2006年10月29日

医療機器の祭具的側面

奈良県の母体死亡事例。

  • どうして止血剤を使わなかったのか
  • どうしてCT スキャンを撮らなかったのか

医療者側と、患者側、一方が「意味がない」と断じ、もう一方が「絶対そんなことはない」と信じる、 そんな断絶の考察。

魔法使いは杖を持つ

古代ケルト魔術のドイルドをはじめ、魔法使いの多くは杖を持った姿で登場する。

杖は老人が使う道具。年長者の知恵と経験を象徴している。

杖を持つということは、知恵や権威を身にまとうという象徴的な行為だから、科学的には意味がない。

それでも、この状態でかけた魔術は効果が高くなる。

魔術も科学も、対象に「納得してもらう」ための技術という点では、そんなに変わらない。

単純に投げるとか、あるいは火薬で吹き飛ばすとか、どんな方法であれ、石が「納得する」科学理論を用いれば、 石は空中に浮く。もしも石が納得してくれるなら、その方法は魔法の呪文だって同じこと。

人に壺を買わせるのだって同じ。機能とか、美術的な価値を科学的に示せれば、その科学に対して 人はお金を払う。もっと非科学的な方法を用いれば、科学的にはゴミ同然の代物にだって、 全財産をつぎ込む人だっている。

大事なのは、「対象に納得してもらうこと」それ自体であって、その方法に科学を用いようが、 非科学を用いようが、結果が出れば、どちらだって同じ。

止血剤。茶褐色の注射薬で、「効かない薬」の代表みたいなもの。

科学的な立場に立てば、あれを用いたところで、たぶん出血は止まらない。 ところが、止血剤を混ぜた輸液ボトルは、色が茶色に変化する。 色の変化というのは、医師の「行為」の象徴。

たとえ血が止まらなくったって、「何かをやってもらった」という印象だけは残る。

それだけのことだけれど、あのタイミングで止血剤が入っていれば、 家族の心情が変化して、結果は変わったかもしれない。

防御の円=魔法陣

悪魔を召還するときには、術者を守る魔法陣は欠かせない。

悪魔は、正しく作られた魔法陣の中には入れない。

魔法陣は、一部でも間違っていると効果がなくなるし、術者がその中から指1本出しただけで、 魂を悪魔に持っていかれる。

魔法陣は単なる象徴、悪魔と術者を隔てる境界にしかすぎないけれど、 境界の内外での、悪魔と魔法使いとの駆け引きは、ファンタジー小説の一つの見せ場。

魔法陣の理屈もまた、悪魔に「こちらも一生懸命準備をしているから、 ここには入ってこないでね」と納得をしてもらうもの。

CTスキャンには治療的な効果は全く期待できないし、これを撮って原因が分かったところで、 搬送を断る病院の数は増えこそすれ、「うちが取りましょう」と助け船を出してくれるところなんて出てこない。

それでも、CTさえ撮ってしまえば、「今何がおきているのか」、あるいは 「医療者が今何を考えているのか」を画像で示すことだけはできた。

意識を失っている患者さんにとっては、それは何の意味もないことだけれど、 そのときの家族と医療者、両者の思考を一致させる効果だけはきっとあって、 それはやはり、何か結果を変えたかもしれない。

祭具の代わりになるもの

魔術の本質は強力なイメージの力だから、それがある術者ならば、杖なんか要らないし、 魔法陣をわざわざ描かなくても、同じ効果をもつことができる。

魔法陣は、本来は必ず地面に描かなくてはならないけれど、 エノク魔術においては、緊急時には頭の中に魔法陣を想像しても、効果があるとされている。

ただしその場合、術者の頭の中では、線の1本1本、文字の全てに至るまでが具体的なカタチをとるぐらいに 強力に想像されていなくてはならず、集中力が切れてしまうと、魔法陣は効果を失うという。

止血剤とか、あるいはCTスキャンという道具は、医療器具という科学の側面とは別に、 相手に「納得」をもたらすための象徴という、祭具としての側面を持つ。

祭具的な力のためだけにこうした道具を使うのがためらわれるなら、 「自分のイメージの力」を駆使して、今おきていること、自分が考えていることを 相手に納得してもらわないと、望ましい結果は得られない。

