです。 分裂勘違い君劇場 – 未来の転職が、過去にさかのぼって現在の自分を有能にする

「重要な場面を乗り切るためだけに特化した医師」というのは、その病院のヒーローだけれど、 医師にも転職が当たりまえになる時代がきたら、 その人が他の病院でもヒーローであり続けられるのか、そんなことが問われるようになる。

自分の施設では役に立っても、他施設では役に立たない技術者が量産できれば、 経営者としては笑いが止まらないはず。

移動するとき武器になるもの

「自分にはこれができます」というものを持っている人は、本当に強い。

技術の黎明期から知っているような上の先生がたは何でもできるし、どんな急変だって、 デバイスの故障だって「経験済み」のことだから、何かトラブルがあっても全然ぶれない。 こんな先生がたは日本中から引く手あまただし、実際日本中を飛びまわっている人を知っている。

今はまだ、どこの病院も「みんなにこうなってもらおう」という思いを持った人が研修委員長を やっているから大丈夫だろうけれど、専門分化が進んだ昨今、「全部知っている」人の数は だんだん減ってきて、部分の専門家ばっかり。

大きな公立病院が「負け組み」認定されたりしているけれど、ああいう組織はお金は出せなくても、 事務の人はけっこう鋭くて喧嘩慣れしてて、侮れない。人事とか、コミュニケーションとか、 事務方のほうが圧倒的にスキル高いから、「病院の暗黙知は財産だ」ということを 言い出して、研修医の囲い込みをはじめる人は、そのうち出てくる。

「囲い込みメソッド」というのは、いろんな仕事場を転々としていくときに「武器」になるものを 作らせないように技術者を管理する方法だけれど、昔の研修病院は、これに近かった。

それは病院に悪気があったわけでは決して無くて、あくまでも「つまらない雑用よりは面白い仕事を もっとやってもらおう」という思いやりだったのだけれど、大学に移ってからは苦労しまくり。 自分達の頃はまだまだおおらかで、受け入れてくださった大学医局の先生方も 「仕方ねぇな」と最初から教えてくれたから何とかなったけれど。

今はどの施設も人が減ってしまって、「やり直し」をする余裕も無ければ、 人が減ることに対して昔みたいに寛容にもなれない。

いい環境に入れてよかったな、と安心している研修医の人がいたら、 たまには「囲われてないかな?」と周囲を見渡して見るのも大事かも。

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褒め上げて、持ち上げて囲い込む、っていう手もありますね。 医療以外の雑事に関わらせないようにして、医者以外の仕事が出来なくしてしまうってのもある。

この二つとも、医者を医療に囲い込んでいた巧妙な手法であったとも言えるかも。

マトリックスの映画で現実に目覚めたとき、まず筋肉の動かし方からはじめたように、最大に重要なのは、最悪医者以外でも食べていける、っていう覚悟でしょうか。 それさえあれば、あとは医療の中で何をやっていても大丈夫。 いざとなれば、綺麗さっぱり転科すればいい。タクシーの運転手に職変えすること考えれば屁でもない。 同じ医療ですから、結構、応用はききます。だから、目の前の芸事を極めようとするのは決して無駄にはならない。 今やってることで、自分は囲いこまれるだろうか?と迷う必要は無い。 自分、内科研修医のころに、夜明けまで生化学教室出入りしていたおかげで、下肢静脈瘤の硬化剤(ポリドカノール)なんかは、今でも試薬から自分で作ってます。 PHメーター触ってるときなんかは、結構楽しい。

 ローカル・ルールに浸りすぎるのは良くない、ということは皆経験的に知っていて、そのため、これまでは頻繁に医局人事内で転勤を繰り返していた、という側面もあったわけです。

 これは医局としての人材育成、あるいは人員確保(ある病院に囲い込まれないための)の方法論の一つであったのだろうと思います。

 しかし、医局の力が弱くなってきた昨今、ご指摘のように臨床研修指定病院が自前で医者を囲い込もうとしているのは事実でしょう。

 我々としても、 ①他でも役立つ普遍的な知識・技術 ②他でも“売り”となる特化された知識・技術

の両方を意識しないといけないのだろうと思います。

 しかし、もっと意識すべきは、 ①“医師”として囲い込まれるのは幸福か否か ②“勤務医”として囲い込まれるのは幸福か否か

 というもう少し根本的なことから、自身の生き方を決めていく必要があるのだろう、と最近は考えています。

チーム医療かどうかというのも関係ありそうですね。 内視鏡一本、エコー1個で就職でも開業でもできる科と、集団でないと力が発揮できない専門科と。

以前の流動性と投機性のお話の続きですね。

大学での研修という名の雑用が無意味でなかったと知って嬉しいです。でも私のころにはすでに研修医がグラム染色や輸血検査をする時代ではなくなってましたねえ。

昔の東大理学部生物学科では、溶接やら旋盤の使い方まで仕込まれたらしいです。 それが何になるのか学生の当時は分からず、研究の都合で凄まじい僻地に赴き、実験器具は何でも自分で用意しなきゃならない局面で、しみじみと有り難さを感じたという話です。

小生も基幹病院やら僻地の病院やら、くるくる回っているうちに、大概のトラブルに対する対応は学んだ気がします。基礎や古い方法を知ってると、応用が利くんです。 それにしても、日々問題意識を持ちながら仕事をするって、大変です。リンク先の話題で、外面から入るというのも、面白いと感じた次第です。

たぶん分野によって「間口の広さ」と「奥の深さ」みたいなパラメーターが設定できるんではないかと。

消化器内かなんかは間口が広くて奥が深いから今でも人気ですし、小児心臓外科なんて15年ぐらい 修行してやっと1人前、それでいて全盛期3年なんてもぅ…。間口狭すぎですよね。

雑用から応用までいろいろやるのが大切なんだというのは、私みたいに島で気がつく人もいれば、 大学ですり込まれてそのまま来る人も。阪神震災の時、おいしいところばっかりやってた若手が 勇躍現場に乗り込んで、自分たちがなんにもできないことにはじめて気がついて途方にくれた なんて話もあったりして。