2006年11月 3日

救急当番日

昔いた病院では、一日の外来患者数が1000人越えすると「大入袋」をもらえた。

外来17ブース。1000人を乗り切った17人は、一人当たり300円、病院内の売店で 好きなものを買える。

病院売店も侮れなくて、島の病院なんかに飛ばされていると、 生卵が手に入るのが、毎週木曜日の病院売店だけ だったりして、その日は朝から島民と卵の奪いあいになったり。

昔の話。

救急当番日。

休日なのに、小児科外来30人待ち。

ガキ騒ぎまくり。

発展途上国の保育園みたいな惨状を呈している待合室を横目に、 その中に「病気の子供」なんか一人もいそうにないのに気がついて、 なんだかうっへりとした気持ちになった。

これから病棟。

コメント

>兵士として訓練されたものが、また戦場にふらふらと…
>傷痍軍人の精神科入院患者さんは…

「脳内お花畑」を持つというのは、案外外から見るほど不幸ではないのかもしれません。
今も昔も忙しい生活をしているのには代わらなくても、「お前すごいよ」と言われたほうが、
今みたいに「不幸だ不幸だ」といわれるよりも楽だったような気がします。
それが本当に幸福か?といわれれば、外部にゼロ点を設定できない以上、個人では個人の幸福を
測定できないわけで。

「毎日の小さなストレスの積み重ねで」起きてしまうとすると、どうしたらいいんでしょうね。どうしたって、何かとストレスはありますよね。
鬱の患者さんは たくさんいますけど、人それぞれ違っているように思います。(精神科ではないので、カットの跡などをみつけると、いつもどう対応していいのか困っています。運良く すぐに精神科の先生に診てもらえるといいんですが。。。)

「兵士として訓練されたものが、また戦場にふらふらと戻っていこうとするようなものなんでしょう。」という事態は やはり病気なんでしょうか。
詳しくないのですが、戦争のたびに 精神科の先生の出番が多くなるようですね。出て行けなくなるのも問題だし、また出て行くのも問題か。今はほとんどいないでしょうが、日本でも精神的には戦争が続いていた傷痍軍人の精神科入院患者さんは、軍隊式の命令ですと素直に スタッフのいうことを聞いてくれたそうです。

こんばんは。
自分の場合、42才の厄年の頃から、かなり鬱になりまして、現在人生の再建途上です。
医者と言うのは、真面目にやればやるほど色々ジレンマがありますから、私より若い皆さん、くれぐれもご用心ください。

私の病前性格は「鬱とはかけ離れている」と同僚の精神科医は断言したんですがね・・鬱の病前性格は真面目とか几帳面とかですから、そう言われて喜んで良いのか、憤ったほうがいいのか、複雑な気持でしたが・・

これ(鬱)はほんと、生活習慣病のようなもので、毎日の小さなストレスの積み重ねで起きるんですよ。私もまた「勤務医です。」さんと同じように

 > 自分は幸せではなくても、人を幸せに出来れば、自分も少し幸せになれる、とは思っています。

と一生懸命自分に言い聞かせ続けて、というか、そういう定理?を信じていたんですが、自分の場合には当てはまらなかったみたいです。

 >意義とか、幸福とか、個人的にはどうでもよくて、

これは、medtoolzさんが現在幸せだということじゃないかなあ。幸福と言うのは、無くなったときににしか、その実在を感じることが出来ないものだと思うので。

それで自分で自分に与えた処方箋は、徹底的に、嫌なことは一切しない、気持ちよい・心地良いと感じたことだけをする。あらゆる世俗的な快楽に身を委ねてみる、でした。

で、数年経って、だいぶ回復してきました。もうちょっと充電が出来たら、また、赤の他人である病者に、心からの優しさでもって接することが出来るようになるんじゃないかなあ・・・
ここのところがまだ自信がなく、「十代しゃべり場」状態。
こうやって書きながら、自分の「本音」を探ろうとしているわけですね。1人カウンセリングです。