今自分が働いている病院も、夜間は一人。

CT スキャンも血液検査もろくにできないから、 「納得」をしてもらおうと思ったら、自分のイメージをどうやって相手に説明するかが全て。

けっこうな重症の人も来るから、いつもいい結果で終わることなんて決してないけれど、 何とかトラブルにはならずに済んでいる。

お前は他人を言いくるめるのだけが上手なんだろ」と言われれば返す言葉もないんだけれど、 自分は医療の科学的な側面にはあんまり自信がないから、実力のなさを祭事的な部分で 多分に補っていて、今のところはまだ生き延びている。

仮説:誠意を持ったみのもんた

みの(もんた)さん」という医師を仮定する。

  1. みのさんには医療の知識は全くないが、何か手を出そうという意志だけがある
  2. みのさんは「患者家族から自分がどう見えるのか」をよく理解していて、 信頼のイメージを裏切らないように行動する
  3. 残念ながらみのさんには運がなくて、やったことはことごとく裏目に出る
  4. みのさんは分かりやすい物語を作って、それにみんなを巻き込むのが上手

今回のようなケースで、全科当直をしていたのが「みのさん」だったなら、 事態は大分変わったんじゃないかと思う。

  1. みのさんは医学の知識がないから、患者さんの意識がなくなっても、何がおきたのかは分からない。
  2. みのさんは「患者家族から自分がどう動けば信頼されるか」は分かっているから、とにかく家族の目に見える行動をおこす
  3. みのさんのやることは絶対に裏目に出るから、「色のついた輸液」を探してマイトマイシンを注射してしまったり、 CT室の隣、ライナック室に患者を運んでしまうかもしれない
  4. 不幸な転帰になったとき、みのさんはすかさず、「生命を賭けて子供を世に送り出した母親の物語」を作って、 家族とそれを共有しようとする

医療知識のある医療従事者と、知識のない「みのさん」。

おきたことは、全く同じ。違ってくるのは、物語の受け取られかた。 残された家族は、どちらの「物語」に、より納得できただろうか?

同じ落第点であっても、0点から40点まで、「患者の死」というのは様々な点数を取りうる。

物理事象の査定が0点にさえならなければ、物語の作りかたひとつで、 認識された現実なんていかようにでも変化する。

非常識な仮定だけれど、常識で可能なことを、あえて非常識を用いてやろうとするのが祭事という試み。

科学的には意味のない行為には違いないけれど、世の中科学ばっかりが全てじゃないと思う。

コメント

補足ありがとうございました。
西のほうの状況、全然分からないので助かります。

本当に、これから先どうなってしまうんでしょうか…。
「里帰りお産」なんて贅沢は終わって、地方では
皇帝ペンギンの行進よろしくお産のために都市部を目指す、
なんていうことが本当におこりそうで怖いですね。

大変亀レスの上に本筋とは関係ありませんが一言。

>正直なところ、分娩途中の意識障害の患者さんを「循環器」
>センターが受けるというのもすごい話で、よく取ってくれた

国立循環器病センターという名前ですが、中には脳外科、神経内科、周産期科まで取り揃えてあります。
結果として脳出血合併妊婦であったこの症例を受け入れるのにはかなり適した病院であったといえます。
ただ特にこの病院が産科に対応していることがあまり知られておらず、件の病院からはあまりにも遠く離れているために「19番目の病院」になったものと思われます。

おはようございます。

>認識と事実のズレ
もうこれは絶対に避けられなくて、医療者側も「事実を見てくれ」と叫ぶだけじゃなくて、
「事実はこう解釈するんです」とプレゼンテーションしないといけない時代。本来は、
医療者はプレゼンテーションは上手なはずなのですが…。

>危機管理の仕方
これからこうしたノウハウを持っている人が求められるようになるんじゃないかと思います。
「兆散」なんていったところで、行く先なんか限られてますし、今の医学教育論議なんて、
訴訟上等の現場ではヌルすぎて何の役にも立たないですし…。

私は今、美容外科をやってるんですが、こちらの世界では「自分たちは外部の人間から悪く見られる」と想定してシステムを組んでいるようなところがあります(性悪説)。
保険診療はこれまで性善説の環境でしたから、性悪説への変化い追いつけなくておかしなことになってきてるんじゃないかな?
こちらの世界(美容自由診療)では、みのもんたは「カウンセラー」と呼ばれています。カウンセラー抜きに、看護婦と医者だけでは、美容外科は成り立たないでしょう。
性悪説と性善説では、危機管理の仕方も随分違ってくるはずです。セコムの契約をグレードアップする感じかな?保険診療の先生で弁護士に顧問料払っている人はあまりいないでしょうし、私なんかは、患者に説明したことはすべてiPodに録音保存してますし。

