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2007.02.14

爺医の人達は引退前に治療教義を語り残すべき

医者ならこう考える

ネット世界でのおしゃべりが盛り上がると、 いろんな業界の人たちがひとつの話題に集まってくる。 それぞれの立場や考えかたから意見を発信して、議論は延々と続く。

企業家ならこう考える。プログラマならこれが正解。経済畑ではこんな意見が主流。

同じ問題を扱っていても、あるいは個人の価値観は同じ人たちであっても、 立場が違うと意見も変わる。価値観の相違というのは時に泥仕合になるけれど、 立場の違う人達がお互いに意見を戦わせるのは意外なところで勉強になったりして、目が離せない。

意見には、個人要素と属性要素の2つのパラメーターがあって、どちらが弱くても議論は負ける。

個人の考えがあやふやな人はそこを突かれるし、自分が属する立場に忠実に振舞えない人は、 今までの言動の矛盾を突かれてやり込められてしまう。

君の個人的な意見は分かった。じゃあ、その意見というのは医者としてどうよ?

ネットでいろんな意見を発信して、それなりにいろんな反応をいただいて。 議論になるのは避けてきて、盛り上がっている話題からはコソコソ逃げてきたけれど、 「個人の意見」単独で勝負するにはこれが限界。

今まで「医者として」意見を発信したことがほとんどない。 たぶん、ネット上の同業者の人達も同じはず。

「この場合、医者なら必ずこう考える」

そんな業界全体に共通する「職業教義」に相当するものが、医療の業界には存在しない。

ネット上で医師として意見を発信しても、医師には属性という概念が存在しないから、 しょせんは個人の集まり。その意見は極めて弱い。

医師の属性は議論の相手が勝手に作っちゃうし、 それに対して「本当はこうなんだよ」と示せるものもこちらにないから、やられっぱなし。

時々勇敢@無謀な同業者の人達が「医師の立場としてはこう考えます」なんてやってるけれど、 この業界に共通する「立場」なんて無いんだから、もう矛盾だらけ。

誰かが作らなくちゃいけない。

軍隊の戦闘教義

軍事理論には「戦闘教義」、戦いかたの基本概念がある。

これは格闘技の基本技みたいなもので、平和なときに考えておいて、 これに即して軍隊を整備しておく。 中途半端な軍隊は実践で負ける。 兵士の訓練や、武器の改良や調達はこの「教義」にそって行われ、 軍の編成も、戦闘教義に則して組織される。

戦争は、お互いの戦闘教義のぶつかり合い。 軍隊の作戦は、その国の戦闘教義に従って立てられるし、 これがなければ、軍隊はただの烏合の衆。戦場で何を準備していいのか 分からなくなってしまう。

戦闘教義というのは、非合理的に行動する人間が作る先の見えない戦場で、 最小のリスクで最大の戦果をあげるための基本戦略。

教義 => 軍の編成 => 実戦 => それを見てまた教義を変更

軍隊という組織は、こんなことを紀元前からずっとやってきた集団だから、侮れない。 「軍人だったらこう考える」という発言も、教義がしっかりしている軍人ならでは。説得力が段違い。

軍人だった人が経営コンサルタントになってみたり、危機管理の専門家になったりするのは、 軍隊という「属性」が、それだけしっかりした教義に支えられているから。

歴史に学ぶ

戦闘教義は人間の経験に基礎をおいているし、なんといっても軍隊の命運がかかっているから、 机上の空論なんか通用しない。何か疑問が出てきても実験できないから、戦史の研究がとても大切。

戦史というのは単なる歴史じゃなくて、「こういう考えかたの元に軍隊を戦わせたら、 こんな結果になった」という膨大なデータの積み重ね。

タイムスケールが全然違うけれど、行われているのは研究室での実験と同じ。 仮説があって、実証実験があって、 それをもとにまた仮説が生まれる。戦争の歴史というのは、この繰り返し。

