2006年11月 2日

「サイレントマジョリティーの声」の実装案

反響をもらえるのはごく一部

いろいろな文章を書いていても、反響をもらえるのは一部。

自分の議論展開というのが、本当に賛同を受けているのか、あるいは単なるトンデモとして 笑われているのか?

今はもう開き直っているけれど、こういうものを書きはじめた頃は怖かった。

掲示板を作って、コメント欄を作って、ブックマークへのリンクをはって。

いろいろな筆者-読者間のコミュニケーションチャンネルを作っても、 実際にそれを利用してくれるのはごく一部。

blog の表ページを見に来てくれる読者の人が、だいたい1日 2000人ぐらい。

実際に反響をもらったり、ブックマークを張ってくれる人というのが、そのうち40人ぐらい。

これでもこの1年ぐらいで、「声」は画期的に多くなった。html を手打ちしていた頃は、 書き込みなんて、年に10件ぐらい。

それが賞賛であれ罵倒であれ、本当にうれしかったものだ。自分と意見の合わない人の コメントを削除する贅沢なんて、それが許されるようになったのは、本当に最近の話。

多くのオンラインシステムでは、ユーザの90% は読むだけ。9%は、ほんの少し書き込みをする。 目立ったアクションのほとんどは、残る1%のユーザによってもたらされるという。

文章を書き込む必要のあるメディアでは、この割合は、たぶんそんなに大きくは変わらない。

もっと大勢の意見を聞くには

blog とソーシャルネットワークの時代。反響をいただける機会は本当に増えて、 個人で何かやるぶんには、もう十分。

問題なのは、政治的な問題とか、医療従事者が何かまとまった態度を示さないといけないような問題、 それこそ僻地医療の問題とか、産科崩壊の問題とか、そういったもの。

様々な立場の専門家の先生方が状況を分析して、確かにコメント欄もにぎわっていて。 ネット上には、たしかに「医療従事者一般としての立場」みたいなものは 出来上がってはいるのだけれど、 それが本当に全員の意見の反映なのかどうか。

今の時点では、誰にも分からない。

「ネット上ではこんな意見が大勢だが、サイレントマジョリティーの意見を総合すると、きっとこうだ」

最近流行の「サイレントマジョリティーメソッド」に正面から対抗するには、 無理やりにでも「もの言わない人々」の意見を聞き出す方法論が必要。

「物言わない」原因

大多数の人が沈黙してしまう理由というのは、たぶんこんなもの。

  • 単に面倒くさい
  • 無名の個人が常連の意見に反対すると、何か仕返しされそうで怖い
  • ネット世界はローカルルールが見えにくいので、「空気読め」と言われるのがいや
  • コメント欄の文脈を外れた意見は言いにくく、総論賛成、各論反対のような立場を書きこめない

文字のような面倒なメディアを使わない、 ルールというものを徹底的に放棄する、個人の属性要素を消して、読者一人一人の立場を 公平に保つ、そんな実装。

実装案

  1. blog のエントリーを読んだ人は、誰でも「文章内に線を引ける」機能を実装する
  2. 線の種類は1種類、マウスを右クリックしながら、面白そうな場所をなぞるだけ
  3. blog には「閲覧モード」「編集モード」「集合知モード」の3つを選択できるようにしておく。 最初の状態は編集モード
  4. 閲覧モードは筆者のエントリーだけが読め、編集モードで線を引き、 集合知モードはみんなが引いた線を全て重ねて見ることができる

ものいわない人の意見を集めるためには、今までの文字文化では無理。

「エントリー内に自由に線を引いてもらう」というやりかたは、 コメント欄の文脈とか、コメントをする人の属性といった ものを表現できない。

重要なところに線を引こうが、印をつけようが、 あるいは同意できないところをグシャグシャに塗りつぶそうが、 それは読者の自由。

「それはルール違反だ」と反論しようにも、ルールなんてなければ、 そもそも反論の方法が用意されていないから、 やられたらやられっぱなし。

その代わり、多くの人がなんとなく線を引くことで、「みんなから逸脱した人」の 行動は、集合知的に是正される。

「集合知モード」でblog のエントリーを見ると、 文章の中にはいくつかの印が固まった「」と、それをつなぐような形で 何本かのが引かれているように見えてくるはず。

この「点」や「線」というのは、筆者の意図した結論とは独立した、「みんな」が重要と思った部分。

たとえ筆者の結論が変わらなくても、この点や線の部分を文章から除いてしまうと、 「みんな」の立場からはその文章は意味を失ってしまう、そんな部分。

「みんな」に対する反論を行うためには、あたらなエントリーを立ちあげるか、あるいは コメント欄で反論するか。いずれにしても、そこにもまた「みんなの線」が引かれるから、 物言わない大勢とのコミュニケーションが成立しうる。

いたずら書きもひどいことになるのだろうけれど、そこは数を重ねて平均することで、ノイズを排除する。

反響の大きなエントリーは落書きだらけでグシャグシャになり、明らかに筆者の意図とは別のところに 「線」や「点」が集まったりする一方で、みんなからの注目を集めないエントリーは、 たとえコメント欄が盛り上がっていたところで、「集合知モード」はきれいなまま。

こんなサービスがあると面白いと思うんだけれど、どんなものだろうか?