開業してよかったな、と思うことの一つは、こうした危機管理がすべて自分の判断思いつきで出来ることですね。組織に属していると、組織の危機管理の甘さに身をゆだねざるを得ないですから(実際それは私が大病院の勤務医を辞した大きな理由です。自分の身は自分で守りたかった。)。

私は、大病院がもっと美容外科をはじめとする自由診療を組み込んでいけば良いし、そうなっていくと思います。それは、採算性や危機管理アップの問題もありますが、何より患者に自由診療と保険診療という選択を明示して、「医療は平等ではない」という意識を持たせ、「あきらめること」を学習させる効用もある。
昔、水がペットボトルに入って売られ始めたとき、日本人の誰もが、こんなもの誰が買うんだろう?と感じたと思います。昔の日本は「水と空気と医療はただの国」でしたから。

2ちゃんねるよりも、こっちのほうが、何だか書き込み甲斐がありますね(笑)。まじめな人が集まってそうだし。

その切り口にまた感動してしまいました。

 残念なことではありますが、報道が事実よりも解釈に重点を置いている、もしくはそうせざるを得ない、また、患者さんも同様であるがゆえに、みのもん先生のように解釈を改善させるべく努力した方が、報道・患者さんの反応は良くなるのでしょうね。

 医師・患者、どちらの立場であっても認識と事実のズレというのはいかんともしがたいですね。医師は報道・患者の言うことが理にかなっていないと言うし、患者・報道は医師の言うことが理にかなっていないと言うし。架け橋になるべく報道サイドに登場した医師(らしき人間)は「医学的」事実と称して解釈に偏った発言をしてますます混乱させるし。信頼が失われた状況下で、情報の非対称性を解決しようとすると、どうしても水掛け論になってしまい非効率なことこの上ないのに、、、

皆様コメントありがとうございます。

>後医である国循の方での対応

あんまり話題にならない上に、何の情報もないみたいですね。
正直なところ、分娩途中の意識障害の患者さんを「循環器」
センターが受けるというのもすごい話で、よく取ってくれたな
というのが正直なところ。
「関西の救急は終わってる」というのは昔から常識みたいな
ものでしたけれど、ここまで冗長性がなくなってしまうと、
本当に危ないですよね。
あの当たりの地方自治体には、予算なんて残っていないでしょうし。

>後医の対応次第では、もう少しなんとかならなかったのかな、という感じもありますので。

後医に「みのもんた」がいると、一番よかったと思うんですけどね。
わたしなら電話かけまくって、なんとか受け入れ先見つけた前医の努力を誉めまくるんだけどな。
それは、前医のためというよりも、後医(自分)に対する患者の高感度を上げる効用があると思うし、広い意味で医療界(自分が含まれる)のメリットになるわけですからね。

いい学生の振りをするのも 見かけだけでは すぐに分かりますよ。見かけだけだと、落差が大きいだけ、なおさら、こりゃダメだ、と思いが強くなったりします。
まあ、患者さんにも 勉強させてください、という誠意がみられるのは 最低限必要だとは思います。
そう言った意味では、勉強の出来不出来と、患者さんや他のスタッフへの対応の出来不出来とは、また別ですね。

勉強の出来も 今までの知識がどれだけあって、どれだけ今、勉強しているか、という面と、
今までの知識をどの程度まで応用できるのか、という面とがありますね。
なにせ、臨床では、日々新たに発見もしていかないと行けないのですから、応用も利かないとね。もちろん、大発見はまずありえませんけど、患者さんから少しずつでも教えてもらうのも発見、小さな発見が積み重なっていきます。また学会発表とか論文とか出すのにも、ささやかでも発見とか新しい何かがないと出せません。でもそれができないと、臨床の世界では 能力はない ということにされてしまいます。で、毎年、学会の演題締め切りの頃にいつも苦しんでいる自分です。

あんまりな医療というのは、たしかにあります。
どこが専門医なんだい?と言いたくなるが、批判しても仕方がない、意味がない相手というのはいますね。
そうしたところに また患者も多いのが不思議なんですけどね。

ただ、ハッタリというのは 確かに一時的には有効なことが多いのですが、あまりにひどいときは、後で化けの皮がはがれることは多いと思います。

今回の報道事案では、大淀での情報は産婦人科医側からはウェブにはずいぶん情報が増えましたが、後医である国循の方での対応については何もリークがないですね。気にはなりますね。
後医の対応次第では、もう少しなんとかならなかったのかな、という感じもありますので。

