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2007.02.10

印象診断と臨床診断

尿路結石=「痛くて苦しんでるのに元気」

尿路結石というのは本当に痛くて、都市伝説では解離性大動脈瘤の次に痛いとか、 「痛い病気」トップ5には必ず入るとか。

強い痛みが突然来るから、救急車を呼ぶ人が多い。痛いから、みんなストレッチャーの上で苦しむ。

尿路結石の人というのは、痛いわりにはなぜか元気そうに見える。

冷や汗もかいているし、痛いだけに血圧も高い。

痛くて冷や汗をかく病気なんていくらでもあるけれど、たとえば潰瘍の穿孔とか、大動脈瘤の切迫破裂 みたいな病気とは違って「ヤバい」印象が何でだか薄い。

第一印象だけで診断するのはいかにも無茶だけれど、外れたケースはほとんど無いし、 医師が代わっても「印象の再現性」というのはかなり高い。これは特殊な能力でも何でもなくで、 医者なら誰でもできること。

ところが、印象を言語化すると、この感覚が伝わらない。

「突然発症した腰背部から下腹部にかけての鋭い痛みで、血圧は○○、呼吸数○○、 体温○℃。腹部は平坦軟ですが、グル音は減弱しています。」

模範的な救急外来の研修医が、上級生に患者さんの話をするならば、たぶんこんなかんじ。

ところが、これだけでは印象が伝わらない。すぐに診たほうがいい人なのか、 それとも待てる人なのか。

致命的な病気の人は、発症直後から何だか「いやな予感」を全身から出していることが 多いのだけれど、それを文章化すると、「いや」が抜けてしまう。

「診断名じゃなくて、客観的なデータを伝えなさい」。研修医のころはこんな教育を受けた。

それなのに、実際自分が報告を受ける立場になると、模範的な伝えかたはあんまりうれしくなくて、 「ヤバそうなんですぐ見てもらえませんか?」とか、「潰瘍穿孔みたいな人が来ました」とか、 模範的で無い言いかたのほうが対応が早いし、決断しやすくてありがたかった。

模範的な報告をさえぎって、「どうなの?ヤバイの?待てるの?」と返答してばっかりいたら、 俺様ルールが通るようになったけれど、下の人達は迷惑だったかも。

患者さんは「症状」を持って来院して、医療者側は「治療」を販売して対価をもらう。 その過程には「診断」なんて必要ないし、ましてや「病名」なんて誰も欲しがっていない。

医療行為がチャート化して、ブラックボックス化がきちんと行われれば、 チャート表の中には「この症状があったらこの検査を行う」「検査の数字が○○以下ならこの薬を出す」 みたいな言葉が並んで、病名を間にはさむ必要はなくなってしまう。

「病名」があって良かったな、と思えるのは、診療中ではなくて、医師同士が話をするとき。

  • 胃潰瘍みたいな症状を訴える人なんですが、なんだか皮膚黄色いんですよね…
  • 症状だけ見るとまるで膵炎なんですけど、もう2ヶ月状態変わんない人がいるんです

いろんな病気を診た人どうしだと、病名というのは印象折込済みのキーワードとして便利に機能する。

細かい症状描写とか、あるいは血圧や脈拍みたいな、その人の症状を描写するための数字は、 印象を伝えるためには何の役にも立たない。

まず印象が近い「病名」を伝えて、お互いに患者さんの印象を 共有してから数字の話をすると、その病名が全く見当はずれなものであったとしても、 けっこう有益な会話が成り立つ。

「症状 => 診断 => 病名 => 治療」という一連の流れには昔から違和感を持っていて、 むしろこれは「症状=>治療」という実用ラインと、「病名」という医師どうしのコミュニケーションツール という2本立てで考えないといけないんじゃないかと思うのだけれど、 あんまり賛同してもらったことがない。本当は、大学病院なんかは臓器別で教室分けたりしないで、 「胸痛科」「全身倦怠科」「発熱科」みたいな分けかたしないとずるいんじゃないかとも思う。