コメント

moto 様
実装イメージをありがとうございます。まさにイメージしていたのはこんなかんじで、
たとえば100人の人が書き込んだエントリーなら、便所の落書き以上にグチャグチャな
見た目になると思います。そのグチャグチャの中にも、濃度の濃い部分と、そうでない
部分ができて、その「濃い部分」というのが物言わぬ多数の意志が集まる部分として
視覚化できるんじゃないかと。

「行為は自分のために。気付けばみんなのために」
こんな理念で。

Herry 様
コメントありがとうございます。
アンケートを設置しているblog 、時々ありますね。
でもあれ考えるの大変で、何よりも文章書いている本人が、自分の想定した以外の結論を
考えるのは苦痛以外の何者でもないという…。素人がやるには、ちょっと敷居が高いかも
しれません。

M&A 様
ありがとうございます。
どうせまた飽きたら予告なしに引っ越したりしますから、そうしていただけると
ありがたいです…。

初めまして、初めてコメントさせていただきます。
いつも面白いと思いながら拝読させてもらっています。
そして今回も面白いアイデアに感嘆しました。

社会には、サイレントマジョリティの声を聞かないといけない種類の物事(例えばマーケティングとか)と、きちんと整理された意見だけを必要としている種類の物事(戦略策定とか)があって、その中で前者の意見をくみ上げる時、どのような仕掛けがあればより多くの人が参加してもらえるだろうか、ということですね。

単純に、文章の結論を提案型にし、文末にアンケートの設問(2~3題程度?)を埋め込んで見るのはどうでしょうか?

>点と線の実装

うーん、こんな感じのコトですか?
ttp://maniakou.s7.xrea.com/cgi-bin/upload/img/img20061102234201.jpg
で、ここから、手書き部分
ttp://maniakou.s7.xrea.com/cgi-bin/upload/img/img20061102234237.jpg
を抽出して重ねると・・・
イメージは何となくわかりますが、実際やってみるとこんな感じだから、あまりキレイではない。
くどいようですが、イメージとしては理解してるつもりで、その理念を否定しようとしてるわけではないんですが。

フランスのラカンという哲学者が、既存の言葉はすべて連想によって他の言葉につながっていて、純粋ではないとの理由から、後年、数学記号やら、独自の記号のみによって自分の思考を伝達しようと試みたらしいですが、その話をちょっと思い出しました。

いつも気に入った記事は大切に保存してます。

コメントありがとうございます。
99%の読者は何もアクションを起こさない…というのはまさにWikipedia の例で、
それをどう解決するのがいいのか、試行錯誤をしているのだとか。

点と線の実装、画像だけにものすごく重くなりそうですが、「集合知モード」は加算平均した
画像をサーバーサイドにおいておいて、「編集モード」で作った個人の線は、クッキーの形で
読者側のパソコンに保存して…なんていうふうにすれば、何とかならないですかね?

書いてる途中で患者が来て中途半端に投稿しちゃいました。すみません。

点と線の話は、イメージとしてはわかるのですが、実装はむつかしいんじゃないかな?

Wikipediaのように、読者が自由に編集して、なおかつその履歴も参照できるようなblogsがあって、編集後の文章をもともとの文章と対比して読めるようなものがあったら、さぞ面白かろう。

どうせ、編集できる文章なら、法案作ったらどうだろうか?うまくいったら、ネット上の「集合知」を社会に具現化できたことになって面白いぞ。

という私の頭の中での連想の結果、下記のようなコメントになりました。はしょりすぎて、訳わからないコメントですね。失礼しました。

medtoolzさんの文章は、論理的・数学的・心理学的=理系、のにおいがします。そういう文章は得てして読み難いもんですが、それが読み易く感じるのは、修辞学的・文学的な才能がおありなんでしょう。
医者は元来理系・科学人間なので、あからさまに文学的な文体は苦手です。拒否反応を示す人もいる。
medtoolzさんの文章は、医者とか、理系人間に受け入れられやすい文体ですね。
こういう文章が書ける人は得です。自分の主張を最後まで相手に読んでもらえるし、多少内容が腑に落ちなくても、読み心地のよさから、相手を寛容な気分にさせます。

で、読みには来るけど、足跡残さず帰る人の多くは、読んで満足して帰っていく、ただそれだけのことじゃないかなあ。
リサーチしてみなければわかりませんが、私はそう推測します。

ところで、訪問者から「集合知」を引き出し、社会に反映させる方法として一つ思いついたことがあります。

1.法案を作る。たとえば「良きサマリア人法」とか「医療行為における業務上過失の認定に関する法律」か。
現職の厚労省技官や、その経験者で、法案作成に慣れている人が参加してくれるといい。

2.それを、Wikipediaのような方式で、閲覧者が書き換えていく。変更履歴も参照できるようにしておく。

3.「集合知」による合意が形成されたら、署名集めを始める。これもネット上で出来る。

4.最終的に、与党国会議員を通じて国会提出してもらう。

運がよければ法律が出来ます。
どうでしょうかね?

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