ハッタリをかますというのは、結構使い勝手のいいもので、とくに、私のような開業医になると、これだけで世界が回せるような気になって、勉強しなくなってしまいます。
だから、あんまり早くから上達しないほうが良い面もある・・ま、性の知識みたいなものでしょうか?人類の存続に重要だが、それだけに耽っていては人類の存続があやうくなる。

みのもんたはハッタリのプロですが、彼を見て多くの医者は大きな軽蔑と小さな嫉妬を覚えるはず。その「小さな」部分が医術の中で占める「ハッタリ」の%だと思います。

医者の数だけみのもんたがいて、医者と患者の間に立ってくれると一番いいんですけどね。
medtoolzさんは、私より10才くらい下かな?これからはハッタリ技に磨きがかかっていくはずですよ。多くの医者はそうやって人生暮れていくように私は観察しています。

>ハッタリをかます
たぶん、医学的に良くしただけでは片手落ちで、それを「良くなったんだ」と相手に分かってもらって、
はじめて成功なんでしょうね…。そういう意味では、今回の事件なんかも、医師側は本当にベストを
尽くしたと言えるのかどうか。もちろんマスコミの人達が全てぶち壊しにしたと言ってしまえば、
それだけのことなんですが。

>いい学生のふりをすること
多分、こういうのもセンスとかじゃなくて、本当は再現や伝達の可能な技術なんじゃないかと思います。
これからは、こんな技術も、医師教育の一環に組み込んだっていいと思うのです。

こんにちは、はじめてコメントさせていただきます。

みのさん、すごいですね。リニアックwww
でも確かにこういう演技力って大切ですよね。

私はまだ学生ですが、実習中に「いい学生のふりをすること」の難しさを学びました。
いざ言葉で表現しようとすると難しいのですが、目線の合わせ方(もしくははずし方)とか、背すじののばし方とか、そういう自分では気付かないような微妙なところで人間は評価されているんじゃないかと今では思います。

>「お前は他人を言いくるめるのだけが上手なんだろ」

それはすごい能力だと思います。少なくとも今の私にはありません。同僚の方からはむしろやっかみ半分で叩かれてしまうのかもしれませんが・・・。

こんばんは。
随分昔、研修医の二年間を、私は母校の内科で過ごしました。
その頃覚えたことの多くは忘れてしまいましたが、ひとつだけ、とても大事なことを覚えたような気が今でもしています。
それは、知識ではなくて、心得というか、智恵というか・・・
私自身は「ハッタリをかます」という表現で自分の中に整理していますが、言葉としては適当でないかも・・・

たとえば、硬膜外麻酔を初めてかけたとき。
こういうのは、今はどうか知りませんが、昔は手取り足取り教えてもらえるような環境じゃなかった。あまつさえ、その頃の私は卒後5~6年は経っていて、研修医が下についてたりしたし。
成書を読んで、他科の先生が入れているのを見たりもしましたが、結局やるときは1人。いまくいかなかったら、全麻に切り替えるべくお膳立てをしておいて、また、横で興味深そうに見ている研修医にも「この人は少し入りにくいね」とか、想定問答を念じて。
だけど、実は、自分は初めて硬膜外を入れる。こんなことは、口が裂けても誰にも言えない。ついているナースにも内緒。
あらゆる事態を想定して、しかしもし想定外の事態が起きたときは・・ええい、最後は樹海か、首でもくくればいい、そこまで腹をくくった上で「ハッタリをかます」。

ここで大事なのは、ハッタリをかます相手は、周囲というよりは「自分自身」。そう、自分自身を騙す、というか魔法をかけるわけですね。
自分自身に魔法をかけることができれば、周囲に魔法をかけることはたやすい。自分は既に魔法使いに変身しているのだから。

これは、今だから素直に思えるのですが、当時、私は一年上の上級生の受けがよくなくて、中心静脈の入れ方なんかも、ろくに教えてもらえなかったのが幸いだったのだろうなあ。教えてもらえないから、必死で盗み見したり情報収集して、最初は、当直先の老人病院でまったく1人で入れました。そこで覚えた初めての「はったり」。

その後の医者人生の中で、この、自分に魔法をかける、という技は大いに活躍しました。患者に対する説明説得においてもそう。正直なだけ、科学的なだけでは、患者は「信じ」てくれないこともある。
そういう患者たちは、自分に魔法をかけてくれる医者が現れるのを待っているんでしょうね。

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