医学にだって「医学史」という分野があるけれど、あれは博物館の学問。 歴史には技術、運用、教義の3つの側面があるけれど、医学史は技術の歴史。

  • 新薬の開発や、新しい治療デバイスの普及というのは技術の歴史
  • 医師を取り巻く社会情勢の変化や、マスコミ報道が医療を歪めた経緯は、運用の歴史

この2つの影に隠れて見えにくいのが、教義の歴史。

たとえば心筋梗塞という病気は、血管が詰まって心筋が壊死するのか、筋肉が壊死することで 血管が閉塞するのか、疾患概念がはっきりしなかった。 血栓溶解薬に治療効果があるという発表は、技術の技術であると同時に、 治療の戦略を「心筋梗塞の治療は血管を再開通させることである」という考えかたに一変させた。

治療教義の変遷は、建物の構造も変える。

たとえば古い循環器系の病院は、 救急外来の隣に集中治療室があって、 カテ室は別棟にあったりする。これは「筋肉が先」戦略に従った考えかたで、 急性期には安静を優先して、 血管は後回しだったから。「血管が先」戦略ができた後の新しい病院は、 どこも救急外来の近くにカテ室があって、治療後に集中治療室に入るように作られている。

今までの考えかたでは「禁忌」だったはずの薬が、ある年を境に「治療薬」として 教科書に載るようになったりするのは、技術の進歩というよりは、治療戦略の変化。

こんな話題は、部長級の先生方の昔話に時々出てくるだけで、なぜか体系化されて語られない。

一番弱いところから攻められる

議論の3要素、「技術と運用と教義」というのは、そのどれが欠けても、そこを突かれて議論に負ける。

医師というのは一応技術を持っていて、社会的な力とか、組織力みたいなものだって それなりに持っているけれど、教義の体系化が全くなされていない職業。

  • マスコミは医療の教義に勝手な妄想を代入して、「矛盾してるじゃないか」と医師の技術を批判する
  • 医療経済屋さんはもっと悪質。「医師は教義を持たない烏合の衆である」と勝手に決め付けて、 医療の運用面を経済の立場からブッ叩く。同業者のくせに

「僕は病気を治せるんだぞ」なんて強がりは、業界の壁を越えたネット議論の世界では、 何の役にも立ちはしない。

他の業界同士の交流をやるときには、議論の粒度を合わせて、現場の知識を抽象化して提供 するのは常識。医者にはこれができないから、 「あなたの立場は、この問題をどう考えますか?」と尋ねられても、「個人的には…」みたいな 応答しか返せない。本当にかっこ悪い。

教義作りませんか? >>えらい人

医療という業界に、たとえば「不完全な道具と、病気に関する不十分な知識しかない中で、 どうやって信頼性の高い治療戦略を提供するかを考えるための学問である」とか、 適当な基本教義を作って、それに従って治療戦略の変遷を編集し直す。 現場を知りぬいたベテランの先生方なら、簡単にできるはず。

戦上手として知られたナポレオンは、自分自身では新しい戦略を作らなかったのだそうだ。 ナポレオンがやったのは、戦闘教義の基本に潜む戦史の教訓を学びなおしたこと。

  • 砲兵の効果とは何か
  • 機動の意味は
  • 相手を騙す効果とは
  • そもそも戦場での勝利とは何なのか

こんな考えかたを一から編集し直して、自分の軍隊に役立てた。

皇帝は何の本も残さなかったけれど、そのナポレオンに破れて、その経験を本にしたのが クラウゼヴィッツの「戦争論」。

「戦争論」。「UNIX の考えかた」。「実際の設計」。どの業界にもこんな「考えかた」のまとめがあって、 どの本もほんの一部しか理解できなかったりするのだけれど、それでも非常に面白い。 うちの業界にもこんな本があったらいいな、といろいろ探しているのだけれど、やっぱりみつからない。

ネットワーク時代。教義の無い業界は、結局異業種との交流の中で淘汰され、 存在意義を発揮できない。医師なんて最古の職業のひとつなのに、これはいかにももったいない。

ベテランの先生方は、引退前に今すぐ「治療教義」の編纂をはじめるべきだと思う。

自分達の時代は「治る」というものをこう考えていたから、こんな治療をした。 新しい発見があって、戦略がこう変わって、それに従って病棟運営がこんなふうに変わった。

どんな決断にもきっとこんな経緯があって、臨床の前線に立ちつづけたベテランの先生方は、 きっといろんな知恵を持っているはず。

異業種に通用する教義ができれば、それは他の業界と議論する時にだって役に立つし、 医師が他の業界に移った時、「実戦経験を伴った教義」の伝達者として、 存在感を保つことができるようになる。