Once a doctor,always a doctor.一度自分をそうidentifyしてしまうと、悲しい性ですね。兵士として訓練されたものが、また戦場にふらふらと戻っていこうとするようなものなんでしょう。

私のような医者人生は多いと思います。以上、一症例報告でした。

皆様コメントありがとうございます…なんだか、「真剣10代しゃべり場」みたいになってますね。

私はといえば、今の休日回診の状況なんかは研修医のときからずっとこうだったので、ありふれた
日常の延長というか、生活習慣の一部というか、怒ったり、愚痴ったりしながらも、実はそんなに
困っていません。
意義とか、幸福とか、個人的にはどうでもよくて、病院で白衣を着て、「お医者さんごっこ」の
リアルな奴が続けられれば、それでけっこう満足できていたりします。
展望のない生活といってしまえば、そうなのかもしれませんが。

「1)誰がどうやっても治せない病気。」への対応をいかにするかも、医者の腕の見せ所、という教えを受けました。
 cureではなく careだと言われるだけかも知れませんが。
 少しずつの対応でも、ADLを良くして、QOLも良くして、寿命も延びるのであれば、治らないでも 対応しないよりははるかに良いはず。
 内科は 基本的に そんな病気ばかりだから。

「自分の家庭が崩壊同然なのに何でよその家庭の幸せに奉仕しなければならないんだ?」
 先日のNHKの番組で、たしか高校の先生が似たような言葉を口にしていました。自分の子供が学校に行かず、退学することになったのに、自分が学校に行き、毎晩遅くまで学校にいる状況だと。
 何かをするためには、別の何かを犠牲にしているのは確かです。別の物と交換したかったな、とは思うが、後悔は先に立たず。
 でも、そうはいっても、どこかで、
 自分は幸せではなくても、人を幸せに出来れば、自分も少し幸せになれる、とは思っています。少しの幸せでもそれだけでも、ないよりもずっといい。
 人から頼りにされるのであれば、まだまだ生きていられます。
 自分の場合は、そんなところ。

昔、研修医のころ、自分なりに「病気」の分類をしたことがあります。

1)誰がどうやっても治せない病気。
2)上手な医者がうまく扱えば治るが、下手な医者では治せない病気。
3)誰が何をやっても(やらなくても)自然に治っていく病気。

2)が医者にとっては一番面白くやりがいがあると考えました。

3)はさらに、治っていくまでの時間で分類できる。

3a)日単位で治る病気
3b)週・月単位で治る病気
3c)年単位で治る病気

2)を一通り覚えた4~5年目ころから、1)にも医者は必要かな、と考えるようになった。
3)の疾患を医者がそばで見守ることの意味を実感できたのは10年目くらい。

医者になって20年目、すべてが虚しくなった。患者なんて人間なんてどうせ最後には死ぬわけだし、病気うんぬんよりも、今この瞬間、その人が幸せを感じて生きているかどうか?が重要じゃないのか?
だとしたら、今の自分はどうだ?肉体的医学的に健康かもしれないが、幸せか?

その頃は、外来で子供を診るのが嫌だった。
自分の家庭が崩壊同然なのに何でよその家庭の幸せに奉仕しなければならないんだ?

自分が幸せでないと、他人を幸せにする仕事は苦痛。
とくに3)のような病気の診療においてはそう。

それで自分の場合は、美容という虚構の世界に逃げ込んだわけですが。
ここなら健康な子供の患者は追いかけてこない。
毎日が、女の子たちのおままごと遊びに付き合っているよう。
外界から閉ざされた小さな塔の部屋のようなクリニック。
牢獄なのか、それとも一時的な避難所(シェルター)なのか、
私が呼吸できるために残された唯一の場所なのか、
わからないまま、日々が過ぎていく。
時折りネットという高窓から外の光をこうして感じながら、
もうあと少しだけ、私の人生は続くのだろうと思う。

コメントする