2006.05.31
隠す戦略と見せる戦略
大学の研究室には何台ものパソコンが並んでいて、なんだかみんな楽しそうだった。
小学生だった当時は、何をしているんだか全く理解できなかったけれど、 遊ばせてもらったゲームソフトの面白さだけは覚えてる。
ご本尊を見る不幸
昔は大学が遊び場だった。
子供に親の仕事場を見せるのが流行っていたらしい。工場に行く子供。会社に行く子供。 社会勉強の体験を感想文にして、クラスで自慢する。自分が連れて行ってもらったのは大学の研究室。
父は何だか「音の研究」をしているとか言っていたけれど、小学生にはどうすごいんだか理解不能。 それでは感想文が書けないので、「スーパーコンピューターを見せてあげよう」という話になった。
スーパーコンピューターと聞いて頭に浮かぶのは、なんといってもクレイ-1。 「世界一高価な椅子」などと言う異名を持つこの機械の形だけは、何故か知っていた。

貿易黒字の解消政策の一環とやらで、日本中の大学にスパコンが導入された頃。
父の大学でも「クレイがほしい」と要望を出したのに、結局は米国の別の会社の奴が入っていたらしい。
「スーパーコンピューターを見せてもらった」なんて、絶対自慢できる体験だ。 大いに期待して父についていった先、「電算機室」という鍵のかかったドアの奥、 やたらとクーラーの効いた部屋に鎮座していたそれは、 横倒しになった冷蔵庫が何台も並んでいるようにしか見えなかった。
実物を見てがっかり。見なければ、もう10年ぐらいは「スーパーコンピューター」に夢を持てたのに。
大学が隠されていた頃
大学というところは、隠された技能者集団だった。
父の大学の研究室の人が、マイクロマウスの大会に出場したことがある。
マイクロマウスというのは、小型の移動ロボットが迷路を走り抜ける速さと知能を競う競技。 日本で競技が始まったのは1980年から。もともとはアマチュアの人達の大会。
この研究室のマイクロマウスが出場したとき、圧勝してしまったそうだ。 自動車の草レースに、F1マシンが出場したようなことになったらしい。
「素人さんの大会に国家予算をもらうエンジニアが出場するなんて、あってはいけないこと」
不機嫌だった父親が、こんなことを言っていた。
あれから30年あまり。技術は拡散して、大学の名を掲げたチームはいろいろな大会に 出場して、勝ったり負けたりしている。
民間は強くなった。昔は、大学が出ると勝負にならないのが分かりきっていたから、 大学の人達は隠れてた。
立場はいつのまにか逆転した。大学は民間からノウハウを学んで、 自分達のレベルを維持するのに必死。 できる人が腕だめしをする場は大学から民間へと移り、 大学に残る奴は「負け組み」認定されかねない。
隠された場所は公開された。
誰もが発信の手段を持っている昨今。大学の悪いところはたちまち公開され、いいところは ノイズの山に埋もれる。
ネットの噂話では、大学の話は悪いことばかり。 民間の話はいいことばかり。
絶対にそんなことはないのに。
隠す戦略と儀式の力
秘儀というのは、公開されるとその力を失ってしまう。
技術は進歩するけれど、それが拡散するのもまた速くなった。 大学の持っていた秘儀の力は薄らぎ、民間と大学との技術力の差も減った。
それでもまだまだ大学は面白い。
症例の多さ。圧倒的なマンパワー。 何よりも、「ここは大学だ」という技術者のプライド。
秘儀は2つの要素から作られる。実績と、儀式の力と。
大学病院は合理化した。
大名行列といわれた教授回診は簡素になったし、 権謀策術渦巻く象牙の塔のイメージも、もはや過去のものになった。
儀式は捨てられた。
- 昔は、教授回診の日には、近隣の病院のスタッフは大学へかけつけたものだった。 今は学生と研修医だけ。
- 大学院の卒業式。大きな式典が行われたのは過去の話。今は講堂の片隅で、 みんな私服でちょっと集まるだけ。
面倒な手続きはなくなったけれど、それとともにみんなの大学への帰属意識もなくなった。
誰もが自分の大学を悪く言うようになった。他人の庭は青いとばかりに、民間の病院を賛美しはじめた。
中傷が支配する世界では、大学のマンパワーの多さは不利に働く。
悪口の量は、その施設を知っている人数に比例する。 1学年が50人近くいる大学研修医と、10人に満たない民間病院。 どちらが悪くいわれるのかは自明だ。
秘儀は失われ、 大学当局は沈黙を続け、事態はますます悪くなった。
隠す戦略から見せる戦略へ
解決策は、全てを「見せる」ことだと思う。
秘匿されることによって価値は増すけれど、 それは同時に憶測を呼び、中傷を生んでしまう。
全てをオープンにする戦略は、ものの価値をそのままさらけ出す。
見せる戦略が有効に機能する条件は2つ。
- 情報を発信する人が、受け手の価値判断の能力を信じられること
- 情報を発信する人が、自分達の価値を信じていること
今はまだ、事実上何の情報もない状態。 ネットを流れるのは、当りさわりのない公開情報と、匿名の中傷記事ばかり。
- 大学の利点とは何なのか
- 大学に入ったらどんな研修が待っていて、3年頑張ったら「どう」なれるのか
- 大学にはどんな欠点があって、その改善策として当局は何を考えているのか
- ネットで指摘される「大学の悪い点」に対して、大学当局はどう反論するのか
このあたりの話題を双方向的に公開している大学は、まだまだあんまり多くない。 欠けているのはお互いの信頼。それを作りだせるのは大学当局の力だけだと思う。
ネットの向こう側の学生を信用して「対話」に乗り出せば、状況は絶対に変わる。
見せる戦略の世界では、大学のマンパワーというのは有利に働く。 面白がっている「中の人」の数が多ければ、その面白さは絶対に伝わる。
求む男子。至難の旅。僅かな報酬。極寒。暗黒の長い日々。 絶えざる危険。生還の保証 なし。成功の暁には名誉と称賛を得る。 - アーネスト・シャックルトン
シャックルトンは、こんな広告を出して、当時のロンドン市民を熱狂に巻き込んだ。
南極探検の面白さを信じてたから。
必要なことは、信じること。 自身の価値をどこまで信じられるだろう?