第一印象をそのまんま伝える言語セットが医療にも実装されれば、そもそも こんなこと考える必要もないんだけれど。

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いつも楽しく読ませて頂いてます。 漢方のジャンルでは、薬の名前で状態を表わす体系ができてますね。 「葛根湯の症」とか言って、全身状態がどうで、脈がどうで腹がどうで舌がどうで発汗がどうで便がどうで…という所見セットを表現してます。 自分は詳しくないのですが、AA加BB(白虎加人参湯など)みたいな薬は、「BBの症みたいだけど、ここが合わないから、生薬AAを加えてみました」というノリなのではと想像してます。

ICUとかCCUで勤務した後、まったり外来センター勤務。ヤバそうな患者様を見つけては、vaitalとりながら「やばいよ!」とDr call。実は本当に「先生!やばいよ!」といっていて、そうするととりあえず診てくれる。 自分の経験と、先輩の経験を合わせるとはずれがなくて、段取りよく入院のはこび。「やばいよ」はとりあえずDrを呼ぶためのかけ声。

いつも、お話を楽しませていただいています。 今回のお話は、初期研修医と一緒に救急初期診療に携わる私としては、大変共感できるお話でした。 病名が医者同士の会話で役に立つとのご指摘ですが、 これは、Semantic qualifier(SQ)の概念に大変類似するものではないかと思いました。

・脊髄反射は狩りをするときには必要。 ・夫婦間では、共有体験が増えると語彙が少なくてOKになり便利。 ということでしょうね。確かにERでは便利です。まあ、緊急性を要するときと、和みたいときの話でしょうか。

>>Semantic qualifier 某研修病院で昔から行われている,患者さんの訴えを3つくらいに絞って思いつく疾患を挙げていく,という教育研修方法ですね。

いわゆる上腹部痛の患者さんって90%くらい「胃が痛いんです…」と訴えて来ますが,内視鏡で潰瘍やら癌があるのは10%もないです。ほかに臓器の名前or病態が思い浮かばないんですね。

イメージの共有という面でtentative diagnosisは不可欠で,更に足りない検査をオーダーしたり,鑑別疾患を挙げたり… 生体がブラックボックスであり続ける以上、それをメンテする人たちは振り回されるのが必然で、その過程を患者さんにも自分にも納得させる上で(不完全な)病名は重宝しています。

症候から教えるか,病名から教えるか、と言われると、彼我の教育システムの違いを感じさせられますが、実体は多分同じものじゃないでしょうか。

皆様コメントありがとうございます。 たとえば食品の専門家の人達ならば、コーラの味を表現するのに20ぐらいのパラメーター を使って、ペプシとコカコーラとの味わいの違いを表現したりするそうで、そんな言語系 が医療にもあればいいのですが。 即興演劇みたいな台本の無い舞台では、稽古を通じてお互いの感覚を合わせておくのが とても大事なのだとか。人数不足が著しい昨今、コミュニケーション手段の改善で、 乾いたぞうきんを絞るごとくに労働力を搾り出せないかな、と…。

昔、ロシアに手術を教えてもらいに通ったことがあるんですが、かの国のDrは、英語がまったく通じない。 こちらも、ロシア語は挨拶がかろうじて出来るくらいで、困ったですが、手術室に入ると、意外とお互いの意志の疎通はできる。 で、つくづく思ったのは、医療に言語は要らないのかも。

医療で必要なものは、タグみたいなものですかね?振り分け・分類に使うような。 だから、診断名や症状は、言語である必要はなくて、色とかバーコードとかでもいい。言語・単語っていうのは、既成概念で修飾されているから、むしろ言語でないほうが良いかもしれません。 ラカンって哲学者が、この種の言語・単語が持つ本質的な不純さを嫌って、記号だけで講義してたらしいですね。

私は元々皮膚科医ですが、アトピーの患者さんによれば、「かゆみ」というのは、最低でも10種類くらいあるらしいです。 美容のお客さんの話はもっと複雑で、話してるほうも聞いてるほうももどかしいくらい、適当な語彙がない。 くすみとか、たるみとか、しわとか、毛穴とか、毛穴が並んでしわのように見えるのとか・・