「なんでこの薬を?」なんて新人の問いに、「薬屋さんが勧めたから」という答えしか返せない ベテランには「考えかた」なんてどうでもいいのかもしれないけれど、そんな人はたぶん、 この業界どこを探したって一人もいない。

そう信じてる。

Comment & Trackback

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「血管が先」戦略ができた後の新しい病院は、どこも救急外来の近くにカテ室があって、治療後に集中治療室に入るように作られている。

いつも楽しく拝読しています。でも、先生、これも、少し時代遅れではないでしょうか? 特にカテ室を複数設置する場合は。救急外来の近くに1室、たとえば放射線部に1室というレイアウトは、多くの病院でみかけますが、結局は人的資源の分散配置になり、どちらかのカテ室をメインに使い、あとは、緊急専用みたいな形になって、設備を活かし切れません。Door to balloon timeは、数分を競うものではないので、複数のカテ室を集中的に配置し、常に助手やコメディカルが迅速に移動可能で、相互支援が可能な形にする、というのが、今の主流じゃないでしょうか? カテ室が別の階にあっても、動線を分けた専用エレベータで素早い移動が可能なら、問題ないです。

古いですかねぇ…。 このお話習ったのは、今から8年前。バージェス頁岩みたいな師匠がいて、 いろんなお話を教えてもらいました。 心筋梗塞のクロラムフェニコール療法とか、心不全の武見カクテル。水銀利尿薬。瀉血療法。 回転駆血器。今となってはなつかしい思いで。

複数のカテ室を集中的に配置 うちの大学は、まだ1カテです><

私は、爺医とまではいかないし、えらい人でもないけれど、たぶんmedtoolzさんよりは年長だし、ベテランだし、半ば引退してます。

医療とか治療の「教義」っていうのは、むつかしいですね。 技術論やノウハウは語りやすいし、受け入れられやすいんだけどね。

科によっても違いはあるでしょうけど「何も治療せず経過を見ているのが最善」という局面は結構多かった。 何もしないことが医療か?と言われると、それは良くわかりません。 これとはまったく別に「患者に感謝される」という軸があって、感謝される度合ってのは、治療の奏功の度合とは必ずしも関連しない。 「感謝される」ってのは、あれは「医療」なんでしょうかね?これもいまだにわからない。 患者を診ても、極力何もせず、自分の中で吟味に吟味を重ねて結論を出した本当に必要なことだけを、正確に行う。 そう心がけてはいましたね。っていうか、それを極めんとした結果、自分は保険診療では開業できない、とまで思いつめて今に至るわけですが(笑)。

照れもあって、冗談っぽく最後のフレーズ書きましたが、本当ですよ。

医療ってのは、私の考えでは、それで食べていこうなんて甘い考え持ってるうちは、「教義」なんて見えてこないんじゃないだろうか? 挑発的で気分害される方いたらごめん。 職業軍人には「戦争の教義」は見えないんじゃないかな?武器の扱い方や、戦場での自分の身の守り方は解っても、なぜ自分は戦争しているのか?なんて、わからないだろうし、わかる必要もないんじゃないだろうか? ボランティアで戦争に参加した義勇兵なら、なぜ戦争するのか?はよく知っているだろう。その人なりに。 兵士としてどちらが優秀かは、これまた別の話。 しかし、戦略が崩壊した、現在の「医療崩壊」のような状況下には、義勇兵のほうが、自分が何をすべきか直観的に感じ取りやすいんじゃないかな。 それが無い職業軍人には、戦い続けるためには、やはり「教義」が必要?(笑)

当院は割と最近の建物ですけど、カテ室・オペ室・内視鏡室・ICUはまとめて救急外来とは別の階にあります。

緊急IVRは、肝破裂のような消化器系だと放射線科医の到着時刻、脳梗塞だと家族の到着時刻(tPAの使用には十分なムンテラが必要のため)が規定因子になります。心臓は、循環器内科・心臓外科が常駐しているので、搬送時間が規定因子になります。

放射線技師は常駐ですが、カテ・内視鏡・オペ対応の看護師はいたりいなかったり。麻酔科医もいたりいなかったり。麻酔科医いても緊急CABGとかやってたら、「自家麻酔でお願いします」だったり。

循環器内科のことだけ考えたら1個だけ救外の横にカテ室作って、看護師1名常駐させる(暇な時は救外のお手伝い)のが合理的でしょうかねえ。

教義というか行動原理を修羅場をくぐってきたベテランの先生方が決めてくれたらどんなにありがたいかと思います。

医療ってのは、「これぐらいお金を出せば、これだけのものを提供できます」ということが曖昧です(それに比べたらピュア・オーディオの明解なことよ!)。またゴールの設定が多様で難しい。同じ病院でも、医師と看護師と理学療法士でゴールがバラバラなんてことはよくありませんか?

だからベテランの偉い人とか百戦錬磨の人とかが定義してくれたら本当にやりやすくなります。ただし、「患者さん中心の医療」とかはやめてください。それじゃあ医療を食い物にしてる連中と同じですから。

教義って、こういうのですよね?

手術五輪書 http://www.netwave.or.jp/~wbox/gorin.htm

表題の主張の内容には、とても賛成です。 まず思い浮かんだことは「医者は患者さんを治療しているつもりでも、悪くしている事がある」ということ。motoさんのコメント前半はすごく共感できます。 ある疾患の患者にどういう治療を選択するかは、時代によって恐ろしいほど変わってしまう。昔は肺結核の空洞にピンポン玉埋めてた訳ですから。 医療行為そのものも、カーゴカルト的に素人さんが都合のいいように解釈して、民間療法が横行し,みの虫が自慢げに講釈を垂れる時代だけれど,それを一面的に非難することもできない。熟練の臨床医は胃散を万能薬の様に使います。これはやはりカルトではないかと。 私が臨床1年生のとき、オーベンの教えは「患者さんが入院したら、とにかく、胃薬でもなんでも良いから、薬を出しておけ」でした。 悔しいけど医者ー患者間の誤解は消えないでしょうし、それをうまく使いこなした方が勝ちでしょう。でも使い過ぎにご用心、といった所ですか。

皆様コメントありがとうございます。 この業界の上のほうには、もう超絶に頭のいい人たちがいっぱいいるので、 なにか現状に矛盾の無い、「医者はこう考える集団である」という総括を 作ってくれるとありがたいのですが。他力本願ですが、やっぱりこういうのは ベテランの仕事だと思うのです。

カーゴカルト 最初のうちは汽船をあがめて、後半になると日後期をあがめてたみたいですね…。

教義、という言葉は、哲学、あるいはベクトル、と置き換えてもいいと思うのですが、

①免許商売であり、各々がそれなりにプロ意識と独立心と“時分には関係ねーよ”心、を持っている。 ②科が違えば、治療目標が異なることは往々にしてあり、一定のゴールを設けにくい。 ③同じ科の中でも、個々人の哲学や美学は異なる(外来でも入院でも管理法を統一するのは難しいですよねー) ④開業医、勤務医でも哲学、ゴール、ベクトルが異なる。

などの理由で、なかなかまとまらないんでしょうねー。

また、工夫して得られた技術、知識は比較的伝承されやすいですが、ベクトル、哲学まで伝承しようとするほど“自身の考え方”を意識している人も少ないんでしょうね。

やはり、基本的には免許商売人であり、一匹狼の集団であることが、教義や哲学の伝承に結びつかないのだと思います。

難しいですよね…。 でも、業界として一つにまとまった「何か」が無いと、医師が将来異業種に乗り込んでいく ことなんかがおきたとき、「あんたがた、何もないね」なんて言われてしまったり。 憲法のない国が外交世界に乗り込んでくようなものでしょうか…。